「ただいまー」
「ただいま帰りました」
商店街の買い物から帰ってくる。
時計の針は十一時を指していて、ギリギリお昼時には間に合いそうかな、というタイミング。
古物たちにかけられた布を取りながら、どうしても寒くなってしまう土間を進む。
この広さを暖房で温めるとなると、結構な工事が必要だろうし。
どうしようもないものなぁ。
「ん?」
「おや……」
買い物袋をテーブルに置いた所で、入店を知らせるベルが鳴った。
自動ドアだからわざわざなる様にしているベルは、涼し気な音を響かせる。
寒いのに涼しいとはこれ如何に。
「ライダーさん、お願い」
「はい」
と。
と。
……ライダーさんが対応するまでもなく──お客様は、まっすぐ、私達のいるところへ歩いてきた。ライダーさんをすり抜けて。
私の所へ、まっすぐに。
「……いらっしゃいませ?」
「こんにちは。
「……?」
うん?
代理店主?
……ライダーさんの事かな?
そう思ってライダーさんに目をやるけれど、ライダーさんは首を振る。
ウチは両親が亡くなってから、ずっと私だけで経営してきた店だ。
半年前にこそライダーさんを雇いはしたけれど、店長はずっと私。代理なんて取っていない。
「……そう。
約束は、守れなかったのね」
お客様は。
銀髪の美しい、容姿も美しいお客様は。
少しだけ、悲しそうに呟いた。まるで、友達を一人喪ったかのような──肉親に向けるそれではないけれど、でも、確実に悲哀の感情を含んだ声で。
「あー、っと。私じゃない店主っていうと……もしかしてお父さんの事かな? その時に約束した割引、みたいな……」
「いいえ。ごめんなさい、勘違いだったみたい。
この辺りで失礼するわ。もう来ることはないでしょうけど」
目の前でもう来ない宣言は店主としては響くんですよ、という思いを飲み込んで、営業スマイル。
冷たい声だ。すでに私への興味は失われてしまった。
そう思う。
でも、本当に覚えがないんだよなぁ。
「あ、一応お名前教えてくださいませんか?」
「一応、と冠を付けられて名を訪ねられて、教えてもらえると思っているというのかしら」
「む。
それは確かに、失礼しました」
私としたことが。
両親から引き継いだこの野場骨董品店を、私の行動で貶めることはしてはいけない。
「私は野場骨董品店の店主、野場飛鳥といいます。
お客様、お名前をお教えいただけますでしょうか?」
「カレン・オルテンシア。カレン、でいいわ」
「はい。ご来店、ありがとうございます。
──オルテンシア」
カレンさんのジト目が少しだけ開かれる。
あれ、何かおかしなこと言ったかな?
カレンさんの奥にいるライダーさんまでもが、私をまじまじと見ている。
「……私、何か言いました?」
「いいえ。でも。
どうやら、時間が必要なようね。
この私を待たせて惰眠を貪っている辺りは文句の一つも言いたい所だけど」
少しだけ、彼女に笑顔が戻った。
笑顔と呼べるのか──何やら不満顔だけれど。美人は笑っていたほうがいいよなぁ。
「それじゃ、私はもう行くわ。
そうね──春先にでも、また来ましょう。虫ですら目を覚ますのだから、流石に起きている事を願っているわ」
カレンさんはその身を翻し、ライダーさんの横を通り抜けていく。
どういう意味だったんだろう……。
でも、まぁ。
また来る、って言われたのだから、よしとしましょうか。
そうして視線を落としたカウンターの下に、あるものが落ちている事に気づいた。
「あーっと……ちょ、ちょっと待ってください。
割引に関しては、無条件に、とは出来ないんですけど……」
それは両親の代から、時々あった事。
お金が少し足りない、けれどどうしても欲しいものがある。
そんなお客様が現れたときに、両親──お父さんが、楽し気にやっていたこと。
「コイントスで、お客様の指定する面が出たら、割引しますよ」
拾い上げるは、裏面で悪魔が嗤い、表面にその悪魔の尻尾が刻まれた古いコイン。
この店にあるもので唯一、出所の判明していない、売り物には出来ないコインである。
「……、」
「飛鳥、それは」
「あれ、ライダーさんが来てからは、やったことなかったっけ?」
ま、ここに来るのは基本常連で、金持ちか冷やかしばっかりだからなぁ。
それでもそういう、全国津々浦々を探し回って、この店に行きついた人間は少なからずいた。
恐ろしいことに、一回勝負のこれで──勝ってしまうのだから、本当にすごいよね、とお父さんは言っていたっけ。
渡るべきモノが、渡るべきヒトの所に行くように世界は出来ているのだと。
「受けますか?」
「ええ──じゃあ、Tails」
こちらが問う前に、答えは用意できているらしい。
Tails──裏。
ピン、と弾く。
コインはくるくると回転し、笑みと尻尾を交互に見せて、やがては落ち始める。
そうして──私の手の元に、辿り着いた。
「……」
シン、と静まり返った店内で、そーっと、自分に見えるようにだけ、薄く手をどかす。
右手の甲。
乗っかったコインは――表。
Heads。失敗だ。
残念。渡るべき人ではなかったのかもしれない。
そんなことを想いながら、ある事に気づいた。
そういえば、何が欲しかったのか聞いてないな。
「――
左の親指が、コインを掬い掠めるように動く。
まるで染みついてしまった手癖のように。無意識にやってしまうワルイコトのように。
指に掬われたコインは、無駄な動作を一切せずに──ひっくり返った。
「
ため息を吐きながら、薄く笑う。
なんだか懐かしい。
イカサマなんて、私はやったことないはずなのに。
もしかしたら、お父さんが必ず勝ってしまう人達の事を楽しそうに話していたのは、こういう理由だったのかな。
上げたくなっちゃうって……店主としては致命的だよなぁ。
「……嘘吐き」
「さぁて」
私の記憶に残っている両親は、ひどく薄い。
十年前だ。確か、私はとてもつらい熱病を発症していたと思う。
その日に――両親は亡くなった。
そう。だから。
その日から、彼にいろんな話を聞いたんだ。
「さて──
思い出せた。
思い出した。
そうだ、そうだ。忘れていた。忘れてはならなかった。
カタ、と音がした。
それは骨董たちから聞こえてくる音だ。カタ、カタ、カタ。
まるで何かを喜ぶかのように、意思持たぬ品々が声を上げているかのようだった。
「これは……」
ライダーさんが周囲を見渡す。
「御覧のように曰く付きの品々ばかり。
それでもほしいものがあったのでしょう?」
「……ええ」
この街で。
しがらみのない、敵意のない、なんでもない。
「――ただの、友人を」
彼と言峰さんのような、ただの話し相手。
それをご所望と。
うーん、美少女飛鳥ちゃんとの友達となると、お高くつきますが――まぁ、割引されているし。
「じゃあ、これからよろしく、オルテンシア」
「ええ」
眠りに就く彼におやすみなさい、と告げる。
思い出したのだ。
ずっと一緒にいた、大切な家族のことを。
これで、ようやく。
「約束は守れたかね?」
それが、誰に対しての、約束だったのか。
「それにしても、野場氏の交友関係は不思議ですなぁ」
「その不思議な交友関係に後藤くんも入っている事を忘れるなよ」
「ふむ。
それは、拙者めを友人と、そう認めてくれているので?」
「それなりには」
「はっはっは。
それは朗報朗報!
ちぇ。
こいつ。最初から気づいてやがって。
「これからもよろしくさん」
「こちらこそ!」
そんな──三年生、最後の冬──。