小町ポイント クリスマスキャンペーン 作:さすらいガードマン
ポワポワポワンと、どう考えても非現実的な効果音を立ててピンクの煙が広がり俺の視界を埋め尽くす。自分の指先も見えないほどの濃い煙だが、不思議と息苦しさは感じない。
立ち尽くすこと数秒。ゆっくりと霧が晴れていくと、そこには……
「はぁ! ちょっと、なんであんたがここに来んのよ!」
サンタ服を可愛らしく着こなし、うっすらメイクもバッチリな相模南が待っていた。
……いやいや、どう見ても俺のことなんか待ってないだろこれは。むしろちょっと涙目になって怒ってらっしゃる。
「……あの天使……、あなたにぴったりの恋人が現れますよとか言って……。うち、せっかく覚悟決めて来たのに、よりによって何でこのタイミングで比企谷なのよ……」
どうやらちょっとは期待していたらしい相模は、現れたのが俺だったことが相当ショックだったらしく、俯いて小声でブツブツ言ってる。あまりの怒りに顔が赤くなってるし。
「いや……なんか、悪い。俺も状況がよく分かって無くてな……」
霧が晴れ、周りを見渡せば、ここは例の特別棟の屋上。不思議と全く寒くないのはここが、「夢と現実の間」だからか? まあ、俺と相模にとってはなかなか因縁深い場所ではある。二人が集うにはふさわしい場所と言えるかもしれないが……。
しかし……、いくらくじ引きとは言え、俺と相模が恋人とか、ありえんだろ……。
「まあ、なんだ。とりあえず帰るわ」
「え? ちょっと……」
ここは戦略的撤退の一手だ。くるりと振り向いて校舎に入るドアのレバーを引く……が、開かない。それどころかびくともしない。たしかこのドアの鍵は壊れていて、ちょっと力を入れれば簡単に開いたはずだが……。
「開かないわよ、そこ」
ちょっと落ち着いたらしい相模がそう声をかけてくる。
「うち、気がついたらいきなりここにいたんだよね。まわり、ぐるっとひと回りしてみたんだけど誰もいないから、下に降りようとしたんよ。でも……」
「マジでか……」
つまりこの屋上に、俺と相模の二人だけで閉じ込められている……と。
相模は、「はぁ」とひとつ溜息をつくと、
「比企谷、とりあえず座んない?」
そう言ってすぐ横にある、用具入れと思しき蓋の付いた箱に視線を向けた。
「…………」
「…………」
箱の上に相模と並んで座り、……俺はめちゃくちゃ緊張していた。
いや、だってね、箱は大した大きさではなく、他に座れるような所もない。必然的に相模との距離も近く、くっつきこそしないものの、二人の間はわずかに数センチ。空気を通して体温さえ感じられるほどだ。
……ましてその、普段は意識しないが、相模南はこれでかなりの美少女なのだ。三浦や由比ヶ浜の居るうちのクラスに於いては、いわゆるトップカーストでこそ無いものの、他のクラスならほぼ間違いなく最上位にいただろうと思わせるだけの容姿を持っている。
その彼女が、ほんのりと薄く化粧をして、可愛らしいサンタ服を身に着けている。相模が着ているのは、半袖のワンピース型で、袖口と裾が雪のような真っ白のファーで縁取られているどちらかと言えばシンプルなデザインの物だ。
短めのスカート部分の裾からスラリと伸びた素足は白く、柔らかそうなサンタ服の生地は滑らかに体型をなぞり、そのスタイルの良さを隠さない……てゆうか、相模って、その、けっこうあるんだな。さすがに由比ヶ浜ほどではないが、なかなかに立派なものをお持ちで……。
「ね、ねぇ、比企谷」
「ひゃい」
「ぷ……なに変な声出してんのよ。……やっぱあんたキモ」
「うっせ。だったら話しかけてくんなよ」
まあアレだ、ホントにキモいことを考えてたのは確かだが。
「う、それは……ごめん……」
そう言って彼女はしゅんとして黙ってしまう。……あの相模が俺に謝った、だと? 天変地異の前触れか?
驚いて彼女の顔を見れば、俯いて目尻に小さく涙まで溜めている。
「で、何だよ」
「え」
「何か言いたいことあったんだろ」
「あ、うん。あのさ、えと、…………うちら、これからどうしようかなって」
相模はしばらく言いよどみ、それから取ってつけたような質問をする。
「どうっつってもなぁ。まあ、これが夢の世界だってんなら、大人しく夢から覚めんのを待つしかねーんじゃねーの。……知らんけど」
「そっか、やっぱそうだよね……」
そう言って彼女はますます小さく縮こまってしまう。溜めていた涙が一筋つうっと頬を伝うのが見えた。その涙は俺に
「その、悪かったな。ここに来たのが泣くほど嫌な相手で……」
いくら相模とは言え、泣くほど嫌がられるというのは少なからずショックではある。しかし……俺は彼女にそうされるだけのことをした自覚がある。……文化祭の時、お前は俺と同じ最底辺の人間だと罵倒し、相模なりに大事にしていたであろうプライドをズタズタにしたのだ。あそこまで言われて嫌いにならないほうがおかしい。
それに体育祭の時だって……
「ひ、比企谷っ、違う。ちがう……から」
そう言いながら、相模は両手で俺の手と上着の袖口をきゅっと掴み、潤んだ目のまま俺を見上げてくる。瞳には真摯に何かを訴えたいという意思が見て取れ、思わず目を奪われた……。相模南と正面から見つめ合うなんておそらく初めてだろう。まして、今は十数センチしか離れていない。……やっぱこいつ、きれいな顔してるよな。泣きそうな顔でそんな風に見つめられたらドキドキしちゃうじゃん。触れている手は柔らかですべすべしてるし、コロンかなんかのいい匂いはしてくるし……もう、相手が相模で無かったら一発で惚れちゃいそう。
「……相模?」
「あ、そのね、うち……」
「待った。……その、相模、手……」
彼女は何かを言いよどみながら、掴んだままの俺の手をむにむにとするので、俺のほうが落ち着かない。
「え? あっ……」
自分が何をしていたかようやく気付いた彼女は慌てて俺から手を放し、真っ赤になってアワアワと両手を振る。何だこいつ可愛いな。思わず「ふっ」と笑い声が漏れる。
……相模に睨まれた。
だが、今ので少し落ち着いたらしく、相模はコホンと一つ咳払いをすると、
「あのさ、比企谷。……うち、あんたが来たこと、嫌だなんて思ってないから」
「いや、でもさっき……」
「あれは! あれは、ね、その、タイミングが悪いっていうかさ……」
「……」
「うち、最近全然いいところ無くて、だから、夢の中でも恋人が出来るって言うんなら、何かが変わるかもって。それに、あの天使、この夢は現実にも繋がってますよとか言うから……」
それは……さすがに小町、じゃなかったコマチエルが悪いな……期待させておいて現れたのが俺じゃな……。
「おう、その、すまんかったな、俺で」
「だから違うってば。……うち、さ、変れたら、勇気が持てるようになったら、ちゃんと……ちゃんと言わなきゃってずっと思ってたの。でも、うち……怖くて、みんなうちから離れて行っちゃうんじゃないかって思ったらいつまで経っても勇気が出なくて……だから、誰か一人でも味方が欲しくて……」
それで恋人、か。
「でも、せっかくあんたが来てくれたんだから、うちも勇気出さなきゃ、だよね……」
相模はそう言って俺を真っ直ぐ見ると今度は自分の意思でがっしりと俺の手を掴んできた。照れはなく、表情は真剣。深呼吸を一つして、彼女は口を開く。
「比企谷、今まで、うち、ヘタレでゴメン。文化祭の時、ホントに悪いのはうちだったのに……、あの文化祭を成功させたのは比企谷だったのにっ……」
相模の目からまた涙が溢れ出す。
「うちは、自分が可愛くて、周りが怖くてあんたを悪者にした。自分が被害者みたいな顔してた……。体育祭の後になって、ようやく気がついたんだ……私がこうして平気な顔でいられたのは比企谷のおかげだって。みんなから嫌われるのは、本当はうちのはずだったって。……でも……うち、どうしても……どうしても言えなくてっ……」
「やめろ!」
つい、声を荒げてしまった。言われた相模の方は一瞬体をびくんとさせ、そのまま固まってしまっている。
「比企谷……?」
「あれは俺がやりたくてやっただけだ。……別にお前のためにやったわけじゃない」
そう。俺がやりたくてやっただけ。今思えば「間違ったやり方」だったが最適解だった。自分が傷つくだろう事も計算に入れていた。それでも全て覚悟の上でその方法を選んだのは……。
「……うん。わかってるってば。……雪ノ下さんのため……でしょ」
「! 相模、お前……」
「さすがにうちもそこまで馬鹿じゃ無いし。理由もなく『比企谷がうちを助けてくれた』なんて思わないよ……」
そう言って彼女は少しだけ笑う。
「文化祭……雪ノ下さん、すごいがんばってた。成功したのは雪ノ下さんと……多分あんたのおかげ。それを……うちは台無しにしちゃう所だったんだよね……。だから比企谷は……」
「それは……」
正直意外だった。相模がここまで周りの人間のことを考えられるとは。……あるいは……成長したのかもしれないな。かつて相模自身が望んでいた通りに、本当の意味で。
「だからこれは、うちが勝手に謝りたいだけ。勝手に感謝したいだけ……。別に比企谷のためじゃない。どう?」
相模は、涙に濡れたひどい顔で、それでもドヤ顔を作ってそう言う。……俺は、その顔を綺麗だと思ってしまった……。いつもの澄ました顔よりずっと良いじゃねえか。
ふぅ、……参った……降参だ。
「勝手にしろ……」
俺は彼女の方を見ないままそう一言だけ言った。
「へへ。うん。その、ありがと、比企谷」
「……おう」
ずっと心に抱えていたものを吐き出し、スッキリとしたような表情の相模の姿がなんだかとても眩しい。……少し照れてはにかんだように微笑う笑顔はひどく魅力的で……。
「……なあ、また、その、手握ってんだけど……」
そんな顔で手を握って、上目遣いで見つめられたりしたら、心がぴょんぴょんしちゃうからね。
しかも、俺の方に体重を掛けるように斜めに座っているためか、相模の脚がわずかに開いてしまっていて……、サンタ服の裾から覗く白い太腿に思わずちらちらと目が行ってしまう。
てっきり、「キモ。何赤くなってんの?」とか言われると思ったんだが……。
「え、いいじゃん、うちら、恋人……なんでしょ」
そう言って相模はさらに強く俺の手を握ってくる。
「おまっ、今んなってそれ言うの……」
「……ダメ? あーあ、やっぱり雪ノ下さんと付き合ってるんだ?」
は? こいつ何言ってるの。
「ちげーよ。何でそういう話になるんだよ」
「じゃあ、結衣ちゃんの方と?」
「別にどっちとも付き合ってねえっての。それどころか、誰かと付き合ったことなんか一度もねえよ」
全く、どうして女ってのは何でもかんでもそういう話にしたがるかね……。
「……それって、ほんと?」
「こんなこと嘘ついてどうすんだよ……」
「ふ、ふーん。じゃあさ、」
彼女は握っていた俺の手を少しだけ引っ張った。……俺は前のめりにバランスを崩し……目の前に相模の顔、唇に柔らかい物が触れている……。
……ほんのりと甘い匂い。ぷるんと柔らかい唇の感触。息がつまり、自分の鼓動だけがやけに大きく聞こえる……。
時間にして五秒。我に返った俺は、飛び退くようにして箱から立ち上がった。
「い、いきなり何すんだよ」
「えと、うちから比企谷への感謝の一環、みたいな」
相模は真っ赤になって照れたようにしながら、しかし悪びれない。
「おい、いくらなんでも感謝でするようなことじゃねえだろ……」
俺が右手の甲で唇を拭うようにしながら言うと、
「あ……ごめん。……もしかして、うちなんかとキスするの、イヤだった……?」
相模はそんな事を言いながら、シュンとしてしまう。……こいつ、メンタル弱いのは変わらねえなぁ……。目には大粒の涙。そんな、捨てられた仔犬みたいな目で見つめられると……。くそっ、やっぱり可愛いよなぁ、こいつ。……外見だけなら即好きになっちゃうレベルな上に、なんだか中身の方まで可愛く見えてきた。
「別に……嫌じゃねえけど。……ただ、お前はこういうの慣れてるかもしれんが、俺は……」
「待って。そ、その、うちだって初めてだよ。……キス、したの」
「え、マジで」
意外。相模みたいなイケイケ(笑)は、そういう経験豊富なんだと思ってた。「経験豊富」って、なんだか卑猥。ハチマンドキドキしちゃう。
「でも、だったら余計俺なんかと……」
「『俺なんか』って言わないで。前はともかく今は、うち……比企谷のこと、結構イイ男だって思ってるんだから、さ」
「……お、おう。その、あんがと、な」
「それに……雪ノ下さんにも、結衣ちゃんにも何か一つくらい勝ちたいし?」
「勝つって……何でまた雪ノ下たちが出てくるんだよ」
「……あのさ、うち、体育祭の辺りからなんだ。アンタの事、ちょっといいなって思い始めたの。けど、比企谷の隣にはいっつも雪ノ下さんと結衣ちゃんが居て……、絶対どっちかと付き合ってるんだ、って思ってたから」
そう言って相模は、俺の顔をちらちらと見ながら続ける。
「けど、まだ付き合って無いっていうなら、うち、立候補ぐらいしてもいいかなっ……て」
「……立候補って、何にだよ?」
相模は、真っ赤な顔で、声を震わせながら、
「だから……その、比企谷の、彼女、に」
そう、小さな声で言った。
「いやその、何? ……本気かよ……。それになんだよ、まるで他にも候補が居るみたいな言い方は……」
俺がそう言うと、相模は目を丸くして、
「……ホントに気付いてないとか、……結衣ちゃんたちも苦労するなぁ……」
呆れたようにそんな事を言う。
「ね、うちね、この夢が覚めたら、ちゃんとみんなに言うから。今更かもしれないけど、文化祭の時のこと、全部。……悪いのは、比企谷じゃなくうちだったんだって」
「おい、そんなことしたら、もしかすると今度は相模が……」
「大丈夫。……さっき勇気もらったし」
そう言って相模は、人差指で自分の唇をちょんちょんと突いて、いたずらっぽい笑顔をこちらに向ける。
「な、お前な……」
そんなことされたら、さっきの唇の柔らかい感触とか思い出して、またドキドキしちゃうからやめてっ。
「比企谷。……うち、ちゃんと頑張るから。 ……そしたら……そしたら、さ、少しでいいから、うちの事考えてくれたら……その、うれしい……です」
もじもじしながらそんな事を言う相模は、見ていてとてもいじらしく……それに、そんな事を言ってもらえた自分にも不思議と悪い気がしない。……だから俺は、
「まぁアレだ。それで相模が頑張れるって言うんなら、その、良いんじゃねえの。知らんけど」
小町言うところの捻デレで応える。……実はもう、「相模と彼氏彼女の関係ってのも案外悪くないんじゃないか」なんて思い始めていることはまだ教えてやらん。……だって恥ずかしいじゃん。
俺の言葉の意図がどう伝わったのかは分からない。ただ、彼女は、
「へへ。ありがと、比企谷」
そう言って素直に笑った。