めっちゃ長くてごめんなさ
「ぐ、グラン……」
視界がぼやける。頭が、割れるように痛い。
呆然と立ち尽くしていたカリオストロは、思い出したかのようにふらふらと近寄り……そして、微動だにしない彼のそばにへたり込んだ。
グランだ。
間違いようがなかった。
むしろ間違いであって欲しかった。
先ほどまで元気に話をしていた彼は、今は虚空を見つめて動かなかった。
心臓を刃物で一突き。そして同時に首を深く切り裂かれているのが致命傷となったようだ。全身の至る所にも刃物の傷があり、彼が眠るその場所は血だまりが広がっていた。
無意識に投げ出された手を掴み、脈を図る。しかし願った反応は当然なく。冷たくなりつつあるその体にカリオストロは胸を曇らせてしまう。
「嘘、だよな……? な、なぁ、グラン……返事を……返事をしろよ……っ」
──グランが、死んだ?
次元を超えた化け物を相手にしても、どんな絶望的な状況でも必ず勝利を掴んできたコイツが? 冗談を抜かせ。嘘をつくなよ。こんなの信じられる訳がない。
否定する心と相反する現実、その矛盾に、今までにない程の痛みを心が訴え始める。
自分が支えていた何かが音を立てて折れる感覚。全身に重たく伸し掛かる倦怠感。かつてない程の絶望。カリオストロの中でどれほどグランという存在が大きかったのかを、まざまざと思い知らされた気分だった。
「だ……だめ、駄目だ……っ、まだ死ぬなよ! お前の旅はまだこれからだろ!? オレ様を置いて死ぬんじゃねえッ!」
血だまりを濡らす大雨の中で、焦燥感に駆られたカリオストロは回復魔法を唱え始めていた。柔らかな光がグランを纏う。するとその外傷が立ちどころに癒えていく。奇跡と見まがう光景……しかし、肝心の魂は戻らない。
ならば効くまで流すだけ! 重ねに重ねた回復魔法がグランを癒やしていく──どんな大ケガもたちどころに直る筈のそれは、しかし今では周りを照らす照明にしかならない。
効果のない無駄なあがき。壊れた器に水を注ぐ無為。分かっていても諦めきれず、カリオストロはひたすらに試みた。十回、二十回……そして三十回ほど一帯が明滅する。しかしそこまでしても望みは叶わない。
「~~~~~~……ッ!」
とうとう意思に反して魔法を唱えることが出来なくなった所で、カリオストロは悔し気に地面を叩いた。
無情なる現実に屈したその姿は、どこにでもいる少女にしか見えなかった。
──なんてザマだカリオストロ。
──お前がついていながら、グランを救えなかったなんて。
──ほとほと呆れる。心底救えない。
──何が天才錬金術師だ。何が真理の探究者だ……ッ!
ヒビ割れた心の中で、悲しみと怒りだけが渦巻いていた。
割れるほどの頭痛。ぐらりと傾く世界。目眩がする。吐き気も止まらない。どうしてこうなってしまったんだ? 自分は最善を尽くしたつもりだった、それなのにこんな……こんな結末、断じて認められない!
「……っ」
そうだ……認めてはいけないんだ。
まだ出来る事はある筈だカリオストロ。無駄に長生きしてはいないだろう? 禁忌に手を染めたっていい。世界を敵に回したっていい! 蓄積した知識をひっくり返して、人っ子ひとりぐらい生き返らせて見せろ……!
「ルリア」
「……」
「ルリアッ!」
「っ、カリオストロ……さん?」
茫然と座り込んでいたルリアが、こちらを向いた。
「お前とグランは一心同体。一つの命を分け合って生きている……そうだろ?」
「……」
「ならやりようはある……! 命が枯渇したなら、もう一つ命を足してやればいい。そうだ、そうすればグランは……!」
「お、おいカリオストロ、お前一体何を……!」
「オレ様の命を継ぎ足すんだよ……! 肉体は死んでも魂の
「……だめ、です」
ルリアが力なく首を振った。
その思いもよらぬ反応に、カリオストロは呆気にとられてしまう。
それこそ親友以上にお互いを信頼しあっただろう? それなのにどうして救いの手を自ら外す? どうして諦めてしまうんだ!?
「テメェ! それでも……!」
「だめなんです……グランは……、グランはやられてしまう前に、私とのリンクを切ってしまったんです……だから、それじゃ……駄目なんです……」
「ッ」
「グランは……私を、私を助けるために……グランは…………グランは……っ! ぅ、ぁ、あぁ、あぁぁあぁ──…………ッ!」
ルリアの慟哭が、周りに響き渡った。
六体の守護者が佇むその中心で、崩れるようにしてグランを抱きしめる様子は明らかに不安定だった。
彼女の声に呼応するように召喚された星晶獣達が六者六様の反応を見せる。彼らが少し身じろぐだけでも王都全域が震え、その余波だけでも天変地異が起きそうだった。
「あ。あぁぁ。ああア■■■■───」
「ルリア!?」
「まて、ルリア──ダメだ。ダメだっ!」
「■■■■■ぁ■■ン■■■■──グ■■■っ、■■■■っ■■■■────ッ!」
泣き声はやがて人の可聴域を超えて周りを震わせていく。そして薄く青い幕のようなものが彼女らを覆ったと思えば、グランを抱いたルリアはひとりでに宙を漂い始める。
それは物理的にも精神的にも強固な殻だった。今の彼女達にはどんな攻撃も、どんな言葉も届かない。
星晶獣達の鎮魂の輪唱が終わりを告げれば、やがて行き場のない衝動が波となって王都を何度もつんざいた。彼を殺したのは誰だ。彼女を悲しませたのは誰だと、怒りを、悲しみを、憎しみを、今にも炸裂しようとしている。
──カリオストロは唐突に悟った。
あの
あり得る筈のないグランの死が切欠となり、そして星晶獣が暴走した。
これこそが王都壊滅の真相。ルリアを放置すれば王都は過去の二の舞だろう。ここに住まう何十万の人々を道連れに王都はこの世から消滅する。……よしんば、この世界ごと消えてなくなるかもしれない。
国民も、兵士達も、リカルドも、クラリスも、エミリアも……そしてスバルも。
「ッ、駄目だシュバリエ……止すんだ!」
《──────ッ!!》
はっと、気付いた時にはもう遅かった。
市民が不安そうに見守る中、四本腕の戦乙女が唐突に街全体に広がる鬨の声を上げたと思えば、周囲を飛んでいた4つの巨大な妖精が細い光線をほとばしらせた。
ぢゅいんっ。
それが街の一角をなぞった直後、通りごと家々が冗談のように弾け飛んだ。
市民達も目の前の光景が信じられないのだろう、しばしの間を置いてようやく怒号と共に逃げ惑い始めた。
「よせってんだコロッサス! コロッサスぅ!」
ビィの必死の静止の声に振り向けば、絡繰騎士が一撃を繰り出さんとする所だった。
赤熱した大剣が天高く掲げられ、そして振り下ろされる。カリオストロが見てる前でゆっくりと地面に吸い込まれていけば、それだけで街の景色が一変。岩盤ごと家が吹き飛んでいく。
余波だけでも近くの石畳がめくれ上がるほどの衝撃。咄嗟にバリアを展開しなければ、容易く吹き飛ばされていた事だろう。
ウロボロスを展開し、ビィを抱えて空へと跳ぶ。なけなしの魔力を振り絞った高高度へのジャンプ。街を一望出来るほどの高さまで上がれば、マグナシリーズらと対面することが出来た。
1体でも死線をくぐり抜ける必要があった相手と6体同時に相対する絶望感は、かつてない程だった。
「ティアマト! コロッサス! リヴァイアサン! ユグドラシル! シュバリエ! セレスト! よすんだ! このままじゃ街が、王都がめちゃめちゃになっちまう──聞いてるのか!?」
「ダメだみんなぁ! ここで暴れたらみんなが……みんなが死んじまう!」
カリオストロとビィがあらん限りの声で呼びかける。長い旅路の中、共に戦った仲間が
しかし制止の声むなしく、彼らは衝動のままにそれぞれの武器を振りかざす。
「よせよ! 止めろっ! やめ──!」
嘆願は、吹きすさぶ暴風によってかき消された。
ティアマトとその龍達が悲しみの咆哮を上げたと思えば、かつて王都が一度たりとも経験した事のない暴風が街を襲った。
樽が飛ぶ。煉瓦が飛ぶ。人が飛ぶ。家が飛ぶ。
例に及ばずカリオストロも突風に揉まれ、地面に叩きつけられそうになったのをどうにかして防ぐ。
しかし体勢を取り戻した直後に起こったのはユグドラシルによって引き起こされた地殻変動だった。
地面が波打ち、立っていられぬ程の地震が起きたかと思えば、美しい街並みが次々に崩壊。代わりに巨大な地盤が、地面から突き出してくる。
たまらず空へと逃げれば、海でもないのに唐突に現れた高さ数十メートルもの津波が、崩れ落ちた家々と逃げ惑う人々を飲み込むところだった。
リヴァイアサンの仕業だった。
濁流が街の隅から隅まで行き渡り、命の痕跡を消していく。それこそ何十万もの市民が営む王都の歴史ごと。
「ルリア……っ、だめなんだよぉ……っ暴れたらみんなが……みんながぁ……!」
腕の中のビィが涙を流す。隆盛を誇った王都は最早影も形もなかった。
何よりも平和を望むルリアが、この惨状を作り出してしまったという皮肉。これでは兵器に逆戻りじゃないか。
嗚呼どうすればいい。どうすれば
「──ははっ」
乾いた笑みが自然と零れ落ちていた。
そんなの……もう、
グランは死んでしまった。
抗う事も出来なかった。
自分の手が届く前に。無残に。終わってしまった。
グランが居ない世界で生き残れと?
そんなの言語道断だ。価値がない。無意味だ。ナンセンスだ。
アイツが居なくなった空に、なんの意味があるというんだ。
「カリオストロ……どうにか、どうにか出来ねえのかよぉ……! 相棒は、相棒は助からねえのかよぉ……!」
しゃっくり交じりに訴えるビィにカリオストロは何も言わない。しかしながら、解決策はすでに頭の中に浮かんでいた。
それは禁忌だった。
考えても実行に移さなかった禁断の果実。
しかしグランと言う最後の一線が無くなった事で、カリオストロは容易にその方法に手を伸ばせてしまう。
──グランの居ないこの世界ではどうすればいい?
そんなの簡単な事だ。
王都は元通り、グランは生き返り、ルリアも笑顔を見せる。
全て全て無かったことになる。
今回は情報が足りなかった。
だから次は失敗しないように気を付ければいいんだ。
──そうだ。
「カリオストロぉ!」
「五月蠅い」
「えっ? ……ふぎゃッ!?」
そう思い至った途端、どうでもよくなってしまった。
適当な屋根に着地すれば、カリオストロはビィを弾き飛ばしていた。
「な、なにしやが……」
「邪魔をするな──これから、オレ様はスバルを殺しに行く」
「はぁ!? 何だってお前そんな事……! ルリアの事はほっぽりだすのかよぉ!」
「特異点は死んだ。救う手立てはない。だけど、スバルが死ねば全て片が付く。この世界を終わりにできる」
「ッ!? お前、何いってやがんだ!」
「諦めろトカゲ……いや、
「訳の分からない事いいやがって……トチ狂いやがったのかぁ!?」
カリオストロにビィの言葉は届いていなかった。
彼女は自分を納得させるかのように一方的にまくしたてていた。
「何もしなくても、いずれ蒼の器がお前ごと世界を壊すだろう。それがお望みなら何もしねえよ……あぁクソ。なんだってオレ様はあんな迂遠な事してたんだ。最初からこうしておけば良かったんだよ……! 今回はもう諦めるしかねえ。なら次だ。次に活かせばいいだけだ……あんな奴に
「一体どうしちまったって言うんだカリオストロ……っ、諦めるなんて言葉、オイラ達には似合わねえ! まだ可能性は」
「もう諦めるしかねえんだよッ!!!」
絶叫にも等しい慟哭が、ビィを貫いた。
「グランは死んだ! 今回だって、前回だってその前だってそうだ! 手を差し出すことも出来ずに殺された……っ! もう手遅れなんだ! 天才のオレでも無理なんだよ! もうこの世界に万が一はないッ!」
「か……カリオストロ?」
「オレは思考した! オレは検討した! オレは熟慮した! 条件を変えて、色んな手を借りて! 世話のかかる奴らのケツをひっぱたいて導いた! それこそ身を呈して、死んで、死んで、死にまくって……! その結果がコレなんだ! もう、どうしようもないんだよ! 足掻くだけ無駄なら潔く死んだ方が万倍もマシだ! 違うか!?」
弱く、痛々しく、それでいて見ていられない、カリオストロらしからぬ主張だった。満ち溢れていた自信も、自尊心もかなぐり捨てて、たまりにたまった鬱憤をかつての仲間に投げかけ続ける。
「こんなことになるぐらいだったらお前達と出会わなければ良かった……! 孤高に生きていれば、こんなにも苦しまなかったッ! お前が、お前達がオレをここまで弱くしたッ!」
「オイラ達との旅まで否定する気かよ……!」
「悪くなかったさ! 心地よかったさ! だけど居心地が良すぎた! グランはっ、お前たちがオレには眩しすぎた……! 一緒に居続けるだけでオレらしさが消えていった!」
興味を持った。
グラン率いる騎空団に。
戦士、傭兵、暗殺者、科学者、果ては王族まで一緒に活動している事に。
そして惹かれた。
グランという個そのものに。
相交わる筈もない一癖も二癖もある彼らを、たったひとりの少年がまとめている事を。
みんながグランを好いていた。
彼はどこまでも透明だった。
何色にもなれるのに、どんな色にも染まらない。
それでいて欲しい時に欲しい言葉を。欲しい行動をしてくれる。
そして気が付けば同調しているんだ。
グランの
自分の個を曲げさせるのではなく、
気が付いたらグランの方に寄ってしまう。
「オレ達の事を……見限ったっていうのかよ……」
「~~~~~ッ、み、限れる訳が……見限れる訳がねえだろうがッ! だけど……ッ、だけど今じゃ無理なんだ……! 今のオレ様だけじゃ……このオレじゃ……ッ!!」
暴虐は未だに続いているようだ。
しかしながら、王都の一部で誰かが抵抗をしている。
それは王都の兵士、リカードら傭兵、そしてラインハルトのようだった。
兵士や傭兵達は団結して対抗しているようだ。大砲や魔法攻撃で山ほどの大きさの星晶獣達を相手取っている。
しかしその戦力差はあまりにも大きすぎた。
10の攻撃を重ねてようやくかすり傷を負わせられるのに対し、たった一回の攻撃で兵達の命が泡のように溶けていく。
唯一拮抗しているのはラインハルトだろう。
ラインハルトはその剣聖としての実力を遺憾なく発揮し、6体の星晶獣を相手に引けを取っていない。
傭兵達はともかくラインハルトならあるいは星晶獣を、ルリアを強制的に黙らせる事は出来るかもしれない。
しかしそれでは根本的な解決にはならない。ならないんだ。
世界一だと自負していた自分の力がこんなにも矮小だなんて。知りたくなかった。
徒労を重ねるぐらいなら、いっそ自分の手で楽にさせてやりたいとも思ってしまった。
「でもそれは……おししょー様らしくないよ」
背後から掛かるクラリスの声。
カリオストロが振り返れば、そこに彼女が立ち尽くしていた。
両目から大粒のナミダを零し。それでも尚気丈に振る舞う彼女の姿が。
「私の知ってるお師匠様は、そんなので諦める人じゃなかったよ……」
「クラリス……」
「おししょー様は、絶対に、絶対に諦めなかった! どんなに辛い時でも! どんなに苦しい時でも! どんなに可能性が低くても! 大丈夫だって言って私達を助けてくれた! 一人じゃダメなら、二人で。二人がダメなら三人で……! それで……それで……!」
「決めつけるなよクラリス、結果としてオレ様に利が回るように動いていただけだ! 周りを助けたのも、偶然そうするのがオレ様にとって都合が良かっただけ……! お前らが思うような仲間思いの、聖人君子なんかじゃない!」
「……自分優先? 嘘ばっかり。そう言って自分に言い訳してお師匠様は色々な人を助けてくれたよ! 私みたいな落ちこぼれにもつきっきりで錬金術について教えてくれたじゃん! それも、自分のためだって言うの!?」
「ッ、お前にオレ様の何が分かるっていうんだ! オレ様はお前に語られるほど薄っぺらくは」
「──錬金術の基本はっ!!!」
クラリスが
喉を震わせ、しゃくりあげながら。
「等価交換でしょ──? お師匠様は、沢山自分を犠牲にしてきた……その代わりに、沢山の人を救ってきてたんだよ……!」
「だから、今度は私も頼ってよ……! 役に立たないかもしれない、邪魔になるかもしれない……でもッ! それでも私だって……私だって師匠を支えたい、助けられた分、恩返ししたいよ……ッ!」
「……ッ」
「ルリアちゃんも……グランだって絶対なんとかなるよ! でも、私だけじゃ……私だけじゃ何も出来ないよ……! お師匠様が居てくれないと、何も始まらないんだよ……ッ! だから、だからぁ……っ!」
とうとう言葉の代わりに嗚咽が埋め尽くし、クラリスは腕で何度も顔を拭い始めてしまった。
そんなの、ただの
クラリスは都合よく解釈した幻想のカリオストロに縋っているだけ。
本当の自分は違う。自分はもっと浅ましく、打算的だ。
だから、いつものように切り捨ててしまえばいい。なのに。
「~~~~~ッ」
なのに……どうして、切り捨てられない。
たった一言で済む話じゃないか。
『お前が居てもどうにもならない』って。
事実じゃないか、言えばいいじゃないか。
今更何をためらう必要がある? カリオストロ!
「い……いいから、消えろクラリス! オレ様の前から!」
「……」
「この世界はもうおしまいだ! だから、せめてここから逃げ出せよ……!」
「いや。逃げない」
「ッ、この馬鹿弟子が……ッ、オレ様の助けになりたいなら言うことを聞け! わざわざ終わりに付き合う必要はないんだ……それなら!」
「逃げないよ! まだ終わっていないんだからっ! グランだって、ルリアちゃんだって……絶対に、絶対になんとかなるもん! お師匠様がいてくれれば……!」
子供がダダを捏ねているようなものだろう。
何の慰めにも、何の助けにもならないというのに何故耳を貸してしまうんだ。まだ、この耳障りの良い言葉に浸かっていたいのか?
「クラリスぅ……ッ!」
カリオストロは激憤した様子で掌をクラリスに向けていた。
宙に浮かぶ魔法陣は間違えても仲間に向けるモノではなかった。
「殺されたいならそう言え! ひと思いに冥土に送ってやるッ!」
「死にたくない!」
「それなら──!」
「でも逃げたくなんかないよ! まだ何も終わっていないんだから!」
クラリスが一歩、踏み出した。
行使されれば塵一つ残さず消え失せてしまうのに。命を脅かされている自覚もないのか、一歩。また一歩と距離を詰めてくる。
「近寄るなぁッ!」
カリオストロは、知らず後ずさっていた。
クラリスを殺したくないから?
違う、クラリスの覚悟が自分を下がらせている。
クラリスにとっては一度きりの人生で、一度きりの世界。
そうだ、彼女にはこの世界しかない。
だからこんなにも重いんだ。
だからこんなにも響くんだ。
「お師匠様……ううん、カリオストロ」
気付けば背中に何かが当たった。壁か何かだろうか。
そんな事どうでもいい。
クラリスの顔はもう目と鼻の先だった。
ひとりでに震えていた自分の腕は、そっと彼女の両手に包まれていた。
霧散する魔法光。そしてクラリスは泣きはらして赤くなったその目でこちらを覗き込んでくる。
「グランを──私達を、助けて」
──直後、クラリスが吐血したかと思えば、その姿が掻き消えた。
§ § §
「が、ぁっ、ハッ!?」
「──ひっ、キヒヒヒッ、涙涙の素晴らしいお話じゃねえですかぁッ!? 聞いていてホンッッット感動のあまり何度コイツラ早く死なねぇかなって思っちまいまして……つい、ヤっちまいましたぁ☆ 悪いですねぇカリオストロちゃんッ、テメェのクソ弟子を殺すのがテメェじゃなくてアタクシで!?」
カリオストロには、その光景が理解出来なかった。
空を飛ぶ龍。その触手と思しき腕が、クラリスを空中に縫い止めている。
触手にしては太すぎるそれは腹部を貫通しており、どう見ても致命傷だった。
「クラリスぅっ!」
「あ! それとも殺りたがってたようにトドメだけはテメェでやっちゃいますゥ!? 今なら充実のサービスでテメェを苦しめさせて頂きますんでぇ、ほら大事な大事なクソ弟子さんです──よォッ!」
「!? くらり……ぐぅッ!!!」
触手がくねったと思えば、クラリスがこちらめがけて投擲された。
カリオストロは咄嗟に魔法を展開してクラリスを受け止めるが、そのあまりの威力に背後の家の中まで吹き飛ばされてしまう。
鈍痛に眉をしかめる。腕が折れたのかもしれない。
だが、そんなことよりもクラリスだ。
彼女の腹部にはどうしようもない程の大穴が空き、黒々とした液体が皮膚を侵食していた。
「クラリスッ!」
「お、ししょうさま……」
カリオストロは条件反射的に魔法を発動させていた。
回復の光。しかし出涸らしの魔力では彼女の傷は全く治せない。
腕の中でクラリスの命が溢れていく。
ただそれだけでカリオストロは冷静でいられなかった。
「テメェ、何しやがんだっ!! ──ギャッ!?」
「あ? 何ですかコイツ……精霊ですかぁ? 邪魔ですよっ」
「ビィ!?」
怒りのままに突進したビィは鎧袖一色。ソイツに長い尻尾で遠くに弾き飛ばされて見えなくなってしまう。
突如現れた歪な黒竜──カペラ本人に違いなかった。
本当に最も表れて欲しくない時に現れたカペラに、カリオストロの顔が大きく歪む。
「ギャッハハハハハぁッ──げらげらげらげらげらげらげらぁッ! そう、そうです! それですよ! その顔ですよッ! ようやく見れましたよテメェのその顔をォッ! あぁぁあぁあぁああああぁぁぁ~~~胸がスっとしますねぇ! やっぱり復讐は気持ちいいですよォ! ねぇお師匠さんッ!? どんな気分ですかぁ!? 散々いたぶった相手から逆にズタボロにされる気分は!?」
「……ッ」
永い人生の中でこれほどまでに怒り狂った事が、かつてあっただろうか。
救うはずの人を救えず、吐き気を催す程の畜生に辛酸を舐めさせられてどうして黙っていられる!?
命じずとも傍に現れるウロボロス。憤怒の表情を浮かべたカリオストロがカペラを睨みつけたと同時に、それらは飛びかかっていた。
ウロボロスは触れるだけで分子の一つまで分解してしまう凶悪な龍だ。しかしながらカペラはニマニマと意地の悪い笑顔を浮かべ、動こうともしない。
ならばお望み通り穴だらけにしてやろう、と意気込んだカリオストロだったが──、
──ぴたり、と触れる直前でウロボロス達が静止してしまった。
「おやおやおやおやァ、いいんですかァ? アタクシを殺さなくても……?」
「てっ……め、え……ッ!」
「そんなにこの肉人形が大事なんですかねぇ~え? カリオストロさァん?」
龍となったカペラの体。その中央から、スバルが埋め込まれていた。
触手で絡め取られたスバルは力なく項垂れており、ソレが偽物でないことは雰囲気で分かってしまった。
「ほォら油断大敵ィッ!!」
「──がッ!?」
太くたくましい龍の尻尾がクラリスごとカリオストロを打ちのめし、別の家の屋根まで吹き飛ばされてしまう。
防御が遅れたせいでモロに食らってしまい、血反吐を地面にぶちまける。
「がぁ、ク、ラリス……っ」
飛びそうな意識を意地で繋げる。
クラリスはもはや虫の息だ。早く、早く彼女を助けねば。こいつを退けて……いや、こいつから逃げて……それは可能なのか? もう詰んでいるんじゃないのか? 誰かの助けを求めるのか?
思考を巡らせながらもクラリスの元へとよろめきながら近付くカリオストロ。しかし二人の間に着地したカペラは、攻撃の手を緩めない。
「ギャッハッ! なあぁにおねんねしやがってんですかぁ!?」
逞しい龍の足が、カリオストロをボールのように弾き飛ばす。
壁に叩きつけられ苦悶の声が漏れる。たまらず抵抗しようとするが、その時に限ってスバルを盾にするため一向に攻撃出来なかった。
そして、カリオストロはしばしサンドバックのように殴られ続けた。
頭が、割れるように痛い。
全身がうだるように熱くなっている。
腕も足も、折れている気がする。
思考もまばらのまま、人質になっているスバルを見て、ふと思い出す。
──なんでオレ様は躊躇ってるんだ?
──そうだよ。スバルを殺せば済む話じゃないか。
──殺しちまえば全て元通りだ。
──さっきあれだけ殺そうと息巻いてたのは誰だよ。
──ほら、やっちまおう。もう苦しいのは嫌だろ? なぁ。
どう足掻いてももう取り返しが付かない。
ただウロボロスでスバルごとアイツを分解しちまえばいいのに。なのに。
真紅に染まる世界の中、目覚めたスバルと目が合う。
現状が理解出来ていないのか、危機的状況なのにぽかんとこちらを覗く顔がどこか滑稽で笑えて仕方がなかった。
(どうして……アイツを殺せないんだよ……くそぉ)
「……ありゃ、もうオシマイですか? つまんねえ……つまんねえよ、つまんな過ぎるだろこのクズ肉がァッ!? こちとらテメェに何回殺されたと思っていやがんだ!? 百倍以上殺し尽くさねえとアタクシの気が済まねえだろうがよォ! 聞いてんのかクズ人形がぁッ!」
「う、ぁぁ……あ……ああぁぁぁ……!」
「ふ~~~ッ……ふ~~~ッ……! ……お? あ~らららら……眠り姫のお目覚めのようですねぇ~! 大丈夫ですよぉスバルくゥン、泣かないでくださいねぇ? まだこれからです、これから愛しのメスがもっとも~っとボロクソになる所を、特等席で見せてあげますからねぇ~~っ!」
げらげらげらげらげら。下品な高笑いとスバルの悲鳴が不協和音を奏でる。カリオストロは聞きたくもない合奏から耳を塞ぐ力もなく、二人をぼぉっと眺めるしかない。
「──それにしても、予言どおりに進めたらこんな事になるなんて……いや~驚いきってもんですよっ、王都を守護する龍ってあんなおぞましい奴らなんですかねぇ」
「……?」
「ポルクスも……いや、カストールだっけ? まあいいや。アイツ死んでやしないでしょーね。何か狙ってるかよくわかんねーですけど」
カペラの背後に広がるのは、それこそ御伽噺のような光景だった。
6つの厄災と、ソレに立ち向かう一人の剣士。
破壊の嵐が降り注げば負けじと彼が剣を振るい、その度に極光がまたたく。
まるで創世神話だ。
王都はその余波に巻き込まれ、崩壊寸前に追い込まれていた。
「……ま、いいや。あとは試練の続きをしてアタクシらは撤収ってなもんですね」
「試、練……エミリアが?」
「ハッ、今更気にすることなんですかねぇ? そうですよぉ、テメェの入れ知恵か何か知らねえですけど、こっちも万全じゃないっていうのに無駄に足掻きやがって……」
それはエミリアが生きている事の証左に他ならない。
やはり、こいつは無敵ではないんだ。
立てた対策は多少なりとも実を結んでいるのだな、と他人事のようにカリオストロは思った。
「──さぁって、おかわりの時間ですよ。剣聖はまだまだ化け物どもと遊んでるみたいですし。こっちももっと遊びましょうよ、キヒッ、大丈夫ですよぉ、死にかけるたび、アタクシがちゃ~んと復活させてあげますから、ねぇ?」
一歩、また一歩と悪意が近付く。どうにかして抵抗しようとするが、散々痛めつけられた体は言うことを聞かない。
霞みがかった思考の中、もうどうしようもないじゃないかと諦めかけた……その時だった。小さな光の粒が辺りを舞い出したのが。
「あ? 何だこの光……?」
カペラの周りを小さな、しゃぼん玉のような光が集い始める。
蒼い光と紅い光。それが花に集う蝶のように舞っていたと思えば、やがて大きな光の渦となってカペラを包み、やがてその全身を包み込む光の奔流となる。そして、
「ぁ、ぐ、がぁぁっ!? あぎいいいぃぃいいぃぃいぃいぃいぃいぃぃ────!!?」
「ひぁあっ!?」
衝撃波が襲う。目の前で天まで伸びる柱となった光から弾き出されたかのように飛んできたスバルを、カリオストロは咄嗟に受け止める。
荒れ狂う暴風の中、光の中心では黒い影が破滅の舞を踊っていた。
聞くに堪えない断末魔をバックコーラスに、影となった体がぼろぼろと末端から崩れ、その度に影が盛り上がって補修する。それを繰り返していた。
「ク、ラリス……!?」
原因はクラリスだった。体を瓦礫に預けながら片手を掲げ、『存在崩壊』を唱えている。口元からはとめどなく血を零したその姿は明らかに満身創痍。だと言うのにクラリスはやめない。命の灯を削りながらも、残された力でカペラを攻撃している。
よせ! 先にお前の方が死んでしまう!
そう叫ぼうとしたカリオストロだが、暴風の中では一人の声なんて囁きに等しい。
淀む視界の中、伸ばした腕は頼りなく。震える指先は届かず、遠くのクラリスをなぞるだけ。
何度も、それこそ喉が灼ける程叫び、叫び。叫び。
そして凝縮された時の中、今にも崩れ落ちそうなクラリスと目があえば……彼女は笑みを見せた。
その顔には覚えがあった。
どんな時でも諦めない、運命に抗う勇壮な顔つき。
かつてアイツが見せた、カリオストロが好きな目だった。
そしてクラリスは振り切るように視線を外すと、最後の一歩に踏み切った。
「やぁぁやあ■あぁ■めえ■■ろぉおお■ぉ■■お■■■ぉおお■■■■─────ッ!!!!」
「クラリ──」
より収束した光がカペラの存在を、文字通りこの歴史上から消し去ろうとする。
細枝程度まで圧縮されたカペラの声は悲鳴をこえて超音波になっていた。
どうにか光から逃れようと暴れ狂うカペラが、まるですりこぎの様に細った腕で巨大な瓦礫を跳ね飛ばし……運悪く、その先にクラリスが居た。
クラリスは──カリオストロの前で瓦礫の下に消えてしまった。
「■、■、ぁ■、お■ぉぉ……■、の、れ、■■え■ぇ■ぇえ~~~~っ!! おの■■のれお■れ、おの■え■■■■ええぇえええぇ~~~~ッ!!」
蒼と赤の二条の光が霧散し、存在を希釈されていたカペラがようやく解放される。
しかし消滅の光に晒され続けたカペラの姿は、
あの見るものを震わせた黒龍の姿は見る影もなく、かろうじて人の形を保った、細く黒い、棒人間のような何かになっていた。
必死に体のかさを増やそうとするが、増やしたそばから体が崩壊しているのが見える。どうやら機能不全に陥っているようだった。顔とも思えぬ腫瘍から、歪に口と目を生やしたソレは、カリオストロへと吠え猛る。
「■■も、よく■■■オ■オ■ォオ■■■オオォオォ────ッ!!!」
最早人の言葉すら喋れなくなった怪異がこちらに這いよる。
壊れかけた体を引きずって、動けぬ二人へ一歩。また一歩。
クラリスの死に悲しみを覚える暇も与えられないとは。カリオストロは満身創痍の体で対峙しようとし……思い至った。
傍にスバルがいる。ガタガタと歯の根が合わぬ程怯える、この世界での相棒。
今ここで彼を殺してしまえばクラリスの死も。王都の崩壊も。そしてグランの死も元通りだ。そうだろう?
カリオストロの手が光を帯びる。掌に浮かぶ魔法陣。死にかけの今でも、人ひとり殺すぐらいなら容易い事だ。
これで今度こそこれでやり直しだ。
そうするべきだと頭が叫んでいる。
理性が叫んでいる。
本能が叫んでいる。
さぁ、やってしまえ──!
──その時、グランとクラリスの顔がよぎった。
「スバル」
「ひぁっ……?」
呆けた目をしたスバルが惚けた声で反応する。
カリオストロは、困ったように眉を下げながら笑みを向けていた。
「すまなかった」
同時に、スバルは何者かに首根っこを掴まれ……この場を急速に離れていった。
掴んだのはウロボロス、その片割れだった。
スバルの視界の中で、倒れ伏したカリオストロと崩れかけのカペラの姿がぐんぐんと遠ざかっていく。
スバルは心の底からほっとした。
恐怖と苦しみの根源から逃げられることを。
しかし同時に、締め付けるような胸の痛みが彼を悩ませた。
あれは──誰だったんだ? あの助けてくれた人は誰だ?
聞いたことのある声。見たことのある顔。
今のいままでぼやけていた肖像がじわりじわりと輪郭を帯びていく。
常に冷静で、自分にも他人にも厳しく、口が悪い。それでいて意地っ張りだけど優しい。
王都での盗品騒ぎは、右も左も分からぬ俺を導いてくれたのは誰だった?
屋敷での魔獣騒ぎは、常に隣にいて俺の足りない所を補ってくれたのは誰だった?
あれこそが、自分の大事な人だったんじゃないのか?
「……かりお、すとろ……」
小さくなっていくカペラが腕を振り上げた。そして勢いよく下ろしたその腕がその先にいる
破壊され尽くした住居の一角、そこにスバルごとウロボロスが不時着したからだった。
勢いに乗せて地面を転がるスバル。強い衝撃に肺腑が潰され、思い切りむせ返る。そしてほうほうの体で起き上がれば、すぐ傍で力なく横たえたウロボロスの姿が見えた。
「………ウロボロス」
幾度となく自分を救ってくれた無敵のウロボロス。その体表が眼前でぼろぼろと崩れていく。
力なく息づく赤い龍は、こちらをじっと見つめている。怒りも悲しみもなく。ただただ見つめ続けている。
「あ……待て、待ってくれ」
思わず手を伸ばす、しかしその頃にはウロボロスは骨格を維持する力もなくなっていた。手が届く前に土に還ってしまった。辺りに残るのは白い灰だけ。
「待ってくれよ……置いていかないでくれよ……!」
強い喪失感が胸を苛んだと同時に、あれだけ不鮮明だった世界が急にスバルの中で輪郭を取り戻していた。
「カリオストロ!」
スバルが叫んだ。叫ばずにいられなかった。
自分のせいでカリオストロが窮地に陥った事へ憤怒。
自分の身を犠牲にしてまで逃がしてくれた事への感謝。
それでいて自分一人しかで逃げるしかないという絶望。
どうして今の今まで忘れていたんだ。
どうして今の今まで気が付かなかったのか!
どこまで自分は愚かしいんだ!
しかしそんな後悔よりも何よりも、カリオストロを助けなければいけない!
そうした義務感が、スバルを突き動かしていた。
「……!」
気付けば走っていた。
傷ついた体に鞭打ち、壊れ果てた街をひたむきに。
背後では相変わらず世界の終わりと見まがう光景が広がっていた。
6体の終末を呼び寄せる兵器と人類を代表とする騎士の壮絶な戦い。
ひとたび攻撃が振るわれるたびに地が裂け、風が踊り、光が舞い散る。
スバルは、そんな攻撃の余波に晒され、時に足をもつれさせながらも闇雲に走っていた。
「カリオストロ……! ごめん! 俺が、俺が悪かった……!」
涙が自然と溢れでる。愚かさのあまり、反吐が出そうだった。
誰よりも自分を庇ってくれたのはカリオストロだった。
なのに、どうして邪険にした。どうして素直に話を聞かなかった?
全能感に酔いしれ、その力を我が物顔で振るい、そしてどれだけの悲劇を巻き起こした?
「お前が羨ましくて、俺も活躍したくてっ、力もないのに! それなのにッ!」
少し走るだけで息が切れる、力も何もない情けない勇者。
短絡的で、考える事をすぐに諦める、なりそこないの主人公。
自分の事しか考えない、一人ぼっちの王様。
こんな最低な自分なんてほっとけば良かったのに、カリオストロはそれでも逃がしてくれた。
アイツは常に、オレ達の為を思って動いている。
なのに自分と来たら……そう考えただけで胸が引き裂かれそうな気分だった。
両足が悲鳴を上げる。どこにカリオストロがいるのかすらも分からない。
だけどスバルは走り、走り、走り──、そしてついに瓦礫に引っ掛かって転んでしまう。
「……ッ」
起き上がろうにも、この体は痛みを発するばかりで立ち上がる事すらできないなんて。
情けない。何で俺に力がないんだ、なんでオレには何も出来ないんだ!
どうして。どうして! どうして──!
悔し涙を流しながら、地面を叩いて悔しがるスバル。
そんなスバルにふ、と影が差した。
気付いたスバルが顔を上げれば、そこに居たのは──。
「……ポル、クス、どうしてここに」
「……」
渦中の存在であるポルクスだった。
全身傷だらけで、その手に血に染まったナイフをぶら下げ。相変わらず何を考えているか分からない目でこちらを見下ろしている。
スバルは混乱しきっていた。
この子は……何者なんだ?
友好的なのか、敵対的なのか。少なくともポルクスについている時点で敵なのだろう。ならばこそ、この子の狙いは一体なんだ?
思わず後ずさる。血染めのナイフ。その矛先が向けられることを恐れて。
「……ん」
「ッ……?」
しかし、スバルの予想は裏切られた。
持っていたナイフを適当に投げ捨てたポルクスは、あろうことかスバルに手を伸ばしたのだ。
まさかの対応に呆然としていたスバルだが、逡巡の後、その手に応じてしまう。
その手はスバルが思ったよりも小さく、悪事を為すには事足りないように思えて仕方がなかった。
「……大変な事になったね」
困惑するスバルに、ポルクスは王都を眺めてぽつりと呟いた。
あれだけ隆盛を誇っていた王都は、今や瓦礫の海だ。
至る所で立ち上る火災や、悲鳴。そして今も続く戦火の音。暴れに暴れた生体兵器達も無傷ではいられなかった様だ。真っ二つに断ち切られた大蛇や、体に大きな太刀傷を残した巨人が、住宅の一画を占領するかのように力なく横たわっている。
見守っている今でも街中に響き渡る破砕音と七色の光が飽きずに明滅し続け、世界を揺るがす天変地異と、天まで伸びる極剣が幾たびも衝突を繰り返している。
世界の終わりってのは、こういう光景の事を言うのかもしれない。
気付けば他人事のようにその景色に目を奪われてしまった。
「……ねえスバル。私考えてみたんだ……どうして先に進めないんだろうって」
一方でポルクスは興味のない絵画を眺めるような態度でその光景を見ていた。
「……私達はいつだって最善を選んできたつもり。私達が選んだ道こそが正解になる、そうなるように仕向けてきた。だけど……この景色から先に進めた試しがなかったんだ」
世間話をするような気軽さで語るその内容に、首を傾げる。
私達? 正解? 先に進めない?
スバルには分からなかった。分かる筈もなかった。
ポルクスが言ってることも。そしてポルクスと自分との関係も。
ポルクスは間違いなく敵に所属する筈だ。
なのに、自分にだけ友好的に接する理由はなんなんだ?
共に食事をしたよしみ? 気が合ったから?
違う。コイツは俺に何を求めているんだ?
「……ひょっとしたら、ここで詰んじゃうんじゃないかなって……期待してた。でも……」
ポルクスが振り返った。
そこにあるのはいつもの無表情……ではなかった。
嗤っていた。
それはそれは、三日月のような満面の笑みだった。
「ようやくその理由が分かる。これがただの詰みなのか。そうじゃないのか」
────コイツは一体誰だ?
「思うに……
────見た目はポルクスそのものだ。
────なのに、頭がポルクスじゃないと断じている。
「僕もスバルもお互いに自分の思い通りにしたい。違うかな? 違わないよね。他人も、自分さえも、無限にベット出来るコインみたいなものだから」
────口調が違う、表情が違う、態度が違う。思想が違う。
────ここまで違うと、最初から誰かがなりすましたと考えた方がしっくりきた。
「でも……同時に僕は思う。主人公は二人もいらないって。だから……決めようよ。僕達とスバル。どっちがふさわしいのか。どっちがこの舞台の主役なのかを」
不意に……ポルクスの背後で黒龍が天高く舞い上がっていった。
カペラのようなおぞましさはない、立派で、たくましく、そして畏怖すら感じる超巨大な漆黒の龍。スバルはそれを知っていた。
ループの終わりを知らせる破滅の象徴。
世界を崩壊に導く存在──バハムート。
奴がまた、この世界を終わらそうとしているのだ。
だけど、スバルはそれすらも忘れて食ってかかっていた。
「お前は……誰だ……? お前は何を言ってるんだ……?」
馴れ馴れしい高説。身勝手な口ぶり。癇に障る話し方。
どこまでも自分本位で、相手の事を考えない、自分だけの世界に生きている存在。無視をすればいいのに無視出来ない。聞き逃してはいけない気がして、スバルはたまらず聞いていた。
そんなスバルの回答に。きょとんとした顔を見せる。
そしてしばらくしてうんうんと頷き始める相手。
「……確かに、スバルの名前を一方的に知ってるのはフェアじゃないね……初めまして、僕の名前はカストール。ただのカストールだ。え~っと……通り名も一応あるんだ。お見知りおきをお願いしてもいいかな?」
大仰に。芝居がかった口調で。
自信満々に。
両手を大きく広げて、とてもとても楽しそうに告げた。
「魔女教大罪司教『傲慢』担当。カストールだよ。また会おうね。スバル」
そして背後では、分厚い雲を引き裂いて極大の光線が王都を両断したと思えば、迫る超高温の光の帯にスバルもカストールも瞬時に飲まれてしまうのだった。
ようやくこれでループします~~~。
もう少しだけお付き合い下さいまし