疲れた…。
「今朝、新しい予知を見た。ラインハルト……お前の所の
「……はぁ!?」
これで二回目になるラインハルト邸の早朝。その一室に驚きが満たされる。
特に事件の解決の幕引きを行おうとしたカリオストロの声と表情は、見ていて非常に滑稽だ。
自分の思い通りに進まないのはどんな気分だ? 悪いが、ここからは俺の独壇場だ。
「す、スバルそれって本当……!?」
「ただの悪い夢だったらいいんだが……まず、間違いない。ラインハルト、徽章がちゃんとあるか確かめてみてもらってもいいか?」
「あぁ……すまないが確認を」
ラインハルトが指示を出し、傍らに控えていた執事が音もなく部屋を後にしていく。
報告が帰ってくる少しの間、誰一人として喋ることがないのは、全員が全員この展開を信じきれてないからだろう。特に、身に覚えのない予知夢を告げられたカリオストロがそうだ。困惑に満ち溢れた目でこちらを見ている。
「……! ……そうか。分かった。スバル、キミの言う通り所有していた徽章がなくなっていた」
「!」
「……ただの悪夢という訳じゃなさそうね。バルス、予知の詳細を教えてくれるかしら」
「ちょ、ちょっと待て!」
事実であると一気に確信を深めた一行が話を進めようとする中、納得のいかない小さな錬金術師がたまらず口を挟んだ。
「お前が見た予知ってのは1つじゃなかったのか?」
「たった今言っただろ? 残念な事に昨日の夜見たものとは別の予知を、今日。それも早朝に見たんだ」
「今朝だと……? どういう事だ、お前が予知を見るならオレ様だって知って
「どういう事もなにも、これが事実だ。だいたい俺が予知を見るのはいつも唐突だってのは知ってるはずだろ?
困惑のままこちらに問いかけるカリオストロに、俺は至極当然だと言わんばかりに返答する。彼女はそんな突き放すような言動に一瞬だけぽかんと呆けた顔をすると、一転してこちらを睨みつけてきた。
「スバル……何を企んでいやがる?」
「企む? 何を言ってるんだ。俺は予知を伝えただけだってのに」
「ガキの
「これが真実だ。俺は予知を見て、この事実を知った。ラインハルトは徽章を盗まれるっていう未来をな!」
「ちょ、ちょっと二人共何を喧嘩してるの? 何で揉めてるか分からないけど……今はスバルの見た予知の話を教えてくれないと。折角フェルトが気持ちを固めたのに王選に出れなくなっちゃうわ」
「俺が見た予知はこうだ。ラインハルト達がロム爺を捕まえた後、朝食後に騒ぎが起きる。フェルトが持つべき徽章が、部屋から見つからないってな」
「……徽章はフェルトが持っているんじゃないの?」
某騒ぎで失くすことに懲りたエミリアは、あの一件以来から肌身離さず徽章を持ち歩いている。そんな彼女が不思議そうにフェルトを見れば、当の少女は気まずそうに頬を指でかくだけだった。
「あー……最初は持たされてたけど……隙を見てアタシが失くそうとしたり壊そうとしたからラインハルトが持ってっちまった」
「……フェルト、お主」
「し、仕方ねーだろ! その時は王様なんて死んでもやるか!って気分だったんだから!」
俺もこの事実は
「で、だ。騒ぎになる一方ですぐに下手人を予測することは出来た。
事件が起こったと同時に俺もカリオストロも知ってる、とある三人組が屋敷からいなくなってるからだ。そいつらはつい最近この屋敷に雇われている」
「……とある三人組、つい最近……まさか」
「あぁ、名前はトン、チン、カン……いや、えっと違うな。なんだっけか」
「……何でそんなにあやふやなのかしら」
「悪い、ずーっとトンチンカンで覚えてたもんだから」
「ガストンとラチンス、カンバリー……の事ですか。なるほど、スバルとカリオストロは確かに出会っているね」
ラインハルトの補足にそれそれと俺が
「そんな連中、いたか?」
「盗品騒ぎのときに、キミが路地裏で返り討ちにした三人組だよ」
「――あぁ、いたなそんな奴ら。身の程知らずにもオレ様達から追い剥ぎしようとした奴。っていうか何だってそんな奴らがこの屋敷で働いているんだ?」
「……」
カリオストロが当然の疑問をぶつければ、ラインハルトは無言でフェルトを見る。
視線の先にいたフェルトはまたもバツがわるそうに顔を背けていた。
「……申し訳ありませんフェルト様。責め立てているつもりはないのです。あの三人を改心させきれなかった私の――」
「だーうるせえ! 逆に責めてるようにしか聞こえんわ! そうだよあたしが雇った! なんか文句あるかよ!?」
フェルトは地団駄を踏んで怒り出せば、皆がまさか、というように目を見開いた。
フェルトが雇い入れ、そしてその三人組が盗みを働いた。
彼女はそもそも王になることに大反発していた……とすれば――、
「信じねえかもだけど、別にあたしは盗めなんて指示出してねーからな!? あいつらは本当にあたしの気まぐれで雇うように指示出しただけだ。何があったかしらねーけど、改心するとか言って飛びついてきたしな」
盗ませる動機を少なからず持っていたのは間違いないだろうが、証言する彼女に取り繕っている様子はないし、俺も
そう、これは予知なんかじゃない。俺は事実をただ述べているだけなのだ。
「フェルトがそいつらを雇っていたっていう事実は知らなかったが……俺は今朝方に見た予知でぴんと来たことがある。今しがたホーシン商会のやつらがフェルトを
「ご老人?」
「……攫うというのは語弊がある。あやつらは別の思惑はあったようじゃが、儂はただ取り戻そうとしただけじゃ」
ラインハルトが確認の目配せをすれば、ロム爺も渋々と認める。
それを切欠に、スバルは更に論調を強めてゆく。
「奴らの盗みは、同じくホーシン商会に雇われて行ったと俺は推察している」
「……今回の件の予備策。バルスはそう言いたいのかしら?」
「さぁな、だがそれが一番しっくり来ると考えている。一人のちっこいやつはともかく、残り二人はそこそこ目立つ体格をしてるんだ。そいつらが気づかれずに外に出る方法はなんだ? ――竜車しかない。だろう?」
「そう……籠の中に潜り込んで脱出したということね」
「そーいうこと、エミリアたんっ!」
これもまた推測ではなく事実に過ぎない。
カリオストロが寝ている俺を放って事件解決に乗り出した時、ひとり部屋の窓辺から玄関を監視して、実際に乗り込むシーンを目撃したのだ。そして竜車に乗り込んでも尚拒まれなかったというのは、ホーシン商会との繋がりがあるのは間違いない事だろう。
全員の顔に懐疑的な雰囲気は見えない。今やこの場に居る面々は俺の説が正しいものだと考え初めていることだろう。……まあ当然、ただ一人を除いてだが。
俺はすぐ近くで難しい顔をして考え込むカリオストロを見た。
大方、奴は俺の意見を否定しようと脳内で粗探しをしようとしているのだろうが、俺はこの案に穴はないと確信している。
……それにしても。奴が知らない事実を突きつけるだけで自身の優越感が刺激されてやまない。お前はいつもこんな気分を味わっていたんだな。さぞいい気分だったことだろう。
「すぐに彼らの竜車を捕まえるように指示を。まだそこまで遠くに行ってはいないはずだ、全速力で追随して欲し――「っと、ラインハルトちょっと待て」……?」
「悪いが、追手を出すのはもうちょっと後にするべきだ」
「なぜだい? 今ならまだそこまで時間はたっていない、すぐに捕まえることだって……」
「俺の見た予知じゃ、昼前に外に向けてホーシン商会を追うように出発していた。出来るならその予知に合わせて行動しておきたい」
「予知に合わせる必要があるのかしら? 徽章を盗まれたのなら早い内に取り返した方がいいはずよ」
「ごもっともなんだが、厄介なことに予知はまだ続きがあってな、ただ盗まれた徽章を取り戻せばいいっていう話じゃないんだ」
ラムの言う通り、すぐに取りに戻れば終わりだろう。それは俺も理解出来る。だが未来に起こる惨劇を回避するためにも、そして今後の俺への信頼を確実にするためにも、今すぐというのは都合が悪いんだ。
「実は商会の傭兵団が行く先で待機中で、屋敷を出発した竜車はそこに合流する予定だった。――この辺の地図とかあるか?」
俺はまるで一端の探偵であるかのように皆の前で歩き回ると、執事に地図を用意させて直ぐ側にあるテーブルの上に広げていく。面々も自然とテーブル一杯に広がったルグニカ王国内の全域地図の周りに集まり初めた。
「予知の中では昼前に出発した俺達は完全に日が暮れてからその傭兵団と相対する羽目になった。周りは見渡す限りの大草原で、脇道は多分逸れずにずーっと一本道。屋敷から竜車を全速力で走らせて追いついたんだが……場所とか推測出来るか?」
「……その情報だけでは断定は難しいが、彼らの行き先はカララギの筈、西方面だね。そしてそういった草原が多いのはフリューゲルの大樹がある街道沿いかな? 竜車の速さから推測すると――そうだね、このあたりだろうか」
ラインハルトが断片的な情報から推察し、大体の距離を地図上で指さした。巨木近くの分岐路、そこから更に西に進んだ箇所。一同の視線もその1点に集中する。
「そこでは何事もなければフル装備の傭兵団が俺達を待ち受けていたのだろうけど、予想外の事態が奴らに起こった。奴ら、魔獣の群れに襲われてたんだ。俺が到着する頃には人も魔獣も死屍累々の氷漬けのありさまだ」
「! 氷漬け……?」
「あ、あー、氷を自由自在に操る、
氷漬けという言葉に反応したエミリアたんに安心させるように俺は応えると同時に、俺の脳裏にも苦い記憶が思い浮かぶ。思い出したくもない不快な感触――そして、直後に浴びせかけられた嘲笑の輪。考えるだけで顔を歪めそうになる。
「だったら尚更早く出発しないと、その人達が危ないわ!」
「僕も同じように考えているのだが、スバルはそれは賛成できないんだね?」
「……そうだ。そいつらの動きは不穏としか言いようがないものだった。そもそも到着した時点で俺達が手を加えるまでもなく魔獣の群れは討伐されかけていたし、親切なことにトドメだけ差して欲しいって、わざわざこっちの手柄まで用意する余裕があった節もある。……今思えば、多分それも罠だったんだろうな。ともかく何が言いたいかっていえば、奴らは追跡するこっちを待ち構えている。それだけは間違いない」
俺は一旦言葉を区切って、皆に力を込めて言い放つ。
「だからこそ予知に沿って動こうって訳だ。奴らが魔獣とぶつかって疲弊した所で、こっちの戦力を全てぶつけて叩き伏せるんだ。あいつらは騙し討ちも辞さない明確な敵陣営だ。ここできっちり痛い目を見て貰わないと、後々こちら側手痛くやられる羽目になる」
そうだ、今だからこそ思う。あれは罠に違いないと。特にあの巨大な芋虫。あいつは俺が手を下したからこそ、
「……なんつーか……要領がいまひとつ掴めねーけど、安易に飛び込んでいくと危険って事なんだよな? それでも飛び込んでぶっ叩かないと、ゆくゆく不味いと」
「バルスはともかく、予知は今まで外れたことはなかった。
「ま、明確に敵対するってんならにーちゃんの言う通りでいいんじゃねーか? 精々魔獣どもに戦力減らしてもらって、弱ったところで登場。抵抗すればぶっ倒す。敵ってんなら容赦はいらねーだろ」
「弱った所を叩くのは常道。それに、何が待ち受けているか分からない以上はせめて予知に沿った行動の方がいいかもしれないわね」
全員が俺の言葉を咀嚼するかのように思案する中、フェルトとラムが先んじて考えを述べ始める。
彼女たちはどうやら俺の案を肯定的に捉えてくれたようだ。
「武力行使は最後の手段です。まずは徽章の確保が第一優先かと。今すぐここを出て、向こうが合流する前に取り戻しましょう」
「えっと……私は、やっぱり向こうに何の狙いがあろうとも、これから起こる未来が分かっていて犠牲を出すのはやるせないわ。向こうを攻撃するんじゃなくて、出来るなら魔獣が襲撃する前にその人達と合流して一緒に迎え撃ってあげられないかしら」
ラインハルトとエミリアは事を荒げたくないようだ。
ラインハルトは徽章の奪還を優先して考え、エミリアは陣営同士が敵対することを嫌っている。
「ふぅむ……儂は奴らからそのような作戦を聞いてはおらんかったがのう……」
「……」
ロム爺はそもそも話に懐疑的。カリオストロに至ってはただだんまりを決め込んでいるだけだが……何を考えているんだ? 案外、俺の提案に肯定的なのだろうか……いや、その可能性は低いだろうな。ひとまず、俺はカリオストロは無視して他のみんなを説得しようと試みた。
「ラインハルト、その最後の手段が今こそ必要になる。俺の見た未来では最終的にこっち側の陣営にも甚大な被害を出す結果になった。あいつらは本当に明確な敵なんだ。そして、あいつらを倒すにはお前の力が必要なんだ」
「……」
「そしてエミリアたん、気持ちは分からなくはないがあいつらは助け出す価値がある相手とは思えない。騙し討ちしようと企んでる奴らだぞ? ここは情は捨てて冷酷になるべきだ!」
「スバル……」
「ロム爺もだ、敵を欺くにはまず味方からだって言うだろ? 多分バレる可能性が高いロム爺には作戦の全貌は告げられなかったんだろう」
「……むぅ。まあ、考えられなくもないがのう」
ラインハルトは瞑目をし、エミリアたんはどこか気圧されたかのような表情を見せ、ロム爺は腕を組んでうなり始める。話が話だ、すぐにうんとは頷けないのも分かるが、ゆくゆくは俺達全員に被害が出ることは間違いないんだ。何とか納得して貰わなければ――決意を新たに、三人に更に畳み掛けてようとすれば、案の定と言うべきか、ある声が邪魔をした。
「どうにも、納得できねえな」
「……」
俺は今度こそ、はっきりとカリオストロを睨みつけた。
「この話、謎がまだまだ残されている。徽章泥棒の三人組が本当にホーシン商会とグルなのかが分からない事や、どうしてアナスタシア陣営がこちらに魔獣のトドメをささせるのかとかな」
「予知を信じないっていうのか? カリオストロも知ってるだろ。予知がいつも俺達を助けてくれたことを」
「恩恵に預かっている自覚はあるし、今更スバルの予知が嘘だなんて言い出したりはしねえよ。オレ様がいいたいのは真偽云々じゃなくて別の所にある」
カリオストロは低い視点からこちらを見上げ、こう
「お前はオレ様達全員をどうするつもりなんだ?」
「は……?」
「救いたいのか? 滅亡に導きたいのか? どうなんだ?」
「っ!?」
俺の頭は一瞬で沸騰しそうになった。こいつ、言うに事欠いて滅亡に導きたいだと!? そこまで俺を信用してないのか、そこまで俺は破滅主義者に見えるのか!?
「カリオストロ、一体何を……!?」
「背景、推理、目的。大いに結構だ。その案に乗ってもいいとは思ってる。だがな、どうにも胡散臭いんだよ。事実と推測だけならまだしも、そこに憶測と思惑が混ざっているようにしか聞こえない。ひとりで劇でも演ってるかと思ったぞ」
エミリアのたしなめる声を背景に、出来の悪い生徒を
俺は確信を深めた。やはり天才は凡人なんて歯牙にもかけてない。
そして天才は凡人が活躍することを良しとしていない。
意見そのものは認められても、それを提案したのが自分でないから難癖をつけているのだろう、いやそうに違いない。一人で劇を踊っているだと? その劇で踊りたいのはお前だろうが! 本当、気を抜けば今すぐ飛びかかって、あの憎たらしい小奇麗な顔に拳を叩き込んでしまいそうだ。
「救うって行為はな、独りよがりな行為になっちまったら終わりだ。お前は本当にオレ様達を救う事を目的としているんだろうな? それとも……救うという行為は二の次で、英雄になる事が目的だなんて考えてねえよな?」
もう限界だった。
視界が真っ赤になり、気付けば俺は机を叩いてカリオストロへと吠えていた。
「邪推するのもいい加減にしろ! 本気で救いたいからこそ提案してるんだろうが!?」
「…………」
自分でも驚くほどの声量が、一室に響き渡った。
心臓は荒々しく波打ち、運動などしていないのに息が切れそうになる。
俺が見る世界は未だ赤いままで、カリオストロを睨みつけている筈なのに彼女の顔を正しく認識できない。そんな紅い世界の中で、目の前のカリオストロのような存在は「そうか」と小さく頷き返した。
「だったら、いい」
自分は納得していないと言わんばかりの肯定を、俺は聞き流した。
§ § §
「なぁ~~、まだつかねーのかよ~~」
小柄な男、カンバリーの声が狭い空間の中に溢れでた。
彼はがたごとと揺れる籠、その布で覆われた
同じ籠の中には彼とは別にガストン、ラチンスの二人も座り込んでいたが、カンバリーの声に反応する様子はない。目を瞑るか、幌の隙間から外を眺めているだけだった。
「おい、聞いてんのかよ?」
「……」
「……」
「き~い~て~ん~の~か~よ~~~」
「……うるっせぇぞこの野郎、黙って寝とけよ」
やがて、声に耐えかねた一番大柄なガストンが顔を向けずに野太い声で返答をすれば、カンバリーは持て余しまくった暇を潰そうと彼に食いつく。
「寝飽きたし寝れねえっつーの、半日以上休憩なしで竜車を走らせてよぉ。もうケツに感覚なくなっちまったぞ」
「かかっても1日、つってただろ。っつかなんか分からないけど計画より急ぎ目に出てるらしいじゃねえか。だったらそのうち付くだろ」
「……なんで急いでるんだ? いや俺達としては嬉しいけどよ」
「そりゃあ盗みを働いたんだ、さっさと離れねーと捕まっちまうだろ?」
暇がありすぎたのか、舌をひょろりと出したラチンスが話に混じってくる。
ただし、その視線は依然として、外の黄昏時の空を向いていた。
「そりゃそうだ。流石に向こうじゃもう騒ぎになってるだろーしな」
「はっ、よもや大事な大事な徽章がなくなってるなんて思ってもしないだろうよ」
「いやいやわかんねーぞ。案外出発した時点で向こうにバレてたんじゃねーか? だから急いでるとか」
はははは、ありえねー。などと軽い笑いが籠の中に響き渡り……それはすぐに引き笑いになり……そしてすぐに沈黙が訪れた。全員が早々にバレたときのことを考えてしまったのだ。今の所誰かが追いすがって来たような気配も動きもないが、向こうには非常識のカタマリ、ラインハルトがいる。彼ならば早々にこちらに追いついてきてもおかしくないのだ。
「……い、いや。冗談だって。だったらなんで俺達は未だに捕まってねえんだよ。なぁ?」
「か、カンバリーの言う通りだな。大丈夫だろ。大丈夫。……大丈夫だよな?」
「……も、もしかしたら集合した商人達とで一網打尽にするつもりかもしれねえ……! そうなったら俺達は……俺達は……!」
「ガストン! ネガティブになるんじゃねえガストン!」
「そうだぞガストン! 一眠りしたらもうその時にゃカララギだ!」
貧民街での1件で心に傷痕に残すガストンが少し過呼吸気味に不安を吐露すれば、カンバリーとラチンスの二人が落ち着くように言い含める。
だがそんな彼らの不安を煽るかのように、彼らの耳が不穏な音を捉えた。
「……な、なんか変な音聞こえねえか?」
「ヒッ!?」
ラチンスが不思議な音を捉えた。
ガストンは追手が来たのかと怯えて縮こまるが、音の発生源は竜車の後ろではなく前から聞こえてくるようだ。それも、何かが走る音ではない。金属同士が打ち付けられる音や、人の雄叫び……それに、音だけでなく空気を震わす振動まで感じるような?
ガストンを除いた二人が籠の外を覗いて見れば、間もなく竜車は丘を超えるところ。音の発生源は丘の先のようだ。であればその先では何が起こっているのだろうか?
「……おい、どうなってんだよありゃぁ」
その先に広がる光景は、有り体に言えば戦場であった。
だだっ広い草原に多数の人同士が2つの陣営に別れて攻撃しあっている。
戦端が開かれて大分立っているのか、いたる所が火に包まれ、人の死骸も散見している。不可解なのは人の群れだけではなく魔獣もいることだ。よく見れば何故か人の中には魔獣をかばう存在もいるように見受けられる。なぜそんな真似をしているのだろう?
「おい……おい、商人! おいって、ありゃなんだよ!?」
「わ、わかりません! なんでうちの傭兵団が襲われて……まさか、まさかもうラインハルト様の陣営が報復に!?」
「ラインハルトぉ!?」
ラチンスがたまらずに竜車の手綱を握る商人に問いかければ、商人も動揺を隠すことなく返答し、竜車はゆるゆると速度を下げ、その場に停車した。
どうやら片方の陣営のうち、1つはホーシン商会が用意した傭兵団らしい。止まった竜車からラチンスが急ぎ這い出て、商人に詰め寄った。
「お、おいどういうことだよテメェ!? なんでラインハルトが商人を襲ってんだよ!? もうバレてんのかよ!?」
「ど、どうもこうもないです! 忍び込ませようとしたあのご老人も、ここで傭兵団が待ち構えていたことも何故か向こうにバレていたんですよぉ! 大人しく帰してくれたからてっきり見逃してくれると思ったのに……やっぱり見逃すつもりなかったんですよぉ!」
「や、やっぱりもうバレてんじゃねえかよぉぉ!!」
「が、ガストーン!!」
遅れて籠から出てきていたガストンはその場で両膝をついて頭を抱えており、カンバリーはそんな彼の背中をゆさゆさと揺すっていた。
「……くそ、戦況はどうなってるかわからねえけどよ、こうなりゃ俺達だけでも逃げるぞ」
「えぇ!? そんな、リカード隊長になんて言われるか……」
「うるっせえ! リカードだかポマードだか知らねえけど、ちんたらしてたらこっちまで襲われるだろうが! こんな所で死んでたまるかってんだ!」
「うわ、ちょ! や、やめてください! 何をするんですかぁ!」
ラチンスは商人の首根っこを捕まえて
「うわわ、やめ……! って向こうから誰か来ましたぁーっ! 逆らいません、逆らいませんから離してください! 一緒に逃げますからぁぁ!」
「へぇ……!? うわ、まじだ!」「やべぇ! おい、ガストン乗れっ! 追手が来るぞ!」
「ひぁ……?」
ごちゃごちゃと取っ組み合いになっていた間に、一台の竜車がかなりの速いスピードでこちらに向かっていた。
遠見でもその竜車には矢が何本も突き立ち、幌に火がついてボロボロ。ひょっとしたら味方かもしれないが、敵である可能性も否めない。全員が慌てて竜車に飛び乗って、出発しようとしたのだが。Uターンしてここから離れる前に向こうに捕まるのは間違いなさそうだ。
あわやここまでか。全員が等しく断末魔の悲鳴をあげそうになったが、
「ま、待ってくれぇ、逃げるなら俺らも一緒にぃ!!」
「……同業者かよ!」
向かってきた竜車は同業者のもののようだった。
ボロボロの竜車には顔や腕に傷をつけた、見るからに疲弊しきった男達が乗っていた。
竜車に乗った男達はぞろぞろと降りてきてこちらの竜車に群がってきた。
「い、一体何があったんです?」
「何があったもなにも、いきなり変な奴らが襲ってきて……!」
「乱戦になったところで命からがら……!」
「倒しても倒してもキリがない……!」
「あんたらも早く逃げた方がいい、あいつらじゃ太刀打ちは無理だぁ!」
「そんな!? 『鉄の牙』でも無理だなんて……襲ってきた連中はやっぱりラインハルト様の……!?」
「ラインハルト!? なんでそこで剣聖が出てくるんだ!?」
「鉄の牙っていうのかあの傭兵団は!?」
「気づいたら魔獣が戦闘に混ざってきやがったんだ!」
「狼頭のリーダーも抵抗してたけど、もうすぐでやられそうだったんだ!」
籠の外で広がる喧々囂々の言い合い、というより不安の吐露合戦。不安に不安を重ねるだけのそれはただ混乱を増すだけの悪手だ。
籠の中の二人、ガストン、カンバリーはもうどうでもいいから早く逃げ出してくれ、と必死に自らの身体を縮こまらせていたが……ラチンスだけは心の中で別の嫌な予感首をもたげていたのを感じていた。
「ちょ、ちょっと鉄の牙の名前ぐらい知ってるでしょう!? それにリカードさんの事だって……!」
「どうしてラインハルトの名前が出てくるんだ?」
「鉄の牙と言う癖に、突き立てる牙は貧弱だったぞ」
「メンバーの半分以上はもう魔獣。じきに全滅するだろう」
「あの狼はあの方が直々にお相手していらっしゃる」
「ひっ、ひぃ……!? あ。あなた達一体……ぉぼっ、……お、えっ?」
直後、籠の外で水のつまった袋が貫かれたような音が響き渡った。
「どうしてラインハルトが出てくる?」
「牙はすべて抜け落ちる」
「お前は魔獣になる価値もない」
「もう奴は狼ではなくなっている」
「ひぎゅ、おぎゅっ……ふぎっ、やめ……っ! ひゃめれ、ひゃめ……!」
その音は1つでは終わらず、彼らが口を開くたびに何度も何度もかき鳴らされる。
籠の中にいる三人組はその光景を見てはいないが、何が起こっているのかは容易に想像できてしまう。
「どうしてだ?」
「お前も死ね」
「福音に従え」
「人のまま死ぬ事を歓べ」
「やめ、ひゃめて、ひゃめへええええぇあええぇええぇえああぁぁ」
ぐちゅ。ぐちゅ。ぶちゅ。ぎゅちゅ。びゅちゅ。ぶちゅ。
不快な水音をバックに、同じ人間が出したとは思えない商人の断末魔の悲鳴が響き渡る。
やがてそれらの音も止まれば、一転変わって外は静けさを取り戻す。
――そして8つの足音が籠にゆっくり近づき、彼らは籠の幌をゆっくりと開けた。
「へ、へへ……え、えへへ……」
「こ、こーさん。こーさんです……」
「―――……」
4人の謎の集団に取り囲まれた三人組は早々に抵抗を諦め、両手を開いて降参の意志を見せていた。
«フリューゲルの大樹»
四百年前に『フリューゲルの大樹』を植えたらしいこと以外何も伝わっていない人が植えた大樹。とにもかくにも超でっかい。アニメだと白鯨の出現位置だったりする。
ちなみにそんなフリューゲルさん本人の落書きが書いてあるとか。
«鉄の牙»
リカード・ウェルキン率いる傭兵団のこと。
かなりの実力派集団。