結局今日になってました。お兄さん許して。
そしてあけましておめでとうございます。
お年玉になるかわからないけどお年玉だと思って!
とっぷりと更けた夜空に瞬く星達がきらびやかに輝くのが窓から見える。
月明かりに照らされた薄暗い廊下を1人寂しく歩く時は、よく意識がそちらに向いてしまう。
誰もいるはずもない広々とした廊下は静まり返り、今日も何者の気配も感じられないのだから。
(だからと言って、見回りを止めるという選択肢はありませんが……)
時刻は間もなく日付を超えるかという所。
レムは静寂で満たされた屋敷の中をカンテラ片手に練り歩いていた。
それは就寝前の見回り――いつもなら姉のラムやスバルとで手分けして行うこの行為もその二人がいなければ代わりに1人で努める必要があるが……やはりかなり時間がかかっている。今になってようやく住人が8人と両手の指を超えそうな人数が住んでいるこの屋敷だが、8人でも過剰なほどの部屋数を誇る。早いところ終わらせなければ早々に朝になってしまうだろう。
そうして鍵のかかった部屋を空けては中を確認し、空けては中を確認する事、早50回以上。自身の中で沸き立った飽きを他ごとを考えて追いやりながらも続け――ようやく終わりが見えてきた。
「この部屋で最後……ですね」
案の定誰も居ない空き部屋の中を点検し終わればひとりでに溜息が漏れる。
予想以上に疲労がたまっているのかもしれない、そう判断したレムは扉を閉めて自室へ向けて踵を返す。
あとは休むだけ――だが、眠る前に1日の疲れを癒さなければならない。そのために必要なのはレムの1日における数少ない楽しみと言ってもよい行動をする必要がある。
それ即ち、『湯浴み』である。
小さい頃から屋敷に住み続けていたレムにとって豪華絢爛な浴室も慣れ親しんだものであるが、幸いにも彼女はちっとも飽きることはなかった。
浴室に立ち込める蒸気が肌を覆う、慎ましくも暖かな感触。
全身に纏わりついた汗や汚れを白湯で流す開放感。
そして人肌より少し熱い液体に全身を浸からせた時の至福の一瞬と来たら!
飽きなんて来るわけがない、可能であれば1日中入っていても構わないと考えている。
ずっと暖かな湯の中でたゆたえるなんて常識的に考えても幸せでしかないだろう。いつも一緒に入る大好きな姉が隣で一緒にたゆたってくれるのなら、尚の事幸せだ。
入ってもいないのに上機嫌になるレムがそのように湯船への想いを募らせていると……ふと、ある考えが思い浮かんだ。
そう、もしも。もしもだ。仮の話ではあるが……スバルと一緒に入れたら、どうなのだろうか?
湯船に二人で浸かり、肌を寄せ合って温まったら、自分はどう思うのだろうか?
そう考えた瞬間、レムの顔はぼふ、と暗闇でもはっきりと分かるくらいに赤くなった。
何を素敵な、いや不埒な事を考えているのだろう、そんなの万が一にもありえない。妄想
彼はそういう人ではないが、時々抜けている所がある。ならば自分が入っているときに間違えて入って来てしまうことだってあるかもしれない。そんな時、自分ならどうする? 姉様が居るならお帰りいただくが、もしも自分だけだったら? 毎日頑張っているのだ、背中くらい流してあげるのも
レムは未だ顔に残る熱を感じながら
こんな事を考えているのは間違いなく疲れている証拠だろうと自己正当化を行いつつ、歩きながらもこびりついた無為な妄想を剥がすのに苦労していると――
視界の隅、正確には窓の外で何かが動くのが見えた。
「――?」
立ち止まり、改めて窓の外を見やる。
窓枠の向こうに広がるのは生い茂る森林とアーラム村へと続く道。
その道を逆送してこちらに向うのは、1つの竜車だ。
こんな夜更けに竜車? 一体誰が来るのだろうと、レムはその足で玄関まで移動する。
よもやお披露目に向ったエミリア様達がお戻りになられたのだろうか? しかしながらまだ一行が出立して2日しか経っていない上、向こうまで最短でも1日かかる事を考慮すれば考えづらい。だとすれば速達だろうか? 外に出たレムがカンテラを頭の位置まで掲げて竜車を見れば、
「ね、姉様……!?」
竜車の御者は見覚えのある自分の姉、ラムだ。たった今思考の隅に追いやったばかりの考えが当たった事にレムは少なからず狼狽し、玄関ひいては自分の前に止まった竜車の前で立ち尽くしてしまう。
これは一体どういうことなのだ。何か起こったのかと姉に詰めかけようとしたレム。
しかし直後竜車の扉から飛び出したスバルにその手を取られてしまうのだった。
「ふぇっ!?」
「れ、レム! 大丈夫だったか!?
変な魔獣とかに襲われていないか!? あと、雪とかも降ってないよな!?」
「え? え、え……えぇっ? ま、魔獣? 雪?
す、すすスバル君、い、一体全体何事ですか……っ!?」
近い近いは顔が近い。そして両手で握り締められている手に意識が行ってしまい、冷めかけていた顔が再度茹ったかのように赤くなっていくのが自分でも分かった。
普段能動的にスバルにアクションされる事がなかったレムは、ごつごつしているけど綺麗な指をしていて、でも握るとやっぱり男の子なんだって思わせる強くて細い指(レム談)で握り締められ、普段は鋭いけど誰かに優しくしようとする時柔らかくなるその目(レム談)を寄せられると否が応でも先ほどの妄想を思い出し、その顔から目が離せなくなってしまう。
対して沸き立つ混乱と嬉しさに絶賛翻弄中のレムを見て、スバルは手を握ったまま要点を説明しようと試みる。
「落ち着いて聞いてくれレム、実はこれからエミリアたんとラムが失踪して、俺がそれで拉致された後屋敷に雪が降って、巨大魔獣が俺達に襲い掛かって――!」
「えぇぇ? えぇっと、あ、あのレムは……レムはまだ覚悟が……!」
「……まずは貴方が落ち着きなさいバルス」
ため息をついたラムがスナップを効かせてスバルの頭を叩き、響いた小気味のいい音に別世界に旅立とうとしていたレムも帰還する。二人を傍観していたエミリアとカリオストロはそんな二人を生暖かい目で見つめて続けていた。
「んふふふ~☆」
「出来るなら二人だけにしてあげたいけど……」
ニヤニヤと笑うカリオストロに、苦笑するエミリア。
対比的な二人の表情に我に帰ったレムはいっそう顔を赤くしてしまう。しかしながら握られたその手を決して振りほどこうとはしていない辺り、割と冷静ではなさそうである。
「あ、わ、悪いレム。気が動転してた!」
「あっ……こ、こほん。いえ、こちらこそごめんなさいスバル君。
それでどうなされたんですか? 皆様はラインハルト様のところに向かったのでは?」
握っていた手が離されたことで名残惜しそうな声を漏らしたレムも周りの目を見てようやく冷静になる事ができ、こほんと息を整えると改めて面々に向き直る。そんな彼女に対してラムがスバルの言葉を受け継ぐようにレムへと質問を始めた。
「向かったことは嘘ではないのだけれども、すぐに戻って来たのよ。
……話は戻るのだけど、最初に二点だけ質問させてレム。屋敷に雪は降ったかしら? それと、巨大な魔獣……いえ、何かおかしな兆候を感じたりはしなかったかしら?」
「は、はぁ……レムが確認する限り雪は降ってないですし、おかしな兆候は見受けられませんでした」
質問の意図が未だ読めぬレムは姉の質問に首を傾げながら答えると、カリオストロを除く三人がほっと胸を撫で下ろした様子が見える。その反応がますますレムの疑問を加速させた。
「……事が起こるのは明後日昼の話だし、その前に襲われたらスバルの未来が意味ないだろ~にっ☆」
「いやでも万が一の事があるかもしれないじゃねえか? ま、これで大丈夫だったって事が分かったから本当良かったぜ……」
「本当! 良かったわレム」
「??? あ、ありがとうございます……?」
「……ごめんなさいねレム。そろそろ置いてけぼりにするのは止めるわ。実は――」
そうしてレムは四人の早期の帰宅の理由を知る。
スバルが視た未来に描かれた悲しい結末。それを知ったレムもラムやエミリアが始めて聞いたときと同じリアクションを取り、顔を俯かせた。
「そう、でしたか……そういう理由が」
「それで急いで戻る必要があったって訳だ。なんつーか、急な話だろうから正直困惑も仕方ないだろうけど」
「いいえ! 他ならぬスバル君が見たと言うのならレムは信じます! スバル君のその力のお陰でレムは、こうして生き長らえているのですから……っ!」
「レム……」
スバルの手を両手で握り、熱の篭った視線を向けて力説するレム。
その様子を見た他三人の目に再度温もりが生じ、生暖かい目で見られた事を悟ったスバルが慌てて手を離した。照れているのは誰が見ても一目瞭然だ。
「ま、ま、まああれだな!?(裏声) こうして未来と異なる動きをしたしレムも無事ならきっと大丈夫だろ!?(裏声)」
「やっぱり二人だけにするか?」
「うん。なんか一安心したし、大丈夫そうだものね……」
「はぁ……それならば私は遅いですけどすぐに夕食の準備をしてきます。それとも先に湯浴みになさいますか?」
「気遣いは別にいらないからな!? 別にな!?」
慌てて弁解するスバルはさておき、一行は一日駆けて戻ってきた疲れを癒やすために遅い夕飯を食すことになった。食堂ではなく客室に集まった一行はソファに座りながらレムが用意した温かいスープとパンを食す。少なからず疲労が溜まっていたのだろう、シンプルな料理でありながらも五臓六腑に染み渡る味わいに、全員から安堵の息が漏れた。
そうして一同が落ち着いたのを見計らって、カリオストロが面々に
「ま、屋敷が平穏無事なら何よりだな。スバルの未来じゃあ俺達がここを出て4日目……つまり今から2日後に屋敷が襲撃される。だが、オレ様はそれも今はないと思っている」
「ん? どうして言い切れるんだ?」
「一連の事件には少なからず繋がりがあり、その切欠をオレ様達は潰したからだ。エミリアとラムの失踪は
「……あぁ、あったな」
「お前が最後に殺した魔獣、もしもそれが屋敷を襲った魔獣の大切な仲間だったとしたらどうだ?」
「! ……なる程な。それならあの魔物が怒り狂ってこっちに襲い掛かってくる理由が分からなくもない。方や虫で、方や獣っぽいから親子には見えなかったけど……まあどっちも氷使いっぽいしな」
それは作為的な説明だった。カリオストロは面々に向けてというよりかは真実を隠した上でスバルを納得させるためにこうした説明を行っている。仮にも真実を伝えることが正しい選択ではない。知らないままの方が良い真実もあるのだ。
スバルが鷹揚に頷く隣でエミリアが怪訝そうな顔をしているが、軽く目配せをするとこくりと頷き返した。後で彼女には改めて説明する必要があるだろう。
「……ん? でも待てよ。だったら何であの魔獣はカリオストロの事も知ってたんだ?」
だが直後、スバルの発言にカリオストロは内心で舌打ちしそうになった。
「? どういうことかしら、バルス」
「そのまんまの意味だ。その魔獣が屋敷に襲って来たときに、俺だけじゃなくカリオストロの事も知ってたんだよな。それに……確か、ロズワールにベアトリスの事も」
「お二方の事も知っている……? 不思議ですね。そのような魔獣に面識があったと言うことでしょうか……カリオストロ様は話にあった魔獣の事は知っていましたか?」
「…………」
皆の視線がこちらに集まり、カリオストロは回答に窮してしまう。
そう、スバルは決して頭が悪い訳ではない。機転も人並みに効き、目端も効く存在ではあるが、ここではその目端の良さが裏目に出た。折角真実から遠ざけようとしたのにここで馬鹿正直に答えてしまえば近いうちに答えに辿り着く可能性がある。どのようにしてこの話を切り上げるか表情を変えずに思案していると、すぐ隣で少しだけ可愛らしくも間の抜けた声が聞こえた。
集まっていた視線が隣に映る。
そこにはエミリアが自分の口に手を当てて顔を赤らめていた。……どうやら欠伸が出てしまったらしい
「あぅ……ご、ごめんね……?」
「……そう言えばもう日付超えるもんな。俺も昔は日付超えまで余裕で夜更かししてたけど、冷静に考えたら眠いかもしれねぇ」
「眠気がかった頭で思考しても、建設的な案は得られなさそうですね……わかりました。それではまた明日、皆でこの話をしましょう」
「あ。湯浴みは可能ですのでご自由にどうぞ、スバル君は順番的に最後になるかもしれませんが……」
「問題なっし! っつか朝にしよっかな……このまま布団で眠りたい気分も」
エミリアの零した発言を切欠に、今日は切り上げる流れになる。
ちらりとカリオストロが彼女を見れば彼女はこちらにウインクした。どうやらあの欠伸は助け舟だったようだ。エミリアの意外な芸達者ぶりに感謝しながら、カリオストロも皆へと呼びかける。
「そうだね、今日のところはこれまでにしておこっか☆……あ。そうだスバル、寝る前にベアトリスの部屋まで案内お願~いっ☆ ちょっとカリオストロ気になった事を聞いて来ようと思うの☆」
「んん? こんな深夜に……? ぶっちゃけ明日でもよくねえか……? 幾らアイツが本の虫でも流石に眠ってると思うんだが……」
「カリオストロは気になった事があったらすぐに解決したい性格なのっ☆
大丈夫大丈夫、ベアトリスは懐が深いから寝ててもきっと許してくれると思うし~☆」
「……まあ案内程度なら別にいいけど、怒られても俺は知らねえからな!? しっかし一体何が気になったってんだ?」
「それは明日になったら種明かしするね~☆」
疑問をサラリと流しながら、スバルは眠気
§ § §
「起きろクソピエロ」
「…………んん……なぁんだい……?」
まだ夜も更けやらぬ午前二時、カリオストロはとある人物の部屋に堂々と立ち入っていた。
この屋敷、というより陣営を取り仕切る人物、言わずと知れたロズワールの部屋である。
すやすやとベッドの上で穏やかな表情で眠っていた彼が目を開ければ、そこに見えたのはこちらに向けて手を
「……おやぁ?」
眠気が覚めてきたロズワールが状況を把握すれば、場違いな声が自然と漏れ出た。
どうして自分が殺されかけているのだろうかが本当に分からない。
これは何かの冗談なのだろうか? だが目の前に翳される手の奥には殺意に満たされた目がある。明らかに冗談ではない。
「こぉーれはこれは、夜分遅くに穏やかではないねカリオストロ君。一体全体どうかしたのかい?
……んん? 確か君はエミリア様とラインハルト様の邸宅に赴いたのでは?」
「あぁ、やんごとなき理由があって早々に切り上げてきた。……どうかしたか、だって? お前の心に聞いてみろロズワール、お前こそどうしてオレ様がここに居るのかが想像つかないか?」
「……ふーぅむ」
目の前に死が迫ろうとも、ロズワールに焦りは全く見られない。
むしろこの状況すら想定済みだといわんばかりにコミカルに首を傾げている。
彼はとりあえずベッドから起き上がりたいなと他意もなく力を込めた――その瞬間、
「動くんじゃねえよ」
翳した手の先の光が増したと思えば、ロズワールの頭、そのすぐ上に木製の槍が突きあがった。
ベッドを貫き、上質な生地の枕と寝巻き用の可愛らしい帽子も無残に貫かれ、白い羽毛が辺りに舞い上がった。
「こぉれは酷い、ラムが折角作ってくれた帽子が」
「そいつは悪かった。なら次はお前の体を目標としよう。
最初は手首と足首、次は腕、その次は膝、それで腹、胸、最終的には顔なんてどうだ?」
「それは御免被りたいところだぁね、なぁに抵抗はしないさ。今の私は哀れな子羊、応じられる物に関しては応じましょーぅ……ところで、何で後ろにベアトリスもいるんだい?」
殺されかけたというのにからかうような声を出すロズワールがカリオストロの後ろを見やると、そこには彼と同じくパジャマ姿のベアトリスの姿が。彼女は左手に枕を抱えながらも二人のやり取りをどこか楽しそうに傍観していた。
「ベティーも目的も告げられずにこいつに叩き起こされたのよ。全く迷惑な奴だと最初は思ったものだけど……面白い見世物が見られるようだし、起きた甲斐はあったかもしれないかしら。
さぁ疑惑があるにしろないにしろさっさとやってしまうかしらカリオストロ、こいつに容赦なんて欠片も必要ないのよ」
「おぉベティー、僕とキミとの間で培った友情は忘れてしまったというのかい?」
「そんな薄っぺらいもの、お前とは一度たりと育んでなかったかしら」
愛称で呼ばれたベアトリスが不快そうに言い放つ。
分かってはいたが庇ってくれない事を悟ったロズワールは、本気に近い脅しを取るカリオストロを前に少し目を瞑って考え込むが……やはり最終的に首を傾げた。
「自分の心に聞いてみたのですが、やっぱり何の事やらとしか言いようがありません。
逆にカリオストロ君に聞きたいですねぇ。どうしてこのような行為を?」
「ほーぉ、この土壇場でそう言いきるか。大した度胸じゃねえか」
「本当に思い浮かびませんので、そうとしか答えられなーいのです」
不敵な笑みを浮かべたカリオストロに対して、ロズワールも態度を崩さずにそう答える。
それは彼がカリオストロの脅しが本気の物ではないと早々に見抜いていたから故の行為だった。
この少女は非常に頭が回る。自らの立場、ひいてはスバルが不利になる事を絶対に避けようとする。それであれば自らを殺めるという愚挙は絶対に起こさないだろうと。
そんな彼の考えを悟ったかどうかは分からないが、小さな襲撃者は溜息と共にその手を下げた。
「お前は多分こう考えてるんだろう? 自分を殺める訳がない、本気の脅しではないと。……その通りだ。今お前を殺したらオレ様達の立場は一気に悪くなるし、味方だったのが敵に回ることにもなる。それはこちらとしても避けたい」
食えない奴だ、と零した彼女は大人しく一連の事件について『嘘偽りなく』語り始める。
エミリアが変異させられたこと、スバルが嵌められて彼女を殺した事、そして終焉の獣が怒り狂い殺しに来たこと――ベアトリス、ロズワールはその内容に驚き、聞き入る。パックの正体をあらかじめ知っていた二人はその事態が現実に起こりそうだと判断していたのか、特に異論を挟むことはなかった。
「なーるほど、それなら今回の夜這いについても理解が出来――軽い冗談じゃーぁないか。ベッドを穴ぼこにしないでくれるかい?」
「余計な口を挟むからだ、怖気が走る。それで、お前は手紙を出した記憶はないんだな?」
「当然ですとも、エミリア様達が向かった後にも前にも手紙を出しておりません」
追加の木槍がロズワールの足の間に突きあがろうとも彼の余裕は崩れない。
先程の発言を受けベアトリスもゴミを見るような目でロズワールに視線を向けた後、持論を述べた。
「……謎の集団、ね。陣営の妨害も考えられなくもないけれどもやり口がえげつなさ過ぎる……それに他者を魔物に変質させる力。魔女教の仕業のような気がしなくもないのよ」
「魔女教だと?」
「過去の文献にあったかしら、都市1つが丸ごと魔物に占拠されたという災厄の話よ。
数多の騎士団が総出で出動して死闘を繰り広げて魔物を殲滅したのだけれども、結局その都市の住民で生存者は誰一人居なかった。そこにあったのは住民と魔物の死骸の山と、それを遥かに超える行方不明者だけ。お前の話が本当なら同じ奴の仕業と考えられなくもないかしら」
謎めいていた存在にうっすらと輪郭がつきはじめる。
だが魔女教がどうして今更顔を出すのだろうか? 偶然居合わせたのか? それとも彼らはエミリアを狙っているのか? 新たに謎が思い浮かぶが一旦それは思考の隅に置く。今は一番の目的を済ませねばならないだろう。
「で、だ。オレ様がベアトリスを起こして呼びつけたのはただの事情の共有ってだけじゃあない。二人に守ってもらいたいことがあるからだ」
二人の視線が集まるのを感じると、カリオストロは続ける。
「スバルがエミリアを殺したという事、そして屋敷を襲った魔獣がパックだという事を伏せて欲しい」
「……」
「……おかしいかしら。ならどうしてさっきの話が出来るのよ」
二人の表情に皺が刻まれる。スバルは未来でその事実を知ったからこそこうしてカリオストロが話しているのでは? 当然の疑問に対し、カリオストロは更にたたみかける。
「確かに今回の件はスバルから聞いた話だが、その情報は非常に断片的なもので、結局あいつ自身は先の二件について真実を知らないのが分かっている。だがオレ様はその断片的な情報から結論を導き出し、理解した。……この内容がスバルに伝えられないという事も同時にな」
「……子煩悩な奴」
「当然の配慮だと思え、あいつがまた壊れかねないんだぞ?」
睨み返すせばベアトリスは肩をすくめて了解し、沈黙していたロズワールも視線を向けられれば、同じ反応を返した。
そんな二人を見てカリオストロは、ふぅ、と対照的に肩を撫で下ろす。これで裏切りがない限りスバルが再度追い込まれてしまうこともないだろう。さぁあと1つ、最後の用事だけとっとと済ませてしまおうと彼女は再度ロズワールに詰め寄る。
「どーぅかしたのかいカリオストロ君?」
「……もう一度聞くが、肝心の手紙についてお前は出した覚えはないんだな?
お前は魔女教に内通しているわけじゃあないんだな?」
「えーぇ。どうにもこうにもワタシには直近でそのような手紙を出す理由はないですねぇ。
自陣営であるエミリア様を
分かっているだろう? と理屈を連ねてこちらに返答するロズワール。
確かにそうだ。ロズワールの行為には何のメリットも見当たらない。それはカリオストロも思っていた。
彼が手紙を出してまでエミリアを
刺し殺さんとしそうな威圧が乗った視線を向けるが、やはり暖簾に腕押し。動揺は見られない。
よって彼女は切り替えることにした。カリオストロの険しかった表情が打って変わって微笑になる。どこか諦念も見て取れる笑みで反対にロズワールが怪訝な顔になるが……それを諦めと判断し、ロズワールもにこりと微笑を返した。
しかし、彼はその表情の意味を完全に見誤っていた。
「
「――――ッ!!!?」
「!?」
直後、前兆もなくベッドから再度木の槍が4本飛び出す。
その槍は先ほどの宣言通り、ロズワールの手首、足首を正確に貫いて彼をベッドに縫いとめた。
「っ、が……っは、こぉーれは……これは……!」
「カリオストロ、お前一体何を!?」
「お前が言ったことだろう? 容赦なんて欠片もいらないって」
まさかの凶行に驚いたベアトリスがカリオストロに詰め寄る中、彼女は代わらぬ笑みを浮かべてそう答える。ベッドに強制的に縫いとめられたロズワールは苦悶の表情を浮かべ、その四肢からは止め処なく血が溢れベッドを汚していった。
「本当にする奴があるかしら、早くこんなことやめるのよ!?」
「こいつが本当の事を言わないから仕方なくやってるんだ。見るに堪えないなら部屋にでも戻っていろ、邪魔すんな。……さて、罰は与えたところで本当のことを話す気にはなったか? ロズワール」
嗜虐的な笑みを浮かべたカリオストロは、痛みに悶えるロズワールの顔を覗きこむ。
その目が一切笑っていない事から彼女の本気の度合いが伺えるのだが、やはりロズワールの回答は変わらない。
「さぁ、て……っ、ご期待に沿えず申し訳ない、が、回答は変わらず……!」
「しらばっくれるのも大概にしとけよロズワール。スバルはこう語ってくれたぜ? 手紙の筆跡もついていた封蝋もラムが見て間違いないと断定してたとな」
「おーや、おや、た、ったそれだけで、このような凶行、を? 言ったはず、です。ワタシには手紙を出す理由がないと。それが本物だとはそ、れだけでは判断しきれない、筈…ッ、あるいは、その時の私は本当にッ、何らかの急用でエミリア様を、連れ戻す必要があったのかも……ぐ、うぅッ!?」
「随分と
今度は動きの取れないロズワールの両の腕と膝が追加で槍に貫かれてロズワールが更に苦鳴を漏らす。鮮血が飛び跳ねてベッドは溢れ出る血で真っ赤に染まり、場は
カリオストロは顔に飛んだ血を拭いすらせずに乱暴にロズワールの髪を掴むと、ぐぃ、と顔を近づけて告げた。
「――なぁロズワール。オレ様がここまで強硬手段を取るって事の意味は分かってるだろ? ソレ以外にも根拠はオレ様の中にあるんだ。まだ舌戦が通じると思ったら大間違いだからな……?」
カリオストロは前回のロズワールの裏切りから手紙が彼によって書かれたものであることを断定していた。正確な理由は分からないが、死に際の発言などからこの男の狙いがスバルにあることは明白だ。もしかすればこの男がスバルの力に気付いているのでは、とすら思えていた。
この能力を分け与えた存在が頑なに露呈を拒んでいるというのにどうやってその手法を知りえたのか。全て吐かせなければならないだろう。それは彼を傷つける事により生じるデメリットよりも重要だ。
痛みに
「カリオストロ、いい加減にするかしら! 如何に憎たらしい相手といえども限度があるのよ、お前がこれ以上続けるというのであれば実力行使も辞さないのよ!?」
「黙っていろベアトリス。この男の目的が何かはわからねえが、今後全員が死に絶える可能性をこいつは作り上げようとしたんだ。明確にオレ様を裏切り殺したことも含め、許すことは到底――」
直後、磔にされたロズワールが笑い出す。
始めは小さく、そして段々と大きく。
自分の現状には到底相応しくない哄笑を二人に浴びせる。
唐突の笑い声にあっけにとられた二人に対し、彼はしばらく笑い続けた。
「――ははは、ははっ、はぁ……はぁっ! いやーぁ、申し訳っ、ない。ようやく合点が言ったものでして……そうか、そうかぃ、彼だけでない、君も彼と同じ存在だったんだねーぇ」
「……何が言いたい?」
「そのまんまの意味、ですよ。キミがこれだけスバル君に固執する理由、ようやく理解が出来た……彼の力かキミの力かは分かりかねていたが……く、くく。裏切り殺す、ねーぇ。カリオストロ君、キミはまるで
「ッ」
脂汗を滲ませ、痛みに悶えながらもロズワールは狂気を含んだ笑みを見せる。
此処ここに来て向こうも腹を括ったのか、今まで見せなかった表情にカリオストロもここからが本番だと気を引き締め直す。
「未来を視る? とぉーんでもない……キミ達は、いえ、正確にはスバル君には世界をやり直す力がある。そしてキミは彼の力に巻き込まれてなお、その記憶を受け継ぐ。そーぅだろう?」
「……」
痛みを無視し、陶酔した表情で問い質してくるロズワール。
ただその発言は知っていたというよりも断片的な情報から結論を導き出したように思える。
対するカリオストロの回答は……沈黙しかない。魔女の呪いが足枷となり、肯定も否定も禁止事項に抵触する可能性があったため沈黙を貫くほかないのだ。そんな彼女の葛藤を知ってか知らずか、脂汗を流しながらもロズワールは喜々としてこちらを見つめていた。
「ははぁーぁ……、えーぇ、そうでしょうとも。キミは話すことは出来ない。だが沈黙は時に雄弁に語ってくれる――ふふ、ははは! はははは!」
「カリオストロ……お前達は……」
喜悦の表情で笑い続ける様子は有り体に見て狂っているようにしか見えない。
カリオストロはベアトリスの真意を問う発言を意図的に無視して貫いた槍を操作して彼の口を閉じようと痛めつけるが、
「……ちっ、おいロズワール。今後オレ様達に悪意ある行為をするようなら分かってるだろうな?」
「ふふ、ふ…どーぅなってしまうのですかねぇ……?」
「この場で死にたいか?」
「あはぁ、別にいーいです、とも。どうせっ、私が死んだところで……君達はまた繰り返す事にな、るでしょう。次の君達が上手くやるかどうか、次の私が見守、りましょう……ッ」
カリオストロはぎり、と歯軋りの音を小さく鳴らす。
この男は本当に自分の命などどうとでも良いと考えている。これによりカリオストロの優位は消え去り、二人は互角の立場になってしまった。いや、今後の事を天秤に考えれば自分の方が分が悪いだろう。
そんな葛藤が分かるのかロズワールは心底楽しそうに彼女をしばらく眺め、そして――
「ふ、ふふふ……まあ良いでしょう。どうせ今回の件では私がする事など、手紙ぐらいしかありませんからねーぇ。今はそう誓いましょーぅ」
「……」
「おーやぁ、不満そう、な顔ですねーぇ……? ふふふ、ふ……ここは喜ぶべきだと愚考、しますがねーぇ」
狙いが見えない。あっさりと優位を手放した事もその不審な発言も、何もかもが虚飾に見えて仕方がない。
しかし、既に場の優位は完全に崩れた。これ以上この男から得られる物はないに近いだろうと判断したカリオストロは磔にした槍を全て消去し、代わりに得意とする回復魔法で癒やしていく。四肢に出来た無残な傷が見る見るうちに回復していく様はまるで巻き戻しされている映像のようで、当事者はその様子を見て感心しきっていた。
「なーぁるほど、てっきり本気だと思ってしまいましたが……そこまでの力があれば、先ほどまでの凶行も理解できましょう、これはしてやられてしまいましたねーぇ」
「何の事だ? オレ様はお前が話す内容如何によっては殺すのも選択肢に含めていたがな」
「いいーぇ、慎重なキミがそんな向こう見ずなことをする訳がない。実に狡猾かつクレーバーと言えましょーぅ」
拍手をしながらも、このベッドの穴とシーツに染まった血は何とかして欲しいところですねぇ、と極めて平静に文句をつけるロズワールは客観的にも異常としかいいようがない。仮にも拷問まがいの尋問直後のことだ。一体何があったらここまで壊れてしまうのか、ここまでの狂気を宿さざるを得ない目的とはなんなのか。カリオストロはこの男を甘く見ていたことを自覚せざるを得なかった。
そこに、今まで黙りこくっていたベアトリスが震える声でぼそりと呟いた。
「……カリオストロ、お前達はこの屋敷で何度世界を繰り返したというのかしら」
「…………」
「ありうる未来の先で何を見たのかしら。
どうしてお前達はここに来たのかしら。
お前達はここで何をしようとしているのかしら。
繰り返した先に何を得ようとしているのかしら。
――この屋敷に、何をもたらそうとしているのかしら」
「…………」
わなわなと震えるベアトリスは俯いていた顔を上げ、カリオストロを睨みつけた。
「答えるのよ――答えろカリオストロッ!」
「……答える義務はない」
「いいや、あるのよ! お前達がここに居る限りきっと災難は降りかかる……っ! そうとしか、そうとしか考えられないのよ! そうでなければ何故にーちゃがベティーたちを直々に殺す羽目になるかしら!? 被害を受けるなら知る権利はある筈かしら!」
カリオストロはどうしてここに来てベアトリスが激昂するのかが分からず、内心で困惑してしまう。不安になるのはわからなくないが、ここまで反応する理由はわからない。しかしながら禁則事項に抵触する発言をぬけぬけと話すことは出来ないし、自分たちの出自をここで明かすつもりもなかった。
「言っておくがオレ様達がここに流れ着いた理由は偶然だ、さっきの未来だって確定された訳では――」
「そんなの、別の不幸な未来が待ち受けているだけに過ぎないのよッ! そしてその未来はきっと、ベティー達を巻き添えにする! ~~~~ッッ、だから、だから
ベアトリスの発言は鬼気迫る物ではあったが、その内容については理解できないの一言。書とは一体どういう事なのだろうか。それを問いたださんとしようとしたカリオストロだったが、彼女は憔悴した顔で自分の頭を抱えればよろよろと二人から離れていき、更に忌まわしいものを見る目でこちらを睨んだ。
「ベティーとお前達が出会うこと約束されていたとすればこんな残酷な話はないかしら……! ベティーは契約を果たす事もできないの……?! それともお母様はベティーにこいつらの礎になる事を望んでいたというの……!? もういや! なんで、こんなっ……早くこの屋敷から出ていけ! 出ていくのよ! お前達疫病神の顔なんて二度と見たくないのよっ!!」
「ベアトリス!」
そして彼女は涙を零しながら逃げるように部屋を後にしていった。
「疫病神、か。僕には二人が光明をもたらす天使にも思えるのだけどもねーぇ」
最早ロズワールの発言に突っ込むこともできず、ただ彼女が後にした扉を眺め続けた。
ベアトリスは深い闇を抱えている。謎めいた発言に隠された真意はなんなのか、ひいては自分達をこの場に導かせた魔女が何をさせたいのか。ベアトリスの怒りと悲しみの
(……俺たちはただ必死に生き延びようとしているつもりだった。だけど、そうではないのか? その先にある未来すら、決められた筋書きがあるのか……?)
疫病神と叫ぶベアトリスの顔を、カリオストロはしばらく忘れられそうになかった。
ロズワール「ちなみにこの散々なベッドはどうすればいいーんだい?」
カリオストロ「錬金術で血だけ分解すればいいんだ、染みなんてちょちょいのちょいだ」
ロズワール「空いた穴はどうするんだい?」
カリオストロ「それも錬金術で」
スバル「錬金術万能過ぎだろ!」