怪盗団の日常   作:藤川莉桜

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加筆してたらますます長くなったのでまたも分割します。ちょいと捏造設定入ってます。


Last Surprise −中編−

「うおおっ!なんか超デカいな!こんなの実物で見るの初めてだぞ!」

 

 佐倉 双葉はその特殊な才能の持ち主ゆえに孤独な幼少期を過ごした少女だ。そのために、友人達とテーブルを囲んで誕生会を楽しむというイベント自体が未知の世界と言えた。現に瞳をキラキラと輝かせ、口をぱっくり開けたまま目の前の巨大なイチゴケーキを眺めている。

 そんな双葉の反応に気を良くしたのか、準備に勤しむ真は休みなくせっせと皿を並べつつも満足そうに笑っていた。

 

「銀座の寿司に比べれば大したことはないとはいえ、結構奮発したものね。私も今までに無いサイズを注文したから妙に緊張しちゃったわ」

 

 パーティを開くと決めてからは当日になるまで大忙しであった。場所は杏の気合の入った行動力のおかげで既に確保していたとはいえ、とにかく時間が無い。プレゼントが決まらない。そして、何より彼らにはお金が無かったのだ。

 

「これもメメントス様様だな。怪盗としての稼ぎが無ければ、俺達の財布ではとてもではないが買えるような代物じゃなかった」

 

 祐介の脳内では大衆の集合的無意識が生み出した異界の領域『メメントス』での戦いが回想されていた。普段はただの高校生でおまけに殆どのメンバーがバイトもしていない彼らにとって、メメントスに住まう怪物『シャドウ』の現金を持ち歩く性質を利用した金策は貴重な収入源である。

 少年の誕生日までに間にあわせるために少々無茶なことまでしたものだが、その甲斐あってか有名ケーキ屋でも最高クラスの商品を頼む事が出来た。

 

「どうせだったら私がプレゼントしてあげても良かったのに。お父様と懇意にしていただいた方にケーキ屋さんの社長さんいるんだよ?」

 

 確かに、日本有数の大企業オクムラフーズの令嬢である春なら、容易い買い物だったかもしれない。だが、祐介は首を横に振った。

 

「いや、さすがに春にそこまでしてもらうのは忍びない。仲間だからといって安易に親族の力を借りようとするのは良くないだろう。特に金銭面に関してはきっちりケジメをつけておくべきだ」

 

「それに私ら自身でケーキ代を集めてた方が達成感あるしね!」

 

 壁に飾りを付けていた杏が両手の拳でガッツポーズを決める。

 

「しっかし、世間を騒がせてる怪盗団が、実は誕生日用のホールケーキ一つ買うために異世界を走り回ってるだなんて、なかなかシュールな話だよなー」

 

 双葉はケーキの上に乗っかっているロウソクをツンツンと指で小突きながら呟いた。

 

「うはははは!今はそんなんどうでもいいだろ!なあなあ早く早く!さっさとケーキ食っちまおうぜ!今日のために朝飯抜いてきたから、もう腹が減っちまっててよー!」

 

「ちょっと馬鹿竜司!あんたの誕生日じゃないでしょうが!なんで真っ先にケーキ取ろうとしてんのよ!つーか手伝え!」

 

 フォークとナイフを両手に握りしめてはしゃぐ竜司を見かねた杏は、壁の飾り付けもほどほどにして竜司へと詰め寄った。

 

「冗談に決まってんだろ、冗談!流石にそれくらい自重するぜ」

 

「あんたが言っても全然説得力無いの!この馬鹿竜司!まだ始まってもないのに悪ふざけすんじゃないわよ!」

 

「二度も馬鹿って言うんじゃねえ!つーかせっかくのお祭りなんだぜ?今から楽しまなきゃ損だろ!」

 

「それあんたが騒ぎたいだけでしょ!みっともないったらありゃしないわよ!」

 

「うっせーな!俺がケーキ運んでる横で間抜け面晒しながらヨダレ垂らしてた奴には言われたくねーよ!」

 

 杏は慌てて後ろに振り向く。本来なら誕生パーティの主役である少年はサボりっぱなしの竜司に代わって準備を手伝いつつも、こちら側を見ながらクスクスと笑っている。せっかくのイベントだというのに、相も変わらずいつものように口喧嘩を始めた二人には苦笑いせざるをえなかったようだ。

 

「ちょ、ちょっと!彼の前で変な言いがかりは止めてよね!いや、ほーんの少しだけ味見したいなあなんて思ったりもしなかったりもしたけど……」

 

 最後ら辺は竹を割ったような快活な言動が持ち味の杏らしくない尻すぼみであった。

 

「こらこら、二人とも子どもじゃないんだから少しは落ち着きなさい」

 

 皿を全て並べ終えた真は、いがみ合う二人の頭を両手を使ってポンポンと叩く。

 

「もう……少しくらいは我慢出来ないの?テンションが上がる気持ちはわかるけど、祝われてる当人より大はしゃぎしてどうするのよ」

 

「「はーい。ごめんなさーい」」

 

「見事なまでに児童とその引率者の組み合わせだな」

 

 もはや慣れたとはいえ、祐介としては友人達の奔放さには呆れ返ってしまうしかない。とは言っても、別に嫌気がさしているわけではなく、何故か居心地の良さすら感じてしまっているわけだが。

 かつては雑音と世俗を嫌い、ただ一人自室に籠もってひたすら絵を描ければそれでいいと身も心もボロ小屋に閉じこめていた祐介。そんな自己完結した生き方を変えたのは他ならぬ彼らである。祐介という人間を変えたルーツがここにあるからこそ安らげるのかもしれない。

 

「ひっひっひ……今がチャーンス」

 

 誰もが手前のことに夢中になる中で、祐介の背後から一つの影がそっとケーキへと忍び寄る。影はケーキに向かってそっと手を伸ばし……

 

「めっ!双葉ちゃんもこっそり食べようとしたらダメだよ?」

 

「んぎっ……バ、バレタカ……」

 

 寸での所でニコニコ笑顔の春に止められるのだった。

 

「そういや、お前らこいつのためにプレゼント用意してたんだろ?いったいどんなの持ってきたんだ?」

 

 ケーキをテーブルに置き、皿を全て並べ終え、飾り付けも済ませたところで、ソファーでくつろいでいた黒猫姿のモルガナが口を挟んできた。猫の手を借りたいという格言が存在するが、実際の猫の手ではどうにも手伝いは出来ない。暇を持て余すモルガナとしてはそろそろ刺激が欲しいところであった。

 

「おっと、そうだった。じゃあ、始める前に先にプレゼントしちゃおっか」

 

「そうね。マスターの料理はもうちょっと時間掛かるみたいだし」

 

 厨房で未だフライパンと格闘している店主を横目でチラッと見た真は杏の提案に同意した。言い出しっぺとなった杏はウキウキしながら、さっそく自分が用意していたピンク色の紙袋からガサゴソと小さな箱を取り出す。

 

「じゃーん!はーい!これ!」

 

「まあ、素敵!」

 

 少年少女達の視線を一身に浴びる中で、杏は手品の種明かしのような大げさな手振りで箱の中身を披露した。中に入っていたのは鮮やかなダークブルーのフレームが印象的なメガネ。目にした春は感嘆の声をあげた。釣られて周囲からどよめきが漏れる。

 テーブルの上に乗ったモルガナは箱を覗き込んだ。

 

「おー……こいつは伊達メガネか?ワガハイ、ブランド物の価値はいまいち見分けつかねえが、なかなかに洒落たデザインじゃねーか」

 

「ふむ、確かになかなかいい感じだ。高級感はあるが、それでいて下品でなく、大人しい雰囲気が彼にもマッチしているだろうな。俺はあまり若者向けファッションの類に造詣は深くないが、それでも本当に良い物というのは自然と良さが伝わってくるものだ」

 

「モナと祐介に褒められると自信湧いてくるね!はいどうぞ!」

 

 主賓として一番奥の席に座ることになった少年は黙って杏の伊達メガネを受け取った。

 

「ふふっ!実はこれ、この間モデルを担当したブランドの最新作なんだよ!友達への宣伝も兼ねた報酬で一つ貰ったの!私はファッションでもメガネとかあんまり使わないし、せっかくだからあげるね」

 

 しばし手渡されたメガネを眺めていた少年は口元を綻ばせると、杏に頷き返す。どうやら彼は杏のプレゼントをすこぶる気に入ったらしい。

 

「でも、本当にいいの?ブランドって聞くと、なんだか恐ろしく高価なイメージあるけど」

 

 決して裕福な家庭とは言い難い上に流行などに疎い真にとって、無粋ではあるがその辺はどうにも気になってしまうようだ。

 

「あ、安心して。学生向けブランドだからむやみやたらに高いわけじゃないから。さあほら、さっそく掛けてみてよ!……うん、やっぱり似合ってる!前から思ってたんだけど、君はもっとお洒落した方が良いと思うの。その……地は結構イケてるんだし……」

 

 頬をほんのり赤く染めた杏がモジモジしながら目を逸らす。最後の方はボソボソと消えてしまいそうなほどに尻すぼみになっていた。そんな杏の姿を目の当たりにした竜司は、歯を見せながら愉快そうに薄ら笑いを浮かべている。

 

「……なによ。ニヤニヤして。気持ち悪いんだけど」

 

「いやはや〜、先日に引き続き、本日の杏殿も乙女回路が全開ですなあ〜」

 

ドゴォッ!

 

「うぉふっ⁉︎も、もろ鳩尾に……」

 

「ふんっ!口は災いの元よ!」

 

「お気の毒様竜司。まあ、そこで大人しく引っ込んでてな」

 

 腹を抑えてうずくまる竜司を放置して、今度は双葉が後ろから袋を漁り始めた。

 

「ふっふっふーん!聞いて驚けぇ!私のはなんと……これだぁ!」

 

 頭分の大きさの箱を抱えた双葉は、ドンっとテーブルに勢いよく叩きつけた。覆い隠された包み紙が剥がされ、全貌が明かされる。そこには未だに児童達の心を掴んでやまない往年のヒーロー達の姿が描かれていた。

 

「じゃーん!初代不死鳥戦隊フェザーマンDVDコンプリートBOX20thアニバーサリーエディション、出演者サイン付き初回限定豪華版!」

 

 腕を組んだ双葉はふっふっふ、とまるで悪者のように薄ら笑いを浮かべる。

 

「いやー、こいつはゲットするのに苦労したもんだぜー。けど、せっかくお前の誕生日なんだしな!私の大事なおタカラも誇り被ってるより新しいファンを作った方が喜ぶだろう!ああ、安心しろ!私は後二つ同じのを持ってるんだ!どうだ!恐れいったかっ!」

 

 双葉は自慢げに胸を張っている。だが、

 

「……」

 

「へー」

 

「ふーん」

 

「えっと……」

 

「わーすごい!」

 

 その場にいる誰もが無反応、あるいは冷ややかな反応しか返さなかった。メガネの少年すらもキョトンとして箱を見つめている。明らかに理解していないであろう春唯一人が笑顔でパチパチと拍手しているが、無言に包まれた喫茶店内を虚しく響き渡っていく。

 

「な、なんだよ!その冷たい態度は!伝説の超レア物なんだぞこれ⁉︎ただでさえ受注生産なせいで元々の数が少ないってのに、イエローアウル役の俳優が去年急逝したせいで、役者五人の直筆サインが揃って書かれたのはもはや数える程しか残されていないんだ!おまけに付属DVDのオーディオコメンタリーやインタビューも五人揃って行われた貴重な資料!フェザーマンシリーズのマニアなら誰もが垂涎物の究極コレクターアイテムってわけなんだよ!」

 

 一気にまくし立てる双葉。彼女本人は非常に思い入れのある一品なのだろう。だが、物の価値基準というのは必ずしも全ての人に等しく共有されるとは限らないのが常だ。今回の場合、ギャラリーの反応は芳しくない。物品の審美眼を持つ祐介ですら、双葉の説明に対して首を傾げてハテナマークを浮かべ続けている。

 

「いや、そう豪語されてもな」

 

「初代かあ……それって確か私達が生まれる前の作品よね?」

 

 杏と顔を見合わせた竜司は肩を竦めた。

 

「20年以上前だぜえ?フェザーマンRなら俺もガキの頃見たことあっけどよー」

 

「出演者サイン付きとか言われても……すごいのか、すごくないのか、いまいちよくわからないわね……」

 

 真もどう反応すればいいのか困っている様子だ。

 

「うう……」

 

 双葉が眉を八の字にして下を向いてしまった。そのせいで雲行きが少々怪しくなってきている。

 

「えっと……ああ!思い出した!」

 

 狼狽えていた春はこの状況を打開せんとすべく、何か閃いたかのようにポンっと手のひらを叩く。

 

「確かベルトを付けて『変身!』って叫ぶ奴ですよね!大丈夫!私知ってるよ双葉ちゃん!」

 

「……それはライダーだ」

 

「あ……」

 

 自信満々に双葉のフォローへ回ったつもりだった春がトドメを刺す形で気まずい空気が流れ始めた。そこから双葉は俯いて何も語らない。代わりにテーブルの上にポタポタと数滴の雫が滴り落ちる。普段は飄々としていてなかなか真意が掴めない双葉の思わぬ反応に、モルガナも流石に冷や汗を流してしまっていた。

 

「お、おいおい……こいつは相当な地雷を踏んじまったみてえだな」

 

 同世代の少女らしかぬ超然とした言動と高いハッキング能力の持ち主ゆえに、本来歳上であるこの少年少女達は双葉を良くも悪くも対等かそれ以上の存在として扱っている節がある。ほんの少し前まで外界とのコミュニケーションを絶っていた幼い少女であるということをつい忘れがちになってしまうのだ。そんな気軽さで双葉の精神面での不安定さを省みない遠慮なしの態度をとったことを彼らは内心後悔していた。

 

「わ、悪ぃ……泣かせようとかそういうつもりは無かったんだ」

 

「知りもしないのに調子の良いこと言っちゃってごめんね双葉ちゃん……でも、これが双葉ちゃんにとってすごく大事な物だってわかるよ。きっと彼も喜んでく……」

 

「う、うぐ……いや、みんなが……悪いわけじゃないし……」

 

 双葉がようやく顔を上げた。その両目には今にも溢れそうな程に涙を溜め込んでいる。すぐさま、またも下を向いた。どうやら仲間達に涙を見せまいとしているようだ。しかし、それでも泣いている事実は隠せず、とうとう嗚咽まで漏らしてしまう。

 

「そ、そうだよな……こんなのお前が喜ぶわけないよな!ははは……わ、私馬鹿じゃないのか?パンピーから見れば初代フェザーマンなんて誰得に決まってるだろ!良い歳して特撮なんて恥ずかしくて当たり前だ!こんな……こんな調子だから友達も出来ずにイジメられてばっかだったんだろうなあ……」

 

「双葉……」

 

 双葉からしたら、単に大好きなテレビ番組を大好きな仲間と一緒に楽しみたいだけだったに違いない。他者との距離感を掴みきれずにいる少女は、孤独な幼少期を思い出してうずくまってしまう。

 そんな時だった。メガネの少年はそっとDVDの入った箱に手を伸ばした。

 

「へ?」

 

 双葉の双眸からこぼれ落ちている涙が止まった。

 

「え?も、貰ってくれるの⁉︎ぜ、全部観てくれるの⁉︎」

 

 答える代わりに、少年は微笑みながら頷く。目元に涙を溜めていた双葉は袖で拭き取ると、少年の側に体を寄せた。

 

「わ、私を泣かせた罰だ!いつものあれを頼む!」

 

 少年は双葉の言う『あれ』に覚えがあった。わざわざ直接指示されずとも、慣れたように双葉の頭に手を乗せると、優しく、そっと撫で始める。

 

「えへへへへへ……」

 

「「「なっ⁉︎」」」

 

 この場にいる双葉以外の少女三人全員から変な声が出てしまった。それほどに少年が双葉の頭を撫でている光景が衝撃的だったのである。しかも、双葉の発言からはまるで『頻繁に行われている』かのように聞こえるのだから。

 

「うん!うん!観終わったら絶対に感想聞かせてくれ!きっとお前も間違いなく気にいるはずだぞっ!なんせ特撮ファンの間では誰もが認める不朽の名作だからな!そりゃあ不死鳥戦隊シリーズはネオやRも確かに面白いし映像は綺麗だけど、でも熱さに関してはやっぱり初代が一番だと思うんだ!特に23話で一度は死んだはずのレッドイーグルが、仲違いしていたブラックファルコンの声援を受けてパワーア……おっとこれ以上はネタバレになるからやめておくべきだな!ぬふふふ……」

 

 少年から頭を撫でられてすっかり上機嫌に戻った双葉。しかし、そんな彼女を見てもっと上機嫌になった者がいた。複雑そうな表情の杏に、自身の最高の笑顔をお届けしている竜司である。

 

「おおっと!杏殿ォ!こいつはなかなか手強い伏兵の登場ですぞ〜!」

 

ガスッ!

 

「ぐはぁ!あ、肋骨が……逝っちまった……」

 

「だ、大丈夫なの竜司君?」

 

 駆け寄ろうとする春を杏は片手で遮った。

 

「なーにが肋骨よ。ちょっとだけ思いっきりブチかましてやっただけだっつーの」

 

「……つくづく過去から学ばない男だな」

 

 祐介の言う通りに、竜司は痛い目を見ても学習しない男だ。このポジティブシンキングっぷりは逆に才能かもしれない。

 

「じゃあ、そろそろ次に行きましょうか」

 

 仕切り直そうとする真にすぐ反応したのはまさかの竜司だった。

 

「おーし!じゃあ次は俺の番だな!」

 

「復活早っ!」

 

 ついさっきまで腹を抑えていたかと思いきや、すぐさま復活してしまった竜司。あまりの早さに、ど突いた本人ですら驚いてしまっている。元々肋骨云々は大げさなだけではあるだが。

 かねてより煩悩丸出しのパツキンモンキーと誉れ高い竜司だが、実際の知能は猿にすら劣る。そして同時に、それに反して生命力に関しては使用ペルソナ同様、大爆発に巻き込まれても難なく生き残れる程ステータスに恵まれているのだ。

 

「リュージのプレゼントか……いまいち想像がつかないな」

 

「まあ、竜司のことだし、どうせまたエッチなビデオなんだろ?」

 

「うっわ、最低」

 

 いつの間にか元どおりに戻っていた双葉がニタニタと笑っている。一方で杏は汚い物を見るかのような視線を飛ばす。

 

「ちげーよ!いつまでそのネタ引っ張るつもりだこのチビ!」

 

 竜司は怒るのも程々にして、バッグから一枚のCD入りのケースを取り出した。パッケージには竜司と近い世代と思わしき女性の写真が飾られている。

 

「これって人気アイドル、久慈川りせのニューシングル?」

 

 流行に疎い真ですら名くらいは知っている程の存在。それが人気不動の女性アイドル『久慈川りせ』である。

 人気上昇中の最中に唐突な約1年近くの活動休止をハンデとして背負いながらも、活動再開後はあっという間にトップアイドルまでのし上がった生きた伝説。読モとはいえ、一応芸能人の端くれである杏も勿論知らないわけがない。

 

「あー、これって何処の店でも売り切れ続出なんでしょ?クラスの女の子が手に入らなくてガッカリしてたわよ」

 

「ネットのオークションとかだと結構な高値で取引されてるぞ。テレビですらわざわざワイドショーのネタになってるくらいだ。まあ近々開催されるライブの先行予約権も兼ねてるのもあるだろうけどな。とはいえ、マーケティング戦術を考慮してもめっちゃ人気なのは間違いねー」

 

 双葉はスマホで有名検索サイトのニュースページを開いている。そこには件のCDが引き起こした社会現象について存外真面目な記事が記載さていた。

 

「へっへー。実は三島の奴がライブの先行予約目当てで何枚も買ってたらしくてさ。CD自体はなんちゃら用となんとか用で3枚もありゃ充分なんだと。んで、その余った分をもらったわけよ。俺は1枚でいいから、こいつはお前にやるわ」

 

 竜司がメガネの少年にCDを手渡す。音楽、ゲーム、映画、釣りと何から何まで娯楽を貪欲に楽しもうとするこの少年にDVDやCDのジャンルは関係無いのだ。

 

「リュージってさ。前から思ってたけど、不良を気取ってる割になかなかに軟派だよな」

 

「ああん?別に音楽の好みは俺の自由だろうが。つーか不良やりたくて不良やってるわけじゃねーし」

 

 竜司はムスッとしてモルガナを睨みつける。そんな彼に援護射撃を放ったのは意外な人物だった。

 

「そうだぞモルガナ!竜司の美意識はともかく、アイドルソングを軟派などと馬鹿にするもんじゃない!」

 

「ゆ、祐介……なんで急にテンション高くなったの?」

 

 突然大声を出すという祐介の予期せぬ奇行に、杏は思わず顔を引きつらせて縮み上がった。

 

「いや、なんかこいつ最近りせちーにハマったらしくてよ。俺が貸したアルバム返してくんねーんだ」

 

 そう言って竜司は親指で背後の祐介を指差す。当の祐介は引き気味の周囲などどこ吹く風といった様子で何処か遠くを眺めていた。

 

「ふっ……正直言ってアイドルなど低俗な大衆娯楽に過ぎんと馬鹿にしていたが、俺の方こそ井の中の蛙だった。ああ、あれもまた芸術だ……美の境地だ……」

 

 祐介はロダンの考える人を彷彿させる悩ましげなポーズを取った。第一印象では浮世離れした薄幸の美少年というイメージを振りまく祐介だが、実際に付き合いを持つと太々しい神経の持ち主で、かつ最果ての無い奇人なのがわかる。とにかく、彼の琴線がどこで触れるのかが全く予想がつかないのだ。

 この女性アイドルは、どうやらそんな彼のお眼鏡に叶ったらしい。

 

「久慈川りせ……ああ、素晴らしい。特に声が良い!彼女の歌声を聴いてるとなんか……こう……込み上げてくるな!無性に叫びたくなってくるな!」

 

「おイナリ、なんかキモいぞ」

 

 自分の世界に入り込んでしまった祐介に侮蔑の視線を飛ばした双葉は大げさにため息を吐いた。

 

「はあ……にしてもただのCDか。なんだよつっまんねーなー。エッチなビデオじゃないのかー」

 

「いつまで言ってんだよ!双葉てめー急に調子乗ってんじゃねえぞ!」

 

「こら竜司!そうやってすぐ喧嘩腰になるんじゃないわよ!双葉も女の子なのにそんなの口にしないの。竜司が感染っちゃうよ」

 

「うわ、それはやべーな。気をつけとこ」

 

「おい、なんだよ杏!竜司が感染るって!」

 

 完全に自分の世界へと入っている祐介と、口喧嘩を始めた竜司と杏、そんな二人を煽ろうとする双葉。メガネの少年は喧嘩を止めるタイミングが見つからないようでオロオロとしている上に、春は困ったような顔で静かに眺めているだけ。収拾がつきそうにないこの状況にピリオドを打つ役目は自分にしか残されていないのだと真は穏やかな誕生パーティを諦めた。パンパンと両手を叩いて鳴らす。

 

「はいはいそこまで!少し強引だけど、それじゃあ次行かせてもらうわね」

 

 無理矢理後輩達を大人しくさせた真は、自分のバッグに手を潜り込ませた。

 

「私はこれよ」

 

「絵本?」

 

 真が取り出したのは一切の本だ。決して厚くはなく、むしろ薄い方だが、その装丁はなかなかに高級感を有している。

 

「あなたは図書館をよく利用するくらいに読書が好きなんでしょ?ちょっと子どもっぽいかなと思ったけど、この絵本はインテリアとしても使えるからオススメなの。勿論読んでくれると嬉しいわ。ちょっと変わってる内容だけど、印象に残るお話なのは間違いないと思う」

 

「ほう、マコトが薦めるなら気になるな。どれどれ」

 

 確かに絵本には小さな子ども向けというイメージが根強いが、真が言うなら本当に良い一品なのだろう。モルガナは顔を絵本へと近づけた。

 

 絵本のタイトルは『ピンクのワニ』


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