なのぎる。   作:くおん(出張版)

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なのぎる。(幕間の物語3)

 

 

 

「父さん」

 と美由希がその背中に話しかけるのには、幾分か勇気がいった。

 何故ならば、彼女たちの父であり師でるところの高町士郎は、御神の剣士としての黒装束の下に、考えられる限りの武装を覆い隠して出ようとしていたのだから。

 こんな姿をしている父というのを、彼女はほとんど記憶していない。

 道場での稽古、神社での仕合、……様々な場所、状況での鍛錬は何年も続けていたが、士郎がこのような完全装備をしてのことはなかった。

 する必要もなかった。

 御神の剣士としての修行は主に兄妹として二人の間で行われており、士郎は時折に二人の様子を眺めながら、たまに助言をさしはさむ程度だったからだ。それは士郎が恭也の指導を信用し、美由希の資質を信頼しているからだった。

「自分はすでに一線を引いている」

 そういう風に、言っている。

 それは本当のことだろうけど、全てのことではないのだと美由希は思っている。

 そんな風に思うのは、士郎がたまに見せる眼差しの鋭さを知るからであり、その足捌きの精妙を知るからであり、その剣技の巧妙を知るからであった。

 高町士郎は現役の剣客である、と。

 少なくとも美由希の中ではそれは不動のものである。

 だから、それだから、稽古で自分たちを指導することはあまりないのだろうと美由希は考えていた。

(父さんは、本当の自分の剣を見せたくないんだ)

 というのは、まず間違いないだろう。

 

 永全不動八門・御神真刀流二刀小太刀術――さらにその裏である不破。

 

 剣術とは何か、と問われたのならばそれは殺人術だと答える他はない。どれほど綺麗ごとを言おうとも、それは変わりない。剣とは古くより伝わる殺人の技巧である。

 精神修養だの優れた身体文化だのという言説は、その綺麗ごとのために生まれた修辞でしかない。少なくとも、高町家ではそうなっている。

 だが、時代は、少なくとも日本では、それは表立っては奨励されることではなくなっていた。

 武術の技は平和な時代においては不必要とまでは言わないが、受け入れられるための方便が必要とされた。新陰流の使い手であった柳生宗矩は兵法家伝書にて

 

 兵法は人を切るとばかりおもふは、ひがごと也。ひとをきるにあらず、悪をころす也。

 

 と述べているが、まさに方便だった。

 殺人刀としては一人を殺し万人を生かすとも書かれている。どちらにせよ、平和時においての剣はそのままでは受け入れられにくいものとなっていたのである。

 勿論、そんな時代であっても「夫れ、剣術は殺伐の術也」……と言い残した兵法者もいたが、ごくごく稀な例外に過ぎない。

 命の価値が上がる中、武威が不用とされる中で、兵法が生き延びるためにはどうしても綺麗ごとが必要なのである。

 そして、平和のための剣を説きながらも、精神のためと述べながらも、真の剣士とは戦いを忘れることはない存在でもあった。

 活人剣というもっとも綺麗ごとな言葉の、そのさらに深奥にある無刀について、前出の兵法家伝書では

 

「無刀と云うは、人の刀をとる芸にはあらず、諸道具を自由につかはむ為也。」

 

 としている。

 つまり、相手と戦うためには何でも使え――ということなのだ。

 表にあってもそのような心が残されているのならば、裏である御神の剣はその精神と魂を維持していて当たり前である。

 方便など必要とせずに生き延びた真の剣術である御神流は、打ち物(手裏剣)などを始めとした古流で使われている武器は当たり前に使うし、鋼糸などというものさえ取り入れている。

 まさに、殺人のための技巧。古流ではない、現役の戦闘術――それが御神流なのだ。

 美由希もそれを学ぶ身である。どれほどに過酷な修行であろうとも耐える覚悟はできているし、どれほどに凄惨な事態に直面しようとも踏み抜く決意を持っている。

 それなのに、あるいはそれだからこそ、士郎は御神の、あるいは不破の剣の本当を見せることを躊躇っているように思えた。

 恐らくはその士郎の戦いというのは、想像を絶したものであるに違いない。

 地獄という言葉そのままの壮絶な死地であるのだろう。

 そんな場所を、いかに覚悟を決めていようとも、未だ未成年の二人に見せたくない――そう、美由希は推測している。

(きっと、今も戦っているんだ)

 朝のご飯を食べながらも。

 昼の憩いのさなかでも。

 夜の閨でさえも。

 高町士郎という剣士は、自分のため、家族のために戦いの姿勢を保っているのだろう。

 常在戦場というのは言い古された言葉であったが、まさにそのままに、そうでありながらも平然と普段の生活を過ごしているという父にとって、武装というものは特段に必要なものではないのかもしれない、というのは兄である恭也の言葉である。   

 何故ならば、常に戦闘態勢であるのならば、その手にあるものがそのまま武器となるからだ。平素が戦いの中にあるのなら、特別な武器を用意する暇など必要とすまい。

 その準備のための時間は、そのまま隙となる。わざわざ用意などせずにその場にあるものを使えばいいのだ。まさに新陰流に云う無刀の境地である。

 その士郎が武装していた。 

 常に手入れを怠らない武器の具合をいちいち確認し、手足の筋をほぐしてアップをしている。

 それはつまり、一つの事実を意味している。

 

 今のままでは勝てないモノが相手なのだ。

 

「父さん」

 と美由希がそう声をかけてしまったのは、そのせいであった。

「なんだ?」

 と聞き返しなからも、士郎は振り向こうとはしない。その態度に、さらに彼女は不信感を募らせる。

「父さんは、誰と戦いにいくの?」

「―――――――」

 彼女の質問に対する答えは、躊躇いのためでもない無言であった。

 どういう言葉を選んでいいのかを迷っているというのではない。

 最初から、そう聞かれても答えようがないという判断のもとに行為として決定された沈黙。

(どうして、今からなんだろう)

 美由希は理不尽だと思った。

 ついさっきまで、自分たちは宴席の中にいた。

 たまにやってきてくれているお客様であるところのギルさんが、常になく上機嫌のままに大金を出して飲めや歌えやの宴会となった。楽しい時間だった。父も母も兄も、なのはも。みんな笑い、歌っていた。

 そんな時間が過ぎ去った後での父の変貌は、彼女にとっては到底理解できるものではなかった。

 あんな楽しい時間の後に、どうして微塵の躊躇いもなく戦いにいけるのか。

 戦いというものは不条理で理不尽なものであるということは美由希も知っているはずだが。

 この時はそう思ったのである。

 二人の沈黙と静止を終わらせたのは、同じく彼ら二人に近しい血を持つ三人目の剣士の登場であった。

「親父」

 と部屋の奥から父と同じく黒装束の恭也が、手に美由希のそれを持って現れた。美由希が一人で所持できる限界の武装がある。

「恭ちゃん」

 と美由希は目を見開き。

「恭也」

 と士郎は目を細めた。 

「――なんの、つもりだ?」

「俺たちも、ついてゆく」

 そう言って、美由希の前に差し出した。

 美由希は恭也の言葉に大方を察し、それを受け取って二人からやや離れたところに立ち、手馴れた動作でその場で服を脱いで武装を始める。

 親子兄弟の前でも恥ずかしいといえばそうだが、戦いの前に男女のそれをいうのは愚かだと知っていた。黙々と下着になってから装束を着込む。

 士郎と恭也は美由希の方を見ずに互いの眼差しを凝視していた。睨み合っているというのとも違う。双方がそれぞれの心の内を覗き込んでいるようだった。

 やがて。

「足手まといだぞ」

 と士郎が言うと。

 恭也は眉も動かさずに。

「それほどの相手に、一人で立ち向かうのか」

「三人で一人に挑む連携は、まだ稽古してない」

「連携が無理なら――親父が殺された直後に攻める」

「恭ちゃん!」

 さすがにあまりな発言に、袖の下に鋼糸を仕込んでいた美由希が声を出した。

 士郎は何か瞼を伏せた。

「できないことは、口にするな」

 それは――どういう意味があるのか。

 美由希は一瞬、それを図りかねた。少したってから気づいた。

(父さんが殺されるまで、恭ちゃんが静観できるはずもないか)

 相手がもしも士郎をして倒せぬ相手だとして、その士郎が殺された直後に攻めるというのは理にかなっている。

 どれほどの怪物だとしても、高町士郎と戦って無傷でいられるはずがない。高町士郎を殺して平然でいられるはずがない。

 必ず、刹那にも満たぬとも「虚」の瞬間があるはずだ。

 そこを狙えば、高確率で命を奪えるだろう。

 あるいは、そうと匂わせているだけでも相手の集中を乱す効果があるかも知れない。

 士郎は、諦めたように頸を振った。

 

「そんな程度のことで勝てる相手ではない」

 

 それ、は――、

 武装を終えた美由希は立ち尽くし、恭也も微かに眉を寄せたが。

 結局、二人は士郎の反対を押し切ってついていくことにした。

 相手の名前を聞いても、それは変わらなかった。

 

「相手はギルさん――ギルガメッシュだ」

 

 遙か古代の英雄の名を持つ、翠屋の常連さんだった。

 


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