なのぎる。   作:くおん(出張版)

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なのぎる。(幕間の物語8)

 高町士郎は、自分の愛娘である高町なのはの将来について一つの危惧を抱いている。

 

 なのはの器量――容姿としての意味ではない。無論のこと、容姿としても美人になって引く手数多だろうという確信はあるが、そういう 意味ではない。

 人間としての器の大きさ、秘められた潜在的な力が並外れているのだ。

 小学生になったばかりの少女に対して何を大袈裟なと思うかも知れないが、世界を経巡った士郎には上手く言葉にはできないが解るのだ。

 なのはという娘はやがてとてつもなく力を持って――それを使ってものすごいことをなし得るのだと。

 それは例えば、歴史の中に偉人として名を残すことであるような、あるいは伝説に謳われる英雄のようになるのではないかと。

 親ばかでなしに、そう思う。

 高町なのはは、将来とんでもない何かになるのだと。

 だが、それを親として手放しに喜べたりも、士郎にはできなかった。

 

 御神の剣士として生まれた。

 息子も、そして娘も御神の剣士だった。

 

 並外れた剣士としての資質を備えて生まれ、御神の剣流を受け継いでくれている自分の子供たちは、――しかし、不憫だとも士郎は思っている。

 かつての士郎は御神の剣士として生まれ、生きて、死ぬのは当たり前のことだと思っていた。自分がその家に生まれ、その生き方を選んだのだから、嘆くことなどないのだと思っていた。

 その思い自体は今も変わらない。

 変わらないが、剣士としての一線を離れ、パティシエの桃子と共に平々凡々として暮らしていると思う。この二人にも、自分にも、もっと別の生き方はありえたのではないかと。

 勿論、今から剣を捨てろと恭也や美由希に言うようなことはない。二人のアイディンティティには御神の剣士であるということが重要な要素としてあるのは明白だし、積み重ねられた今までの修行の成果をなかったことにしろとは口が裂けてもいえない。

 それに二人は、自ら選択してここにいるのだ。

 親として師として、それらをなかったことになどできはしない。

 そんなだからこそ、末の娘であるなのはには、なのはだけには、せめて平凡で幸せな人生を送って欲しいと士郎は思うのだった。

 どれほどに人々から賛辞を浴びようとも、偉人や英雄になどにはなって欲しくはないのである。

 

 士郎はボディガードとして様々な人物に出会ってきた。その中には戦場で英雄と言われた者もいたし、高名な政治家もいた。彼らは確かに傍目には輝かしい日々に生きているように見えた。賞賛と尊敬の的になっているように思えた。

 だが、少し内側に入れば解る。

 彼にには常人より遥かに深刻な苦悩があり、賞賛と尊敬と同じかそれ以上の罵倒と畏怖の的でもあった。

 士郎には、なのはがそのように生きるなどとは想像もしたくなかった。したくないのに、そうなるのだということが明確に想像できた。

 

 それでも、まだ幼い。

 

 士郎は今のうちなら取り返しがつくと考えていた。

 なのははもしかしたら、将来に多くの人を救うかもしれない。もしかしたら世界の救世主になるかもしれない。

 ――だけど。

 ならなくていい。

 平凡に幸せになってくれるのが一番だと。彼は思う。

 だから、仮になのはの資質を奪うようなことになってもいいと、御神の剣も教えることもなく、本当に平凡な娘として育てた。

 

 そんな中で、この男が現れたのである。

 

 

 

 英雄王。

 ギルガメッシュ。

 

 

 見ただけで魂が震えるほどの存在。

 恐怖し、畏怖し、感服した。

 恐らくはこの世でもっとも強大なその人を最初に見た時、士郎は「この人がいれば大丈夫か」と思った。

 この人がいる世界でなら、他に英雄やら偉人などは必要ないと。

 なのはの器量とても、このギルガメッシュと比したのならば将来性を加味しても、それでも到底及ばないのだと士郎には思えた。それは願望であったか希望であったのか。

 だが。

 ある日、気づいた。

 たまに彼が訪れる日々の中で、士郎はなのはがこの人に懐き、そして感化されていくように思え出した。

 感化という言葉は適当ではなかったのかもしれない。

 強烈な魂に触れることによって、なのはの精神と魂が磨かれ、本来より早くなのはの資質が露わになっていっているだけなのかもしれない。

 士郎はギルガメッシュの素性を調べたが、それは彼を安心させるような成果に結びつかず、結果としてより彼の焦燥を煽った。

 そして、今日。

「お友達ができました」

 なのはが、ギルガメッシュに告げたのを見た時、思った。

(この人を殺そう)

 その魂の在り方、生き方がこの人に引きずられ、取り返しのつかないところに行ってしまう前に。

 高町士郎は、そう決めたのだった。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「父さん……」

「……………」

 二人の御神の剣士は、士郎の独白を聞いて黙り込んだ。

 なのはのために――ということは聞いていた。

 そのために命をかけるというのは、あることだろう。

 それでも。

(そのために、人を始末しようと考えるだなんて……)

 美由希は倒れる父を見て、その傍らに立つギルガメッシュを見た。

 なのはの魂が、この人に引きずられていくことは――あり得ることだと、美由希は思った。それは、この戦いを経過したならば思えることではあったが。

「つくづく、愚かな」

 とギルガメッシュは言った。

「技倆は当世では並外れてはいるが、器量の程度は凡夫のそれだな」

「………………」

 そして、笑う。嘲笑に似ていたが、何処か賞賛が含まれていたように感じられるそれだった。 

 無論のこと、それは知ろうに向けられたものではなかった。

 

「あの娘は、なのはは飛ぶぞ」

 

 

「あれの魂は、そういう類のものだ。誰に会うとか学ぶなどということは関係ない」

 

「どのような形かまでは知らぬが、いずれ飛び立ち、我が侭に飛び続けるぞ」

 

「そのために世界を変えることすら厭わぬ魂だ」

 

「落ちるまで飛び続け、落ちてなお歩き続け、倒れてなお這いずって前へと進む魂なのだ」

 

 それ、は――

「そんな、ことは……」

 解っていた。

 士郎は目を閉じた。

 ギルガメッシュを排除しようとしまいと、関係ないのだと。

 心の奥底では、魂では解っていたはずのことだったのだ。

 それなのに。

(それなのに……俺は、馬鹿だ……)

 愚か過ぎて、涙も出ない。

 美由希は何かを言おうと口を開きかけたが、恭也が止めた。今ここで自分たちが何を言おうと意味はないのだと解っていた。

 しかし、なお残酷に言葉を重ねるのがギルガメッシュだった。

 英雄は空気を読まない。

 

「〝魔〟が差したな」

 

 笑っていたはずなのに、その時のギルガメッシュの声は、何処か重々しかった。

「…………?」

 訝る顔をした士郎に向けて、英雄王は静かに告げた。

「時に抑止の力は、道理に反したことに人を衝き動かす。神の去った時代での託宣などは大方がその類だ。直接は知らぬが、そんな抑止の導きのままに踊らされ、救国の乙女と謳われながらも魔女として処刑された娘もいた」

「父さんも、そうだというの?」

 思わず美由希が口を挟んだのは、その娘とやらに心当たりがあったからだった。

 ギルガメッシュは顔を動かして彼女を一瞥すると。

「そうだ」

 と言った。

「現在のこの世界において、この我に立ち向かうこと以上に道理に反したことなどあり得ぬ」

 あまりにも倣岸極まりない言葉であったが、こんな戦いを見せられては文句のつけようがない。

 もしも、仮に歴代の御神の剣士の全てがこの場にいたとして、この男ならばただの一振りでそれらを吹き飛ばせるのではないか――そう思わせるほどの絶対的な存在。

 この男を前にして御神の剣士であるということなど、大した意味などはない。

 美由希をしてそう思わせた。

 さらに続けて。

「哀れなオルレアンの乙女のように歴史を動かすほどのことでないにしても、その行動、行為がもたらすことが伏線となってその後の人類に影響を与えることもあろう。

 例えば通り魔の凶行で親を失った子が世の理不尽に怒り、正義の執行者となったのならば、その者の始まりは親を失ったことからであり、通り魔がいなければその者はただの一人の凡夫として人生を終えていた。

 あるいは通りがかりの盗人によって財産を失い、それによって生活の糧のため、必要にかられて世のためになる発明をした男がいれば、やはり男は財産を失うということが契機であった。

 そして往々にして、通り魔やら盗人はこういうのだ。

〝魔が差した〟――とな。

 そのほとんどは言い訳でしかないのだろうが、その中に抑止の干渉がなかったとは言い切れぬ」

 

 英雄王は改めて士郎を見下ろした。

 

「貴様は我を排除したいと願っていたこともあるが、抑止が後押しをしなければ直接に刃を向けることなどなかったろう。その程度には分別があるはずだ。自分で勝てぬと解っていながらも挑むなどということはしなかったはずだ」

「それ、は――」

 違う、という言葉を士郎は出さなかった。ただ、心の中でだけで思う。仮に抑止やら世界だかが自分に干渉した結果だとしても、それを選択したのは自分なのだ。自分の魂が彼に挑むということを決定したのだと。

 剣士として、男として、責任を別の何かのせいにすることなどは決してできない。

「しかし、解せぬ」

 ギルガメッシュは高町士郎の内心などには興味が無いように、そう言った。士郎の理由を聞いても、疑問が晴れぬようだった。

「貴様に世界が助力したということは、我を殺すことを世界が望んだということになるが……我がこの時代にいるということがすでに天意によるものだろうに。世界は何を望んでいる? 何を望んでこやつを唆した?」

 あるいは返り討ちさせて、父の死を糧にさせるつもりだったのか――とまで言ってから、「違うか」と呟き、その手に最初の剣を、天之叢雲剣を持つ。

「まあ、よい。

 大方のことは知れたのだ。あとはことの始末だ」

「………はい」

 士郎は目を閉じた。

 こうなることは、覚悟の上だった。

 殺そうとして、殺されることを考えぬ者は剣士ではない。

 恭也や美由希はどうなるだろうか、どうするのだろうかと思わなくはなかったが、ここまでの圧倒的な実力の差を見せられたのだ。いい加減に心も折れて逃げ出す算段をとるだろう。桃子となのはを連れて逃げてくれるかもしれない。

 

 ……心にもないことを考えるのは苦痛だった。

 

 この二人が父の勝てなかった相手だろうと、それで戦うことを諦めるはずもない。

 だから。

「一つだけ、願いが」

「ふむ。――いってみろ」

「罪と責任は、私が全て担うので、家族は貴方に挑まぬ限りは捨ておいてはいただけませんか?」

 それでこの英雄王が情けをかけるとも思えなかった。時代を超えて現れたこの王ならば、罪科の報いを一族全員にとらせようとするくらいは平然としそうだった。

 それでも。

 万が一の気まぐれでこの場だけでも見逃してくれたのならば。

 美由希と恭也は仇をとろうと付け狙うかも知れないが、まず生き延びるのが剣士だとは教えている。

 命を狙ってもギルガメッシュを倒す機会はないかもしれない。いや、きっとない。それならばそれは、二人の命が続くことにも繋がる。

 士郎は自分の希望が儚いものだということを自覚していた。

 だが、どうしても言わざるを得なかったのだ。

 ギルガメッシュはその言葉を聴いて、「ふん」と鼻で笑った。

「まあ、よかろう。

 貴様は一時でも我を愉しませた。その程度の褒美はくれてやってもよい」

 剣を振り上げる。

 美由希と恭也は動けなかった。

 二人は士郎が何を思ってそう言ったのかを察していた。ここでこの男に挑むということは士郎の意志を蔑ろにするということであり、自分の命を無駄にするということだった。

 御神の剣士ならば――命を無駄に捨てるのは許されない。

 命とは、目的を果たすための道具でしかないが。

 だからこそ。

 三人の御神の剣士がそれぞれに覚悟を決めていたが、英雄王は振り上げてからさらに言う。

「しかし、なのはについては、別だ」

「――――――――!?」

「仮初にも我のいる時代において、我をおいて英雄たるべき魂を持つというのは不快だ。

 世界が何ゆえにあの娘をこの時代に生み出したのかは知らぬがな、父である貴様をここまで後押しするほどに重要な存在であるというのならば、いずれ何かの役目を担っているのだろうが――所詮、この時代で英雄となったとしてもたかが知れているというもの」

 

 英雄の格は、乗り越えた試練の大きさに比する。

 

 人の祈りの結露ともいうべき勇者とも戦った。

 地の実りの守護ともいうべき怪物を打倒した。

 天の怒りの化身ともいうべき雄牛をも屠った。

 

 世界を経巡り全てを見た。

 

「その我に比する英雄などは決して現れぬ。それらに匹敵する試練などはありえぬからだ。

 そんな時代に生まれた魂こそは哀れであろう……どの程度のものになるかはまだ解らぬが、あと十年もすればその役割も知れるであろう。見定めた上で、どう処分するかはその時に考える。下らぬ使命ならば、その時は我が命を断ってやるのが慈悲だ」

 

 その言葉を、どう受け止めたらいいのか――。

 士郎の顔に苦悩が浮かんだ。

 覚悟を決めたのに。

 決めたはずなのに。

(せめて、一矢でも報いれれば……)

 神速をかけ――ようとして、全身に激痛が走った。

 筋肉という筋肉が悲鳴を上げた。

 脳に鑢をかけられたかのような痛みが頭蓋に響いた。

「この期に及んで、まだ諦めきれぬか。いっそ見事だ。

 しかし諦めよ。

 貴様の娘は、この腐れた世に何かの目的持って生まれたのだ。その宿命に抗えるか否かは、貴様が決められることではない。 

 なのは当人が――いや、世界の支配者たる我の決めることだ。

 そうだな、もしも――……」

 その時になって、ギルガメッシュは言葉を濁した。

 痛みも忘れて、士郎は英雄王を凝視する。

 恭也も美由希も、どう言っていいのか解らない顔をして父と同じく目を向けている。

 

 あらゆる存在の本質を見抜き、明確に答えを見出せるこの男が、言いよどむことなど――

「そうか」

 振り上げていた手をゆっくりと降ろし、ギルガメッシュは言った。

 

 

「こんな世界でも、間引きをすれば多少は見やすくなるな」

 

 

 三人の御神の剣士は、この男の言っている言葉の意味が解らなかった。いや、解っているはずだが、脳が理解を拒んだ。それは決して彼らにとって許容できないことであった。

 さらに英雄王は続けた。

「倒すべき悪はなく、超えるべき試練もなければ、どれほどに魂を磨こうともいけるところはたかが知れている。

 そうだな、なのはは我の臣下であったな。ならば王たる我が、あらかじめ臣下のために世界を浄化しておくというのも役目の一つか。 

 ふん。――その結論を我に抱かせるために用意した茶番か?

 まあ、よい」

 そして、剣を無造作に放り捨てた。

 天之叢雲剣は砂浜に落ちる前に消失した。

「気が変わった」

「……………?」

「喜べ。使い道のなかったモノの使い道を、今思いついた」

 それはどういう意味であるのか。

 士郎にも解らなかったし、美由希にも恭也にも当然解らない。 

 ただ、解る。

「それを使えば、この時代のこの世界も、幾分かはマシになるであろう。英雄も何も生まれる余地もなくなる。――貴様の娘も、望みどおりの平凡な人生を送れる」

 その顔に浮かぶ笑みの、なんたる美しく邪悪なことか。 

「褒美だ。その命、見逃してやろう」

 英雄王は何処からか取り出したものを美由希に放り投げた。狙い過たずその手に収まったそれは、コルクのようなもので栓がしてある小さな瓶だった。中身に入っているのは青色をした液体だ。

「治療の霊薬だ。それをこやつに飲ませよ。一晩もせず回復する」

 エリクサー……という言葉を美由希は飲み込んだ。

 ざくり、と足音をたててギルガメッシュは背中を向けた。

 月光の下で、静寂の中で、その姿はあまりにも無防備に見えたが、倒れたままの士郎はもとより、二人も立ち尽くしたままで見送るほかはなかった。

 やがて、その黄金の王の姿は夜の闇の向こう側に消えていった。

 三人の御神の剣士は、いつまでもその夜を見ていた。

 


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