「やっはろー。遅かったではないか」
エンジェルなんちゃらが入っているビルの前で妙ちくりんな挨拶をした材木座は少し窮屈そうなスーツ姿でやって来ていた。
いつも着ている暑苦しいコートは着てくるな、Yシャツとジャケットかあるならスーツにしとけと再三言い聞かせた為、みょうちくりんな格好をしてくることはなかったが暑苦しさは健在であり、どんなに着飾っても馬子は馬子だとことわざの例外を垣間見るような格好をしている。
「なんだよ、そのくっそ頭の悪い阿呆のような挨拶」
「いや、ちょっと知り合いが使っているのを聞いてな。それより、いくら着飾っても目は腐ったままで安心したぞ。馬子は馬子だな」
思考が被った事に後悔をしつつ建物の中に入っていく。
建物の中は勿論学生の姿はなく、背広やドレスをぴりりと着こなした男女たちがアバンチュールに勤しむかのように腰を抱きながら歩いている。今更ながらに野郎二人でバーに行くのも十分に敷居が高い事じゃないのかと足取りが段々と重くなった。
「なんだ、今になって怖じ気付いたのか」と不思議とココロを読むような発言を材木座がするものだから、「違うわ!!」と多少ムキになり返してしまった。
「ならば、なんだというのだ?」
「よくよく考えたらさ、男二人でバーってどうよ」
先の失態を取り戻すように出来るだけ低い声で威厳の出るように口にするが、重厚な雰囲気を醸し出しすぎたせいで無駄に悲観的な想像をしてしまい余計に足が重くなった。
それでも一人よりかはまだマシだ。これで材木座の桃色脳内が現実に戻り、帰られでもしたら撤退も辞さない構えだが、杞憂だったようで
「これで居なかったら次はメイド喫茶であろう。そんな尊大な羞恥心と臆病な自尊心を抱えてたらメイド喫茶になんか行けんぞ」
と材木座にしてはやけに正論を言ってきた。
「お前が言うことかよ。てっきり抱えすぎたから熊になったのかと思ったわ」
「はっはっは。面白いことを言うではないか」
「……人選ミスったな」
「人選もなにも、このようなことに誘えるのは我しかいないではないか」
「うるせえ」
「我に秘策あり。紳士の溜まり場よろしく華麗に演じて見せよう」
「……泥舟に乗ったつもりで期待しとく」
その宛にならない自信はどこから来るのか、ぱつんぱつんのスーツで胸を張ったせいでボタンが服との別れを惜しむかのような悲鳴をあげていたが、材木座は意に返さずどしどしと音をたて前へと進んでいった。
◯
「……」
「……」
「……」
意気揚々と扉を開けたまではよかった。
しかし、材木座は場の空気に飲まれたのか、張った胸は段々と猫背になりカウンター席に座る頃には借りてきた猫のように大人しくなっていた。
そのあとは、我ウーロン茶。と小さい声で言ったっきり喋らないで座っているだけである。
秘策があるなどと抜かした泥舟に自分でも意外だったが、おんぶにだっことしがみついていた俺は出鼻を挫かれ、俺もウーロン茶で。と言ったきり話せないでいた。
カウンターにいる人物ーー川崎さんーーにとってもどっかで見たことのあるような未成年風の挙動不審な二人組が目の前に座り、二十分もの間無言でウーロン茶をちびちび飲む姿を見るのは余り目にいい光景ではないと思う。
勿論彼女も無言であった。
このままでは不味い。
まず俺の精神衛生上にも非常に良くない。
もう良いじゃないか、戦略的撤退をするべきだ、というかここにいるって分かったから後日話を聞けば良いだろ。
そう言い聞かせ席を立とうとした時に、何を血迷ったか材木座が
「タイムっ!」
と大声を出して俺をトイレに引っ張っていった。
「いや、何がタイムだよ。向こうにいたおっさんがものそっい目でこっち見てたぞ」
「無理、我、無理。こんなところに居られるか、家に帰る」
盛大に死亡フラグを立て、いやいやと頭を振りながら材木座は取り乱す。
「家に殺人鬼がいないといいな。それよりお前、秘策はどうしたよ」
「我としては、ノンアルコールのシンデレラを奢ってこんな時間まで働いているとシンデレラの魔法も解けてしまうぞ的な紳士的会話をしようと思ったのだ。ウィットにとんだ頼れる大人のオーラでなんか全体的になんとかなると思ったのだ」
トイレに入り問いただしたが、返ってきたのは精神を現実という鋭利な刃物に八つ裂きにされボロボロになりながら涙目で呟く材木座の姿だった。
「無駄に紆余曲折した会話考えてたんだな」
「調べたのだ。きっとこの好機を逃せば恋の邪魔者の称号を返上することはできず、いつか恨まれた人達にアクアラインの人柱として千葉県民を支えることになっちゃうんじゃないかと思って調べたのだ」
「いや返上しないで支えとけって、それに恋の邪魔者としての誇りはどこにいった」
「そんなもんで幸せになれるか」
えずきながら材木座は言った後
「幸せになりたいなあ」
と小さくこぼした。
「言っとくけど、川崎さんには選ぶ権利はあるからな」
材木座は泣いた。
◯
さめざめと泣く材木座をあやし、荷物は後で持っていくから先に帰れとトイレから送り出して、材木座と時間差になるようにトイレを出た。
「お連れのお客様はいかがなされましたか?」
席に座ると、今のところは同級生でなく客と店員の関係である彼女は、距離を置いた接し方で話しかけてきた。
「ああ、役に立たないから帰ってもらった……川崎沙希さん」
「……すみませんがどちら様でしょうか?」
名前を呼ぶと一拍置いた後、訝しげな表情をしながら不機嫌気味の声で言った。
「同じクラスの比企谷」
そういうと彼女は頭を捻らせながら思い出そうとするが、どうやら思い出せないらしい。最終的に頭を降って思い出すのを諦めていた。
嘘みたいだろ、同じクラスなんだぜオレ。
「で、同じクラスのあんたが何でこんなとこに居るの」
涼しげな目元を細めながら聞いてくるその姿は、一昔前の不良やヤンキーといった非社会的な人々と被って見えるが、彼女が遊ぶ金ほしさでこの様な事をしているわけではない筈だと大志から耳にタコが出来るほど聞かされていた。
「あれだ、弟の大志くんから夜な夜な妖しげなバイトをやっているのを辞めさせたいって相談されて」
「怪しくないってわかったでしょ。わかったならさっさと残っているの飲んで帰って」
視線が一層冷ややかになり、いよいよ目で人を刺す事ができるんじゃないかという頃に彼女がまた口を開いた。
「まあ、どうでもいいけど。とにかく辞める気はないから。大志にも言っといて」
お金がほしい理由は人によって無数に存在するが、大まかにふんわりと簡単に分けてしまえば欲しい物があるかやりたい事があるかの二種類だと個人的には思っている。
時給の高いところで働いているところから、ある程度高額の物が必要になり、尚且つ大志から聞いた本来は真面目な性格、部活の有無、両親が共働き等の情報を考えると
「習い事か学費か、そんなところか」
真面目な学生の身で大金がいると言ったら、オトモダチ料か学費等だろう。
半ば当てずっぽうに言ったら、細めていた彼女の目が開かれた。
「……だとしたら何なの?あんたがどうにかできるって言うの!」
怒声と共に肯定する言葉が吐き出される。
これ以上、怒りをみせると髪の毛が金髪になって逆立っちゃうんじゃないか。
「まあまあ、落ち着けって。バイト中だろ」
「誰のせいだと思ってるわけ」
さっきの大声で殆どの人の注目を浴び冷静になったようで、顔は赤くなっていたけど声は小さくなっていた。
「生憎、習い事は守備範囲外だけど学業と稼ぎを両立させる方法ならある」
もし、彼女が塾の代金を稼ぐために働いているならばスカラシップを勧めればいいし、仮に違う習い事や大志の為だとしても上手くやればここでバイトするよりも印刷所の方が実りはいいだろう。
「明日、五時半に通り沿いのワックで待ってる」
そう言って、泣きながら帰っていった材木座のウーロン茶の分まで支払い颯爽と店を出たが、店を出ていくときの俺は客観的に見ても『デキる男さらにイイ男』のそれで、このシーンを見た九割以上の人間が彼は将来ビックになるだろうと答えてくれるに違いない。
そんな人間が今なら無料で着いてきます。
更に世界一カワイイ小町まで義妹になってくれます。
こんなチャンスはめったにありませんよ。
飼うなら今。
一家に一人、比企谷八幡を。
と、深夜の通販番組のような事を考えながら歩いていたら、余程不審者に見えたのかグフグフと笑うシーンを見た国家権力の方々とお話をするはめになってしまった。
◯
そのあとは材木座の言っていたような破廉恥なイベントはなく、自分の塾の代金が必要で働いていたとワックで彼女の話を少し聞き、スカラシップと印刷所を紹介した結果、クラス、印刷所、塾の俺のあまり広くない生活圏の殆どで彼女と顔を会わすこととなっただけである。
それはもう破廉恥なイベントではないのかと怒髪天の諸兄も居ると思うが、まず聞いてほしい。
心の声こそ多弁でゴルディアスの結び目を断ち切る活躍をしているように見えるが、基本的に俺は無口な男である。そして彼女も決して多弁な方ではない。
よって俺と彼女の間に会話らしい会話は発生しない。日によっては「よっ」「ん」で会話が終了する。
しかも、その無言の空間が心地好いかと言われればそうでもなく、彼女の鋭い視線と相まり熟年夫婦的な雰囲気というより補食生物と被食生物の体である。
しかしながら、印刷所内ではそこが良いとでも言うかの如く、彼女は最初こそ下っぱ的立ち居ちからのスタートであったが、その孤高のカリスマ性を持って会員から人気を集めたほか、弟妹がいる会員の為に高校受験のノウハウを網羅する本を作ることを確約し印刷所始まって二番目と言われるほどの人気を集めた。
印刷所の一部の人間は、自分達がグレーなことをしていると自覚しているからこそ、どこかアウトロー然とした雰囲気を醸し出していて、いかにも、顔は止めな。ボディにしなボディに、と言いそうな彼女に惹かれカルトな様を成してまでいる。
そんな彼女の紹介者であり、なおかつ恋の邪魔者と呼ばれる奴とつるんでると思われていて、不真面目な態度の為、印刷所における俺の立場はふんわりとしたものであった。いや、正確にに言えば肩身が日に日に狭くなり、今や猫の額程であった。
そんなある日、リビングで寛いでいた小町が不意に
「んふふ。お義姉ちゃん候補ができたのかな」
と意味の分からない事を言ってきた。
「誰だそれは?もしかして大志とその姉ちゃんの事か?もしそうだとしたらあのナメクジ野郎に塩を撒きに行かなきゃならないな」
いや、例えナメクジ野郎じゃなくて成績優秀、品行方正、文武両道の人物だとしても、小町と付き合っているという事実一つで全て帳消しになり、俺の中ではド腐れ外道に認定してしまうのだが。
小町には軽妙に聞こえるようにおどけた口調で言ったが、丑三つ時の襲撃計画も考えなくてはならない。
「もう、違うよゴミいちゃん。小町じゃなくってゴミいちゃんの方だよ」
「馬鹿なことを言うんじゃありません。大体誰のことだよ」
「さっき言ったじゃん。大志くんのお姉さんだよ。お兄ちゃんのこと良く分かってくれそうだし、どこか似てるというか」
「あのな、俺はもっと繊細微妙でふはふはってして、可愛いもので頭が一杯の女の子がいいのであってだな。何が悲しくて俺に似てたり、俺のことを十二分に理解できるような人と付き合わなけりゃいけないんだよ」
冗談ではない。もし、俺に似た嫁さんを貰いでもしたら確実に俺に似た子供が産まれるのであって、俺に似た子供なら勿論目が濁りに濁っているだろう。
そんな業、子供に背負わせるわけにはいかない。
「そんな女の子がいても、お兄ちゃんに近付いてこないじゃん。現実見ようよ」
俺の妹はたまに物事の本質をついてくることがある。
先程の小町の言葉と今の文との間に間があったのは、決して妹に言われた一言でへこんでいた訳でも、言い返す事が出来なかったわけでもない。
その客観的事実を認め、大いなる懐で包み込む事に多少の時間がかかっただけであり、言葉に詰まったところで諸君らに「全く君は人としての器がお猪口かよ」等と言われる筋合いなどない。
「小町、本質を見抜くのは結構なことだけどな、あんまり本質を突きすぎても幸せになれないぞ」
「小町はお兄ちゃんが元気で居てくれれば幸せだよ。今のポイント高いね」
「確かに今のはポイント高すぎだわ。他の野郎とかにするなよ」
おどけながら言った小町の頭を撫でくり回し、小町曰くのお義姉ちゃん候補に思いを馳せようとする。
確かに彼女は俺の殆どないといっていい今までの女性遍歴の中でも一番話す女性である。
しかし、目付きからも読み取れるが彼女が仕方なしに嫌々しょうがなく俺と話しているという考えもなきにしもあらず。あの中学生の頃の轍をなぞる様な真似はしたくない。
ここは慎重に考えるべきでは無いのか。リスクとリターンを省みて堅実な道へ進み薔薇色のスクールライフを謳歌することを第一として考えるべきではないのか。
しかし、そんな考え方で万が一、スクールライフを享受出来たとしてもそれは、俺が忌み嫌っている関係に違いないだろう。
だが、材木座も誇りで幸せになれるかと嘆いていた。確かに一理も二理もある気はする。ならば、偽りの関係でも可及的速やかになって、それからゆっくりと本当の関係を築き上げるのも一つの手と考えるか。
いや、そんなことを考えている時点で、本当の関係とは言えないのは明白であって……
そこまで考えて、この状況は桃色遊戯の達人でない限り解決する事が出来ないと悟り、結論を先伸ばしにする結論を下した。
○
拝啓
お手紙ありがとうございます。
こうして文を書くのも何ヵ月か過ぎ、季節が移ろいゆく早さに目を見張るばかりです。
今も外では蝉の鳴き声が聞こえて、ああ、もう夏ですねと沁々と思う季節になりました。
妹さんと仲がよろしいのですね。
私にも姉が一人居ますが、そこまで仲が良いわけではないので羨ましく思います。
私も嫌いというわけではありませんが、事あるごとに悪戯をしてきて困ってしまいます。
先日も友人と二人、夏祭りに行ったときにばったりと出会してからかわれてしまい、友人と仲良くしている所を見られるのは少々恥ずかしいと感じてしまいました。
カマクラとは可愛らしい名前です。是非今度見てみとうございます。
私の友人に猫好きの人がいて、この前はペットショップの前で猫に話しかけながら幸せそうな顔をしていました。
普段は理知的な人なので、新たな一面を知れたと私も笑ってしまったらお饅頭の様に膨れられました。
私の家には犬が一匹いて、名前はサブレと言います。この子も大変可愛らしいのですが、少しお転婆さんで手を焼くこともしょっちゅうです。
家族からは、私に似たと少し恥ずかしいような事を言われてしまいました。
私ったら困ったり恥ずかしがったりしていますね。
学校の方はいかがでしょうか?
私の方は相も変わらず、大きな出来事はそこまでなく、学業に追われたりしています。
この間は、両親に連れられて立食会に参加する機会がありましたが、やはりそのような場は苦手で本を読んだり勉強をしたりするのが私には合っているなあと再確認させられました。
私が言うのは余計なことかもしれませんが、しがらみがなく、友人と何処かに出掛けたり学業に精を出すことが出来るのはとても有り難いことだと思います。
高校も半分が過ぎ、そろそろ受験の準備に入られる人も多いと思いますが、貴方ならきっと与えられた機会を生かして自分を高めていかれると思いますので、自分を信じ頑張ってください。
ただ、何をするにしても健康が第一に大切ですので無理はなさらないで。
MAXコーヒーがとてもお好きなのは分かりましたが、貴方も糖分の多く含まれた物ばかりに偏り過ぎず、程ほどに御自愛下さいませ。
では、今回はこの辺りで失礼します。
お手紙お待ちしておりますね。
かしこ
雪浜輝子