五文字事件   作:ふらみか

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三日目

三日目

 

 なんてことのない水曜日の朝だ。

 今日も今日とてだるい身体を無理やり運び、遅刻しないように登校する。

 朝は何でこんなにも忌々しいのか。いや、最近、嫌に朝が嬉しかった日があった。あの日一日だけだったが、あの時は要するに、調子が悪かった。

 ということはつまり、これほどまでに朝が忌々しいのは、調子がいいということだ。

 自らの調子の良さを喜び、登校途中で出会った里志の話を九割ほど聞き流しながら昇降口に到着する。

 そこで、俺の平穏は奪われた。

「……は?」

 上履きがスリッパになっていた。

 一瞬混乱したが、スリッパの上に置いてあった二枚のカードを見て、冷静さを取り戻した。

 手に取り、書かれた文字を読む。

 一枚には、こう書いてある。

『折木奉太郎より、「上履き」は奪われた。怪盗五文字』

 そして、もう一枚には、

『折木奉太郎君へ。この内容は他者に口外しないで欲しい。まずは君に礼を言おう。十文字事件の時はありがとう。ささやかだが、君のために舞台を用意した。だから君も舞台に上がれ。会える日を楽しみに待つ。怪盗五文字』

 と。

「……」

 上履きと共に平穏な日々を奪いやがって怪盗五文字め。とは思わない。

 再び犯行声明カードを眺め、スリッパもあることだし、しばらくはこれで十分だろうと考えていると、後ろから声を掛けられた。

「何見てるの、ホータロー。手紙? もしかしてラブレ……ホータロー、これ、怪盗五文字の犯行声明じゃないか!」

 忘れてた。今日はこいつと一緒に登校してたんだった。

「里志、声が……!」

 振り返ると、千反田並みに目を輝かせた親友の薄気味悪い顔がそこにあった。やめてくれ、お前までそんな目をするな。

 とにかく俺は里志に訴える。

「声がでかい! 壁新聞部なんかが嗅ぎつけたりでもしたら、大変なことになるぞ……!」

 結論から言おう。遅かった。

「怪盗五文字はこちらですか!?」

「うおぉ?!」

 どこからやってきたか、小さなメモ帳とボールペンを持った女生徒が俺のすぐそばに立っていた。ボールペンをマイクに見立てて握り、こちらへノックする方を向けている。少女の後ろには、インスタントカメラを持った女生徒がこちらにレンズを向けていた。バシャリと音を立てる。

「ま、待てお前ら」

「犯行はいつお気付きに? 今の心境は? あなたってあの有名な探偵さんですよね? これはもうVS怪盗五文字ですか!? 意気込みを一言!」

 バシャリバシャリ。いや、表情を変えてないんだから、そんなにシャッターを切っても仕方ない気がするが。というか、あの有名な探偵ってなんだ。どこぞの漫画か。

「これでもう無関係とは言えなくなったね、ホータロー。観念した方が良さそうだよ」

「おいお前まで……」

「僕は千反田さんに言ってこよーっと。面白くなりそうだ」

「待て里志!」

「あーもー動かないで下さい! あなたの取材はまだ終わってません!」

「ふざけるな! はーなーせー! 行くな里志! 千反田に言うんじゃないぞ、おい!!」

 走りながら手を振る福部里志を見て、俺は思う。裏切り者……。

 結局俺は、遅刻ギリギリになるまで女子記者もどきたちに解放されなかった。なかなかにしつこい二人であった。もう会いたくない。

 

 

 

 昼休みまでに、俺の騒ぎは広がりきった。いや、むしろもっと早い段階で噂は端まで届いていたのかもしれない。

 一時間目の熱血教師には「おい折木、イジメとかじゃないんだよな? もしそうだったら、俺に言え」といらぬ心配をされ。二時間目の眠そうな女教師には「まぁ、そういう日もあるわ。スリッパが嫌だったら職員室に来なさい。予備を貸してあげる」といらぬ気を遣われ。三、四時間目の教師たちは何を思ったのか、揃って「今回はもう推理してあるんだろう?」としつこく聞いてきた。あげく、休息を取るべき休み時間には、朝の女子記者もどきたちがまた押しかけてくるから、俺の平穏な一日は見事に怪盗五文字に奪われたのである。

「勘弁してくれ……」

 昼休みの現在、俺は、昼食も適当に済まして机に突っ伏していた。ちなみにさっきまで、適当な会話をする者から挨拶を交わす程度の奴まで含め、クラスメイト全員に慰められていた。髪はもうぼさぼさだ。なぜ撫でるのか。俺、気になりますけどあんまり知りたくありません。

 一応分かるよ。これは「自分達は犯人じゃない」ということを伝えようとしたんだろう? イジメ的な意味での疑いも晴らすつもりだったんだろう? が、これじゃあむしろ疑いたくなる。基本的には大丈夫なはずなのだが。

「はぁ……」

 さすがにここまで騒ぎが大きくなるとは思っていなかった俺は、ふと呟きたくなった。

「怨むぞ、怪盗五文字……」

 ああ。あと十分くらいであの女子記者もどきたちが来るんだろうな。逃げるか。いや、結局次の次の休み時間にも来るだろうしな。逃げても無駄か……どうせ次の授業では、教師にいらぬ気を遣わせられるんだろうな……。さらに放課後には好奇心の猛獣を相手しなきゃいけない。あいつが欠席する連絡も、里志や伊原から貰っていないしな。ほぼ確実だ。……もう帰りたくなった。お布団が恋しい。

 さすがにそんな事を口に出せる訳もなく、俺は心の中で早退したいと念仏のように呟いていると、俺の目の前にセーラー服が立ち止まった。突っ伏しながらなので、机の表面目線だ。

「折木さん!」

「……」

 ああ、神よ。救いは無いのですか。せめて放課後にしていただけませんか。入須先輩、あんたの御守り効き目ゼロだちくしょう。

 観念して、俺は身体を起こす。突っ伏したままだと、その、目線に困るのだった。

「悪い千反田……今はそっとしておいて」

「ダメです! 私もう押さえられません!!」

 ほう。中々に珍しい。お前が俺の様子を見てもそこまで歯止めが効かなくなるなんて。最近は俺のことも少しは気にかけてきたり、ブレーキができるようになったと思っていたが。……正直、その姿を見ていると罪悪感が生まれるので、結局俺が「遠慮するな」と言うまでが一連の流れとなっている。

「私、許せないんです!!」

「なに?」

 さすがにその言葉には、俺も怪訝な目を向けざるを得なかった。気になります、と言うと予想していたからだ。教室内も、千反田の言葉によって静寂が生まれる。

「怪盗五文字のことです!」

「なにが許せんのだ」

「折木さんの上履きを奪ったことです!!」

「はあ」

 里志め、本当に言いやがったな。

 ここから三分ほど千反田の熱弁があったが、省こう、うん。

「そろそろ落ち着け千反田」

「いいえ落ち着きません!」

「周りの目と時間を見ろ」

「ええ? ……あら、私ったら」

 今は昼休みだから、教室内にいる生徒は数人だけ。周囲の目の数は気にならないが、その目がなんというか……父性や母性を感じさせる眼差しだったように思える。憐れんでくれるのなら、手を差し伸べてくれたって、いいじゃないか級友たちよ。

 千反田はそれらに気付いたか、みるみる顔を赤くする。見ていて面白い。が、ひとまずここは。

「向こうで話そうか」

 退散することにした。廊下に出ると、いつも通りの喧騒が広がっている。

「あの、すみません。お恥ずかしいところをお見せしてしまいました」

「そういう時もある」

「それで、ですね……」

 千反田的に失態を働いた後だ。おおかた本来の目的を言いにくくなっているんだろう。こうなると、俺に残された台詞はこれしかない。

「構わず言え。お前らしくもない」

 はい、これが所謂一連の流れでした。スイッチの入った千反田が目の前に来てしまったが最後、詰みなのだ。

「そう、でしたね。では……先程言いました通り、私、怪盗五文字さんがどうしても許せないんです」

「のようだな。俺は別に気にしてないんだが」

「なので、捕まえましょう!」

 言うと思ったよ。俺の言葉を無視してまで訴えてきたのは珍し……くもないな。つい最近あったような気がする。あり過ぎて思い返せない。

「……はぁ。正直乗り気じゃないんだがな。今回ばかりは無関係だと言ってられないのも事実だ」

「ということは……!」

「分かった。ただ、捕まえられなくても文句は無しだ。俺としては、上履きを返してもらえれば満点なんだから」

「はい!」

 挑戦状みたいなものを突き付けられていれば、動かなくてはいけない……のかもしれない。正直、無視したいところではある。個人的には「やらなくていいことはやらない。やらなければいけないことは、手短に」の「やらなくていいこと」に分類されると思っていたこの事件だが、本日付で「やらなければならないこと」に分類された。面倒だが、仕方ない。こうなれば、さっさと終わらせてしまうに限る。

「まず、そうだな……」

 辺りを見まわしたが、里志も伊原もいない。昼食をとっているだろうから、当たり前か。

「行きたいところがあるんだが……」

 千反田を使おうと思ったが、目的が目的だ。理由から説明しなきゃいけないだろう。そんな面倒は御免被りたい。となると、俺の代わりに情報を集める人間がいないのなら、俺が行くしかない。

「どこでしょう? ご一緒に」

「ああっと、その前に。千反田、昼飯は食ったか?」

「お昼御飯、ですか? ……あ、そういえば私、まだです」

「だったらお前はまず食べろ。俺一人で済ませてくるから」

 自分で言ってて、どこが省エネ主義かわからなくなる発言だった。手短に済ませるのだから、まぁいいか。

「そんな……これから折木さんが何をしようとしているのか、私、気になりますよ」

 その説明を省きたいから千反田を外したいんだ。時間が惜しい。女子記者もどきたちに追われたくはない。

「昼食はとるべきだ。俺に付き添って昼飯を食わなかったのが伊原にばれたら、俺が怒られるんだ……。何をしたかは、放課後言うから。今は昼食を優先しろ」

 千反田は不機嫌そうにこちらを睨んでいる。頬までふくらましていて、ハムスターを思い浮かべた。意地悪したくて言っているわけではないんだ、許せ。

「……絶対、後で教えてくださいよ?」

「ああ、約束する」

 千反田が観念して自分の教室の方へ向かっていく。途中で一度振り返り、「絶対に絶対に、教えてくださいよ!」と叫んだのは予想していたことだ。俺は適当に手を振って流させていただいた。

「……さて」

 動かなくてはいけなくなってしまった以上、手短に済ませよう。改めて里志や伊原辺りを頼りたくなったが、そっちを探すとなっても二度手間だ。たまには動くか。友を頼り過ぎてボイコットされても仕方あるまいし。ならば早めに動こう。ここに居ても、女子記者もどきたちが来るだけだし、逃げるには好都合だ。

 スリッパで歩きにくいのを我慢し、俺は三年の教室の方へ向かった。

 

 

 

 目的の人物へ辿り着くのに、そう大した労力はいらなかった。二人の女生徒を辿り、話があると言って呼び出した。今は廊下でそいつが来るのを待っているところだ。見知った顔なんだから、向こうも警戒せずに来てくれるだろう。

「お待たせしました。何かご用ですか?」

 来たな、江波倉子。前に会った時……思えば去年の文化祭前以来だが、外見も性格も変わっていないようだ。彼女からは事務的な雰囲気を感じる。

 俺は入須に激昂した後、千反田を頼り、本郷に頭を下げた。あの時は結果として、本郷の作品を消してしまったのだ。俺の謝罪を聞いて反応したのはその場にいた江波だった。「許しません」と呟かれ、俺は冷や汗を流したんだったな……江波はすぐに涼しい顔をして「冗談です」と言ったが、声のトーンは本気だったような気がする。本郷からは、そう言ったことは言われなかった。江波の、本郷に対する評価は確かなものだったんだろう。俺は本郷の性格に救われたわけだ。

 今も本郷とはよろしくやってるのだろうか。千反田なら遠慮なく尋ねるだろうが、聞かなくていい事なら聞く必要は無い。

「入須先輩のことで、少し聞きたいことが」

 一昨日、入須冬実は「私に何か用があれば江波を頼るといい」と言っていたはずだ。入須も入須で本郷の作品を握りつぶしたのだが、江波とこういうやり取りをしているところを見ると、収まるところに収まったのだろうな。入須に深い思い入れがあるわけではないが、溝が入ったままではないのは喜ばしく思える。

「入須のこと……何でしょうか」

 江波は、決まった受け答えテンプレートでもあるのだろうかと思わせるほど、スムーズに答えてくれる。もしそんなものがあるのなら、ぜひとも我が省エネに取り入れたい。が、今は目的を見失わないようにしよう。

 回りくどいのは苦手なので、単刀直入に聞きたい事を述べる。

「いくつか質問します」

「はい」

「まず一つ。入須先輩が昨日から欠席するということを、江波先輩は正確に知っていましたか?」

「はい」

「次に。入須先輩が欠席する日程を正確に知っているのは、江波先輩の他に誰か居ますか?」

「分かりません。入須に聞いてみないと、なんとも」

 これは聞き方がまずかったか。

「言葉を変えます。江波先輩の周りで、入須先輩が欠席する日程を正確に知っている人物に、心当たりはありますか?」

「私の知る限りでは、ありません」

 ふむ。今必要なものはそろった。案外ややこしくなったかもしれない。

 俺がしばし思考していると、江波が声を出した。

「もしかして、私を疑っていますか?」

 それは違う。訂正させてもらおう。

「いいえ、疑ってはいません。ただ、可能性としてはあり得るかな、程度には……間違っていたら、すみません」

「そうですか……。あなたの推理なら、おそらく間違わないでしょう。ただ、私ではないです」

 だろうな。江波の全てを知るわけではないから何とも言えないが、彼女はこういったことをしそうではないと思う。

「ご協力、ありがとうございました。お話は以上です」

「そうですか」

 答えてから、少し考えるようなしぐさを江波がする。と、小さい言葉が聞えた。

「……あなたに疑われるのは、辛いですね」

 そりゃあ疑われていい気はしないだろう。

「すみません……」

「私の疑いを晴らして下さい。お願いします」

 ぺこりと聞こえてきそうなお辞儀をされる。身長からか、小動物を思い浮かべた。

「分かりました。なんとかします」

「よろしくお願いします。……もう戻ってもいいですか?」

「ええ。すみません、尋問する様な形になってしまって」

「いえ。私は楽しかったですから」

 楽しかったのか……。とてもそうは思えなかった。まぁ、これも事務的な返しなのかもしれない。社交辞令というやつだろう。もし仮に、次に話す機会ができたとしたら、受け答えテンプレートを教えてもらおう。きっと便利だ。そう思えるくらいに、江波と話している時は省エネで居られた。千反田や里志もこれくらいに手間が省ければいいのだが。

 江波はじっとこちらを見て、不意に言葉を漏らした。

「なんだかもう解決していそうな顔つきです。去年の十文字事件も、あなたが動いていれば、解決したかもしれませんね」

 反応に困る。今のは思い返していたのだろうか。分からなかった……。もしかして、江波なりに、他愛のない話をしてくれたのか? 哀想よく返せばよかったが、生憎と俺には返せるだけの哀想を持ち合わせていない。苦手なんだ、哀想笑いというものは。

「では、私はこれで」

 俺が返しに悩んでいると、江波は教室へと戻っていった。俺もそろそろ戻らないとまずいかなと思った時、例の女子記者もどきたちが追っかけてきたのは言うまでもない。

 

 

 

 夕日差し込む神山高校。すでにここには、学業よりも部活動にいそしむ声が溢れかえっていた。

 俺は予定よりも遅く、部室に到着する。女子記者もどきたちがあんなにしつこいとは。あいつら、同じ質問を何回繰り返せばいいと思っているのだろうか。今度壁新聞部に訴えてやる。いや、これもエネルギーを消費するだけか。

 やっぱり帰ろうかとも思うが、どうせ千反田は聞きに来るだろうし、ここで帰れば「どうしてあの時帰ったのか」と小一時間説教されそうである。面倒が増えるのはいただけない。

 俺は本来この時間、消費したエネルギーを少しでも回復させる時間にしている。そういう視点で見ると、部室で過ごす時間は八割気に入っていた。

 ただ、なんだかんだでこの部室、残り二割に触れることが多い。特に好奇心の猛獣、千反田が居ると、その二割はほぼ十割になる。

 その十割になってしまう二割は、面倒な謎解き……いや、推論披露の時間で、エネルギーをとてつもなく消費する。できれば避けたい時間だが、十割になってしまうので避けられない。

 それさえなければ、この部室は天国に一番近い場所になるというのに。ごっどいずのっとひあー。

 うだうだ考えても仕方ない。俺は意を決して、扉を開けた。

「今日に限って全員居るのか……」

 先に断っておくと、本日は残念ながらその二割だ。入る前から分かっている。五文字事件の事を話さなければいけない。

「随分と遅かったじゃないかホータロー。逃げ出したかと思ったよ」

「こんちわです、折木先輩」

 大日向もいる。こいつもここが気に入ってるようだ。いいことだ。

「正直逃げ出したかったよ。事実、さっきまで逃げてたしな」

 あの女子記者もどきたちからな。

「そのまま帰っちゃえばよかったのに」

 へいへい。

 伊原摩耶花の言葉にはいつも棘がある。昔から変わらない。見た目も、あんまり。慣れが悲しいものだとは思わなかった。

 俺は自分の定位置に鞄を置いて、どかりと座る。ああ、疲れた。

「折木さん、折木さん! さっそく教えてください!」

 千反田が机越しに詰め寄ってきた。今は疲れてるんだ、手加減して欲しい。

「落ち着け」

「はい! 落ち着きました! それで、お昼休みの時、どこに行ってたんですか?」

 落ち着けてないぞ、それ。

「どうせつまらんぞ」

「いいから早く話しなさいよ。待ちくたびれてるんだから」

 伊原に話す約束はしてない。

「……昼は江波倉子に話を聞きに行っていた」

「江波倉子って江波先輩? 元二年F組の?」

 突然に出た懐かしい名前に、里志と伊原は目を丸くしていた。大日向は、そりゃあ知らないか。

「江波先輩というのは、去年、僕らが文化祭で協力した二年F組の女子生徒の一人だね。あ、去年の、二年F組だからね」

 里志の説明に、大日向はへぇと声をあげた。説明ありがとう。助かったぞ、親友。

「で、折木先輩はその江波先輩に何を聞いたんですか?」

「入須冬実の欠席を正確に知っていたか」

 俺の言葉に、里志は張り付けた笑顔を剥がした。気付いているのだろうか? 聡い奴だからな。あり得る。が、違うぞ。

「言っておくが、江波が犯人だとは思ってない」

「な、なぁんだ。びっくりしたよ。ホータロー、いきなり事件解決するのかと思っちゃったじゃないか」

「ちょ、ちょっとふくちゃん、どういうこと?」

「私も、どうしてそこで江波先輩が出てきたのか、気になります」

 いやお前は分かるはずだろ、千反田。

「千反田。一昨日、入須がここに来ただろ。用件があれば江波を尋ねろって言っていたじゃないか」

「ええ、仰っていましたが……」

「あの、話の途中ですみませんが、さっきから出て来てる入須先輩って、あの入須先輩ですか?」

 大日向がおずおずと手を挙げた。俺たち四人は、揃って頷く。大日向は何かに感心したのか、「おお」と感嘆の息を零した。というか、時々出てくる「あの」ってなんなんだ。一体どんな話を広げてるんだ、お前らは。

「話を戻そう。二日目の怪盗五文字は、入須冬実をターゲットにしただろう?」

「うん。これがその時の犯行声明だね」

 里志は机にカードを置いて、皆に見せた。さすがと言うべきか。良く持っているなと感心せざるを得ない。

 カードにはこう書いてあった。

『「入須冬実」は奪われた。怪盗五文字』

「入須が欠席の詳細を言いふらしていれば、この事件は誰でもできる事件になる。だからその可能性を排除したかった。それに千反田。一昨日、入須が来た時、お前は先輩が県外に行くことを知らなかったよな?」

「はい。確かに私、知りませんでした」

「入須も話してはいないという口ぶりだった。ということは、どんな用事があるのか知らんが、言いふらしていることじゃないんだ。その確認を込めて、江波に聞きに行った」

 どれだけ多くの人間が、入須冬実の欠席を正確に把握しているのかを。

「やっぱりホータロー、江波先輩を疑ってるじゃないか」

「違う」

「ふくちゃん、さっきからそれ、どういうことなのよ?」

「えっとね摩耶花。怪盗五文字は、欠席者を選んで、あたかも盗みだしたように演出したんだ。ということは、事前に欠席を知ってないと、犯行声明なんて出せないってことさ」

 千反田と伊原がなるほどと声を漏らした。いや、今まで事件に関わってきただろ。これくらい分かると思ったんだがな。それとも俺の説明不足か。二人とも里志と同じ位に聡いのだから、おそらく後者だろう。

「とにかく、聞いたんだ。入須の欠席の詳細を知っていたのか、と。江波は二言で肯定した。一応、他に欠席を正確に把握している人物に心当たりはないか、とも聞いたが、心当たりはないそうだ」

「それじゃあやっぱり……」

「疑っちゃいないと言ってるだろ。お前もしつこいな。まぁ、可能性が拭えないのは確かだが。ともかく、今の段階での推論は、こうなる」

 一呼吸置く。皆も、俺が話すのを待っているようだった。

「もし、怪盗五文字が入須冬実の欠席を知らなかったとしたら。

 それはあまりにもリスキーな賭けだ。

 入須が出席してしまったら、犯行が台無しになってしまう。里志が言ったように、演出が薄らいでしまうからな。

 だが、怪盗五文字は入須を選んだ。

 これは、『入須冬実の欠席を、前もって正確に知っていた』ということの裏付けになる。

 それに江波の証言を加えよう。

『入須冬実の欠席を、前もって正確に知り得る人物は、そう多くない』

『江波倉子が知り得る限りでは、正確な日程を知っている人物に、心当たりはない』

 さらに千反田の言葉も加える。

『親しい千反田でさえ、入須が欠席することは事前に知らなかった』

 まぁ、結局昨日、入須が俺たちに欠席することを伝えたということは、秘密にする必要もないことなんだろう。ある程度親しい人物なら、聞けば教えてくれるかもしれない。

 それでも、見ず知らずにペラペラ話してしまうほど、あの入須冬実は軽くない。分かるよな、これは。

 となると、怪盗五文字はかなり絞られる。

『入須冬実とそれなりに親交があり、欠席の日程を正確に把握できた人物』だ」

 こんなものか。学校を欠席しているにもかかわらず、事件の鍵になっている入須の存在感にいやな寒さを覚える。まさか入須が仕組んだことじゃないだろうな、今回の事件……。

「でも、入須先輩って、結構顔の広い人よね? もしかしたら江波先輩の知らないようなとこで、欠席の詳細を誰かに伝えているかもしれないんじゃない?」

 伊原の言う通りだ。可能性は、無くは無い。俺も言ったように、ある程度親交があれば、聞けば教えてくれる可能性はある。

「そこで、より絞り込めるように、新しい情報を加えよう。最初の犯行はなんだった、里志」

「壁新聞部の『赤いサインペン』だね」

 そうだ。

「怪盗五文字はターゲットさえ『あいうえお順』になればいいと思ってる。実際、入須の次は俺の『上履き』だ。十文字事件よりも条件は遥かに緩い」

「それが新しい情報ですか?」

「考えてもみろ。どうして怪盗五文字は入須冬実なんていう人を狙ったんだ?」

「派手に見せるためじゃないかな? 人も含まれれば、怖がる人も出てくるし」

「それもあるだろうが、そうじゃない。怪盗五文字はわざわざ入須を選んだんだ。他にも『い』から始まるものはたくさんあるのに、『入須冬実』を選んだ」

 例えばこの地学準備室にある「石(資料)」も含まれるだろうし、十文字事件の時は「石(碁石)」が被害にあったはずだ。石ばっかりだが、他にも「インク」や「印刷機」でもいい。印刷機はでかいかもしれんが、怪盗なら盗めるに違いない。それぐらいやったって罰は当たらんぞ、怪盗。

「そこに何か意味があると、俺は思った。ただ欠席を知っていたからだけじゃない。入須を選べば、自分に近付かれるのを知ってて選んだんだ」

「……ホータロー。それって『怪盗五文字が捕まえてみろって言ってる』、そう言いたいの?」

「ああ。これを見て欲しい」

 俺は、俺から安寧な日々を一瞬にして奪った犯行声明カードとメッセージカードを、里志が出したカードの横に置いた。

『折木奉太郎より、「上履き」は奪われた。怪盗五文字』

『折木奉太郎君へ。この内容は他者に口外しないで欲しい。まずは君に礼を言おう。十文字事件の時はありがとう。ささやかだが、君のために舞台を用意した。だから君も舞台に上がれ。会える日を楽しみに待つ。怪盗五文字』

「なんだ、もう一枚あったんだ。なるほど確かに、これは挑戦状みたいだ」

 みたい、じゃなくて、挑戦状だろうな、多分。

「入須さんのもそうですが、デザインはどれも十文字事件の時と瓜二つですね」

「ちーちゃんも思った? 私もさっきから思ってたのよ」

 千反田がそういうなら、間違いないだろう。伊原も同意しているし、確定だ。かくいう俺も、同じ事を思ったのだった。自信はなかったが、千反田の言葉で確信に変わった。

「今の千反田と伊原の発言を加えると、一年の可能性はほぼ消えたと言っていい。十文字事件で使われた犯行声明カードを見ていないと、このデザインにはならないからな」

「あの、たびたびすみません。十文字事件っていうのは……?」

 そこに食い付くか。俺は頭を掻きながら、言葉を慎重に選ぶ。

「えーっとだな……似たような事件が去年起きたってことにしておいてくれ。詳しくは言えない。すまんな、大日向」

「いえいえ、そんなそんな。分かりましたので、どうぞ続けてください」

 気を取り直そう。

「こっちのメッセージカード。ここを見て欲しい。『十文字事件の時はありがとう』。これは何だと思う?」

「怪盗五文字さんはきちんとしている方なんですね。少し見直さないとです」

 千反田よ。違う、そうじゃない。

「質問を変えよう。俺が十文字事件で礼を言われるようなこと、何かしたか?」

 三人が唸りだした。俺もだいぶ唸ったから、同じだけ唸れ。

「ないね」

「ないわ」

「ないですね」

「ですって、折木先輩」

 案外に即答だった。お前ら酷いな。もう少し思い返してくれよ。俺は授業中ずっとそれを考えたんだぞ。

「あーつまりだ。俺はそんなことした記憶はないが、怪盗五文字はそう思っている節がある。事件で礼を言うとすればなんだ?」

「えーっと、犯人を捕まえてもらった。憎いやつを巻き込んでくれた。あとは……慰めてもらった?」

 確かに、伊原の言っていることは正しいんだが、そのうちの一つは犯人側じゃないか。

「言っておくが、伊原の二つ目は、その時の犯人に言えることだろ。そいつは除外。俺は犯人じゃないからな。一つ目も三つ目も心当たりはない。少し、あの事件の特色を考えてくれ。礼を言うとしたら、どんなことで礼をいいたくなる」

 十文字事件は表向き未解決だ。それでも、終わってから誰かにお礼をいいたくなるのは、どんな時だ。

「あ、盗まれた物が戻ってきた時ですね! かほさんも、折木さんにはぜひお礼を、と言っていました」

「俺は何もしてないがな。まぁそれは置いておく。これから言えるのは、こうだ」

 身体の中の空気を入れ替え、

「十文字事件の関係者が、怪盗五文字」

 断言する。

「それだとだいぶ絞り込めるね。被害に遭ったのは九の部活動だ」

「それに、さっきの江波先輩と入須先輩と千反田先輩の要素を入れると……」

 大日向の言葉には、俺が続けた。

「怪盗五文字は入須冬実と親しく、彼女の欠席日程を正確に知っている。そして、十文字事件の関係者で、俺が色々考えていたことを知っている人物、となる」

 千反田と大日向は酷く感心しているようだが、そんな場合ではない。聡い伊原と里志は、既に気が付いているようだ。

 俺は二人の方を見て、目で伝える。

 今はここで終わっておいてくれと。

 伝わったか伝わらなかったか定かではないが、気が付いた二人を含め、結果として四人ともが黙ってくれた。助かった。俺はもう一度深呼吸する。背もたれにもたれかかると、血の流れが落ち着いたように感じた。喋り過ぎたようだ。

「さすがだね。ホータローの上履きを盗んだだけで、ここまで追い込まれる怪盗五文字も可哀想だよ」

 どうだかな。追い込んでくれと言わんばかりだ。むしろ喜んでいるのではとも思う。怪盗五文字が何を考えているのかは分からないが。

 今日のエネルギー消費は予定より多くなってしまったので、もう何も考えないようにしようと決意した。

「でも、まだ三つ目よ? 決めつけるには早過ぎない?」

 考えたくないって決意したばかりなんだがなぁ。察してくれよ、伊原。

「忘れないで欲しいんだが、今回のこれはたった五文字なんだ。もう三つ目。折り返し地点なんだよ」

「ああ、そうだったわ。十文字事件のイメージがどうしてもあるから……」

 あっという間に騒ぎを学校中に広げ、あっという間に終わるような事件。ということは、もしかすると、最初に壁新聞部を狙ったのは、自分の存在を全校生徒に知らせるためか。あえて言う必要はないから言わないが。

 文庫を読もうとしたが、疲れたので下校時刻まで眠ろうと思った。

 突っ伏す。机は冷たい。

 と、里志がこんなことを言い出した。

「ホータロー、僕らも容疑者になるよね」

「「えっ」」

「入須先輩と話ができるくらいには通じている。十文字事件の被害側だし、ホータローが色々考えてたの、知ってるし」

 もちろん、こいつらは違う。だってお前ら、入須冬実の欠席日程知らなかったろ。

 これは里志のジョークか。それとも俺の考えを汲み取って、話を逸らそうとしてくれているのか。

 ここはありがたく乗らせていただこう。日頃バカにされていることもあるし、少しは焦らそうと思った。

「ようやく気が付いたか。おやすみ」

「「ええっ!」」

 乗ってきたな。その方が真実から離れてくれる。今はそうしてもらいたい。

「お前らが入須の欠席日程を知ってるか知らないか、それを調べる術は無い。俺は信じるしかないわけだ。ま、安心しろ。可能性の話だ。ああ、大日向、お前は元から白だ。おやすみ」

「分かってますよ、折木先輩。おやすみです。災難ですねぇ、皆さん」

「ちょ、ちょっと待ってよ! さすがに私、そこまで入須先輩と仲良くないわよ! それに欠席なんて知らなかったんだから!」

「私だって、入須さんの用事を知らなかったじゃないですか!」

「僕はホータロー相手にこんなことしてみたいけどね」

「安心しろって言っただろ。元から疑っちゃいない。言い出したのは里志だ。怒るならそっち。おやすみ」

「ええっ、そこで僕にふる?! あ、あれ? お二人さん、何かな? ああ、ジト目って可愛いなぁ! もうちょっとだけ棘がないジト目の方がいいかなー、結構ちくちくって痛い痛い! って物理的に痛いよ摩耶花! グーは無しだってこの前言ったじゃないか!」

「知らない!! 少しでも折木に疑われる痛み、分かりなさいよね!!」

 なんだそれ。俺から疑われたら痛いのか。世紀の大発見じゃないか。あ、いや、そう言えば江波もそんな事を言っていたな……。ああ、疑われるのは辛いってことか。俺は一つ賢くなりました、父上母上。

 騒がしい奴らを尻目に、俺はまどろみに沈んでいく……ふりをして、さらに考えることにした。疲れてはいたが、この騒がしさでは休めそうにない。

 犯人が誰か、というのは、ついさっき分かってしまった。現時点で一人しかいない……と思う。俺が見落としていなければ、だが。

「……」

 おそらく、俺は困る。未来は分からないが、予感はする。

 犯人の目的が分かればいいのだが、どうも意図が伝わってこない。ただ騒ぎを作りたいだけ……だとは、どうしても思えないのだ。そっちの方がまだいいだろう。そっちであってくれと願うが……願うだけ無駄だと思う。

「……はぁ」

 やはりメッセージを正しく受け取らなくてはいけないんだろう。

 あの十文字事件の時のように。


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