新月の悪魔(かごの悪魔三次創作)   作:澪加 江

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月は満ち欠けを繰り返し、月日は巡る

 

神聖な空気が支配するナザリック地下大墳墓の第九階層にあるギルドメンバーの居室。その中の一室は今、扉が全開にされ、部屋の中にいる者たちの楽しげな声が廊下にまで聞こえていた。

そんな普段は静寂を良しとする空間に響く無作法な音に、守護者統括であるアルベドは眉根を寄せる。あの平原でのウルベルトの活躍後、モモンガと共に同席した人間との建国に関わる打ち合わせも終わり、ナザリックを母体とした国は建国された。後は周辺にある国に反感を抱かせない様慎重に、しかしシャルティアを洗脳した愚か者共には相応の制裁をくだしながら他のメンバーを探すだけ。という計画になっている。

アルベドはその愛するモモンガの計画に賛同しかねるが、彼の悲願だというのならば軋む心を押さえつけて支える。

それが良い妻というものだからだ。

 

扉が開放されているのは至高の41人の居室の一つ、最強の魔法詠唱者であるウルベルトの部屋だ。その部屋の前には高レベルなコキュートスの部下が門番がわりに詰めている。その間を一般メイド達が入れ替わり立ち代り出入りしているのを見て、アルベドは何が起こっているのかと眉をひそめる。

メイド達の手には宝物庫から取り出されただろう幾つものデータクリスタル。色とりどりの生地に宝石類。果てはレアメタルのインゴットまで。何事かと少し歩調を早めたところで、最古図書館から普段出ないはずのNPCが大きな紙を持ってやってきた。

 

「丁度良かったわ、ティトゥス。一体ウルベルト様の部屋で何が行われているのか教えて貰えるかしら?」

 

自分がここに呼ばれた意味が解らず、疑問形の言葉に最大限の圧力を込めて問う。圧力をものともしない司書長のティトゥスはその骸骨の顎をカタカタと震わせる。嘲りなどの負の感情見えないので、きっと軽快に笑ったのだろう。

 

「これは守護者統括殿。残念ながらその様な無粋な真似はできません。是非、中にお入りになってモモンガ様から直接お聴きください」

 

失礼いたします、と軽く頭を下げて図書館の方に向かう背中を見送り、改めて部屋に注意を向ける。部屋の中に感じる至高のお方の気配はふたつ。待ち望んでいた盟友の帰還に喜んでいたモモンガがウルベルトの部屋にいる事は不思議でもなんでもない。

しかし、改めて意識するとその事に心中が穏やかではなくなる。

やはりあのお方にとってはNPCなどよりも、ナザリックを捨てた仲間の方が大切なのだと見せつけられている気分になる。メイド達の邪魔にならない位置で開かれた扉を叩く。いくら開放されているとはいえ、ノックも無しで入るのは守護者統括として礼がなっていないだろう。すぐに部屋の持ち主であるウルベルトの声で入室の許可がおりる。失礼します、と言葉だけは丁寧に中に入った。

部屋の中に居たのは予想通りウルベルトとモモンガ。そして今日の至高の御方当番である一般メイドの二人。そこまではいつも通りなのだが、今日はそれに追加して他の一般メイドも三人。ウルベルト──正しくはカシュバの伴侶であるアルシェ、そして重要な仕事を何件も抱えているはずのデミウルゴスまでいた。

 

「よくきてくれたアルベド」

 

真っ先に声をかけたのは部屋の持ち主であるウルベルトだ。先日の一件以降、カシュバとウルベルトの力関係は完全に逆転し、今では主人格がウルベルトになっている。それでも、見た目は人間だし、強さは戦闘メイドの域を脱していないので強さだけを考えてもかつてとは程遠い。今ならば赤子の首を捻るくらい簡単に相手にできるだろう。

 

「ウルベルトさん、アルベドも呼んだのか」

「当たり前だろう。彼女に関係のある大事な事だ」

「それは……そうなんだがな」

 

弱った風なモモンガに軽い調子で声をかけるウルベルト。二人はそれぞれウルベルトの部屋にある革張りのソファーでくつろいでいる。肘置きの正面部分に幼体のサラマンダーの頭蓋骨があしらわれたそれは、最近デミウルゴスが自分の創造主の為に作ったものだ。最も好む建材は骨と言っていた彼だが、現在の主人の体に合わせて座面は柔らかいクッション製だ。それを快く受け取って貰えたのだとこの間、自慢気に言われたのを思い出して歯が軋む。アルベドも自慢の裁縫技術で作ったクッションの一つでも献上したら……と、思考が明後日の方向にずれていく。

 

「んん! まあ、とりあえずこちらに来いアルベド」

 

モモンガの声で意識を戻したアルベドは周りを見回す。他のしもべ達はそれぞれ布やら宝石やら本やらを開いて二人の至高の御方々の側に跪いていた。アルベドは自分がどうするべきなのかと悩んだ後に、モモンガの側に膝をつく。

 

「それで、ウルベルト様達は何をなされているのですか?」

 

わかりきっている答えではあるが一応尋ねる。

色とりどりの布や宝石から考えられるのは服だろう。それも今では入手が困難とされているデータクリスタルまで使うのだ、きっと今回の建国に関わる式典で使う衣装を新調するのだ。と、アルベドはあたりをつけた。ということは自分はそのアドバイザーだろうか。そういったスキルは残念ながら持っていないが、良妻として修めるべき一通りの家事裁縫は嗜んでいる。

家令であるセバス・チャンではなく自分が意見を求められたという事に優越感を抱きながらも、モモンガに相応しい服のデザインを考える重圧に緊張する。

 

「ああ、建国も終わったし、思い切って式を挙げようと思ってな」

「…………式、ですか?」

「そうだ。未だナザリック内で反感があるとは言え、アルシェを正式に妻に迎えなければ立場も定まらない。宙ぶらりんな立場ほど居づらいものは無いからな。それに、……約束もあるしな」

「約束?」

 

ばちん。とウインクが返ってきてアルベドは一つの結論に達する。アルシェとウルベルトの式……しかし約束とは? と、一つの事を思い出したアルベドは風切り音をたててモモンガの方へ顔をむける。表情筋を動かさず、出来るだけ清楚に見えるように努力してモモンガの言葉を待つ。

モモンガはバツの悪そうに指で顎の骨を掻きつつ、黒い眼窩に浮かぶ赤い光を明後日の方向に向けながら喋る。

 

「ウルベルトさんに言われてだな、アルベド、お前の設定を書き換えた責任を取るべきだと考えた」

「男の甲斐見せるときだぞ、モモンガさん」

「うう……。だからな、アルベド」

 

じっと力のある視線に縫いとめられる。

その視線に胸が強く波打つ。

今現在、世界で一番幸せなのは自分だろう。

 

「アルベド、私の妻になれ」

 

快感が尾骶骨から背骨を通り脛骨まで伝わると、頭を包む様にゆっくりと広がる。何度も妄想の中で告げられた言葉も、今この時の刺激には及ばない。

 

身体中に広がった幸福感を堪能した後、アルベドはその美しい唇から一言、とろける様な肯定の返事を返した。

 

 

 

 

 

 

言った。

言ってしまった。

 

モモンガの胸中は荒れ狂う波であり、叩きつける雨であり轟く風であった。

(まさかNPC相手に自分が結婚を申し込むなんて……!)

精神の安定化が連続で働いている為に見た目は変わりないだろうが、胸中はてんやわんやだ。もういっそ全てをウルベルトさんに任せたい。むしろ今の言葉は嘘だと言いたい。

それを助長するのは妻になれと言ってから驚きの表情で固まったアルベドの姿だ。やっぱり言い方上からすぎたかなぁと、自分のロールプレイに後悔し始めた頃にアルベドの腰から生える羽が震えだす。

それに合わせて固まった表情がまさしく溶ける様に変わる。

 

「はい……!」

 

顔を染めて真っ直ぐにこちらを見つめる金の瞳に浮かぶのは純度の高い欲望。その強い光を不覚にも綺麗だと思ってしまったモモンガはアルベドを引き寄せる。

しなだれ掛かるアルベドの顔を見つめ、結晶化して飾っておきたいほど美しい瞳に満足のため息をつく。その美しい顔に、視線に、囚われた様に引き込まれる。

モモンガは人差し指でゆっくりとアルベドの頬をなぞる。そして腰に回していた手を緩めると鼻からゆっくりと息を出す、真似をした。沈静化はされない程度の気分の高揚が続き、いつぶりかの多幸感を味わう。それがゆっくりと、ゆっくりと落ち着き胸には今までとは質の違う安定した気持ちになった。

結局リアルで経験することは無かったが、恋に落ちるとは、愛する者を持った人間とはこういった心持ちなのかもしれない。種族特性からくる沈静化ではない落ち着きに戸惑いつつ、未だに自分へ視線を向ける愛しいものからなんとか目線を外し、自分たちを見守る悪魔を見る。

 

「……さて、話もついた事だ、早速準備の打ち合わせに戻ろうか。ナザリック始まって以来のWウエディングだ」

「ウルベルト様、それならばセバスも呼んだ方がよろしいかと」

「そうだな、デミウルゴス。モモンガさん、セバスも呼んで日程とか会場とか色々詰めないといけないんで、〈伝言〉飛ばしましょうか」

「そうだな。こう言った仕事こそ家令の出番だろう」

 

キラキラとデミウルゴスの目が眼鏡越しに輝く。それは感極まって泣いている様だった。

モモンガが〈伝言〉を使いセバスを呼ぶ。

駆けつけたセバスに事情を話すとすぐにテキパキと準備を始める。

 

 

ウルベルトとアルシェ、モモンガとアルベドの挙式はナザリックに城塞都市エ・ランテルが開け渡されて三ヶ月後、静まり返った街中で厳かに執り行われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悍ましい形をしたゴーレムの並ぶ霊廟はゲーム時代のまま不気味な雰囲気を残している。そこに再現されて居なかったひんやりとした気温や古い石壁のカビた臭い、何よりもそこを自分の足で歩いているという臨場感がそれまでとは違った。

側に控える自分の被造物は不気味な程のしおらしさで、ゆっくりと歩く自分に合わせて歩いている。

通路の両脇に並ぶゴーレム。その殆どに一目で凄まじい力が込められているとわかる装備品がつけられている。そのうちの一つ、ボンテージを象ったレーザークロースを着た不気味な蛸頭の像の前で止まる。

 

「我らがギルマスには本当に頭が下がる。そう思いませんか、アルベド」

「はい。そう思います」

「初めてここに来た時には無かったのですよ。これらの像は。私たちがここを去った後にモモンガさんが作ったのでしょうね。貴女にちょっとしたサプライズでワールドアイテムを持たせたあの日、その時に気づいたのですよ。フィールド名が霊廟となった時にはゾクゾクとしたものですが、真に背筋が凍ったのはこの像を見た時です。ああ、我らが大墳墓の盟主殿は去って行った者たちを弔うのかと。形を残し、面影残し、そして身にまとった装備を残し。霊廟というなの墓標はまるで志し半ばで倒れた者に対するそれで。その執着心に正直──」

 

 

「マジうちのギルマス天然愛され骸骨と見せかけた執着心の塊とか最高。物腰柔らか去る者追わずの影でヤンデレ拗らせすぎてるとかギャップ萌えで萌え殺してくるぜ!! って思ったものです」

 

最初はしみじみと、途中から聞き取るのが難しい程の早口でまくしたてる人間に、アルベドはかつて殺意を抱いていた事など感じさせない従順さで微笑み返す。かつての炎のような激情は長い時間をかけて自分を伴侶として選んで下さった方が消し、その傷痕もゆっくりと癒していただいている。そうで無かったら、この二人っきりになった時点で首をねじ切っていただろう。ゆっくりと自らを落ち着ける様に指にはめたペアリングを撫でる。

人間を依代とした創造主は余りにも脆く、戯れに殺してしまえるのだから。

 

「モモンガ様はこの像をアヴァターラと呼んでいらっしゃいました」

「アヴァターラ! ふむ。なるほどなるほど。実に奇妙だ。これも運命の巡り合わせか」

「どういう事でしょうか。タブラ・スマラグディナ様」

「アヴァターラとは不死の存在の化身の事です。それもただの化身ではなく、完全である神が不完全な人間の姿で現れる事を意味する言葉でね、……どこかで聞いたことがある現象だとは思いませんか?」

 

アルベドは息をのむ。だって、それは──。

 

「人間を善なる方向へ導く者として現れると言うものですが、まあ、たっち君なら兎も角、僕にそんなつもりはさらさらありませんがね。それは僕たち異形種の領分では無い、それこそブラフマンの職業を持っている方々に託しますよ。けれどせっかく今生を得たのですから、魔を導く国、ですか。建御雷君のコキュートスも中々どうしていいセンスをしている。僕もそれに恥じないように導いていくつもりです」

 

ゴーレムから外された装備品を身にまとったタブラ・スマラグディナはゆっくりと振り向く。異形種だった頃は気にならなかったが、やはり人間だと些か際どい格好になってしまう。現在の宿主が10歳程の少女な事もあり、街中に居ては目のやり場に困ってしまう姿だ。

最初に来たウルベルトからわかった事だが、どうやらレベルが70を超えたあたりからどんどん元のアバターに身体が近づくらしい。それまでの辛抱だと自分に言い聞かせて来た道をもどる。

 

「ああ、そういえば」

 

高いヒールの音を響かせて歩いていたタブラ・スマラグディナはもう一度振り返り、アルベドの目を見てしっかりと告げる。

 

「結婚おめでとうアルベド。貴女の晴れ姿を見れなかったのは残念ですが祝福だけでもさせてください。モモンガさんをよろしくお願いします」

 

言いたいことは言ったとすぐさま振り返り再び歩き出す。

素っ気ない言い方しかできない不器用な父親の背中がアルベドの目には映っていた。

 

 

 

 

 

 

自分とアルシェの描かれた小さな肖像画に指を這わせながらウルベルトとなったカシュバは目を細める。

あれ以降、ウルベルトの盟友達は次々と発見され、未発見者は両手で数えられる程だ。

その事にカシュバは素直に嬉しいと思ってしまう。

もう人間だった頃の感性は失って久しく、元皇帝からは最期の時に苦笑されてしまった。あれは最後の最後に漏れた彼の恨み言だったのかも知れない。

「お前を拾った時から私の人生は狂ったのだろうな」

とは。運命の歯車がいつ狂ったのか。それはカシュバも何度も考えた事だ。生まれた時? 両親を亡くした時? 金貨を担いで魔法学院を目指した時? それとも、悪魔が宿っているのに自ら死ぬ勇気を持てなかった時だろうか。

未だ着慣れない上質な部屋着は、カシュバに疎外感を与える。きっと、完全に意識が一緒になるその時までこの感覚は変わらないのだろう。

 

この時のアルシェは綺麗だった。

今でも綺麗だが、この時は本当に、こんな綺麗な人と結ばれていいのかと思ったのだ。

 

「カシュバ……?」

「ああ。アルシェ、随分と大きくなったね、その。お腹」

「うん。双子だってペストーニャさんは言っていた。元気な兄弟だって」

「そっか。覚えてる? この絵の時。この時のアルシェは世界で一番綺麗だった」

 

近くの椅子でうたた寝をしていたアルシェが目を覚まして喋りかける。それに考えていた事をそのまま伝えた。

伝えられたアルシェは顔を赤く染めて縮こまる。

 

「そんな。私よりアルベド様の方が……」

「俺には一番綺麗だったよ。今でもそうだけどね」

 

かつては山の様にあったカシュバの時間は、今ではほんの一握りに減っている。今この瞬間も、偉大なる悪魔であるウルベルトの物になっても不思議では無い。けれど、ウルベルトの方も気をきかせてか、それともたまたまか、こうしてアルシェとの細やかなひと時にふとカシュバに体と意識の主導権が移る。

アルシェに軽くキスをする。

親愛と愛情をたっぷりと込めて。

お腹にも。

 

 

顔を上げたカシュバはウルベルトになっていた。

アルシェはそれに下唇を噛んで耐える。

アルシェの愛する男はとても儚い。蝋燭の炎のように意識がすぐに揺らぐ。それが悲しかった。

 

「りんご、久しぶりに食べるか?」

 

アルシェの夫であるこのウルベルトという悪魔はこうして良くアルシェを気遣う。それは確かにカシュバを感じる気遣いであり、彼もまたカシュバなのだと思える。でも違うのだ。理性と感情のバランスがとても不安定になる。カシュバと話した後は特に!

 

「悪魔に飲食は不要ですよ」

「でも食べられるだろ?」

 

どこからか真っ赤なりんごを取り出して、そしてまたどこからか取り出したナイフで不器用に剥いていく。その危な気な手つきはかつての夜を思い出させる。

 

「6階層で取れた自慢のりんごなんだ。品種改良も進んでとっても甘い。今度これを使ったジュースを持ってこよう」

 

ほら、と差し出された手には無骨に剥けたりんご。机に落ちる皮には多くの身の部分が付いている。

 

「初めてお会いした時を思い出します」

 

後で告白された初邂逅は新月の夜。食べ物を漁りに来ていたウルベルトとだったそうだ。その時にもこうしてりんごを剥いてくれた。

 

「あの時よりは上手いだろ?」

「さあ? どうでしょう」

 

くすくすと笑いあう。

もうすぐ臨月を迎えるお腹を撫でて、アルシェは小さな幸せを感じていた。

 


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