夜でも明かりを失わない帝都・アーウィンタール。
その街灯りの届かない貧民街との境。
オンボロの一軒家の、これまたオンボロなベットの上にその少年は居た。
ありふれた、冴えない顔。貧しさのわかる身なり。
埃まみれの家の中でお腹を空かせた彼は、家族3人で使う大き目のベットに一人で丸まっていた。
「父さんも母さんも嫌いだ。すぐ帰ってくるって言ったくせに」
ぐうとなるお腹の音。不満を零す声には覇気が無い。
少年ーーカシュバはもう3日も水以外の物を口にしていなかった。
それもこれも、ワーカーである両親の帰宅が遅れて居るためだ。今までも何度かこういう事はあった。しかし今回はーー。
「寝よう。起きててもお腹減るだけだし」
月の光でもあれば、まだぼんやり外を見ていたかもしれない。しかし今日は新月。月すらも顔を出さない暗闇の日だった。
「早く帰って来ないかなぁ。お腹すいたなぁ」
少しづつ強くなる眠気。それを受け入れるようにカシュバは眠りについた。
ウルベルトにとって三度目の覚醒となるその日は今までで最も頭を抱える事になった。
自身の宿主ーーと言っていいのか謎だが状況と実態から言ってあっているはずーーのカシュバの両親が戻ってきていない。
カシュバの記憶を一方的に共有しているウルベルトからすれば事態は明白。カシュバの両親は残念ながら仕事の途中で死んでしまったのだろう。
「あー! どうする? つーかこれどうにもできないんじゃね?!」
目覚めたままベッドの上で転がるウルベルト。
彼はできるだけ冷静に今の自分(とカシュバ)の状況を考える。
ろくな教育も受けてないカシュバ。
両親の残したささやかな蓄えは、既にパンに変わって胃の中だ。
働く事を知らないカシュバ。
せめて後2年後だったら、奉公先や両親と同じワーカーの道もあったかも知れない。
両親の帰りを待つ哀れなカシュバ。
心の何処かでは両親の死を感じているのに、それを受け止めれずに目を逸らし続ける姿は哀れ以外の何者でもない。
そして自分はそんな彼に取り付く悪の大魔法使いにして偉大なる悪魔。
問題といえば新月の晩の、カシュバが寝ている時間にしか動けない事だろう。
「あーあ。魔法使いとしての自分の力は確かに感じるんだけどなぁ。どーすれば良いんだ……」
手を開いて、閉じて。
本能のように自覚する自分の有様。
日本に住む下層階級の人間ではなく、ユグドラシルで使い慣れた悪魔としての自分。事実今もこうして、光ない夜なのに全く視界に困っていない。
しかし魔法を唱えても、アイテムを取り出そうとしても何も起こらない。なんの変化も無いのだ。
一度目の目覚めは今の自分の状態に驚きすぎて何もできず、二度目の目覚めは色々試したがダメだった。しかし、三度目の今日はそうはいかない。カシュバの死が自分にどういう影響を及ぼすのかわからない以上、何とかして彼を生きさせねばならなかった。
「とりあえずなんか食うか」
狭い台所の戸棚を開ける。
両親が戻ってきた時に共に食べようと、カシュバがとっていた果物が一つあった。カシュバには悪いがどう考えても両親は戻らない。ならば今はこれを食べて空腹から逃れたい。
悪魔であるのに空腹を感じるのはやはりこの少年に取り付いているからなのだろうか?
刃物を使う時にそんな馬鹿な事を考えていたからだろう。刃こぼれが酷く、切れ味の悪いナイフを滑らせて指を切ってしまう。
「くっそ! 痛ぇ!」
もしここにポーションがあれば!
とくりと鼓動に合わせて血が溢れ出す。つい反射で切った指を口に入れた時、足元でコトリと音がした。
下をみるとそこには透き通ったガラス容器入れられた赤い液体。ポーションが落ちていた。
「なんでポーションがこんなところに……?」
カシュバの頼りない知識量でもこの世界でポーションが高額だという事は分かっている。
昔、ワーカーである両親からたまたま話を聞いていたのだ。
だからこそわからない。なぜポーションがこんなところにあるのかが。
しかし指を切って痛い今、あるものを使わない手は無い。店に売ればそれなりの値がつくだろう事など忘れて、ウルベルトはそれを指に垂らす。ゲーム時代だったら一瞬で体力ゲージが回復するのだが、そういったものが表示される事は無く、また、傷がふさがる様子も無い。
「あああ? なんだこりゃ。不良品か?」
引くことの無い痛みに不良品のポーションを投げて果物を剥くことに集中する。傷の痛みも血も止まってはいないが、これ以上空腹に耐えられなかった。
リアルで果物の皮を剥くなんて機会はウルベルトには無い。ギクシャクとナイフと果物に苦労しながら皮と種をとる。その行動の結果は歪な仕上がりの果物という形で現れた。
形で味が変わるわけでは無いと自分に言い聞かせたウルベルトは一番形の良い一欠片を口に運ぶ。
シャクリ。
少し柔らかくなっていたがまだ瑞々しい。口に広がる甘みにウルベルトは泣きたくなる。
美味しい。
今まで食べたどんなものよりも、美味しい。
ひどく惨めな気持ちになる。もしも自分のリアルがこの世界で、カシュバが自分だったのならば、あんな最期を迎えなかったのではと思ってしまう。あんな、使い捨ての部品として使い潰される事なんて無かったはずだ。
苦い気持ちが胸の中に広がる。それは口の中の甘さと混じり合い胃へと落ちる。
ウルベルトがこの世界に来て最初の食事はなんの変哲もない、歪に剥けた果物。そしてどうしようも無い自分への気持ちだった。
果物を食べ終えて人心地ついたウルベルトはこれからの事を真剣に考え始める。
使いかけだがポーションがある。運が良ければ買い手がつくかも知れない。
しかしそれでも宿主であるカシュバのこれからを考えると不足だろう。
「せめて手に職があればいいんだがな……」
若いだけでなんの取り柄も無い痩せっぽっちの少年なんて奴隷としての買い手がつくだろうか? ついたとしてもその後ちゃんと生きていけるのか?
ウルベルトは強く思う。
このままではいけない。
このままでは底辺のまま、上のやつらに使い潰されて終わりだ。そんなのはもう二度とごめんだった。
必要なのは教育を受けれるだけの金だ。カシュバが自分の力でのし上がれるだけの金が必要なのだ。
チャリン。
澄んだ金属の音。
見ると今度は金貨が2枚落ちていた。
「なんなんだ?! さっきまでこんなもの無かったぞ!」
周りを見回すがやはりそうだ。こんなものは無かった。あったとしたらカシュバがそれを見過ごすはずが無い。
金。
欲しいといった金。
再びの金属音。
その時ウルベルトの目に映ったのは未だ血の止まらない指から垂れるその赤い液体が、指から離れて床につく前に姿を黄金に変える様子だった。
ゴクリ。
喉を鳴らせて傷口を自分の爪で抉る。鈍い痛みとともに血が溢れ、それが金貨へと変わる。
やはりだ。なぜこんな事になっているのかはわからないが、これでカシュバは助かる!
ウルベルトは近くに置いたままだったナイフを振り上げ、それを自らの腕に突き立てる。激痛に顔をしかめながらも前後に刃を動かして引き抜く。
指を傷つけた時とは比べものにならない量の血が、金貨が溢れた。
「は、ははは、はははははは! あはははは!」
金貨の冷たい感触。それをナイフを捨てた手で味わいながらウルベルトは床に崩れ落ちる。満足だった。これで俺はまだ生きれる。
空腹に果物を一つだけ。そしてその後間を空けずにこんなに血を流したのだ。貧血で意識が遠のいていく。
「これでお前は大丈夫だカシュバ! 生きろ、生き残れよ! そして次も俺を起こしてくれっ! ははは、ははははは!」
床に倒れたまま悪魔は笑う。
我が宿主たるカシュバに幸いあれと。
我が人生に続きあれと。
翌朝起きた少年は腕の痛みと頭痛、そして床一面の金貨に途方にくれるのだった。