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肌を伝う冷たい水滴。足裏を押す丸い石の水底。
流れる川のせせらぎ、草木を揺らす風の音色。
生まれた時から閉じられていた視界に世界の形を作り上げる。
吸い込んだ空気の色を自身の世界へと還元して少女を思わせる少年は小さく息を吐き出した。
「何か御用ですか?」
少年だけしか居ないはずの小川のほとり。常人であれば雑音で聞き取れない程度の些細な音。少年にしてみれば自身の世界に浮き上がる波紋でしかない。
草木から姿を出し、砂利を踏んだ男。血走った瞳で少年を睨み、腰にある刀を抑えるように握っている。
少年は男へと視線を向けない。向ける必要性がない、というべきであろうか少年には視覚が無い。生まれた時から暗闇であり、それが少年の感覚であり、そして少年の世界であった。
「テメェか、アイツを殺したのは?」
「……」
誰、とは少年は聞かなかった。聞く必要など無い。こういう手合は幾度も会った。
スッと、戻っていた熱が冷めていく。濡れた麻の衣服が原因か、それとも足元に流れる川が原因か、はたまた別の理由であるか。
殺した理由は幾つかあるだろう。その理由のどれかはわからない。けれども少年はその手を染めてから一度足りとも自身の矜持を裏切った事はない。
小さく、鞘滑りの音がした。雑音に紛れて消える程微かな音と同時に少年は川底から石を蹴り上げる。飛沫に紛れて飛ぶ赤子の拳程の石に驚きを露わにしながらも、男は石を避け、先程まで少年がいた方向へと視線を向ける。
そこに少年は居らず、まるで霧のように消えてしまった。けれどその鼓膜が捉えたのは川砂利が擦れる音。自身の近くにいた刀を持つ少年。
身を引き絞り縮こまった少年の身体が解き放たれたように回転する。一瞬の閃き、月に照り返された刀身がすぐにその姿を鞘へと隠される。
少年は吹き出る生暖かい液体を一身に受け倒れただろう男すら見つめない。その視界は常に暗闇に映しているのだから。
――
「はぁ……やっぱりイイ。尊い……」
「わかります」
やや恍惚気味に呟いた金髪の風妖精リーファはスタッフロールを余韻の如く流していく。
流れていた舞台映像を提供したウィードもどういう理由か鼻を抑えながら画面を注視していて、アスナやシリカ、リズベットは「ほぅ……」と感心したように息を吐き出し、アスナの隣に座っていたユイも目を輝かせてみていた。
こうして映像作品として彼を見るのが初めてであったシノンもまた感嘆の吐息を吐き出して抱きしめる力を強くし、キリトとエギルそしてクラインも興味深そうに、そしてやや気まずそうに横目でシノンを見る。
「やっぱり我が君はエロいです」
「わかります! こう、一々所作が色っぽいんですよね!」
「リーファさんわかってますね。秘蔵になってる映像とか受け渡しましょうか?」
「本当ですか!? 是非お願いしますウィードさん!」
果たして同士である事が判明した二人の仲は急速に仲良くなっていき和気藹々とした空間の中で一人ムスッとしている人物がいる。
「あの……本人がいるんですけど」
シノンの膝の上に乗せられ腕を回される事で逃げ場を失ったナッツが疲れたように言葉を漏らした。
あまり自身の評価に頓着していないナッツであるが、こうして目の前で「エロい」だの「色気がある」だのと言われるのは反応に困る。上映会の事なんて知らなかったし、知った瞬間にスッと消えようとしたけれどソレは現在自分を抱えているシノンに封じられ、それが失敗した時の保険なのかウィードが素早い動きで出口の前に陣取ったのでナッツは全てを諦めた。諦めたかった。
「はぁ、しかし驚いたぜ。この画面に映ってる役者がナッツだなんてな」
「その、すいません」
「いいっていいって。オレが勝手に驚いてるだけなんだから」
言わなかったことの謝罪に関してクラインはあっさりとした態度で流した。
こうして見れば懐の広い兄貴分のように思えるがこの上映会が始まる数分前まで「ナッツが男……いやいや、そんな筈ねーだろ」と現実逃避をしていた男である。
その後ようやく現実を直視したクラインであったが「キリトも女とかじゃねーよな?」という発言をした辺り現実はまだ直視できていない。
「それに別に敬語じゃなくたっていいんだぜ? オレ達の仲じゃねぇか」
「そう、ですね」
歯切れ悪く応えたナッツはお腹を支えているシノンの手をキュッと握る。僅かに震えていた手をシノンは何も言わずにそっと握り返す。
ナッツは一度だけ小さく息を吸い込んで、静かに吐き出す。
「なら、そうさせてもらうわ」
「おう」
ようやく自身の中にあるムズ痒さを解消したクラインはニッと笑う。彼は気付いていないがリズベットは心の中でよくやった、とクラインを称賛した。彼女も毒と嫌味が抜けきったナッツの対応に手応えを感じていなかった一人である。
あっさりと、ちゃんと口にできた関西弁にナッツはバレないように安堵の息を吐き出す。吐き出し、ふとユイと視線が交差する。何かを咎めているような視線ではない、けれどまるで見通すような瞳がナッツを映す。
何かを言う事はない。何かを語る事もない。ただジッと視線が向けられるだけ。
「ナッツ?」
「……あ、うん。ちょっと用事思い出したわ」
そんな数秒にも満たない視線のやり取りはシノンの声によって終了した。
握られていた手も回されていた腕もあっさりと解いて膝から下りたナッツは慣れたようにいつもの茶褐色の外套を羽織ってフードを目深に被る。
「用事?」
「そう。ソロ限定のクエストがあってやね」
「私知らないんですけど」
「俺も知らないぞ」
「そりゃぁ教えてないもん」
あっけらかんと言ってのけたナッツに自分を頼らない事への不満を漏らしたシノンと単純に攻略情報がほしいキリトが声を上げるがナッツはどこ吹く風。
足早にキリト達の自宅を出て、扉をしっかりと閉めてから眉を寄せる。
「ソロやって言うたんやけど?」
「ナッツくんとお話がしたくて」
「……さいで」
先程まで似通った体躯であった筈のユイが小さくなり
その様子はニコニコと笑っていて、横目で見たナッツが深く、重い溜め息を吐き出してから羽を出現させてふわりと宙へと浮く。
空の翔ぶのに妖精の粉はいらない筈なのに。
「改めて、久しぶりです!」
「現実世界でも会ったやろうに」
「それでもこうして顔を合わせるのは久しぶりですよ?」
「……せやね」
顔を合わせて言う事に不満を感じてはいない。むしろナッツ自身、ユイに久しく会った事を嬉しくも思っている。ただユイだからこそ、今のナッツにしてみればあまり一緒に居たくはない。
「
「……浮気みたいに言いなや」
「もう! わたしはあなたを心配してるんですからね!」
「はいはい」
適当に戯けてみせたナッツに「もうっ」と頬を膨らませたユイ。
彼女が言わない事など最初からわかっていた事である。きっと、という予想がただ予想でなくなっただけの話。ナッツにしてみればそれだけの話であるが、だからこそ怖かった。
言わない、と口にしてくれた
「それで――ナッツくんと
「……構わへんよ。というか、他にどう呼ぶつもりやったん?」
「うーん、そうですね。ナッちゃんとか?」
「ナッツでええから」
やや食い気味に愛称を否定したナッツにユイは楽しそうに笑う。
今の自分の状況をきっと自分より理解しているだろう同類は自分の言葉を否定する事もなくちゃんと受け入れてくれた。ナッツにしてみればそれだけで十分なのである。
「それで、ナッツくん。ソロクエストはどんなのなんですか?」
「別に正規で出てる訳やないよ。ただ武器を取りに行くだけ」
「武器ですか?」
「そ。あっちでのナッツが持ってた武器のイベント。やから、実際にイベントがあるかどうかはわからんで」
あの時は折れてしまった『フォレストキール』がフラグになっていたイベント。そしてあの世界で最後に握っていた曲剣を手に入れたイベントである。
現在の武器内容であっても特に困る事はない。今すぐに必要という訳ではない。必要という訳ではないが、せっかくなのだから欲してしまう。
そう考えれば、名もなき店売りの曲剣だった物に執着しすぎなのかもしれない。けれど、だからこそナッツはソレを手に入れたい。
「まあ、イベント内容が一緒やったら荒っぽくなるから危なくなったら逃げるんやで」
「守る、って言ってくれないんですね」
「あの時とは違うやろ? お互いに」
それに、今の自分に守れる程の力があるかもわからない。だからソロでこのイベントに挑むのだから。
感想ありがとうございます。全て目を通していますが、返せる気力はちょっと沸かないので気が向いたら返す感じになるのを許して下さい……。
いや、ホント、全部に返せる言葉が「遅れて申し訳ございません」なので……ハイ(白目)