私、鷹野三四にとって祖父の研究が認められることが生きる意味の全て。
両親が事故で死に、劣悪な孤児院の中で汚れていた私を救い出してくれたお祖父ちゃんは雛見沢症候群の研究をしていた。
しかしその研究は歴史の闇を掘り起こす、戦争の引き金になるという理由でズタズタにされた。
お祖父ちゃんは何日も徹夜で書き上げた論文は一笑されてゴミのように踏みつけられた。
私はそんなお祖父ちゃんの研究をバカにした連中を見返すために必死に努力した。
お祖父ちゃんの論文が世界に認められ、歴史に刻まれ、そしてお祖父ちゃんは神になる。
お祖父ちゃんの研究をバカにした連中を見返せる、私はその強い思いを胸に今まで頑張ってきた。
お祖父ちゃんの親友であり、政府内部に大きな影響力を持つ小泉先生の協力により雛見沢に研究施設を立ち上げ、入江所長などの優秀な研究員、そして隠密部隊である山狗の用意をしてくれた。
研究は順調とは言えなかったけど、それでも前に進んでいた。
雛見沢がダム建設のためにダムの底に沈むという話が出た時は山狗の力を使って裏で動き、その後に雛見沢症候群を高レベル発症している作業員の男が複数人やってきた。
末期症状までなっていたのなら奴らを解剖してより雛見沢症候群の解明をすることができたのだけど、残念ながら作業員たちは末期レベルになる前に退院してしまった。
入江所長を説得して奴らの脳を調べられればよかったけど、でも研究が進んだのは確かだったので欲張りはしなかった。
そしてその翌年、雛見沢症候群を末期レベルまで発症する恐れがある女を見つけた。
ダム建設賛成派の代表をしていた夫の妻である北条里美。
雛見沢で村八分にされ、息子と娘からも見放された女だ。
村中から追い込まれたこの女は極度のストレスを抱えていて、確実に雛見沢症候群を発症すると私は目をつけていた。
そして綿流しの最中に接触し、この女が末期症状になっていることを確信した。
後は少し誘導させてあげれば疑心暗鬼によって暴走をさせるのは簡単だった。
暴走した彼女が行方不明になったとしても誰も違和感を持たない、そしてそのまま彼女を捕らえ、研究をするはずだったけど、その計画は失敗した。
あと少しというところで邪魔が入り、誘拐は失敗した。
しかし末期症状を治す手立てがない以上どうしようもない。
このまま診療所で研究材料にできる。
そう思っていた時、まるで私の心を読んでいるかのようにあの男の子が私に告げた。
この女の脳を解剖して研究材料にするつもりだろうと。
この時からだ。
この時から、あの男、竜宮灯火を鬱陶しい存在だと認識した。
大臣の孫を誘拐した時だって山狗の邪魔をしてきた時はまだどうでもよかった、うざかったが所詮子供だろうと思っていた。
雛見沢の住民と北条家の確執をなんとかしようと動いていると知った時は面倒な子供だと心の中で舌打ちした。
これであの女が雛見沢症候群を発症しなくなったらどうするつもりだと。
結局、末期症状まで発症した北条は女王感染者である古手梨花とその母の協力により奇跡的に末期症状を脱することになった。
結果論だが、もっとも重要である古手梨花とその家族の協力をより得られるようになったのだから、そういう意味では良い結果に転んだと考えてもいいだろう。
竜宮灯火は古手梨花のお気に入りのようだし、彼自身が何か特別な力を持つわけではない。
そう思って私はそれ以上彼について考えることはやめた。
そして去年。
北条里美と同じように、末期症状になる可能性がある子を私は見つけた。
園崎詩音、園崎家の双子の妹だ。
園崎詩音の状態を知ったのはたまたま彼女が診療所に検査をしていた時、それを私が担当したことで判明した。
何があったかは知らないけれど、彼女はすでに雛見沢症候群の中レベルまで発症していた。
入江所長がこれを知れば治療のために動くだろう。
だから私はこのことを入江所長には伝えず園崎詩音の状況の経過を観察した。
竜宮灯火とデートをしていた園崎詩音だったけど、様子が変わったのを見て私は笑みを浮かべながら彼女に接触した。
少し失敗してしまったけれど、種は蒔いた。後は面白い状況になることを願いながら見守るだけだ。
これで何もすることなく勝手に竜宮灯火は消え、末期症状の園崎詩音が手に入る。
そう思っていた私の期待は、また彼によって打ち砕かれた。
あの子、所詮まだ子供だって侮っていたら銃を持ってるなんてね。
園崎家と仲良くしてるのを知ってるけど銃をもらってるなんて誰が思うのよ。
しかもこの時のことが原因で山狗部隊が解体させられそうになってしまってる。
園崎家が山狗の居場所を探ろうと動きまわってるせいで迂闊に動けなくなった。
始末するのは簡単だけど、そんなことすれば雛見沢で研究なんて出来なくなる。
山狗はあくまで不正規部隊、表にでるようなものじゃないんだから。
それにどこからか雛見沢の状況を知ったスポンサーからこの研究を危険視する声が大きくなってる、山狗も小泉先生の力がなければすぐに解体させられていた。
別に雛見沢症候群の研究に山狗が絶対必要なんてことはない、むしろこうなってくると邪魔ですらある。
雛見沢は山狗のせいで余所者に険しい顔をしているけれど、入江所長のおかげで診療所の私達はすでに雛見沢の一員として扱われている。
高い金を払ってたけど、いざとなればトカゲのしっぽのように切り離せばいいわ。
私は別に雛見沢症候群を解明してお祖父ちゃんの論文を認めさせれればそれでいいのだから。
しかし、私達の研究はここから暗雲が立ち込める。
◇
「なんですって!?」
受話器から届いたジロウさんからの情報に叫び声をあげる。
小泉先生が、亡くなった?
「・・・・急性の心筋梗塞だったそうです。すぐに救急車を呼びましたが間に合わなかったようで」
「・・・・わかりました、葬式の日取りが決まりましたら教えてください。必ず参加させていただきます」
沈んだ声のまま東京から連絡をくれたジロウさんから電話を切る。
・・・・小泉のおじいちゃん。
お祖父ちゃんの意志を継いだ私を助けてくれた、お祖父ちゃんと私のたった一人の理解者だった人。
「鷹野さん、何があったんですか」
「先ほど小泉先生が亡くなられたそうです」
「っ!?そ、そうですか」
「・・・・私はこれから東京に向かいます。入江所長はこのまま研究の続きを」
こぼれそうになる涙を拭って入江所長にそう告げる。
私にできる恩返しは小泉先生がお膳立てしてくれた雛見沢症候群の研究を完遂させること。
お祖父ちゃんの研究が世界に認めさせた時、小泉おじいちゃんの名前も共に蘇るのだ。
それこそが今日までの恩に報いる道。
そう思って研究に打ち込む。
でも私はわかっていなかった、どれほど小泉おじいちゃんが私を助けてくれていたのかを。
◇
「・・・・い、今なんて言って」
私がジロウさんが告げた言葉の意味を信じることが出来ず、思わずそう聞き返す。
それに対し、ジロウさんは目を伏せて私の先ほどと同じ言葉を告げる。
「・・・・入江機関における雛見沢症候群の軍事的運用の研究は、その危険性を鑑み、即時中止とする」
「っ!?」
ジロウさんからの言葉に私と、そして共に話を聞いていた入江所長が絶句する。
そして私達に反応することなくジロウさんは言葉を続ける。
「さらに雛見沢症候群の治療、撲滅を目的とした研究も収束、今後三年を目途に入江機関は廃止・・・・雛見沢症候群の研究は中止となります」
そんな、小泉先生が亡くなってこんなすぐに。
焦る私を無視してジロウさんと共に来ていたスポンサーの人間が口を開く。
「今の日本においてこのような生物兵器を研究していることが露見したら日本は国際的な批判を浴びることになりかねません。新理事会はこの事を非常に憂慮しております。なので各種資料、試薬の即時廃棄をお願いします」
「お待ちください!」
男の言葉に立ち上がって反論する。
今更何を言ってるの!!
やはり小泉先生が亡くなって組織の中で大きな政変があったんだわ。
「軍事運用の是非はともかく試薬の研究資料は雛見沢症候群の研究をする上で非常に重要な物が多く、これらがなくては三年間で研究の完遂などとても!」
「これは決定事項です。いかなる軍事研究の成果も残すことは許されません」
「・・・・っ」
私の訴えに男は簡潔にそう告げて終わる。
「試薬の廃棄はもちろん、非正規部隊である山狗の即時解体。そして機密に万全を期すため、この雛見沢症候群の存在そのものを抹消したいと考えています」
「・・・・それは、どういう」
「そ、存在そのものをですか?」
男の言葉を理解することが出来ず私と入江所長は困惑する。
そんなこと、どうやって。
「日本にマイナスとなるいかなる痕跡も我々は残したくない。そのため今後三年を目途に雛見沢症候群の治療法を確立、それを住民全てに適用することによって雛見沢症候群そのものを撲滅していただきたい」
「雛見沢症候群など存在しなかった、そういうように」
「っ!?」
男の言葉に今度こそ頭が真っ白になる。
秘密裏に雛見沢症候群を撲滅?
雛見沢症候群そのものがなかったことになる。
そんなことになったらお祖父ちゃんの研究を完遂させるどころじゃない。
お祖父ちゃんの研究そのものもなかったことになる。
◇
「・・・・入江機関の設立と運営には小泉先生の影響力が大きかったんだ。危険な研究だという声を小泉先生が抑えていた」
「・・・・小泉先生が亡くなったことで反対派が勢力を握ったってことね」
話の後、会議室に残った私にジロウさんが声をかけてくる。
俯く私に彼は気遣うように状況を説明してくれた。
「・・・・それに最近、どこから聞きつけたのか公安警察がこの研究を調べる動きがある。バレることはないだろうけど、それもあって組織は急いで負の証拠になる物を全て処分したいんだ」
「・・・・小泉先生の死に公安警察が組織を調査、おまけに村からは警戒されてる。まさに踏んだり蹴ったりね」
「・・・・鷹野さん」
いつだってそうだ。
神様は私のことが嫌いなんだ。
だからまた、私にサイコロの一を突き付けてきた。
神様が私に手を貸してくれたのは、あの施設から脱出して公衆電話を見つけた時だけ。
あの公衆電話にあった五円。
あれが唯一、神様が手を貸してくれたものだった。
「負けない、負けられない。こんなところで」
お前がまたサイコロの一を突き付けてくるのなら、私はまた抗ってみせる。
このまま雛見沢症候群を闇に葬り去るなんてことはあってはならない。
雛見沢症候群の解明は世界を揺るがすほどの偉大な研究なんだ。
新理事会の人間達にそれを理解してもらえれば、入江機関は存続できる。
◇
それから私は小泉先生のかつての人脈を頼りに何とか決定を覆せないか各所にアプローチを試みた。
すでに新理事会の実権掌握は終わっていて冷淡な反応ばかりだったけど諦めずに交渉を続ける。
入江所長も東京で雛見沢症候群の優位性を説明し、ジロウさんも内部から私達の研究の重要性を説明してくれていた。
そうした接触と交渉を重ね、ようやく組織の重鎮たちに研究の存続を訴える場を設けてもらうことが出来た。
これが上手くいけば雛見沢症候群の研究を続けられる。
いくら神様が私を嫌いでも、私は自分の意志のみでそれを跳ね除けてみせる。
しかし、そんな私の意志を挫こうとしているかのように、神様は再び私にサイコロの一を見せてくる。
「・・・・は?」
診療所からかかってきた連絡に思わずそんな声が洩れる。
今から組織の重鎮たちとの話があるというのに、それが頭から一瞬で吹き飛ぶ。
「ふ、古手梨花が亡くなっていたですって!?」
私の抵抗を嘲笑うかのように神様が私にさらなる苦難を押し付けてきた。