この日、三葉は異様なまでに――
「瀧くーん、チョコとカスタード、どっちが好き? あ、私は瀧くんが好き!!」
――優しすぎて怖かった。
これは俺が体験した、人生で一番甘くて、そして人生で一番怖かった、そんな1日の序章であった……。
――ある日の日曜日のことだった。その日は仕事が休みで、珍しく三葉からの連絡もなかったためのんびりと過ごしていた。四葉の一件から数日が経ち、その間に三葉は特に何も怒っていなかったから、俺はもう大丈夫と思って安堵していた。
……今になって思えば、なぜ俺はあのとき安堵してしまったのか。そんな浅ましい考えの自分を責めたい。
――天国と地獄の1日の幕開けは、最愛の声から始まった。
プルルル、とスマフォが鳴る。今は昼頃で、ちょうどお昼でも作ろうとしていた矢先の電話。
俺はソファーに座りながら電話に出ると、相手は他の誰でもない三葉だった。
『もしもし、瀧くん。今、時間いい?』
「ああ、今日は1日特に予定もないから――もしかして三葉も?」
『そうなんだよ。それでちょっと瀧くんの予定を聞こうかなって思って……暇ならどうかな?』
……ん? いまいち要領を得ない聞き方だな。
三葉のお願いがいまいちよくわからずにいると、間髪入れずに三葉は言った。
『――偶には私の家に来ない? 今日は四葉もお婆ちゃんも出掛けてて誰もいないんだよ』
「あー、そういうことか」
そこまで聞いてようやく納得する。
確かに三葉が俺の家に来ることはあっても、俺が彼女の家に行くことは今までなかったな。
以前三葉と四葉を送って帰ったことがあるから一応場所は知っているし、それにせっかくの彼女からのお誘いだ。
そもそも断る選択肢はないか。
「行くよ。今から行っても良いか?」
『うん! じゃあまた後でね!』
三葉はそれだけ言うと電話を切る。
……なんか、今日の三葉はちょっと機嫌が良かった気がする。
――ただ、俺と話すときは偶に漏れる方言がさっきの会話で一切なかったこと。それを特に俺は気にすることはなかった。
……部屋着を脱いで外着に着替え、電車に乗ること十数分。三葉の家の最寄駅に着き、俺は手土産でケーキを三葉の家族分+自分の分を買って家に向かった。
……確か四葉はチョコ系のケーキが好きで、三葉は抹茶とかが好きなはずだ。お婆ちゃんの方は知らないから、甘さが控えめなケーキを買った。
……しかし、ちょっと緊張するな。何分、今まで彼女がいたことがないから、彼女の家にお邪魔するって経験は初めてだ。
駅から少し歩くと、次第に三葉のマンションが見えてくる。俺はそのフロントで三葉の部屋番号を入力し、インターホンを鳴らした。
数秒すると電子ロックが外れ、俺は三葉の部屋に向かった。
「……よく考えれば、三葉一人だけか」
俺が思い出すのは、最後に三葉を押し倒したときの記憶。
……あれは良くなかった。三葉も俺を誘惑しすぎだし、あれは理性では止まらなかった。
……エレベーター前で考えるように待っていると、チンと音が鳴る。既に一階にエレベーターが来ていて、俺はそれに乗り込もうとした――っと、そこには顔見知りの女性が乗り込んでいた。
「あれ?立花くん、どうしてこんなところにいるの?」
「あ、めぐ先輩」
そこにいるのは俺の会社の先輩で、俺の教育係りのめぐ先輩――巡ヶ丘さつき先輩だ。名前が長いから略して俺はそう呼んでいる。
……まさか三葉と同じマンションに住んでるとは、驚きだ。っと、先輩と話している間にエレベーターがまた上の階に行ってしまった。
「ご、ごめんね! でもどうして立花くんがここにいるの?」
「あー、それは――」
……ふむ。これは言葉を濁すべきなのか。個人的に会社で恋人がいることが広まるのはあまりよろしくない。
これは司からの助言なんだけど、誰かのものになった男ほど女は集まるらしい。
俺としては良く分からないんだが、ここは司の意見に従って……
「ちょっと知り合いの家に遊びに来たんですよ。そしたら先輩がいてビックリです」
「そうなんだ……」
……先輩は何かは知らないけど、下を見ながらモジモジしている。
俺としてはすぐに三葉のところに行きたいものなんだけど、先輩を無碍に扱うのも今後に関わるし――ふむ。
っと、先輩が唐突に顔を上げた。
「立花くん、今日はそのお友達との遊びが終わった後、時間あるかな!?」
「え、えっと……」
……なんかお友達って言われてムッとなる。
三葉は友達じゃなくて恋人だし。その辺をすごく訂正したくなる。
「たぶん時間はないかと思います」
「あ、そ、そっか。ご、ごめんね、急に」
先輩が俺に謝った時に丁度エレベーターが再び到着する。
俺は住人のお婆ちゃんが降りてきたから、道を譲る。するとお婆ちゃんはエレベーターの段差で躓いたのか、転びそうになった。
「おっと――大丈夫ですか?」
「……ありがとうねぇ。おかげで助かったんやよ」
――その少し訛った喋り方のお婆ちゃんは、俺に柔らかい笑みを浮かべながら一礼して、杖を突きながら歩いていく。
……ここのドア、結構重いんだよな。俺はそれを思い出して、お婆ちゃんの先回りをして先にドアを開けた。
するとお婆ちゃんは少し驚いた顔をして、俺の顔を見てくる。
「……親切やな。ウチの孫みたいや――名前聞いてもええ?」
「えっと……瀧、です」
「……ウチの孫の恋人が、あんたみたいな子やったらええやけどなぁ」
お婆ちゃんは優しそうな微笑みを浮かべながら俺に肩に手を置いて、開かれた扉から外に出て行く。
その様子を見ていたからか、先輩は関心深そうに俺を見ていた。
「……立花くん、優しいね。そういうこと出来るのってすごく魅力的と思うよ」
「普通のことと思いますけどね」
俺は次こそは、と言うべきかエレベーターに乗り込んだ。
先輩は俺をお見送りするのか、まだエレベーター前で俺を見ていた。
……律儀というか、変というか。たまに先輩はぼーっと見てくるからな。
俺は先輩に軽く会釈をして、ようやく三葉の部屋に向かった。
エレベーターを降りて三葉の部屋番号を探そうとする。階を軽く歩いていると、ある部屋の前には既に三葉がいた。
……部屋の前でお出迎えとは、また可愛いことをしてくれるよな。俺は片手を上げて挨拶をしようとした――すると三葉はニコッと満面の笑みを浮かべながら、俺の方へ小走りで走ってきた。
「おはよ、瀧くん。扉開けてから来るの遅かったね?」
「ああ、ちょっとあってさ。……それにしても、なんか気合い入ってるな」
俺は三葉を見て不意にそう思った。
……いつもよりも気合いの入った化粧に、部屋着なのかは知らないが少し露出の多めの服装だ。ショートパンツにヒラヒラのついた可愛い感じのトップスのシャツ、髪は三つ編みにしてそれをお団子のように一纏めにしている。
……正直可愛い。控え目に言って可愛すぎる。俺の彼女、ポテンシャルすげぇ。なんていうか、これぞ三葉って感じでしっくりする。
――そんな風に三葉をじっと見ていると、三葉は目を見開いてクビを傾げる。
まるで「何当たり前のこと言ってるの?」って言いたいような表情だ。
「――瀧くんがせっかく遊びに来てくれるんだよ? それは気合いも入りまくりだよ」
「――やば、可愛すぎだろ」
つい本音が出てしまう。三葉は少し顔を紅潮させるけど、次第に笑みを浮かべ、俺の腕をぐいっと引いて無理やり家に連れ込んだ。
扉を閉めて、そこで三葉はギュッと俺を抱きしめてきた――
「……久しぶりだから、ちょっと我慢できなかったんだよ?」
「ひ、久しぶりって……ほんと数日会わなかっただけ、だろ?」
「数日でも、触れ合わなかったら寂しいの――だから、ちょっと強めに抱きしめて欲しいな?」
――三葉のお願いに身体が動いたのはすぐだった。
三葉のふわふわで、柔らかい身体をつよく抱きしめた。
……今日、俺の理性が本当に持つのか心配になってきた。こんなの続いたら流石に俺もやばい。
ここでキスでもしたら――そう思っていると、三葉は目を瞑っていた。
……ゴクッ、と唾を飲む。
「あ、う……」
動揺する。今日の三葉は絶対におかしい。いつも甘えてくるけど、今日はその三割り増しだ。
――今はまだ昼間だぞ!?それに三葉だってそのために呼んだわけじゃ……ないとは言えないけど、でも少なくともいきなり押し倒されるとかは絶対に思っていない!
ってか三葉は割と天然でこういう男心をくすぐる行動をする。
……よしオッケー。たぶん今ならキスしても押し倒さない。冷静さと思考力はとりあえずは取り戻した。
「……三葉」
――俺は彼女の名前を呼んで、当てるだけのキスをする。チュッ、と音が軽く鳴り、俺は三葉の唇から唇を離した。
三葉は薄目を開けて俺を見つめる。
……もう一回とは、この娘は。
俺はもう一度、玄関口で先ほどよりも深いキスをした――三葉と会ってまだ数分の出来事だった。
――本気で俺は、大丈夫か?
●◯●◯
「瀧くーん! チョコレートとカスタード、どっちが好き? あ、私は瀧くんが大好きだよ?」
あれからの、これだ。
三葉は橙色の少しばかりフリルのついたエプロンをつけて、今はお菓子を作っていた。
今日の三葉は自分で「今日は新婚さんの気分でおもてなしします!」っていうくらい、嫁力が高かった。
そういう観点から言えば、最初のお出迎え抱きつきからのキスも嫁力の表れなのか?
……家に入り、リビングに着くと漂ってきたのは料理の良い匂い。
三葉は俺がまだ昼食をとっていないと思い、ホワイトクリームベースのチーズグラタンを作ってくれていたんだ。
それを二人で仲良く食べて(三葉は俺の席の隣に座ってちょくちょく食べさせてくる)、のんびりとしていたら(三葉に膝枕してもらって)三葉がケーキを作ると言って、今は二人でリビングに立っている。
「俺は三葉が好きだ――って何言わせてんだよ」
「え~、言ったのは瀧くんでしょ? それより、どっちが良い?」
「じゃあチョコで」
……見た感じ、三葉が作っているのはフォンダンショコラか。何回かカフェで食べたことがあるお菓子だ。
フォンダンショコラってのはチョコレートケーキの一種で、フォークを入れるとそこからクリーム状のチョコレートがとろけるようなケーキだ。
あらかじめ用意していたかのように冷えて固められたチョコレートの固体を混ぜ合わせたカップの容器に入れられた生地に一つ投入し、それをオーブンで焼くこと十数分。
……時間が経つごとに漂ってくるのはお菓子が焼ける甘い匂い。そこにほんのりリキュールを香り付けで入れているのか、その匂いも微かに匂う。
――三葉はやっぱり、女子力の塊だということを今更ながら再認識した。完成したお菓子を見て深々とそう思った。
本当にカフェとかで出てきそうな出来栄えでちょっと感動する。
……三葉、お菓子作りもできるんだな。
「……瀧くん、ちょっと危ないよ?」
「…………いいんじゃん、ちょっとくらい」
……机の上に鉄板のプレートを置いた時に、後ろから三葉を抱きしめる。なんか、自分のために色々頑張ってくれて嬉しいというか……なんか抱き着きたくなった。
三葉は特に慌てることなく苦笑しているけど、特に嫌がるそぶりは見せずに彼女の前にある俺の手をギュッと握る。
……やっばい、これ。めちゃくちゃ幸せだ。もうずっと抱き締められる気さえする。
お菓子の甘い匂いが俺に伝染したように、ただひたすらに甘い心境だ――時間を忘れたように抱きしめた。
「瀧くんって一回こうなると、すっごく甘えん坊になるよね」
「……いやか?」
「……嫌じゃないから、困る。もっとたくさん考えてたのに、それがどうでも良くなるんだよ?」
俺はそっと彼女を離すと、三葉はほんのり赤くなり、微笑んでコツンと俺の胸を叩く。
……甘酸っぱい。言葉にするなら何故かそれがしっくりきた。
ただただ甘い触れ合いなのに、どうしてこんなにも甘酸っぱいんだろう。……三葉と触れ合っている時、たまにそう感じるんだ。
でも甘酸っぱさを幸せに感じた。
「――あ、でも流石にそれは無理かな」
――そんな甘酸っぱい空気は、あっけらかんとした三葉の言葉によって霧散する。
三葉の表情はかなりの笑顔だ。笑顔すぎると言っても良いほどの笑顔だ。
だけど何故だろう――ちょっと、その笑顔が怖かった。
「え、それって」
「瀧くん、先に席に座っていて? 色々用意してくるから」
……三葉は相変わらずニコニコと笑いながら、今一度リビングに消えていく。
――俺はその一抹の不安を胸に抱きつつ、今はただ席に座って三葉を待つことしかできなかった。
◯●◯●
結論だけいうと、先ほどの不安が嘘のようにその後の時間を過ごした。
今はリビングから三葉の部屋に移り、ベッドの上で二人寄り添いながらアルバムや雑誌を見ている。彼女とベッドの上で手を繋ぎながら触れ合っているというのに、俺は何故かドキドキよりもハラハラが先決していた。
まるで、何かの前触れのようにも感じる。
――三葉はずっと、ニコニコしている。話していても常に笑って、ずっとゼロ距離で甘えてくる。
「ちっちゃい三葉と四葉だな――三葉は高校の時と今の髪型はほとんど一緒なんだな」
「そうだね。普段は時間ないからしないけど、昔はいつもこの髪型だったんだよ」
「へ、へー……」
写真を見て何故か懐かしいと思うものの、でもそれが今は気にならない。
そこで俺はふと思いつく――もしかして三葉、何か怒ってるのか?
いや、だけど思い当たる節は……あるにはあるが、それにしたって異様に甘えてくる。
「ん、どうしたの? 何か考え事かな?」
「い、いや。み、三葉のことを考えてたんだよ」
取り繕うような言葉に、なおも三葉は笑顔だ。
「そっか。私もいつも瀧くんのこと考えてるから、お揃いだね?」
「あ、ああ……」
三葉と繋ぐ手の平が汗ばむのを自覚した。いつもとは違うタイプの緊張が俺を襲い、心臓も嫌な意味で高まり響く。
――やっぱり違う。これはいつもの甘え方じゃない。いつもはもっと自然というか、少し恥じらいつつも正直なのが三葉だ。
俺はすっと、三葉の手を離す。すると――
「……へぇ。離すんだ、私の手。――四葉とは手、握ってたのに」
――三葉の声のトーンが、一気に低くなる。その瞬間体温が下がっていくのを理解した。
……俺の馬鹿野郎。何大事なこと忘れてんだ――これはオハナシだ。三葉が言ってたじゃないか、次に会った時にお話がありますって。
「い、いや! これは違っ」
「違わないよね? 四葉を家に連れ込んだ挙句、誘惑に勝てず手を出したんだよね?」
「その言い方には語弊があるからな!? それにあいつは妹みたいな存在で――」
「――会社で、八方美人して点数稼ぎしてるんだよね? めぐ先輩、だっけ?」
――筒抜けな上に、大事な情報が伝わっていないことを理解した瞬間だった。四葉はよりにもよって、伝えて欲しくないことと伝えてほしいことを最悪な塩梅で伝えてしまっていた。
……ベッドの上で、三葉が迫る。俺は逃げるようにベッドの端に後ずさった。
「い、いや先輩はそもそもどうでもいいっていうかさ! さっきだって――あ」
「さっきって、どういうことなん」
自分が失言をしたことを自覚した。これはマズイ――とうとう三葉から微笑みが消えた。
……無表情のまま三葉は俺を押し倒す。シュチュエーション的には最高だけど、これは喜べない!! っていうか怖い!!
三葉の横髪が俺の顔に掛かり、三葉の吐息が掛かるのにどうしてこんにもいやらしい気持ちにならないんだろう……。
――現実逃避をしながら思っても、三葉は変わらなかった。
「まさかと思うけど、ここに来る前に先輩に会ったの? ねえ瀧くん、その辺りをお姉さんじぃーっくり、聞きたいなー?」
三葉の人差し指が俺の胸元をすぅっと沿うようになぞる。
……これは嘘を吐くとか、取り繕う場面じゃない。
――俺は弁明することを諦め、全てを素直に話すと誓った瞬間だった。
俺が事実を包み隠すことなく話すこと数十分。その間、三葉は俺の上に跨り、上から見下ろすように俺をじっと見つめている。
――胸や太ももが思いっきり密着しているけど、今の心情的に三葉を性的に見ることは出来ない。
……一通りの説明を終えると、三葉は少し溜息を吐いた。
「まあそんなことやろうと思っとったけどね」
……三葉は肩の力を抜くように、俺に体重を委ねる。頭を俺の胸元にコツンと乗っけて、さっきまでとは違って方言を端々に漏らした。
「その、俺としては言う必要がないと思ったんだよ。でもそれが三葉を不安にさせたなら、謝る――ごめん」
「……いいんやよ。半分は私の勝手な嫉妬やから」
三葉はその状態のまま、そう話し続けた。
「……私以外が瀧くんに何かしてあげるのが、ちょっと嫌やった。だからかな。今日、瀧くんに凄く尽くしてあげたくて呼んだんやよ――でもやっぱり追求は必要と思って、最初はとことん甘えようって思って」
「だからいつもよりも甘えてきたのか……。それで、後で最後に俺が余計なことを言ったから」
「……うん。まさか同じマンションに住んでいるとは思ってもなかったし、瀧くんを誘ったって聞いて、もう我慢できんくて――やな女やよ。瀧くんのこと信じてるのに、嫉妬ばっかり」
三葉は俺の服をキュッと掴み、自己嫌悪をするようにそう呟く。
……馬鹿か、俺は。彼女を不安にさせて、それでも男か。
元はと言えば俺の中途半端な行動が招いた結果なんだ。確かに三葉は嫉妬深いだろうけど、それでも俺が悪い。
――俺は三葉を優しく抱き締めた。
「……瀧、くん?」
「……ごめんな三葉。でもさ、こんなことをするのは三葉だけだよ」
俺の上の三葉は、顔と視線を俺に向ける。
少し瞳に涙を溜めるその顔を、俺は見たくない。俺の前ではいつも笑顔でいてほしい。
「三葉の綺麗な髪を梳くのは俺だけだし、華奢なこの体を抱きしめるのも俺だけだ。三葉とキスできるのも世界中で俺だけで――って、くっさい台詞だよな」
つまり何が言いたいかと言えば、それは言葉を捻る必要がないのならば――
「――三葉だけがいいんだ。他なんてどうでもいい。それだけは、信じて欲しい」
三葉の額にキスをした後で、俺はそう断言する。心配症で嫉妬屋の三葉にさ、包み隠さずに断言しよう。
好きは好きと、嘘偽りのない言葉で向き合うんだ。
……三葉は俺の胸元に顔を埋め、少し震える。
「……ダメ。今は、私の顔を見んといて……ッ!」
「――やだ」
俺は攻守を逆転するようにクルリと回転して、三葉を押し倒す態勢になる。
半端無理やり顔を隠そうとする彼女の両手首を抑え、その顔を見ようとした。
「い、いややぁ……っ。こ、こんな情けない顔、瀧くんに見られたくないんやよぉ……っ!!」
「…………」
――三葉は涙で目元を潤わせながらも、頬を真っ赤にして口元を緩ませていた。ふにゃふにゃに歪んだ幸せそうな表情を見て、彼女はイヤイヤと首を振る。
そんな三葉に顔を近づける。こんな三葉に、何もしないなんて無理だ。
これは三葉が悪い――こんな庇護欲を、支配欲を催させるくらい可愛い三葉が悪いに決まっている。
「んむ……ッ!? たき、く――」
話させない。俺は逃れようとする三葉の唇を啄ばむように、より深く……もっと深く繋がる。室内におおよそ似つかわしくないくちゅっと、粘膜が擦れるような淫猥な水温が鳴り響く。
――数分とも思えるほどの数秒のキスが終わり、唇を離す。俺と三葉の口からは糸が引かれ、三葉は荒い吐息を漏らして俺を見開いた目で見ていた。
ほんのりと滴り落ちる汗の雫と共に、部屋の中に俺たちの心臓の音が鳴り響くようだ。
「……わかってくれた、よな?」
「わ、わかったから! わかったから、もうこれ以上は……瀧くんが、もっともっと欲しくなるから……っ」
三葉はプイッとそっぽを向いて、小恥ずかしそうにそう呟く。そうやって一々俺の好きな仕草をするからこの娘は――
「……ダメ。やっぱり私、瀧くんにはずっと敵わないんやよ」
三葉は肩の力を抜く。まるで、拒むことを諦めたように――それから先のことを求めているように、力を抜いて、腕を俺の背中に回して俺を引き寄せた。
三葉と俺の顔が至近距離になる。三葉は目を瞑って唇を尖らせた。
……俺はそんな三葉を――
「――たっだいまー!! ……あれ? 瀧くんが来てるって聞いとったのに、おらんやん」
――理性を司る糸がぶちぎれた瞬間に聞こえる、能天気な声。
その声が聞こえた瞬間、俺と三葉はその状態のまま固まる。
……その能天気な声の主――四葉の帰宅を境に、俺たちの関係の進展は今回もない。
――それをどこか安心してなのか、落胆してなのかは分からないけど、でも俺と三葉はどちらともなく噴き出すように笑った。
「ふ、あはははは! なんだよ、このありがちな展開」
「ホント、そうやよ! ってか四葉のタイミング良すぎ!」
……後であいつには説教が必要だけど、でも――そんなに急ぐことはないよな。また機会があればで構わない。
俺と三葉はやっぱりゆっくりが似合っているんだ。ゆっくりと、でも着実に。
そんな俺たちのペースで進んでいくのが、きっと大切だ。流れに流されるほど面白くないことはないからさ。
「……名残惜しいけど、タイムアップやよ」
「何、残念なの? 三葉って意外とエロいよな」
「なッ!? 瀧くんこそ私のおっぱいばっか見てるやん! 変態!!」
「男は皆変態なんだよ! ってかそんな綺麗な体してる三葉が悪い!!」
「全部瀧くんのためやもん!!」
……口喧嘩してそうで、これって結局喧嘩してないよな。そんな言い合いをしていると、そろりと三葉の部屋の扉が開いた。
「お姉ちゃん、何楽しそうに話してるん――あ」
「「ん?」」
四葉が勢いよく扉を開いて、俺たちを見た瞬間に「やってしまった……」と思っているような顔をした。
……俺と三葉は、自分たちの状態を確認する。
――俺が三葉に覆いかぶさって、そんな俺を抱きしめている三葉。目と鼻の先に顔を近づけて、頬を擦り合わせて笑っている。
……それはどこからどうみても、二人の邪魔をしたとしか思えない状況であった。
「え、えっと……ご、ご――ごゆっくりぃぃぃ!!!」
「ちょ、四葉ぁ!? 違わなくはないけど、でもやっぱり違うから!! お前のそれは確実に勘違いだから!!」
「ん~……せっかくやし、続きする?」
「三葉、お前は悪乗りするな!! ってかもうそんな気分じゃない!!」
俺は三葉の上から飛び退いて、自室に走り去っていった四葉を追いかけようとする――も、その手を三葉に取られた。
俺は何だと思い振り返ると――ふにゅん、と三葉にキスされた。
先ほどまでとは違い軽いものだけど、このタイミングでそれをしてきた三葉を俺は見開いた目で見る。
……キスは一瞬だけで、三葉はそれをすると何か納得したような顔つきになった。
「――うん、そうやね。私ももう気分じゃないやよ。チューしても、温かい気持ちにしかならないから」
「…………」
「それと私以外の女の部屋に入るなんて許さへんからね? 次同じことするんなら――分かってるよね?」
「――はい」
……俺は三葉の背後に、なにかもっと別の恐ろしいものを感じた。
三葉の分かっている、というのはつまりあれだ――もっと線引きをしっかりしろと、勘違いさせるような行為は控えろと。三葉はあの笑顔で暗にそう伝えているんだろう。
――今日一日の三葉との触れ合いにおける教訓。
……三葉さんのオハナシは、甘くて怖くてエロかったです。
なお、この後で俺は三葉と四葉のお婆ちゃんの一葉さんと対面するわけだが、それはまた別の話である。
よ、ようやく完成した最新話……ギリギリを攻める中、中々キス以上先への進展させたくないジレンマがぁぁ!! もっとピュアピュアで砂糖物のイチャイチャが書きたい今日この頃であります。
ところで四葉ちゃんはすごく気に入っている&便利なキャラだと自分は思っております(笑)
っていうか更新を重ねるごとに文が長くなっているのは大丈夫なのでしょうか? できれば教えてくだされば助かります!
では次回の話は……ちょっと今回の続きを短めに描ければ(短くとは断言しません)良いかなと。
それでは次回もよろしくお願いします!