ネロは壁に立て掛けられた鋼の剣を無造作に掴み、エルザに向かって振り下ろした。わずかに膝を曲げるエルザは大きく跳躍し攻撃を避けると天井にまで到達し、身に纏ったローブから投げナイフを取り出し一斉に投げた。
投げられた数は四本。一本は素早く、一本は足を狙い、一本は腹を狙い、一本は首を狙う。緩急の付いた攻撃にこの狭い部屋の中では避ける事はできない。
だがネロは初めから避けるつもりなどなかった。
「ハンッ、こんなモンかよ!」
握った剣を振り回し、鋼同士がぶつかり合う音が響くとナイフは明後日の方向に飛んでいく。ネロは今までの経験とセンスでエルザの攻撃を簡単に往なす。
「いいえ、ダンスは始まったばかりよ」
「そう来なくっちゃな!」
ククリナイフを右手に持ち着地するエルザ、身をかがめながら素早く距離を詰めネロを制空圏内に入れる。首を目掛けて袈裟斬り。
普通の人間、並の兵士ならこの瞬間に血を吹き出している。けれどもネロは並の`人間`ではない。
互いの武器がぶつかり合い火花を散らす。
「遅いぜ!」
「ウフフッ」
袈裟斬り、袈裟斬り、足元から頭上に振り上げる。その剣先からは風圧が生まれ、ネロは続け様にジャンプして落下と同時に振り下ろす。
木製の床が叩き割られ衝撃に埃が舞い上がる。
でもその先にエルザの姿はない。ネロが握る鋼の剣の一メートル先でほくそ笑みながら立っている。
床を蹴るネロは詰め寄るとまた連続して剣を振る。
「ハァッ! オラァァァッ!」
「ほらほら、こっちよ……」
ネロの太刀筋を見切るエルザはダンスを踊るようにして刃を避けていく。ネロの攻撃が遅い訳ではないが、彼女の身のこなしも相当な物だ。ただ、普段から使い慣れていない武器なせいもある。この鋼の剣では軽すぎた。
「チッ、すばしっこい奴だな」
「剣の腕もそれなりに持ってるようね。では、今度はこちらの番」
「いいや、まだだね!」
走るネロは切っ先を前方に突き出し一気に距離を詰め、同時にエルザが射程圏内に入るとインパクトを込める。そのパワーにまたも風圧が発生し机や椅子が吹っ飛ばされるが、半身を反らす彼女は剣を避け、突き出される左手に触れた。
「もういいでしょう? ようやく私の番……」
「触るなッ!」
剣を使って振り払う。長い足の脚力を活かして飛び上がるエルザはネロの攻撃を受け付けない。跳ね上がる体は壁にまで到達し、そしてまた壁を蹴ると今度は天井に。
重力を無視したかのような動きを見せながら右へ左へ、上へ下へ飛び回る。そして投げられる投げナイフ。
剣のグリップに力を込め横一閃、一振りする度に風圧の発生するネロの攻撃は迫り来るナイフを一撃で弾き飛ばした。
「悪いなジジイ、家が滅茶苦茶になるけど許せよ」
握った剣を床に突き刺し、腰のホールダーからブルーローズを取り出す。距離を離し、尚且つ動き回るエルザを相手に剣で戦うのは骨が折れる。
トリガーを引きリボルバーが回転し、二発の弾丸が僅かな時間差で発射された。激しいマズルフラッシュと銃声が響き渡る。
「またソレ? 悪いけれど当たっては上げられない」
大口径のブルーローズの弾丸は直撃するモノ全てを吹き飛ばす。椅子や柱なども一撃で粉砕し、それでも弾の威力は損なわれない。
連続して発射されるブルーローズの弾。
天井を、壁を飛び跳ねながら弾を避けるエルザ。
数秒の間に壁は拳程の大きさの穴が幾つも開き、大量の埃と薬莢のニオイが部屋に充満する。三回、六発の弾丸がリボルバーから撃ち尽くされ、片手でブルーローズを傾け空薬莢を排出。
その頃になってエルザも天井から床に足を着けた。
「凄い威力、当たったら死んじゃいそう」
「試してみるか? 頭がザクロになりたいならよ!」
「ざくろ? まぁいいわ。それに時間も経ちすぎた。このままアナタの相手をしてると本当に追い付けなくなる。だからまたの機会に相手をして上げる、ボウヤ。フフッ」
「逃がすかッ!」
ネロを無視して逃げた三人の後を追おうとするエルザだが、ブルーローズに弾丸は既に装填した。狙いを定めトリガーを引くが身を屈めただけで避けられる。
だがネロの狙いはソレではない。見えない手が彼女の右足を掴んだ。
(なに!? 引っ張られる!)
身動きの取れない彼女はそのままネロの右手に吸い込まれ、そしてその細い足首を強引に掴まれてしまう。
「オラァァァァァッ!」
握った足首をそのままに、ネロは力ずくで彼女の体を振り回す。床に、壁に、柱に、為す術もなくエルザの体は叩き付けられる。
右腕をグルグルと振り回し、手当たり次第に彼女の体を叩き付け、痛め付けた。
肉が裂け、骨が折れ、血が流れ出る。舞い上がる埃に激しい衝撃音。そしてワインドアップのフォームを取るとネロは彼女の体を外に投げ飛ばした。
木で作られた壁がバリバリ破られ、外に飛び出した体が重力に引かれて地面に落下し、それでも残る慣性がエルザの体を転がして泥まみれにしてようやく止まった。
「逃がさないって言ったろ? ザクロにはしなかったが、これで許してやる」
外に出るネロは倒れて動かなくなったエルザにそう言った。彼女は地面に突っ伏したまま、けれども数秒もすると骨をバキバキと鳴らしながら立ち上がろうとする。
「オイオイ……マジかよ」
「フフフフフフフフふふふふふふふふふふふふ」
「殺さないように手加減はしたけどよ、それはちょっと予想外だ。お前、本当に人間なのか?」
「アアアあああァァァぁぁぁッッッハッハッハッハッ! 予想外なのは私もよ、まさかボウヤみたいな子がいたなんて! 魔法や精霊術も使わず私の体をこんなにするだなんて。久しぶりに本気を出したくなった!」
「本気ねぇ、出したいなら勝手に出せば良いけどよ。それなら俺も本気を出すとするかな」
言いながらエルザの体は驚異的な速度で回復していく。折れた骨は元の位置に戻り、切れた皮膚から流れ出る血も止まりキズも塞がる。
そしてその目に宿すのは、人間とは違う魔物の目。
「さぁ、まだまだダンスは終わってないわ! 奏でましょう賛美歌を! 舞い踊りましょう!」
「OK, Let`s rock!」
地面に刺さるナイフを拾い上げるエルザは前傾姿勢で風を切るように走り出し、瞬く間にネロを射程圏内に収める。ブルーローズを構えるネロだが、相手の方が動きが早い。狙いを定めてトリガーを引く間もなく、ナイフによる鋭い斬撃が襲い来る。
「くっ!?」
「あらあら? さっきの威勢はどうしたの?」
「うるせぇッ!」
攻撃を回避しながらブルーローズのトリガーを引く。激しい閃光と強力な弾丸が二発、けれどもエルザの体は無傷。弾は地面の土をえぐり出しただけだ。
続け様に二回、三回、連続してトリガーを引き続ける。甲高い銃声が響き渡るが長い手足を匠に動かし動き回るエルザのスピードを捉える事はない。
「チッ、すばしっこい」
「その武器の事、少しづつわかってきた。連続して撃てるのは三回まで。それに中から発射される物は真っ直ぐにしか飛ばない。それだけでもわかれば避けるのは簡単」
「へぇ、そうかよ!」
ネロはもう一度、エルザ目掛けてトリガーを引くが弾は体のどこにも当たらない。体を反らすだけで簡単に避けるエルザ。発射された弾はまたも地面に着弾した。
「ふふふ、何度やっても――」
口にしたセリフを全て言い終わる前に彼女の姿勢が崩れた。それは背後に着弾した弾丸が原因。突如としてエルザの背後で爆発が起こり、そのせいで前のめりになってしまう。
ネロはその瞬間を待っていた。
「はァァァッ!」
走り出すネロはグローブをはめた右手を思い切り突き出しエルザの顔面に叩き込む。衝撃が皮膚を伝わり骨が砕ける音が響く。けれどもネロの攻撃はまだ終わらない。左手も使い連続して何度も何度も、顔に、体に、鋭いパンチを叩き込む。
血が吹き出る、骨が折れる。それでも倒れないエルザの顔面に全力で右手を打ち込んで吹き飛ばすが、空中でクルリと姿勢を変えると難なく地面に着地する。
ネロの連続攻撃でダメージを受けた体もまた、数秒の内に回復していってしまう。
「どうなってんだテメェの体? 骨は十本以上ぶち折ってやったのにまだ倒れる気がしない。人間じゃないのか?」
「だとしたら何? 怖気づいた?」
「まさか、お前みたいなのを相手にするのは慣れてるからな!」
「そうでなくては面白くないわ」
再び殴り掛かろうとするネロ、だがエルザのキズの修復も早い。裂けた皮膚や折れた骨は既に回復しておりネロの右腕を受け止めた。
「フフフ……」
「ッ!? コイツ!」
「あら? この感触……」
「触るなって言ってるだろッ!」
腕を振り払うとエルザは飛び退くようにして距離を離す。そして忍ばせていた投げナイフを手に取ると反撃を開始した。
切っ先が鋭く光る投げナイフは空気を斬り裂きながらネロへと迫る。けれども簡単にやられてしまう程ネロは弱くない。
ガンホルダーから再びブルーローズを引き抜き向かって来るナイフを撃ち落とす。弾丸と切っ先とがぶつかり合い火花と甲高い音が響く。
ナイフは軌道を変え、クルクルと回転しながら在らぬ方向へと飛んでしまう。だがエルザの攻撃もまだ終わらない。続けて二本、三本とナイフを投げる。
その度に銃声とナイフがはじけ飛ぶ音だけが鳴り響く。
「アナタのお腹を掻っ捌いて腸を引きずり出してあげる!」
「早い!?」
右手でククリナイフを逆手に持つエルザは前傾姿勢でネロの元へ走り出す。その速度に照準を合わせるのが間に合わず、発射される弾丸は彼女が通り過ぎた地面に当たるだけ。一瞬の内に間合いを詰めるエルザは長い足の脚力を活かし飛び上がる。
元々の身体能力、更に落下速度と合わせて、ネロの喉元に目掛け上空から鋭利なククリナイフの切っ先を突き立てた。
明確な殺意を込めた、確実に相手を殺しに行く一撃。空気と共に皮膚を斬り裂き、骨を切断する。
『腸狩り』の異名を持つ彼女にとって人間の部位を一撃で切断する事など容易い。けれども必殺と思われたその一撃は、骨を切断する事もなければ皮膚を斬り裂く事もなかった。
予想とは違う結果。ククリナイフは血の一滴すら付着しておらず、切っ先はネロのコートの生地を少し切っただけ。
咄嗟に右腕掲げたネロはエルザの一撃をその右腕で受け止めていた。
殺すつもりで放った一撃が防がれた事で普通なら動揺したり、そうでなくともストレスになる筈だが彼女は不敵な笑みを浮かべる。
「やっぱりその右手、と言うより右腕かしら? 普通とは違うみたい」
「クッ!」
彼女を振り払うネロ。軽快に空中で体を回転させるエルザは再び地に足を着けると、グローブのはめられた右腕をねっとりと目で追う。
「ナイフを突き立てた時の感触……アレは籠手とは違う。甲殻類にも似た感触。でも私の攻撃を受け止められるだけの強度。フフフッ……」
「何がおかしい?」
「いいえ、アナタが言ったセリフをそのまま返すわ。人間じゃないの? 今までいろんな相手を殺して来たけれどアナタみたいなのは初めて」
「生憎とお前と話す気はないんでね。次は頭蓋骨をかち割ってやる。そうすればもう動けないだろ」
「えぇ、そこまでされれば私でも死んでしまうでしょうね。でも残念だけど私、脳みそには興味がないの。私、興味があるのは生物の腸だけなの。だから自分でお腹を裂いて腸を見た事もあるわ。血で暖められた温度と感触は何度やっても素晴らしいの」
「とんだサイコ野郎だな」
「さいこ? 時々わからない言葉を使うわね。アナタの腸も見たい所だったけれど、今日の所は引き上げるわ」
「逃がすと思ってるのか?」
「ふふ、楽しみが一つ増えた。私が殺すまでは死なないでね、ボウヤ……」
言うとエルザはネロに背を向けて走り出した。急いでブルーローズの銃口を向けるが、次の瞬間には闇の中へと消えてゆく。
耳の奥には彼女の高笑いが暫く聞こえていた。
死闘の末、ネロとエルザの決着は着かなかったが二人ともまだ全力を出してない事を互いにわかっている。
「ケッ……ボウヤか。舐めやがって、ムカつく奴だ」
ネロの頭の中では嫌でもあの男の顔が思い浮かぶ。
アンケートの結果、18時が一番多かったのでこれからはこの時間に更新していきます。
ご協力ありがとうございます。
これからもご意見、ご感想をお待ちしております。