日も傾き風が冷たくなって来た。
街の中心街を過ぎて数時間、時折休みながらもようやく貧民街にまで辿り着いたネロ。一片した景色はここが貧民街だと嫌でも主張してくる。
屋根や壁に穴の空いた家、ズタボロになった服で路地を歩く老人。男を誘惑する娼婦、酒屋だけは賑わいの様子が見て取れる。
「なるほど、絵に書いたような貧民街だ。そこらのスラムよりも質が悪そうだな。それで、ロム爺ってヤツの屋敷はあそこか?」
見えて来たのは木造建築の古い建造物。至る所に修復した痕がありとても屋敷と呼べる代物ではない。
「思ったよりもデカイな。でも屋敷って言うより蔵だな。人が住んでるかどうかも怪しいもんだ」
言いながらネロは屋敷の扉をノックもせずに取手に手を掛けた。施錠はされておらず簡単に開く扉。
すると中から塵や埃の混じった空気が吹き出し思わず眉をひそめる。
「クッ! 汚ねぇな。オイ、誰か居るか?」
屋敷の中は一切の光がなく、ネロは暗闇の中に立たされる。窓が1つとしてないこの屋敷の中に陽の光が差し込む事はない。
ネロの声は反響するだけで住民の気配は感じられず淀んだ空気だけが出迎える。返事が返って来ないのを確認したネロは不信に思いながらも中に向かって歩を進めた。
1歩進む度に床の埃が舞い上がる。
暗闇に目を慣らしながらゆっくりと進んだ先にはカウンターが設置されており、その奥には木箱が置いてあった。
カウンターの上には商品か何かだろうか、壺や皿などの食器。サビが浮き始めたフォークやナイフ、果ては西洋剣までもが無造作に置かれている。
「人は居るのか。値札が置いてあるって事は売り物か? こんなの誰が買うんだよ。オイ、誰も居ないのか!」
「聞こえてるよ。こっちだってやる事があるんだ。ちょっとくらい待ってろ」
声の聞こえた方に振り向くと奥の部屋から人が出て来た。ネロは思わずその体格に息を呑む。身長が一八〇センチはあるネロと比べても更に高い。
筋肉質で太い腕や手足、体格も大きく筋肉の塊のよう。見た目からして体重も一〇〇キロは軽く超えている。
頭部は一切髪の毛が生えておらずスキンヘッドだ。
ネロは店の奥から出て来た店主をマジマジと眺めるとようやく口を開く。
「アンタがロムか?」
「そうだがお前、初めて見る顔だな。どうやってこの場所を知った、誰の紹介だ?」
「フルーツ売ってる露店のオッサンに聞いただけだよ。ここに来れば換金してくれるってな」
「ここは換金所なんて立派な所じゃねぇよ。でも金には換えられる。物はあるんだろ? どれ、見せてみろ」
「あぁ、コレだよ」
ロングコートのポケットから出される銀色の硬貨。カウンターの上に置かれたソレを手に取るロム爺は片目を閉じて細かな部分まで凝視する。
「長い事生きてきたが初めて見るな。どこの国の硬貨だ?」
「何? 初めてだって?」
「あぁ、表面に建物を彫刻するたぁ凝った作りだな。それにコレ、使ってるのは銀か?」
「銀色なだけだよ。それより、アンタも知らないのか? 只の五セント硬貨だぞ?」
「ルグニカでは銀貨や金貨が普通じゃ。こんなの知らないヤツの方が多いじゃろ」
ロム爺の言葉を聞いてネロは頭を悩ませる。
(マジで俺はどこに来ちまったんだ? タイムスリップした訳でも魔界に転送された訳でもなさそうだな。ったく、どうしろって言うんだ!)
今のネロには情報が少なすぎる。どうしてここに来たのかもわからない。この場所が何なのかもわからなかった。当然、帰る目立ても見付からない。
手掛かりさえない状況で今は取り敢えず今日をどうするかを考えるしかなかった。
「わかったよ。取り敢えずそれで幾らになる?」
「他国の硬貨として換金するのは無理そうだ。だが造形物としてなら買い手が見つかるだろ。コインを集めてる金持ちの貴族にでも流せばすぐにな」
「そうか。取り敢えずあと3枚ある」
渡された五セント硬貨を受け取ったロム爺はカウンターの裏に置かれている木箱を開け銀貨を十枚取り出した。
アメリカ硬貨と違い一枚の銀貨は五センチはありとても大きい。
「ほらよ、持ってきなボウズ」
「あぁ、助かる」
「用がすんだならとっとと帰りな。その身なりで夜道ほっつき歩いてたら襲われても文句は言えねぇぞ」
「俺がそんじょそこらのヤツに負けるかよ」
そう言うとネロはアタッシュケースを片手に蔵から出て行こうとする。外へ繋がる扉まであと数歩まで迫った時、何者かが扉を開けた。
そして聞こえて来る相手の声はどこかで聞いた事がある。
「わりぃロム爺、待たせた! いやぁ、意外と引き離すのに時間が掛かってさ。でも獲物はちゃんと捕まえた――」
「お前……」
「ゲェッ! 何でお前がここに!?」
一人の少女が蔵の中へ入った来た。セミロングの金髪に赤い瞳。口の端から覗かせるチャーミングな八重歯。小柄な体に使い古した服を着ている。
見間違える筈もない。ネロのアタッシュケースを盗もうとした少女だ。
「まさか、ここまで仕返しに来たのか!?」
「仕返し? そんな事しねぇよ」
「本当だろうな? っとそれよりも。ロム爺、今日はコイツを頼む」
「ボウズ、フェルトと知り合いか?」
「まさか。知り合いたくなかったよ」
軽口を叩くネロには一切構わず、フェルトと呼ばれた少女はロム爺のカウンターにまで行く。
取り出したのは手の平サイズの徽章。鉛色の金属にドラゴンが意匠された徽章の中央には真っ赤に輝く宝石が埋め込まれており、ドラゴンの口が咥えているような造形だ。
徽章を受け取るロム爺は物を注意深く鑑定する。
精巧に作られた偽物ではないか、キズなどは付いてないか。
「う~ん、確かに本物のようだな」
「そうだろ、そうだろ! これで約束の聖金貨十枚は頂きってね!」
「それは肝心の契約者に言うんじゃ。本当にそれが聖金貨十枚で売れるかどうかは保証せんからな」
「わかってるって。早く来ないかなぁ~」
ロム爺にお墨付きを貰った少女はニヤけた表情をしながら『契約者』が訪れるのを待っていた。するとすぐに出入り口の扉が規則的に叩く音が響く。
ノックを耳にした途端、少女はネロを押し退けて一目散に扉の元へ走った。そして満面の笑みを浮かべながら扉を全開にする。
「良く来たな! 約束の徽章は手に入れたぞ。そっちも聖金貨十枚を――」
「持っていません。でもソレは返してもらうわ」
少女の顔が凍り付いたように固まる。
現れたのは白いローブを羽織り、肩まで伸びる銀髪が特徴的な可憐な少女。埃臭い蔵の中に少女の肌から香る甘い花の芳香が漂って来る。
アメジストのように紫掛かった少女の瞳は鋭かった。
「ようやく見付けた。今度は逃さないから」
「アンタも良い加減にしつこい奴だな」
「盗人のアナタに言われるのはおかしいと思うのだけれど。それよりも盗んだ徽章を返してちょうだい。素直にしてくれれば痛い思いはしないわ」
「へへ、冗談……」
言いながらフェルトはジリジリと後ずさりし銀髪の少女から距離を離す。当然ソレを見逃す筈もなく、ゆっくりと歩を進めながら右手を突き出す。
銀髪の少女を起点として何本もの氷柱が宙に浮いて発生し、溢れ出す冷気は瞬く間に室内の温度を下げて凍り付いた空気がひび割れる音が響く。
その様子にフェルトの背中には冷たい汗が流れる。
けれどもネロは宙に浮く氷柱を目にして頭の中で疑問が浮かび上がった。
「何だ、あの氷柱は?」
考えを巡らせても真実はわからない。けれどもデビルハントの経験から来る悪魔の気配は感じられないし、`右腕`も何の反応も示さない。
そうしてる間にも宙に浮く氷柱の数は六本にまで増え、フェルトの逃げる場所も確実に狭まりつつある。
見兼ねたネロはロム爺に向かって声を掛けてみた。
「オイ、あのフェルトってガキはアンタの知り合いなんだろ? 助けてやらなくて良いのか? このままじゃ殺すまではいかなくても怪我くらいするかもな」
「持ち込むのは品物だけにして欲しいもんだ。厄介事まで持ち込みおって」
「あの目はマジだぜ。本格的に始める前に止めろよ」
「儂だって相手が普通の女ならここまで躊躇しねぇよ」
「普通?」
「お嬢ちゃん、あんたエルフだろ?」
ネロよりも背が高い巨漢の老人が歳幾ばくもない銀髪の少女に対して警戒心をあらわにしながら、震える口を開ける。
少女は瞑目し、小さく吐息した。
「正確には半分だけよ」
「ハーフエルフじゃと!? まさかお主は――」
「それは違います! 私がハーフエルフなのも髪の毛が銀色なのも全て偶然よ! 私だってこの事で苦労してるの……」
話す少女の言葉尻は段々と小さくなる。
状況が飲み込めないネロは取り敢えず、隙を見付けて逃げようとするフェルトの首根っこを押さえた。
「OK、面倒な事はナシで行こう。これで良いか?」
「なッ!? 何しやがるんだお前!」
「盗んだ物返せば帰ってくれるだろ。そうだよな? えっと……」
ネロに安々と掴まれたフェルトは必死に暴れるが、まだまだ幼い彼女がどれだけ力を振るった所でびくともしない。
手足を必死にぶつけてみてもネロは素知らぬ顔だ。
一方で氷柱を召喚した銀髪の少女にネロは目を向けるが肝心の名前を未だに知らず口ごもる。
少女は一瞬ためらうが、氷柱を一瞬の内に消すと自らの名前を名乗った。
「私はエミリア……。只のエミリア。アナタは?」
「俺か? 俺はネロだ」
「ネロ……。良い名前ね」
「お前もな。それで、盗んだ物を返せば帰ってくれるのか?」
「えぇ、私の目的は徽章を取り戻す事だから。返して頂ければ速やかにここから立ち去ります」
「そうか。聞いてたかクソガキ」
「クソガキって言うな! このデカブツ!」
「さっさと盗んだ物を返しな。あぁ、それともう1つだけ言っておく。俺のアタッシュケース盗もうとしてた事、忘れた訳じゃないからな」
「うぐッ!? わ、わかったよ……」
観念したフェルトはネロに開放されるとカウンターの上に置かれた徽章を手に取った。折角手に入れた物を手放す、その事が余程恨めしいのか苦虫を潰した表情になっている。
とぼとぼと歩を進め、本来の持ち主であるエミリアに手渡たそうとしたその時。
「ほらよ、返すよ。キズとかも付いてねぇから」
「ありがとう」
ようやく戻って来た徽章を見て表情が明るくなるエミリア。右手を伸ばし徽章を受け取ろうとした瞬間、その背後でそっと、滑るように黒い影が忍び寄る。
銀色に光る何かがエミリアの白い首元に迫るも彼女はまだ気が付いてない。
「動くなよ」
「え……」
ガンホルダーから六連装大口径リボルバー、ブルーローズを引き抜いたネロはエミリアに向けて突き付けた。
突然の事に理解が追い付かないエミリア。そうしてる間にもネロは躊躇なくトリガーを引いた。
爆発音が響き渡り時間差で二発の弾丸が発射される。
目にもとまらぬ速さで空気を突き抜ける弾丸は首元に迫る銀色のソレに命中した。
響く金属音。
弾丸と鉄とがぶつかり合い、隠れていた物体がはじけ飛ぶ。ナイフ、刃渡りが二〇センチはありそうな巨大なナイフ。ククリナイフと呼ばれる殺傷能力の高い短刀のような武器。
それが木の床の上に落ちる。
残るのは硝煙の匂いと耳鳴りだけ。
「え……何なの!?」
「下がってろ! まだどこかに隠れてる」
「隠れてるって何が? それにその武器は何?」
「そんな事話してる暇なんてあるかよ。良いから早く下がれ。お前もだクソガキ」
「またクソガキって言いやがったな!」
「そこか!」
今度は天井目掛けてブルーローズのトリガーを引いた。闇に隠れる影は寸前の所でコレを避け、三人の前に姿を表す。
薄暗い蔵の中で、弾丸が突き破った天井から夕焼けの光が差し込む。そのお陰で影の正体が見えてきた。
身長の高い女性。
黒い外套に黒いハイヒールを履いており背丈は一七〇センチ程だ。
見た目も若く年齢は二十台前半。白い肌が薄暗い蔵の中でもはっきりと目立つ。
腰まで届く長い黒髪を編むように束ねている。
「チッ、見つかった。あの男……」
瞬時に戦闘態勢に入る女は姿勢を低くした状態で走り出す。はじけ飛んだナイフを手に取ると床を蹴り飛び上がる。殺気を漲らせた鋭い目で首筋に狙いを定め再びエミリアに襲い掛かろうとするが、甲高い銃声が再び響き渡る。
鋼で作られたククリナイフと二発の弾丸がぶつかり合う。金属音を響かせて、手に握ったナイフはまたも宙に舞う。
持っていた武器を手放してしまった女は動きを止めてゆっくりと立ち上がった。ようやく目にした襲撃者の顔。その美貌とは裏腹に目は殺気を帯びている。
ブルーローズを左手に握るネロは銃口を目の前の女に突き付けたままだ。
「ちゃんと入り口から入って来いよ。ビックリするじゃねぇか」
「だってビックリさせようと思って入って来たのだもの。それよりも私が来る事が良くわかったわね」
「お前からは血の匂いがプンプンするぜ。それにその殺気、見付けてくれって言ってるようなもんだ」
「若いのに経験が豊富なのね」
話しながら女は床に突き刺さるククリナイフを取る為に歩き出す。けれども攻撃はしない。ここでトリガーを引けば相手はまた戦闘態勢に入ってしまう。
そうなればまだこの蔵の中から逃げてない3人が真っ先に狙われる。
相手の一挙手一投足に注意を払いながら中距離を保つようにネロも足を動かす。
「アナタの握るソレ、初めて見るわね。魔法とも違う見た事のない武器、気になるわぁ」
「だったらどうした? 力ずくで奪い取るってか?」
「それも良いけれど、まずはその徽章を頂こうかしら」
奇襲を仕掛けてきた相手と会話を繰り広げるネロ。その様子からは余裕さえも伺える。けれども同じ部屋に居るロム爺とフェルトは違う。
突如として現れた襲撃者は的の腹を切り裂くことを喜びとする『腸狩り』の異名を持つ女。
「わかったぞ、貴様の名前。腸狩りのエルザ・グランヒルテ」
「良くご存知で、ご老体」
「逃げろボウズ! 人より少し腕っ節があるくらいで勝てる相手じゃねぇ!」
「オイオイ、俺も随分舐められたもんだな。オイ、クソガキ」
「だからクソガキって言うな!」
「邪魔にならないようにジジイと外に逃げてろ。エミリアもだ」
三人を庇うように、ブルーローズを構えるネロはエルザに銃口を突き付ける。不敵な笑みを浮かべる両者にもう誰も水を差す事はできない。
フェルトを抱えるロム爺は奥の部屋へ続く通路に向かい、最後に振り返った。
「死ぬなよボウズ」
「時間くらいは稼げよ!」
「お願い、死なないでね。ネロ」
三人はネロを置いてこの場から立ち去って行く。聞こえない距離にまで全員が逃げてようやく、ネロはボソリと呟いた。
「死ぬかよ」
「もう準備は宜しいかしら?」
「待っててくれたのか? お優しい事で」
「待つのは慣れてるの」
「OK、それじゃおっ始めるとしようぜ!」
「ダンスの開幕、退屈させないでね?」
「お前もなッ!」
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