月が夜空に浮かぶ中、暗い林道の中を竜車は一定の速度を維持したまま進んでいる。
ガタガタ揺れる荷台の中でアルデバランは無神経に眠っており、エミリアは毛布に包まりながら外の景色を眺めていた。
「ネロ、お願いがあるのだけれど?」
「急に何だよ?」
向かいに座るネロは不機嫌にエミリアへ視線を向けるが、構わずに口を開く。
「その右腕、もう一度だけ見たいの!」
「嫌だよ」
「が~ん……」
素っ気なく言ってのけるとあからさまに落ち込むエミリア。ネロの右腕を見たのはロズワールと戦い終わって城で食事をしている時だけ。
もっと近くで形を見てみたいし、触れた感触も確かめてみたい。好奇心に溢れるエミリアだが、ネロの気が変わる事はなかった。
「が~んって……自分の口で言うか?」
「お願い! どうしても気になるの!」
「ダメだって、見せ物じゃねぇんだ」
「なら、もうちょっとだけ詳しく聞きたいの。その腕のこと」
「こんなのがそんなに気になるか?」
「パックがね、その腕が臭うって言ってたの」
「臭うって……風呂はちゃんと入ってるぞ? ……あぁ、ネコだからな。人間とは嗅覚が違うか」
「そうじゃなくて……くさいとかじゃなくて、魔女の臭いに似てるって言ってたの」
「へぇ……魔女ね……」
グローブで隠された右腕。ジッとそれを見るエミリアの根気に負けてため息をつく。でもグローブを外したりはしない。
「魔女のことなんてさっぱりだ。で、聞きたいって他に何が聞きたいんだよ? 俺だってこの腕のことはほとんど何も知らないんだ。元の場所で仕事をミスってケガしたら次の日にはこうなってた」
「仕事って?」
「悪魔退治だ。腕っぷしがあれば金が貰える。俺が普通の会社員なんて考えたくも――」
「悪魔退治!?」
目を見開くエミリアは思わず前のめりになる。そんな彼女の額を人差し指でゆっくり押し返し、また反動を付けて前のめりになると声のボリュームを上げて喋りだす。
「悪魔ってどういうこと悪魔ってあの悪魔よね絵本やおとぎ話に出て来るあの角と尻尾と羽を付けたあの悪魔のことでしょ悪魔を退治するってどうするの魔法や精霊術で退治できるのそれもそうだけど悪魔がどんな――」
「待て、待てって。落ち着けよ」
「ご、ごめんなさい……ちょっと興奮しちゃって」
「俺もちょっと聞きたいんだけど、ここでは悪魔がいないのか?」
「悪魔なんていないわ。それこそ絵本やおとぎ話でしか」
「魔獣とか、魔法とか、魔女がいるなら悪魔くらい普通だろ? そんなに驚くなんて意外だったよ」
「悪魔なんて見たこともないわよ。ねぇ、悪魔ってどんな姿をしてるの?」
「えぇ、説明すんのかよ……色々だよ、二足歩行のトカゲみたいな奴、人間サイズのマリオネット、炎を使う奴とか」
「炎? 悪魔も魔法や精霊術を使えるの?」
好奇心の収まらないエミリアは質問を続けるがネロは眉間にシワを寄せる。
「知らねぇよ、俺はぶっ倒すのが専門だったからな。悪魔がどういう原理で動いてるとか、そんな細かいことまで気にしたことねぇ」
「どんな些細なことでもいいの! 悪魔がどういったものなのか知りたいの!」
「……子供はもう寝る時間だ。俺ももう寝る。またの機会にしてくれ」
「なら明日! 絶対ね!」
「気が向いたらな」
そうして夜が更ける。時々、地竜の休憩を挟みながら林道を進んで行く。
寝るように言われたエミリアだが目が冴えてしまっており、毛布に包まりながらも眠気がなかなか来てくれない。ようやくウトウトし始めた頃、枝葉の先、薄暗い雲の奥から光が刺す。
「もう少しで朝ね……」
「あの~! 一旦休憩してもいいですか? 地竜にも餌をあげたいので」
「うん、いいわよ。私達もちょっと早いけど朝食にしましょう、ネロ。……ネロ?」
同様に外の景色を眺めているネロだが、その表情は険しい。荷台の揺れがゆっくりと治まり、地竜が足の動きを止めるのを見てオットーは手綱を手放す。
ネロは立て掛けてあるレッドクイーンを手にすると床に寝ているアルデバランの横腹を無造作に蹴る。
「オイ、起きろ」
「ガぁぁあ゛ぁぁぁ~……っむう……ぐぅぅぅヴぅぅ~」
「起きろっつってんだよ!」
「がッ!? いって~……人を起こすくらいもうちょっと優しくしろよな。飯の時間か?」
「その前に朝の体操だな。殺気を感じる」
「そういうことね。わかったよ」
立ち上がるアルデバランも鉄兜の位置を正すと床に置いていた片手剣を手に取る。エミリアは未だに二人が剣を手に取った理由がわからない。
「アルデバランもどうしたの? これから――」
「嬢ちゃんはこの荷台から絶対に出るなよ。朝から一仕事だ」
言葉を遮ると表に出るアルデバランとネロ。そこにオットーもやって来るが、襟首を捕まれると否応なしに荷台の中へ投げ込まれる。
「ちょッ!? ――っデぇ!? いきなり何するんですか! 顔面からぶつかって鼻の皮が剥けたじゃないですか!」
「オットー、お前もだ」
「え……お前もって?」
「この荷台から外には絶対に出るんじゃねぇ! 目的地まではまだ距離がある、ここで足がなくなるのはマジでヤバイ。引くも押すもできなくなる」
「ちゃんと説明してくださいよ。どういうことなのかさっぱり――」
するとブルーローズを引き抜くネロがトリガーを引く。激しいマズルフラッシュと爆音、遅れて鋼が激突する甲高い音が響く。
銃声に驚くオットーは思わず尻餅をついてしまう。
「ひッ!? あの……お願いですからソレ、近くで使うの止めてくれます?」
「俺じゃなくて敵に言えよ、敵に」
「敵?」
「これだよ」
クルクル回るナイフが上から落ちて来る。グローブを嵌めた手で受け止め、背後のオットーに見えるように持つ。
そして未だに姿を見せない相手に痺れを切らして大声で呼び掛ける。
「オイ、いい加減に出てこい! コソコソと鬱陶しいんだよ!」
「ッ……!?」
現れた人、集団を目の当たりにしてオットーとエミリアは息を飲む。全身を黒いローブで隠し、顔さえも目元を開けただけの布に隠されて見る事はできない。
手にはナイフを握り、遠目に見ても不審で不気味な存在が木々の影から一人、二人、数えきれないくらい現れる。
恐怖に震えるオットーとは対照的に、ネロは握っているナイフを無造作に前に投げ捨てると啖呵を切る。
「忘れ物だぜ? 今度は失くすなよ」
「…………」
無言のままローブを被った一人が捨てられてナイフを拾い上げる。
「ありがとうくらい言えよな」
「…………」
「無視かよ。お喋りは嫌いか? 気が合いそうだな」
ネロのセリフを聞いて隣に立つアルデバランが肘で横腹をこつく。
「オイ、冗談でもあいつらと気が合うなんて言うな」
「あん? そもそも、あの薄気味悪い連中は誰なんだ?」
「奴らは魔女教だ」
「魔女教? どっかで聞いたな」
「頭がとち狂った連中だ。躊躇することはねぇ、殺すんだ」
「そいつは穏やかじゃねぇな」
「話は通じない、何考えてるかもわからねぇ、そんな奴らが武器を持って攻めて来るんだぞ? 殺すしかない」
二人が話している間、周囲を囲む魔女教の人間は攻めてこない。そうしてると、新たにもう一人の人間がネロとアルデバランの前に現れる。
黒いローブを纏っているが顔を隠していなかった。深緑の髪の毛をおかっぱにそろえており、魚のように剥き出しの目は無表情で精気を感じられない。
顔も痩せこけており頬の骨に皮膚がピッタリ張り付いている。男は腰を九十度に曲げると不必要に大きな声を出す。
「よぉぉぉこそ、お待ちしておりました。ワタシは魔女教、大罪司教であり『怠惰』担当、ペテルギウス・ロマネコンティ……デス!」
姿勢はそのままに顔を前に向けるペテルギウス。肺から空気を吐き出すと長く伸ばした舌を自らの歯で噛みちぎる勢いで挟み込む。
それを目の当たりにしてネロは大きくため息をつく。
「ここにはどうしてこう……頭のイカれてる奴らばっかなんだ?」
「うん? 一つ確認したいんだけどよ……『奴ら』って言ったけど俺のことは入ってないよね?」
隣に立つアルデバランが聞くもネロは無視する。
「オイ、ちゃんと答えろよ。『奴ら』って複数形だよね? あいつと他は誰なんだよ?」
「人を殺すのはあんまり気分がよくねぇけど、コイツなら心配することもねぇな」
「あッ! わかった、ロズワールのことだろ? あいつも相当な変人で有名だもんね」
「ド頭をぶち抜く!」
「俺は違うからな! あんな奴と一緒にしないでもらえる!? もぅほんと、お願い」
ブルーローズに弾を込めるとペテルギウスに狙いを定め躊躇なくトリガーを引く。が、別のローブを纏う人間が壁になり弾を受ける。腹部から血を流し倒れるのを見て、ペテルギウスはギコギコ頭部を傾け、折り曲げていた腰を元に戻す。
「あら? 何です、この布袋は? それよりも……お待ちしておりました。寵愛の信徒よ!」
「信徒?」
「半魔の少女をこの場に連れて来てくれるとぅわ。アナタ、勤勉デスねぇ。さぁさぁさぁさぁ! 支えられる愛に答える為に……我々は……ワタシはここにいるのデス! 試練を果たすことで愛による慈悲を――」
甲高い銃声が響き渡る。ペテルギウスの声が遮断されて足元には弾丸でえぐれた土。これ以上この男のセリフを聞くのが我慢できなくなったネロがもう一発トリガーを引いていた。
「わかんねぇことほざくな! サイコ野郎、テメェは何者だ! エミリアが目的か!」
「んっふふふぅ、怠惰デスねぇ。人の話は最後まで聞きましょう。でなければ愛に報われることはありません。ワタシはワタシハわたしわワタシはァァァ、脳ガァッ! 脳が震えるるるるるルル」
「気味が悪ぃ奴だ」
「愛……愛なのですよ! それこそがこの世の真理! アナタあなた貴方あなたアナタがががががッ!」
自らの指を噛むペテルギウス。狂った笑いを見せながら皮膚だけの指を噛み、噛みちぎり、爪が剥がれて舌に血の味が広がりながらも噛み続け、薬指の第一関節から先がプラプラ揺れる。
「なんと!? ワタシの指が……あぁ、でもこれが試練! 指はまだ九本も残っていマス。怠惰! 怠惰たいだ怠惰タイダ怠惰!」
「もう勘弁してくれ……やるぜ、オッサン!」
「雑魚でも数が多い、気ぃ抜くんじゃねぇぞ?」
「了解!」
地面を蹴るネロはレッドクイーンを手に取り魔女教に向かって刃を振り下ろす。アルデバランも片手剣を抜き、竜車を傷付けられないよう守りながら敵の相手をする。
動き出すネロを見て、ローブを纏う集団はナイフを手に取り、右手を前方に掲げて魔法を放つ。
「ノロいんだよッ!」
ネロの戦闘能力の方が圧倒的に高く、レッドクイーンの刃が胴体を斬る。ブルーローズの弾丸が胸を撃ち抜き、グローブを嵌めた右手で相手の見えない顔面をぶん殴って吹き飛ばす。
飛ばされた体が木に激突しようやく動きが止まるが、前のめりに倒れるよりも早くにアルデバランの刃が首をかっさばく。
「テメェらに可哀そうなんて感情は沸かねぇ。魔女教……邪魔するってなら全員ぶっ殺す!」
ネロと対等に戦ったアルデバランも有象無象に負ける道理はない。片腕だけで剣を振り、一人、二人と死体を増やしていく。
「うらぁぁぁッ!」
「くたばれ!」
二人が剣を振るう中、荷台の中で背中を丸め頭を抱えるオットー。でもチラリと外の様子を見て、ゆっくり抱えていた両手を元に戻した。
ネロとアルデバランの戦闘力を目の当たりにして、ほっと胸をなでおろす。
「アルデバランさんもそうだけど、あのネロって人も強い……!」
「当然よ! ネロは騎士になれるだけの才能があるもの!」
「あの……何故、アナタが自慢げなんですか?」
両手を腰に当てて鼻高々に言ってのけるエミリア。二人に任せていれば全ての魔女教徒を倒すのにそう時間は掛からない。
それでも次々と現れる魔女教徒。ネロは火を噴くレッドクイーンで横一閃し、三人まとめて斬り捨てる。
「デァァァッ! クソ、どれだけいるんだ?」
「どうした兄ちゃん? スタミナ切れか?」
「冗談言ってんじゃねぇ……よ!」
「ハハ、そうこなくっちゃ」
また一人、ネロの前に魔女教徒が倒れていく。その際、手放したナイフが明後日の方向へ飛んでいき、荷台の中のオットの指と指の間に切っ先が突き刺さる。
状況を瞬時に理解できないオットー、数秒遅れて飛び跳ねた。
「ゔぁあ゛ぁッ!?」
「……ア……リア……」
小さな声が聞こえる。エミリアにだけささやく小さな声。右へ左へ視線を移すと、そこにいたのはパックだった。
「リア!」
「パック!? どうしたの?」
「目覚めるのが遅れてゴメン。それにしても魔女教徒の襲撃だなんて……リア、ここから逃げるんだ」
「逃げるって……ネロがここから動くなって……」
「そんなことを言ってる場合じゃないよ。捕まったら殺される。アイツらの規模は未知数なんだ、どれだけの数で攻めてくるか……今ならまだ間に合う、逃げるんだ!」
「ちょっと!?」
エミリアの手を引くパックは彼女を荷台から連れ出す。オットーは手を伸ばすも既に遅く、荷台から離れて行ってしまう。
「外は危ないですって!? 戻って下さいよ!」
声は届かず、林の中へ彼女の小さな背中が消えていく。それを見ても自分で追い掛ける程の勇気はなく、外で戦うネロとアルデバランに向かって叫ぶ。
「エミリアさんが外に逃げました!」
「はぁ!? オットー、何やってんだ!」
「アルデバランさん、そんなことを言われても……」
「チィッ……オイ、兄ちゃん! 何とかしてこい!」
アルデバランの声を聞いてレッドクイーンを背負うネロ。魔女教徒の一人を右手で捕まえると力任せにもう一人に向けてぶん投げる。
「逃げたっだって? 何考えてんだよ!」
「嬢ちゃんのケツ持ちは兄ちゃんの仕事だろ?」
「わかってる!」
戦線を離脱するネロは林の中へ行ってしまったエミリアを追い掛ける。
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