観衆の声援の中、剣を肩に担ぐネロはふてぶてしく笑みを浮かべている。決勝戦だというのに緊張感は全くなく、手招きして相手を挑発した。
「遊んでやるよ、来な」
「決勝だと言うのに随分と余裕だな?」
「お前なんかに手こずるほど弱くねぇよ。昼飯にピザ食べたいんだ。早めに行かないと売り切れちまう」
「違うな。お前が食うのはこの地面の砂だ!」
相手の男も剣を抜き、ネロに向かって駆ける。勢いよく振り下ろされる刃に合わせてネロも片腕で剣を振った。
刃と刃が交わり火花が飛ぶ。
「ハハァッ!」
「コイツっ!?」
互いに剣を振り、鋼がぶつかり合う甲高い音と火花を散らす。ネロは戦いが始まっても余裕な振る舞いだ。
二人の戦いを観客席から見るクルシュとヴィルヘルム。
「確かに、卿の見立ては正しかったようだ。あのネロと言う青年、剣の腕は相手よりも上だな」
「はい。本気は出していませんが、この調子だと相手はそう長く持ちません。決着はすぐに付きます」
「そうか……エミリア」
呼ばれて振り向くと、クルシュは鋭い視線を向けながら口を開く。
「王選の場で卿は宣言した。公平であること、と」
「えぇ、はっきりと宣言したわ」
「ならばこの戦いをどう見る?」
「どう見るって……」
闘技場ではネロが戦っている。ヴィルヘルムが言うように力の差は歴然としており、ネロの一振りに相手は防御する事しかできない。
刃がかち合い、相手はよろめきながら後ろに下がる。
「私にはとても公平な勝負には見えない。力の差があったとしても、戦士として敬意を払うのが決闘だと私は考えている。これは決闘ではない。卿が宣言した公平とは違うのではないか?」
「それは……」
「彼は知り合いなのだろう? 卿の意見を聞きたい」
うつむき、言葉に詰まるエミリア。その間もクルシュはジッと見つめ続ける。重苦しい空気にうるさい歓声が耳に入らない。
クルシュは答えを聞かない限りこの場を動かない気迫を感じる。頭の中で思考を巡らせ、何十秒か経過してようやく重たい口を開いた。
「クルシュ様の言うことは正しいわ」
「ほぅ、認めるのか」
「私はすぐ騙されちゃうし、自分が言ったことも満足にできてない。世間知らず、勉強不足、能力も力もない。でもだからこそ、王族や貴族の人がわからない民の気持ちがわかるわ」
「気持ちがわかっただけで何になる? このままだとエミリアが王選で勝ち抜くのは絶望的だぞ?」
「今の貴族と民衆との価値観の違いは大きいわ。貴族は民衆のことを何も知らないし、民衆も貴族や王族のことを何も知らない」
「さっきも言ったが、わかって何になる? 今までの王族は竜歴石……龍に従うだけで国の運営などまともにしてこなかった。だが私は違う。私が王になれば国の方針、運営は王が決める。戦乱も、病魔も、飢餓も王として対処しこのルグニカ王国を導く。その為にも選ばれし者が国には必要だ。だから民衆も王の決定には従って貰う。そこに価値観や感情を理解する必要などない」
「そんな一方的な!」
「一方的ではない。国を導く者として逃げることは許されない。私も、私に賛同する者達も、目の前の戦いから逃げる選択肢はない。死ぬまで最後まで戦い抜く、民衆はその王の後ろから付いて来る」
クルシュが示す覚悟の現れは強固だ。生半可な事でその決意は揺るぎはしない。片やエミリアはクルシュ程に明確な方針は示せずにいる。
王選の場でエミリアは『公平であること』と宣言した。その抽象的な目的をクルシュは問いかけている。
「私が目指す国ではそのような感情は必要ない。エミリアが次の王になるというのなら、私の考えをねじ伏せる必要がある」
「王になる為には他の王選候補者に勝つ必要はあるけれど、考えまでねじ伏せる必要はないわ。数えきれない民衆が居るのに、何か一つだけに考えを統一するなんて強引すぎよ」
「私にはエミリアの考えは生温い。だが、ここでの議論はもう終わりだ」
「え……どうして?」
「もう決着が付く」
視線を反らすクルシュ、その先の闘技場の広場ではネロが戦っている。雄叫びを上げて突っ込んで来る対戦相手を前にして口元を吊り上げた。
「うお゛おぉぉぉッ!」
「オラァァァッ!」
両腕で振り下ろされる刃、ネロはその一振りに合わせて大きく斬り上げる。甲高い音と火花が飛び、相手の手から剣が離れてしまう。
「なッ!?」
「砂でも食ってろ!」
間髪入れずに腹部を蹴ると相手の体が後方に吹き飛ばされる。数秒空中に浮いた後、重力に引かれて背中から地面に落ちた。蹴られた衝撃に肺から空気が吐き出され、地面に落ちてもすぐには起き上がれない。
決着はあっけなく付き、この試合の勝者はネロになった。
「ネロが勝った! 優勝した!」
「ふむ……ヴィルヘルム、戻るぞ」
踵を返すクルシュだが、呼ばれるヴィルヘルムはジッと会場を見つめたまま。歩を止めて振り返るクルシュはもう一度だけ呼び掛ける。
「ヴィルヘルム、どうした?」
「いえ……失礼ながら一つだけよろしいでしょうか?」
「許可する。何だ?」
「剣士としての血が騒ぎまして。あの青年と戦ってみたいのです」
「なるほど……好きにしろ。だが、彼はエミリアの知り合いらしい。あまり傷つけるなよ」
「御意!」
言うとヴィルヘルムは地面を蹴り、観客席からジャンプして闘技場の広場に降りる。突然の事に驚くエミリア。
「どういうことなの?」
「ちょっとした余興だろう。私もこの後に仕事がある。そこまで時間は掛からんさ」
「余興って……」
剣を肩に担ぐネロは突然現れたヴィルヘルムと向かい合う。ピクリと眉を動かし普段の調子で口を開いた。
「おい、ジジィ……部外者は入ったらダメって聞かなかったか? 大人しく客席に戻れよ」
「失敬、ネロ様。私はヴィルヘルム・ヴァン・アストレア。一つ、手合わせ願えますか?」
「はぁ? 寝言は――」
ネロが喋り終える前に腰の剣を抜くヴィルヘルム。地面を蹴り加速すると否応なしに抜いた剣を振り下ろす。
「ッ!?」
「ほぅ……反応速度はさすがですな」
「不意打ちみたいなやり方でやられるかよ!」
ヴィルヘルムの攻撃を剣で受け止めるネロ。腕力で無理やり押し返すと、鋭い視線で闘志を向ける。
「さっきのヤツよりは手ごたえがありそうだ」
「うぬぼれるつもりはないが、私を名を知らないとみえる」
「だからどうした?」
「いや……余計な忖度をされず、戦いに挑める」
「ずっと思ってたんだけどよぉ……まるでテメェの方が強いみたいな態度が気に入らねぇんだよッ!」
「ふん……」
空気をも斬る一振り、しかしヴィルヘルムは半身を反らして刃を避けるとネロの左手を取った。そして握る剣を奪い、柄の底で腹部を叩く。
鈍い音がしてネロの体が後方に飛ばされてしまう。が、ヴィルヘルムが腰に刺す剣を咄嗟に奪い取ると力いっぱい投げつけた。
高速で迫る切っ先、奪った剣を捨てて鞘で受け止めるも、強い衝撃にヴィルヘルムの体もズルズル後方へ下がってしまう。
「手癖の悪い奴だ」
「テメェだって似たようなもんだろ。勝負するんじゃないのか? 今度はこっちから行くぜ!」
「来い!」
走るネロはヴィルヘルムが捨てた剣を拾い、勢いよく袈裟斬り。ヴィルヘルムも横一閃し刃が擦れ合う。
甲高い音が響く中、ネロは左腕を付きだす。
「これなら!」
「遅いな!」
ヴィルヘルムの動きの方がコンマ何秒か早い。振り上げてネロの突きを弾き、間髪入れず同様に突きを繰り出す。
姿勢を崩しながらも剣身で防御する。だが衝撃でまた後方に飛ばされてしまう。
「ぐぅッ!?」
着地して剣を杖替わりにして何とか地面に立つ。明らかに隙があるのにヴィルヘルムは攻めてこない。
「まずは一本取らせて貰った」
「冗談言ってんじゃねぇ、テメェの目は節穴か?」
「自らの力量を認めるのも成長には必要だ。ネロ、君に聞きたい。何の為に剣を握る?」
「あぁん? 急になんだよ、シラけるぜ」
「確かにそうだが、真面目な話だ。さっきの一瞬で君の実力は充分にわかった。同じ剣士として、若い君がどう考えているのかが知りたい」
剣の切っ先を地面に向けて、今だけは闘志を抑える。ヴィルヘルムからも闘志を感じないのを見て、ネロは恥ずかし気に口を開いた。
「別に大層な理由なんてない。力がないと何も守れない。自分の身さえもな」
「ふふ……そうだな」
「気は済んだか? なら……」
「再開するとしよう……」
束の間の休戦。二人の鋭い視線が交わり、重たい空気が広がる。観客席からの声援など耳に入らず、攻めに行く呼吸とタイミングだけに集中した。
微かに流れる風が肌に伝わり、動いたのはどちらが先か。
「ハァァァッ!」
「ウラァァァッ!」
互いに駆け出し剣を振り下ろす。刃がぶつかり合い火花が飛ぶ。立ち位置が入れ替わり、振り返ると同時にネロは斬り上げた。ヴィルヘルムも袈裟斬りするとまた剣が火花を上げてぶつかり、弾かれる。
それでも攻めの姿勢は崩さない。次は足を狙うが、相手の動きも早く攻撃が防がれる。
「舐めんじゃねぇ! ジジィがッ!」
「若くて結構! だが経験はこちらが上だ!」
振り下ろされる刃にネロは何とか反応する事しかできない。剣を横にして、初めて両手を使って相手の攻撃を受け止める。
体力も腕力も上の筈だが、言ったように経験値では負けている事もありジリジリと押されてしまう。
「くぅぅッ!?」
「ん……」
何かに気が付いたヴィルヘルムの力が突然弱くなる。そして握っていた剣を鞘に納め背を向けてしまう。
いきなり闘志を失くしたヴィルヘルムにネロは声を荒げる。
「オイ、どういうつもりだ!」
「失念していた。そのような鈍らな剣ではもう戦えまい」
見るとネロの剣は至る所が刃こぼれしているし、剣身も少し歪んでおりとても戦闘に耐えれる物ではない。それでも納得がいかないネロはヴィルヘルムに対して詰め寄る。
「まだ勝負は終わってねぇんだ! 戻れよ、逃げるのか!」
「逃げるつもりはないが、対等でなければ戦う意味がなくなる。その剣でまだ戦う気か?」
「関係ねぇよ! 舐められてままで終われるか!」
地面を蹴り距離を一気に詰め大きく剣を振り下ろす。振り返るヴィルヘルムも横一閃し刃が交わり立ち位置も変わる。
斬り上げ、袈裟斬りし、鋭い突きを放つ。剣の軌道を読むヴィルヘルムはステップを踏むようにしてネロの攻撃を避ける。そして斬り下ろし、甲高い音を鳴らしてボロボロの剣を根本から断つ。
斬られた鋼が重力に引かれて地面に落ち、武器がなくなったネロの首元に切っ先を突き付ける。
「ッ!?」
「終わりだ。これで決着は付いただろう? 私の我が儘に突き合わせてしまい悪かった。君はいい腕をしている。ちゃんとした指導者がいればもっと強くなれるだろう」
「いらねぇよ、そんな奴」
「フッ……そう言うと思ったよ。次にまた会うことがあれば、ちゃんとした試合にしよう」
言うだけ言うとヴィルヘルムはクルシュが待つ観客席へと戻り、広場に一人残されるネロは悔しさに肩を震わせ、握っている柄を地面に叩き付けた。
「……クソッ!」
ジャンプして観客席に戻ると足早にクルシュの元へ行く。試合が終わったのを見て、クルシュは感想を聞いた。
「どうだった? 彼を騎士団に引き込めそうか?」
「いいえ、彼は我々の所に来てくれないでしょう」
「試合を通して彼のことを理解できたのか?」
「そのような……私は精霊術も魔法も使えません。クルシュ様のように風の加護もありません。剣士としての技量はある程度図れますがそれだけです」
「では何故?」
「昔の自分と似ているだけです」
「フフフ、なるほど……エミリア」
最後に振り返るクルシュ、複雑な面持ちで身構えるエミリアは彼女の言葉を待つしかできない。
「此度は有意義な会だった。私は自分の意志を曲げるつもりはないし、それはエミリアも同じだろう。王選に勝った者がルグニカ王国の未来を左右する。最後まで全力で戦おう、では……」
「クルシュ……」
背を向けて観客席から立ち去る二人の背中をジッと見守るエミリア。問い掛けの答えを見つけられないまま、モヤモヤとした感覚だけが残る。
突然の乱入はあったが、勝ち抜き戦の優勝者はネロであり、彼に金を賭けたエミリアには多額の資金が手に入った。
けれども二人の心にはわだかまりが残る。
Mission failed
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アルデバランに合流するまでの五日間、ネロとエミリアは何をしていた?
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闘技場で荒稼ぎする
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長旅の為に食料を買う
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気分転換に劇場へオペラを見に行く
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その他