今回は後書きに嬉しいご報告があります。
選抜戦の最終戦が行われる当日。
学園はいつにない高揚感が漂っていた。誰もが浮き足立ち、午前の授業は全く身が入っていない生徒もチラホラいた。授業中は私も大人しく机の下でギッチョギッチョやっているだけなのだが、周りの生徒たちは頻りにメモらしき紙片でやり取りをしている。
手渡しする過程を盗み見たところ、どうやら午後の最終戦で誰の試合を観に行くのかを話し合っているらしい。
そんな浮ついた空気が立ち込める中、授業が終了すると一部の生徒たちが雪崩のように教室の外へと流れだしていった。恐らく、昼食をそっちのけにして試合会場となる訓練場の席を確保するためだろう。先に席を確保し、友人に昼食を買ってきてもらう計画でも立てているのかもしれない。
そんな彼らについて一つだけ私が確信できることがある。
それは、彼らの中に私の試合を観に来るであろう者が誰一人としていないということだ。
仮にも七星剣王の試合を誰も観に来ないと確信している、その根拠は何なのかと首を傾げるかもしれない。しかしそれは仕方のないことだ。なぜなら私は本日、試合の予定など入っていないためである。
……はい、対戦相手にドタキャン食らいました。
クッソ、ふざけやがってぇぇぇえええ!
昨日、東堂さんに黒鉄の試合を譲ったそのすぐ後に棄権のお報せがメールで届いたよ! その時までは変更になる可能性もあるからと新宮寺先生が待ったをかけていたらしいが、改めて決定を連絡した途端に即行で棄権のメールが返信されてきたらしい。
よって今日の私は完全にフリー。周りの優勝候補者たちが試合会場でその雄姿を見せつけている間、私は独り寂しくフリーダム。
本当にもう、何なの!? ここまで勝ち残っておいて七星剣王に挑まないとか馬鹿なの!? 何のために勝ち残ってきたんだよッ、潔く私のために死んでくれよ!
しかし、いくら叫ぼうが今更ッとクルーゼ隊長が仰る通り、私が何かを言っても棄権が覆されるわけではない。
残念ながら大鎌のカッコいい姿を本格的に世に披露することになるのは七星剣武祭の本戦になりそうだ。
そういうわけで、これから試合が控えていてテンションマックスであろうステラさんたちと顔を合わせるのに気が滅入った私は、学食で適当にパンと牛乳を買ってその辺のベンチで食事を済ませることにした。
場所はなるべく人が来ない校舎裏。
この場所をチョイスした理由は、「君は最終戦なのに出番がないフレンズなんだね!」と他の生徒に揶揄されるのを嫌ったためである。
最終戦まで進んだ他の生徒十人がこの後の試合に備えて全力でコンディションを整えている中、その代表格でなければならないはずの私が暇そうにベンチで時間を潰している姿など恥ずかしくて見せられない。
「まるで家族にリストラを隠しているお父さんが偽の出勤をして、公園のベンチとかで時間を潰しているみたい……」
自分で言っていて悲しくなってきた。
もうさっさと昼を食べて修行に洒落込もうかな。こんなところでパン食って牛乳啜っていても気分が晴れるわけもなし。
あるいは原作でも最高潮の盛り上がりを見せた《雷切》vs《
……うん、そうだね。無駄だね!
「今日はずっと修行していましょうか。学園代表の顔見せと表彰は後日と聞いていますし」
私の脳内で今日のスケージュールが一瞬で組み上がる。
もう今日は修行だ。修行するしかない。
生徒たちは東堂さんが試合をする第一訓練場の辺りに集まっているだろうから、ならば今日はそことは反対側の立地で心行くまで修行すればいい。
私は決めたぞッ!
そう思っていた時期が私にもありました。
だというのに、なぜ私は第一訓練場に向けて歩いているのだろう……。
理由は簡単、それは私の隣で微笑むご老人に付き合っているためである。
「ひょっひょ、祝。しばらく見ない間にまた一段と美人になったのぉ」
「あ~、ありがとうございます南郷先生」
そう、私の隣を紋付き袴姿という古風な格好で歩いている老人こそ《闘神》南郷寅次郎。
日本の伐刀者としては黒鉄の曾祖父である黒鉄龍馬と並んで知らぬ者の方が少ないだろうとされる騎士だ。年齢は九十を超えており、日本最高齢の騎士としても有名である。ついでに言うのなら東堂さんの師匠でもある。あっ、それと今年から学園の先生になった西京先生もこの人の弟子だ。
さて、ではなぜ私が彼と共に試合会場に行くことになったのか。それは第一訓練場から逆方向に向かおうとした矢先、そちらにある入り口から学園に来てしまった南郷先生と鉢合わせしてしまったためである。そして東堂さんの試合会場に行くついでに新宮寺先生に挨拶したいというので、仕方なく私が案内人を務めることになったのだ。
「んっふっふ、意外ですねぇ。《七星剣王》と《闘神》がお知り合いだったとは。大会か何かの関係でお会いになったのですかぁ?」
語らう私たちに疑問を投げかけてきたのは、どうやら黒鉄の散り様を見物しにきたらしい倫理委員長だった。彼が先生をここまで案内してきたらしく、私が先生と遭遇した時には既に一緒にいたのだ。
名前を憶えていなかったので最初は何と呼ぶか困ったのが、先生が“赤座くん”と呼んでいたのでたぶんそれが名前なのだろうと察したのは内緒である。
あと、赤座と聞くと『うすしお』と『お団子バズーカ』を思い浮かべてしまう私はきっと悪くない。
話は戻るが、先程の会話と赤座の言葉からもわかる通り私と南郷先生は知り合いである。直に会ったのはたぶん一年ぶりくらい、連絡を取ったのは今年の年賀状が最後になるくらいに薄い縁だが。
では、伐刀者の界隈でも武術家の界隈でも音に聞こえる彼と私がどのように知り合ったのか。
「ああ、祝は嘗てワシの弟子じゃったからの」
「……は?」
脂肪に埋まっていた赤座の目が見開かれる。
しかし南郷先生が言っていることは事実で、私は昔この人の弟子の一人として剣術を教わっていた。
確か先生の道場に弟子入りしに行ったのは八歳の頃だったか。高名で忙しい人のため絶対に断られるだろうと最初は思い、内心ではカノッサの屈辱ばりにしつこく頼み込む覚悟だった。
しかし意外にも先生は月謝七千円の条件で普通に入門を許し、私はそのまま彼の弟子の一人として二年ほど剣術を始めとする武術を教わることとなる。
「懐かしいのぅ。小学生そこそこの少女がいきなり一人で道場に来たかと思えば、自分を弟子にしろと土下座参りしてきた時は流石に驚かされた」
「それほど先生に教わりたかったということです」
「し、しかし疼木選手は大鎌使いですよね? なぜ剣術家の南郷先生に弟子入りを?」
「ひょっひょ、簡単なことじゃよ。――剣術家を殺すには剣術を習うのが最も手っ取り早いと、つまりはそういうことじゃ」
「そうじゃろ?」と流し目を送ってくる南郷先生。
はい、その通りです。というかその質問は入門する時にも聞かれたしね。
当時、私は己の大鎌を高めるために武術を学んでいた。しかし大鎌の武術など早々見つかるはずもなく、私は他の武術を参考に今の我流を組み立てていったのである。
その過程でどうしても剣術の術理や思考を知りたくなり、外から眺めるだけでは埒が明かないと思ったため高名な南郷先生のところに弟子入りしに行ったのだ。
もちろん、私の答えは南郷先生としては好ましいものではなかっただろう。
基本的に武術家が弟子を取るのは、己の技術を廃れさせず後世に残すためだ。しかし私は剣術家ではないどころか、対剣術家の戦術を組み立てることを主な目的として弟子入りするというのだ。
彼としては私に技術を教えても利益などないのは言うまでもないだろう。
そう思った私は最初こそ「南郷先生に憧れて!」的な嘘八百を並べ立てていたのだが、そういうのいいからという南郷先生に押し切られて本音を喋ってしまったのである。もう内心では次に向かう剣術家のことを私が考えていたのは言うまでもない。
しかし本心を話したら予想外なことになぜか許可を貰えたため、そのまま私は先生の下で剣術を学ぶことになったのだった。これが私と南郷先生の馴れ初めである。
「二年くらい弟子をやっていたと思ったら突然ワシの下を飛び出していきおってのぅ。リトルで黒鉄王馬と闘ったのを最後に行方がわからなくなっておったが……去年の七星剣武祭で久方ぶりに名前を見かけた時は腰を抜かしたぞい?」
「長い間連絡を取らなくてすみません。修行が忙しくてそこに思い至る暇がなくて」
「だと思ったわい。お前は昔から、修行となると誰よりも妥協を許さん奴じゃったからの。ワシの下にいた時も放っておいたら食事も忘れて稽古ばかりしておった」
「やぁだぁ~、南郷先生ったら大袈裟ですよ~。最低限の休息くらいはちゃんと取っていましたって~」
「……本当に最低限だったから心配しておるんじゃがな」
南郷先生が肩を落として何かを呟く。
溜息交じりだったため聞き取れなかったが、聞かせる気がないということは気にする必要もないということだろう。
余計なことは無視するに限る。
「そういえば、先生が今日いらっしゃったのは東堂さんの試合をご覧になるために?」
「そりゃもちろん。しかも今日は刀華の晴れ舞台というだけでなく、聞けば『黒鉄』の者と闘うというではないか。師として参らんわけにはいかぬ」
「あぁ~」
もう九十越えだというのにフットワークの軽いお爺様だ。
なぜ先生が『黒鉄』という名前にここまで興味を示すのかと言うと、この人は黒鉄の曾祖父である黒鉄龍馬と共に戦場を駆け回った戦友であり、同時に生涯のライバルでもあったことが起因している。
その関係から黒鉄家の伐刀者と自分の弟子の闘いに並々ならぬ興味を見せ、公式試合などにはよく顔を見せるのは有名な話だ。私はすっかり忘れていたためこうして遭遇してしまったが。恐らくは今日の試合も黒鉄と東堂さんの試合があると聞いてわざわざ出向いてきたのだろう。
そんな話をしている内に、私たち三人は東堂さんの試合が行われる第一訓練場に到着する。
既に会場は人でごった返しており、私たちの他にも会場へと入っていく人で行列ができていた。
「んっふっふ、流石は最終戦ですねぇ。生徒さんたちもこの試合の行く末に興味津々のご様子です」
「東堂さんも黒鉄も学園の中では知名度抜群ですからね。黒鉄のスキャンダルの件もありますし、たぶん他の試合よりも人が集まっているのでは?」
「なるほど」
赤座は満足そうに頷くと、南郷先生と共に意気揚々と会場へ入っていった。
私としてはこのまま帰りたいところなのだが、私はこう見えてもお世話になった人には可能な限り義理を見せるタイプの人間なのだ。剣士とはいえ南郷先生には武術のイロハとも呼べるものを授けてもらった。大鎌の修行は本当に大事だが、その大鎌の成長に尽力してくださった先生には感謝している。こうして少しばかり付き合うのも吝かではない。
そうして二人に続いて会場に入っていくと、意外とすぐに新宮寺先生は見つかった。しかも弟子である西京先生まで一緒にいたので、南郷先生も非常に嬉しそうだ。
「来ちゃったよぉん」
「げっ、じじい!」
南郷先生に対して西京先生はじじい呼ばわりである。
見た目が年齢不相応に若い西京先生と南郷先生が並ぶと、本気で孫と曾祖父くらいの年齢差があるように見える。確か西京先生はアラサーくらいだったと思うけど。
「ひょっひょっひょ、我が愛弟子は相変わらず口が悪いのぅ。そういうところも変わらず愛いのじゃが」
「き、気持ち悪いこと言うなぁ……!」
「うむうむ、照れる姿も可愛いぞ」
「…………っ!!」
赤面して照れる西京先生。
本当にその姿は私より年上には見えない。
実は吸血鬼か何かなんじゃないの? この人って。
私がそんなことを考えていると、南郷先生は新宮寺先生に話題を移した。どうやらあの二人も顔見知りらしく、何やら世間話をしている。
すると二人の目を盗み、西京先生が私の前までやってきた。メッチャ睨みながら。
「……おい、クソガキ」
「なぜ私だけクソガキですか。貴女から見れば生徒なんか皆クソガキでしょう?」
「お前は特にクソなガキだからクソガキなんだよ」
西京先生の目つきが急に鋭くなる。
口元は僅かに歪められ、南郷先生たちに聞こえないくらいの声量で話を続けた。
「テメェ……よくもじじいの前に平然と顔を出せたモンだな。恩のある師匠の下を断りもなく去っておいてよぉ」
あっ、出た。西京先生のイビリ。
私もこの人も南郷先生の弟子であるため、彼女はつまり私の姉弟子に相当する。私が道場に来た時には彼女は既に一人前として独立していたが。ちなみに東堂さんは妹弟子になる。彼女は中学生時代に弟子入りしたので、いた時期は同じく重ならないけど。
それで西京先生なのだが……どうやら彼女は私が南郷先生から技術を教わるだけ教わってとっとと次の武術に移ったことを根に持っているらしく、会う度にこちらを睨んでくるようになった。クソガキ呼ばわりもそれからだ。昔は『はふりん』って呼んで可愛がってくれていたのにね。
しかしそれもしつこい! 師匠は平然としているのにいつまで怒ってんのこの人は!
「毎度毎度言いますけど先生は元々私の目的をご存知でしたし、いずれ道場を去ることも察していらっしゃいました。その上で私を弟子にしてくださったのですから、別に
「……恩知らずも大概にしろよ、テメェ」
寧音さんが薄っすらと殺気を纏い始める。
それで事態に気付いたのか、新宮寺先生が「またか」と眉を顰める。南郷先生は若干楽しそうにこちらを眺めてきた。赤座は何が起こっているのか理解できず曖昧な笑みを浮かべて立ち竦んでいる。
「当事者同士で解決していることです。寧音さんには関係ありません」
「こっちも師匠をコケにされて黙っているほどお人好しじゃねぇんだよ。そして同門の後輩が馬鹿やったってなりゃ、教育してやんのが先輩の役目ってもんだ」
「“元”同門です。それに、コケですか? 私は先生のことをちゃんと尊敬していますよ。っていうか、師匠のことをじじい呼ばわりしている人に言われたくないんですけど」
も~、何なのこの人超ウザい!
会うといつもこんな感じだからあまり会いたくないんだよぉ。
しかもこの人、東堂さんにも「とーかとーかー」とにじり寄っていって天使の笑顔で悪魔の如く私の悪評垂れ流すし! おかげで出会い頭から東堂さんの好感度がマイナス値だったんだけど! きっと東堂さんが私のことを嫌っている原因は、全てこの人によるものに違いない。
「お前たち、その辺にしておけ。南郷先生の前だぞ」
「チッ」
舌打ち交じりに
こうやって新宮寺先生が間に入ってくれるパターンも今年度に入ってから恒例化してきた。
本っ当にリアルなツンデレは面倒臭いなぁ。
普段はじじい呼ばわりしてツンツンしているのに、私に対しては師匠へのデレ全開でドスを効かせてくるんだもの。二重人格かお前は。
『――ご来場の皆様にお知らせいたします』
その時、会場のスピーカーから女性の声が流れる。
それを聞いた瞬間、黙って佇んでいた赤座の笑みが深まった。
『試合のお時間となりましたが、黒鉄一輝選手が会場に到着しておりません。選抜戦規定により、これより十分以内に黒鉄選手が到着しなかった場合、不戦敗とさせて戴きますのでご了承ください』
「……赤座委員長。これはどういうことですか?」
ざわっ、と新宮寺先生の雰囲気が荒立つ。
しかし視線に晒された赤座はそれを受け流しているのか気付いていないのか、「どうとは?」と愉快そうに笑った。
「私の聞いたところでは、黒鉄は連盟が会場まで送り届けるとのお話しでしたが?」
「ああ、そのことでしたか。ええ、そうなのですがねぇ。連絡の行き違いかもしれません。私が車で迎えに行った時には、彼は一人で会場に向かってしまっていたのですよ。しかし時間的にも交通手段的にもこちらには充分に間に合うはずですし、大丈夫だと思っていたのですが。……まぁ、体調が悪そうだったような気もしますし、途中で倒れたりしていなければいいのですがねぇ」
「……赤狸が」
わざとらしい赤座の言い訳に、西京先生が小さく毒づく。
また、一連のやり取りで不穏な何かを感じ取ったらしい南郷先生だったが、今は何も言わず試合の開始を待つばかりだ。自分が口出しすべきことではないと割り切っているのかもしれない。
そして新宮寺先生と西京先生は余程腹に据えかねたのか、肩を怒らせたまま南郷先生を連れて客席へと去っていってしまった。
いやいや、私を置いていかないでくださいよ~。
「そういえばですねぇ、疼木さん」
三人に付いていこうとした私を赤座が呼び止める。
明らかに不快な雰囲気を示す先生方は赤座との会話を拒絶していたからなのか、今度は私に話を振ってきたんだけどこの人。
「今の時点で疼木さんは本戦への出場が決定しているんだそうで。おめでとうございますぅ」
「……ええ、ありがとうございます~」
「んっふっふ。私はこの学園が能力値選抜から選抜戦方式に変わったと聞き、真っ先に貴女が勝ち残るだろうと期待していたのですよぉ?」
あっそう、としか言えないのですが。
何なんだろう、この人。何が言いたいの? 媚でも売っているんだろうか。
……と思ったら本気でこの人は私に媚を売っているらしく、ここから怒涛の褒めちぎりが開始された。
「いやぁ、貴徳原選手との試合は見事だったと聞きましたよぉ。あの見えない刃の大群を一度も食らわずに躱しきったとか。実に素晴らしい」
「やはり去年の七星剣武祭の覇者は伊達ではない! 聞いた限りでは皆、貴女のことを絶賛していましたぁ」
「未来予知という実戦での運用が難しい能力を最大まで活かしきる身体能力。それも南郷先生の教えの賜物だったと聞けば納得できます。きっと今年の七星剣武祭でも疼木選手は大活躍なさるでしょう」
……本当に何なの、この人?
日本支部は私のことを嫌っているとばかり思っていたため、この人の意思がわからない。
適当に相槌を打ってはいるのだが、だから何なんだという感想しか浮かばない。どうもこちらの自慢話的なのを引き出そうとする話題運びなのはわかるのだが、なんでこの人を相手に会話を弾ませなけりゃならん。
なので逆に相手を喋らせる感じで聞き手に回っていたのだが……
あ~、何だか読めてきたぞ。
言葉の端々から察するに、どうやらこの人は私と個人的な
さっきから「黒鉄長官は君を警戒しているようですが」という感じの言葉を織り交ぜてくることから、私に対して『触らぬ神に祟りなし』と言わんばかりに無関心を決め込む黒鉄長官に一歩先んじたいという意思が透けて見えた。
ここで私とコネを確保しておけば、もしも私が将来的に問題を起こしても自分が説得することでそれを阻止した、という成果を作り出せるとでも思っているのではないだろうか。
何というか、強かというか。お役人も大変なのだな、とも思わされる。
私には関係ないけど。
「そういえば私、疼木選手とは奇妙な点でご縁があるんですよぉ?」
「縁ですか? それは一体どのようなものなのでしょう?」
しっかし、マジで面倒臭いなぁ。
南郷先生がいなければ即行で話を切り上げて帰っているのに。
というか、私も客席に行っていいですかねぇ? この人と話していても面白くないし、何よりこの人に嬉しくもないヨイショをされるために時間を空けたわけでもない。
というかさっきから大鎌について褒めることが一度もないっていうのは、一体どういう
「実は去年、前理事長に協力して貴女の悪評がマスコミに流れないように動いたのは、我々倫理委員会なのですよ」
…………。
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◆ ◆ ◆
――普通の少女。
赤座守から見て、《七星剣王》疼木祝と一通り会話をして得た感想はそれだった。
南郷との会話を聞く限り多少型破りな性格であることは読み取れたが、それを加味しても話に聞く国家転覆に加担した危険人物という印象は抱けない。
身嗜みも多少粗末ではあるが、化粧やお洒落に目覚める前の少女とはこんなものではないだろうか。これから恋愛などを経験していくにつれて少女は成長してゆき、やがて美しい女性へと変貌していくものだ。
(この少女が去年、日本中で《
そして教師の目が離れたところを狙って祝と話をしてみれば、ニコニコと愛想良く応対するではないか。
褒めちぎることで彼女が増長するか試してみれば、しかし彼女は謙遜で応えてみせた。それどころか赤座の話を「うんうん」と実に楽しそうに聞き、逆にこちらの話を促す聞き上手な面も見せている。
そのせいで思わず黒鉄厳と意見が割れたことを一言二言漏らしてしまったのは赤座の失態だ。
しかし赤座にそうさせてしまうほど祝という少女は聞き上手だった。
(……なんだ、噂は所詮噂だったということですか)
赤座が祝に対してそう判断するのにそう時間はかからなかった。
どこをどう見ても会話をしても彼女が危険な人物だとは思えないのだから。
彼女が去年も問題行動を起こして回っていたということは確かに気がかりだったが、しかし必要以上に噂が大きくなっていたということだろう。
確かに去年は喧嘩っ早さが目立っていたのかもしれないが、それは若く力の強い伐刀者にはありがちな傾向だ。彼女は悪目立ちし、なまじ力があっただけにそのような悪評が一人歩きしてしまったのだろう。
クーデターの件も事実か怪しいものだ。そもそもいくら七星剣王とはいえ、一介の学生騎士が紛争に自ら突入していくだろうか。巻き込まれたと考えるのがむしろ自然だろう。それを現地にいたから、あるいは現地で関係者と知り合っていたからという形で誤って日本支部に伝わってしまっただけかもしれない。
(いや、きっとそうなのでしょう)
赤座は無意識にそう
それは自分の完璧な仕事に口出ししてきた厳への反発から来る心理であり、あるいは出自を理由に自分を遥か高みから見下ろす黒鉄本家への嫉妬から抱いた願望だったのかもしれない。
とにかく確かなのは、この時点で赤座は『黒鉄厳に一歩先んじた』という優越感を抱いていたということだった。
――どうだ、自分はお前が恐れる虚像の正体を見極めてやったぞ。
その優越感が内心で膨れ上がり、赤座はますます上機嫌になる。
『幽霊の正体見たり枯れ尾花』と同じように、厳が警戒し恐れた疼木祝という怪物が実はただのヤンチャな少女だったという事実を赤座は掴んだのだ。
そして赤座の欲望はますます膨れ上がる優越感によって刺激され、この虚像を操り厳に一泡吹かせてやりたいという皮算用へと変貌していった。
もしも今後、彼女が何らかの行動を起こして厳が警戒度を引き上げたとしよう。
しかしその正体を知る自分が、電話一本でその行動を諫めてみたとしたらどうだろうか。それこそ厳の面目は丸潰れとなり、分家である自分を称賛せざるを得まい。
あるいは自分は今回の昇進で得られる広報部長という立場を超え、さらに上の役職を得る機会に恵まれてしまうかもしれない。
(いや、あり得ない未来ではないッ)
妄想と根拠のない確信。
しかし赤座にはそれが現実味を帯びた未来だとしか思えなかった。
そしてその計画のため、赤座は自分が祝にとって味方であるのだということを深く印象付けようと切り札とも言える秘密を彼女に切り出した。
「そういえば私、疼木選手とは奇妙な点でご縁があるんですよぉ?」
「縁ですか? それは一体どのようなものなのでしょう?」
興味津々な様子を隠しもせず、祝は身を乗り出してこちらの話を聞き取ろうとしてくる。
それに程良い手応えを感じた赤座は、胸を張って祝にその事実を言い放った。
「実は去年、前理事長に協力して貴女の悪評がマスコミに流れないように動いたのは、我々倫理委員会なのですよ」
赤座が祝に語った内容は、彼女に凄まじい衝撃を与えたことが赤座にはわかった。
なんと彼女は、赤座がそれを語った瞬間に大きく目を見開いて今までにないほど大きな反応を見せたのだ。そして二、三秒ほど固まると、やがて表情を凍り付かせたままゆっくりと口を開く。
「……それは本当なんですか?」
「ええ、本当ですとも。もちろん私は貴女がそのようなことをする人間だとは思っていませんよぉ? しかし噂には尾鰭が付いてしまうものです。我々はそれを未然に防ぎ、
「…………そうですか」
赤座の言葉を聞くと、祝は感動に打ち震えたかのように瞑目した。
そしてその情動を逃すかのように大きく息を吐くと、やがて
「すごーい! 貴方の
目尻に涙すら浮かべ、祝は赤座に感謝の意を示した。
興奮のあまり彼女の目は僅かに血走ってすらおり、震える手を何度も振って赤座と握手を交わす。
まるで天使のように美しい笑顔を浮かべた祝に、赤座は利用してやろうという内心をしばし忘れて祝の美貌に魅入っていた。その化粧っ気のない、だからこそ純粋で飾りのない“美”に目を奪われたためだ。
「……あ、おほん、そこまで喜んで戴けたのなら私も嬉しい限りですねぇ」
咳払いで誤魔化したが、赤座の頬は僅かに赤く染まっていた。
祝とは親と子ほどの年齢が離れていることを赤座はこの瞬間だけ僅かに残念に思う。
「さ、さて……南郷先生たちをお待たせしてもいけませんし、我々も観客席に参りましょうか」
「そうですね。
赤座は祝に緩んだ表情を見られないよう、やや小走りで南郷たちを追っていく。
そして、だからこそ余計に気付くことができなかった。
上機嫌な声色で返されたその言葉に反し、能面のような無表情で祝が自分の後ろ姿を見つめていたことに。