きっと私は、勘違いしていたんだろう
だからこその、この結果
戦車道に初めて触れた高校1年生、その年の内に全国大会を優勝した
周りからの称賛を、これでもかとばかりに受けてたから、自分達は凄いんだって、心の何処かで浮かれてしまっていたのかもしれない
新しく入ってきた後輩達や、昨年より充実した装備の数々に、引っ張っていってくれる頼りになる先輩方
華やかな未来を想像するのは、難しくなくて
みほさんは何度も、油断しないで、他の学校も優勝目指して頑張っているから、と私達に言い聞かせていたのに、私は傲慢な考えを捨てきる事が出来なかったんだ
呆然と、暴風が去っていった後を見詰める
辺りを見渡さなくても視界に入ってくる、味方の走行不能となった戦車の数々
無線機から入ってくる、聞いた事が無い程早口なみほさんの指示を理解する余裕が無い
そんな試合中であれば絶対にやってはいけない、思考放棄という禁忌を犯している私を誰も咎めようとはしないのは、もう私が理解する必要が無いから
私が上半身を出している直ぐ横で乗車する戦車からはためく白旗が見える
その光景は、私に嫌と言う程現実を突き付けてきて
走馬灯のように脳裏に写っていく記憶の数々は、戦車に乗っていない時の景色
どうしてこの時もっと練習しなかったのだろうと言う後悔が今更になって襲い掛かってくる
『…終わっちゃったの…?』
誰に問い掛けた訳でも無いその問いは、響き渡る砲撃の音に掻き消されて、消えていった
こうして、私の副隊長としての最後の試合は終わりを迎えた
人混みの隙間をすり抜けるようにして、早足で進んでいく
横目に流れていく景色は、お洒落なカフェや小物を扱っている店が多い
久し振りの陸の町並みは、普段見られない店構えばかりで、こんな気分でさえなければ、友人達と楽しみながら買い物巡りを楽しんでいたことだろう
けれど、今は誰にも会いたくなかった
誰の顔も見たくない、誰とも話をしたくない
だから、友人達が遊びの誘いに来る前に部屋を飛び出して、寄港場所の町を一人歩いている
自分が、不甲斐なかった
全国大会の準決勝までは、昨年よりも色々な部分で活躍できている自覚があった
兵隊としての活躍、指揮官としての活躍
去年の私がみほさんに向けていたような尊敬の眼差しが、後輩たちから私に向けられていて
みほさんにも、見違えるような立派な戦車乗りになったと誉められた
副隊長となってから努力してきた自分の成果が、遺憾無く発揮されているようで純粋に嬉しかった
私を信頼してくれる仲間達の存在に、頑張ろうと思っていたんだ
だからこそ、あの結果は堪えた
試合開始早々に撃破された
私達は、相手の戦車を1両も撃破することが出来ず、抵抗らしい抵抗すら出来なかった
まるで詰め将棋でもされたような、理路整然とした処理をされたのだ
私達は黒森峰との試合前に、相手の注意するべき選手、その対策を話し合った
みほさんが主導となったその作戦会議は、超距離砲撃を可能とする選手や、ゲリラ部隊を率いる選手等、議題に上がったのはどれも高校で最上位の力量を持った選手達
私はその会議で一人でも多くの選手の顔を覚えようと、手渡された資料をじっくりと見ていたのを覚えている
――けれど、私達を撃破したのはその会議で欠片も名前が挙がらなかった子だった
あらかじめ想定していた、赤星さんの率いるゲリラ部隊の強襲を、みほさんの指示していた通りに対処しようとして、その動きの穴を突くような黒森峰のフラッグ車が率いた部隊に横から潰された
想定にない事態ではあったけど、そんなことは幾らでも経験していたから、咄嗟の判断ではあったけれど状況を打開する行動を考えて、皆に指示して
その考えすら、あらかじめ準備していたようにはね除けられた
私が率いていた部隊が壊滅して、最後に私の乗った戦車を撃破したまるで警戒していなかった選手は、白旗の上がった私達の戦車と私の呆然とした表情を一瞥して、直ぐに興味を失ったように去っていった
それを見て、言い様の無い虚脱感に襲われた
私は何を勘違いしていたんだろう、と
みほさんが笑って、梓ちゃんになら安心して任せられるよ、と言っていたのを明瞭に思い出してしまう
卒業する先輩方が、冗談混じりに私達の無念を晴らしてくれと肩を叩いて来たのに恐怖をすら感じていたのに嫌気が差す
同じ戦車に乗っている友達の、一緒に頑張ろうと言う励ましから逃げ出した私自身が信じられない
重い
何もかもが、重すぎる
こんな、何も果たせなかった奴が、これからの大洗戦車道の隊長を務めるなんて、冗談でも考えたくない
勝たなければいけない理由なんて今はもう無い筈なのに、楽しんで戦車に乗れば良いって、頭では分かっているのに
みほさんが皆を率いる後ろ姿が、頭にこびりついて離れない
この2年間、ずっと見てきた背中
私にどうしようもない憧憬を抱かせて、追い付きたいと必死に追い縋った背中
戦車道への理解が深まる度に、その背中が段々遠くにあるように思えて焦燥感を感じていた
どれだけ手を伸ばした所で、指先を掠める事も出来なかったみほさんが背負ってきたものを、次は私が背負わなければいけないんだと理解した時
理屈ではなく、もっと根本的な部分で恐怖を感じた
私はその恐怖に、耐えきることが出来なくて
けれど、今更出来ないなんて言えるわけもなくて
何も言えず、何も変えられないまま、ここまで来てしまった
もう今更どうすることも出来ない
産まれた恐怖は、真綿で首を絞めるかのごとく、強く柔らかく私を殺す
出口の無い迷路をさ迷うような、堂々巡りの思考の渦で、1人になった所で好転することなんて無いと分かっているのに、今は誰にも会いたくない
こんな惨めな葛藤を、誰にも悟られたくなくて、表情や行動に表れないように、弱音を吐かないようにしていた
隊員達をいたずらに不安にさせないように
それがこんな不甲斐ない隊長が出来る、最初の仕事だと思ったから
それでも
あゆみの気遣いが、あやの笑顔が、桂利奈の心配するような表情が、優季の悲しそうな表情が、紗季の視線が、そんな私のなけなしの努力が無駄なんだって思い知らせてくる
そしてそれは、隊員を不安にさせないという、隊長としての大前提すら果たせていないことを意味していて
実績も、実力も、精神も、才能も
全てが足りない隊長なら、居ない方が良いなんて分かりきっていて
友人達と一緒に居ると、そんな自分自身の無能さを見せつけられるようで、辛かった
目的地もないのに脇目も振らず、早足で人混みを掻き分け歩く
自分が何処へ向かっているのか、何処へ向かえば良いのか、分からなくて
ただただ、知り合いに会わないように、何処か遠くへ進み続ける
名前も知らない黒森峰の車長の無機質な目を思い出す
まるで頭から離れないその光景は、私があの敗北から進めてない事の確かな証左で
そんなことばかり考えているから、誰かが私の前に立ち塞がるように現れたのにも気が付かなかった
「澤梓さんね?」
「っ!?」
突然、名前を呼ばれ思考の渦に落ちていた意識が強制的に引き上げられた
確認ではなく私に自分自身を気付かせるためであったのだろう、疑問符が付くような話し方だが、その口調は確信に満ちていた
「…想像通り、かしらね。」
私の名前を呼んだ人は、会いたくない人達の中には入っていなかった、いや、会うことを想定していなかったと言うべきか
だってその人は私と直接の関わりは無くて、会話したのも1度や2度でしかない
こんな所で、こんなタイミングで、まさかこの人と会うこととなるなんてと、自分の不運を呪った
「少し時間を貰うわ、付き合いなさい。」
不遜な態度を隠そうともせずそんなことを言って、彼女、逸見エリカは私を見据えた
逸見エリカ
その名前は私にとって、警戒するべき対象であり、同時に打倒しなければならないものであった
実際に私が彼女の戦車を動かす姿を見たのは3度だけだ
昨年の決勝相手として、大学選抜との試合を味方として、そして私達が敗北したあの試合で
数にするとそれだけでしかなく、そして、それだけあれば彼女の卓越した技術を嫌でも実感させられた
勇猛果敢にして迅速果断、さらに今年はそれに余裕を身に付け、戦車乗りとして非の打ち所が無くなったとみほさんをもって言わしめた傑物
そして、私達大洗を完膚無きまでに敗北させた人物が、今私の横で、缶コーヒーを片手にベンチに腰を掛けていた
「…寒くなってきたわね。」
遊具が殆んど無くなって寂しげな風景となった公園の片隅で、彼女はぼやくようにそんなことを呟いて白い溜め息を漏らす
彼女が言うように、冷たくなり始めた風が頬を撫でる
当たり前のことを何気なしに呟く姿は、何処にでも居るただの学生のようで、あの大会を蹂躙した黒森峰の隊長とは思えない
「まあ、そう長い話にはしないから、それ、好きな時に好きな分だけ飲んじゃってちょうだい。」
彼女は缶コーヒーに薄い唇を軽く付けたまま、横目に私を見てそんなことを言う
ふと、手元に視線を落とせば私の分の缶コーヒーが、蓋も開いてない状態で私を暖める
口すら付けない私に気を使ったのだろうか
話に付き合ってもらうからと、当然のように彼女が財布からお金を出すのを止める間も無かった
まあ、止める間も無ければ選ばせるような間も作ってくれなかったため、選ばれたのは彼女と同じブラックコーヒーだ
別にお金を出して貰った事に気後れしている訳ではないが、今はそう言う気分ではないのだ
「…話とは何でしょうか?」
小さな子供達が、遊具も無いのに楽しげに走り回っているのを眺めていた彼女は、痺れを切らした私の言葉にゆっくりと視線を私に向けた
青い瞳は氷のような冷たさを写し出し、その冷たさはじっくりと私の全身を撫でる
この目だ
この冷悧で全てを見透かすような目に、私達の、いや、みほさんの作戦は撃ち破られたんだと理解した
「――貴方、ウチに来る気はない?」
「…はい?」
唐突なその言葉に、ウチとは何だろうと考える
彼女の家にお邪魔でもするのだろうか、なんて事を考えているのが見透かされたのか、呆れたような声色で言い直す
「貴方の才能、向上心を私は買っているの。その技術を黒森峰で伸ばす気は無いかと聞いているのよ。」
「わ、私がですか?」
「何言ってるの?貴方だからよ。」
過分なまでの評価に、思わず鳥肌が立つ
最大の敵からの最上の誉め言葉に、脳裏が痺れるような嬉しさを感じて、直ぐに頭を振り、そんな甘えを捨てる
まただ、またこうやって直ぐに調子に乗る
それが何れだけ危険なことか、嫌と言う程理解した筈なのに
私は、同じ過ちを繰り返そうとする
「…それは何ですか。来年の敗北の芽を少しでも摘むための作戦ですか?」
あわよくば大洗の戦力を削ることが、そこまでは出来なくとも私の慢心を作ることが出来るとでも考えているのだろう
だって、隣に居る彼女は敵だ、敵でしかない
ならば、そんな者の甘言に惑わされる訳にはいかない
来年の試合のために
私の仲間達のために
私は――
「…私も、貴方に聞きたいことがあったんです。」
自分の口から吐かれた、あまりに低く暗い声色に驚いた
怨敵でも見るかのように彼女の見詰める、自分の検討外れさに気付きつつも、何処吹く風といったような彼女の様子に苛立ちを覚える
「どうやって、私達の行動が手に取るかのように分かったんですか。」
それは、彼女に意図も容易く翻弄させられた、私自身のミスを誤魔化す為に咄嗟に口にしてしまったものである
だが同時に、それは疑いようのない、あの試合から続くどうしようもない疑問でもあった
「どうして、私の対応を見透かしたかのように動けたんですか。」
あらかじめ立てていた作戦の裏をかかれた、その対応をしようとした私を整然と処理した
言葉にすればそれだけだ、そしてそれだけの事に私は打ちのめされたのだ
一部の乱れもない連携も、指示をされてからの行動の早さも、技能の差も、納得しよう
彼女達の血が滲むような努力によるものだと考えれば、まだ頷ける
そういう事もあるのだろう
けれど――
「なんで、みほさんに勝つことが出来たんですかっ。」
――私は、諦めたのに
戦車道の知識が深まるほど、戦車道の教えを学ぶほど、戦車道が好きになるほど、遠くに思えたあの背中
どうやったって一向に距離は縮まらなくて
どんなに努力したって全く手が届かなくて
いつしか、そう言うものなんだと自分を納得させた
それが諦めだなんて思いたくなくて
自分の弱さを認めないまま、ずいぶんと時が過ぎた
「答えて…、答えて下さいよ。」
そんなものから目を逸らし続けた私は、いつしかみほさんに勝てる人なんて居ないんだと思うようになっていた
きっと、そうである筈だ
目の前の彼女は、私の無様な姿を、言葉を、一つひとつ吟味するかのように長い沈黙を保って
それから、ポツポツと何かを溢し始めた
「私は、…結局みほに勝てなかったわ。」
何を言っているのだろうと思ったが、彼女の表情には誤魔化すような色は微塵もなくて、その言葉が少なくとも彼女の中では紛れもない真実なのだと理解した
「あの大会の私達の戦い方、違和感を感じなかった?」
違和感と言われて、直ぐに頭に思い浮かんだのは、みほさんが言っていたあの内容だった
「『あれは西住流じゃない。』」
二人の声が重なる
けれど、込められた意味は正反対のような気がした
あの、完璧に相手の裏を掻き続ける戦術
ある種の究極とも言えるだろうあの戦術は、みほさんでさえ見たこともないと言う程の未知のもので
それは、誇ることはあっても恥じることは無い筈のもの
その筈なのに、何故だろう
何故彼女はこんなにも、罪を告白するかのように口にするのだろう
「あれは西住流でもなければ、決まった流派の動きでもない、単純に試合に勝つためだけの動き。あらかじめ相手の思考を読んで、それに対する最善手を打っておいただけ。」
相手の行動を予測して、その対策をする事
それは、戦術を立てる上での基本中の基本で、特に不思議でもなんでもない考え方の一つだ
きっと、誰もがやっている当たり前の事で
もちろんそれは私だってやっている事だった
だからこそ、それはあまりに信じがたい
「何を、言ってるんですか。あれが、あんなものが、誰もが当たり前にやっているものの延長でしかないとでも言うんですか!?」
各校の歴戦の戦車乗り達が、為す術無く敗北した
常に位置を捕捉され続け、常に作戦を読まれ続け、常に最善手を打たれ続けた
何とか対策を講じようとした人達さえ、歯牙に掛ける事の無い彼女達の姿に絶望したのは一人二人では無い
それなのに、
「そうよ、私がやったのはそれだけ。」
彼女は血を吐くように、そう言い捨てる
「私には、何もなかったの。何も、無かったのよ。」
見据える先にあるものは、きっとどうしようもない遥か高み
そしてその高みにいる、西住まほさんのような指揮能力も、みほさんのような戦略立案能力も、愛里寿さんのような技術も、彼女にはありはしなかったのだろう
「分かってた、そんなことはずっと前から分かっていたの。」
「あの子達のような才能も、経験も、培ってきたものさえも、自分に無いなんて事、誰に言われるまでもなく知っていたもの。」
「――でも、負けるわけにはいかなかった。」
ゾッとする程に力が込められた、彼女の言葉はあまりに重い
願いなんてあやふやなものではなく、決意なんて生易しいものではない、何処までも汚く泥臭い、執念とでも言うべき妄執だった
だから、そう言って彼女は一呼吸置いた
「私の弱さを直視した。私の今まで積み上げてきたものを見つめ直した。私の間違えを数え直した。」
「もう逃げるのは止めた。目を逸らして見えない振りをするのも、失って怒りに震えるのも、もうしたくなかった。」
――私はそうやって色んなものを捨ててきたの
そんな言葉を吐き捨てて、彼女は空になった缶を遠くに置かれているゴミ箱目掛けて放り投げた
空き缶は綺麗な放物線を描いて、少しのズレ無く箱の真ん中に吸い込まれる
乾いた空気に響き渡った甲高い音はやけに大きく感じられた
「…後悔、してるんですか?」
「まさか。」
私の質問に、とんでもないと言わんばかりに鼻で笑った彼女は少し乱れた髪を整えながら口角を持ち上げる
「今のこの現状は、目指していたものの中でも最良に近いものよ。私のやって来たことを誇りはしても後悔なんてしない。」
「ただ…もし、と思うことはある。」
「もし大洗に負けなければ、もし隊長が私でなければ、もし私がもう少し色んなものを救い上げられたらなんて、そんなことを時折考えてしまうことがあるの。」
ああ、そうだろう
その気持ちは、考え方は、自分の事のように理解できた
だってそれは、私が今まさに陥っている状況そのもので、目の前の彼女はまさに鏡写しの自分自身を見ているかのようだった
話を戻すわね、と言うと彼女は溜め息を一つ吐いた
「私は試合に勝つために西住流を捨てて我流に走った。今までの戦車道の試合を全て見直して、一人ひとりの癖や考え方を細分化した。それをただ途方もない程繰り返してパターン毎の相手の行動を予測したわ。」
「戦車道の試合だけじゃない、過去の戦術と言う戦術を読み漁りって、自分の戦車道を徹底的に破壊した。」
「そこまでやって漸く、全ての高校生が行う戦車道の行動を読み切れるようになったの。」
彼女が、痩せ細りやつれた理由が分かった
精神的なものでは無かったのだ、いや、精神的なストレスもあったのかもしれない
けれどきっと、睡眠を削り食事を疎かにして自身の体調も省みなかった結果、こうなってしまったのだろう
「大学との練習試合や大会を勝ち進めるごとに今の黒森峰の強さに酔しれたわ。これならきっと優勝出来る、これならきっとあの子に勝てる、これならきっと――…。そんなことを思って、あの子との試合に臨んだ。」
「最初は私の掌の上をまるで出ることはなかった、あの子が立てるだろう作戦、行動、全てが私の思うがまま。」
「今まで一度だってあの子に勝てなかった私が、僅かの損害すら出さずに大洗の戦力の半分を削った時、私は勝利を確信した。」
「確信して…崩壊した。」
私も見ていたからその後の事は知っている
みほさん達の単騎駆け、およそ人が乗っているとは思えないような、化け物染みた戦車の動きを見せ付けられた
「最初にみほの動きが変わったのが分かった。嫌な空気も感じたし、私は即座に作戦を切り換えて対応しようとして、…打ち破られたわ。」
多数による同時襲撃
強襲に重なる強襲を繰り返し、みほさん達を押し潰そうとする息も吐かさない連撃
それをみほさん達は針に糸を通すかのような動きで切り抜けた
「前進するあれを何とかしようと、私が考えた対抗策は一つや二つじゃなかった。」
「それでも、あれはそんな私の策を意図も容易く切り抜けた。」
「私の指示に何の疑いもなく従った隊員達が次から次へと撃破される度に、また負けるのかと言う恐怖が産まれて、ついには私の目の前に現れたあの子の姿に敗北を予感させられた…。」
「…あの時、小梅が駆け付けていなければ、確実に黒森峰は負けていたわ。」
だから、黒森峰は大洗に勝ったけれど、私はみほには勝てなかったの
そう呟いて、何かを思い出すかのように瞼を閉じた
「背負わなければならないものは私には不相応な程に大きくて。でも、それを捨てる事なんて考えられなくて、結局こんなところまで来てしまったわ。」
こんなところまでなんて言うけれど、その声色には喜びはあれど悲しみなんて無くて、後悔していないと言う言葉が真実だと分かった
ゆっくりと開かれる双眸が冷たさを伴い私を貫く
「だからこそ、私は貴方に聞かなければならない。」
「貴方の敵は、一体何処にいるのかしら?」
投げ掛けられた底冷えするように冷たい疑問は、私の背筋を凍らせた
口から漏れた言葉にならなかった吐息は、白い煙となって消えていく
私の、敵?
そんなものは、聞かれるまでもない、筈だ
それは、私達を敗北させた黒森峰の事で、全国の強豪校の事で、目の前で私を見詰める逸見エリカさんの事で
「本当に?」
そんな回答を私が口にするのを、彼女の言葉が邪魔をした
確認でしかない彼女の言葉は、私に建前でしかない幼稚な考えを紡がせない
「貴方の気持ちを聞かせて欲しいのよ。そんな情けない顔をして口にする誰かの理想の言葉なんて聞きたくないの。」
そこまで言われて、漸く自分が今にも泣き出してしまいそうに表情を歪ませている事に気がついた
「やめて…下さい…。」
なんで、なんで、苦難を共にした戦車道の仲間達でなくて、友人のあゆみ達でもなくて、憧れのみほさんでもなくて
なんで貴方のような他人が、私を見透かすような事を言うのか
貴方は他人だ
食事を一緒に食べた事もなければ、連絡先を知っているような事もない
勉強を教え合った仲でもなければ、一緒に遊びに行ったこともない
戦車道で、こうしたら良いんじゃないかと話し合った事も
お互いの弱さを、次はもっと頑張ろうと反省し合った事も
もう駄目だと思ってしまった時に、私達に手を差し伸べてくれた事も、無かったではないか
「止めて下さいよ…。見透かす様な事、言わないで下さい。関係の無い貴方が、私の何を、理解しているって言うんですか。」
「…。」
一人言の様に、譫言の様に、誰に向けたわけでもない私の呟きに彼女は答えない
ただ、私から目を逸らそうとしない
「私の何を知っていると言うんですか…。貴方が私の何を理解しているって言うんですかっ!」
――私自身でさえ、分からないのに
そんな言葉は口に出来ないまま、項垂れるように顔を伏せた
淀みきった感情が、栓が抜けて噴き出すように私の胸中で渦巻いていく
知りたくなかった、見せたくなかった、在って欲しくなかった、私の汚い部分が顔を覗かせ、どうしようもない自己嫌悪に苛まれる
お前のせいじゃないか、という検討外れの怒りが過って
只の他人に理解されてしまう事に恐怖が産まれ
そんな事を考えた自分自身に嫌気が差す
「分からないわよ。分かるだなんて、口が裂けても…言えないわ。」
だから、彼女のその言葉は私にとって救いであった
数度会った程度の人に理解されてしまう程、底の浅いものでなかったと思えたから、安心した
けれど、
「でも、苦しいのは…分かる。」
くしゃり、と頭を撫でられた事に暫くの間、気が付けなかった
「何が敵なのか、今進んでいる道が本当に正しいのか、分からなくて。」
戦車道で硬くなっただろう掌が、不器用なまま下手糞に私の頭を撫で付ける
壊れ物を扱うかのように、戸惑いながら触れている事が直ぐに分かってしまうそれは、心地好いとは言えないけれど、何だか無性に泣きたくなった
「誰を頼れば良いのか分からなくて、でも、一人で何でも出来る程、自分は上手く出来ていなくて。」
彼女は、逸見さんは眉尻を下げて、悲しむように苦しむように言葉を紡ぐ
――それはきっと、私じゃない誰かの話で
「それでも、止まれなくて。もう戻れない様な所まで来てしまったからこそ、同じ様に何かを見失っている人を見て、放って置くことが出来ないの。」
だから、と言葉を続けて逸見さんは笑った
――その誰かはきっと、苦しみの中を突き進んだのだろう
「その苦しさを、少しで良いから言葉にして欲しいのよ。」
ぼろぼろと、歪んだ暗い感情が大粒の何かになって私の頬を濡らした
それを拭うことも出来ず、ただ口から漏れだしそうになる嗚咽を下唇を噛んで押し止める
一つとして同じ苦しみはない
だから、全てを理解する事はきっと出来なくて
でも、全てを理解出来なくても少しでも手を差し伸べさせて欲しいから、貴方の事を教えて欲しいと逸見さんは言う
心のどこかでどうしようもなく欲しがっていたその言葉は、ずっと手に入れることが出来なかったもので
手を伸ばせば、目の前に居る馬鹿みたいにお人好しな人は、きっと何とかしてくれるのだろうという確信が持てて
この苦しみも、悲しみも、怒りも、切望も
ごちゃ混ぜになった私の汚い感情を、漸く精算できる、そう思ってしまった
私自身、優しげな笑顔を浮かべた逸見さんに、無意識のうちに心を許していることに気が付いて
それでも良いや、と思ってしまった私はどこまでも弱かった
「――私、逸見さんを誤解してました。」
「…確かに、自分でもキツそうな顔をしてるとは思うわよ。」
「…そうですね。こんなに優しい人だとは思いもしませんでした。」
顔を赤らめて視線を逸らした逸見さんに、自分の中で勝手に出来上がっていた彼女の印象が、音を立てて崩れていくのを感じた
ああ、何だ…
少し近付いて見れば、何てことは無かったのだ
逸見さんも私と同じ、普通に照れて、普通に笑って、普通に苦しむ、ごくごく普通の少女だったんだ
やっと、そう理解出来た
勝手に感じていた、底知れない強大なイメージが完全に払拭された訳ではない
今だって、こうして逸見さんと普通に話していることに違和感がある
今はごく普通の少女としての面がよく見えたとしても、あの試合で見たような冷徹な指揮官としての側面も、確かに逸見さんの偽り無い姿で
きっと戦車道だけでなく、私は逸見さんに色々な面で及びもつかないのだろう事は分かっているから
「…逸見さん、私、馬鹿なんです。」
この苦しさも、痛みも、長い間私を苛んできた
どしようもないと思っていた感情を、乗り越えた人が目の前に居て
その人が、私と代わり無い普通の人なんだと知れて、それでも進み続けた人なんだと知れて、何だかよく分からない熱い感情が胸の中に芽生えた
「私…諦めたくない。」
私の言葉に逸見さんは目を見開いて声を失う
分かってる、自分がどれ程馬鹿なことを言っているか理解している
だってあんなに一人で抱えて、あんなに一人で涙を流して、あんなに一人で逃げていた
それなのに今更、私がこんなことを言う
私を心配してここまで来てくれた逸見さんにとっては、差し伸べた手を噛まれたような気分だろうか
だから、逸見さんが何か言う前に私は想いを声に出す
「この苦しさは自分だけのものだって勘違いしてました。」
「誰も私の苦しさなんて理解してくれないんだと勝手に思って、けれど、それは全部私の弱さが招いたものだなんて自分を責めて。」
「堂々巡りの中で、逸見さんが私に手を差し伸べてくれた事は本当に嬉しく感じて。」
「―― でも、同時に貴方に負けたくなくなってしまったんです。」
優しい人だから、同じ様な悩みを抱えた弱くて強い人だったから、この人みたいになりたいと思ってしまった
…いいや、正確には逸見さんみたいになりたい訳ではないのかもしれない
逸見さんの突き進む姿に、諦めようとしない姿勢に、誰かに向けることが出来る優しさに、ただ憧憬を抱いてしまったんだろう
ずっと手に持っていた缶コーヒーを逸見さんに押し返す
「―――。」
「私は、逸見さんを越えて見せます。」
産まれてしまった感情全てを乗せたそんな私の宣言に、逸見さんがどんな反応を示すのか、不安を覚える
罵倒されても、蔑まれても、可笑しくはない
どの口がそんな妄想を垂れ流すのかと笑われるのなんて覚悟の上だ
けれど、この人はきっとそうしないと、理由もないのに何となく思って
「――そう。」
酷く安心したように微笑んだ逸見さんの姿に、胸が暖かくなった
「あーあ、何よ。とんだ無駄足じゃない。」
「ふ、ふふっ。」
形だけの嫌味は何を隠すためのものか
この短い時間話しただけでも、何となく分かってしまって、あまりに単純な逸見さんに思わず吹き出してしまった
いきなり笑いだした私に、逸見さんはしばらくキョトンとしていたが、何で笑われてるか理解したのか、みるみる頬を紅潮させて目付きを鋭くした
「こ、このっ、…はぁ、まあいいわ。」
何だかみほに似ててやりにくいわね、と逸見さんはぼやくとベンチから立ち上がる
長い間ベンチに座っていたからか、固まってしまっていた筋肉を軽く解しつつ、逸見さんは私を見下ろした
「結局、何の解決にもならなくて悪いわね。」
「え?」
「話を聞いただけで、ろくに解決も出来なかったでしょう。だから、ごめんなさいって言ったのよ。」
そう言われてみればそうかもしれない、胸に蟠っていたものがずいぶんすっきりとしてしまったから、その事実に気が付かなかった
いや、客観的にはそうかもしれないが、私は確かに逸見さんと話すことで精神的に多くの事を救われた
なにも出来なかった等と言うのは酷い誤解だ
不機嫌そうに私を見下ろす逸見さんを見て、途中から感じ始めた彼女に対しての違和感がなんなのか、ふと理解した
あれだけ人の考え、行動を先読み出来るにも関わらず、時折全く見当違いの誤解をする矛盾に近い逸見さんの行動に、私は違和感を感じていたのだ
「大丈夫です。色々お話が聞けて、打ち明けられなかったものを打ち明けられて、憑き物が晴れたような気分なんです。」
「…そう、まあ、無理はしないことね。」
缶コーヒーを手元で回しながら私を見下ろす逸見さんは人相の悪さも相まって、端から見ればあまりよろしくない状態だったのだろう
けれど、この時の私達は露程もそんなことに気が付かなくて
「「「「うおりゃあぁぁ!!」」」」
突然、公園に響き渡った数人の大声に私達2人とも全く動けなかった
飛び出してきた5人の人影が、私と逸見さんを遮るように間に入ってくる
見知ったその5人の姿に唖然とする私に対し、反射的にファイティングポーズをとった逸見さんは堂に入りすぎて少し怖かった
「あああ、アンタっ、黒森峰の隊長ねっ!?」
1人がぷるぷると、頼りなく足を震わせながら逸見さんに向けて指差す
「あ、梓を虐めるなーー!」
「1人で居るところを狙うなんて卑怯だぞっ!」
「こっ、このっ、バーカ!バーカ!」
「……!」
5人の大合唱は内容も纏まっていないし恐怖が隠せていなかったから、逸見さんにとっては微風にも劣る迫力しかなかったのか、呆れた表情で構えを解いた
「…えっと、貴方達は、 山郷 あゆみさん、丸山 紗希さん、 宇津木 優季さん、 阪口 桂利奈さん、大野あやさんね。」
「か、完全に名前を把握されてる…。」
「もうだめだぁ…、おしまいだぁ…。」
「何なのコイツら…、頭痛くなってきた。」
あゆみ達は私に背を向けた状態で、逸見さんと相対している
彼女達が何故ここに居るのかなんて考えるまでもないが、どう言った理由で逸見さんへ臨戦態勢を取っているのかは分からなかった
けれど、明らかに勘違いで行動していることは間違いなく、何とか彼女達を止めようと、漸く私が動き出したところで
「梓は貴方なんかに構ってる余裕なんて無いんだっ!」
「そ、そうよ!梓をどうにかしたいって言うなら、まずは私達が相手になるんだから!」
「…負けないっ。」
「よしゃーー!!やってやるわ!!」
――思わず、動きを止めてしまった
あゆみ達は、何と言ったのだろう
「梓っ!!」
急に名前を呼ばれて、ろくな反応も出来ない私にあゆみ達は切羽詰まっているのか、まるで気にした様子も無い
「私達はっ、梓にとって頼りないのかも知れないっ!」
「試合中に怖くなって逃げ出しちゃう様な奴らだから、それはそうかも知れないけどっ。」
「でもっ、これくらいならやって見せるからっ!」
いつの事を言ってるんだと言い掛けて、自分が声も出ないくらい動揺していることに気が付いた
――ふと思い出すのは、初めて戦車に乗った時の記憶
軽い気持ちで始めた戦車道は、あまりの迫力に怖くなって逃げ出してしまったんだっけ
「…へぇ、私とやり合おうっての?」
「あ、当たり前だし!」
「私達の親友に手を出したこと、後悔させてやるわ!」
目を細めた逸見さんは、1度私に視線を送ってから氷点下の様な冷たい声色を出す
嫌な汗を掻いてしまうようなその声に、けれどもあゆみ達は腰を引かしても、その場を動こうとはしない
――初めて他校と練習試合をしたときも、恐怖に負けて逃げ出してしまった
練習試合の後に、逃げ出してばかりの自分達に恥ずかしくなって、みほさんに謝りにいったんだっけ
1度溢れ出した記憶はフラッシュバックするかのように、これまでの景色を私の脳裏に次々映し出していく
もう逃げ出す事はしないようにとお互い約束し合って、励まし合って、立ち向かった
サンダースや、アンツィオ、プラウダにだって対等とは行かずとも、戦うことを諦めないで戦い続けた
黒森峰との試合で上げた大金星に、皆でもろ手を上げて喜んで、これからも頑張ろうと決心した
大洗が廃校となってもう戦車に乗れないんだと思った時も、大学選抜とのあまりの戦力差に挫けそうになった時も、決して諦めてこなかった
誇らしい日々だったとは口が裂けても言えないような恥にまみれたものであったけど、それらは私にとって大切な思い出で
確かに歩んだ来た私達の道程だった
「みんなっ…。」
声が震える
自分でも分かるほどに泣き出しそうな声だ
そんな情けない私の声に、彼女達はそれぞれの動作で応えてくれる
あゆみが背中を向けたままこちらに親指を立てて
あやが安心させるような笑顔を浮かべて
桂利奈が大きな声で私に応えて
優季が分かってると言うように手を振って
紗季が私の手を握って
私の大切な友達、みんなが私に寄り添ってくれる
「ふふっ…。」
逸見さんが堪えきれないと言わんばかりに笑みを漏らした
いつの間にか、先程まで撒き散らしていた底冷えするような雰囲気は霧散していて
逸見さんのあまりの変貌に、あゆみ達は狸に化かされたように固まってしまう
「隙だらけだから、厄介な大洗の隊長を今の内に潰してしまおうと思ったんだけど、これじゃあちょっと無理そうね。」
この人は何を言っているのだろう
欠片もそんな事を考えて無かっただろうに、ただのお人好しの癖に、何でそんな事を言うのだろうか
逸見さんの発した物騒な発言に、あゆみ達は小さく悲鳴をあげて身構える
逸見さんのすらりと伸びたしなやかで長い腕が、手の中に在った缶コーヒーをコートのポケットに仕舞うと、私達に興味を失ったように背を向け歩き出した
「――その子、馬鹿だから。貴方達ちゃんと支えて上げなさいよ。」
後ろ背に言い捨てたそんな台詞は、あまりに彼女らしくて
力尽きたように、へなへなと腰を抜かしたあゆみ達に肩を貸しながら、消えていく逸見さんの背中に向けて大声を出した
「逸見さん!!私、ブラックコーヒー飲めないんです!!」
ズルッと、音が聞こえてきそうな程勢い良く転んだ逸見さんが、慌てて私達へと顔を向ける
「だからっ、今度はっ。」
私は何を言おうとしているのだろう
色々な事がありすぎて、頭の中がぐちゃぐちゃで纏まり無い
けど、このまま逸見さんを行かせたら、何となくもう会えない気がして
動かない頭のまま、あゆみ達の視線を感じるまま、涙を止めることなど出来ぬまま、吼える
「今度は、対等にっ!!私とお話しして下さい!!」
笑ってしまうような内容だ
せめて、お礼を言えないのだろうか
自分の発言に血の気が引いていくのを感じながら、強烈な自己嫌悪に襲われる
言葉を失って私を見ている逸見さんを見るのが怖い、これから何を言われるのか考えるのが怖い
――でも、目を逸らす事だけはしなかった
逸見さんはそんな私を見て、深い溜め息を吐いたのが分かった
深い深い息を吐いて、仕方の無いように微笑んだのが分かった
「――約束よ。」
声は届かなかった
でも、確かに、そう言われた気がした