逸見、戦車道やめるってよ   作:暦手帳

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逸見エリカは拗らせている

 私が戦車道をしてきたこの6年間、挫折と後悔にまみれていた

 苦しいことも、悔しいことも、飲み込んで乗り越えて

 それでもここまで来れたのは一重に戦車道が好きであったからに他ならない

 

 中学生の頃は、先輩達との確執から起こった衝突で陰険な嫌がらせにまで発展したし、決して才能があるとは言えない私は周囲との劣等感に苛まれもした

 そんな良いとは言えない環境の中ででも、私は戦車道自体を嫌になったことは無かったし、なんなら考えたことが無かったと自信を持って言える

 

 では、いつから私は戦車道が嫌いになってしまったのだろう

 

 正確な切っ掛けは分からない

 けれど、きっと私が戦車道を心から楽しめていた高校1年生のあの時が終わってしまった瞬間からなのではないだろうかと思う

 

 

 

『エリカさん!』

 

 

 頭に残る誰かの声が私を振り返らせる

 後ろを振り返ったところで、そこには何も無いと言うことは分かっている筈なのに

 

 

 

 これは悪夢なのではと思う

 ヒタヒタと着いて歩く亡霊のように

 素知らぬ振りをした私の罪をどこまでも追い掛け、決して忘れさせることの無いように

 もしかすると、歩めていた筈の別の未来が私を責め立てているのではなんて

 

 馬鹿馬鹿しい妄想だと分かっている

 彼女が私の名前を呼んだことなんて今まで無かったし

 現に私の頭に巣食う彼女は過去の事など無かったかのように充実した生活をしているのを知っている

 私が悔やんで苦しかったあの時の事は、まるで要らないものであったかのように気にもしていないのだろう

 

 だから、これは、私の勝手な罪悪感が産み出した幻でしかなくて

 何時まで経っても清算出来ない、私の未練がましさの表れでしかないのだ

 

 

 

 

 

 

 打ち付けるような豪雨の中で、ようやく川から引き上げられた戦車は鋼鉄で作られたと言うのが信じられない程磨耗しており、浸水した濁流が持ち上げられた戦車の隙間と言う隙間から溢れ落ちる

 

 そんな凄惨な戦車の状態を見れば、産まれて初めて出来た私の親友の判断は正しく人命を救ったのだと確信できて

 普段の気弱なあの子の姿からは想像できなかった英断に試合に負けたと言うのに、妙な誇らしささえ感じていたから、傘も差さずに雨に濡れるあの子の悲壮感に包まれた表情が理解できなかった

 

『…逸見さん、わたし…。』

 

 なんでそんなに悲しそうな顔をするのか

 何か取り返しのつかない事をしてしまったような、悲嘆に暮れた苦しそうなあの子の心情を、馬鹿な私は気が付くことも出来なかった

 

 風邪引くわよ、なんて的外れな事しか言えなかった私にあの子の頬を流れる滴が涙なんて想像も出来なくて

 私は、ただ俯いて誰に向けたか分からない、ごめんなさい、なんて謝罪を繰り返すあの子の肩を抱いて連れ帰る事しか出来なかった

 

 

 

 

 弱小校であった私の中学時代は敗北が日常茶飯事で、悔しさはあっても次に勝てば良いと考える程度には敗北に慣れていて

 だからこそ、王者と言う看板の重さを、最強でなければならない西住流の厳格さを甘く見ていた

 

 あの日の敗北から、日に日に陰が増していくあの子の様子に私は困惑した

 落ち込むよりも、次を勝てるようになんて、ありきたりな慰めを無責任に口から垂れ流して

 あの子の手を引いて、いつも通り訓練へ連れていっていた私はなんて愚かだったのだろう

 

 高校生となってほとんどの時間を一緒に過ごしていたあの子が少しずつ離れていったのは必然だった

 

 

 気が付くとあの子が近くに居ないことが多くなった

 戦車に乗っている時以外は、基本的にポンコツなあの子の様子を見ていられなくて

 同室のよしみで、何かと世話をする内にカルガモの子供のように私の後を着いて歩くようになったあの子が、自分から一人で何処かに行く事等いままで無かったから

 恥ずかしい話だが、逆に私があの子の後を必死に追うようになっていた

 

 

 そんなある時

 何時ものように、居なくなってしまったあの子を探して人気の無い場所をしらみ潰しに探していると、責め立てるような怒声が聞こえて来た

 

 校舎の屋上なんていう、立ち入りを禁止されている筈の場所から聞こえてくる声に面倒事に関わってしまったと思いながらも見知らぬ誰かを止めようと様子を伺うと そこに居たのは、戦車道の3年の先輩方と私が探していたあの子の姿があった

 

 そこからは簡単だ

 昔から相手が誰であろうと、意見を違えれば噛み付く悪い癖があった私は、その現場に勢い良く身を曝しあの子を守るように先輩達の前に立つ

 こいつらは敵だと、そう思った

 お前らのような奴が居るから、どうしようもない悪循環に嵌まってしまっているのだと怒りが生まれる

 

 飛び出してきた私に先輩達は一瞬怯んだような顔をしたが、直ぐに憎々しげに表情を歪ませて私を睨み付けてくる

 戦犯を庇うのかと、そいつの勝手な行動で私達は先輩方に顔向け出来ないと、激しい口調で詰め寄ってくる

 私は吠えた

 ふざけるなと、お前らの言い分は自分の不甲斐なさから目を逸らす為の詭弁に過ぎない、なんて

 

 あの子を守ろうと必死になった私は、あの敗北に特に感慨を抱いてすらいないある種の部外者の癖に、もう取り返しのつかない先輩達に向かって、ただただ正論を殴り付けた

 

 聞くに耐えない暴言の応酬が終わると先輩方は瞳にうっすら涙を浮かべて、震える体を引きずって去っていく

 先輩達の姿に言い様の無い無力感、本当に正しいことをしたのかという疑問を感じながらもあの子の様子が気になって、後ろを振り返る

 

 

『ごめんなさい…、逸見さん…ごめんなさい…。』

 

 只でさえ白い頬を蒼白にして震えるあの子は虚ろげで

 それでも、何かを決意したような悲しい瞳に嫌な予感がした

 

『もう…私に関わらないで下さい。』

 

 そう言って振り返ることもせず私の前から去っていくあの子の背中に、私の震える口は何の音も出すことは出来ず

 フラフラとあの子の背中を追うように伸ばした手は届かないまま、空を切って力無く垂れ下がった

 

 

 その日からあの子は私の前から居なくなった

 

 

 

 

 

 

 

 私が戦車道を嫌いになった瞬間があるとするならば

 それはきっとこの時で

 今も背負い続ける罪の記憶だ

 

 

 ふと思う

 一体誰が悪かったのだろうと

 小さな頃に憧れた勧善懲悪もののお話であれば、どうしようもない悪役がいて

 そいつさえ打倒すれば皆が幸せになって

 めでたしめでたし、でお仕舞いで

 

 

 なんでそんな風に上手く出来ていないのだろう

 あの試合での敗北で悪い人なんて何処にも居やしなくて

 川に落ちた人達も

 フラッグ車を放置したあの子も

 攻撃を続行したプラウダの人達も

 誰も悪くないならどうしてこんなにも上手くいかないのだろう

 

 この私のどうしようもない怒りは何処へぶつければ良い

 行き場の無い怒りは、私の胸の中で渦巻いていく

 暗く黒く、質の悪いオイルのように滑りけのある感情は決して消えること無く私の中で留まった

 

 それから、私は今までに無いくらい戦車道の訓練にのめり込んだ

 何かを必死にやっている時だけ、嫌なことを忘れられた

 

 部屋に帰るのが恐かった

 誰もいない一室と永遠に帰ってくることの無い主人を待つ私物やぬいぐるみ達が恐ろしかった

 だから、出来るだけ部屋に戻らないように

 何度も何度も戦車道の設備で日を過ごした

 汗を流すためのシャワー室で体を洗い、資料室で眠りにつく

 そんな生活を送っていればおのずと戦車に対する理解が深まっていった

 

 別に強くなりたいなんて考えていた訳ではない、でも敗北で何かを失うのは、もう、嫌だった

 楽しいなんて、感じている暇はない

 辛いなんて、考えもしない

 

 徹底して私個人の技量を磨いていく

 戦車に対する知識、戦略立案、運転技能、装填技能や狙撃技能、果てには通信技能まで、あらゆるものに手を出してひたすら努力を続けた

 

 私のあまりに病的な努力に周りの人達が止めようとしてきた

 お前は病気だと言われた

 お前が自分自身をどれだけ痛め付けても意味など無いと言われた

 

 

 ―――意味ならある

 

 

 あの子が、みほが辞めなければならなかった黒森峰の戦車道こそが最強だと、証明するのだ

 最強であったがゆえに、みほの優しさは排斥されなければならなかったと、証明しなければならない

 でなければ、本当に、誰も報われない

 

 そう思った、思っていた

 

 

 

 

 

 あれはなんだ

 あそこにいるのは誰だ

 私の中に押さえ込んでいた怒りが憎悪へと姿を変えてどす黒く渦巻いていく

 苦しい、息苦しさを感じるほどのその感情を押さえ込む事が出来ない

 

 戦車道の抽選会で目にしたのは

 見慣れたおどおどした立ち振舞いのあの子で

 見慣れない制服姿の彼女は遠目からだったが、やけに幸せそうな、気がした

 

 隣にいる誰かと笑い合うあの子

 私じゃない誰かと名前を呼び合うあの子

 

 そこでなくては、駄目だったのだろうか

 こちらでは、駄目だったのだろうか

 彼女達でなくては、駄目だったのだろうか

 私では、駄目だったのだろうか

 

 疑問に答えてくれる人はどこにも居なくって

 混乱と驚愕の板挟みになった私が怒りの矛先をあの子に向けたのは、当然だったのかもしれない

 

 …潰す

 必ず潰す

 もう散々だ

 もう我慢の限界だ

 

 丁度良い、誰が悪いか分からなかったところだ

 この大会で、全て、全て叩き潰そう

 

 そうして、私は怒りのままにより一層、戦車道の訓練に打ち込んだ

 訓練して、訓練して、訓練して

 日に日に強大になっていくどす黒い感情は、もう手に負えなくなっていった

 

 勝ち上がっていく私達と、あの子達

 あまりに都合が良く叩き潰す場が整って嬉しくなって

 同時に何か間違えてしまっている気がして

 助けて、と叫びたくても、そんな声を聞いてくれる人はどこにも居なくて 

 自分自身、何から助けて欲しいのか分からなくいまま

 ただただ、憎悪を燃やし続ける日々を送る

 

 向こうはこちらとは比べ物にならないくらい性能の低い戦車ばかりだ

 サンダース、アンツィオ、プラウダを下した実力は侮るべきではないが必ず潰す

 

 潰して、優勝して…

 優勝して、意味のあるものにしないと

 そうしないと、私はあの時、あの子が苦しんでいる時、なにも出来なかった自分自身を許すことが出来ない

  

 そんな下らない私の願いは王者黒森峰の2大会連続優勝を逃すという汚名とともに壊れることとなる

 

 他ならないあの子の手によって

 

 

 黒森峰と大洗の戦力差は歴然で

 ひっくり返っても負けるわけないと、負けてはいけないと思っていた

 あの子が居なくなってから、いや、それまでも血の滲む努力を重ねてきた

 それがこの様だ

 

 悔しさはない

 ただ笑いが溢れてしまう

 どうしようもない、今の私には何も残っていない

 

 努力が無意味なものだと

 苦しみも、悲しみも、要らないものだと

 私にとっての大切な思い出は誰かにとっては無価値なものだったと、思い知らされた

 

 やけに広く感じる部屋の中で、私は一人布団の上でうずくまる

 誰かの荷物はまだ片付けれない

 私にはついぞ良さが分からなかった熊のぬいぐるみが私を見詰める

 

 また、私の未練が話し掛けてくる、いつぞやのあの子の言葉をそのまま

 

『逸見さん、ボコは凄いんだよ!何度やられても必ず立ち上がるんだ。』

 

 うるさい、黙れ

 

『私ね、小さい頃からボコのそんな姿に憧れててね。実践しようと頑張ってるんだけど、なかなか上手くいかなくて。』

 

 止めろ

 止めてくれ、そんな話聞きたくない

 

『だから、高校でボロボロになっても絶対諦めようとしない逸見さんが凄いなぁ、て思ってて。』

 

 居なくなったくせに

 立ち上がらなかったくせに

 私を一人にしたくせに

 

『逸見さん、何度倒れても立ち上がれば最後は絶対叶うんだよ!』

 

 もう、…疲れたの

 

 私を見詰める傷だらけのぬいぐるみの頭を鷲掴みにして、ゴミ箱に投げようと振りかぶった

 未練を捨てようと

 思い出を捨てようと

 あの子の残骸を捨てようとしているのに

 振りかぶったのに、何時まで経っても投げ捨てることが出来なくて

 

―――結局、捨てることなんて出来やしなかった

 

 

 

 傷だらけのぬいぐるみがいろんな人達と重なって見える

 あの子と、隊長と、赤星と、同輩や後輩、先輩方と、あの子を責め立てた隊員達でさえ重なって見える

 色んな人が傷ついた

 苦しんで苦しんで涙を流した

 今もそうだ、苦しいのは辛いのは私だけじゃない、私だけじゃないんだ

 

 何度も何度も、負けて躓いて転げ回った

 劣等感に苛まれ、敗北に震え、それでも前に進み続けた

 それしか、出来なかったから、それだけが取り柄だったから、前に進み続けた

 

 どれだけ惨めだろうと、泣くことだけはしてやらなかったのに、今は溢れてくる涙を止めることが出来ない

 

 ずっと勘違いしていた

 敵なんてどこにも居なかったんだ

 

 漏れる嗚咽は段々と大きくなって、ぬいぐるみを抱き締める力は増していくばかり

 声を押し殺す事など考えられず、ただ幼子のように泣きわめいた

 

 

 

 あの子はもう居ないけど

 あの子にとって、私は取るに足りない存在だったのかも知れないけど

 私にはやらなければならないことが残っていて、やれることが残っているから

 もう一度だけ、立ち上がることにした

 

 これで最後だ、もう終わらせよう

 私の戦車道とあの子との思い出はこれで終わりなのだ

 

 

 

 


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