とある科学の偽悪論者   作:愚者の憂鬱

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とあるシリーズは、私の青春時代を象徴するアニメ作品の一つです。何気に思い入れが強いので、いつかハーメルンで何かしら書いてみたいなぁとは思っていました。
さて、春から華の大学生となったわけですが、まさか大学の夏休みがこれほど暇だとは思ってもみませんでした。現在私が他に執筆中の作品に関しても、これからはちょいちょい更新するよう努力しますので、何卒長い目で見守っていただけるとありがたいです。


八月十四日

 学園都市第七学区。

 かの有名な常盤台中学を擁する『学舎の園』を皮切りに、数多の名門校が門を構え、多くの中高生達が住む栄えた街並みには、暦の上では夏休み真っ只中であるにも関わらずそこそこの人影があった。それは単に、第七学区が学生相手に商売を特化させた地域であるため、わざわざ他の学区に足を運ばずとも大概の用事を済ませられることを知った学生達の怠慢によるところも大きかったが。

 まぁそんなことを考えてしまっても、この暑さでは無理はない。と、青年は思う。

 正午を回った第七学区のとある噴水広場にて、比企谷八幡はキラキラと水飛沫を上げる噴水を、ベンチに腰掛けぼーっと眺めていた。雲一つない青空と、ギラギラと輝く太陽が比企谷の肌を焼く。

 ボサボサの黒髪と、頭頂部ではねる一房のアホ毛。そこそこ整った顔立ちに、そんな調和を台無しにする窶れた目付き。

『一応』普段着にしているどこぞの高校の夏制服には、所々内側から染み出した汗が浮き出している。

 

(くそ、一色のヤツどこまで行ってんだ……)

 

 そろそろ遠くの陽炎にも見飽きた頃だと、比企谷はいつまでたっても現れる気配の無い待ち人に、若干の苛立ちを覚えた。

 

「ちょっと、コレはわたくしを婚后光子と知っての狼藉ですの⁉︎」

 

 そして、そんな比企谷をさらに苛立たせる喧騒もまた、噴水を挟んで向こう側に在った。

 あからさまに育ちの良さが出ている凜とした口調で、少女の高らかな声が広場に響く。

 

「婚后さん、お、落ち着いてください」

 

「下手に攻撃してはこの殿方達に怪我をさせてしまうかも……」

 

 ローマのどこかにでもありそうな様式の巨大な噴水は、そこから流れ出る水のヴェールと一緒になって比企谷の視界を妨げているため、彼の位置からは正確な人影は把握できないが。

 

「まぁまぁいいじゃん! 三人ともすげー可愛いしお金持ちそうだから、ちょっと俺たちと遊んでよぉ」

 

 声の数とその質から、三人の少女が柄の悪そうな三人組の男に絡まれている、ということだけは把握していた。

 さて、どうしたもんか。と、比企谷が暑さにやられた頭をだらだらと回転させながら、警備員へ通報の電話をかけるべきかを迷っていると。

 

「よっと!」

 

 突然、『比企谷の腰掛けるベンチの脇に置いてあったゴミ箱が一瞬で消え、入れ代わりに小柄な少女が現れた』。

 

「……やっとか。もう二十分は経ってるんだが」

 

 白いミニスカートと、亜麻色の髪の上から学園都市が最新鋭の技術を注いで作った夏用の黒いロングパーカー(何故かフードにはネコミミ付き)を被った少女──一色いろはは、両手に一つずつ缶コーヒーを持って、ずぃっと比企谷に詰め寄った。

 

「ちょっとせんぱーい、自販機すごい遠かったんですけど。私もう疲れちゃいましたよぉ」

 

 外気とのあまりの温度差に表面がびちょびちょに結露した缶を見て、比企谷の不景気な目付きにも若干の気力が湧く。

 

「おっと、ちょいと待った! です」

 

 そろりと伸びてきた腕をはたき落した猫耳フードの一色は、ごつんと厚底のブーツを鳴らして比企谷の隣──ベンチの上に飛び乗りると、背もたれに片足を掛け高らかに比企谷を見下ろす体勢をとった。

 対して比企谷は、短いスカートの裾から真っ白い太腿とあわや下着までも覗けそうなそのアングルに、思わず目を伏せる。

 

「いちいちあざといんだよ。いいからコーヒーくれ、暑さで溶ける」

 

「元々目付きだけはドロドロに腐り切ってるじゃないですか。今さらそれが全身に波及したところで何も問題ありませんって。……というか、後輩とはいえお使いに行ってくれた可愛い女の子に、『プリーズ』の一言も言えないんですか?」

 

 ふんす、と可愛らしいドヤ顔で『筋を通しましょうよ』と促す一色の姿は、どこか飼い主に構って欲しいだけの室内犬のような印象を比企谷に与えたが。

 

「うっせ、偶には後輩らしいことしろ」

 

 日頃からそんな『あざとさ』に晒されてきた比企谷にとって、その程度の安い手は既に通じなくなっていた。

 

「……ぶぅ、なんですかソレ」

 

 納得いかない、とばかりに一色がぶーたれる。ほい、と一色が投げやりに放った缶コーヒーをキャッチした比企谷は、すぐさまプルタブを引き、中身を喉に流し込んだ。冷気が体内に充填されていくのを感じながら、比企谷はふと、一色が相変わらずベンチに仁王立ちしたまま、どこか明後日の方向を見つめていることに気付く。

 

「さっきからやかましいと思ったら、今時古風なナンパする人達ですね」

 

 一色の目に、それまでの楽しげな雰囲気から一転、肌を刺すように冷ややかな光が宿る。どうやらいつまでたっても男共を追い払えない少女達三人の口論は、平行線になっているようだった。

 

「まぁ俺も気になってはいたんだが、アレは関わったとこでロクなことにならねぇぞ」

 

「むぅ、悪漢に絡まれてる女の子を知らんぷりとか、ちょっと先輩の評価下がりました」

 

 比企谷の気が抜けた声に、一色は僅かに顔を顰める。しかしそんなことを意にも介さず、既に『答えを得ていた』比企谷は噴水の向こうに視線を投げた。

 

「ちげーよ、女の方の制服見ろ。よく見てみりゃ、あれは常盤台のヤツだ」

 

 噴水の端から僅かに覗いた、薄いブラウンのサマーセーターと、シンプルなデザインのスカート姿の少女達の方を指差し、自分でも今さっき気付いた事実を一色に告げる。どうやら少女達は、男達の押しに追いやられるまま、いつの間にか噴水をぐるりと後退してきていたようだ。最初は噴水を挟んで比企谷と対角に陣取っていた少女達は、すでに目と鼻の先で相変わらず口論を続けていた。

 比企谷の指摘を受けた一色は、おー、と声を上げわざとらしく相槌をうつと──ほんの一瞬、比企谷も気づかないほどの刹那に、二マリと意地悪な笑みを浮かべた。

 

「あーなるほど。てことはあの子達は全員高位能力者ですね。そりゃあ悪漢さん達も御愁傷様です。……なーんて言いつつ!」

 

 途端、一色の姿がベンチの上から音もなく消えた。代わりに現れたのは、揉めあっている六人のすぐ脇を巡回していたはずの清掃ロボット。無駄な機能を一切与えられていない、ドラム缶のようにシンプルなフォルムのその機械は、突然の出来事にあたかも驚いているかのようにボディのモニターライトを点滅させている。

 

「あの馬鹿……余計な事しやがって」

 

 比企谷の目線の先では、いつの間にか六人の真横に現れた一色が、ゆらりと佇んでいた。

 

「すいませーん、おにいさん達お暇なんですか? なら私とも遊んで下さいよぉ」

 

 きゃるん! という擬音が似合いそうな男好きする笑顔で男達の下へ走り出しつつ、一色が切り出す。そこにそれまでの冷ややかな表情はなく、どこまでも相手を『舐め腐り』、どこまでも相手を『小馬鹿にした』、ただ闇の住人としての一色の姿が在った。

 

「え、なに逆ナン? うっそマジ嬉しいんだけど⁉︎ しかも可愛いし‼︎」

 

「お、本当だすっげ! 読モとかやってんの?」

 

 三人の男達は、突如現れた美少女に思わず目移りして、目先のターゲットを変更する。まさに一色の『思うツボ』だ、と比企谷は男達に哀れみを込め溜息を送った。それと同時に、これから彼らを襲うであろう惨劇を思って薄ら寒い気分になる。

 

「ちょ、ちょっと貴方! この輩共は危険ですわ、絶対関わっては──……」

 

 三人の少女達──その中でもリーダー格だと思われる、黒の長髪を毛先でぱっつんと揃え、前髪を分けて大きくおでこを露出させた少女は、苛立ちと本当の心配の意を込めて、やや強い語調で一色に制止をかけようとするが。

 

「ちぇすとぉッ‼︎‼︎」

 

「おごッ‼︎⁉︎」

 

 一手遅かった。

 ゴツいブーツを思い切り振り抜き、一色の強烈な蹴りが、三人の内中央の一際大柄な男の股間を捉える。

 ごちゃっ‼︎‼︎ っと、男なら誰もが鳥肌モノな肉音が広場に飛び出した。

 

(うっわー……)

 

 比企谷は思わず薄眼になりながら、泡を吹いて倒れる哀れな男の姿を見た。

 

「な、何してんだクソガキ‼︎」

 

「いきなり金的とか頭沸いてんのか⁉︎」

 

 残された二人の男達が一斉にどよめき立つが、そんなのもどこ吹く風。一色いろははわざとらしくおどけて見せる。

 

「え、だって私みたいな美少女に話しかけて貰えたんですよ? 男として一生分の得をしたんだから、もう『コレ』はいらないかなぁって思って!」

 

 まるっ、っと人差し指と親指で円を形づくった一色が、満面の笑みを浮かべた。比企谷は、直接的過ぎるそのお下劣な『金的』の揶揄に頭を抱えたくなったが、それに先立ってまず重い腰を上げた。

 

「てめぇッ‼︎」

 

「ぶっ殺す‼︎」

 

 取り敢えず、ここは事態の収束を図らなければ。こんな馬鹿騒ぎをしていては、いつ警備員が自分らの前に現れてもおかしくない。

 一色に向かい一斉に飛びかかった男達を、冷静に眺めていた比企谷はそこで──……。

 

「いやっ、やっぱり怖ーい! 先輩助けてください」

 

「は?」

 

 途端に視界が一転した。

 直後、一色の能力で彼女と位置を『入れ替えられた』のだと悟るが、咄嗟のことに身体が思考に置いていかれる。視界いっぱいに広がる男達の鬼の形相に相対した比企谷は。

 

「ちょっ……!」

 

 思わず身体をこわばらせ。

 

「あ、なんだてめぇは──……は⁉︎」

 

「うぉぉ⁉︎」

 

 突風に煽られたかのように、男達がいきなり自分を避けて左右にすっ飛んでいくのを見た。筋肉質で大柄な二人の体は、すぽーん! とそのまま二十メートルほどの距離を突き抜け、広場の縁の植木に頭から着地する。

 

「だ、大丈夫ですの⁉︎ って……」

 

 リーダー格の少女──婚后光子は、事前のどさくさに仕掛けておいた能力『空力使い』を用いた物体射出を行使した。それまでは、市街地での許可外能力行使を罰せられることを恐れ、本来なら相手にもならない男衆に縮こまっていたが、名前も知らない善良な男が巻き込まれるとなれば話は別である。

 婚后は突如目の前に現れた青年の下へ、右手に持った扇子をたたみ素早く駆け寄ると、躾の良さから一種情景反射となった安否確認の声を投げかけた。

 ──しかし。

 

「お、おう。別に大したことは……」

 

「ああああああーーーーー‼︎‼︎」

 

 比企谷の返事を待たず、広場に優雅とはかけ離れた絶叫が轟く。その声に、真正面の比企谷は勿論、婚后の両脇に立ち尽くしていた、同じ常盤台の制服を身につけた二人の少女までもが、びくっ、と体を揺すった。

 

「いやーすいませんでした先輩。ただちょっとばかしパシリの仕返しをと思いましてーー……」

 

 唯一ものともしていないのは、比企谷と『入れ替わる』ことで、音源と物理的にそこそこの距離があった一色。

 しかし彼女は、代償として自分が場の置き去りになっていることにすぐ気付いた。

 

「貴方いつぞやの‼︎ 何故こんなところにいるんですの⁉︎」

 

「……あー、お前あん時の時代錯誤高飛車御嬢様か」

 

「ちょっと! そんな漢字を羅列し過ぎて中国語みたいになったあだ名付けないでくださいませんこと⁉︎ あれから何度も名前をお教えしていると云うのにぃ‼︎」

 

 赤らんだ頬を膨らませて、婚后は地団駄を踏みながら猛烈な抗議に出る。ハイテンションの理由は、何も本当に眼前の男に怒りを覚えているからだけではなかったが。

 

「こ、婚后さん?」

 

「ひょっとして、この人が以前から仰られてた、例の殿方ですか?」

 

 きゃいきゃい喚く婚后の後ろで、二人の少女も何かに合点がいったのか。気恥ずかしさにわずかに紅潮しながら、比企谷の顔をじっと見つめている。

 

「ええそうですわ、湾内さん泡浮さん! さぁ貴方、今日こそは名前をお教え願います! あともし良ければ電話番号等もろもろの個人情報も!」

 

 鼻が触れ合わんばかりの距離まで比企谷に詰め寄り、どこか空回った大声を張り上げる婚后。そんな二人を見た一色は、周囲から一歩下がった場所で不穏に眉を顰めた。

 

「いや、知らない人には自分のこと教えるなって親から教わってるから……」

 

「何故わたくしを不審者扱い⁉︎ そんなんじゃありませんことよ⁉︎」

 

「せ、せんぱーい? もしもーし?」

 

 控え目に声を掛けるが、比企谷は一色に取り合わなかった。実は一色の起こした一連の面倒事にかなりムカついているのか、単に眼前のお嬢様の勢いにやられてそれどころではないのか。どちらにせよ、一色にとってあまり良い気はしない。猫耳フードの少女は、一層きつく眉を顰めた。

 

「お願いですわ。わたくしにちゃんとお礼をさせてください! お友達から始めようにも、大きな貸しを作ったままでは婚后の名が廃ります!」

 

「……いや、悪い俺携帯持って無いんだわ。これから予定もあるし、またどっかで会えたらその時にしてくんない?」

 

「い、今時携帯を持っていないなど、そんな分かりやすい嘘を仰らないでくださいます⁉︎」

 

「……あーっと、なんつーか、まぁ」

 

 というか、ハッキリ言うなら一色いろはと言う少女は『ハブにされること』が単純に嫌いだった。本当にそれが殆どの理由で、『先輩が見ず知らずの可愛げな年下お嬢様に明らかに好意的な対応をされている』事や、『友達から始める、ってお前それ最終的にどこまで行くつもりだよ』と思った事などは、全然、全くと言っていいほど関係なかった。

 ゴリッ、とブーツを踏み鳴らし。

 一色は婚后の取り巻きの少女達──湾内絹保と泡浮万彬との間に無理やり体を挟み込み、婚后の方も押しのけて比企谷の前に割り込んだ。

 

「貴方のことが知りたいのです! 貴方を知って、それからわたくしのことも知って欲しい! わたくしは──……」

 

「はい! そこまで!」

 

 そのままの勢いで、あわや婚后の鼻頭を折らん勢いで掌底──もとい制止を促すため掌を突き付ける。

 

「なんだか分かりませんけど、そろそろ止めたらどうですかぁ? 先輩嫌がってますし」

 

 思わぬところからの乱入者に一瞬瞳を白黒させた婚后であったが、それでも簡単には喰い下がらない。婚后は両手を腰に当て、前のめりに一色を睨み返した。

 ──その時、中学生とは思えないほど発達した彼女の胸部が強調され、年齢平均(断言)程度の胸囲しか持たない一色は、更に苦虫を噛み潰したかのような険しい表情を作る。

 

「貴女さっきの……嫌がってるなんて、このお方がそんなこと思うはずがありませんわ! あんなにお優しいのに!」

 

「めんどくさいですね、温室育ちのお嬢様は。『相手を思い遣る』とか『相手の気持ちになる』とかそーいう機能が欠落してますから。どうせご両親に甘やかされまくって育ったんでしょうけど、きっと今までも何度か対人関係でやらかしてきたんじゃないですか? お誕生日会に招待したお友達が当日一人も出席しなかった、とか」

 

 冷ややかな眼差しで、淀みなくまくし立てるかのような一色のマシンガントークが炸裂する。

 

「ち、違……っ、わたくしはただ……」

 

 さしもの婚后光子も、これには少々押され始めた。どうやら当人にも一色の言葉に思い当たる節──もとい正にドンピシャで言い当てられたなエピソード──があったのか、語調から勢いを失い、唇を噛み締めて一色を睨みつけている。

 

「先輩のことまともに知らないくせに、デカイ顔して近寄らないでくださいよ。あなたなんか──……」

 

 それでも顔色一つ変えず、淡々と言葉を続ける。スパートをかけるように息継ぎし直した一色は──……。

 

「やめてください。それ以上婚后さんのことを悪く言わないで」

 

「友人を侮辱されては、わたくし達も黙っていられませんわ」

 

 それまで歯牙にもかけていなかった取り巻きの少女達、湾内と泡浮の強張った声に遮られた。どこかふわふわしたお嬢様らしい雰囲気は既になりを潜め、きっと普段から慣れてないのであろう『どこか固い』険悪な表情を浮かべ、婚后の盾になるように前に出てきた湾内と泡浮は、一色と真正面から視線を交わした。

 

「……へぇ、やっぱりめんどうくさいですね。お好きにどうぞ。何人がかりだろうと、結果は見えてると思いますけど」

 

 一気に不穏な空気が流れ始めた広場で、一色はフードの陰に隠れた顔を、にやりと歪めた。まさに水を得た魚、『仕事場本来』の環境を取り戻した猫耳は、姿勢を低く構え臨戦態勢に入る。

 しかし。

 

「やめろ一色。お前が喧嘩腰なのが悪い」

 

 しばらく黙って場の流れを見ていた比企谷が、一色の背中に声をかけた。びくり、と一色の体が揺れる。それだけで、いつの間にか一色の表情にはいつもの『あざとい』ぶーたれ顔をが戻っていた。

 

「……都合のいい時ばっかり先輩風吹かせないでくださいよ、もう」

 

 ちぇ、と小さく呟いた一色は、婚后達との視線を切って、明後日の方向にふいっといじけてしまう。一々めんどくせーなコイツ、と比企谷も思わず内心で小言を吐いた。

 

「えーっと、婚后だっけ?」

 

「は、はいっ‼︎」

 

 また突然比企谷に話を振られた婚后が、急速に頬を赤らめながら返事を返す。

 

「悪いけど、やっぱ俺の番号は教えらんないわ。かわりにコイツのにしてくれたら助かるんだが」

 

「はい⁉︎」

 

「はぁッ⁉︎」

 

 しかし、青年からかけられた言葉は、想像だにもしないものだった。

 婚后に続き、一色までもが素っ頓狂な声をあげ、自分の耳を疑う。

 

「頼む。俺『バイト』の職場でたまーにコイツといるから、運が良けりゃ変わってやれる」

 

 え? え? と、状況が飲み込めず、顔を赤くしたり青くしたりと目覚ましい婚后。湾内や泡浮までもがきょとんと放心している中、ちょいちょい、と比企谷は一色をこまねき、こそこそと耳打つ。

 

「ちょっと先輩‼︎ 嫌ですよ私こんな人‼︎」

 

「お前、『仕事用』のヤツ以外にもう一個持ってたろ。そっちの番号教えてやれ」

 

「な、なんで知ってるんですかストーカーですかごめんなさいやっぱりそういうのはまだ無理ですけど……ってそれこそ自分の『仕事用』じゃないやつ教えてあげればいいじゃないですか!」

 

「うっせーな。本当に『仕事用』しか持ってねぇんだよ。プライベートで会う友達も居ないし」

 

「……先輩」

 

「ちょっと? 途端に憐れな生物を見る目になるの止めてくれます?」

 

 後輩のあからさまに舐めた態度を腹立たしく思いながらも、取り敢えず会話を打ち切り、比企谷は一色の背中を婚后達の方へ押しやった。おわ、とバランスを崩しかけながらもなんとか踏みとどまり、至近距離でばっちり視線を交わし合う一色と婚后。

 しばしの沈黙の後、最初に切り出したのは一色だった。

 

「しっかたないですね、もぉ! ……で、腐れお嬢様には先に言っておきますけど」

 

「……な、なんですの?」

 

「かけてきたって、私出ませんから」

 

「いや出てやれよ」

 

 たしっ! と柔らかい音を出して、後ろに立っていた比企谷のチョップが一色の脳天に炸裂する。

 

「あうっ! ぼ、暴力ですか! 別にいいですけどもし傷が残るようだったら私の人生に責任取ってもらいますからね⁉︎」

 

 涙目で頭を押さえつつも、早速ポケットから携帯(これまたファンシー笑なピンク色)を取り出す一色に、そこまで強くやってねぇよ、と比企谷は内心呟いた。

 対して、婚后もしどろもどろになりながら携帯(蛇革)を取り出し、ささっと数手順で番号を交換し終える。

 それから比企谷は婚后に向き直り、なんとも言えない微妙に気恥ずかしい気持ちを堪えていた。

 

「あ、あの……っ!」

 

「悪い、もう本当に時間だからそろそろ行くわ……って、まぁ、そうだな」

 

 正直、ここまで分かりやすいと流石の比企谷八幡でも『もう察しがつく』。別れを告げた途端、遠くへ旅立つ恋人を見送るかのような熱のこもりはじめた婚后の視線に、比企谷も最低限の義理立てをしておくことにした。

 

「比企谷八幡だ。一応高二」

 

 そうやって口を動かす間にも、比企谷は一色の方をつついて、『緊急離脱』の指示を出す。一色は今一度婚后に向き直ると、べぇ、っと健康的な赤い舌を出して見せた。

 

「これは本気で言っておくが……俺達に関わっても、あんまりロクなこと無いぞ」

 

 瞬間。

 比企谷と一色の姿が虚空に消える。代わりに現れたのは、どこに置いてあったのかも分からない大きな自動販売機。ドガンッ‼︎ とけたたましい音を立て赤煉瓦に着地した自販機が、それ以上の音を発することはなく。

 辺りには、嵐が過ぎ去ったかのような静けさだけが残されていた。

 

「……結局、なんだったのでしょう」

 

「婚后さん、大丈夫でしたか?」

 

 湾内が呟き、泡浮はぽけーっと自販機を見つめたままの婚后に声をかけた。

 これはかなりショックな出来事だったか。ただでさえ本気で気にしている友達の少なさを指摘された上、意中の殿方には親しげでほぼ同年代の年下少女がいた。それも、かなり容姿が整っている。

 湾内と泡浮があわあわしながら、婚后を励ますため何と声をかけるべきか迷っていると。

 

「……やっぱり素敵ですわ」

 

「……はい?」

 

「こ、婚后さん?」

 

 ぼそりと、高熱にうなされているかのように篭った呟きが、どこからともなく聞こえてきた。すると、がばぁっ、と擬音が聞こえそうなほどの勢いで、俯いていた婚后が天を仰ぎ声を大にする。

 

「クール‼︎ そしてさりげない優しさ‼︎ 歳上の余裕と整った顔立ちにアクセントを添える据わった目付き‼︎ あのお方こそ、この婚后光子に相応しい運命の男性ですわ‼︎」

 

 泡浮と湾内は、そんな少女の姿にただ圧倒されながらも、『恋は人をおかしくする』のだと、まざまざ実感していた。

 

「どうかお待ちください比企谷様‼︎ 悪辣な後輩なんぞ押し除けて、いつの日か必ずわたくしがお迎えにあがりますわよ‼︎」

 

 パンッ‼︎ と勢い良く扇子を広げた婚后は、公家のように滑らかな所作で口元を隠す。それからいつも通り、おーほっほっほ‼︎ といつも通りの嘘のような高笑いを上げはじめた。

 その様に、若干引き気味だった湾内と泡浮も、思わずつられてくすくすと笑ってしまう。いや、本当は『変わって』などいないのかも知れない、いつだって婚后光子という人間は、真っ直ぐに折れない自分を持った人物なのだと、二人は再確認する。

 

「ですが、中々難儀な殿方のようですわ……」

 

「しかも、手に入れた電話番号すら本人のモノですらありませんし……」

 

 湾内が、そして泡浮が、思わず頬に手を当てる。どうやら、そんな誇るべき友人の恋が手放しに喜べるほど簡単なモノでは無いことも、だいたい察しがついたしまったようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「何をあんなにイライラしてたんだ、お前は……」

 

 同じく第七学区。

 能力を使うにも、その有効半径がそこそこの広さしかない一色では、一回の跳躍での移動距離は限られている。

 光の入らない、狭い路地裏。辺りには等間隔で設置された換気扇と、乱雑に壁を這うパイプした特筆するものが無い。

 雨跡や埃が型どった自販機の設置跡の上に降り立った比企谷と一色は、そのまま路地を奥へと歩き出した。

 

「……お金持ちはみんな嫌いです。特に、自分がどれだけ恵まれてるのかも分からずに平和ボケしたヤツ」

 

「……そうかよ」

 

 両手をポケットに突っ込み、若干の猫背でずかずか進む比企谷と、その数歩後ろをどこか沈んだ面持ちでついていく一色。

 

「それに、先輩が騙されそうだと思ったからです。女の子に免疫無いし、押しに弱いですもんね」

 

 軽く鼻で笑いながら一色が言う。

 

「ほっとけ」

 

 比企谷は、粗雑な返答を送った。

 変に気を遣わない。もちろん細かい状況にもよるが、出来る限り自分を偽らない。それが比企谷八幡の『知り合い』──もとい、『そこそこ親しいやつ』に対する接し方のルールだった。

 

「というか、あんな一般人と関わったって、相手を不幸にするだけだと思いますけど」

 

「俺だってわかってんだよ。ただまぁ、あいつあまりもしつこかったからな、少しいたたまれなくなった。まぁ、仕事に巻き込まなけりゃ大丈夫だろ」

 

「……ふぅーん。あの子が可愛かったからじゃなくてですか?」

 

「そりゃあ、無いとは言えない。黒髪巨乳お嬢様が嫌いな男なんて、Hentai国家日本に存在しないと思うね、俺は」

 

「さいてーです」

 

「言ってろ」

 

「最低クソキモ腐れ目アホ毛野郎!」

 

「……そこまで言われるとは思わなかった」

 

 付かず離れずの距離を開けたまま、比企谷と一色は路地を右に左にどんどんと突き進む。当然、二人がこれから向かう先は、街で有名なパンケーキショップでも、冷房の効いたファミレスなんかでもない。

 

「先輩、『掛け持ち』の方はまだ終わらないんですか」

 

 沈黙に耐えかねたのか、突然一色が、何でもないような世話話──あくまで『彼等』にとっての『世話』、だが──を切り出した。急なフリに比企谷も眉をしかめるが、肝心なところは敢えてボヤけさせてから、答える。

 

「さぁ。最近ようやく終わりが見えてきたけど、どうなるかは知らん。つーかむしろあっちは『フロア』に入る前からやってる仕事だから、掛け持ちっつったらむしろお前らとの仕事の方が掛け持ちだけどな」

 

 この『掛け持ち』について比企谷は、一色はもちろんのこと、自分の身の回りの人間にほとんど詳しい内容を話していない。問題は一重にその『仕事内容』にあったが──単に、情報を漏らせば自身の身を最も危険に晒す、ということも大きかった。いや、自分だけで済めばむしろ僥倖なのかもしれない。もし粛清の手が自分から知人へ、一色や、雪の下や、葉山や……最愛の『妹』にまで伸びることを想像するだけで、背筋が凍るような思いになる。

 そんな比企谷の内心を知ってか知らずか、一色はまた小さく俯くと、ぽしょぽしょと口を動かす。

 

「……先輩、全然顔見せてくれないから、雪ノ下さん怒ってますよ」

 

「そりゃあ怖いな。比企谷が謝ってたって伝えてくれ」

 

「……私も、ほんの少しだけ、さみしいですよ」

 

「へいへいあざといあざとい」

 

 いつも通りの男好きする仕草だ、と一断する比企谷。

 

「………………………………今のはホントです」

 

 しかし、本当に聞こえるか聞こえないかと言うほど小さい声で呟かれた一色の『本音』をたまたま拾えてしまった比企谷は、途端にバツが悪くなった。

 そんな時。

 ちょうど路地裏の道も、比企谷と一色とで違う目的地を分ける二叉路に差し掛かった。一度立ち止まり、比企谷は一色と向き直る。少女の表情はやはり、どこか元気が無いように思えた。

 

「分かったよ。分かったからさっさと葉山達のところに合流しろ。俺は今からお前の言う『掛け持ち』の方が入ってるから」

 

 そう言って、比企谷は精一杯優しく一色の頭を撫でた。一色もまた、わざわざ猫耳フードを外してからそれを受け入れる。さわさわ、と比企谷の無骨な指が自分の神と擦れる感覚を堪能してから、一色はあざとさを抜きに──上目遣いで比企谷の目を見た。

 

「……今度、また顔出して下さいよ?」

 

「今度って、今日だって特に用もないくせに俺に絡んできてたんだろうが、お前」

 

「それとこれとは別です。……約束ですよ」

 

 凄んでいるわけでも無いのに、一色の潤んだ瞳に謎の強制力を感じた比企谷は。

 

「……うす」

 

 気の抜けたようで、普段より少し低い声を出して頷いた。

 そんな比企谷の返事にようやく納得したのか、一色はまたいつも通りの営業スマイルを浮かべて、たったか路地を走り抜けていった。陽の光が差さない道は、奥に行けば行くほど闇が濃くなっていき、やがて一色の後ろ姿も影に飲み込まれた。

 一人残された比企谷に、地底から響く怨嗟のような風の音が打ち付ける。

 

「……気合い入れるか」

 

 そんなもん知ったことか、と。

 比企谷は微塵の翳りもなく──いつも通り淀んだ目で、再び路地を歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 一色と別れて数分後。

 第七学区の中でも一際人口が少なく、寂れた地域──さらにその路地裏に、比企谷は予定通りの時間で到着した。

 それまでとなんら変わらない、打ちっ放しのコンクリートと、換気扇やゴミ箱、壁を走る細いパイプの束。比企はの前にあるのは、ただの路地裏の一角だ。

 しかし、そんな味気ない風景の中に、ひときわ異質の存在感を醸し出す人影があった。

 細身の青年。

 不健康なまでに白い肌と、同じく雪のように白い頭髪。夏らしく装いこそ黒のTシャツだが、何より目を引くのはその瞳。

 血を零したかのような赤が、そこにあった。

 

「よォ、相変わらずきっちり五分前行動たァご苦労なこった」

 

 軽薄かつ、どこか冷たい声色。

 学園都市最強の男『一方通行(アクセラレータ)』は、薄っすらと口を横に裂いて比企谷を見遣る。

 比企谷は何も答えず、いつもに増して座った目線だけを返した。ただそれだけで、彼等の挨拶は終わる。それは気が遠くなるほど繰り返されてきたこの『実験』の中で、いつの間にか定型化されていた彼等の遣り取りであった。

 ふと、比企谷は僅かに路地の奥から聞こえてきた物音に顔を上げる。ローファーとコンクリートが擦れるその音は段々と近くなり、やがて闇の中に、小柄な少女のシルエットを浮き彫りにした。

 

「お二人共、準備はよろしいようですね。と、ミサカは毎度の如く確認を取ります」

 

 常盤台中学の夏制服。

 人形のように端正な顔立ちと、茶色い短髪。

 その少女は、雑誌にテレビに引っ張り凧なかの学園都市第三位、『超電磁砲(レールガン)』の御坂美琴──ではなかった。

 いや、或いは遺伝子などの生物学的観点から見るならば、その人本人だとも言えるかもしれない。ただ眼前の少女は、超能力たる『本物』の御坂美琴とは、様々な面で決別した性質を持っていることも確かだった。

 能力は弱能力止まり。

 人の心を持たず。

 ──『唯一』の存在ではない。

 

「ではこれより、第九九七ハ次実験を開始します。対象個体、『一方通行』は所定の位置にて待機」

 

 『妹達(シスターズ)』九九七八号はそう言うと、肩に下げていた大きなバッグから巨大なライフルを抜き出した。そのまま素早くセーフティを外し、スコープを覗き込み、照準を『一方通行』に合わせた。トリガーに指を掛け、ゆっくりと力を入れていく。

 

「『偽悪論者(バイスチューナー)』は、我々から一定の距離を保ちつつ実験の監視を始めてください」

 

 ──カチン、と。

 何かが噛み合ったかのような。

 手榴弾の栓を引き抜くかのような。

 さめざめとした殺気が辺りを満たし始める。

 一歩、二歩と比企谷も後退して、九九七八号と一方通行から離れて行く。

『能力』を発動。

 二人の全身を目視できる位置にて。

 流れてきた攻撃にのみ、それを無効化することで対応。

 

「……めんどくせぇ」

 

 ドンッッッ‼︎‼︎‼︎

 比企谷の呟きをゴングに、乾いた発砲音がコンクリートを揺らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




書庫情報

『フロア』
統括理事会直下の実行部隊。
学園都市が表沙汰にできない、裏側の事情を解決するため存在する暗部組織の一つ。
厳密に定められているわけではないが、有事の際の作戦指揮、現場決定権を担うリーダー格は雪ノ下雪乃。
『グループ』や『アイテム』と言った他の暗部組織が、統括理事会の周辺事情を対象にした警護、暗殺、破壊工作などを主な仕事としているのに比べ、『フロア』の第一活動条件は『学園都市外からの干渉、及び侵入者への対応』である。この性質から、『フロア』の構成員が実際に駆り出された現場で割り当てられる案件は、科学よりも魔術サイド寄りのモノが多い。
よって戦闘要員の選抜も、既存の『科学』という枠組みの中に思考を押し込めない柔軟な判断力を持つ人間と、単純な能力の強弱よりその応用性、適応力の高さを基準としている。

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