<14日前/09:04>
栗林志乃 第3偵察隊・二等陸曹
ファルマート大陸・アルヌスの丘/自衛隊駐屯地
栗林志乃という女は今まさに絶頂の最中にあった。
彼女と同じ部隊で釜の飯を食うどころか背を預けての戦いすら経験してきた富田が、さっきから喜色を隠しきれない蕩けた笑みを浮かべる同僚へ堪らず指摘を行う。
「クリ。お前今日はやけに楽しそうというか、嬉しそうだな」
「え? だって当然じゃない。何たってあの伊丹隊長に並ぶ第3次大戦を終結に導いた立役者、それも元SASと元スペツナズから直々に教導をつけてもらえるのよ! 嬉しくないわけないじゃない!」
「そ、そっか」
同じく特別教導を受ける隊員達に続いて武器庫へ向かう栗林の足取りはとても軽い。スキップどころか、今にも足から羽を生やして空中歩行しかねない勢いである。
伝説の英雄が自分の隊長で、おまけに一緒に肩を並べて世界を救った仲間―しかもどちらも世界有数の特殊部隊出身、おまけに今回はもう1人アフガン侵攻にも参加した古強者も加わる―
そんな彼らから直々の教導を受けられるとあって、以前から英雄的活躍を上げた精鋭兵という存在に強い憧憬を抱いていたゴリゴリの肉体派な栗林からしてみれば、今の環境は天国も同然なのであった。
……妙に汗と硝煙と男臭い天国があったもんである。
「そーいう富田ちゃんだって今日は非番なのにちゃっかり参加してるじゃない」
「当然だろ。SASならまだしも、自衛官が元とはいえスペツナズから直接訓練をつけてもらえる機会なんて滅多にないからな」
「私も富田ちゃんも体動かすのが趣味みたいなもんだしねー。まぁ当然かぁ」
とちびっ子爆乳脳筋バーサーカー(最近改善中)が語った事から分かる通り、栗林と富田はプライスとユーリ主催の特別教導に参加していた。本来両名とも今日は非番だが、いわゆる自主訓練という扱いである。
栗田と富田のような、普段お目にかかれないSASならびにスペツナズ流のテクニックを身に着けようという向上心溢れる隊員は少なくない。
むしろ極めて多い。今朝の参加者だけでも一個小隊を超える数の参加者が、訓練に使う銃器を取りにぞろぞろと武器庫へ押しかけている真っ只中だ。
彼らは皆戦闘の規模に差はあれど、特地で初めての実戦を経験している。
そうして童貞喪失を機に己の技量を見つめ直し、自身と仲間の命を護るにはより実戦的な技術の習得が不可欠であると実感した者達が、駐屯地内どころか地球世界屈指の実戦経験者であるプライスらの下へこうして教えを請いに集まっているのであった。
「でもぉ……どうせなら伊丹隊長も教導に参加してくれればいいのに」
「隊長は隊長で都合があるんだから文句言うなよ」
「だって隊長の事だから、どうせ非番の日でも携帯でネット小説読んでるかアニメ見てるか薄い本読んでるかのどれかでしょ?
だったら私と一緒に手取り足取り腰取り汗を流すのに御付き合いしてもらった方がよっぽど健全じゃない!」
熱く語りながらワンツーパンチ。入隊基準に満たない150センチ未満という小柄さからは想像もつかない鋭さでシャドーボクシング。
富田とは反対側でさりげなく栗林の爆乳を隣でチラ見するのに夢中になっていた隊員の脇腹スレスレを拳が通過していく。
危うくボディブローの直撃を貰いかけたその隊員は、顔を青くすると足早に栗林から離れていった。
しっかり邪まな視線に気付いていた栗林は鼻を鳴らして逃げる背中を見送る。
「私をそういう目で見て良いのは隊長だけなんだから!」
「クリお前、本当キャラ変わったなぁ……」
それはもうしみじみと富田が溜息混じりに言葉を発した。
「変わったって、どこが?」
「忘れたのか? お前、今の部隊が結成された最初の頃は散々隊長の事『オタクは死ね』だの『英雄なんて風には見えない』だの、散々愚痴ってたじゃないか。
挙句、伊丹隊長がレンジャーで特戦群にも居たんじゃないかって話の時に至っては奇声を上げてその場から走り出して――」
「昔は昔、今は今!」
叫んで誤魔化すが、何故か富田と視線を合わせようとしない辺りに彼女の内心が透けて見えなくもない。
バンカー染みた対爆構造の武器庫に辿り着くと、そこで栗林は武器庫内に行ったり来たりしている愛しの隊長の姿を発見した。彼も特別教導に参加するとは聞いてないのだが。
「たいちょ~何してるんですか~?」
パタパタと駆け寄る栗林の腰の辺りに、富田は一瞬、左右に振れる犬っぽい尻尾を幻視した。
忠犬クリボー、見た目は小型の愛玩犬だが中身は獰猛な軍用犬。信頼関係の構築は念入りに。
対して、自分の部下に遭遇した伊丹の方は面倒な所を見られたとばかりに、どことなく顔を引き攣らせている。栗林だけでなくプライス達も伊丹の存在に気付くと近付いていった。
「やぁ兄弟。異世界は今日も良い天気だな!」
「お、おうそうだな。ニコライも爺さん達と一緒にトレーニングかい」
「たまには体を動かさないと鈍るからなぁ。ところで兄弟も射撃場でひと汗掻くつもりかな? それにしては些か大荷物じゃないかね」
TF141生き残り組で最も陽気なロシア人ことニコライが周囲を代表して問いかける。プライスとユーリは黙って彼に任せるポーズを取っている。
伊丹の足元には、大型の台車に乗せて武器庫から運び出している最中だった武器ケース。それが複数、武器庫のすぐ外に積んであった。
通常の武器ケースだけではない。栗林と富田も見慣れた110mm
明らかに、単なる射撃訓練に使うにしては異常だ。
戦友や部下らに取り囲まれながら指摘された伊丹はあっさりと事情を説明する。
「ああこれね。発破作業に使うんだよ」
「発破作業、ですか?」
「ほら、街ってどんどん建物も住民も増えてってるだろ。最初は
「街に行くたび人や建物が増えてるのが目に見えて分かりますもんねぇ」
「そんでもって新しく集まった住民は、街や居住区を広げる為の土地と資材の確保も兼ねて近くの林を開墾していってるそうなんだけど」
「ど?」
合いの手を入れる栗林。
「ところが開墾予定の土地に大岩が埋まっちまってたそうでな。自分達じゃあどうにもならない位大きいから何とかしてくれって、昨日街から戻る時に頼まちゃってさぁ。
断るのも気が引けるし、施設科に根回しして重機手配するのもめんどくさいから、発破で済ませちゃおうと思って爆薬を取りに来たってわけ」
「でも隊長自らわざわざそこまでしなくても……」
「いーのいーの、どうせ暇してたんだし、たまにはこういうのもいいでしょ」
何となく、違和感があった。
「爆薬は分かりましたけど、じゃあそこのLAMは一体?」
「こっちは次回の派遣任務用。炎龍の件でLAMの携行数が増えた分、今度は在庫が不足気味って聞いたから先に確保しておこうと思ってな」
爺さんはスパルタだから頑張れよ、と言い残して大量の火器爆薬を抱えて伊丹は立ち去る。
普段の隊長と違う、栗林は率直にそう感じた。
伊丹は落差著しい二面性を持つ人物だ。即ち駐屯地内で地味で面倒な書類仕事から逃げ出して趣味に耽溺する昼行灯モードと、鮮血が飛び散り敵味方入り乱れる戦場で獅子奮迅する兵士モードである。
具体的に違和感の正体を説明するのは極めて難しい。しかし今逃げ出すように去っていった伊丹は、昼行灯の仮面を被った兵士モードとも微妙に乖離していたかのように、栗林には思えたのだ。
それは云わば女の勘とも呼ぶべき超感覚。
これまでの栗林なら『変わり者の隊長がまた奇行に走っている』とでも考えて伊丹の本当の変化に気付かず、さっさと記憶から消し去り他の隊員らと同じく自分の武器を取りに武器庫の中へ入ってしまっていただろう。
だが雌の情念に覚醒した現在の彼女は一味違う。
第六感的補正が掛かった栗林の目は、遠ざかっていく伊丹の背中に、まるで手の届かない場所へとそのまま消え去ってしまうかのような錯覚を彼女へと抱かせる事となったのだ。
「隊長?」
呆然と小さくなる背中を見送っていた栗林の耳へニコライの声が届く。
熟年の渋みと陽気な快活さを併せ持つロシア人の声はしかし、先程までと打って変わり看過できぬ緊迫感を滲ませていた。
「兄弟よ、すまないが今回のレッスンはキャンセルさせてくれ。少し調べたい事が出来た」
「今のイタミに関して、か?」
「その通り! そのなんだ、基本的にバックアップに回って戦場のど真ん中に乗り込んでいく兄弟達を見送る立場だったからこそ感じた事なんだが……」
今の伊丹は、シェパードやマカロフを殺す為に敵の本拠地へ――
即ち死地であると覚悟しながら、単身戦いに赴いた時とまさに同じ気配を漂わせていたと、ニコライはそう告げたのだ。
<14日前/21:32>
伊丹耀司 第3偵察隊・二等陸尉
ファルマート大陸・アルヌスの丘/居住区
昨晩に続けて伊丹はテュカの部屋を訪ねていた。
やはり昨日と同じように、テュカの部屋にはレレイとロゥリィの姿もあった。部屋の主であるテュカは穏やかな寝息を立てている。
部屋に置かれた予備の椅子に腰を下ろしながら伊丹は2人に訊ねた
「テュカの具合はどうだ?」
「さっきぃレレイが眠りの魔法をかけたところよぉ。少し強めにかけたからぁ、ちょっとやそっとの事じゃぁ朝まで目を覚まさないんじゃなぁい」
「そうか……じゃあ今日は2人も自分の部屋に休んだらどうだ? ずっとテュカの面倒を見るのも大変だろ。今日は俺がテュカの傍に付いておくからさ、後は任せてゆっくり休んでくれて良いぞ」
「分かった。その言葉に甘えさせて貰う。テュカが目覚めるようだったらまた呼んでくれてかまわない」
普段よりちょっとだけ背中を丸め、項垂れた雰囲気のレレイがテュカの部屋から出ていく。
昨晩からテュカに付きっきりの彼女は、眠りの魔法の効果を切らさぬよう定期的に魔法をかけ続けていた。なまじテュカの精神状態と、目覚めてる間の錯乱ぶりを目の当たりにして理解している分、丸一日気を張り詰めていたのでその反動に襲われている様子である。
「でぇ?」
「ん? 何だ?」
「何だじゃなくてぇ、結局テュカはどうするつもりぃ? このまま延々眠らせて、問題を先延ばしにするつもりぃかしらぁ?」
「……これ以上先延ばしにするつもりはないよ。ロゥリィとレレイにずっと面倒見てもらう訳にもいかないしなぁ」
「じゃあやっぱりぃ、あのヤオとかいうダークエルフの思惑通り炎龍退治に向かうのねぇ。 うふふふふふ、腕が鳴るわぁ。ゾクゾクしちゃうぅ」
「おいおい。まさかロゥリィも付いてくるつもりか?」
意外そうに伊丹が声を上げると、ぴょんと跳ねるようにロゥリィが立ち上がったかと思うと、両足を広げそのまま伊丹の膝の上に尻を下ろしてしまった。
所謂対面座位のポジションである。
日本人の一般的な毛髪よりも更に深く艶やかな黒髪を猫のように伊丹の胸元へと擦りつけながら、亜神の少女は囁く。
「だってぇ、すっごく楽しそぉだしぃ」
「おいおいそんな理由かよ」
「ヒトなんて生物は時に些細な理由でも己の命を賭けちゃう生物なのよぉ。それがヒトよりも遥かな時を生き、決して死なない肉体を持つ亜神なら尚更ねぇ。
だからぁ、炎龍退治に出る時は必ず私も誘うのよぉ。いい? 必ずよぉ」
「分かった分かったそうするよ」
めんどくさそうに伊丹が請け負う。彼の反応がロゥリィには非常に不満だったようで、小さな頬をぷぅと膨らませながら軽く睨む。
しかしすぐに悪戯めいた笑みに切り替えると彼女はこう付け足した。
「もし破ったらぁその代償は払って貰うわよぉ。そうねぇ、死後に魂をいただいて眷族にしちゃうんだからぁ」
「何だそりゃ? 悪魔の契約かよ」
「悪魔じゃなくて亜神よぉ」
そう言い残し、ロゥリィも部屋から去る。ゴスロリ神官服が見えなくなると、伊丹の顔に張り付いていた苦笑が消えた。
口元をひん曲げ、どこか気まずげに俯いて頭を掻き毟る伊丹の目には罪悪感じみた感情が浮かんでいる。
「悪いな、レレイ、ロゥリィ」
伊丹は嘘をついていた。
レレイにこれ以上テュカの面倒を押し付けるつもりも、ロゥリィを炎龍退治に付き合わせるつもりも、伊丹には毛頭なかった。
これは伊丹の個人的な問題だ。炎龍に戦いを挑むのは、伊丹の個人的な考えからだ。
元来人間とは、自分の自由に出来る命は自分のものだけの筈だ。
レレイとテュカ、第3偵察隊の部下の命をチップとして炎龍退治というゲームに張る訳にはいかない。箱根や大島空港で戦った時とは違い、理由があまりに個人的に過ぎるのだから。
このゲームに命を張るべきプレイヤーはテュカと己のみであるべきだ。伊丹はそう認識していた。
……ああそれから元凶であるダークエルフのヤオ某もか。
じっくり数十分待ち、自分の部屋に戻ったレレイとロゥリィが雑事を済ませて寝床に入ったであろうと確信するまで時が過ぎると、伊丹は行動に移す。
灯りを消すと、寝入るテュカを毛布で包んで抱き上げた。そのまま部屋から連れ出し、居住区に隣接する林の中へ向かう。
少し歩くと、木々の間でちらつくオレンジ色の蛍火を夜闇に慣れてきた目が拾う。風に乗ってほんのかすかな紫煙の臭い。
蛍火を目指して歩けば、中型トラック程度なら通れそうな幅の林道と、高機動車の車体にもたれかかりながら煙草を吹かす柳田の姿が、月光の下で照らされていた。
「遅いぞ伊丹。何油売ってやがった」
「すまないねご足労願って。ところでどしたのその顔?」
午前中は特に異常のなかった柳田の頬がヘビー級ボクサーの一撃でも喰らったかのように腫れていた。口元も切れているようだ。
「どうでもいいだろ。ほっときやがれ。それよかお前、本当に金髪エルフだけ連れて炎龍退治に向かうつもりか?」
「もう1人いるさ――居るんだろ、ヤオ」
「はっ。ここに」
伊丹の声を合図に、近くの木陰からヤオが静粛に姿を現す。ダークエルフ特有の褐色肌と黒革のボンテージ風衣装が相まって、夜影に溶け込む忍者じみた雰囲気を漂わせている。
「どうせまた見張ってると思ってたよ。目的地までは
「道案内のみと言わず、なんなりと仰せ付け下さい。此の身は只今より永久に御身の物。御身のいかなる仰せにも従い――」
「そういう口上はいいからさっさと乗ってくれ」
鋭い口調でにべもなくヤオの恭順の誓いは一刀両断された。
伊丹はヤオに一瞥すらせず、ダークエルフに向ける冷徹な舌鋒とは対照的に、毛布に包んだテュカを繊細なガラス細工でも扱うような慎重さで荷台へと寝かせてやる。
荷台部分には予備燃料や火器弾薬を収めた容器が積み上げられている。ふと荷物の量と内容に違和感を覚えた伊丹は柳田へ問う。
「携行食料が少し多過ぎやしないか。徒歩で1ヶ月もかかる距離とは聞いてるけどこの量は3人分にしちゃ過剰すぎるぜ」
「気にすんな。どうせ最終的にそれだけの量が必要になるだろうからな」
「?」
どこか、いやかなり不機嫌な態度を表に漏らしつつある柳田の態度の変化と発言内容に、伊丹は怪訝そうな感想を覚えるが、結局指摘はせず代わりにエンジンのスタートキーへと手を伸ばした。
だから柳田が続いて吐き捨てた罵倒は、伊丹がスタートさせたエンジンの始動音に掻き消され、彼の下へは届かなかった。
「チクショウ! どうしてお前には、何も言わず聞かれなくても、お前を助ける為だけに立場も何もかも投げ出してまで勝手に付いてく奴が集まるんだよ……!」
血を吐くような独白など露知らず、伊丹は柳田へ別れの言葉をかける。
「柳田さん。テュカの件はともかく、物資と足を用意してくれた事には感謝するよ。ありがとう」
「いいからさっさとどこへなりとも行っちまえ!」
怒りの声に背を押されるようにして高機動車が動き出す。
バックミラー内で心底苛立たし気に地面を蹴飛ばす柳田の姿がぐんぐんと遠ざかり、やがて夜の帳に呑まれて消える。
伊丹とエルフとダークエルフを乗せた車両はしばし夜の林道を走り続ける。ここを抜け次第、大きく方向転換して炎龍が活動するロルドム渓谷を目指すのが当面の予定だ。
とっくに消灯ラッパが鳴る時間帯を過ぎている。
この頃には、街に遊びに出ていた自衛官らも駐屯地へ戻り寝床に居なければならない。自衛隊の車両も緊急時を除き、夜間は駐屯地外で走らせるのは禁じられている。
「遅かったな、若いの」
だから林道の出口で待ち受けていた存在に、伊丹は驚きのあまりブレーキを踏みしめ急制動をかける事となった。
出口を塞ぐように待ち構えていたもの。
オイルライターの火が、立ち塞がる者達の顔を、姿を照らし出す。
レレイが。ロゥリィが。栗林が。ユーリが。
そしてジョン・プライスが、トレードマークの葉巻とブッシュハットを携え、道のど真ん中にて仁王立ちしていたのである。
『自分の心に固く決意すれば、目的は既に半分達成されたも同然だ』 ――エイブラハム・リンカーン
9月は更新がリアルの事情もありいつも以上に遅くなるか、もしかすると丸々休んで充電期間にするか、あるいは気晴らしに新作を書いてるしれません。
読者の方には申し訳ありませんがご了承下さい。
感想はいつでも大歓迎です。
追記:柳田とヤオの行動は原作ほぼままな筈なのに読者の皆さんの反応が厳しくて草生えてます。