――――そしてその日が訪れた。
<作戦当日>
ファルマート大陸・帝都
その日、帝都では皇帝モルトの国葬が行われた。
第3皇女ピニャの手にかかり無念にも崩御の憂き目に遭われた皇帝モルト―そう皇太子府は喧伝している―の跡を継いだ皇太子にして今や次代皇帝の座揺ぎ無いゾルザルの名で以って、国葬への参列を求める招待状が帝国中のめぼしい貴族から一定階級以上の軍人、藩王国や属国といった周辺国の権力者、果ては彼ら相手に太い関係にある豪商といった帝国の上流階級に属する者達へと送り付けられた。
その実態は、招待という名の脅迫だった。
宮殿に出向いて旗色を明らかにしろ、さもなくば叛徒ピニャの協力者として誅する……宮殿特有の言い回しで修飾された招待状の文面を要約すればこうなる。
招待状を受け取った彼らは大なり小なり顔を引き攣らせ、血の気を引かせ、冷や汗を浮かべると即座に出席の返事を送り返し、自身の領地に逗留していた者は従者の尻を蹴飛ばして準備を整えるや帝都を目指して出立した。その頃にはモルト崩御の前後にピニャが筆頭となって進めていた日本との講和に賛同していた元老院議員が片っ端から拘束・幽閉された事が辺境の領主らの下にも伝わっていたからだ。
皇帝崩御の情報が出回りだした時期と国葬の儀が行われるまでのタイムラグについても、表立って触れる者は皆無であった。
ともかく、集められた顔ぶれが盛大ならそれ以外の人モノの動きも盛大であった。
招待者の随行員。皇帝の葬礼という帝国最大規模となるであろう催しを聞きつけ一目見ようと各地から集まる物見高い
最初の立場の人々はともかく、残りの人々の中で慎ましやかに先帝の喪に服そうなどという意識など微塵もない辺りに、帝国の下層に属する住民の皇家に対する意識が透けて見えると言えなくもない。
かくして帝都にはあらゆる土地からあらゆる立場の住民が集結した。
無論治安維持と混乱予防の為に帝都を巡回する帝国兵の数も増やされてはいたが、一時的に流入した人々の規模と比べれば誤差に過ぎなかった。
警備責任者にとっては、有象無象の臣民などよりも各方面のVIPが集結する皇宮の護衛こそ優先されるべき事項であったというのも大きい。
だからアルヌスから送り込まれた自衛隊員もあっさり帝都内への潜入を果たせたのである。
帝都へ潜伏した自衛隊員達は当初の予定通り活動を開始した。
数名の小集団に分かれた隊員達は、フードとローブで顔に装備を隠しながら時に密集率が5割増しになった人混み溢れる通りを堂々と進み、時に路地裏を駆使して各々が割り当てられた場所を目指した。彼らが辿り着いた建物の多くが帝都を取り囲む高い城壁に隣接していた。
亜人・獣人含むあらゆる人種が行き交う中を掻き分け進む自衛隊員達の耳が時折通りすがりの会話を拾う。
「皇太子は二ホンの軍を撃退したなんて嘯いてるそうだが実際は違うらしい。ジエイタイの怒りを買った帝国軍が一方的に殺られた、というのが本当の話だそうだ」
「ジエイタイが陣取ってるアルヌスに近い村に帝国兵が逃げ込んできたんだが、ジエイタイには死神が存在していると言っていた。黒い髪に緑服を着た死神は万はいたという帝国軍を死の煙によって皆殺しにしたそうだぞ。嘘じゃない、逃げてきた帝国兵が話してるのを私は確かに聞いたんだ」
ある建物は、不法建築を繰り返して作り上げられた共同住宅だった。先の住民達からジロジロと不躾な視線を感じながらも屋上に出た彼らは背負っていた背嚢から取り出した軍用規格のノートパソコン、タブレット端末、受信用アンテナを設置していく。
それだけなら簡素な監視拠点の構築で済んだだろうが、荷物はまだ他にも在る。壁面に映像を投影するプロジェクターとそれらを動かすポータブル電源だ。
そして、スピーカー。これも今回の作戦には欠かせないアイテムの1つであった。
当然ながらローブの下は戦闘装備で固めており銃器で武装しているがこれらはあくまで護身用だ。
別の場所では、そこは悪所街の顔役の息がかかった娼館だった。如何にもなゴロツキ風情の用心棒が自衛隊員達の前に立ち塞がったが、すぐに用心棒の上司が出てきて彼らを中へ招き入れる。
場所が場所なので当然の事ではあったが内部は艶やかな格好の女性達で溢れていた。獣耳に尻尾を生やしているのは可愛いもので、中には腕を2本ではなく4本持つ多腕が特徴的な種族の女性もいればジゼルを彷彿とさせる龍人の美女もいた。
大なり小なり美女揃い、尚且つ全裸よりもいやらしさを抱かせるデザインの過激な衣装の娼婦達を前にした隊員は顔を赤くして目を逸らしたり、鼻の下を伸ばしたり、だらしない姿を晒す部下に青筋を立てたりしつつも用意された最上階の部屋へと案内されるやてきぱきと準備を行う。
またある場所では、中々立派な面構えの商館近くまでやってきた隊員達は建物の裏手に回ると、鍵がかかった裏口のドアをノックする。
少し間を空けて、丁稚といった風情の男が裏口のロックを解除して顔を覗かせた。緊張と怯えに顔を引き攣らせている。
丁稚は故ベッサーラが運営していた金貸しに借金をしていたが、ギャンブルの負けが嵩んで首が回らなくなったところで借金の証文を楯に商館の内部情報を漏洩するという、よくある転落人生を歩んでいた人物だ。
その証文と情報漏洩の証拠は現在そのベッサーラから根こそぎその手の物品をかっぱらった伊丹達自衛隊が握っている。
その事を伝えてあげると、丁稚は快く自衛隊への協力を確約してくれた――という事になっている。
やましい所は何もない、正当な取引である。取引なのだ(強弁)。
指定の場所に到着した他の隊員達も同じように機材をセットし、正常に動作しているかのテストも終えた彼らは、その時が来るまで短くも長い待機状態に移るのであった。
自衛隊は街の郊外でも密かに動いていた。
帝都を取り囲む城壁の城門から数キロ程の街道からやや外れた森の中。偽装を施された数台の大型車両と大型天幕を利用した簡易指揮所で構成された前哨基地には数十名ほどの自衛隊員が配置されていた。
自分達の出番が近付いているのを肌で感じ取りつつある隊員達は、今日幾度目かの確認作業を行っている。
73式大型トラックをベースとした改造車両を担当する乗員はエンジンは始動せずに電気系統や計器に異常が見られないか確認したり、荷台部分に搭載した急ごしらえの
改造車両の空きスペースに、中身が詰まった弾薬ケースを山と積み上げてベルトで固定する隊員もいる。この荷物はこれから山ほど必要となるだろう。
兵員輸送を兼ねた補給用トラックも1台随伴するのだが、いざ作戦が始まれば車から運び出す手間すらも惜しくなるのは誰もが分かりきっていた。
大型車両中心の部隊もまた壁の内側で活動中の別働隊と同じく、帝都の各門周辺毎に複数の部隊に分かれて配置されている。
更に作戦活動中の自衛隊員は街の中や郊外にとどまらない。
「宮殿内に潜入した部隊から連絡は?」
「ピニャ殿下から提供された地下通路からの突入組と合流すべく現在行動中との事です」
皇帝の国葬を発端に様々な目的を持った人々が帝都へ押し寄せたように、宮殿もまた普段とは比較にならない規模でもって人の出入りが発生していた。
ゾルザルによって集められた出席者の貴族・豪商の大部分が従者を引き連れての列席であったし、国葬出席者たる彼らを持て成す為の晩餐会に供される料理の材料を提供する業者も(流石に来賓が集まる区画へは近付けないものの)次から次へと宮殿の敷地へと出入りしては運んできた荷物を置いていく。警備に当たる衛兵も臨時で大幅に増員されており、宮殿内を見て回る姿があちこちで散見された。
また出席者は皆ゾルザルへの献上品を携えていた。講和派議員の後を追いたくがない為の御機嫌伺という訳だ。
どれも装飾が施された箱で厳重に守られたそれらは嵩張り、わざわざそれらを纏めて保管しておく為の専用の部屋まで用意されていた。そして献上品を運び込むのは従者の仕事である。
そしてまた1人の出席者が、従者を2人伴って宮殿へと参じた。帝都を中心に活動する、よくいる豪商の一員である。
衛兵が応対する。その顔には今日だけで何百人もの出席者の対応を行ってきた事による隠し切れない疲れと倦怠感が滲んでいた。
「こちらはゾルザル閣下への献上品だな」
確認を通り越した断言口調で衛兵が訊ねた。相手が招待客とはいえ、宮殿に招かれた中では下層に分類される程度の立場なのもあって衛兵の態度は慇懃無礼だ。
「はいまさしく」
「献上品はこちらの部屋だ。付いてこい」
「分かりました」
豪商の従者の片割れ、
おそらく元は辺境から連れてきたまともな帝国語も使えぬ奴隷上がりなのだろう。帝都では珍しくない存在だ。
衛兵が従者に背を向けると、もう1人の
――
その厳しい視線は従者が主に向けるには相応しくなかったが、主である筈の豪商は顔を青くして何度も頷いてから、晩餐会の会場である南苑宮がある方角へと足早に去ってしまった。
首を傾げつつも、衛兵は長方形の箱を抱えた従者を引き連れて置き場へと案内する。
案内されたテニスコート程の広さがある室内では、先に持ち込まれた献上品が文字通りの山となって積み上げられていた。
部屋の入り口には万が一不届き者が盗みに入らないよう見張りの衛兵が2人だけ立っていた。
周囲に他の警備の気配は――ない。今や宮殿の主であるゾルザルが過ごす区画や招待客が集まっている南苑宮周辺、或いは外から侵入されないよう外周部へ人員を集中させているのだろう。
「誰が持ち込んだ品物なのかを書いた紙を挟んで空いている場所に置いておけ」
衛兵が指示を出すと髭面の従者が空いている空間に献上品を置いた。直前に坊主頭の従者とアイコンタクトを交わしていたのに衛兵は気付かなかった。
髭面と入れ替わりに坊主頭が献上品の山へ近付いていく――衛兵の意識が坊主頭へ移り、髭面への注意が外れた。
それを彼らは見逃さなかった。
髭面の従者が手首に巻き付ける形で仕込んでいた暗器――両端に握りとなる棒を結わえたパラコードを引き抜きながら、彼に背を向けた衛兵の膝裏へ足底を叩きつけた。
突然の衝撃に跪く形で倒れこみそうになり、顎が自然と反れる体勢となった所へ無防備になった喉元へパラコードが食い込んだ。
瞬時に気管も頚動脈も締め上げられた衛兵は武器の存在も忘れてパラコードを外そうともがく。
自らの皮膚を爪で傷つける程の足掻きも、喉仏を浮き上がらせるまで深く食い込んだ
「おい何の騒ぎだ」
衛兵が足掻く際に生じた鎧が擦れ合う不自然な金属音を聞きつけた警備の兵士が、開いたままの入り口から贈呈品置き場に入ってきた。
返答は.50AE弾による強烈な一撃だった。
二重底の箱から素早く取り出したサイレンサー付きのデザートイーグルで以って坊主頭の従者……ユーリは2人の警備兵めがけダブルタップを立て続けに叩き込んだ。
確実性を期して的が大きい胴体を狙ったのだが、減音と引き換えに威力が落ちるのを差し引いても自動拳銃用では威力最高を誇る.50AE弾の衝撃力は凄まじい。どの弾丸も衛兵が着用していた鎧を容易く砕いて重要な臓器と血管に即死級の被害を与えている。
尤もそれはサイレンサー抜きでも2キロに達する重量の大型拳銃ですら軽々と、かつ正確に使いこなしてしまうユーリの技量も合わさっての成果なのだが。
「死体を隠すぞ」
自分も絞殺した衛兵の死体を引き摺りながら髭面の従者ことプライスが告げた。
ヒト種の大部分が
衛兵の死体は献上品の山の裏に隠す事となった。わざわざ後ろに回りこまねば見つけられない位置だ。射殺体から流れた大理石の床に流れた血は衛兵が纏っていたマントである程度拭ってから照明であるランプや蝋燭の火を消してしまえば夜の闇が隠してくれた。
偽装を終えたプライスとユーリは箱に隠して持ち込んだ残りの装備も取り出していく。
無線機、拳銃の予備マガジンと各種装備が並んだコンバットベルト。頭にベルトを巻き付けて装着出来る様にした自衛隊採用の暗視装置。いざという時は銃よりも静かに殺せる兵隊の最後の相棒であるコンバットナイフ。夜闇に溶け込みシルエットを隠してくれる暗色のケープ。
プライスもまた運んでいた箱に収めていたサイレンサー付きの拳銃で武装する。SIG・P320自動拳銃の40口径モデル。装填弾薬は150グレインのホローポイント――最近のプライスお気に入りの組み合わせ。
武装を終えるとプライスは無線機のイヤホンに囁いた。
「こちらブラボー6。潜入成功、味方との合流地点へ向かう」
『了解ブラボー6』
「行くぞユーリ。俺達が裏口を開けてやらん限りは始まらん」
「分かっているさ」
行動開始。偽りの身分を捨てた兵士がツーマンセルで警戒しつつ部屋を離れる。
プライスとユーリは皇宮へと足を踏み入れたのは今日が初めてだが、その足取りに迷いはない。
空撮写真に以前より潜入中の隊員から届く内部情報、極めつけに皇宮の主の一員であったピニャのお陰で自衛隊は皇宮の具体的な構造を把握するに至っていた。当然今日の為に本来部外者の2人も構造や経路を頭に叩き込んでいる。
電球どころかガス灯すら発明されていない特地の夜は地球の都会とは比べ物にならない暗さだ。
大気汚染とは無縁の澄んだ夜空に輝く星明り程度では誤差同然。蝋燭や松明の不安定な灯火も隅々まで闇を照らすには余りに不足していた。つまり闇というプライスとユーリの姿を覆い隠してくれる存在がそこら中にあった。
一方暗視装置のお陰で裸眼の何倍もの視界を確保した2人は警備兵を容易に発見する事が可能だ。それだけでなく今の宮殿上空には郊外から発進した
概念自体が広まっていないのか警備兵は犬すら連れていないから臭いなどで気付かれる心配もしなくていい。温いな、とプライスは嘯いた。
『聞こえますかブラボー6』
最初に通信した作戦司令部のオペレーターとは違う男の声がイヤホンから流れた。
異世界では自衛隊関係者しか利用していない無線回線に割り込めるのは同じ関係者だけだ。それもあってプライスは自然と通信相手が誰か察せた。
「先に皇宮へ潜入していたとかいうイタミの部下か」
『元第3偵察隊所属の古田
「コックで今はゾルザルのお抱え料理長をしていると聞いている。ヤツの動向は把握出来ているんだろうな?」
『最後に確認したのは10分前、専用の居館で晩餐会用の衣装に着替える準備をしていたのをこの目で確認済みです。まだしばらくは居館に留まっているでしょう。着替えひとつにたっぷり時間をかけて客を待たせるのが皇族の流儀みたいですから』
古田の声に混じって炎が爆ぜ、刃物が食材を断ちながら俎板を叩き、料理人とメイドが注文を交わし合う声が入り混じる喧騒の音が2人の耳に届く。
「……もしかしてそっちはまだ料理中なのか?」
『いや、あとちょっとだけ仕上げが残ってて……そちらが合流する頃には済んでいますので、教えてくれればさっさと自分もここから逃げますよ』
「……好きにしろ」
それだけ言ってプライスは閉口した。やりとりを聞いていたユーリはケープの襟の下で苦笑を浮かべた。
「イタミの部下なだけあって個性的じゃあないか、なぁプライス」
「
影から影へ、警備兵の目を掻い潜り2人の特殊部隊の生き残りは目的の場所との距離を着実に縮めていく。
目的の場所に近付くにつれ、次第に警備兵の数が増大しつつある事に気付いた。明らかに合流地点周辺だけ警戒が厳重だ。
まあ少し頭を回せば思い至る事ではあるが、皇女であるピニャが教えてくれた隠し通路など、同じ皇族であるゾルザルもまた把握していたとしても別段驚きはしない。
どうも警備兵の振舞いや雰囲気からして、敷地外へ通じる隠し通路の存在自体は知らされていないように見えた。知らされていれば彼らの警戒心はもっと内側に向いている筈だ。ただ重要な施設とだけ伝えられているのだろう。
ここまでの道中と比べて警備の数が多いだけだ。練度も装備も2人の方が圧倒的に上回る。ならばやりようは幾らでもあった。
プライスが目を付けたのは警備兵の背後、大人の足程の太さがある木の棒に固定する形で掲げられた松明だ。火が着いた先端は兵士の頭1つ分ほど高い位置にある。
「ユーリ、合わせろ。灯りを撃て」
3、2、1とカウントを経て2種類の抑制された銃声が生じた。銃口から突き出たサイレンサーは音だけでなく本来派手に噴き出す
警備兵が知覚できたのは遠方まで響かぬよう拡散された銃声特有の奇妙な残響と、松明の先端部分と台座の棒が不意に弾けた瞬間の破裂音だけだった。
付近を照らしていた灯火がいきなり火の粉を飛び散らせて消えたかと思うと、着弾の衝撃でグラついた棒が音を立てて地面に倒れる。それに伴い、警備兵の姿が一瞬にして闇に呑まれた。
「何だ一体?」
突然の異変に警備兵の驚く声がプライス達の下まで聞こえてきた。直前まで松明の灯りに目が慣れていた反動で今の彼には何も見えていない筈だ。
「今の内だ、行くぞ」
植え込みに身を隠していたプライスとユーリは音も無く草むらから抜け出した。
中庭を横切り、警備兵が守る建物へと一気に接近し、一時的に視界を失った警備兵のほんの数メートル背後を通り過ぎる。
倒れて火が消えた松明の始末に気を割かれていた警備兵は不意に振り返った。何かが横切った名残のように空気の流れが変化するのを感じた気がしたのだが、大量の炭を水に溶かしたような闇夜が広がっているだけだった。警備兵は首を傾げた。
その間にプライスとユーリは建物内へ侵入を果たしたのだった。
建物はピニャによれば大きな家具や調度品といった、その時々の皇族の好みにそぐわぬ家財道具の倉庫として利用されている建物だという。保管の為可能な限り外気が入ってこないよう窓の類は隙間なく板戸で塞がれている。
入口の扉も厚いので中で作業をしても音は届き辛いし光も漏れまいと判断したプライスは小型だが強力な光量のフラッシュライトをベルトから抜いた。ユーリもそれに倣い、暗視装置を外して屋内を照らす。
そうして辿り着いた先は縦にも横にもプライス達より巨大な、壁際に置かれた重厚な木製の洋箪笥であった。重量も2人を合わせたよりも上回るに違いない。
「これか?」
「ここの筈だ。あのお姫様が言っていたのが正しければな」
「こいつは骨が折れそうだ……」
洋箪笥の側面に回り込んだ2人は全体重をかけて巨大な家具を動かそうと試みる。重い音を立てて少しずつ横へとずれていく。
大の男が歯を食いしばり、唸り声を上げてようやく家具1つ分動かし終えると、箪笥と接していた床の部分に壁の一部を削る形で掘られた穴が姿を現した。
鎧を着た兵士でも充分通り抜けられる直径だ。深さもそれなりで、掘った地面に直接杭を打ち込む形で下に降りる為の梯子もしっかり備えていた。
ベルトに通したポーチからユーリが小ぶりな蛍光灯を思わせる筒状の物を取り出す。衝撃を与えると発光するケミカルライト。チューブを折り曲げ、内部の薬品が反応を起こして蛍光色に輝くそれを穴の中へ。
数秒後、穴の底に人の影が出現した。迷彩服に陸自の戦闘装備に身を包んだ自衛隊員。背負っていた合金製の伸縮梯子を展開するとプライスとユーリが待つ地上へと登ってくる。
最後の数段を手を貸して引っ張りあげてやると、それを皮切りに続々と後続の隊員が姿を現した。その中には冨田といった元第3偵察隊メンバーも混じっていた。
最終的に
隊員が被る88式鉄帽の緑まだらから一転、暗がりでも鮮やかに目に映る赤い髪が穴からひょっこりと飛び出した。
「ピニャ殿下、自分の手を」
「いや大丈夫だ。すまぬな」
白銀に磨き上げられた特別誂えの鎧を纏ったピニャも、少々危なっかしくも自力で梯子を登りきると大理石の床を踏みしめた。
「本当に1人で大丈夫ですか?」
「ええいそこまで耄碌しとらんわ! お前達から与えられたカラクリ仕掛けの手と足も調子が良いしな!」
更にもう1人、がしゃりがしゃりと隊員やピニャよりも幾分騒々しい音を立てながら梯子を登ってきたのはエルベ藩王国国王であるデュランだ。
かつて自衛隊の砲撃で失った左手足を義手義足で補っているとはいえ、老いてなお手強い獅子を思わせる中々の気合の入りっぷりにこれにはプライスも感心した様子で片眉を持ち上げていると、通常の規定よりもいささか過剰に装備品を携行していた富田が近付いてきた。
「プライス特尉、お2人の装備をお持ちしました」
富田が運んでいたのは潜入の為持ち込める装備が限られたプライスとユーリ用の装備一式だ。刃物対策のセラミックプレートを仕込んだ戦闘ベストを富田から受け取り上から着込む。ベストのポーチは既に弾薬類でパンパンに膨らんでいる。
別の隊員から銃も受け取る。プライスはM4、ユーリはAK12だ。どちらもドットサイトとグレネードランチャーが追加済み。
「ゾルザルは自分の館だ。最終確認時刻は15分前」
「了解です。周辺が確保出来次第すぐにドローンを飛ばします」
「だったらさっさと
富田達地下通路から宮殿敷地内に潜入を果たした隊員は全員が暗視装置とサイレンサー装着の武器を携えている。
大半がHK416アサルトライフルだがこれは元々特殊作戦群用に持ち込まれた装備品だ。銀座占拠に伴う撤退時に当時特地に展開していた特戦群の隊員も多くが日本へ帰還したので余剰品となっていたのを今回ありがたく使わせてもらっている形になる。特殊作戦用に専用のサイレンサーも複数揃っていたのが決め手だ。
HK416以外にもSIG・MCXラトラーやMP5、MP7といったサブマシンガンを装備している隊員も居る。こちらは例によって伊丹の私物扱いの員数外装備である。
それとは別に、彼らは64式小銃をバックパックに括り付けていた。64式の代わりにケルテック・KSGやレミントン・M870といったポンプアクション式ショットガン持ちも複数名。
64式に装填されたマガジンには青のビニールテープが巻かれている。敵味方識別用の赤外線ストロボが彼らが着用するヘルメットやベストで揺れていた。
警戒の内側から一斉に奇襲をかけられた警備兵は瞬く間に一掃され、倉庫のラインナップに死体が追加された。
「……」
運びこまれる自国の兵の死体を前にしたピニャの瞳に動揺は見られない。小揺るぎひとつせず細められた目元は最早狂気の領域にまで高まった覚悟の光を宿している。
(あの時は権威を嵩に着た小娘でしかなかったが、いやはや)
その様子を横目に観察していたデュランは首を横に振った。
「ブラボー6から司令部へ。
『こちらでも確認したブラボー6。
合流を果たした一行が移動を始める。
数が
射撃担当と隠蔽担当に役割分担した隊員達は警備の排除と隠蔽を繰り返しながら敷地内をハイペースで踏破していく。エスコートされたピニャとデュランが彼らに続く。
そして遂に目的地へと辿り着いた。
南苑宮――今宵の晩餐会の会場。防音がしっかりした構造なので中のざわめきなどはまだ聞こえてこないが、会場内に招待客が集結しているのは把握済み。
南苑宮の周囲も多数の警備兵によって厳重に護られてはいたが、彼らもまたここまで潜入部隊によって排除された仲間達の後を追うまで数分とかからなかった。
ここまで来たらもうわざわざ死体を隠す事もしない。無人機からの情報で周囲一帯の敵排除と部下が配置に着いたのを確認し終えると、潜入部隊を指揮する尉官が部下達へ命じる。
「総員、装備を変更しろ。装填済みの弾薬が所定通りか確認を厳に」
命令を受け、手にしていた消音武器を背負っていた64式小銃と入れ替えた隊員達は指示通り64式に装着していたマガジンを一旦取り外して上部から覗く中身を確認、正しい弾薬が詰まっているのを見て取ると改めてマガジンを嵌め込み、ボルトハンドルを後退させて最初の1発を薬室へ送り込む。
後退したボルトから一瞬見え隠れした7.62ミリライフル弾は全体が水色で、まるで玩具のような質感をしていた。ショットガンに持ち替えた隊員がチューブ式マガジンへと押し込む弾薬の方は、弾頭を納めるケース部分が白色だった。
支度を終えた隊員の一部が、ヘルメットの中に被っていた
「何やってんだ?」
「テロリストの真似事をやるなら形から入ろうかと思ったんだ」
確かにこれから彼らが行おうとしているのは、大きな催しの会場を舞台にしたB級アクションに出てくるような敵役の真似事には違いない。それは富田も自覚はしていた。
……だからといってバラクラバはまだしも、顔を隠すのにスカーフにサングラスを装着したり、わざわざピエロの仮面やホッケーマスクを作戦に持ち込むのはどうかとも思ったが。何処に用意していたのだろう?
「後で処分を受けても知らないぞ俺は」
富田は溜息を吐くと緩みかけた意識を引き締め直し、64式小銃を構えて予め決められていた通りの配置に着いた。
「準備は宜しいですか、ピニャ殿下、デュラン殿」
指揮官の問いかけに皇女と老兵たる国王は頷きで答えた。
「司令部へ。これより女優と舞台に上がる。突入まで5、4、3、2、1――――」
『この世は舞台、人はみな役者』 ――シェイクスピア
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