英語ができない魔法使い   作:おべん・チャラー

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97話

「今日も実に薄くて美味しいお吸い物だったわ。ありがとう」

 

 言いながらオーシャンは、手近でひらひらとしていたピーター・ペティグリューのローブの裾を引っ掴んで、口を拭いた。ペティグリューはヘロヘロとした情けない声で抗議する。「わあ、は、放せぇ!」

 

「はい」口を拭き終わったオーシャンが望み通り手を放すと、彼は返ってきた裾から逃げるように「あっ……わっ……」とか言って距離を取ろうとした。小鼠が下手なダンスを踊っているのを、彼女は楽しく見守った。

 

 ここに入れられてからの食事は、多分――何しろ地下牢に閉じ込められては、時間の感覚も満足に分からない――数日に一回、野菜の切れ端も浮かんでいない薄黒いぬるいスープのみが差し入れられた。

 

 わずかに温もりを感じるというより、水を少し温めただけ、という感じのそれを、オーシャンはありがたくいただいている。薄黒くはあるが透明感のあるスープは何を具材に作られているのか知らないが、臭いからも毒性は感じられない。ホテルとしては限りなく不可に近づいた可。赤点くらいはやってもいいと思う。

 

 ホグワーツの味に慣れ親しんだ舌にはかなり薄く感じたが、数回飲むと味覚がリセットされて、味わいを感じるようになってきた。かなり薄めのお吸い物として飲めば、まあ、許容のできる味だ。

 

 ペティグリューは取り出した杖で、『黄色い猿』の唾液の付いた部分を燃やそうとしたらしい。燃えたはいいが思いのほか火が強く、消火するための呪文の狙いが定められずに、またもやダンスを踊っている。一生懸命叩き消した頃には、向こう脛が完全に見えていた。

 

「何をしているのだ。貴様は」

 

 呆れた声で言われて、ペティグリューはピタリと動きを止めてゆっくり振り返る。セブルス・スネイプが階段を降りて現れた。彼は足音を響かせてゆっくりとした足取りで進みながら、ペティグリューを上から下まで――特に焼け焦げた向こう脛を意地悪く睨め付ける。そして彼の前に立つと、身長の低い小鼠を威圧的に見下ろした。

 

「これはこれは、親愛なる我が同窓、ピーター。随分と、あー……斬新なファッションセンスですな?」

 

 そうか。ペティグリューがブラックの同窓という事は、スネイプともそうであるのだ。何故今まで気付かなかったのか。オーシャンは二人の様子を観察する。

 

 ペティグリューは「ちっ、違う! これはあの『黄色い猿』が……!」とかキイキイ言っていたが、スネイプはそんな彼をうっとうしそうにあしらって壁の方へ行き、背を預けて腕を組んだ。

 

 ペティグリューは本物のネズミの様なせわしなさで、スネイプと階段の方を交互に見た。まだ言い足りなくはあるが、一刻も早くこの場を去りたいという風でもある。プルプルと震えている顎が、ネズミが鼻をヒクヒクさせている姿と重なった。

 

 しばし悩む様子を見せていた小鼠だったが、どうやらこの場を離れることに決めた様である。階段の方へ歩き出したペティグリューに、オーシャンは「忘れ物よ」と声をかけた。

 

 小さな舌打ちの音と共に、小鼠は肩で彼女を振り返る。鉄格子の中には、空のスープ皿を持ち上げてこちらに振る女。彼は無視して階段を上っていった。

 

 ペティグリューの足音が遠ざかって上階の扉が閉まった音の後、部屋に残った二人は、やっと目を交わす。尤も、スネイプの視線はこちらを滑っただけで、すぐに伏せられた。オーシャンから口を開く。

 

「約束通り『遊び』に来てくれて嬉しいわ。意外と人情深いところ、あるじゃない」

 

 その言葉で思惑通り、スネイプはいつもの不機嫌そうな目を向けた。――人と話す時は相手の目を見なさいって、小さい頃に教わらなかったのかしら?

 

「気にするな。貴様のためではない」

「あら、さすが教鞭を執るだけはあるわね。教科書通りの典型的なツンデレ」

 

 微笑んで返されたので、(しかも言っている事が不可解極まる)彼は眉を顰めた。気を取り直して、咳払いを一つ。

「……さあ、ウエノよ。『我が君』のため、日本に伝わる秘術の一つでも思い出したか?」

 

「…………分かったわよ」

 オーシャンは、はあ、と観念して息を吐き、声を出さずに手招きをした。

 

 不本意ながらスネイプは鉄格子に近づき、自分の手を見ろと身振りで示してくる彼女に、いやいやながらも従ってその場にかがみ込む。端から見れば身を寄せているようにも見える光景。悪寒がする。

 

 左の手のひらに右の人差し指を立てて「見ていて……」と促すオーシャンだったが、途端に鼻をつまんで身を引いた。

「……やだ、貴方、何だか臭うわ」

 

 この女、この場で殺してやろうか。似ても似つかないはずなのに、何故か憎いあの男の姿が脳裏を駆け抜けていった。

 

「……自分の悪臭と勘違いしているんじゃないかね」

「体臭について女性に言う物じゃ無いわ。デリカシーの無い人」

 

 殴ろうか。スネイプは拳を固めたが、ぐっと抑え込んだ。オーシャンは邪魔が入った、とでも言うようにケロッとして続ける。

 

「大体、貴方達がお風呂も許可してくれないんだから、匂って当然だわ……――ま、そんな事より、見ていて」

 

 再びオーシャンは鉄格子越しにスネイプの方に身を寄せる。彼女が見せる手のひらを、スネイプは真剣に見た。そして、彼女の指が滑り出す。

 

 人。

 人。

 人。

 そしてその手のひらを口に持っていき、何かをぱくりと食べた真似をした。

 

 ?

 ???

 

 スネイプは何を見せられたのか理解できず、顔面を疑問符で一杯にしている。居住まいを正して、オーシャンは説明した。

 

「はい。これが日本の術の一つ、『人前で緊張しなくなる呪い』よ」

 

「ふざけるなっ!」

 鉄格子に掴みかかったスネイプの怒号が、地下牢中に反響する。対するオーシャンは平然と彼を見た。

 

「子供だましも大概にしたまえ! 君はここがどこだか分かっているのか!? 死喰い人の……『闇の帝王』の城でそのような馬鹿げた子供だましを、死喰い人相手に披露目るなど……」

 

 鉄格子が無ければ胸ぐらを捕まれているだろう、それくらいの剣幕だった。返すオーシャンの凜とした声が、彼を落ち着かせる。

「私の相手は『死喰い人』ではないもの」

 

「……」

 やっと、目が合った。この男の目をこんなに近くで見たのは、初めてかもしれない。暗い暗い瞳の奥底で揺らいでいるのは、誰への心だろうか。

 

 スネイプは鉄格子を掴んでいた手を解き、ゆっくりと体を離して、やがて立ち上がった。オーシャンは続ける。

 

「私が話したいのは、貴方のもう一つの顔の方だもの。……教えて、ここはどこ?」

 

 どんな形であれ、要望には応えた。次はオーシャンの番だ。

 

「言っただろう。『死喰い人』の本拠だと」

 

 スネイプは体の向きを換え、一歩、二歩、と鉄格子――オーシャンから距離を取った。牢の外の、中程で足を止めてこちらを振り向いて手を組む。約束通り、質問には答えてくれるつもりらしい。

 

「いいえ。貴方が言ったのは『〈闇の帝王〉の城』……。つまり、ヴォルデモートが支配する場所、という事でしょう?」

 

 スネイプは手を組んだまま、肩を竦める。まるで荒唐無稽で下らない話を聞かされているかの様に。

「随分と想像力豊かな事だ」

 

 気にせずにオーシャンは話を続ける。

「『支配』とはその場所について、全権を握っている……と。そういう事よね?」

 

「……細かい事を抜いて説明をすれば……まあ、概ねそうなる」

 白々しいまでの教師の顔を繕って、スネイプは返答した。

 

 しかしここまでの材料があれば、答えを出すのは難しくは無い。少なくとも二ヶ月前までには、どこかの町や村がヴォルデモートの手に落ちたとは聞いていない。

 

 そして、支配と言えば大仰に聞こえるが、もしその範囲がこの『館』の中のみだとしたら……それらを踏まえて『城』と表現できる場所は……。

 

「そうね……ではこの館……その城の主の『ご実家』とか?」

 

 かなりの確信を持って言ったオーシャンだったが、スネイプは懐中時計に目を落としていた。そして目を上げ、時計を素早くしまうとマントをバサリと大きく翻して踵を返す。

 

「四つ目の質問だ。我が輩は失礼する」

「ちょちょ……待ってよ。まだ質問は……」焦るオーシャンに向かって、スネイプは半身を返し、人差し指を立てた。

 

「一つ。『ここはどこか?』と、君は聞いた」

 

 展開の速さについて行けずにオーシャンがポカンとしていると、スネイプの指が二つ目を数えた。

 

「二つ。『〈闇の帝王〉はこの場所を支配しているか』と、君は聞いた」

「ちょっと待って、それは……」

 

 オーシャンの口からやっと出てきた制止も意に介さず、スネイプは有無を言わさぬ口調で続ける。「三つ」

 彼の指が、三を示した。

 

「『支配の定義』を、君は聞いた」

 

 自分の言葉を頭の中で必死に振り返る。確かに、スネイプの明確な答えと反応を得るために、疑問の形で口にした……かもしれない。けどしかし……。

 

「…………」

 

 しかし『当初の約束通り』三つの質問を使ってしまったのは、紛れもない自分だった。悔しそうに黙りこくったオーシャンに、スネイプは意地の悪い薄ら笑いを浮かべる。

 

「どうだ? 我が輩は間違っているだろうか?」

 

 したいが、反論が浮かんで来ない。何を言っても、紛れもない自分の失態を転嫁する発言になるという事は分かっていた。

 

 スネイプは言葉を続ける。陰湿な喜びの浮かんでいるその顔が、初めて憎たらしいと思った。

 

「質問は一度の訪問で三つまでと言う取り決めだ。よって、我が輩は帰る事としよう。『遊んで』ばかりの君とは違い、何かと忙しいものでな。失礼」

 

 階段に足をかけ、そのまま上っていくかと思われたスネイプだったが、思い出したようにこちらを振り向き、捨て台詞を吐いていった。

 

「この様にお粗末な問いかけで、よくも『言葉遊び』が得意だと言えた物だ。……次の時までに、質問の仕方を学んでおくと良い」

 

 ポカンと開いた口を閉じるのも忘れて、オーシャンは階段を上がっていくスネイプを見送った。

 

「ぅうう……んぐぎぎぎ……」

 

 至らない自分の悔しさは早くも無くなり、憎らしい彼への思いは歯ぎしりとなって現れる。それが上階まで響き渡る咆哮に変わるまで、時間はかからなかった。


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