英語ができない魔法使い   作:おべん・チャラー

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95話

 オーシャンは寮の隠し扉から出た所だった。朝食に向かう生徒達に、『太った婦人』がいつもどおり「今日もしっかりね!」とか「いい一日を!」だとか声をかけている。

 

 オーシャンのすぐ隣には上機嫌な様子のアンジェリーナがいて、二人で話をしながら歩いていると、生徒の波の中に先に出ていたアリシアとケイティを見つけた。

 

 階段を降りる頃にはみんながドレスアップしていて、アンジェリーナ達はいつの間にかオーシャンから離れて、燕尾服を纏った双子のウィーズリー達の腕を取り、先に進んでいく。彼らのすっかり大人びた表情になんて気が付かないで、オーシャンも階段を降りていった。

 

 いつもより少し長い階段を降りながら、玄関ホールの方を見る。中央にはタキシードを着こなしたリーマス・ルーピンとセドリック・ディゴリーがいた。先生は階段を降りていくオーシャンに気付いて振り返り、遅れてこちらを向いたセドリックは、幸せそうな笑顔を見せた。

 

 オーシャンはホールに降り立って二人に近づいて行きながら、ふと思った。――そうだった。私はどちらか一人を選ばなければならないのだ。

 

 他のみんなは連れ立って、続々と大広間に入っていく。オーシャンも早く決めなくては、ダンスパーティに間に合わない。

 

 二人の紳士が手を差し出す。オーシャンが顔を上げても先生の表情は何故か読み取れず、その隣に目を移すとセドリックの優しい眼差しがこちらを見つめ返した。

 

 そしてオーシャンは手を伸ばした所で――目を覚ました。

「――フガッ」

 

 不覚にも、いびきをかいていたのだろうか。鼻から出たあられもない音に、牢屋の外にいたセブルス・スネイプが哀れんでいる様な、呆れている様な、奇妙な表情を見せる。

 

 オーシャンは、顎を伝っていたよだれを袖で拭った。

「……あら、スネイプ先生。こんな所でお会いするとは思わなかったわ」

 

 この牢獄の中に入って数週間、話し相手と言えば大方の時間の見張りを言いつかっているらしいドロホフや、小鼠――もといワームテールだけだった。あとは、気まぐれに来る死喰い人が牢の外から杖を向けて『遊び』に来るだけだ。

 

 つい先日にはベラトリックス・レストレンジが顔を見せて、オーシャンはあまりの怒りに牢の錆付いた鉄格子を破壊しかけた。おかげですぐに鉄格子はピカピカの真新しいものに置き換えられ、彼女は脱出の機会を一つ逃したのだった。

 

 その忌まわしい鉄格子の向こうから、スネイプがいつもの侮蔑的な表情を見せている。

 

「奇遇だな。私もここで君なんかに会うつもりは毛頭無かった」

 

 スネイプはそう言ってため息を吐いた。本当に面倒くさそうな――オーシャンが授業で言葉を通じなくした時によく見せる、あの顔。

 

 不死鳥の騎士団でもあるはずの彼が何故ここにいるかは一旦置いて、オーシャンはその言葉の意味を読み取ろうとする。

 

『ここ』で君なんかに会うつもりは無かった――……オーシャンが捕らわれる事は、スネイプの想定外――それが『主』の意思だとて――という事だ。どちらにせよ、この男が敵なのか味方なのかを推し量る事が、この牢獄を出る最善手になるだろう。

 

 スネイプは続ける。

「闇の帝王は、いつ君が日本の秘術を我らに明かしてくれるのかと、気を揉んでいる。君の気が早く変わるように『説得』を試みよ、と仰せでな」

 

『我ら』……そこにはスネイプ自身も入っているだろう。そうでなければこんな奇妙な逢瀬が叶うはずも無い。やはりこの男は騎士団の皮を被った死喰い人か……?

 

 興味の無いふりで、オーシャンは爪のささくれをむしった。

「秘術なんて無いって言ってるのに……信じてくれないのね」

 

 地下牢に閉じ込められる前。この屋敷に到着した時、ヴォルデモートは『貴様の使う術は、実に我らの使う呪文に似ている。我々が更なる高みへ上る為に、是非ともその秘術をご教授願いたいのだが』と言った。

 

 オーシャンは『秘術なんて無い』の一点張りだったが、――事実無いのだから……『滅却』を秘術と言えば別だが、別に存在が秘密な訳でも無い――いくら言っても信じてはくれず、彼らは彼女が神秘なる国のとんでもない秘密を握っていると信じて疑わず、オーシャンを屋敷の地下牢に閉じ込めたのだった。

 

「我が君は、君の使う術に高い関心を向けていらっしゃる。特に、魔法省で見せてくれた呪文に」

 

 と、スネイプの方は実に興味が無さそうに、腕組みしたまま壁に寄りかかる。

 

「その熱意を、もうちょっと違うことに使って欲しいわね……」

 オーシャンも爪を眺めながら呆れて返す。

 

 つまりは『教師』の体面を利用して主のために働いている……と、そう聞こえるが、何かがおかしい。むしったささくれをフッと一吹きして、オーシャンは考え直す。

 

 普段のスネイプとは、語り口がどう考えても違う。単純な魔法薬の調合さえ複雑化して説明する彼と、ここにいる彼は明らかに何かが違った。

 

 そして、ここがどこであれ、死喰い人の巣窟、もしくは本拠地と呼んでいい場所では使えない言葉もあるだろう。昔に交わした会話が、オーシャンの脳裏を過る。

 

――

 

『先生にはもう少し、生徒を信頼するという事について考えていただきたいと思うのですが?』

 

『その生徒が、頑健な鎖をもって我が輩を縛り上げなければ、我が輩もそれに応えるだろう』

 

『あの時、私は錯乱していたものですから。そうでしょう、先生?』

 

――

 

 ブラックが逃亡した三年前のあの日に交わした会話と、その後に見せた表情が彼の本性であれば――。

 二人は会話を続ける。

「ところで……貴方も私と遊びに来たの?」

 

 オーシャンの質問を、スネイプは鼻で笑い飛ばした。目を閉じて薄く笑う。

「君はどうなのかね」

 その気が無いわけではない、という事らしい。――面倒くさい男……。

 

「……ちょっと退屈なのよ、ここ。たまに来る人は、私との『遊び』方を知らないみたいだし。その点、貴方はよくご承知でしょう? 私との『遊び』方」

 

 にっこりと微笑むオーシャンに、スネイプは片眼を開けて仏頂面を返す。

「……何が望みだ?」

 

「違う顔の貴方に、質問があるの」

 騎士団の、という意味だが。スネイプは懐中時計を出して、チラリと見る。あまり長く話していると、他の死喰い人に怪しまれるだろう。

 

 時間が分かるかとオーシャンが首を伸ばすと、彼はこちらを見ながら、見せつけるように時計をポケットにしまった。これは純粋な嫌がらせである様だ。オーシャンは、この男がブラックの同窓であったと思い出して苦い顔をする。

 

「君はそこまで、勉強熱心ではないと思っていたが」

 

 それは本当にご挨拶。あたかも人が不真面目かの様な言い方はやめていただきたい。

「こう見えて、分からない事はそのまま放置しないタイプなのよ。覚えているでしょう? 私のO.W.L.試験前」

 

 ピクリ、とスネイプの眉が動いた。二人だけが知る愉快な思い出――オーシャンが夜中に訪問し、脱狼薬を預け……という一部始終に思い当たったに違いない。彼の顔は、不愉快そうなまま動かなかった。

 

「我が輩もこう見えて多忙でな。君と遊んでいる暇など無い」

「でも、『我が君』から、私を『説得』をするように言われてるんでしょう?」

 

 微笑んで言ったオーシャンに、これ以上歪む事は無いと思われていたスネイプの顔が、形容しがたい変化を見せる。

 やや時間をかけて、スネイプは返答した。

 

「……よかろう。我が輩はこれから、出来うる限りの時間を君の『説得』に割くとしよう。その際、君からの質問を三つだけ許可する」

 

「何、それ。質問だけ? 答えが得られない問いなんて、するだけ無駄よ」

 まるで地下牢教室で授業を受けている様だ。ネチネチとした彼の喋り方に、少しイライラしてくる。

 

 眉根を寄せたオーシャンに、スネイプは嘲る様な態度を見せた。

「我が輩の印象では、君は無駄に『言葉遊び』が好きなのだと思ったが。見込み違いだったか」

 

『無駄に』の一言に嫌みを感じたが、要するに今の様な回りくどい会話で、情報をくれるという事だ。脱出の機会が失われた訳では無い事が分かって、オーシャンは内心ホッとした。

「こんな所で先生と『遊べる』なんて、まるで夢みたいだわ」

 

 皮肉っぽくからかい混じりに言うと、スネイプは少しだけ微笑みを見せて返した。

「君の方こそ。先ほどまで、口の端から汚物を垂れ流しながら、楽しい夢を見ていた様ではないか」

 

 言われてオーシャンは自身が見ていた夢を――あまつさえ、夢の中で誰の手を取ろうとしていたのかを思い出して、顔を爆発させた。

 

「そっ……ち、違うわよ! 私は――せ、生徒の夢の中にまで口を出すなんて、趣味が悪いわ!」

 顔を真っ赤にして声を荒げるオーシャンを横目に、スネイプは呆れた調子で英語で何かを言って、地下牢から出て行った。

 

 

 

 *

 

 

 

「ハリー、あなたにお客さんが来てるわ」

 ジニーはハリーに割り当てられた兄達の部屋の前に立って、ノックをする。答えを待たずに入ると、ハリーはベッドに腰掛けたまま、ロンとハーマイオニーの二人と話し込んでいた。

 彼は入ってきたジニーを見て、その後ろにいる人物に顔を明るした。

 

「セドリック! 元気そうで良かった」

 セドリックはジニーの後に続いて部屋に入ると、照れくさそうに頭を掻いた。

「君こそ。ホグワーツ以外で顔を合わせるの、なんだか変な感じだ」

 

 みんなは私服で、セドリックだけは仕事用のローブを着ている。仕事帰りに『ウィーズリー・ウィザード・ウィーズ』に寄って三郎に出会ってから直接ここに来たので、着替えてはいなかった。

 

 服装が違う、という事だけで、自分はもうホグワーツの生徒ではないんだという事がまざまざと感じられ、同時に彼らより少し大人になったんだなと今更ながらに実感して、少しだけ気恥ずかしい。

 

 魔法省で起こった事件後、ハリー達から見て、セドリックのホグワーツでの様子は痛々しいものだった。

 

 事件後の校長室で、卒業後に騎士団への加入が決まって一時は元気を取り戻した様に見えたものの、以降時々、校内の至る所でしょんぼりと肩を落としている彼を見かけた。玄関ホールの階段の前や、大広間だったり、校庭の木の根元だったり。

 

 その彼が元気な顔を見せてくれた事が、ハリーには嬉しかった。

「今日はどうしたんだい?」

「みんなに会わせたい人がいて……ゴザル? そんなところに隠れてないで出てこいよ」

 

 セドリックはおもむろに、何も無い所を振り向いて声をかける。みんなが首を傾げると、彼が声をかけた場所から黒服に身を包んだ人間が姿を現した。

 

「何と! 拙者の隠れ蓑術をも見破るとは、さすが海の婚約者でござる! 感服いたした!」

 闇の魔法使いの様に頭の先まで真っ黒なその出で立ちには、見覚えがあった。

 

「あ、オーシャンの……!」目を丸くしたのはロンとジニーだ。

「三郎じゃないの!」と喜ぶ顔を見せたのはハーマイオニー。

「何でここにいるんだ!?」

 

 ハリーの声が驚きに高くなると、扉の向こうからダダダダと階段を駆け上がってくる音が聞こえてきた。バタンと荒々しく音を立てて扉が開き、姿を現したのはシリウス・ブラックだ。

 階下でウィーズリーおばさんが怒鳴っていた。「ちょっとシリウス! 床が抜けそうな勢いで暴れないでちょうだい!」

 

 しかしそれを右から左に流して、ハリーの名付け親は「どうした、大丈夫か!?」と血相を変えて叫んだ。

 

 あの事件の後、ハリーが魔法省に赴いたのはヴォルデモートに罠にかけられたせいだと知ったブラックは、過度なまでにハリーを気にかけるようになっていた。

 彼がお茶でやけどをした位で、ティーカップを破壊してしまう程だ。

 

 その彼が見知らぬ顔を見つけて、杖を取り出す。「――っ、誰だ!?」

 ハリーがそれを止める。

 

「シリウスおじさん、待って!」

「彼はウミの従兄弟なんだよ、ブラック!」

 セドリックの言葉にブラックは動きを止めた。「何……!?」

 

 杖を向けられて、三郎も忍者刀を逆手に構えていた。鋭く露わになった切っ先に、ウィーズリーの兄妹とハーマイオニーが震えている。

 セドリックが拙い日本語で三郎に危険は無い事を伝えるとようやく刀が鞘に収まって、みんなは胸をなで下ろした。


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