94話
闇の帝王が復活し、上野海がその本拠に拐かされたとの報せが入ってから数週間。日本ではこれまでと変わらない、普段通りの日々が続いていた。
しかし、それは世界から見ての日本の反応に過ぎない。その日、上野家では男達が一本のろうそくを取り囲み車座になっていた。
彼らの顔色は一様に硬く、いかにも『深刻な話し合いの場』という様相を呈している。
口火を切るのは上野海の父にして高名な呪術師――上野宗二郎である。
「して、三郎。英国の動きはどうじゃ」
宗二郎の左側で片膝を折った忍者が、顔を上げずに頷いた。
「はっ。慎重に慎重を重ねている、というのが、正直な印象でござるな。海の居所も未だ判明しておらぬのが、現状な様子」
「ふむ。思った以上に難航しておるようじゃな……」
顎を扱いた宗二郎の右隣で、彼の兄にして三郎の父――宗太郎が難しく引き結んでいた口を解いた。
「宗二郎よ……このまま英国に任せていても、事態は進展しまい。やはりこちらからも働きかけて見た方が良いのでは無いか?」
「うむ……」
その時閉め切られていた襖がスパンと開き、外から入ってきた陽光が三人の目を焼いた。
「ぎゃっ」
「目がっ、目がァ」
姿を見せたのは、今年十六になる空である。
「何をアホみたいな事やってるのよ」
「アホみたいとは何事じゃ」「暗い部屋にいきなり光源を入れるな。悪魔の所業じゃ」
父と伯父がぐちゃぐちゃ言っている所に、空は母と作ったおにぎりの乗った盆を置いて黙らせる。真っ先に一つを手に取ってかぶりつきながら、空は車座の中心に立つろうそくの火を手で仰いで消した。
「こんな閉め切った空間でろうそくなんて灯して、言われても仕方無いと思うけど」
「雰囲気というものがあるでござる」
胸を張って言う従兄弟に、空は頭を抱える。女三人寄れば……とはいうものだが、男三人寄れば悪ガキ時代に逆戻りするのは何故だろう。
「まあ、いいわ。……で、どこまで話は進んだの?」
「「「……」」」」
男三人が揃って口を噤む。目を明後日の方向に向けるその反応、実に苛立たしい。
今回の事態で拐かされたのが海であるからこそ、こんなちゃらんぽらんな感じでいられる訳で、他の魔法使いや魔女だったなら、こうは行かないだろう。それだけ宗二郎は、娘の能力を買っているという事だが。
「ま、まあ、やはり、そろそろこちらからも英国に働きかけてみた方がよかろう、という話にはなった」
だからって、よくもまあここまで英国に全てを任せて静観したものだ。父の揺るぎない自信には呆れるばかりである。
「しかし、英国に働きかけをとなるとやはりこちらの魔法省を動かさざるを得ないが……」
難しい顔をする父の言いたい事も分かる。検討やら会議やら書類やらに嫌に時間がかかることくらい、同じ人種だ、良く心得ている。空にも最初から、その考えは無かった。
「手っ取り早く、向こうに様子を見に行けばいいじゃない。情報収集という観点では、忍者に一人行って貰えばいいでしょう?」
そう言ってちょうどこの場にいる忍者を向く。彼は父、叔父、従姉妹の視線を一身に受けて、疑問符を返した。
「え?」
*
今日もイギリス魔法省は平常通り機能していた。
数ヶ月前の『例のあの人』復活の報に混乱した市民達から寄せられたふくろう便の嵐は、少しずつ収まっていた。
国内で頻発する事件の収拾に奔走する忙しい日々は続いているが、市民からの批判に心をすり減らしていた日々を思えば、少しは呼吸が出来るというものだ。
セドリック・ディゴリ―は廊下を歩きながら、周囲に飛ばしていた書類から一枚を手に取って目を通す。エレベーターに乗ろうとした所で、後ろから甘い香りと声が近づいてきた。
「ディゴリー、やったわね。あなたの意見でご老人方、砂漠に放り投げられた水中人みたいに、口をパクパクさせてたわ」
『国際魔法協力部』のベティーだった。
決して高くないヒールに派手すぎない唇の色、はらりと髪が揺れる度にちらりと見えるイヤリング。とびっきり垢抜けた感じでもないけれど、省内の初心な男共を引っかけるにはちょうどいい。彼女はいつもそんな感じだ。
先ほど終わったばかりの、会議での発言での事を言われていると分かって、セドリックは愛想笑いを返した。
此度の国内で続く混乱に乗じて、彼の所属する『魔法ゲーム・スポーツ部』では去年の時点ですでに登録されていた公式試合の変更、延期、中止が相次いでいる。
『国際魔法協力部』との会議では、すでに決まっていた国際試合の日程変更が現時点で永久的に不透明となった事について、頭の硬そうな老人部長からさんざん小言をいただいた。だからセドリックは言ってやったのだ。
「では部長殿は、海外選手を情勢の不安定な我が国に招いて、万に一つにも起きるかも知れない不測の事態の事は考えず、試合を決行した方がいいとお考えなのですね?」
まだ入省してひと月足らずの新人の正論に、『協力部』の誰もが反論を失った。
エレベーターが到着したので乗り込むと、ベティーも当然のようについてくる。二人が乗り込んだ事で、定員は一杯になった。格子戸が閉まって上の階への移動が始まる。
「いや、思った事を言ったまでだよ」
手に取っていた書類を放すと、また周囲を飛び始める。セドリックは次の書類を手に取って目を通し始めた。
ベティーの視線に気付かないふりをして書類を読む。彼女の厚い唇から、ほぅ、と密やかな吐息が漏れた。
「あなたのそういう謙虚な所、悪くないわ。どうかしら。いいお店を見つけたの。ちょっと一杯付きあわない?」
彼女から――それ以外の女性からも――誘われたのは一度や二度ではない。セドリックは一つ、小さく息を吐いた。
エレベーターが目的の階に到着する。降りるセドリックについてくるのは、周囲を飛び交う書類だけだった。
「……ごめん、遠慮しとくよ。金曜日は、行かなきゃいけない所があるんだ」
続いて降りていく人たちに遮られて、セドリックの背中が遠ざかっていく。やがて格子が再び閉まりエレベーターが動き出すと、後ろから耳慣れた声が聞こえた。
「ガード堅いわよねぇ。セドリック・ディゴリー」
同じ部署のオリーヴだった。省内で最高の茶飲み友達だ。彼女が乗り合わせていたなんて、全然気がつかなかった。オリーヴは壁にもたれかかって続ける。
「ハンサムで仕事もできて人当たりだって悪くない。だけど女からの誘いだけは、スパッと断る。本当に男なの?」
「ねえ、そんな言い方はよして」
ベティーは口を尖らせる。どんなにガードが堅くたって、悪く言われたくは無い。惚れた弱みという奴だ。
「心に決めた女でもいるんじゃないかって、もっぱらの噂よ。もしかしたら、金曜日はそいつに会いに行ってるのかもね」
オリーヴが意地悪く続けると、ベティーは目に見えて肩を落とした。そんな友人の姿に、仕方がないなと腕を組む。
「……私、今日はちょっと酔いたい気分なんだけど。帰りに一緒にどう?」
ゆっくりオリーヴを向いたベティーの顔は、みるみる泣きそうな顔に変わっていった。
「……私もう、アンタと結婚しようかしら」
「やめてよ。私にも選ぶ権利をちょうだい」
ベティーが寄りかかると、オリーヴはうんざりした顔で憎まれ口を叩く。そんな顔をしても、言われて悪い気はしていないのもベティーには分かっている。エレベーターが到着して、格子が開いた。
*
「はあぁ~……どこにいるんだ、ウミ……会いたい……たまらなく会いたいよ……」
「おい、商売の邪魔だ。出てけ出てけ」「悪戯専門店で涙の川を作られちゃ、商売あがったりだよ」
応接ソファを独占するセドリック越しに、フレッドとジョージは棚に補充する商品を杖で操る。それでもセドリックの悲嘆は変わらずに、彼は五回目の大きなため息を吐いた。
セドリックは毎週金曜日に、ダイアゴン横町の『ウィーズリー・ウィザード・ウィーズ』を訪れるよう、ダンブルドアから命令を受けていた。
『不死鳥の騎士団』としての任務とは関係の無い命令に首を傾げたものの、彼は渋々従っている。その実はオーシャンの誘拐で不安定な彼の精神を少しでも安定させるためだという事を、彼は知らない。
「君達だって、ウミの事が心配でたまらないだろう!?」
応接室と呼ぶには名ばかりの、店の上階のカーテンで区切られた空間で、セドリックは声を荒げる。
応接室と在庫室を兼ねたそこから出て行こうとしながら、フレッドは「めそめそしてるだけなら手伝えよ。こっちは猫の手も借りたいんだ」と猫背の彼を引っ張り出した。
店舗には学生も未就学児もが入り乱れていて、大変賑やかな様子だった。双子の商売は、どうやら繁盛しているらしい。
二人の店長は群がるアリを蹴散らす様に商品棚への品出しを進めながら、セドリックと話を続けた。
「ああ、俺たちだってオーシャンの事は心配だよ。しかし不思議だよな。時間が経てば経つほど、我らのお姫様なら大丈夫だって思うんだよな」
フレッドがニヤリとしながら言うと、ジョージも同じ顔をする。
「うん。とにかく、死んではいないだろ。――おい、それはこっちだ」
違う棚に補充しようとするセドリックから商品を奪い取るジョージの言葉に、声が裏返る。
「その根拠はどこから出てくるんだよ……!?」
手伝いなど必要の無かった速さで商品補充を終わらせた双子は、杖をくるくるっと回して肩を竦めた。
「ああ、悲しきかな、ディゴリーよ。これが五年の歳月を共にした『絆』とでもいうべきもの」
「呪いたくば、グリフィンドールに選ばれなかったお前自身を呪うがよい」
セドリックはむすりと口を噤んで、また応接スペースに下がろうとする。その時、店舗がにわかに騒がしくなった。
「どーしたガキンチョ共ー……」
階下を覗き込んだ双子の目に映ったのは、入り口を潜る怪しい影。
黒いフードに黒いマスク。黒い上着に黒いズボン。……魔法使いではない。その証拠に、子供達が伝説の存在を見るように目を輝かせていた。
「うおー! ゴザル!」
「ゴザルじゃねぇか! 久しぶりだなぁ!」
店の入り口で子供達に群がられてタジタジとしていた上野三郎は、既知の姿を認めて顔を明るくした。
「お……? うぉおおぉお、うーいずりの双子殿! 良かった、慣れない土地の一人旅、心細かったでござる!」
店長二人が階段を降りると、三郎は子供達の渦からひとっ飛びで逃げだし、二人の元へ下り立った。その忍者的身のこなしに店中が沸き立つ。「うおお、ニンジャ、ニンジャ、フォォオォ!」
双子と三郎の会話は互いに母国語であったが、言語の違いなど抜きにして彼らは輪になって再会を喜び合った。セドリックは蚊帳の外でその光景を見つめている。
「……ニンジャ?」
忍者と言えば日本。日本と言えば――。彼が連想する先には一人しかいない。
再会と忍びの体術の興奮から落ち着いた頃、双子が三郎に聞いた。
「――で、今日はどうした?」
「どうしてこんなところに?」
そう英語で聞かれたところで、翻訳機能を持たない三郎はその質問に答える事は出来なかった。代わりに彼は、何とかこちらの意図を分かって貰おうとする。完全なる日本語で。
「あー……実は某、海を探しに参ったのでござるが、慣れない英国の地にて情報の収集に苦労している所でござった。貴殿方は海の行方について、何かご承知であれば聞かせて貰いたいのでござるが……」
完璧な日本語に双子が困り顔を合わせていると、セドリックが上階から転がるように降りてきた。
「ウミ!? ウミの知り合いなのか!?」
ウミ、という単語に耳ざとく反応したらしい。その執念、双子ですら舌を巻く。
「あー、確か従兄弟とか言ってたか?」
ジョージが記憶を掘り起こす。彼と初めて会った時はクィディッチ・ワールドカップに世界中が沸いていたというのに、もう遠い昔の様だ。
セドリックは深く深呼吸をする。彼の接ぐ挙動を、店中が固唾をのんで見守っていた。
「あー……。ハジ、メ、マシテ。僕、ノ、name、Cedricデス」
どよ、店の空気が変わる。――この男、忍者と話をする気か?
「? ……お……? おー!! セドリックさんというのか! 初めまして。丁寧な日本語、感謝いたす! 某、上野三郎にござる! 以後、お見知りおきを」
早くも懐かしんでいた母国語に三郎は感動した様子で顔を明るくした。忍者特有の難解な言葉遣いに、セドリックは目を白黒させている。
「ご、ゴザル、……?」
「ノンノン。三郎にござる」
日本語会話で急に強気になって、三郎は得意げに指を振る。セドリックは、彼の名を理解して頷いた。
「ゴザル、え~と……ウミ、アイタイ?」
「イエス、イエス! 探しているでござる!」
任務の目的を前にして『ござる』と呼ばれている事には一切気付かず、三郎はセドリックの両手を取った。
セドリックも彼に熱意を伝える為、握られた手をぶんぶんと上下に振った。
「僕、モ、ウミ、アイタイ! 僕……アー……Fiancé!」
「ふぃあんせ……ふぃあんせ……何と!? 海にこんな立派な婚約者がいたとは!」
愕然とする三郎と興奮するセドリックを見ながら、『ウィーズリー・ウィザード・ウィーズ』の店長達は背筋に寒気を覚えていた。
「あ~あ、オーシャンが知ったら怒るぞ、これ」「違いねぇ」
*
「へぇえーーっぐじょっ!」
「だーーーーーーーっ!」
またもオーシャンのくしゃみが、ドロホフの顔面に炸裂していた。
ついに始まりました、謎のプリンス編!
今年はこれ以上お待たせする事なく更新できるよう、できる限り頑張りたいなと思います!
2024年もオーシャンの物語をよろしくお願いいたします!
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