英語ができない魔法使い   作:おべん・チャラー

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92話

「久しぶりじゃのう、トム」

 

「これはこれは、ダンブルドア先生もご健勝でなにより……」

 

 戦場に似つかわしくない挨拶の声が、オーシャンの耳を右から左へ流れていく。ダンブルドアの敵意の中にある、ほんの僅かな、何かを懐かしんでいる様な響きも、蛇面の男の嘲る態度も、彼女には全てがどうでもいい。

 

 ただ、セドリック・ディゴリーが蛇面の足下に、ボロぞうきんの様に転がっている。

 

 そして、そこに佇む男の手には、杖。

 

 鼓動が、早鐘を――。

 

 

 

「貫け、怒りの神槍!」

 

 撃った雷を杖で易々と弾いたヴォルデモートの懐目がけ、オーシャンは飛び出した。

 ハリーとネビルには、一陣の風が吹いた様にしか感じられなかった。ヴォルデモートは瞠目もせずに、全ての呪文を迎え撃つ。

 

「切り裂け、断罪せよ! 断罪せよ! 断罪せよ、断罪せよ断罪せよ!」

 

 目前でがむしゃらに放たれる斬撃を、闇の帝王の杖は全ていなし、弾き、叩き落とす。そして最後の一撃を、杖を弾き飛ばす強さで返した。しかし、その勢いをオーシャンは回転して殺す。

 

 彼女が振り返り様に再び杖を向けた時、藍の髪の間から覗いた怒りと憎しみに赤く染まる瞳を見て、ヴォルデモートは唇を歪めた。

 

「アバダ・ケダブラ!」

 

「消え失せろ! 滅却!」

 

 死の呪文と、日本術式の真なる禁呪――滅却呪文がぶつかり合う。二つの呪文は互いを食い合い、爆発を起こした。ヴォルデモートが興味深そうに呟く。「ほう……!」

 

 爆風に煽られて動きを止めた一瞬に、オーシャンの立ち位置はダンブルドア校長のそれと変えられていた。次なる一手を撃とうとしたとき、彼女の目の前にはハリーとネビル、そして横たわるセドリックがいた。

 

 ――余計な事を……!

 

 二人が呼ぶ自分の名も、自身の食いしばった歯の間から漏れる獣の様な吐息に紛れる。再び杖を構えて飛び出そうとした、その時。

 

「Stop!」

 

 後ろから伸びたゴツゴツとした男の腕が、オーシャンの体を羽交い締めにした。その力は強く、オーシャンは無我夢中に彼の腕の中でもがく。

 

 邪魔よ、アイツ、絶対に許さない、八つ裂きにしてやる。――そんなような事を言った様な気がするが、口から出るのは理性を捨てたうなり声ばかりだ。その声の隙間に、背後からも声が続いている。Stop、Wait、Umi……。

 

 夢見たはずのルーピン先生の腕の中にいながら、ダンブルドア校長と杖を交わす死喰い人の首領をただ、睨み付ける。視界が、熱く滲んでいく。喉を通るうなり声は、情けない慟哭に変わっていった。

 

「……あぁ……ぅあぁ……」

 

 オーシャンの体から力が抜けていくのを見て取り、ルーピンは彼女を抱き留める力を強めた。どうか、心は壊れない様に。

 

「……ごめんなさい、セド……。私のせいだわ……。あの時、油断していなければ……」

 

 彼女の後悔の言葉は、慣れ親しんだ言語でルーピンの耳に届いた。がくりと膝を突いた彼女から体をそっと放して、その肩を取る。

 

「大丈夫、死んではいない。『磔の呪文』に少しの時間晒されたんだ。彼がこうなったのは私のせいだよ。……すまない、ウミ」

 

 ルーピンが悔しさを滲ませたその言葉を聞いて、オーシャンの胸に一筋の希望が差し込んだ。

 

「……ぅ……生きてっ……い、いるの……?」

 ネビルと一緒にセドリックをみていたハリーが、顔を上げて、頷いた。横たわる彼の、胸を見る。僅かにだが、動いている。

 

「…………あぁっ……!」

 オーシャンは両の眼を押さえつける。安堵の涙は止めどなく彼女の袖を濡らした。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 ヴォルデモートの生み出した火球が、ダンブルドアを襲う。校長は杖を一振りし、噴水の水を操ってそれらをかき消した。続けてエントランス中の立像を動かし、その重厚な拳を闇の魔法使いに向かわせる。

 

「退け、ヴォルデモートよ。もうすぐ闇払い達が到着する。ここで魔法省を相手に戦うのも、お前の望むところではあるまい」

 

 ダンブルドアが語りかけると、ヴォルデモートは死の呪文で立像を粉砕した。

「さすが尊敬に値する魔法戦士様だ。その気遣い、痛み入る」

 

 しかし闇の帝王は言葉とは裏腹に、瓦礫を杖で操り自身の周りを衛星上にくるくると移動させる。空中で三つの直線に並べた瓦礫は蛇に変化して、らしからぬ動きでダンブルドアを襲った。

 

 ダンブルドアはマントを盾のようにして蛇の牙を防いで、複雑な杖の軌跡を描き、三匹の体を固結びにする。それを意に介さず、ヴォルデモートはまるで世間話をする様な調子で言った。

 

「しかし、手土産の一つも持って帰れぬなどと、我が同胞達を失望させたくは無い。――アクシオ!」

 

ダンブルドアが固結びにした蛇たちが、瓦礫に戻って音を立てて落ちる――その隙間を縫うようにヴォルデモートの杖が、ハリーのポケットに入っていた『予言』を『呼び寄せ』る。

 

「あっ!」

 

 ポケットの中から素早く飛び出した『予言』をハリーの指先が掠めた。ヴォルデモート目がけて飛んでいくガラス玉を、オーシャンが睨み付ける。

「――怒りの神槍!」

 

 ヴォルデモートの指先に『予言』が触れようとした刹那、迸った雷撃がそのガラス玉をいともたやすく貫いた。あっけない音を立てて、パリンと割れる。

 

「――! 小娘……!」

 中に閉じ込められていたモヤが立ち上り、ぼそりぼそりと消え入る様な声で、何事かを囁き始めた。

 

「吹き荒れろ、鎌鼬!」

 

 オーシャンが杖先を素早く回すと、モヤを巻き込む強い木枯らしが吹いた。びゅうびゅうと吹き荒れる風が、『予言』のモヤをかき消した。

 

 風が止んで、大音声でオーシャンが言い放つ。顔は戦いと涙のあとで薄汚れ、しかし目には再び戦意を宿して。

 

「私の仲間達に酷いことをしておいて、貴方だけ二度目の人生を思い通りにしようとするなんて、虫が良すぎて臍で茶を沸かしちゃうわ! 緊縛せよ、混沌の鎖!」

 

 床を突き破って現れた鎖が体に触れた瞬間、ヴォルデモートはそれらを再び蛇にしてニヤリと笑う。蛇は従順に拘束を解いて頭を垂れた。

 

「貴様こそ、俺様の『予言』を手にかけておいて生きて帰れると思うな……しかし、その才能をむざむざ摘み取るのも惜しい話……」

 

「ほう、お主にしては珍しい台詞じゃのう。……己以外の力量を認めるとは」

 

 そんな場合では無いのに、ダンブルドアが髭を扱いた。ヴォルデモートは杖を弄びながら続ける。

 

「『力』にはその性質に相応しい場所がある。……どうだ、小娘。『こちら』に立てば、俺様に逆らったその罪……不問としてやろう……」

 

「なにをっ……」

 

 ダンブルドアが杖を構え直し、ルーピンも懐から杖を取り出して、ヴォルデモートを睨み付けた。闇の魔法使いは一歩も動かず、その場からオーシャンに語りかける。

 

「そうすればこんな戦いに意味など無くなる。ポッター共は、温かいベッドの中で傷を癒やせるだろう」

 

 戦いのきっかけとなった『予言』は、最早無い。そしてオーシャンが断る事をよしとしないであろう条件をチラつかせる。見事な人心掌握術だ。

 

「それは……私が『そちら』に行けば、みんなをこれ以上傷つけない、という事でいいのかしら?」

「貴様がそう望むのであれば」

 

 オーシャンはボロボロの先生の背中を見て、それからハリーに、ネビルに、そして未だ気がつかないセドリックに視線を移す。

 

 自分が行けば、みんなの命は救われる。ここに残るのであれば、それは文字通り死ぬまで戦うという事かも知れない。

 後者を選べば、例えこの場を制したとしても、その時、みんなの命はあるのか……。

 

「ウミ、聞いてはいけない」背後で先生の声がする。それに同調するハリーの声も。

「そうだ、オーシャン。奴の言う事に本当の事なんて、あるもんか」

 

「悲しい事を言うな。ハリー・ポッターよ」

 ヴォルデモートが哀れな声を出した。

 

「俺様は嘘など吐かない。俺様が嘘を吐いているとしたら、お前の哀れな両親は生きているはずだろう?」

「――っ、このっ……!」

 

 彼を刺激する言葉をよく心得ている。杖を手に取り腰を浮かしかけたハリーの前にオーシャンは素早く回ると、安い挑発に乗る彼の頬を平手打ちで止める。

 

 乾いた音が静寂のホールに響き渡る一瞬、その言葉に歯を食いしばっていたもう一人と目が合った。

 

 ヴォルデモートはそれがまるで面白い見世物の様に笑っている。

 

 オーシャンはルーピンに背を向けて、ヴォルデモートを振り向いた。――私がみんなの命を守る。

 

「……わかったわ。絶対、もうこれ以上みんなを傷つけないと約束しなさい」

「それは貴様の態度次第だ」

「…………」

 

 分かっている。世界を席巻する闇の魔法使いが、口約束など律儀に守るはずが無い。

 しかしもう、友人達の傷つく姿をこれ以上見たくない。見たくは無いのだ。

 

 オーシャンが一歩を踏み出した時、部屋の四方にある暖炉が一斉に燃え上がった。増援かと足を止めて周りを見回す。それらは魔法省の役人達だった。彼らはエントランスの惨状に驚き、中心にいる闇の魔法使いを認めて青ざめ、暖炉からそれほど離れずに足を止めた。

 

 いけない。ダメだ。これ以上、犠牲が増える前に。

 

 オーシャンはうつむき、音高く歩を進める。ヴォルデモートの所まであと一歩となった時、後ろでセドリックの声が聞こえた。

「――……っ! ウミ……? どこへ――!?」

「セド……!?」

 

 思わず振り返る。ハリーとネビルに支えられて上半身を起こしたセドリックが、荒い呼吸をしながらこちらに手を伸ばしている。

「良かった……」

 

 温かいものが胸に広がる。凍りかけていた何かが一気に溶けようとしているような感覚に、目頭が熱くなる。こんな状況なのに、彼が生きてさえいれば、自分は絶対負けないのだ、と分かった。

 

 震える唇を引き締めたオーシャンは、しばしの別れを口にする。

 

「――お呼ばれしちゃったから、行ってくるわね。……みんなを、頼んだわよ」

 

「だめっ――ダメだ、行かないで……行っちゃダメだ! ウミ!!」

 

 片手を床について身を乗り出したセドリックが、懇願する様に腕を伸ばした。そんな事しても届かないのに……ばかね。

 

「別れの挨拶は済んだか?」

「……ええ」

 

 ヴォルデモートが訊き、オーシャンは頷いた。しばしの――もしかしたら永遠の別れとなる仲間達の姿を目に焼き付けようとを振り向いて、視界が闇に溶けていく。




滅却呪文があまりに強すぎるので補足を……


作中日本においての「アバダ・ケダブラ」です。あまりに残酷な呪文のため、作中日本では強く禁じられています。

古代からあった魔法ですが、近代の戦で使用された際、
杖の一振で村ごと土地ごと人ごと滅ぼせる呪文は、あまりに非人道的だとの国内外からの声があり、生物無生物問わず使用が禁止になりました

このような禁呪が存在する事を、作中日本の魔法教育では隠す事無く伝えており、杖の一振で故郷も家族も、時には命すら奪えてしまうその残酷さを語り継いでいます。

使用方法までは教えてないそうですが、オーシャンは呪術師である父の書斎で知ってしまったのでしょうか?

『じゃあこれ、ヴォル様消せるじゃん?』って話なんですが、
やはり術者の力量によって違いまして、
オーシャンにはヴォル様を消す程の魔法力は無いようです

(そもそも分霊箱があるので完全消滅は無理だと思いますが)

父上なら頑張れば半身くらい消せるかもしれません

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