鳥居の向こうから空間を裂いて、ルシウス・マルフォイが現れた。続いて、部屋の至る所で空間が同じように裂けて、他の死喰い人達が現れる。オーシャンは杖を構えた。「やっぱり、あれで死んでくれては無かったようね」
「ああ、その節はお世話になったね、お嬢さん」マルフォイは顎をしゃくって、オーシャンに侮蔑的な視線を向ける。
「特にあの聞いたことの無い呪文は、性質が我らの術にとてもよく似ているようだ……。哀れな黄色い猿にしては」
セドリックが杖を上げかけるが、背後に現れた死喰い人が彼の喉元に杖を突きつけて、動きを止めた。「おっと、やめておけ」
セドリックに杖を突きつけたまま、その死喰い人はゆっくりと顔だけを動かして、オーシャンを見た。
「我らの術を使えたところで、こんな『目くらまし』に引っかかる様では所詮子供よな」
「……一本取られたわ。つまり、どの扉を選んでもここに辿り着く様に小細工してあったってわけ?」
「なるほど、考える頭が無いわけではないらしい」
「……っ、セドを放しなさい!」
跳躍、回転して勢いのまま蹴りを繰り出す。しかしその脚は、そいつの右腕がたやすく止めた。
「!?」
「軽いな」
彼はニヤリと唇を歪めて嘲り笑うと、杖先をセドリックからオーシャンに移した。
「クルー――」「ダメだっ」
セドリックのタックルが呪文を阻み、死喰い人がたたらを踏んだ。「ぐっ!」
死喰い人から離れたセドリックが、危うく着地したオーシャンに駆け寄ると、そこに向かって女性の死喰い人が杖を向ける。しかし、放たれた閃光をオーシャンの鏡が跳ね返した。「鏡の呪法!」
女性は跳ね返った呪文に驚きはしたが、素早く避ける。応酬の後、ルシウス・マルフォイが飽き飽きした口調で、死喰い人達に言い渡した。
「もういい。邪魔者は消せ。ただし、予言を傷つけるな」
「っ……この子達に傷でも付けてごらんなさい! アンタ達一人残らず、消し炭にしてやるから!」
オーシャンが怒りにまかせて言った瞬間だった。この部屋に一つだけある扉が大きな音を立てて開き、先頭の人物がたった一言、口を開いた。
「同感だね」
「先生……!」
突然現れた『不死鳥の騎士団』のメンバー――リーマス・ルーピン、シリウス・ブラック、マッド-アイ・ムーディ、ニンファドーラ・トンクス、キングズリー・シャックルボルトの五人に向かって、死喰い人達は素早く散って、それぞれが攻撃を仕掛けた。しかし、トンクスの素早さがマルフォイのそれを凌駕する。
マッド-アイが死喰い人達の時を止め、キングズリーが誰よりも早く懐へ切り込んだ。駆けつけたブラックは息子と目線を交わした後、戦いへと身を投じる。ルーピンはオーシャンを見、優しく微笑んで肩に手を置いた。
「よく耐えたね、ウミ。君がいてくれて、助かった」
「…………!!」
息を飲む。全ての不安を溶かす様な、その微笑みに。心の底から欲しかった、その言葉に。喉の奥で詰まった言葉が、涙として溢れ出た。
凜とした横顔のルーピンが敵に向かっていくと、オーシャンは汚れた袖で乱暴に涙を拭った。次に上げた彼女の顔を見て、セドリックがホッとした様な声を出す。
「……君、なんだか、今、世界で一番強いんだって顔してる」
そのどこか嬉しそうな声色は、自分の気持ちを見透かされている様で、だけどそれに同じ気持ちを向けてくれている様で、恥ずかしくてくすぐったい。オーシャンは言葉を選ぶ事が出来ず、ただ「ふひひっ」と破顔した。
*
誰かの呪文が流れ弾の様にこちらに来て、それを避けて全員が散り散りになった。ブラックはネビルと一緒にいるハリーの加勢に行き、ジニーとルーナはトンクスの近くで杖を構えて、ロンとハーマイオニーはマッド-アイの補佐に回る。
死喰い人の唱えた呪文を、ルーピンの杖先が弾いた瞬間、セドリックが鋭く唱えた。「アグアメンディ!」
大きな水球に死喰い人が閉じ込められる。中の杖が薙がれる前に、オーシャンは水球の上から杖を突き立てる様に降りてきた。
「凍てつけ、白雪の舞い!」
一瞬のうちに水球が中身ごと凍り付く。中の人が一瞬見せた恐怖の顔は、すぐに曇って見えなくなった。
「腕を上げたね、ウミ、ッ――!」
飛んできた光線をまた弾いたルーピンが笑う。オーシャンは振り向かずに、次の獲物を定めながら答えた。
「そうよ。頼もしい助手もいるのっ!」
そう言って、敵に向かって大きく跳ねる。セドリックは助手と言う言葉に頭をボリボリ掻きながら、眉をしかめて後に続いた。
ルーピンは暴れ回る二人の生徒を見ながら、背後で徐々に溶け始めた氷塊を、杖の一振りでもう一度強固に凍らせた。
滞空時間にオーシャンが杖でピタリと狙ったのは、ハリーとネビルの二人を襲う、体格の良い死喰い人だった。二人が死喰い人の猛攻をなんとか防ぎきり、生まれた一瞬に口を開く。
「貫け、怒りの神槍!」
突然現れたオーシャンの杖先から迸った雷を防ぐ間もなく、死喰い人の体は黒焦げになって、どう、と倒れた。セドリックが傷ついた二人に駆け寄る。
「大丈夫か、ロングボトム? うわ、酷い顔だ」
その声に振り向くと、ネビルの顔が鼻血にまみれていた。オーシャンは流れ弾をいなして舌打ちをする。
「あっ……の馬鹿犬は何やってんのよ……戦場で保護対象から目を離すなんて!」
首をぐるりと巡らすと、ブラックは部屋の中心の鳥居のすぐ傍で、女性の死喰い人と杖を交えていた。激しく飛び交う火花は、他の何者も寄せ付けまいとしている様だ。二人が呪文の合間に激しい口調で言葉を交わすのが聞こえた。
「ちょっと見ない間にすっかり衰えたんじゃないか? え? ベラトリックスさんよ」
「お前の方こそ、穢れた血族共とのおままごとで、すっかり耄碌しちまったねえ、シリウス。この、ブラック家の恥さらしが!」
どうやら二人は旧知の仲であるらしいが、そんなことはどうでもいい。その時、ネビルが「だんぶるど!」と叫んだのが聞こえたが、オーシャンの意識は、女の死喰い人――ベラトリックスが続けて口にした、汚い罵り声にしか向かなかった。
「下賤な狼なんかとつるみやがって!」
その言葉が聞こえた刹那、女に向かってオーシャンは杖を振り下ろす。「切り裂け、断罪せよ!」
「!」
斬撃に気付き、ベラトリックスは踏み込もうとしていた足を引き戻す。しかし幾分遅く、斬撃は彼女の脚を切り離すまでは行かなかったものの、腿のあたりを大きく切り裂いた。ベラトリックスの目が怒りに見開かれて、呪いの主を見た。
「小娘、よくも……! アバダ・ケダブラ!」
「鏡――!」
唱えたが間に合わない。冷徹な緑の閃光が視界に広がり、瞬間呼吸が奪われる。強い衝撃に吹き飛んだ体が階段にぶつかり、体の背面から胸を苛んだ。
――藁人形があってもこんなに……!
死の呪文の苦しみによってオーシャンの体からくたりと力が抜けると、誰かのしわがれた指先がそっと額に触れた。誰かの悲痛な叫び声が、近づいてくる様なのにやけにぼんやりと遠く聞こえる。「ウミ! ダメだ、ウミ!」
その声は力の入らない体を震える手で掻き抱いた。「ああ……ダメだ、ダメだよ、ウミ……! 起きて……! 頼むよ、目を開けて……!」
大丈夫、私はまだ死んでないから……泣かないで……。ーー言葉にしたいが、息を吸うことさえままならない。
「貴様ァ……!」いつもオーシャンを助けて、優しさで包んでくれるはずのその声が、ありったけの憎悪に歪んだのを聞いて、オーシャンは意識を手放した。
*
「Cedrid! back!」
ダンブルドア校長の荒げた声が、意識を戻した。短い間、忘れていた息を吸う。
「――あっ……ぐぅっ……」
痛む体に悲鳴を上げながら身を起こすと、彼女の両脇にいたハリーとネビルが驚きとも悲鳴とも似つかない声を上げた。彼らが早口に英語で何かを問いかける。気絶していたからか、言葉の能力が遮断されているらしい。
「……自分で使ったのは初めてだったけど、死の呪文って……こんなに苦しいのね……」
オーシャンは言いながら、ポケットを裏返す。元は藁人形であった炭がパラパラとこぼれ落ちた。
霞む目で、周囲を見る。仲間達や不死鳥の騎士団はまだ戦っているが、数が足りない。
「セド……セドは?」
血相を変えてネビルの肩を揺さぶるオーシャンに、彼は乾いた鼻血の貼り付く顔で、困った顔をして何事かを言った。セドリックが、途中まで魔法で治療したその顔を見る。――そうね、落ち着かなきゃ。
オーシャンは手のひらに素早く『人』の字を三回書いて飲み込む。そして一つ、深く息を吐いた。
「……二人とも、心配をかけたわね。もう大丈夫よ。それより、先生とセドの姿が見えないわ……。あと、ダンブルドア校長の声が聞こえた気がしたのだけれど……」
先に答えたのはネビルだった。
「ダンブルドアは来たよ。ちょうど、君が呪文に撃たれた時だった。君が倒れてる所に駆け寄って、見たこと無い位怒ってた」
続いてハリー。「君が倒れたのを見て、ベラトリックスが逃げたんだ」
「逃げた?」
「君の呪文が効いてたみたいだったしね……僕達みんな、君が死んだと思った。セドリックは本当に怒っていて、逃げたベラトリックスを追って部屋を出たんだ。……君の目が覚める直前の事だよ。ダンブルドアとルーピンもセドリックを急いで追いかけていったんだ。僕達も早く行こう。取り返しがつかなくなる前に」
強い瞳で言ったハリーが、オーシャンの腕を自分の肩に回した。
「っ……ええ……!」
痛む体に鞭を打って、オーシャンが答える。ネビルもハリーに倣って、反対側から彼女を支えた。
二人に支えられてなんとか部屋を出る。回転壁の部屋に入った瞬間、ゴロゴロという音と共にまた円形の扉が回り出した。僅かに響いた震動が死にかけた体に触り、オーシャンは目を閉じて耐えた。やがて、壁はピタリと止まる。
「どの扉に進めばいいんだろう……?」
ネビルが発した言葉に目を開く。――しまった。痛みに気を取られて、進むべき扉の行方を見ていない。
ハリーが怒気をはらんだ口調で、誰とはなしに「次の扉は!?」と聞いた。それに応えた様に、右斜め前にあった扉がパッと開く。そこを抜けると、通路の先に数時間前に使ったエレベーターが見えた。動いている。
三人急ぎ足で隣のエレベーターに乗り込み『エントランス』のボタンを叩く様に押した。緩慢とも思える速度で降りていく内、ゴトゴトと鳴るエレベーターの動作音の隙間に、男性のもがき苦しむ様な悲鳴が聞こえた。
「セド! ――早く! 早く降りて!」
オーシャンは格子扉に取り付き、ガシャガシャと乱暴に動かした。ここまで取り乱しているオーシャンにハリーとネビルは驚いたが、逆に冷静を保てた。「落ち着いて」と彼女の腕を取る。
エレベーターがエントランスに着いた。もう悲鳴は聞こえない。だからこそ三人はその意味する所を想像して息を飲んだ。
想定する最悪の結果から目を背けて駆け足で進むと、噴水の近くに見えたのは、ダンブルドア校長の背中だった。
「校長先生……」ハリーがそう口にして、三人は足を前へ進めたが、ダンブルドア校長は振り返らずに、鋭く言い放った。
「止まれ! 来るでない、ハリー!」
ハリーとネビルが呪文にかかったように立ちすくみ、更に前に進もうとしたオーシャンは、支えを失って膝を折って倒れ込んだ。
そこから見えたのは、とても老人とは思えない、戦士の気迫に満ちたダンブルドアの後ろ姿。
彼に相対するのは、暗黒色を瞳に宿した、禍々しい蛇顔の魔法使い。そして、その足下には、探していた仲間が天を仰いで倒れていた。