7話
八月三十一日、オーシャン・ウェーン(本名・上野海)は、ダイアゴン横丁に降り立った。
「-はぁ、一人でここまで来たのなんて初めてだから、緊張しちゃったわ。…ありがとう、貴方達」
オーシャンが愛情込めて言って撫でたのは、真っ黒いからすだった。それも一羽だけではなく、途方もない数だ。
彼らは、オーシャンの移動手段の一つだった。彼ら一羽一羽にくくりつけられた麻紐の中心地には、粗末な木の板が結びつけられている。その板に腰かけて空中を旅するのは、日本では割りと一般的な移動方法だ。
しかしここはオーシャンの住み慣れた日本ではなく、彼女の憧れてやまない英国。そして、その中心のロンドンと魔法界を繋いでいるダイアゴン横丁には、今日も絶え間なく魔女や魔法使いが行き交う。道行く人達は、突然現れた謎の日本人と、彼女を乗せてきたからすの大群を、恐々見つめていた。
「ままー。からすー」「しっ、見ちゃいけません!」
そんな周囲の反応を一瞥して、オーシャンはペコリと頭を下げた。どうも、お騒がせしました。
オーシャンはからす達が上空へ帰っていくのを見届けると、まずはグリンゴッツ銀行へと足を向けた。
オーシャン・ウェーンは、ホグワーツ魔法魔術学校で魔法を勉強する魔女だ。そして生粋の日本人でもある。オーシャン・ウェーンというのは彼女自身が名付けた英名で、本名を上野海といった。
先学期、ホグワーツへの留学準備を済ませにダイアゴン横丁へ来た時は、日本の呪術師である父が一緒に来てくれて大変心強かった。しかし、今回からは甘えは許されず、一人旅である。
小鬼に招じ入れられた銀行の中で、同じ様な顔をした小鬼(大体、オーシャンに見分けはつけられないが。)とにらめっこしながら、日本の魔法紙幣を、こちらのガリオンやシックルに換える。魔法界非魔法界問わず、日本は数年前から不況と騒がれている。今年も、円安という洗礼がオーシャンを襲うのだった。
全ての紙幣を金貨銀貨に換えたオーシャンが銀行を後にしようと踵を返した所で、懐かしい二人の声がオーシャンに猛烈なラリアットを食らわせた。
「「オーシャン!久しぶり!」」
「げはっ!」
完全に不意打ちを食らったオーシャンは変な声を出して、双子の腕の中で締め上げられた。ウィーズリー夫人が二人を引き剥がしにかかる。「お前達、おやめっ!止めなさい!」
オーシャンが息を整えていると、ハリー・ポッターとロン・ウィーズリーが、「「久しぶり…」」と苦笑いしつつ控えめな挨拶をした。ロンの影から、彼女の妹らしき小さな影が、怖々とオーシャンを覗いている。
「ママ、前に言ったろ?こいつがオーシャン・ウェーンだ」フレッドが言った。
「面白い奴なんだ。言葉は通じてるのに、英語が話せないんだぜ」とジョージが言って、オーシャンは深呼吸をした後、ウィーズリー夫人に挨拶をした。
「初めまして、Mrs.ウィーズリー。フレッドとジョージの二人にはお世話になっております」
オーシャンの日本流の月並みな挨拶に、当の二人は「よせやい」「照れるぜ」と、鼻の頭を掻いた。
オーシャンだって、言えるなら「お世話したりお世話になったり」と言いたい。しかし純日本人の血が、初対面の人物にそれを言うのを拒むのだ。
言った所で、それがどうしたと思っている自分もどこかに確実にいるのだが、要するに「日本人の人付き合いの上でのジレンマ」である。言わぬが仏。秘すれば華。日本人って、面倒くさい。
「貴女がオーシャンね、初めまして。日本人と聞いていたけど、とても英語がお上手ね」
ウィーズリー夫人に言われて、オーシャンが、これは言葉を補う魔法効果だと言うことを説明しようとした。しかし、金庫を開けるために彼らを待っていた一人の小鬼が、奥の方で不機嫌な靴音を出したので、ウィーズリー一家とハリーはそちらに飛んで行かなければならなかった。
そこでウィーズリー一家と一旦別れた代わりに、非魔法族の父と母を連れて、ハーマイオニー・グレンジャーがやってきた。グレンジャー一家も、どうやら換金をしに来ていたらしい。
オーシャンは、一家の財布の紐を握っているであろう母と一緒に来ているハーマイオニーがちょっぴり羨ましかったが、他人を羨んでいても仕方がない。他所様がどうであろうと、オーシャンの初等科魔法生時代の遠足では、必ずおやつは三百縁(読みは、えん。日本の非魔法界の円と同等の価値)だったのだ。
グレンジャー一家と一緒にウィーズリー一家の帰りを待っていたオーシャンだったが、全員がヨロヨロと千鳥足で帰ってきたのには驚いた。地下の金庫はどれほど恐ろしい場所なのだろう。
ポケットに金貨銀貨を唸らせた後は、みんな別行動を取ることになった。一時間後に、フローリシュ・アンド・ブロッツ書店で落ち合う事に決まったので、オーシャンは新しい羽ペンを買いに行くらしいパーシー・ウィーズリーに着いていこうとした。
オーシャンは実は先学期、普段使いの羽ペンを無くした時に「破魔の札」を作る時用の毛筆で、何とか凌いでいた時期があったのだ。お陰で細筆の扱いは上手くなったのだが、後からノートが読み返せない箇所があり、やはり毛筆は、漢字を書くものだと悟ったのだった。
そんな訳でオーシャンはパーシーに着いていこうとしたのだが、当のパーシーは酷く狼狽えた様子で、オーシャンが着いていく事を頑として許可しないのだ。
そんな兄の様子を疑ったのが、双子の弟達だった。「おやおやぁ…?」「なぁんか、怪しいぞ、パース?」
パーシーが一瞬たじろいだが、それでも胸を張って突っぱねた。「…何がだ?」
双子は兄に疑惑の眼差しを向けつつ、オーシャンの手を取った。
「ふうん…。まぁ、いいや。オーシャン、羽ペンは俺達と見に行こうぜ。こっちにこいよ」
「あっちにリー・ジョーダンがいたんだ。みんなで見て回ろう」
抵抗の言葉も虚しく。オーシャンは、二人にズルズルと引きずられていったのだった。「嫌よ、絶対貴方達、普通の羽ペンを選ばせてくれないもの…」
「「夜の闇横丁」には入っては行けませんよ!」双子に厳しく言った母の声が、彼らに届いたとは思えなかった。
ホグワーツではその名も高いフレッドとジョージ・ウィーズリーの悪戯双子と、彼らの悪友のリー・ジョーダンが揃えば、ろくでもないばか騒ぎになるのがこの世の常だ。三人はやはり、「夜の闇横丁」に入ろうと言い出した。
「ねえ、貴方達のおば様は、入ってはいけない、と言ってらしたけど、何故入ってはいけないの?」オーシャンが聞くと、三人は順に答えた。
「そりゃ、やっぱり、闇の魔法使いがいるかもしれないからだろ」とフレッド。
「闇の魔法の商品が、うようよあるって話だし」とジョージ。
「あそこで迷子になったら、一生出られないて言ってた奴もいたな」とリーが言って、双子が「「大丈夫だろ、ハリーは出てこれたんだし」」と声を揃えた。
オーシャンは三人の話を聞いて、やれやれと肩を竦めた。
「そこまで知っているのに、何故入ってみようという気になるのよ。ただの肝試し的興味だとしたら、呆れちゃうわね」
「「「何だと」」」と三人の息が合った所で、オーシャンはフレッドの心臓のあたりを指差して言った。
「いい?興味本意で闇の世界に足を踏み入れた貴方達は、突然背後から呪文をかけられても文句言えないけど、それでもいいの?」
三人はオーシャンの言葉を噛み締めて青ざめた。するとオーシャンが、「でも、」とニッコリして言った。「仕方ないから、悪戯専門店にだったらご一緒してあげる」
三人が悪戯専門店で「ドクター・フィリバスターの長々花火―火なしで火がつくヒヤヒヤ花火―」を大量に買っているのを眺めながら、オーシャンは羽ペンの事を思い出した。すると、買い物を終えた双子がオーシャンに羽ペンを差し出した。
「「羽ペン、欲しかったんだろ?これ、やるよ」」
「フレッド…ジョージ…」
双子の言葉にオーシャンは感動したが、それでもここは悪戯専門店だ。
「…今ここで買った奴でしょ?」
双子が「「ばれたか!」」と笑うと、彼らが持っている羽ペンが消えた。まさしく、「消える羽ペン」だ。
オーシャンは見えない羽ペンを受け取った。「折角の頂き物だから、ありがたく使わせていただくわ」
そろそろフローリシュ・アンド・ブロッツ書店に行く時間だと、オーシャンが双子に告げると、双子はリーも一緒に行くだろ?と彼を誘った。しかし悪友から帰ってきたのは、歯切れの悪い返事だった。
「アー…いや、俺は教科書はもう揃えたから、これで退散するよ」
そう言うや否やリーが早足で出ていった訳を、三人は実際に書店に到着して知ったのだった。フローリシュ・アンド・ブロッツ書店の中は、黒い人だかり(主に妙齢の魔女)でごった返しており、上階の窓に貼られた横断幕には、「サイン会 ギルデロイ・ロックハート 自伝―私はマジックだ―」と書かれていた。
「「なんだこりゃ?」」フレッドとジョージがあんぐりと言って、オーシャンは横断幕に書かれている本のタイトルがダサいなあ、と思った。
三人は「近づきたくないなあ」と言いつつ、学校指定の教科書を数冊引っつかみ、魔女達の並んでいる列の順序を守って並んだ。会計とサイン会場が隣り合わせているので仕方がない。
列は緩慢とした早さで流れていき、双子は何か二人でヒソヒソと話し込み、オーシャンは双子の後ろで今日の晩御飯の事を考えていた。暇になったらとりあえず夕食の事に思考を巡らすのは、日本人得意の一種の逃避であると言える。
すると上階から、オーシャン達がいる所までザワザワというさざめきが伝播してきたので、オーシャンは意識を現実に戻した。サイン会場を見ると、ハリーがロックハートに肩を組まれ、ツーショット写真を強要され、ロックハートの著書全巻という重たくもありがた迷惑な荷物を受け取らされていた。
ハリーに著書全巻を渡す直前、ロックハートは、ホグワーツの「闇の魔術に対する防衛術」の担当教授職を引き受けたと、声高らかに発表した。
民衆がワッと歓声を上げて拍手し、赤毛の双子は「マジかよ!」「あいつから教わる事なんて、あるのか!?」と悲鳴を上げ、オーシャンはただ、ふーん、と言った。ひと月近く日本に帰っていたので、それが喜ばしい事なのか、悲しむべき事なのかも分からなかった。
ハリーは、受け取った本の重みでよろめいている。
「有名人も大変だな」フレッドがその光景を眺めてニヤリと笑い、ジョージは「見ろよ、ハリーの顔。これ全部古本屋で売れば、俺達の教科書代が浮く上にお釣りがくるぞ、って顔してるぞ」と、ハリーの顔を指差した。
オーシャンがジョージの後頭部をつついた。「私の可愛い後輩がそんな悪どいことを考える訳がないでしょう。冗談はよしこさんにしてちょうだい」
「冗談は…何だって?」「よしこさんって誰?」と双子から口々に聞かれ、オーシャンの顔が赤くなった。父の口癖が移ってしまったからだ。
もしオーシャンが自分の頭で考えてちゃんと英語を話せていたら、こういった現象は起こるはずもない。つまり、魔法効果で相手に言葉を伝えているが故の事故であった。
というか、何故言葉通りに伝わってしまったのか、オーシャンも謎だが。
その後やっとサイン会の(というより会計の)順番が三人組に回ってきて、ロックハートは「君達もホグワーツの生徒かい?」と聞いた。
「ええ、まあ」と答えながら、オーシャンはロックハートの胡散臭い笑顔に「ああ、この人は面倒くさいタイプだ…」と悟った。しかしそれは、こちらも笑顔の裏に仕舞う事にする。
するとフレッドの分のサインを書いていたロックハートが、手を止めてオーシャンを見た。「なんと!君は日本人かい!?海を越えて遙々学びに来ているなんて、感心な生徒がいたとは!―え~と…コニチワ」
ロックハートが使えもしない日本語で自分に挨拶しているという事実が、オーシャンは無性に癪に障った。
「…こんにちは、ロックハート先生。私、日本人なので、サインは「漢字で」お願いしますね」
オーシャンが無理難題を新任の先生に押し付けると、彼のけばけばしい羽ペンの先が、すごい音を立てて折れたのだった。
ぶるぶると震えながらスペアのペンを構えたロックハートを、オーシャンがにこにこしながら見ている。その状況を楽しみながら、フレッドとジョージはオーシャンが怒った(っぽい)所を、初めて目撃して震えている。すると、階下で騒ぎが起きた。
オーシャン、フレッド、ジョージの三人が何事かと階下を見ると、ウィーズリー氏とドラコ・マルフォイの父親が取っ組み合っていた。
「やっつけろ、パパ!」騒動の発端を見てもいないのに、双子のどちらかが無責任な発言をした。オーシャンは、杖を取り出し、二人の父親目掛けてそれを振った。一瞬で二人が引き剥がされる。
「理由はどうあれ、大の大人が私達の前で、見苦しい見世物になろうとしないでくださいな」とオーシャンが上階から二人に言うと、会場はまたもや拍手に包まれた。
マルフォイ親子は憎たらしい目で日本人を一瞥し、店を出ていった。
ウィーズリー夫人が夫にカンカンに怒り、あらかたお説教を終えると、一家とハリーは「漏れ鍋」の暖炉から煙突飛行粉で帰路に着く事をオーシャンは聞いた。
ハーマイオニーは両親と非魔法族の世界に戻るらしい。
「お前は?」とフレッドに聞かれ、オーシャンは、ここからそう遠くない魔法族の村に、宿をとってあるので大丈夫だと答えた。
「一人で帰れる?大丈夫なの?」と心配するウィーズリー夫人に、オーシャンはにっこりした。
「ありがとうございます。からすを呼ぶので、大丈夫です」
からす…?とみんなが首を傾げていると、オーシャンはおもむろに指を口にくわえて、空に向かって音高く口笛を吹いた。次第に空から、ぎゃあぎゃあとからすの群れの鳴き声が聞こえてきて、こちらに近づいてくる。ついには目の前に降り立ったそれに、両家の夫人が悲鳴を上げた。
彼女達の恐々としている様子などものともしないで、オーシャンは群れの中心に設えた粗末な木の板に腰掛けた。
「一日お世話になりました」と、オーシャンはそれぞれの両親に頭を下げて、仲間達に「じゃあ、明日。ホグワーツ特急でね」と声をかけて、そのままからす達と共に空へ舞い上がってしまった。
みんなが小さくなっていくオーシャンの後ろ姿を呆然と見つめた。ハーマイオニーが呟いた。「日本って神秘の国ね…」
ジョージが、唖然としている母親をつついて言った。「ママ、言っただろ。オーシャンって面白いんだって」
オーシャンとロックハート先生はなかなか絡ませ甲斐がありそうです…(笑)
賢者の石編の最終話から、評価が鰻登りな様子で何故か怖くなっているヘタレです(笑)
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秘密の部屋編にもお付き合いいただければ幸いです。