英語ができない魔法使い   作:おべん・チャラー

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78話

「……ありがとう、ハーマイオニー。もう大丈夫よ……」

『聖マンゴ魔法疾患障害病院』の入り口となる寂れたショーウインドウを通り抜けて、オーシャンは自分を支えるハーマイオニーに言った。

 

 長かった……本当に長かった……。魔法で拡張されていたとはいえ、車の後部座席で偶然ルーピンの隣に押し込まれたオーシャンは、緊張でどうにかなりそうだった。

 道路は混雑せず、スムーズに目的地に到着したはずだったが、オーシャンにとって、車内は永遠に続く甘酸っぱい拷問の様であった。

 

 

 

 

 

 

 ウィーズリー家と、ハリー、ハーマイオニー、オーシャンは、マッド-アイ・ムーディとルーピンを護衛に、『聖マンゴ魔法疾患障害病院』に入院するウィーズリー氏の見舞いに来ていた。

 

 ウィーズリーの一家とハリーは、氏が入院した日に一度見舞っている。ホグワーツから駆けつけたハーマイオニーとオーシャンは、今日が初めてのお見舞いという訳だ。

 

 慣れた調子で歩みを進めるウィーズリー夫人についていくと、大部屋の窓際で、なかなか快適そうな様子のウィーズリー氏を見つけた。

「やあ、みんな。来てくれたんだね。メリークリスマス。ハーマイオニーとオーシャンもよく来たね。ありがとう」

 

 新聞を片手にあっけらかんとした様子の氏に、オーシャンは拍子抜けする。てっきり命の危機を脱したとはいえ、人前に出るのも憚られる状態だと思っていた。

 

「思いのほか、元気そうな顔をしていてよかったわ……もっと酷いのを想像していたから……」

「ははは、包帯男になってるとでも思ったかい?」

 

 安堵したオーシャンの言葉におじさんは笑って、おばさんは「あなた、お加減はいかがです?」とベッド脇の椅子に腰掛けた。

 

 そのまま和やかな時間が続くかと思われたが、会話の途中でウィーズリーおじさんが口を滑らせ、、非魔法族の医療技術である『縫合』を実験してみた、と言ったものだから、伴侶の雷が落ちてしまった。

 

 怪しい雲行きを察知したルーピン、ビルを見習って子供達が部屋を出て行くと、彼らの後ろ姿を雷の残滓が追いかけて来る。

「あなた一体どういうおつもりですかっ!?」

 

 フレッドとジョージが、命からがら、という風におどけてみせた。

「ふぅ~、おっかない、おっかない」

「親父も馬鹿だよな。黙っときゃいいものを」

 

 しばらく小言は続くだろうし、何か飲みに行こうぜ、とジョージが言った。オーシャンは未だ室内に残るルーピンに、後ろ髪引かれる思いである。

 

 ルーピンは別のベッドでウィーズリー家を羨ましそうに見ていた孤独な狼男と、和やかな様子で話し込んでいた。同胞を元気づけようとする彼の横顔に、オーシャンの胸がきゅんと痛む。

 

「行きましょう。喫茶室は六階よ」

 ハーマイオニーがそう言って、歩き始めた。ハリー、ロン、ジニーもそれについていき、尚もその場に足を留めているオーシャンを、フレッドとジョージが腕を引っ張り、背中を押して歩く。

 

 ハリーが「ここは確か、五階だったから、もう一階上だ」と階段を上ろうとした時、ふいに足を止めた。

 みんなが不思議に思って彼の見ている方角を見ると、そこにあるドアに嵌まっている窓ガラスに、見知った顔が鼻を押しつけてこちらを覗いている。

 

 「まあ!」とハーマイオニーはあんぐりと口を開け、フレッドとジョージ、オーシャンの三人は苦虫を口の中ですりつぶした様な顔をした。

「ロックハート先生!」

 

 ハーマイオニーの声で、数々の良くない思い出がオーシャンの脳裏を駆け抜けていく。サイン会、写真、ぺしゃんこの腕、何の役にも立たないロックハート劇場。

 

 ロックハートがドアを押し開けてこちらに来ると、開口一番、「では、サインは何枚必要かね?」と言った。オーシャンが手のひらをスッと前に出して応じる。「いえ、私達、とても急いでますので」

 

「一ダースはいるでしょう? お友達にも配るのに必要だもの。ちょっと待ってて……」

 こちらの話を聞かない所など、相変わらず質が悪い。しかし、コイツが記憶を無くした夜には、ここまで自己主張が激しくなかった様な気がするが。

 

 その時、一人の優しそうな『治癒師』が彼を見つけて声をかけた。

「ギルデロイ、こんな所にいたの? 探したのよ」

 

 ロックハートはその治癒師を振り返り、物心つかない子供が母親にする様な笑顔を見せた。「サインをしてたんだ!」

 

 ハリーやオーシャンの姿を認めると、治癒師は嬉しそうな表情を見せた。

「まぁまぁまぁ! あなたにお客さんなの!? しかもクリスマスの日に! よかったわね、ギルデロイ」

 

 そうしてハリー達を向いて、「ありがとう、どうぞゆっくりしていって。今この子の部屋でお茶を淹れますね」と言った。

「でも、私達――」

「この子は二、三年前までとても有名だったのよ。でも誰もお見舞いに来なくって……可哀想で……」

 

 オーシャンがしようとした反論は、治癒師の潤んだ瞳に消えていく。その純粋な優しさと厚意に、反対を言い出せる勇気のある者はいなかった。

「……じゃあ、少しだけ……」

 

 

 

 ロックハート達の住む病棟にハリー達を案内しながら、治癒師はここは『隔離病棟』だと説明した。彼らの通ってきたドアには、他の病棟とこの病棟を隔てる鍵が備え付けられていた。

 

「この子が危険だというわけじゃあないんですよ! 記憶が戻りかけているとはいえ、訳も分からずに病院内をふらついて迷子になられたりでもしたら大変なの」

 

「彼の記憶は戻りかけているの?」

 

「ええ。癒者達はみんな、サインをしたがるのはその兆しではないかと考えているわ」

 オーシャンの質問に、治癒師はにっこりと人の良さそうな笑顔を浮かべた。ハーマイオニー以外の皆が、ちょっと嫌そうな顔を浮かべた。

 

「そうそう、クリスマスプレゼントを配らないとね。ギルデロイ、みんなとお話してるのよ」

 あまり上等ではなさそうなお茶を客人に配り終えた治癒師は、そう言って病室を出て行った。

 

 当のギルデロイは彼女の言葉に返事をせずに、ベッド傍の小机で夢中になってサインを書き始めた。羽根ペンがぎこちない動きで、文字を覚えたての子供の様なそれを書き連ねていく。

 

 壁にベタベタと貼られている、ギルデロイの胡散臭くない笑顔の写真がおなじみの白い歯を見せていて、オーシャンは少し気分が悪くなった。

 

 先ほどの治癒師が戻ってきて、患者達の名前を呼んで一人ひとりに声をかけながら、それぞれの家族や友人から届いたクリスマスプレゼントを配り始めた。その様子を見ていたオーシャンは、ふいにギルデロイから声をかけられて振り向いた。

 

「君にもサインを書いてあげる!」

 ギルデロイの、キラキラとした瞳がこちらを見ている。……どうしよう。今の彼に罪は無いというのに、ああ、とても気分が悪い。

 

「……ありがとう。私、日本人だから、サインは『漢字で』お願いするわね」

 

 こんな言葉を、いつかにも言った様な気がする。その言葉を聞いたギルデロイの目は見開き、手がぶるぶると震えだし、額には脂汗が浮かび、走らせていたペン先が凄い音を立てて折れた。

 限界まで見開かれていた瞳は、折れたペン先を見て眼球が零れ落ちそうなまでになる。

 

「――あ、ああ……ああ……ああああ!! 頭が、頭が痛い!! 怖い……怖いよう!!」

 

 突然のギルデロイの豹変ぶりにみんながびっくりして、目を丸くしている。治癒師が、患者達のクリスマスプレゼントの乗ったカートをかなぐり捨てて駆けつけた。

 

「ギルデロイ、どうしたの!? 頭が痛むの!?」

 

 患者の容態の急変にハリー達に出したお茶もひっくり返す勢いで、治癒師はベッドの上で頭を抱え込むギルデロイの肩を抱く。ギルデロイは苦しそうな声を上げる。

 

「頭が……頭が痛いよう。割れちゃうよ。――怖い……怖いよ……あの子、怖いよ……ママぁ、ママぁ!!」

 

 混乱しながらもギルデロイが指さしたオーシャンをキッと睨んだ治癒師は「出て行って下さい! さあ早く!」と彼女を追い出そうとする。

 

 ギルデロイは「痛い、痛い……怖い、怖い……」と丸くなってぶるぶる震えている。治癒師は金切り声で彼を落ち着かせようとしながら、「出て行きなさい!」とオーシャンを怒鳴りつける。彼女一人を出て行かせるはずもなく、ハリーやウィーズリーの兄弟達も腰を浮かせた。

 

 治癒師に責め立てられて病室を出ようとした一行だが、あまりの騒がしさに入り口近くのベッドを区切るカーテンがそっと開かれて、そこからよく見た顔が覗いた。

 

「ネビル?」

 ハリーが彼と目が合って名前を呼ぶと、ネビル・ロングボトムはビクリと肩を震わせた。

 

「ネビルや、どうしたのです」

 言って彼の後ろから姿を現した老女は、ハリーの姿を認めてネビルに「お友達かえ?」と聞いた。

 

 治癒師はまだ厳しい視線を向けていたが、患者家族と客人との会話を邪魔しようとする様子は無い。

 しかし治癒師の刺す様な視線がいたたまれず、足を止めたハリー達を見るオーシャンの背中をフレッドとジョージが押し出して、三人は病室を後にした。

 

「ふぅ、もう少しで殺される所だったぜ……。オーシャン、お前もうちょっと危機感持てよな」

「あれはいつ呪文が飛んできてもおかしくなかったな」

 病室に背を向けて、やれやれといった調子の双子の言葉を聞かず、オーシャンは病室を振り返って言った。

 

「……何で、ロングボトムがいたのかしら? 誰かのお見舞い?」

「さぁな。さて、今度こそ何か飲みに行こうぜ」

 

 フレッドの言葉に、オーシャンは少し迷いを見せたが、頭を切り替えて首肯する。「そうね、おじさま達もまだ終わっていないでしょうし」

 そしてギルデロイ・ロックハートの泣き声をBGMに、三人は喫茶室に向けて歩き出した。 

 

 


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