オーシャンはアンジェリーナに連れ添って、グリフィンドールチームの再編成の為にアンブリッジを訪れていた。アンブリッジはいつも通りのわざとらしい咳払いをして、申請書類を受け取った。
「エヘン、エヘン――あー、グリフィンドールクィディッチチームの再編成ね……。わかりました、少し考える時間をちょうだい」
申し訳程度の情報しか記載していない申請用紙から顔を上げたアンブリッジが猫なで声で言うと、アンジェリーナが声を上げた。「は――え!? でも、先生……スリザリンのチームにはすぐに許可をくれたって……」
予想外の返答に、アンジェリーナの返事が一拍遅れる。その間も、アンブリッジは嘘くさい笑顔を崩さない。
「ええ……スリザリンには優秀な選手が揃っていますからね。その才能を阻害する事は、私の本意じゃありません」
「グリフィンドールにだって、優秀な選手しかいません!」
「ええ、それを見極める時間が欲しいだけよ」
意地の悪いガマガエルの様な笑顔に、アンジェリーナの堪忍袋の尾が切れそうになっているのを、オーシャンは感じ取った。次にアンブリッジの視線が、隣にいるオーシャンに移ったのを見計らって、彼女はまだ僅かに痕を残している手の甲の傷を隠す。――I must not go against.私は逆らってはいけない。
少しうつむき加減に、アンブリッジの様子を盗み見る様にした所で、もじもじと視線を外せば、効果は絶大だった。アンブリッジは醜い笑顔をますます深くする。
「それで、ウエノは? わたくしに言いたいことでもあるのかしら? それとも、お友達の付き添いに?」
かかった。
「私……あの――いえ、ただの付き添いです」
その短い返答をしながら、できうる限り目を泳がせて、自信を砕かれた姿をアピールする。胸の上で右手の甲をぎゅうと握れば、アンブリッジはますます機嫌を良くした。
「そうね、ウエノもすっかり反省している様だし、許可を出すまでにそんなに長い時間はかからないかもしれないわ。……もういいわよ、次の授業に遅れたら困るでしょうから」
アンブリッジの部屋から出て、二人はしばらく無言で歩いた。変身術の教室に近くなって、ようやくアンジェリーナの口を突いて出たのは、笑い声だった。
「あははは……。オーシャンにあんな演技の才能があるなんて、知らなかった! 本当に貴女って、毎日違う魅力を見せてくれるわね」
「私の母様、実は日本の歌姫だったの。歌姫っていうのは、ステージに立てば歌う女優だって、母様はよく言っていたわ」
日本魔法界のスターであった美空の教えだ。ステージに上がればプロの世界。その時の気分がどんなに辛く悲しいものであっても、とびっきり嘘の笑顔と歌声で客を幸せな気分にする。あるいは悲しい曲で、勇ましい曲で。人の心をそれと操るのが歌姫の『魔法』だ。
「アンブリッジの部屋があなたの初ステージなんて、どうかしてる」そう言ってアンジェリーナは、目尻に浮かんだ涙を指で拭った。
『グリフィンドールチームの再編成の申請に行くのに、付き合ってくれない? そして分が悪そうだったら、ちょっと“魔法”を使って欲しいの』なんて提案したのはアンジェリーナのくせに、よくもここまで気持ちよく笑ってくれるものだ。二人で呵々と笑い合って、授業へ向かう。悪戯双子の気持ちが、ちょっとだけ分かった。
「どうしたの?」
昼食後の中庭での事だ。オーシャンが声を掛けたのは、いつものように固まっている仲良し三人組――というよりふてくされた空気を体全体から醸しているハリーだった。
「……なんでもないよ」
そう彼は力なく答えたが、なんでもなくない事は見え見えだ。……まあ、言いたくないのなら言わなくてもいいが。そうしてハーマイオニーの隣に腰を下ろすと、その彼女がこちらを向いた。
「オーシャン、ちょうどいいところに来てくれたわ。ちょっと、相談事があるの」
そしてオーシャンは、彼らの『魔法史』のクラスでヘドウィグが手紙を届けに来た事と、その美しい白い羽根が、見るも無惨に折られていた事を聞いたのだった。
「熊にでも襲われたのかしら?」
顎に手を当てて考え込んだオーシャンだったが、ハリーがそれを否定する。
「ヘドウィグが今まで手紙を運んでいる時に怪我をした事なんて、一度も無かった」
今までに無かった事が起きた。そして今年のホグワーツの情勢を考えると、答えはすぐに出る。手紙の検閲を始めたとは聞いていないが、まあ、あちらからすると知らせる必要も無いのだろう。
「手癖の悪い誰かさんが手紙を狙っていたのは間違いないわね。開封の形跡はあるの?」
「ないわ。けれど、一度外して読まれていたとしても、魔法で元通りに戻すのはそう難しい事じゃないと思うわ」
ハーマイオニーが答える。オーシャンは憎々しげに舌打ちをした。証拠を残さない手口は、役人というより立派な犯罪者だ。
オーシャンは再び考え込んだ。何故手紙の検閲をする必要があった? ハリーの弱みでも握ろうとした? それならば、スリザリンに嬉々として話す奴がいるだろう。いや、あるいはそれより確かな、身を破滅させるくらいの弱みを握りたかったのかもしれない。
「……それで、誰からの手紙だったの?」
「スナッフルズだよ」
「砂……なんですって?」
ロンの返答した聞き慣れない言葉を、聞き返す。ロンは目を泳がせて言葉を探したが、結局オーシャンが一番分かりやすい言葉を選んだ。
「あー……君んとこの犬」
「ああ」
そんな砂糖をまぶしたお菓子の様な可愛らしいのが、今の異名だったか。それはともかく、ヘドウィグが襲われた理由はこれで分かった。手紙の『相手』に用事があったのだ。よし、もう忘れた。砂……なんだっけ。
「返信にはなんと?」
オーシャンが聞くと、ハリーが素早く口にする。今夜同じ時間、同じ場所。
とどのつまりは、ハリーはどうにかしてあの馬鹿犬と話がしたい。けれど手紙を見られて、時刻と場所を知られた恐れがある、という事か。
そして今夜のその時間、ハリー達が無事に話を出来るようにすれば、問題は無い訳だ。
同じ場所とは談話室らしい。前回の時には、煙突飛行ネットワークを使ったそうだ。随分無茶な真似をする。寮の中でだって誰が見ているか分かったものではないし、あちらは指名手配中の分際で、無防備な背中をさらしてまで息子との逢瀬を楽しんだわけだ。
時間はともかく、煙突飛行ネットワークを使ったという事実さえ分かっていれば、現行犯を押さえる事は難しくないであろう。相手は魔法省の役人だ。ネットワークの監視なんて朝飯前なのだろう。
更にオーシャンはどうすればハリーの望みをかなえられるか、思案した。せっかく戻ったアンジェリーナとの関係をぶち壊す様な、危ない橋は渡りたくない。けれど、あの女が可愛い後輩と『飼い犬』に害をなそうとしているのを、指をくわえて見ているつもりは無かった。
「考えましょう。何かいい方法がきっとあるはず。……あの女はハリーをマークしている。それは何故?」
「魔法省にとって危険人物たり得るから」
ハーマイオニーの返答に、ハリーがしかめっ面になる。
「ハリー、そんな顔をしても、事実は事実よ。……では、どうすればそのマークを外す事が出来るか。――簡単よ。ハリーより危険人物がいると思い込ませるの」
「どこに?」
ロンの質問に、オーシャンが怪しげな笑みで答える。「ここによ」
「でも……そんなの無理だよ。あいつがそう簡単に諦める訳ない」
ハリーは首を振った。確かにあの粘着婆が、そんなに簡単に『ハリー・ポッター』を諦めるはずはない。
「ええ、そうね。でも、自分の命より忠誠を誓った城の方が大事なんて人、今時そんなにいないと思うわ」
怪しい微笑みを見せるオーシャンの言葉の意味がいまいち分からずに、ハリーとロンは首を傾げる。そんな二人をからかうように、オーシャンは囁いた。
「こちらの魔法教育で、人体の急所はいくつあるか習うのかしら。もちろん、私は知ってるけど」
不穏な空気を孕んできたオーシャンの言葉に後輩三人が物も言えなくなっていると、死食い人もびっくりな暗黒色の微笑みで、彼女は続ける。
「落ち合うのは今夜なんでしょう? 時間が無いわ。少々品に欠けるけれど、アンブリッジに馬鹿犬を捕まえるより重要な、そして直接的な危機が迫っていると思わせなくては」
つまり、オーシャンが直接、かつ派手に『アンブリッジの命を狙う』事で、彼女の意識をそちらに向かせるのだという。万が一アンブリッジが「命をかけてもブラックを捕まえる」という熱血漢であれば話は別だろうが、彼女のここまでの言動を見ている限り、それは違うだろう、とオーシャンは断言した。
「でも、そんな危ない事、君にして欲しくない」ハリーは本気で、なんとかオーシャンに思いとどまって貰おうとしている。「ましてや相手はアンブリッジとはいえ、人の命を狙うなんて、そんな……あいつと同じ事を……!」
『あいつ』とはヴォルデモートの事だろう。オーシャンは鼻で笑い飛ばす。
「私とあのきかん坊を、一緒にしないで貰いたいわ。私とあいつの一番の違いを教えてあげましょうか?」
「英語ができないこと?」
「いいえ。『忍術』よ。毎年の夏の特訓の成果が出て、いよいよ私の『魔法忍術』の腕前は大輪の華を咲かせているわ。……そうね、あいつだったら、確かにアンブリッジを殺す事は訳も無いわ。でも私の様に、『殺すと見せかけて殺さない』事は出来ないはず。標的の生殺与奪の権を握るのは、忍術教育で初めて教わる事よ」
そうは言っても、ハリー達にはオーシャンが本当にアンブリッジを暗殺しようとしているのではないか、という不安がどうしても拭えなかった。
3月中の更新に僅かに間に合わなかったけど、31日の深夜だからセーフって誰か言ってくれ