柘榴は花恋 -近頃、私、愛したい-   作:純鶏

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7話 心拍

 太陽は沈み、夕焼け色であった空は夜の暗い色の空へと変わっていた。月の光は空を少し照らし、電柱の外灯の光は、道路や電柱の周りの物を照らしている。完全に外は夜の景色となり、霞ヶ丘町の外を歩く人もあまり見えなくなっていた。

 

 宇垣の部屋の中も、1つしかない電灯の光が明るく照らしていた。そんな宇垣の部屋の中で、相田はヒマそうにベッドに腰をかけて携帯電話の画面を見つめている。

 

 相田は携帯電話で、自身が大好きな女優の宮越 菜月の画像を探していた。関係ありそうなワードを入力して、色々な画像を検索したり、モバイルサイトに掲載されている画像を次々と見たりしながら、気に入った画像を携帯電話の中に保存していく。

 その途中で、部屋の扉の方から誰かが近づいている足音が聞こえ、その音は段々と大きくなっていく。

 

「政、ごめん。扉をあけてくれない?」

「お、わかった」

 

 宇垣の声を聞いて相田はベッドから立ち上がり、扉のドアノブを回してはゆっくり押していく。両手に飲み物の入ったグラスを持ちながら、宇垣は扉にぶつからない位置で待っていた。

 

「ありがとう」

「おう、こちらこそ」

 

 宇垣は相田にお礼を言って、グラスを目の前にいる相田に手渡す。

 グラスをもらった相田は、首を傾げながら不思議そうにグラスを見つめる。手渡されたグラスと宇垣の持っているグラスとを見比べ、疑問を抱き始めていた。

 宇垣のグラスには小さい氷が2つ入っているのに対し、相田のグラスにはどう見ても3倍の量の氷が入っていた。そのせいか、グラスの中の飲み物の色合いも違っているように見える。

 

「ん? なんか、氷の数が多くね?」

「さっき言ったでしょ。冷たい方が好きだろうから、たくさん氷入れるって。喜ぶかなと思ってちゃんとたくさん入れておいたよ」

「いや、冷たいのが好きなのは違いないけどさ。多すぎるだろ、これ。明らかに氷がグラスからはみ出てるんだけど」

「飲み物が長く冷える。氷を当てた唇も冷える。氷を口に含めば、口の中も冷やせる。そして、一気飲み過ぎない。なんて素晴らしい配慮じゃないか。一石四鳥だろ?」

「ほとんどが嫌がらせの配慮になってんじゃねーか! 単に中身が冷たいだけで、飲み物の量が少しか入ってないうえに時間が経てば味が薄くなるし、そのうえ普通に飲み辛いっていう三石一鳥になってるだろ!」

 

 相田は宇垣の言葉に対してツッコミを入れながら、氷を落とさないように慎重にグラスを持ってベッドに腰かける。

 しかし、宇垣がそうなるようにしたからか。氷は上手い具合に氷同士でくっついていて、グラスの中はびっしりと氷で占領している。積み立てられた氷はグラスからはみ出ても、決して床に落ちることはないようにくっついていた。

 

 そんなグラスを持っている相田を見ながら、宇垣はイスに座って笑みを浮かべている。明らかに、イタズラをして笑っている少年のような表情であった。

 

「まぁ、とりあえず飲みなよ。味は保証するからさ。なにせ、特別にブレンドしておいたからね」

「ブレンド?」

 

 宇垣の言葉を聞いて、相田は顔を近づけてはグラスの中をより注視する。すると、グラスから空気の音が聞こえ、グラスの中は小さい空気の泡が発生していた。

 

「え、めっちゃシュワシュワしてるんだが」

「だって、サイダー割りしたからね」

「え、マジかよ!?」

「政、好きでしょ? 炭酸ジュースとかよく飲むからさ。喜ぶと思ってウーロン茶にサイダー入れといたんだ」

「喜ぶどころか、悲しくなってくるよ。どんだけ嫌がらせしたいんだよおまえ」

 

 色々と宇垣に言いたげな表情を浮かべる相田ではあったが、キリがないと思ったのか、ため息をついていた。

 そんな相田の様子を見て満足した宇垣は、自身が持っているウーロン茶を飲んで、口を開いた。

 

「まぁ、本音はウーロン茶をあげたくなかったってだけなんだけどね」

「……だろうと思ったよ。完全にウーロン茶の量が少しだもんな」

 

 それでも、喉が渇いていた相田は仕方無くグラスに入った飲み物を口に入れる。氷が多いせいで唇どころか鼻まで冷やされるのを我慢しながら、頑張って口の中に飲み物を入れていく。そして、苦しそうに顔を歪めながら、なんとか口に入った飲み物を飲み込むと、ゲップを吐きながらグラスを床に置いた。

 

「うぷっ……これは、すごいな。うっ……」

「うまい?」

「いや、すごく不味い。吐きそうになった」

「え、嘘でしょ? 炭酸入れても美味しいはずなんだけど」

「サイダー入れたのがダメなんじゃね? 甘いのが余計にダメだわ」

「そっか。じゃあ次の機会には、もっと良いブレンド考えておくよ」

「もうブレンドはいいから。普通にウーロン茶を出してくれ……ううっ」

 

 気持ち悪そうにそう言った相田は、口を手で抑えて下を向く。しばらく堪えると、立ち上がり扉の方へと向かう。

 立ち上がって歩いて行こうとする相田を見て、宇垣は相田に尋ねる。

 

「どこ行くの?」

「……決まってんだろ」

 

 相田は決心する。気持ち悪そうな顔で、ジュースの不味さを心に刻みこもうとする。

 これからウーロン茶とサイダーは絶対に混ぜないこと。そして絶対に宇垣にウーロン茶はやらないこと。この2つを心に決めよう。そう頭の中で決心した相田は、気持ち悪さを感じつつ部屋のドアノブに手をかけた。

 

「トイレだよ!」

 

 相田はそれだけを告げて、2階にあるトイレに急いで直行していった。

 

 その後、トイレの中で相田の気持ち悪そうなうめき声を上げていたことは、言うまでもなかった。

 

 

 

    ×     ×     ×     ×

 

 

 

「……っくぅ~。うめぇ!!」

 

 数分ほどトイレにこもってから部屋に戻った相田は今、別のジュースをグラスに入れて飲んでいた。

 相田は至福の表情を浮かべ、さっきあったことを忘れようとしている。そんな彼を、宇垣はつまらなさそうに見つめる。

 

「気分はどう?」

「最高かな。やっぱり、レモンソーダは格別だよ。メロンじゃなくて、レモンを入れるというセンスがすごいわ」

「……美味しかったと思うんだけどなぁ」

 

 不満そうに、ぼそぼそと小さい声で宇垣は呟く。

 相田のグラスに残っていた飲み物を、さきほど宇垣は洗面台に捨てに行った。その際に宇垣は、別のグラスに相田が飲んだ飲み物を入れ、少し飲んでみていた。その味が、相田が言うほど不味くないと宇垣は思ってしまう。そう思ってしまっただけに、納得いかない気持ちが顔に出ていた。

 

「まぁ、そんなことはどうでもいいや。それよりも政、今日は何か用があるんじゃないの?」

「え? な、なんでだ?」

 

 宇垣はベッドの上に置いてある置き時計を見て、相田にそう言った。時刻は19時40分。外は真っ暗になり、完全に夜の風景へと変わっている。今日という1日はもう4分の1の時間も残されていない。

 

 そろそろ、相田がここにきた理由を聞かなくては。そう思った宇垣は、今までの話題を変えて単刀直入に相田に問いかける。

 その問いかけを聞いて、相田の表情は少し緊張したものに変わっていく。焦りを感じた声で、宇垣が問いかけてきた理由を尋ねる。

 

「だって今日、政から自分に電話があったでしょ? きっと何かあったんじゃないのかなって。そう思ったから」

「それは……」

 

 相田は元々、椎名に告白したことを宇垣に話そうとして会いに来ていた。しかし、宇垣にその話題について急に振られ、少し動揺してしまう。

 相田自身、本当はきっかけを見て話そうと思っていた。だが、宇垣に聞かれたことで、相田は本題であった告白のことを話す心づもりが出来ていなかった。それだけにしばらく言い淀んでしまう。

 そんな相田を宇垣は見つめながら、相田が落ち着いて話をしてくれるまで待ち続ける。

 

「……実は今日、椎名さんに告白してしまったんだ」

「……そっか。それで彼女は何て答えたんだい?」

「それがさ。何も言わず、逃げてしまったんだ」

「何も、言わずに……か」

 

 宇垣は何かを察したように、腕を組んでうつむく。何故そうしたのか、分からなくもないといった表情を浮かべ、すぐに相田に視線を戻すと、相田はそのまま話を続けた。

 

「俺、どうしたらいいのか……まさか、逃げられるなんて思ってなくて」

「でも、何も言わなかったのなら、まだ希望はあるじゃないか」

「いいや、俺には希望があるように思えない。明らかに、困った顔してたから」

 

 悲観染みた表情を浮かべ、相田は学校での出来事を思いだしながら語っていく。

 椎名の表情、声や言葉、逃げていく姿。相田は思い出せば思い出すほど、希望が持てなくなっていった。

 

「やっぱり、驚いたんだと思うよ。それに、椎名さんは何も言わずに逃げたんじゃなくて、きっと何も言えなくなったから逃げたんじゃないかな」

「それは……いや、そうかもしれないか」

「でも、結局は椎名さんが決めることだから。彼女からの答えが来るのを待つしかないね」

「答えを待つ? 待つって、そんなの涼平を選ぶに決まってんだろ!?」

 

 相田は声を荒げて、宇垣に自分の本音を言った。

 そう、きっと椎名さんが選ぶのは涼平だ。相田はそう思っていた。心の中で椎名が自分の告白を断り、涼平を選ぶに違いないと感じていた。

 それだけに、相田は宇垣に対してつい本音を漏らしてしまう。

 

「そんなの分からないじゃないか。自分は告白を断ったんだ。もしかしたら、彼女が心変わりするかもしれない」

「そうかもしれない。けど、やっぱり無理だ。きっと、涼平を選ぶ……絶対、そうだ。なんで俺、あんなこと言っちゃったんだろ」

 

 相田は、学校で椎名が言った言葉を直に聞いた。告白を断られた今でも、宇垣のことを想っている椎名の姿を見た。だからこそ、そんな椎名に対して相田は希望が持つことができない。

 宇垣の言うような、椎名が相田に心変わりをしてくれるようなことはないと。椎名が相田を選ぶことは絶対に無理なことであると。相田はそう諦め始めていた。

 

 宇垣は、相田が椎名のことを想っていたのは知っていた。むしろ、相田が椎名に告白することを望んでいたと言っても過言ではない。そんな心境で宇垣は今まで過ごしていた。

 だからこそ、宇垣は告白したことを悪く言うつもりもなかった。相田が告白をしたことで、宇垣に対して何かしらの感情を抱いてしまうのも仕方ないと。宇垣は心の中で思っていた。

 

 だが、宇垣は相田の言葉に眉を寄せて険しい表情を露わにする。

 

「え、なに? じゃあ、政は諦めるの? 椎名さんのことは、諦められるの?」

「それは……」

 

 相田は告白したことを後悔していた。告白をしなければよかったと、そういう意味で取れる言葉を宇垣の前で口にした。

 だからこそ、宇垣は苛立ちを抱いてしまう。宇垣自身にとっては、相田が告白したことを後悔して欲しくはなかった。それも、宇垣のせいで告白が上手くいかなかったような。そんな相田の物言いに、宇垣が静かに我慢して黙っていられるわけがなかった。

 

 宇垣は悲観的になっている相田に対して、返答を待たずに目の前の相田に怒るように言葉を続けていく。

 

「さっきから政は告白しなければ良かったみたいに言ってるけど、何? 何なの?」

「……ごめん」

「待って。自分はべつに謝ってほしいわけじゃなくてさ。何で椎名さんに告白したのかを知りたいんだよ」

「何で告白したのかは、特に理由はない。その場の勢いで……つい熱くなってしまって」

 

 相田の返答を聞いて、宇垣は少し考え込む。

 感情にまかせて怒っているだけでは、政の本心が見えない。それに、政自身の本当の気持ちをここで答えてくれないと困る。宇垣はそう考え、真剣な面向きで相田に問いかけていく。

 

「じゃあ政は椎名さんに告白したことで、彼女に対する想いは薄っぺらなものだったって。本当は好きじゃなかったんだって。そのことに気づいたってこと? 好きだって想いは、一時の感情だったってことなの?」

 

 宇垣の問いかけを聞いて、相田は我に返る。真剣な目で見つめている宇垣の視線から目を逸らし、目を閉じて考える。自分自身の本当の気持ちはどうなのか。自分はどうしたいと思っていたのか。真面目に、自分の本心に向き合おうとする。

 相田が椎名に対して感じて抱いてきたもの。それは決して偽物でないこと。好きな人がいても、揺らいで消えるようなものではないこと。それ以上に、椎名のことを想えば想うほど強くなること。

 

 笑ってほしい。一緒にいたい。楽しいことをしたい。力になりたい。守りたい。愛したい。

 偽物でも、薄っぺらなものでも、一時のものでもない。決して、中途半端な気持ちで好きでいたわけじゃない。

 好きだから告白した。本当に好きだったから、告白してしまったんだ。本気で好きでいたから、告白することを止められなかったんだ。

 相田は自分の中の本心と向き合ったことで考えがまとまり、椎名に対する想いが固まっていく。目を開き、強い眼差しで宇垣に視線を向ける。

 

「……いいや、一時の感情なんかじゃない。椎名さんのことは、ずっと見てきた。今でもずっと好きだ。今日だって、もっと好きになりたいと思った。これからもずっと一緒にいたいと思ったさ」

「なら、答えは出てるじゃないか。悩む必要はないだろ? 椎名さんだって、政の想いに気付いているはずだよ。きっと、応えてくれるはずさ」

「そんなの……そんな都合のいいことが、あるわけないだろ! だって椎名さんは、今でも涼平のことが好きなんだ。フラレても、きっとまだ諦めていないんだ。だから、涼平が…………っ!」

 

 そこで相田は言い淀んでしまう。その先を言うことを、相田は止めてしまう。

 相田の中で、それを言ってはいけないという言葉が脳裏によぎる。自分が宇垣に言おうとしている言葉は、自分の気持ちを裏切ることになると。自分のことだけを想えば、それは言うべき言葉ではないと。そう感じれば感じるほど、先ほど固まった本心と決意が相田自身を邪魔していく。

 

「だから、何? 政は自分にどうしろっていうの?」

「そんなの……分かってるだろ!」

 

 相田の中の本心が揺らぐ。その揺らいだ本心を断ち切って、心の迷いを無くして、相田は決断した。

 相田が宇垣に会いにきた理由。相田が宇垣に対して抱いていた心残り。椎名に告白して、宇垣と会って、相田が宇垣に言うべきか。心の奥底で悩んで、迷っていたこと。

 

「涼平が、椎名さんの気持ちに応えてあげればいい」

 

 それは、椎名を想っての言葉。椎名を想っているからこその言葉で、相田にとってとても辛い言葉であった。相田は苦しそうに、辛そうに、その言葉を口にして宇垣に伝えた。

 でも、相田は後悔していない。椎名と話して、宇垣に対する強い想いを知った。宇垣に会って、数少ない友人であることを再認識した。そして、宇垣が人を愛せない理由も知った。だからこそ、宇垣に言うべきであると。相田は心に決めて言った。

 

「……無理だ。それは、絶対にしない」

「無理じゃない。いや、涼平は無理だって決めつけてるだけだ!」

「そうじゃない、本当にダメなんだ。さっきも言っただろ。誰かを愛することは自分には出来ないんだ」

「なんでだよ? 殺してしまうからか? そんな理由、やっぱりおかしい。本気なら、本気で頑張れば大丈夫なはずだろ!?」

 

 相田が今まで信じてきたもの。それは、本気で頑張れば、何だってできること。

 本気になれば、諦めなければ、いつか願いは叶う。本気に誰かを想って頑張れば、いつか奇跡が起こる。諦めない限り、絶対に無理ということにはならない。相田はそう信じてきた。そうあるべきだと、そうあってほしいと相田は強く感じている。それだけに、本気になって自分の想いを宇垣に訴えかけていく。

 

「本気さ。本気だからこそ、自分には出来ないんだ」

「なら、本気で他の方法を探せばいい。さっきだって殺さないための方法をやっていたじゃないか。本気であれば、何だってできるんだから。きっと、椎名さんを殺さずに愛する方法だってあるはずなんだ!」

「……っ! 簡単に、言うなよ」

 

 宇垣は小さな声でボソッと呟く。怪訝そうな顔で、綺麗事を並べ立てる相田を睨み、怒りを露わにしていく。

 本気になったり、諦めなかったり、頑張り続けること。相田の言うことが間違いではないことは宇垣も知っている。

 しかし、それを実行することが容易ではないこと。本気で、諦めず、ずっと頑張っていくことの困難さを、宇垣は過去に痛感してきている。

 

「本気になれば……それが出来るなら……こんなに我慢しなくて済むんだ! 本当は諦めたくないし、こんなに辛い想いをしなくてすむんだよ!!」

「涼平……もしかして」

「ああ。君が彼女を好きになる前から、好きだった。本当は好きで、愛おしくて愛したいと私は思ってる。彼女に対する想いをぶつけたいよ!」

 

 学習机のそばでイスに座りながら、宇垣はまっすぐに相田を見つめ、真剣そうな雰囲気で言った。

 そんな宇垣を見て、相田はベッドに腰かけたまま驚きの表情を隠せないでいる。今までの宇垣の行動や言動を考慮すれば、そこまで明確な好意を椎名に対して持っているとは思えなかったからだ。

 しかし、相田が宇垣の本心に気付かないのも仕方がない。宇垣はそれだけはバレないようにと、今まで隠してきた。相田にだけは自分の本当の気持ちや願いを気付かれてはいけないと思っていた。

 

 人間という生き物は言葉にして言うことは簡単でも、それを実行することが困難だったり、不可能だったりすることはたくさんある。いくら頑張ったところで、諦めなければならない状況にまで到達した人間はたくさんいる。

 宇垣も、葛藤し、苦悩し、色々なものに抗ってきて、諦めてきた人間の一人であった。だからこそ、自分とは違い、何も知らない相田に対して、我慢出来なかった。相田に自分のことを言うんだと思ったからこそ、宇垣が自分の中で抱えていたものを、あえて相田に強く吐露していた。

 

「それなら、なんでだよっ! なんで椎名さんの気持ちに応えなかったんだ!!」

「出来るわけないだろ! 昔、自分は愛したかった豊条先輩を傷つけた! どれだけ本気で耐えようとも、どれだけ殺したいっていう欲求を抑えても、傷をつけてしまった。彼女を愛したことで、取り返しのつかないことになってしまったんだよ!!」

「そんな……昔、いったい何があったんだ」

 

 相田は知らなかった。宇垣が過去に何があったのかを。宇垣がどういった経緯で今まで過ごして来たのかを。宇垣が恋愛という病に伝染し、殺意と向き合ってきたのかを。詳しいことは、何も知らないでいた。

 だから、相田は何があったのかを聞いた。宇垣の言う取り返しのつかないこととは何なのかを。宇垣が何故、本気で頑張ることを諦めてしまったのかを。相田は今、それを知りたいと思って尋ねていた。

 

「……中学の頃だよ。1年生だった自分は部活の先輩である豊条月菜先輩と海に行った。その時に、豊条先輩に対して恋に焦がれた。先輩と過ごして、自分は焦がされてしまったんだ。それで、いつの間にか先輩に夢中になっていた。先輩を愛したいって、そう思ったんだよ」

 

 宇垣が過去に海に行ったのは、豊条という同じ部活の女性の先輩に誘われていったその時が最後。それ以来、宇垣は海に行っていない。

 その時に宇垣は、豊条先輩の水着姿を見ていて一目惚れした。豊条先輩と一緒に過ごし、豊条先輩の姿を見つめれば見つめるほど、恋焦がれてしまっていた。豊条先輩に夢中になったから、日焼け対策を忘れ、宇垣はひどく日焼けしてしまっていた。

 皮膚は太陽の日差しに、心は豊条先輩に対しての恋の病に、宇垣は焦がされた。それが、宇垣の抱えている恋愛感情の起源であり、トラウマのきっかけであった。

 

「でも、その頃からだった。先輩を愛したいって感じるのと同時に、先輩を殺したいって欲求が出てきたのは。好きになればなるほど、愛したくなればなるほど、傷つけたくなった。殺したくなったんだ」

「なんで、そんな急に」

「そんなの、先輩に恋したからとしか言えないよ」

 

 宇垣は熱くなっていた感情を冷まし、少し落ち着きを払った声で話していく。

 海に行って、宇垣は恋を知った。恋というものが何なのか。どういったもので、どのように心を苦しめるのか。宇垣は、思い知らされた。

 しかし、宇垣は今までに恋愛をしたことがなかった。自分の中に抱えたものが恋愛であると気付いた時、世間で見知った恋愛は偽物で、偶像の産物であると知った。自分自身が抱いている恋愛こそが本物であると思い込んでしまっただけに、恋愛というものがどれほど辛く、恐ろしいものであったかを身に染みて覚えてしまう。

 

 宇垣はマンガやドラマに出てくる恋愛はフィクションであり、自分の抱えた恋愛はノンフィクションであることを持論に生きてきた。だからこそ、相田のように恋愛もののドラマや作品は見なくなり、恋愛というものを詳しく知ろうとはしなくなっていった。

 

「それで、ある日。自分は放課後の学校で、豊条先輩を傷つけてしまった。血を流して、自分がつけてしまった傷の痛みを堪える先輩を見て、思い知らされたんだ。愛する人を絶対に傷つけまいとどれだけ本気で思っていても、愛してしまえば傷つけるって。愛さない以外に、愛したい人を殺さない方法はないんだって。そう、理解してしまったんだよ」

「そんな……そんなのって……」

 

 悟ったように語る宇垣を見て、相田は胸が苦しくなっていく。

 なぜなら相田は、愛したい人を愛せないという、そんな理不尽なことは現実にあってほしくないと感じていた。さらに、苦しんできたであろう宇垣に、自分自身がどうもしてやれないことに、相田は悔しくもあり、悲しさを抱いてしまっていた。

 

「その後、豊条先輩は引っ越してしまったんだ。自分が原因で、目の前からいなくなった。だから、自分はみんなの言う“恋愛”が理解できない。理解したいと思わないし、理解出来たとしても、違和感があって信じられない。それに、恋愛をしたいと思うことさえ、自分はできないんだ」

「…………じゃあ」

 

 相田は、思い詰めたように項を垂れたまま、重たそうに口を開いた。

 本気になれば。諦めなければ。別の方法を探せば。そんな言葉を言ったところで、宇垣はもうどうしようもないところまできているのだと。相田は、宇垣の言葉を聞いて気づかされた。

 それでも、相田は宇垣に聞かずにはいられなかった。宇垣が椎名に対してどうするのか。これだけは聞かないといけないと思って、宇垣に最後の確認をする。

 

「じゃあ、椎名さんは諦めるっていうのかよ」

「……そうだね」

「好きなのに。本当に、諦めるしか」

「うん。今日までそのつもりだったよ」

「……えっ?」

 

 相田は、違和感のようなものを感じ取って、瞬間的に頭を上げる。

 宇垣の声の調子が、雰囲気が、露わにしていた感情が、何もかも変わった。

 感傷に浸っていた雰囲気は消え、決定したことを語るような。淡々と、やや早めの口調で、決めてしまったことを伝えていくような。そんな雰囲気で宇垣は相田に話していく。

 

「本当は諦めるしかなかった。だから、椎名のことは避けたし、嫌いになってもらおうとした。素っ気なくして、好きになってしまわないようにした。だけどあの日。自分は政とケンカして、止まらなくなったんだよ」

「な、なにが?」

「愛したいっていう感情、だよ。あの日から自分が学校を休んだのも、何もかもを抑えるためだった。必死に自分の感情を抑えようと、今日まで気が狂いそうになるほど字文を書いてた。書いた字文を粉々にして、破いた。何度も何度も、欲求の熱を冷ましたんだ」

 

 やや笑みを浮かべながら、すらすらと語っていく宇垣。

 相田は、宇垣が何を思っているのか分からない。何を考えて、何を思って、言葉を口に出しているのか。さっきとは変わって、宇垣の心の底が見えない。

 

「だけど、やっぱりダメだ。どれだけ紙に字文を書いても、それを粉々にしようとも、消えない。書いた字文は捨てられても、自分の想いは捨てられない。やっぱり、諦められない。もう、殺さずに愛することも、本気で好きな人の想いに応えることも出来ないって、気づいたんだ。だから、自分はね」

 

 空気が張りつめる。宇垣の雰囲気に相田は飲まれる。

 相田はその場で固まりながら、相田の言葉をただ聞き続けていく。

 

 そんな相田を見ながら、宇垣は優しそうに言葉を言った。

 

「椎名を殺すことにしたんだ」

「なっ! なんでだっ!?」

 

 相田は立ち上がった。立ち上がって、イスに座っている宇垣を見下ろす。目を見開いて、驚きの表情で、宇垣に対してどういうことなのかを聞く。

 しかし、明らかに焦燥感を抱いている相田を、宇垣は相変わらず優し気な表情を浮かべたままで見ている。何も心が動じていない様子で、相田を見て微笑んでいた。

 

「政が椎名を本気で愛するのなら、自分はきっと諦められる。けれど、もし政が諦めるっていうなら、本気で彼女を愛さないのなら、きっと自分は椎名を殺し、愛したいと思う」

「そ、そんなの。涼平、嘘だろ?」

「自分は本気だよ。本気で愛して、本気で傷つけて、愛して殺す。そして、きっと本気で殺して愛する。だから、政。椎名のことが好きっていうのなら、本気で愛せる?」

「うっ……」

 

 宇垣が、優しい雰囲気で残酷な言葉を平然と言い放っている。そんな宇垣に対して、相田は背筋が凍る感覚を知る。

 戸惑いも葛藤も何も無い。感情の込められていない言葉。しないという選択肢は微塵もなく、むしろ、そうなることが必然のことであるかのような。まるで、それはとっくに決定されていることのように感じられる。

 そんな雰囲気が伝わってくる宇垣の言葉が、相田の心臓を握り締めるように恐怖がまとわりついていく。

 

「本当に……本気で椎名を好きになって、本気で彼女を愛する覚悟が、政にはある?」

 

 宇垣は微笑みながら、相田に問いかけた。重く、黒く、まるで底のない闇に引っぱられるような言葉が、宇垣の口から相田に向かって放たれた。

 宇垣の問いかけが、相田の心の中を埋めて、脳裏に焼き付いていく。そのせいか、相田はその場から動けなくなり、硬直する。動揺と迷いと恐怖が入り混じり、思考が働いていない。

 

 そして、段々と周りが見えなくなっていく感覚に相田は陥っていく。すると、玄関のインターホンの音が家の中に鳴り響いて聞こえる。誰かが、宇垣の家に訪ねてきたのだ。

 1階の方で誰かが歩いて行く音が聞こえると、宇垣は安堵したように笑う。何もかも分かっていて、思い通りになっていることに喜んでいるような感じで、不気味に口を開いていく。

 

「ふふふっ、どうやら、思ってたよりも早く来てしまったようだね。でも、間にあってよかったよ」

「ま……さか」

「その、まさか。さ」

 

 しばらくして、階段の方に歩いてくる音が段々と大きくなって聞こえてくる。しばらく階段を上がる音が聞こえると、宇垣の親戚の子どもである、倉田 哲治の声が宇垣の部屋の中まで響いてくる。

 

「ねねぇ、お兄ちゃん! お客さんだよー。なんか、女の人だよー」

「っ!!」

 

 相田は、瞬間的に自分のカバンを持って走った。思考がままならない状態で、とてつもない焦燥感によって相田は無意識に動いてしまう。

 相田は宇垣部屋を出て、階段を下りながら哲治を無視し、玄関の方へと走って向かう。ひたすら本能的に、心の赴くまま、全速力で走っていく。

 

「あ、あれ? なんで、宇垣くんの家に」

「椎名さん! 来てくれ!!」

 

 驚いた表情を浮かべている椎名に対し、相田は椎名の手を引いて玄関を出ていく。

 戸惑いながらも、椎名は抵抗することなく相田に走っていった。それだけ、相田は真剣で本気であった。逃げなきゃならない状況なのだと。椎名は相田の様子と言葉を聞いて、そう肌で感じた。

 

「え、なに? どうしたの?」

「いいから、はやく!!」

 

 椎名は今がどういった状況なのか。何が起こっているのか分からず、相田に問いかける。

 しかし、相田は話そうとせず、ひたすら走っていく。向かう先は考えず、ただ一目散に椎名を連れて走っていく。

 

 しばらくして、相田の足取りは遅くなっていき、椎名の手を取りながらゆっくりと歩いていく。だいぶ走ったせいか、相田は段々と落ち着いてきて、周りが見え始めていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 相田と椎名が今いる場所は、霞ヶ丘公園の敷地内。自転車置き場の近くで、屋根付きのベンチと電灯がそばにある場所で、相田と椎名は息を切らして立っていた。

 

「ちょっと相田くん! どうしたのよ!?」

「あ、ごめん」

 

 椎名は呆然と立ち尽くしていた相田に痺れを切らし、握られた手を振り払う。

 理由も聞かされず、このまま近くの霞ヶ丘公園まで走らされたことに、椎名は少し憤りを感じながらも相田に対して理由を尋ねる。

 

「まず聞かせて。なんで? なんで相田くんが宇垣くんの家にいたの?」

「それは…………」

 

 相田は迷った。椎名の質問を聞いて、迷わずにはいられなかった。

 何を話せばいいのだろう。何から話せばいいのだろう。話せることは限られている。何を椎名さんに話すべきなのか。そう思いながら、相田は必死に考える。考えて、選択肢を見つけていく。

 だがいくら考えても、最善の答えは見つからない。本気で考えても、相田は苦渋の選択をしなければならないことに絶望する。

 

 

 宇垣のこと。椎名のこと。相田のこと。

 誰のことを想って、誰の想いを裏切るか。

 選択をすることはいつだって残酷で、選ばなきゃいけない選択肢も、また残酷である。

 

 相田に迫られた選択は、2つ。

 椎名に真実を教えて守るべきか、椎名に嘘をついて守るべきか。

 

 本当に選ぶべきことは何なのか。

 他の人なら、どのような選択をするのか。

 

 それは、相田は知ることも分かることもない。

 全て、相田自身が考え、選ぶこと。

 だからこそ、相田にとって未来を分けるほどの、重大な選択することになる。

 

 

 相田は悩んだ末、真剣な面向きで椎名を見て、選択を1つにする。

 その答えとは……

 


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