柘榴は花恋 -近頃、私、愛したい-   作:純鶏

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2章 選択、私、ひとつへ
5話 切迫


 霞ヶ丘高校から自転車で15分ほどしたところに、最近になって新しく出来た公園があった。

 やや田舎なのもあって、霞ヶ丘町に住む子ども達やお年寄りたちは外に出る機会が多い。特に、親子で外に遊びに行く家族も多く、また母親同士で子どもを連れて出歩く親子もたくさんいた。そのためか、遊びやすいように広い敷地と様々な遊具のある大きな公園が、霞ヶ丘町の中に出来たのだ。

 

 そんな霞ヶ丘公園の中で、相田はブランコに座っていた。悩まし気に、ぼーっとブランコを足で揺らしている。ブランコに乗っていると言うよりは座っていると言う方が正しいように。ただ、呆然とした様子で座っていた。

 するとそばに、6歳くらいの少年が怪訝の悪そうな表情を露わにしてやってくる。

 

「ねぇ、ちょっと!」

「ん?」

「そろそろ貸してよ!」

「ああ、ごめんごめん」

 

 6歳くらいの少年は、苛立った様子で相田の目の前に立って言い放つ。なぜなら、相田がブランコを譲ってくれるのをずっと待っていたからだ。

 公園自体には、ブランコは4つほどある。だが、座っているだけに等しい相田に、少年は我慢できないでいた。

 

「ったく。良い歳こいて、ブランコなんかすんじゃねーよ」

「………そうだな」

 

 相田より年下である少年に嫌味を言われたが、相田は気にしない様子でブランコを譲る。そして、カバンを持っては遊具から少し離れたベンチに向かって歩いて行く。

 普段の相田なら、多少なりとも反発していたのだろう。最悪、大人げなく睨みをきかせては、年下の少年を威嚇していたかもしれない。だが、今はそんな気力がないように、ただ呆然として歩く。まさしく、相田にとって少年など眼中に無い様子であった。

 

「はぁ……っ」

 

 相田はベンチに座り、カバンを横に置いたと同時にため息を吐いた。指と指をからませ、両腕のひじを足の上に置く。そして、指をからませた両手の上に額を乗せ、地面を見るようにして目を閉じる。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 今から1時間ほど前の出来事。相田と椎名が、霞ヶ丘高校の中庭のベンチにいた時のこと。2人の間で何があったのか、相田が告白をした後、どうなったのか。相田は頭の中で思い返していく。

 

 

 

    ×     ×     ×     ×

 

 

 

「椎名さんのことが、好きだから」

「えっ!!?」

 

 相田は勢いにまかせて、椎名に告白をしてしまった。椎名のことが好きだという想いを言葉にして、目の前で伝えた。

 そんな相田の告白を聞いて、椎名は驚いたように手の平を口元に当てたままでいる。

 

「そ、んな……ふざけて……いや、その」

 

 椎名は目を細め、困惑したような感じで体を揺らしながら、手が震えていた。

 相田は息をのむ。告白したことに対して、椎名の答えを待つ。言ってしまったことの返答を待つことしか、今は出来ないでいる。

 

「……ごめんっ!!」

 

 その結果、椎名は相田から逃げるように顔を伏せて逃走してしまう。何かに堪えるような表情で、思いっきり走り去って行った。そんな椎名の姿を、相田は呆然と見つめていた。

 

 

 

    ×     ×     ×     ×

 

 

 

 そして、相田は椎名から何の答えも聞くことはできず、今は霞ヶ丘公園のベンチに座っている。

 ただ、相田の頭は椎名のことでいっぱいでいる。目の前から逃げる椎名の姿が、相田の脳裏に焼き付いて離れない。

 

「どうしよう……」

 

 またしても、相田は苦悩する。好きな人に好きと伝えることが、これほど辛いものであったなんて。こんな後味の悪いものだったなんて、思いもよらなかったと。相田は告白することが素敵なことであると思っていただけに、理想に裏切られた気分になっていく。

 相田は今になって、恋愛というものがこれほど心を苦しめるものであると知る。恋愛の辛さ、苦しみを初めて経験して、不安と煩わしさが心を占め、おかしくなりそうになる。落ち着かない、心が休まらない。何もしたくないという虚無感に苛まされながら、それでも焦燥感が消えない心境に、心労が溜まっていった。

 

 

 しばらくして相田は顔を上げる。そろそろ夕方になろうとしていることを知らせるかのように、太陽はだいぶ夕焼け色に近づいていた。

 今の時間が気になった相田は、学生ズボンの右ポケットから折り畳み式の携帯電話を開いて画面を見る。画面には4時40分という文字が待ち受けの画像の上に表示されている。

 この後、どうやって時間を過ごそうかと相田は考える。夜までには家に帰らないといけない。だが、このまま家に帰る気が起こらない。今は公園のベンチで外の風景を眺めている方が、幾分か気がまぎれる。でも、ずっと公園にいるわけにもいかない。どこかに行くにしても、親になって言い訳をすればいいのか。そんなことを頭の中で思考しては、携帯電話のアドレス帳を開く。

 

 あ行からの名前が並ぶアドレス帳の画面が映ると、上から2番目にある宇垣 涼平の名前に相田は目を止めてしまう。

 相田は携帯電話を見つめながら、ふと思いが浮かんでいく。今頃、宇垣は何をしているのだろうか。体調不良なら、見舞いに行くべきじゃないのだろうか。それ以前に、宇垣と話をしたい。宇垣に話すべきなんだ。学校裏でのことを。今日のことを。自分の想いを。

 

「…………よしっ!」

 

 相田の中で思い浮かんだものは、決意に変わっていく。

 今からすべきことは、宇垣に会うこと。そうすることで、自分は心が軽くなる。そうしなければ、胸の中のざわめきは消えない。そう感じ、そう思うようになっていった相田は、宇垣の電話番号を押して電話をかける。呼び出し音が聞こえ始め、少し緊張感が高まった瞬間だった。

 

「はい」

「あっ……」

 

 電話をかけて2秒も経たずに宇垣の声が聞こえてきて、相田は電話にでる早さに驚く。まるで、相田から電話がくることを知っていて待ち受けていたかのような。そんな早さで宇垣は相田からの電話に反応した。

 

「もしもし。俺、相田 政だけど」

「うん、知ってる。それはケータイ見れば分かるから」

 

 宇垣は元気そうな声で、軽く笑って答える。相田は思っていたよりも宇垣の明るい雰囲気に、緊張していた心が少し和らいだ。

 

「そういえばそうだったな」

「でも、ちょうどよかったよ」

「え? なにが?」

「だって、自分も今から政に電話しようと思っていたから」

「ああ、なるほど」

 

 宇垣もまた、相田と同様に電話することを考えていた。

 そのことを知り、相田はなぜ宇垣が電話に出るのが早かったのか納得する。でも、宇垣が電話をしてきた理由は分からない。相田は疑問を浮かべている様子で宇垣に問いかける。

 

「でも、なんで?」

「やっぱり、この前のことについて政に謝りたいと思ってね。今日は気分も落ち着いたから、夜くらいに会えないかなと」

「そうか。それなら話が早いわ。俺も涼平に会わないといけないなと思って電話したからさ」

「……そうなんだ、それは良かった」

 

 宇垣は嬉しそうに少し小さい声で答える。相田も宇垣が同じことを考えていたことに、親近感を抱いていく。

 

「なら、いつ頃来れそう?」

「えーっと、そうだな。今は霞ヶ丘公園にいるから、今からでも会えるぜ?」

「そうなんだ。でも今はまだ親がいるからダメだね。申し訳ないんだけど、6時以降でもいいかな?」

「そうか、父親がいるんなら仕方ないな」

 

 宇垣の父親のことを知っているだけに、相田は察してしまう。

 宇垣の父親が息子の友達を家に入れたがらないこと。宇垣の父親は夜の仕事をしていて、夕方まで家にいること。仕事に行く前に、なるべく宇垣が家にいるように言っていること。そして、宇垣はあまり父親のことを好きでないこと。色々と宇垣の口から、宇垣の父親のことを聞いて知っていた。

 ただ、相田は宇垣の父親の顔も姿もあまり見たことがない。たまに自家用車で迎えに来た時に横顔だけ少し見たり、3者面談の日に後ろ姿を少し見た程度である。なので、宇垣から聞いたことによって知って作られたイメージ像が、相田の頭の中には出来ていた。

 

「じゃあ、6時でいいか?」

「夕食はどうする? なんなら、自分の家で食べてく?」

「え、マジで!? いいのか?」

 

 相田は宇垣の提案に驚く。宇垣の提案は予想外で、相田はてっきり家ではなく外のどこかで会うことになるとばかり思っていたからだ。

 今まで宇垣は、相田を家の中に入れようとはいなかった。相田が家の中に入ってみたいと言っても、決して入れてはくれなかった。その理由のほとんどが父親のことが関連していた。だが、それ以前に宇垣もあまり人を家に入れたくないような、そんな雰囲気をいつも醸し出していた。

 そんな宇垣が、今日は家の中に招待すると言った。しかも、夕食まで用意してあげるとまで言ってきた。そのことに、相田はなんだか新鮮な気持ちと宇垣の心境の変化を強く感じていく。

 

「ほんとのこと言うと、あまり外に出たくないからね。今日は謝りたいし、特別にね」

「それなら、6時に家に行くわ」

「了解。6時までに色々と準備しとくね」

「おう。ついでに、なんかお菓子かジュースでも買ってくるわ」

「いいの? ありがとう。じゃあ、また後で」

 

 そう告げて、相田は電話を切る。いつの間にか相田の表情は、電話をする前の暗い表情から明るい表情へと変わっていた。

 相田は置いてあった自分のカバンを持ち、座っていたベンチから立ち上がる。そして、さきほどまで足取りを重そうにしていた様子は無くなり、今は軽そうに足を足早に動かしていく。

 

 向かう先は近くのスーパーマーケット。相田はカバンを自転車のカゴの中に入れ、自転車に備えつけのロックを鍵で開けてはサドルにまたがっていく。

 太陽はもうオレンジ色へと変わりつつある。昼から夕方へと変わっていくことを知らせるように、日差しは段々と弱まり、太陽は色を変えて地平線へと進んでいく。ただ、相田はそんな太陽には目もくれず、自転車を漕ぎ始める。目の前の、太陽に照らされた風景を見つめながら。

 

 

 

    ×     ×     ×     ×

 

 

 

 宇垣の家に着いた相田は、重そうにお菓子やらジュースやらが入ったビニール袋を片手にさげて玄関の前に立つ。そして、もう片手には自分のカバンをさげていた。

 だが、そのカバンは公園にいた時よりも重く、より張りつめている。そのうえ、相田の呼吸は少し荒い。まさに、さっきまで慌てていたから、今は少し疲れてしまっているような。相田はそんな様子で玄関の前に立っていた。

 

 相田は近くのスーパーマーケットに行ったのはいいが、買い物を終えても時間がまだ余っていたので、道中にある小さい本屋に寄っていた。そこで、時間を潰すように雑誌や漫画を立ち読みしていた。

 しかし、相田にとっての誤算はそこの本屋を経営していたのは面倒な老人であったこと。レジにいたおじいさんに“おまえに読ませるために、置いてあるわけじゃないだぞ!”と嫌味を言われ、相田はとっさに謝る。しかし、おじいさんには謝罪が適当であったと思われたのか、おじいさんは余計に逆上してしまう。説教混じりに長々と嫌味を言われ始め、終えた頃には約束の時間はだいぶ迫っていた。そして、理不尽な想いを抱えながらも、急いで宇垣の家へと自転車を漕いできたのだった。

 

 相田は地面にカバンを置き、家のインターホンのボタンを押して呼び出し音を鳴らす。すると、しばらくして玄関の扉の奥から足音が段々と近づいてくる。

 玄関の扉が開き、そこから普段着姿の宇垣が現れる。服装は白いポロシャツにハーフパンツという、いかにもラフな格好をしていた。そんな宇垣を見て、相田は新鮮味を感じながらも笑みを浮かべる。

 

「はい、いらっしゃい」

「おう、久しぶり」

「うん、3日ぶりだね。どうぞ、あがって」

「お邪魔しまーす」

 

 相田は置いといたカバンを手に持って、玄関の中に入る。初めて入る宇垣の家だというのもあってか、相田は途中で立ち止まり、玄関や廊下を見回していく。

 宇垣の家はそこまで大きい方ではない。ただ、普通の一軒家くらいの大きさはあった。そのうえ、建てられて10年も経っていない。どちらかというと家の中はまだ綺麗な方だと言える。

 それに比べて、相田の家は昔から建てられた木造の古い家である。とくに田んぼや畑に囲まれた田舎に住んでいる相田にとっては、すごく羨ましい限りであった。

 

「ん?」

「どしたの?」

「今、廊下の奥に誰かいなかったか?」

 

 相田が玄関や廊下を見回していると、ふと廊下の奥の方で誰かが顔を覗かせている。相田が見ていることの気付いたかのように、奥にいた誰かは顔を引っ込める。

 

「ああ。親戚の子だよ。今、遊びにきてるんだ」

「そうなのか」

「てつくん、大丈夫だよー。このお兄ちゃん、お菓子くれるから」

「ほんと!?」

 

 宇垣の呼びかけを聞いて、廊下の奥から小さい男の子が顔を出した。そして、嬉しそうに走って玄関の方にやってくる。身長は低く、だいぶ幼い顔をした男の子は、目を輝かせながらお菓子に期待を込めた表情で相田を見つめる。

 

「ねねぇ! なにあるの!?」

「えっ!? えっと……」

 

 急にやってきた男の子。宇垣の言う親戚の子に対して相田はどう反応したらいいのか分からず戸惑ってしまう。そんな間に、男の子は相田の持つお菓子の入ったビニール袋に手を入れようとする。

 相田はそんな男の子に対して、見えやすいようにビニール袋を広げてあげる。すると、男の子は欲しいものを見つけたのか、チョコレートスナック菓子の1つを取り出しては2人に見せる。

 

「あ、僕ね、このチョコがいい。これ好きなんだ!」

「へ、へー。そうなんだ。じゃあ、あげるよ」

「えへへっ、おにいちゃんありがとう!!」

 

 男の子は満面の笑みを浮かべ、何の躊躇もなく相田に抱きつく。とっさの行動に相田は硬直してしまうが、それを解くように宇垣がそばに来て男の子の頭を撫でる。

 

「てつくん、ちゃんとありがとうって言えてえらいね。それじゃ、お名前は言えるかな?」

「うん。僕ね、てつくんって言うんだ。このまえ5歳になったんだよ」

 

 男の子は相田から離れると、嬉しそうに右手の指を開かせては、相田に5歳になったと分かるように手の平を見せていた。それを見て、相田は苦笑いを浮かべる。

 

「そうか、5歳になったのか」

「うん!! もう、プールで顔もつけられるんだ。すごいでしょ!」

「お、おう。すごいな」

 

 男の子の言葉に対して、相田はつい棒読み気味に答えてしまう。どう答えたらいいのか分からないし、何もすごいと感じない。心の中では、しょうもないことであると思ってしまうが、さすがに気をつかってしまって本音は言えなかった。だからこそ、相田は適当に答えた。それしか、相田には出来なかったのだ。

 

「この子、倉田哲治くんって言って、昨日から家に泊まってるんだ」

「僕ね、保育園お休みしてるの」

「そういや保育園は夏休みないんだったな」

 

 中学校や高校などの教育機関というものには、夏休みが存在する。しかし、保育園というものは教育機関ではない。根本的なものから言えば、子どもを預けて見てもらう場所である。だからこそ、小学校に入学するまでの子どもには、夏休みなどないのである。

 そのことを覚えていた相田は、目の前の男の子が少し可哀想に感じた。夏休みを知らないなんて、人生を損しているように感じてやまない。そういう心境に至っていた。

 

「とりあえず、リビングに行こうか」

「ん、そうだな」

 

 宇垣の言葉を聞いて、相田は靴を脱いで家の中にあがった。リビングに向かっている最中、男の子の表情が少し曇る。その理由を聞こうとする前に、男の子は口に出してしまう。

 

「……これ、チョコ溶けてるー!」

「え!? 嘘だろ!」

 

 男の子がすぐさま戻すように、相田の持つビニール袋の中に溶けたチョコをそのまま入れたので、相田の表情は引きつってしまう。

 そんな相田の表情を見て、宇垣は笑いながら2人の前を歩いてリビングへと向かった。

 

 

 

    ×     ×     ×     ×

 

 

 

 リビングの中央にあるテーブル。宇垣と相田でテーブルを挟むようにイスに座って、夕食を食べていた。そして、宇垣の親戚である男の子。倉田哲治は宇垣の隣に座って、カレーライスを美味しそうに頬張る。3人は仲睦まじく夕食を楽しんでいた。

 

「そういえば、学校の方はどうだった?」

「ん? どうだったって?」

 

 相田は宇垣の急な質問に、少し動揺する。相田がすぐに思いだしたのは、椎名さんのこと。特に、告白をしたこと。

 しかし、宇垣はまだそのことを知らない。何に対しての質問なのか分からないので、相田は質問に対して質問で返す。

 

「自分、休んでたからね。特に何もなかった?」

「あ、ああ。学校に関しては、特に何もなかったかな。伝えなきゃいけないことも特にない」

「そうなんだ。それはよかった」

 

 相田は含みのある言い方をするが、宇垣は気にせずに頷く。目線は相田の方ではなく、もう別の方へと向けていて相田を見てはいない。

 

「それより、涼平の方はどうだったんだ?」

「え? どうだったってどういう意味で?」

 

 宇垣はまた相田の方に視線を戻す。相田と同じように、質問されたことに対して質問を返した。それを聞いて、相田もさきほどの宇垣と同じように答える。

 

「だって休んでたからさ。どうしたのかなって」

「うーん、そうだね。割と辛かったかな。今日はだいぶ良くなったんだけどね」

「熱とか風邪か?」

「どちらかというと、熱かな。熱を抑えるのに苦労したよ」

 

 宇垣は少し考え込んだ後、眉根を寄せながらそう告げた。表情が笑えていない辺り、相当きつかったことが伝わる。

 そんな宇垣を見ながら、隣に座っていた哲治という男の子は不思議そうな表情を浮かべる。

 

「でも、お兄ちゃん。昨日も元気だったよ?」

「そりゃあ、てつくんが来た時にはもう治りがけだったからね」

「じゃあ、なんで学校休んだの?」

「また熱が上がるといけないからね。念のために今日は休んだんだよ」

 

 宇垣は“仕方なかったんだ”と言いたげに頭を頷きながら、腕を組んで隣の哲治という男の子を見る。そんな宇垣を、相田は怪訝そうな表情を浮かべて見つめていた。

 

「それ、単にサボりたかっただけじゃないのか?」

「……ま、そうとも言えるかな」

「え、マジかよ」

 

 相田は宇垣が否定すると思いきや、サボったことを認めたことに驚いてしまう。

 いつもの宇垣ならきっと否定していた。真面目な宇垣が認めるなんておかしい。相田は頭の中でそう思いながら、今日の宇垣はいつもとは違う気がしていた。

 その原因は、もしかして涼平の家にいるからなのか。それとも涼平に久しぶりに会ったからなのか。何なのか分からない。ただ相田は違和感のようなものを抱きながら、宇垣を見つめていた。

 

「あ、これ僕のお姉ちゃんが好きなやつだー!」

 

 そう言ったのは、倉田哲治。テーブルから見える32型の液晶テレビの方を見て、嬉しそうにそう言った。テレビには、子供向けのアニメが映っていた。

 

「てつくん、ごちそうさまは?」

「あ、忘れてた! ごちそうさまでした!」

「はい、じゃあ食器持っていってね」

「うん!」

 

 倉田哲治という男の子は食器を持つと、洗面台のところまで持っていっては、すぐにテレビの前へと向かい、ソファーに座る。

 テレビに夢中になっている哲治をよそに、相田は夕食のカレーライスを食べ終わり、水を飲んだ。

 

「それにしても、夕食ごちそうになって悪いな」

「いいんだよ。どっちにしろ、夕食は作らなきゃいけなかったからね」

「とりあえず、食器は洗うわ」

「いいよ、ついでに洗っておくから。政はてつくんとアニメでも見てて」

「でも……」

 

 相田は時計を見る。時計の針は18時34分を示していた。

 そんな相田を見て、宇垣は少し焦ったようにイスから立ち上がる。

 

「えっ!? もしかして、早く帰らないといけない?」

「いや、そんなことない。親にも遅くなるって言ってあるし。9時までに帰れば」

 

 親には、宇垣の見舞いに行くついでにどこか夕食を食べていくと告げた。夜にしか、都合がつかないことを伝えると、相田の母親は納得したのか。家の人に迷惑をかけないようにだけ告げた。

 相田の言葉を聞いて、宇垣はほっとしたようにイスに座る。宇垣が何故そんなに慌ててるのか、相田には少し不思議に思えた。

 

「そうなんだ。よかった。なら、ゆっくりしていきなよ。まだ、時間はあるんだからさ。」

「そうか? なんかすまんな」

「いいんだ、その方が自分にとっては都合がいいから」

「え? どういう……」

 

 宇垣は食べ終えた皿を持っては、ぼそっとそう告げた。相田は宇垣の言う言葉の意味がいまいち分からないので、問いかけようとする。だが、宇垣はすぐに洗面台の方へと行ってしまったので、問いかけることを諦めた。

 

 相田はイスに座ったままグラスに入った水を飲みながら、倉田哲治の方へと視線を向ける。楽しそうにテレビに釘付けになっている哲治を見ながら、相田は右頬を上げていた。

 

「ほんと、子どもだな」

 

 夢中になっている哲治の姿を見て、相田は鼻で笑う。

 相田は水の入ったグラスを持ち、ソファーへと向かう。数時間前の学校の出来事を忘れながら、相田は宇垣の家で時間を過ごしていった。

 

 

 

 この後に、相田にとって人生を変えてしまう出来事が待ち受けているとも知らずに……


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