柘榴は花恋 -近頃、私、愛したい-   作:純鶏

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4話 悲恋

 霞ヶ丘高校の学校裏の場所。中庭の通路から通れるその場所は、普段なら人がたまに通ったりする場所ではある。だが、授業がそろそろ始まろうとしている現在、生徒はおろか教師でさえそこを通る人はいない。

 そんな学校裏の校舎下。校舎によって太陽が遮られ、日蔭になっている場所に相田と宇垣の2人はいる。

 

 宇垣は言った。笑みを堪えるような、口元が引きつったような、なんとも不気味な表情で。

 “愛すれば殺してしまう”という、非人道的な言葉を宇垣は相田に告げた。

 

「……は?」

 

 宇垣の言葉を聞いて、相田は思考を停止してしまう。理解出来ないのではなく、理解したくないという想い。頭の中で宇垣の言うことの意味を深く考えることが出来ない状況に相田は陥っている。

 

「わ、わけわかんねぇよ。殺す、ってどういうことだよ?」

「だからね、椎名さんを愛してしまえば、自分は椎名さんを殺してしまうんだ」

「そうじゃない、なんで殺すんだって言ってるんだ!」

「それは、殺したくなるからだよ」

 

 相田は宇垣の諭すような態度に苛立って、声を張って言ってしまう。

 分からない。分かりたくない。分かるとしても、考えたくない。それが相田の頭の中で、浮かび合った言葉。愛せない理由が、殺してしまうからなんていう理由。そんなもの、相田には考えたくもないことであった。

 

 人を殺したくなる気持ち。人を殺す時の感情なんてものは、怒りや恨み、負の感情で湧き起こるものだと相田は知っている。

 だけど、宇垣は愛すれば殺してしまうと言った。愛は人を救うもので、決して人を不幸にするものなんかじゃないと相田は信じている。なのに、宇垣の言っていることは、愛は人を殺すもので、人を不幸にしてしまうものであると。だから、愛せないと。宇垣の言うことは、相田の信じているものの真逆のことであった。

 

「なんで殺したい? なぜ、殺したくなるんだよ!?」

「好きになれば好きになるほど、その人を愛したくなる。愛したくなれば愛したくなるほど、その人を殺したいほど愛したくなる。その湧き上がってくる愛情と殺意は、溢れたら止められないんだ」

 

 理解出来ないことで、疑問が頭の中でいっぱいになり、戸惑い始める相田。それに対し、宇垣は真面目に相田の目を見て言う。達観した表情で、まるで経験したことのある言い方に、相田はよりいっそう困惑してしまう。宇垣が理解できるように言ったつもりでも、相田にはそれが理解出来そうで出来ない。

 相田は右手で頭をかいては、地面を見るようにうつむいてしまう。

 

「なんだよそれ? 分からない。分からねぇよ、そんなこと」

「そうだね。残念だけど、恋愛を知らない今の政には、自分の気持ちは分からないだろうね」

 

 残念そうに、哀れむように、宇垣は相田を見下すように言った。相田には理解できないのだと、悲しげな目を向けている。

 それが、相田の気に触れた。宇垣が相田に向けた表情も言葉も全てが、困惑している相田の神経を逆なでにしてしまっていた。

 

「なんだそれ? 俺をバカにしてんのか!? ふざけんじゃねぇ!!」

 

 相田は頭に血がのぼって、宇垣の胸倉を掴むようにカッターシャツを右手で掴んで引っぱる。

 理解出来ないのは、恋愛をしてこなかったからだと。理解しようとしないのは、それだけ未熟であるからだと。分からないのは、宇垣より自分自身が劣っているからだと。相田はそう言われている気がして、無意識に力が入ってしまう。

 

「政、痛いから。手を離してくれ」

「なんで、なんでおまえが……椎名さんを」

「だからね、椎名さんを殺さないためにも、政のためにもだ。自分は椎名さんの告白を断ったんだ。仕方がなかったんだよ」

「…………は?」

 

 相田は目を細めて、表情に怒りの感情を強く表していく。

 宇垣の言った言葉は、相田の怒りを余計に買ってしまうものであった。仕方ないから。政のためだから。そんな言葉が、火に油を注ぐように相田の心を燃やし、頭をさらに過熱させてしまう。

 

 相田は許せなかった。好きな椎名を泣かせておいて、宇垣の言い放った言葉が許せない。よりにもよって宇垣は、相田のために断った。椎名さんを泣かせてまで断ったのは、椎名さんと相田のためだったから。だから仕方がなかった。そんな人のせいにするような理由で告白を断ったことを、相田自身が許せるはずがなかった。

 

「仕方ない? だとぉ!? 涼平、おまえっ!!」

 

 相田が手を振り上げた瞬間。宇垣にとって、運が良いのか。相田にとって、不運なのか。学校の授業のチャイムが鳴り響いて聞こえる。

 チャイムの音で相田の腕は止まり、硬直する。そのまま静止していると、殴られると思って目を閉じていた宇垣が、その様子を見て口を開いた。

 

「離してくれ政。殴ったところで、意味なんかないんだ。それに授業が始まる。早く授業に行かないと」

「………ぐっ!!」

 

 相田は歯を噛みしめて、辛そうに表情を歪める。宇垣の言う言葉は、殴ればどうなるのか。殴ってしまえば、人間として、友人として、取り返しのつかないことになること。自分が分からないから、許せないから、相手を暴力で自分の想いを押し通す。自分の思い通りにならないから、負けを認めてしまうようなものであること。それに殴ったところで、何も変わらない。宇垣自身、変えるつもりもない。そんな意味が宇垣の言葉には含まれていた。

 それでも相田は、殴りたい衝動が、握り締めた拳の力が、どこにも行き場がないように体の中に留まって消えない。しばらく堪えた後、宇垣を突き押しては、校舎の壁を叩く。

 

「先に、行ってくれ。俺は、後で行くから」

「……分かったよ」

 

 相田は怒りを抑えるように、痛みに堪えるように、そう言って顔を伏せる。その様子を見て、宇垣は軽く頷くと、相田を無視するようにその場から立ち去る。

 宇垣がその場からいなくなったあたりで、相田は膝を地面につき、校舎の壁に両手の指を突き立てながら崩れ落ちた。

 

「……いってぇよ、くそっ! なんで、なんで……こんなことに」

 

 相田は目を閉じ、両手を強く握り締め、認めたくない現実に抗おうと心の中で葛藤する。

 

 なんて理不尽なんだ。そんな自分がみじめに感じた。

 ただ、宇垣を許せなかった。だからこそ自分が悔しかった。

 この現実を認めたくなかった。でも、抗ったところでこれが現実だった。

 

 そんな心の葛藤が、相田の胸を締め付けていく。ぎゅっと心臓を握られるように胸の中が痛くなって、左胸を右手で抑える。

 相田は目を開いて地面を見つめた。段々と視界がぼんやりとにじんでいく。そこで、目の中に涙がたまっているのが分かり、左手で涙をぬぐった。

 

「こんなのが、友情っていうのか? こんなのが……恋愛だっていうのかよ」

 

 信じたくない。受け入れたくない。自分が今まで信じてきた恋愛は、思い描いていた恋愛は、こんなものじゃない。宇垣の言うことも、宇垣が行った行為も、絶対に友情なんかじゃないと。何もかもが間違いで、嘘であると。相田はそんな想いを抱えて、地面に向かって言葉を吐き出す。

 

 しかし、この世界は理想や空想、フィクションとは違う。ここはまぎれもない現実。相田の目の前で起きたことは、嘘偽りのない現実である。

 相田が好きな椎名が、実は宇垣が好きであったこと。宇垣は相田が椎名を好きでいたことを知っていて、告白を断ったこと。宇垣は椎名を愛してしまえば殺してしまうと言ったこと。そのうえで、椎名を殺さないためにも、相田と椎名のためにも、宇垣が告白を断ったこと。そして、椎名が涙を流して傷ついてしまったこと。これが、相田に知らされた事実であり、現実の世界で起こった出来事であった。

 

 何も受け入れられないまま、相田は校舎の壁に背中を預けて座る。涙が渇いた瞳で、右手の甲を見つめる。皮がむけ、血が流れ、赤くにじんだ手は今も痛みは消えない。

 ただ、その痛みが、今の相田の思考を落ち着かせる。手の甲の痛みに集中している方が、今の相田には気楽に感じられたからだ。

 

 

 消えない心と体の痛みに堪え、物理的な痛みに意識を向けながら、相田はその日保健室にて過ごしたのだった。

 

 

 

    ×     ×     ×     ×

 

 

 

 宇垣が椎名に告白された日。相田と宇垣でトラブルがあった日から、3日が経った。

 あれ以来、相田は宇垣と会っていない。というのも、相田が宇垣に会わないようにしているわけではなく、会えていないという方が正しい。

 

 あの出来事の後、相田が保健室へ行って教室に戻った時には、宇垣は学校にはいなかった。すぐに早退して、帰ってしまったという話を、相田はクラスメートから聞かされた。

 それ以来、宇垣は学校には登校せずにずっと休んでいた。理由は病欠であると相田は聞かされる。学校の方には、病気で欠席することは担任の教師には連絡がきていた。だがその間、宇垣から相田に連絡はない。相田もまた、宇垣に連絡を取ることはなかった。

 

 今日は7月22日金曜日。今日の終業式が終われば、明日から夏休みが始まるということで、霞ヶ丘高校の生徒達は待ち望んでいた夏休みに意気揚々としていた。

 そんな中、相田の表情は明るいものであるとは言えず、明らかに意気揚々としていないのは誰の目から見ても分かった。そうなるのも、相田の頭の中でどんよりと残っているわだかまりが、相田の気持ちを暗くさせていたからである。暗い気持ちが、頭から消えない何かが、相田の感情を沈ませている。

 

 時計の針は3時半を過ぎ、太陽の日差しも弱くなってきた頃。相田が図書室で夏休みの宿題を開いている最中、近くに誰かがやってくる。

 

「あ、相田くん」

「え?」

 

 相田に声をかけたのは、椎名智華。相田が好きな女子であり、宇垣に告白をしてフラれたという彼女。その椎名から、相田は声をかけられた。

 相田が教室でのHRが終わったのは12時半過ぎ。つまり、用事のない生徒達が帰り始めてから3時間ほど経った今、宇垣と椎名は学校の図書室にいた。

 

「なんでここに?」

「えっと、とりあえず宿題を片づけようかなと」

 

 図書室自体は、文芸部や演劇部などの文化部が主に使用することもあり、今日も使用することが可能であった。そして、相田がここにいた理由は、単にエアコンの冷房がかかっていて涼しかったから。ここまで長くなってしまったのは、その前に学校創立祭の役員として、仕事をしていたためである。気持ち的に夕方になるまで帰りたくなかった相田は、つい先ほどこの図書室で簡単な宿題を済ませようと長机に座ったところだった。

 

「椎名さんこそ、なんでここに?」

「私は、クラス委員の仕事があったから。今やっと、終わったの」

「クラス委員の仕事?」

「そうそう」

 

 椎名は小声でそう言うと、少し苦笑いを含んだような微笑みを浮かべる。隣のイスに座り、相田との距離を近づける。

 相田は、椎名がなんで今日もこんな時間までクラス委員なんかの仕事をしているのか、不思議に感じていた。椎名がいつも大変そうにしているのを知っているし、いつも頑張っていることも今まで見てきたから分かっていた。

 だけど、今日は1学期最後の日。終業式を終えたのに、まだクラスの仕事があるなんて、相田には不思議で仕方がなかった。

 

「今日、終業式だったのに、そんな仕事あったの?」

「今週は宇垣くんが休みだったでしょ? だから、仕事が重なっちゃって」

「ああ、そういうことか」

 

 相田はそこでやっと納得する。宇垣がしなかった仕事の尻ぬぐいを、椎名がしているのであれば仕方がない。

 ただ、宇垣のために苦労させられている椎名のことを思うと、相田はいつも以上に椎名が可愛そうに感じてしまう。

 

「けっこう大変なんだな、クラス委員って」

「ううん、そんなことないよ。2人でやれば大変じゃないから」

「……そうなんだ」

 

 頷きながら、相田はそれ以上何も言わなかった。

 2人でやれば大変じゃない。だけど、宇垣が手伝わないから、何もしないから、椎名が大変になる。相田はそれを知っているから、何も言わずにいた。

 

「相田くん、ちょっといいかな?」

「うん? どしたの?」

 

 耳元で内緒話をするかのように、椎名は小声で相田に言う。そのせいで、相田はついドキッとしてしまい、心臓の鼓動が少し早くなる。

 

「相田くんに聞きたいことがあるんだけど……」

「聞きたいことって?」

「それでね。ここだとちょっと話しにくいから、場所変えない?」

「うん、いいよ」

 

 相田は机の上に広げた宿題をカバンの中に片づけ、椎名と一緒に図書室を出る。

 椎名が先行して歩くので、相田はそれに着いて行った。しばらく歩いたところで、椎名は止まる。

 

「うーんと、どこがいいのかな」

「人があんまりいない場所がいいってこと?」

「えっとその、話しにくいことだから。出来たらその方が嬉しいかな」

「そうなると……どこだろ?」

 

 人が来なくて、なおかつその場所に入れる場所というものは、なかなかに見つけるのが難しい。霞ヶ丘高校の中であるとすれば、空き教室や校舎裏、部室やトイレくらいである。

 しかし、空き教室や校舎裏では人のいないところを探すのに手間がかかる。それに空き教室は案外誰かがいたり、中に入ったりすることもある。また校舎裏も、部活動をしている生徒がそこを通ることが多い。部室やトイレなどは、相田と椎名では無理な話であった。

 

「じゃあ、中庭のベンチでもいい?」

「俺は構わないけど。あそこってたまに人が通るよ?」

「この時間帯なら、あんまり来ないかなって。みんな帰っちゃってるから」

「たしかに。それもそうか」

 

 2階の図書室から階段を下りて、中庭までやって来る。中庭の校舎近くのベンチがちょうど日蔭になっていたため、2人はそこに座る。

 

「それで? 聞きたい話って?」

「えっとね。宇垣くん、今どうしてるか知ってる?」

「え?」

 

 椎名の急な質問に、相田は戸惑う。椎名が相田に聞きたいことというのは、宇垣のことであった。

 

「その、病気って聞いたから。私、ちょっと心配で。それで、相田くんは知らないかなって」

「えっとその……涼平とは連絡とってないから。正直、分からないんだ」

「あ、そうなんだ……そっか」

「うん、ごめん」

 

 相田はなんとなく謝った。謝ることでもないのかもしれないが、椎名の聞きたかったことに答えられなかった。そんな想いからか、相田はつい椎名に対して謝ってしまう。

 

「ねぇ、相田くん。もしかして私のこと、宇垣くんから聞いた?」

「えっ、いや、その……」

 

 椎名が何のことを言っているのか。相田は聞かずとも、宇垣に告白したことなんだと察してしまう。それだけに、どう答えればいいか。どう反応して答えればいいのか分からず、言葉を濁してしまう。

 だが、相田が宇垣から告白されたことを聞いたことは事実であったし、今更聞いてないなんて言えるわけもなかった。

 

「俺、椎名さんが泣いているの見たから。つい涼平に聞いてしまって……」

「……そっか、そうだよね。私が泣いてたところ、相田くんに見られちゃったもんね」

「なんか、ごめん」

「そんな、相田くんが謝ることじゃないよ?」

「いや、でも……」

 

 でも、相田は謝りたかった。なんか、謝らなければいけないような。そんな気がしていたから、相田は座ったまましっかりと頭を下げて謝った。

 たしかに、相田には告白のことは関係ないのかもしれない。しかし、宇垣は相田のために告白を断ったと言った。逆に言えば、相田のせいで断ることになったと言われたのと似ていた。つまり、相田にも椎名が泣いてしまう状況に陥った原因はあると言われたようなものだった。だから相田は、本当は抱く必要はない罪悪感を胸に抱くことになってしまう。

 

「私が宇垣に迷惑かけちゃったからいけなかったの。私って、いつも宇垣くんに迷惑かけてるから」

「そんなことない……いや、そんなこと。ないと思う」

「ううん、私が不甲斐ないから。だから、宇垣くんに頼ってばかりになっちゃうし、クラス委員の仕事も上手くいかないし。全部、私のせいだよ」

「……ちがう」

 

 相田は自分に言い聞かせるように否定する。それが、相田の心の中に響いていく。そして、それは強い確信に変わって返ってくる。

 相田は思った。椎名さんの言うことは、間違っている。本当は違うんだと。彼女にそう言いたい。それを言わなければならない。いいや、言うべきなんだ。そんな思いが、相田の表情を真剣なものへと変えていく。

 

「違う! 椎名さんのせいなんかじゃない。悪いのは、涼平なんだ!」

「そんな、宇垣くんは悪くないよ。私が悪いから、宇垣くんが困ってしまうの」

「いいや、椎名さんは悪くない。悪くないんだ。涼平が、あいつが椎名さんを……」

「相田くん、私を庇わなくてもいいんだよ。私のせいなのは事実だから」

 

 優しくも辛そうに微笑みながら、椎名は相田の言葉を返す。そんな椎名の表情を見て、相田は余計に胸を締め付けられる。止まらなくなる。熱く、強く、相田の中から湧き上がる感情と想いが、混じって反応していく。

 

「それでも、椎名さんはいつも頑張っているじゃないか。涼平の分まで頑張ってるの、俺知ってる。いつも、頑張ってるのずっと見てたから」

「……え?」

「だから、椎名さんは悪くないんだ。悪いのは全部、涼平なんだ!」

「…………」

 

 相田の言葉を聞いて、椎名はうつむいた後、手の平で口元を隠す。左手は膝の上に乗せ、強く握り締めては震えていた。

 

「なんで? なんで、そんなこと……」

「だって俺……」

 

 椎名の声は、涙を堪えているかのように震えていた。苦しそうな表情で、相田を見つめる。

 そんな椎名を見て、相田は言ってしまう。今思ったことを、今感じたことを、胸の中の想いや感情を乗せて、言葉にして言った。

 

「椎名さんのことが、好きだから」


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