柘榴は花恋 -近頃、私、愛したい-   作:純鶏

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1章 自分、私、どうする
1話 独白


 石川県加賀市の南部にある霞ヶ丘(かすみがおか)町。山林が多く、加賀市の中でも山沿いに所在しているこの霞ヶ丘町には、古くから山と隣接するように建てられた高校があった。

 その高校の名前は霞ヶ丘(かすみがおか)高等学校。普通科と家政科の2つの学科があり、3学期制度であるこの高校は、今年の7月でちょうど100年目を迎えようとしていた。そんな歴史的な年である2005年の今年、7月に学校創立祭が催される予定となった。そのおかげもあってか、この高校に入学する者も少しばかり増え、在学生達も学校創立祭があることを喜んでいる者が少なからずいた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 入学者が増えてきている霞ヶ丘高校ではあるが、加賀市の霞ヶ丘町の中でも山林の多い東側の端に所在する学校であったこと。また、人の住む町から山に上ろうとする場所に位置しているという問題があった。

 つまり、霞ヶ丘高校は霞ヶ丘町に住む地元の人間以外には通いにくい場所に建てられているのである。霞ヶ丘町には駅はなく、隣街の駅から学校までの距離が8キロメートル。電車で通学している生徒は20分ほどかけてバスに乗って向かうか、そこから自転車に乗って40分ほどかけて向かうしかなかった。その上、バスでは高校に向かう便が多くなかったため、霞ヶ丘町に住まない人間でこの高校に通う者は少なかったと言える。

 

「……はぁっ、はぁっ……くっそぉ」

 

 それでも、隣町からわざわざ霞ヶ丘高校に通う高校生はいた。1人の高校生が、今日も実家から汗水垂らしては45分もかけて自転車を漕いで通っている。

 

「あぁっ、もう! なんでこんなに暑いんだよ!!」

 

 自転車のペダルを足で踏ん張って漕ぎながら、男子高校生は照りつけるような光を浴びせてくる太陽に向かってそう嘆いてみせた。

 今日は6月6日。ちょうど高校で衣替えの移行期間が始まる日である。週末明けである月曜日の今日、自転車を漕ぐ男子高校生もさっそく半袖のカッターシャツを着ていた。そのおかげで自転車に乗って風を感じることができるのは気持ち良かったが、その反面刺すような日光を常に浴びてしまうことをとても辛く感じていた。

 

「こんなことなら、水筒持ってくれば良かったな」

 

 体から流れていくように出ていく汗。失われた水分を補給しようと男子高校生は自転車のカゴに入っているペットボトルの麦茶を一口飲む。男子高校生は水筒を持って来てはいなかったため、水分補給が必要不可欠と感じ、道中の自動販売機でペットボトルの麦茶を購入した。

 だが、その表情は険しい。麦茶を飲んで喉が潤っても、気持ちの部分ではあまり潤わないでいる。その理由は、いつも節制の日々を送る男子高校生にとって、麦茶に自分の大事なお金を使わないといけなかったこと。それがとても心苦しく感じさせていた。

 

 男子高校生は頭の中で思う。水分を補給することは必要なことだったんだ。そうするしかなかったんだと。そう自分に対して諭していく。

 しかし、麦茶を購入したことが仕方のないことだと分かっていくだけに、男子高校生は自分が水筒を持ってこなかったことを後悔せずにはいられない。自分に対する不満と苛立ちが、よりいっそう表情を険しくさせていった。

 

「ん? あれは……なんだ?」

 

 男子高校生の向かう先に、白い傘が見えた。最初、その白い傘が何なのか分からない様子で自転車を漕ぎながら、男子高校生はしばらく注視していた。だが、少し近づいてきてやっとその正体が白い傘であることに気づく。

 今日は晴れなのに、傘を差して道路を歩いている高校生。日傘を差して歩くやつなんて珍しいと感じた男子高校生は自転車のペダルを漕いで、よりいっそう近づいてみる。そして、近づくごとにはっきりと見えてくる半袖のカッターシャツと制服のズボン、それにカバンや靴。それらが男子高校生にとって、よく見知っているものだった。

 

 自転車に乗っている男子高校生は日傘を差している高校生のすぐ後ろまで行くと、ついて行くように自転車のペダルを漕ぐ速さを落とした。

 後ろからずっとついて来る自転車の車輪が回る音を聞いて、日傘を差している高校生は後ろを振り向く。

 

「おっ、やっぱ涼平(りょうへい)じゃん!」

 

 霞ヶ丘高校に繋がる道路。歩道で日傘を差して歩く人物は、自転車に乗っている男子高校生の一番の友人。名前は“宇垣(うがき) 涼平(りょうへい)”。同じクラスメートでもあり、入学して最初に話しかけた同学年の男子。半袖のカッターシャツが似合う友人が、堂々と日傘を差して歩道を歩いていた。

 

「なんだ、誰かと思ったら(つかさ)じゃないか」

「なんで日傘なんか差しているんだ?」

「日焼けしたくないからさ。太陽の直射日光を浴びるのは肌に悪過ぎる」

 

 日傘を持ちながら、宇垣は面倒そうな表情を浮かべて肩をすくめた。

 それに対して、自転車に乗っている男子高校生。“相田(あいだ) (つかさ)”は不思議そうに宇垣を見つめる。

 

「日焼け? そんなの気にしてんのか? 別に俺達若いから良くね?」

「そりゃあ、政はもう手遅れだから良いだろうけど」

「はぁ? 手遅れってどういうことだよ」

「だって、政はもう小麦色だろ? 自分の肌は白色だからね。気をつけないとすぐに焦げちゃうよ」

 

 相田は中学の頃、野球部であった。炎天下の中、外でよく部活をしていたため、腕や顔などがよく焼けていた。そのせいもあって、いつの間にか肌の色が年中ずっと小麦色のままになっていた。

 それに対して宇垣は、中学の頃は書道部であった。運動全般が苦手なのもあり、知り合いの先輩に誘われたからという理由で書道部に入部し、屋内で過ごすことが多かった。また宇垣自身もある出来事をキッカケに紫外線を気にするようになった。そのため、高校生になっても肌が白いままであった。

 

「男だったら、肌くらい焦げていたっていいじゃんか」

「今は良くても、将来大人になってから苦労するのさ」

「そんな未来のこと言われても……大人になるまでには回復するんじゃね?」

「人間、負ったダメージは蓄積するものだよ。自然回復なんて期待しちゃダメだ」

「それなら、回復薬みたいなの使えば? なんか、そういった感じのやつあったような……」

「ゲームじゃあないんだから。簡単に回復できるような、そんな都合の良いものはこの世にないよ。何も負わないように予防をするのが一番さ」

 

 相田は宇垣の言う言葉を聞いて表情を曇らせる。宇垣に対してなにか腑に落ちないものを感じていた。

 相田も自分の母親が日焼け止めのクリームを塗ったりしているのをいつも見ている。それに、紫外線とか日焼けを気にして予防しようとする人もいることも理解はしていた。ただ相田にとっては、それは女性が気にすることであり、若い男性が普段から気にするようなことではないと思っていた。

 さらに言えば、男という人間はそんな紫外線なんてみんな気にしないで生きているとばかり思っていた。それだけに相田は、宇垣が日傘を差してまで日焼けを避けようとする行為があまり理解できないでいる。

 

 だけど、相田が表情を曇らせたのは、もう1つ理由があった。それは宇垣が日焼けを気にしながら日々を送ること自体、なんだか窮屈でつまらないなという想いを抱き始めたからだ。もっと気楽に生きればもっと楽しいのに。紫外線を気にして生きていくなんてなんだか可哀想だ。相田はそう思ってしまっただけに、雲のない青空とは対照的に相田の表情は曇っていった。

 

「それに、もう後悔だけはしたくないから」

「え、後悔って?」

「昔、海に行ってね。肌を露出していたのもあって、自分を焦がしてしまったんだよ」

「ああ、なるほどな。だいぶ焼き過ぎちゃった感じか」

「あれは今まで生きていて、最高に辛かった」

 

 中学の頃、宇垣は部活の仲の良い先輩に海に誘われて、肌をだいぶ焼いてしまったことがあった。その時に、尋常じゃない痛みと痒みを知ったうえに、皮がむけるという衝撃の体験をしたことがあった。それ以来、宇垣は海には行けなくなった。

 宇垣は遠い目をしながら、そんな昔の自分の過ちを思い出している。そんな宇垣を見て、相田はなぜ宇垣がそこまで日焼けを嫌がるのか納得する。その理由が日焼けによるものならば、日焼けを避けようとするのも分からなくないからだ。

 

「じゃあ、長袖着ればいいのに」

「…………えっ?」

「え?」

 

 宇垣は手に持っていたカバンを落とし、少し口を開けたまま立ち止まった。そんな宇垣の様子に驚いて、相田もゆっくり漕いでいた自転車のペダルを止めて、自転車から降りる。

 

「お、おい。どうしたんだ?」

「ん? い、いや、何でもないよ?」

「もしかして、長袖を着ればいいってことに気づいてなかった?」

 

 宇垣は落としたカバンを拾いながら、相田から目を逸らす。視線を斜め下に向けて微妙そうな笑みを浮かべている。そんな宇垣を見て、相田は自分が今言ったことが本当のことなのだと確信する。

 

「え、マジで?」

「良い着眼点を持っているじゃないか。やっぱ政は肌が焦げているだけあるね」

「それ、褒めているのか貶しているのか分かんねーな」

「身を削ってまで得た経験は大きいよ。そうだね、日焼けしていたことは褒めてるかな」

「日焼けしていたことを褒められてもな」

 

 笑みを浮かべる宇垣に対して、相田は呆れてしまう。まさか、相田よりも頭の良い宇垣がそんな簡単なことに気づかないとは思わなかったからだ。

 でも、日焼けを気にしている宇垣に、長袖を着れば良いことを気づかせることができたのは良かったなと。相田は宇垣の笑みを見てそう思っていた。

 

「しかし、朝は長袖を着用しつつ、学校の中で半袖に着替える。なるほどね。そこは盲点だったよ」

「日傘なんか差しているから、そういうところを見落とすんじゃないか。傘なんて邪魔なだけだろ?」

「そんなことない。日傘は楽だよ? 日焼けを防止するという点においても長袖より優秀だしね」

「それは、そうかもしれないけど」

「なにより自分は白くありたいんだよ。心も体も全部、白のままでいたいかな」

「白く、かぁ……つまり、ずっと綺麗なままでいたいってこと?」

「そうだね、そんな感じかな」

 

 宇垣の話を聞いて、相田は思い返してみる。相田と宇垣が出会ったのは2ヶ月ほど前の入学式の日。入学式が始まる前、教室で隣の席の女子には話しかけづらかった相田が、後ろにいた宇垣に話しかけたのがきっかけだった。

 あれから今日までの2ヶ月間、相田は宇垣がどんな物を持っていたのかを思い出す。筆箱、カバン、携帯電話、腕時計、ハンカチ。宇垣の持っている物は、どれも白色が基本となっている物がほとんど。さらに、宇垣は普段から身の回りを小奇麗にしていることも知っている。

 相田は今まで宇垣が何故そんなに白っぽい物が多いのかあまり気にはしていなかったが、宇垣の言葉を聞いてその理由に納得した。

 

「とは言っても、いっそ焦がしたり、染まったりした方が楽だろうなーとは思うけどさ」

「そうだな。楽なのは、たしかだわ」

「それこそ何にも縛られず、何にも恐れず、我慢とか後のことなんて気にせず。ただ自分のやりたいことをやれれば、本当は良いんだろうけどね」

 

 宇垣は顔を見上げて、青い空を見つめながら語っていく。普段から後悔しないようにと、気楽に生きることを我慢している。自分で自分を縛っている宇垣だからこそ、何かと縛られている自分が嫌で、何にも縛られたくないと思っていた。

 

「それなら、自分を覆い隠さないで、思いっきりやっちゃえばいいじゃん。やりたいことやろうぜ」

「そうしたいけど。でもね、やっぱり後のことを考えたら……うん。やっぱり無理かな」

「でも、勢い? なんていうか、思うがまま行動する感じって言うのかな? 自分の気持ちに素直になっていくのも大事だと思うけどなー」

「うーん、一理あるけど。でも、今はできそうにないかな」

「ま、それもそうか」

 

 相田は自分とは違って、宇垣が気楽に日焼けできないのはなんとなく理解できた。今までやり通してきたことを、簡単に覆してしまうのは難しい。面倒だから予防するのをやめたいという気持ちはあっても、今までしてきた頑張りを無駄にしたくないという気持ちが勝ってしまう。それだけに、宇垣が自分のようにできないというのは、分からなくもないなと相田は感じていた。

 

「とりあえず、自転車置いてくる。先、行ってて」

「うん、玄関で待ってるよ」

 

 相田はそう言って、自転車にまたがってペダルを漕いでいく。宇垣もいつものように玄関へと向かって歩いていった。

 

 

 

    ×     ×     ×     ×

 

 

 

 霞ヶ丘高校の敷地には自転車置き場が2つあり、1つは学校の玄関のそばにある。そこは主に2年生や3年生が使うように決められていて、1年生はもう1つの場所。少し離れた職員用の駐車場の近くにある自転車置き場に置くことになっている。その場所は玄関からはやや遠く、徒歩である宇垣には少し面倒な距離であった。そのせいか、宇垣は相田と一緒に学校に行く際は、いつも自転車置き場まで行こうとはしないで先に行こうとする。そんな宇垣であるからこそ、相田は今日も玄関で待っていてもらうことにした。

 

 相田は1年生の自転車置き場に自分の自転車を置いて、自転車についているロックに鍵をかける。カバンを自転車のカゴから取り出しては玄関へと向かって歩いた。学校の玄関が見え始めたところで相田は宇垣を目で探す。

 ところが、宇垣の姿がどこにも見当たらないでいた。普段なら、宇垣は玄関の扉の前でいつも待っている。今日もそうだとばかり思っていた相田は、周り玄関以外の周りも見渡してみるが、やはり宇垣の姿は見当たらない。もしかしたら玄関の中にいるかもしれない。相田はそう思って玄関の中に入って探してみると、何かを見ているのか呆然と立ちつくす宇垣の姿が見えた。

 

「あ、いたいた。何見てんの?」

「ん? 別に何でもないよ」

「あ! これ、宮越(みやごし) 菜月(なつき)じゃん!」

 

 玄関を越えた先にある掲示板に、最近話題の人気女優が写っているポスターが貼ってあった。長髪の髪の毛を後ろで縛っては、キリッとした表情をしている女優の宮越菜月。その女優が袴姿で、白い墨で文字が筆で書かれてある黒い紙を堂々と掲げている。持っている紙には“絶対阻止!”と達筆な字で書かれ、『薬物に染まるな!』というキャッチフレーズが大きな字でポスターに描かれてある。そんな薬物乱用の阻止を促すポスターを、宇垣はずっと見つめていた。

 

「もしかして、涼平も好きなのか!?」

「いや、じぶんがね……ただ、すごく綺麗だなと思ってさ。つい目を奪われてしまってね」

「あー分かる! めっちゃ良いよな、宮越 菜月! 俺もめっちゃ好きだわ」

「ん? ああ、そうか。政は好きなんだっけ? この女優さん」

「そうそう、最近映画とかドラマとか出てるだろ? めっちゃ可愛いんだよな。普段はキリッとした感じなんだけど、笑うとめっちゃ可愛くて。それで最近めっちゃ出てくれるからさー、ほんとめっちゃ可愛いんだよな」

 

 嬉しそうに語る相田に対して、宇垣は苦笑いを浮かべる。あまり女優とかアイドルとかに興味のない宇垣にとっては、どう反応したらいいのか分からず、ただ苦笑いをするしかできないでいた。

 

「わかった、わかったよ政」

「おっ、涼平も分かってくれるか」

「とりあえず、あの女優さんが最近テレビによく出るってことと可愛いってことと政が大好きってことは伝わったよ」

 

 宇垣は呆れたように呟いて、相田の肩に手を乗せる。しかし、相田はそこで話を終えることなく、続けて口を開いて話を続ける。

 

「まだまだあるぜ、出始めたのは1年前のちょっとしたCMからで、そこからドラマとか映画に少し出始めてさ。段々とブレイクして俺も好きになってさ。それで詳しく調べたら、なんと俺達と一緒の石川県出身って言うし、歳は俺達の2つ上の18歳なんだよ。高校3年生だぜ? ヤバイだろ?」

「はいはい、分かったから。政がこの女優さんのファンだってことはヤバイくらい伝わったし、もうこれ以上はいいよ……はぁ」

 

 相田のテンションが高くなり、このまま止まりそうにない。そう感じた宇垣は、これ以上話さないように相田を制止する。今の相田の様子を見て、宇垣は相田がこの女優が本当に好きなんだなと痛感して、ついため息を吐いた。

 

「でも、まさかこんな場所に宮越 菜月のポスターが貼られているなんてな。もしかして、先週からあったか?」

「いや、無かったと思う。さすがに玄関だし、変わっていたら普通は気づくよ」

「じゃあ、今週からか。そうかー。うん、やっぱ可愛いな!」

「ほらほら、とりあえず教室行かないとね。そのポスターの女優さんとは会おうと思えばいつだって会えるんだから」

「んー、わかったー。今いくー」

 

 相田はポスターの前から微動だにせず、ずっとポスターの中の女優を見つめていた。そんな相田に、宇垣は呆れ果ててしまい先に行こうとする。

 

「行く気ないじゃないか。なら、自分は先に行くからね」

「おいおい冗談だよ、待ってくれよ涼平!」

 

 宇垣の言葉を聞いて相田は、そのポスターにさようならをするように会釈すると、宇垣についていく。その一部始終を見ていた宇垣は、相田に若干引いてしまい、つい怪訝そうな表情が出てしまっていた。

 だが、相田は気にしていないのか。もしくは分かっていないのか。平然と宇垣の隣を歩いては、嬉しそうな表情を浮かべたままだった。

 

 相田と宇垣の2人は同じクラスの1年5組。教室の場所は玄関の先にある廊下をずっとまっすぐ歩いたところにある。2人は自分達のクラスの教室へと会話をしながら歩いて向かって行く。

 

「そういや、昨日の『君と僕等はいた』のドラマ見た?」

「見てないよ。自分はあんまりドラマとかは見ないから」

「マジかよ、昨日の話めっちゃ良かったのに、見てないのか」

「あまり興味ないからさ。そういう恋愛ものは特にね」

「でも、自分を想ってくれる2人に対して、ヒロイン役の宮越 菜月がどちらを愛せばいいのか葛藤するわけだよ。めっちゃ切ないんだよ、これが!」

 

 宇垣は、またしても宮越菜月か。そう言わんばかりに相田に対して呆れた顔をしながら、またため息を吐いてしまう。友達の見てはいけない一面を見てしまった気分に宇垣は陥っていた。

 

「なら、その切ないってどういう感じなのか教えて欲しいな」

「切ないっていうのがどんな感じなのかをねぇ。なんとも難しい質問ときたもんだ」

「切ないという感情が分かる政なら、どういった感じなのか分かるのかなと」

 

 相田は腕を組み、しかめっ面を浮かべて悩み始める。相田がすぐに言えない辺り、本当に難しいことなのだろうと宇垣は察する。

 

「うーん、なんていうか……心臓が小さくなったように締め付けられて、誰かに握られては遊ばれてる感じかな」

「……それ、ヤバイ病気なんじゃないの? 政、今からでも病院に行って診てもらった方がいいよ」

「俺の体はどこも異常じゃないぞ!」

「いやいや、おかしいよ。特に頭がね」

 

 宇垣は、相田をバカにするように自分の頭を指差す。相田を煽るように言った宇垣に対して、相田は少し目を細めては腕を組んで言い返していく。

 

「失礼なやつだな! なんて言うか……分からないかな? なんか、人を好きになるとさ。胸が張り裂けそうになるって感じのやつ」

「うーん、いまいち分かんないかな」

「なんで? 誰か好きになったことくらいあるだろ?」

「誰かを好きになったことは……その、ないわけじゃないけど」

 

 言いたくないのか、宇垣は言い淀んでは渋った表情を浮かべる。それに対して相田は、言い渋っている宇垣にその答えを急かしていく。

 

「けど、なんだよ」

「うーん、正直分かんないかな。自分の場合、好きになってもその人を愛せないから。恋人にはならないんだよね」

「つまり、友達以上恋人未満で現状維持するやつか。付き合っちゃえばいいのに」

「政みたいに、自分はお気楽には生きられないからね」

「お気楽で悪かったな!」

「自分としては良いと思うけどな。政のそういうところ。けっこう羨ましく感じているよ」

「なんか、あんまり褒められている気がしないな」

 

 少し羨ましいように、優しく微笑む宇垣。それに対して、相田は宇垣に少しバカにされているような気がしていた。

 でも相田は、そんなお気楽な自分を恥じてはいない。考え無しではあっても、自分の気持ちにまっすぐに生きていくことは大事であると。そんな生き方をしていくことが自分であるのだと。相田はそう思っているだけに、たとえバカにされようとも自分の生き方を変えるつもりはない。

 

「でも、本当に好きならやっぱ勢いも大事だと思うけどなー。色々考えず、付き合ってみればいいのに」

「よくは知らないけど、恋愛なんて、そんな単純にいかないものだと思うけど?」

「まーね。そりゃあそうなんだけどさ。でもさ、俺はそういったまどろっこしいのとか面倒だなと思うから」

「どちらかと言うと、何も考えてない方が後で後悔すると思うけどね」

「でも、好きな人に好きって伝えるのって一番素敵なことだと思わないか?」

「なんかどこかで聞いたような言葉だね」

「だって、歌手が言ってた言葉だからな。ロマンチックだろ?」

 

 自分ではなく、他人の言葉であることを堂々と言う相田を見て、宇垣は呆れてしまう。自分が経験した上でそう思っている言葉ならまだしも、相田は他人が言った言葉をただそのまま言っているようにしか感じられない。それだけに、宇垣は鼻で笑いならが相田を小馬鹿にするように言葉を返し始める。

 

「薄っぺらいなぁ、政。そんなんじゃ、本当に好きな人ができても告白する時には失敗しちゃうね」

「そんなことないさ。受け入りだろうが、本気で告白すれば、実らない恋はないはず!」

「そして、その恋が脆くも崩れ去るわけか」

「いやいや、崩れないから」

「でも、失恋は人生において良い経験になるらしいね。そう考えると政はきっと良い大人になれるよ」

「それって……俺が失恋する前提の話じゃねーかよ!」

 

 そんな会話をしている内に、2人は自分の教室へと入る。黒板の上にある壁時計は8時10分を指していて、他のクラスメート達も半分ほど教室の中にいた。

 相田の机は窓際に近い一番後ろ側の席。宇垣の机は、教卓と教室の扉に近い前側の席。宇垣が自分の机にカバンを置くと、さっそく相田のそばまで来ては、相田が座る机の隣の机に腰かける。

 

「そういや気になったんだけど、政は彼女とか好きな人とか昔いたりしたの?」

「え、そうだなぁ……まずどこから話せばいいやら」

「自分の予想では、彼女がいなかったに5割で、好きな人はいたけど告白しなかったに5割で賭けるね」

「彼女がいたということには1割も賭けてないのかよ」

「そりゃあね。いなさそうだから」

「はいはい。そうですか」

 

 とぼけて言う相田に対して、宇垣が冗談なくそう言った。相田は腕を組み、思い出すように目を閉じる。本気で話してくれるのだと思って、宇垣は相田の顔を見つめた。

 

「それで、結局どうなの?」

「……俺が恋をしたのは、一昨年の6月。豪雨が降り続く中、俺は濡れている彼女を見つけたんだ」

「それで?」

「ちょうどタオルを持っていたから、拭いてあげたんだ。濡れた体や毛を優しくな」

「うん……うん?」

 

 宇垣は、相田の話を聞いて少し疑問に思ってしまうところがあったが、相田は無視して話を続けるので、話の続きを聞くように再び耳を傾ける。

 

「でもその時彼女は弱っててさ……それでつい抱きしめたわけさ」

「え、そんな……あ、まさか」

「でも、その時に感じたよ。こいつとは家族になれるって」

「なるほどね。つまり、その彼女は政の下僕になったわけか」

「下僕じゃない、あいつは家族なんだ! 今は愛すべき家族の1人なんだよ!」

「1人じゃなくて、1匹なんじゃないの?」

「あ、そうか」

 

 宇垣は自分の質問に対して、相田が自分のペットの猫のことを話し始めていたことに、なんとも言えない哀れさを感じてしまっていた。それくらい、色恋沙汰なんて今までなかったということ。彼女もできなかったうえに、好きな人さえいなかったこと。ペットのことしか語れない相田が、少し可哀想にも思えてきていた。

 

「あんまり理解したくないけどね。動物というか、ペットをそこまで溺愛するなんて」

「でも、好きなんだ。あいつのこと、愛してるんだよ」

「あと、彼女じゃないよね。それにペットを好きになった対象にカウントしたらダメでしょ」

「べつに人が誰かを愛するのに、相手が人間だろうが性別だろうが関係ない。それこそ種族の違う生き物であったとしても、自分と相手のことさえ分かり合っていれば、きっと愛し合えると俺は思ってるぜ」

「…………政」

 

 相田の言葉を聞いて、宇垣はぽかんとして相田を見つめる。そんな宇垣の様子を見て、相田はどうしたのかと疑問を抱く。

 

「どした?」

「そうだよ。政にしては珍しく良い事言ったじゃないか。さすがだね、政!」

「お、おう。なんか珍しく、褒めてるな」

「今後、政の名言は『ペットであろうが、愛さえあれば関係ないんだ!』と周りに広めることにするよ」

「それだと、完全にヤバイやつじゃないか。そんな名言を周りに言いふらすのはやめてくれ!」

 

 2人は他愛もない話に花を咲かせていく。宇垣も相田も楽しそうな雰囲気で、朝のHRが始まる前の時間を過ごしていく。

 そんな時、相田と宇垣の2人がいる場所に1人の女子生徒が近づいてきた。女子生徒が相田達の目の前に来ると、2人は会話をやめて女子生徒に視線を向ける。

 

「おはよう、相田くん。宇垣くん。なんか楽しそうだね」

「あ、椎名(しいな)さん。お、おはよう」

「……おはよう。椎名さん」

 

 女子生徒の名前は“椎名(しいな) 智華(ちか)”。相田と宇垣と同じ1年5組のクラスメートの1人。このクラスの副長という役職を担っている女子であり、クラスの中でも1・2位を争うほど可愛い女子である。清楚で柔らかな雰囲気を醸し出している彼女が、何か用なのか2人のそばまで来ていた。

 

「相田くんって、創立祭の役員だったよね?」

「えっ!? あ、ああ。そういや、そうだったかも」

「さっき古部(ふるべ)先生がね、創立祭役員の人がいたら、後で職員室に来てほしいって言ってたよ」

「そ、そうなんだ。え、でもなんでこんな朝に?」

「分かんない。けど、なんか創立祭のことで、伝えたい話があるんだって。そう言ってたよ?」

「そうなんだ。わかった。ありがとう椎名さん」

「うん、そういうことだから。お願いね、相田くん」

 

 優しい雰囲気と可愛らしい容姿の椎名。相田は自然と顔を緩ませ、椎名が話かけてくれたことを嬉しそうにする。

 次に椎名が相田から宇垣に視線を向けると、やや緊張した表情を浮かべ、少し申し訳なさそうに宇垣に話しかける。

 

「それと、宇垣くん」

「ん?」

「えっと、その……ちょっと時間もらえるかな。あ、今じゃなくて、あとでいいんだけど」

「いいけど、何で?」

 

 宇垣の言葉はやや冷めたような物言いであった。さっきまでの楽しそうな雰囲気は消え、身内ではない相手と話すような。クラスメートではあるが少し距離を置いた人間と話している雰囲気である。

 

「クラスのことで話したいことがあるから」

「ああ、クラス委員の話か」

「そうそう。だから、またあとで来るね」

「わかった。またあとでね」

 

 椎名はそう言って、2人の前から去って行く。椎名はどこか用事でもあるのか、カバンを持って教室から出て行ってしまった。

 宇垣はクラスの室長という役職を担い、椎名も副室長という役職を担っている。その関係もあって、2人はクラス関連のこと。生徒会のこと。担任の先生に言われたことなど、色々と話さないといけない機会が多い。

 とは言っても、雑務を担っているのはほとんど椎名であり、宇垣自身あまり女子と話したがらないため、2人が会話をすることが多いわけではない。

 

 相田は、教室を去って行く椎名の姿が見えなくなるまで、ずっと目で追っていた。そんな様子の相田を見て、宇垣は勘づいてしまう。

 

「どうしたんだい政?」

「え、何が?」

「ずっと、椎名さんの方ばっかり見て」

「え、いや、何でもないよ」

「……もしかして政、椎名さんのこと気になってるの?」

「そそ、そんなわけないだろ!」

 

 動揺する相田を見て、宇垣は堪えきれず笑ってしまう。今の相田の様子を見れば、誰が見ても椎名智華のことを気にしていることは明白であった。

 

「ふふっ、え、嘘だろ? ちょっと動揺し過ぎなんだけど。ふふふ……」

「なっ! なに笑ってんだ! 違うって!!」

 

 宇垣が笑い出すと、相田は慌てた様子で立ち上がり、手を横に振る。それでも宇垣が笑うので、宇垣のふとももを軽く叩いては、椎名のことが好きであることを否定する。

 

「ほんと、政は分かりやすいね」

「だから違うって! そういうのじゃないから」

「まぁいいさ。とりあえず、今は違うってことにしてあげるよ」

「だから! 俺はべつに」

「そんなことより政。早く行った方がいいんじゃないの?」

「あ? 何がだよ?」

 

 相田は宇垣が何のことを言っているのか分からないでいる。そんな様子を見て、宇垣は呆れた様子で答える。

 

「もう忘れたの? 職員室だよ。椎名さんからお願いされたことを無視するつもりかい?」

「あ! そうだった! い、行ってくる!」

「うん。待ってるよ。また後でね」

 

 面白そうに笑っている宇垣を無視して、相田は駆け足で職員室へと向かった。

 

「さて……と」

 

 相田が教室を出て職員室へと向かったのを見ると、宇垣は自分の机に戻る。

 宇垣の机の上に置かれたカバンの中から、文房具箱とノートを取り出していく。宇垣は自分の机のイスに座り、文房具箱から鉛筆を右手で持って、机の上に置かれたノートに文字を書いていく。

 

「どうしようかな」

 

 ふと、宇垣は今後のことを考えながら、小さい声でそう呟いた。これからどうしていくべきか、未来を考えつつ、ひたすら文字を書いていく。文字を書いて、見つめる。見つめては苦しそうな表情を浮かべる。

 

「くそ、またいつものやつか。んっ……今は、とりあえず落ち着かないと」

 

 宇垣は書いていたノートの1枚のページを掴む。少し笑みを浮かべながら、楽しそうに文字が書かれたページを引きちぎる。

 引きちぎったページをくしゃくしゃに細かく破いていく。破かれた紙の残骸は机の中心に集め、机の上で山になっていく。それを見て、宇垣は小さく呟く。

 

「……ふう。でも、そうか。まさかだったよ、政。しかも、よりにもよって椎名さんか」

 

 にんまりとした表情で、感情が黒く染まったような声。誰にも聞こえない声の大きさで、宇垣はぶつぶつと呟いては、考えこむ。

 

「……うん。そうだね。じゃあ、これから」

 

 宇垣は、今後のことで考えが決まったのか、紙屑の山を右手で握る。

 強く握り、真剣な目つきで、なにか決意を固めたような表情を浮かべながら、宇垣は言った。決して人に聞こえることのないように、より小さく、より低い声で。愛情を含んだ言葉を口に出した。

 

 

「殺し愛さないといけないね」


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