柘榴は花恋 -近頃、私、愛したい-   作:純鶏

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0話 プロローグ

 2000年9月13日金曜日。いつもなら夕暮れが見えそうな時間に、今日は雨が降り始めていた。

 

 石川県加賀市霞ヶ丘(かすみがおか)町にある霞ヶ丘中学校。その中学校の生徒達は文化祭に向けて部活動に勤しんでいた。今日で文化祭まであと1週間を切ったので、放課後になってでも残っている生徒もいれば、やることを終えてすぐに帰宅する生徒もいた。

 

「う……ぁ、ああ……っ!」

 

 そんな中、書道部に所属する生徒2人が文化祭に向けて部室に残っていた。

 1年生の男子生徒は自分の指先についた液体を見て、顔色が絶望に染まっていく。

 

「僕、どう、して……また、こんなこと」

「……だいじょうぶ?」

 

 書道部の部員である1年生の男子生徒は、地面に膝をつき、涙を流しながら目を細めていた。

 

「たすけて……ください……月菜先輩っ!!」

「う……っ!?」

 

 1年生の男子生徒の目の前にある足。部活の先輩でもある女子生徒の両足に、部員の1年生の生徒は両手で触れていた。

 部活の先輩は自分の足に触れている後輩の手を見つめながら、冷ややかな視線を向けて始めていた。

 

「僕、どうしたら……このままじゃ、先輩を殺してしまいそうです!」

「……たしかに、とても苦しそうね」

「先輩! 僕を助けてください! もう、自分が怖くて……」

「私が、あなたを救ってあげることはできないのよ」

「そ、そんな! 先輩、嘘ですよね?」

 

 絶望した表情を浮かべる1年生の男子生徒。懇願する男子生徒の願いを、部活の先輩は受け入れない。

 ずっと冷たい視線を向けたまま、傷を負った首を手で触る。傷からにじみ出た血液が、指を赤色に染めていた。その仕草が、男子生徒を困惑させる。

 

 それはまるで、先輩は1年生の生徒を見捨てるかのような。どうでもいいと言いたげな。そんな雰囲気を感じさせていたからだ。

 

「……嘘、ですよね? 何か……言ってくださいよ!」

 

 1年生の男子生徒は頭を垂れ、苦しそうに目を閉じる。

 目の前にいる憧れの先輩。自分の知らないものを教えてくれた、愛する先輩。もしかしたら、先輩は自分を受け入れてくれるかもしれない。先輩は僕を救ってくれるかもしれない。先輩ならきっとそうしてくれるに違いないと。部室にいる男子生徒は心の中でそう願っていた。

 

 しかし、そんな期待を抱いていただけに、1年生の男子生徒は部活の先輩の言葉を聞いて絶望する。目の前の先輩に拒絶されたという現実を受け入れたくないように、目を閉じて救済を求めるように、声を震わせていた。

 

「でも、そうね。自分自身で救うという方法がないわけではないわね」

「え、自分自身で?」

 

 先輩から“救う”という言葉を聞いて、1年生の男子生徒に期待と希望の感情が顔色に表れる。

 だが、自分自身で救うとはどういった方法なのか。全く見当もつかないので、すぐにその方法を先輩に問いかける。

 

「それはいったい?」

「それはね、“じぶん”を愛せばいいの」

「自分、を?」

 

 1年生の生徒は先輩が言っている言葉に呆然とする。どういう意図でそう言っているのか分からない。そう言いたげに、顔を上げて自分の姿が映る洗面台の鏡を見つめる。

 指や手の平についた血液を、先輩は舐めている。洗面台の鏡に写る先輩のその仕草を見て、1年生の生徒はまた床を見るように頭を下げた。

 

 すると、1年生の生徒の頬に血液のついた先輩の手が触れる。

 

「あなたなら愛せるはずよ。自身に自信を持ったあなたなら、自分の本気の“じぶん”を愛することが出来るはず」

「自分の本気の“自分”?」

「そう。それが本気であるなら、本気で愛せるはず」

 

 首の傷から出てくる血液を手で触っては、手についた血を舐めている先輩。1年生の生徒に対してそう呟いた後、うっすらと微笑みを浮かべる。

 しかし、1人の生徒は危惧していることがあった。むしろ、先輩の言っていることは、結局は何も解決しないうえでの最悪の答えになってしまう。それは、涙を流している1年生の生徒にとっては、救いの言葉でも、自分を救うための提案でもない。

 つまり、先輩の言葉は、1年生の生徒にとっては自分で自分を殺せと言っているようなものであった。

 

「でも、本気で愛してしまえば……僕はいつか自分を殺して」

「大丈夫よ」

 

 先輩は、血に染まっていない方の手。もう片手に持っていたものを床に落とす。それが、1年生の生徒の足のそばまで転がっていく。

 それに視線を向けた瞬間、1年生の生徒は先輩が何を言おうとしているのか。自分を救ってくれるものが何なのか。それが今の自分に必要な物であることを気付いた。気付いてしまった。

 

 

 黒く滴る液体。部室の床の一部が少しずつ黒色に染まっていく。

 その液体は、書道部なら誰もが知っているもの。“墨汁”であった。

 

「だってそれは、白から黒に染まった“じぶん”なんだから」

 


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