【習作】アイツが転校してこない世界で   作:死んだ骨

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 気味の悪い夢を見た。

 

 浅い眠りからか、異常なほど冴えた寝起きだった。

 場所は屋根裏部屋で、洗面台から出た覚えもないのに布団の上。

 そういえば、意識を失う前に何か気になるモノを見た気がする。

 少しだけ体を起こして左手の甲に浮かぶ盾の紋様を見た。

 赤く刻まれた刻印。

 よく見れば、3つにわかれて盾を形成している。

 これが俺の左手の甲にあるということは、選ばれたということだ。

 望みを叶えてくれる願望機に。

 時期を考えると、第四次の候補者として選ばれている。

 参加する気は毛頭ない。

 この刻印は、魔力源としての用途しか見出していない。

 自身の生成する魔力量を上回るものだ。

 言峰綺礼と同様、一時的な魔術の行使に使う。

 普段の自分なら届かない魔術も、純粋な魔力源を用いて無理やり届かせる。

 それを可能にするのが、この刻印だ。 

 サーヴァントを喚ぶという手もあるが、聖杯の援助がなければ現界させ続ける魔力はない。

 奴と闘う寸前に召喚し、出てくるのが弓兵(アーチャー)クラスであれば戦わせることもできるが、非効率極まり無い。

 なにより弓兵(アーチャー)クラスのサーヴァントを喚べる保証はないし、触媒も無い。

 やはり、魔力源としての使用を考えたほうが良い。

 俺が使うとしたら、何に使えるのか。

 現状で考えられるのは、騎士王のように魔力でブーストを掛けて叩きつける方法しか思い浮かばない。

 それで奴に届くのか。神秘性の無い攻撃は即座に回復される。

 ”アイツ”のように、呼吸を合わせて一瞬の虚を突いて心の臓を止めるなんて芸当が出来るはずもない。

 毒でもないものを、毒として植えこむなんてとんだ化け狐だ。

「回路さえ使えれば……」

 歯がゆさからか、自然と拳を握りしめた。

 力が入りすぎて奥歯が砕けそうだ。

「まだ迷ってるのか? もう時間がないんだぞ……」

 時間はない。

 何度この自問自答を繰り返せばいいのか。

 いい加減うんざりだ。

 逃げられない。

 死ぬことは避けられない。

 それに魔術回路が使えるからって何になるんだ。

「……俺じゃあ倒せないんだよッ!!」

 思わず側にあった目覚まし時計を掴んで投げつけた。

 それは壁にぶつかって、簡単に形を崩した。

 まるで、ベオウルフに轢殺されて人としての造形を保てなくなった自分のようで腹が立つ。

 奴に対して刃が立たない自分が憎くて、どうしようもない無力感に対しての嫌悪感が堪えられない。

「なにが覚悟は固まってるだ。死ぬ覚悟なんて出来るわけねえだろ……! 死んだとしても、青子が魔法を使うなんて保証がどこにある! 万が一、蘇生されなかったら――」

 そんな事想像したくもない。

 考えたって無駄なことだ。

 奴を倒さなければどのみち死ぬし、倒せたとしても橙子姉に即座に殺される。

「…………どうしようもねえだろ」

 乾いた笑いが出た。

 死から逃げたくなる気持ちを抱えて、子供のように縮こまるより、走って気を紛らわせたほうがいいと思った。

 走ることは無駄にはならないし、雑念も振り払えるから。

 

 ――そんなものは建前で、死を受け入れるのを先延ばしにしただけだ。

 

 それでも、クマに言ったんだ。

 未来を変えると。生きて帰ると心に誓った。

 奴に勝つ方法を、考えなければいけない。

 ただ、どうしても勝機が視えないというのなら、創りだすしかない。

 勝てる未来を創ればいい。

「……ベオウルフを倒せる未来を、創る」

 それが俺に課せられた使命だ。

 

 

 

 

 12月の中旬になれば、いつしか冬休みが始まっていた。

 その間に俺ができたことは限りなく少ない。

 有珠と話し、左手には包帯を巻いたままだ。

 そして、ただ走り、魔眼を使おうと試み、ベオウルフを倒すことだけを考えた。

 戦いの日に向けて体の状態は万全に整えておきたい。

 魔眼の任意での使用はできなかった。

 ベオウルフを倒す方法も、現状では最適な解は得られてない。

 奴は先祖返りした、本物の人狼だ。

 神秘性のない攻撃では、致死量は与えられない。

 ただ、”アイツ”が奴を倒した方法はそうじゃない。

 奴は子供だった。

 敗北を知らない、また、自分の敵になる存在がいるとは思っていない驕りがある。

 付け入る隙はそこだ。

 以前相まみえた時、奴はきっと俺の存在を害虫とも見ていなかったはずだ。

 俺という存在に対して油断がある。負けるはずがないといった自負がある。

 俺が狙えるところはそこしかない。

 ただ、俺にはその隙を突く武器がない。

 まともに扱えない魔眼に、封じられた回路。

 状況は最悪だ。

 魔術の予行練習さえ出来やしない。

 おまけに、今はその対策を練る時間さえもない。

 なんでこんな事しなきゃいけないのか、できればさぼりたい。

 そんな俺の気持ちと以心伝心した怠け者がいた。

「なあ、護。逃げ出さね? こんな寒いのにジャージでゴミ拾いやらせるって間違ってるべ」

 めんどくさそうにちりとり持って、枯れ葉をかき集めながら文句たれたほうすけ。

「だったら逃げるか? 逃げたいよな……。でも、鳶丸がめんどくせえよ」

「だよな~問題は。他のやつ巻き込んで集団で逃げちゃう?」

「それやったらさすがに可哀想だろ。本当にやりそうであとが怖い、会長様、容赦無いからな」

「え~」

 不満そうに口をとがらせ、納得がいかないと眉間にしわが寄ってる。

 そんな表情をしたいのはこっちのほうだ。

「補修食らったわけじゃないのに、なんでこんなとこいんだろうな」

「会長に無理やり参加させられたんじゃねえの?」

「ちげえよ。誰かさんがムキになって、子供を追いかけるから、止めるために参加したんだっつうの」

「はあ? 子供?」

「そうそう、金髪の美少年を追っかける誰かさんをさ」

「なにその嫌味な視線? おれ? まだなんもやってねえよ!?」

「ほんとに~?」

「……なぜか、やってもいないのにやった気分になってきた。寒気までしてきたし、ちょっとトイレ行ってくる」

 ちりとりを地面において、駆け足で視界から消える前に声をかける。

「逃げんなよ!! ほうすけ!」

「――はいはい、逃げませんよ!」

 信用出来ない。

 どうせ、帰ってくる途中で芋焼きグループを見つけてそのままだろう。

 こっちも辺りに散らばる枯れ葉をゴミ袋に詰め終えたら休もう。

 寒くて仕方がない。

 慈善清掃が始まって、そろそろ二時間くらいか。

 陽は指しているが、暖かくはならない。

 冬特有のこの状態が俺は嫌いだ。

 もっとも、この嫌いな冬に次があるか、まだ不確かだ。

 あると良いな。

 また冬が来た時に、この季節は嫌いだと言える日が来るのを望む。

 何気ない日々が俺には輝かしいくらい眩しい。

 何もせずに過ごせば失うのはわかってる。

 失いたくないから、後悔したくないから、好きな女の子を死なせないために未来を変える。

 なんてかっこいいんだ。

 好きな女のために命を張る。

 きっと正義の味方にでもなれるんだろうか。

 ピンチの女の子を救って、吊り橋効果で急接近。

 最高のシナリオじゃないか。

 なんて、少しでも考えたことがある自分が反吐が出るくらいに気持ち悪い。

「……くそ。それが出来るのなら苦労はねえよ」

「なーにが苦労ねえんだ?」

 急にかけられた声に驚いて、振り返った。

「なんだ、鳶丸か。脅かすなよ」

「いや、そんなつもりはなかったんだが。それより、ほれ」

 鳶丸はポケットに忍ばせ缶を投げた。

 両手がふさがっていたが、なんとかほうきをを手放した手で掴む。

 するとじんわりとした暖かさが伝わってきた。

「っと、しるこ缶ね。ありがたいこって」

「休憩時間だし、向こう行くか? 暖ならあるぞ」

 鳶丸は視線を、離れた場所にいる別の班に向けて言った。

 だが、俺は首を振った。

「……俺は、こっちでいいや。少し、明るすぎるから」

「? まあ、いいか。だったら俺もこっちで休むぜ」

「付き合いがいいな。暖炉で侍らせてた女子たちはいいのか?」

「充分に楽しんだからな」

「ひっでえ。あんまり粉かけすぎて、下手な遺恨残すなよ」

 む、と緩めた顔を引き締め、それもそうだなといった顔をした。

 鳶丸的には粉をかけてるつもりはないが、相手が勘違いするのを考慮してなかった。

 これからは気をつけようって表情だ。

 やめときゃいいのに。

「そういえば、どうなんだ。まあ、アレは。風のうわさでバイクを買った話も小耳に挟んだし、準備は進めてんのか」

「なんだよ、その曖昧なのは」

 言葉にしにくいのか、やや困り顔で察しろと言いたげだ。

 まあ、わかる。わかるっちゃわかるが、慎まなくてもいいと思う。

「まだわからない。ひとまず、久遠寺有珠との事については大丈夫だ。話し合いをして、これからについて情報を交換したりもしたし、彼女に殺されることはないだろうよ」

「おお、なんだか俺の知らないことまで話は進んだのか。でも、お前の言い方じゃあまだ終わってないふうに聞き取れるが?」

 そうだ。と頷いた。

「敵が増えてな。俺はその人に、まあ、宣戦布告したせいで目の敵にされたかもしれない。これからの俺の命運を分けるのは、その人に殺されないようにするのが課題だな」

「なんで宣戦布告なんてしたんだ。乗らなきゃいい話だろ」

「青子を天秤にかけられたら迷わねえだよ」

「…………なるほどな。そりゃ、お前は引かねえな。で、奴さんの対処法は?」

「―――――――」

 ただ、押し黙った。

 まだ具体的な解決方法を出していないからだ。

 俺の様子を見て、目に力が入り不安げな顔で鳶丸の視線が突き刺さる。

「おいおい、まじかよ。こりゃ、来年にてめえの面が拝めなくなるのも可能性が高いな。だとすると、これからどうすれば蒼崎の怒りを受ける盾を用意すればいい?」

「もうちょっと別の言い方はねえのかよ! 少しはオブラートに包め! てか盾ってなんだよ、お前の身代わりになるつもりなんてこれっぽっちもねえぞ、おい」

 もう少しだけ、重い空気になる予定がぶち壊された。

 わざとやってるんだろうが、うまくのせられた気がして釈然としない。

「まあ、帰ってこいよ。顔見知りが消えるってのは後味悪いし、お前に渡されたもんも、使わないままのがいいだろ」

「うるせえ、念のためだ」

 鳶丸とそんな話をしながら、俺は集めていた枯れ葉を全てゴミ袋に入れ終えた。

 そして、ふと聞こえた絶叫に体が反応する。

 同時に熱が回る。

 俺は鳶丸やゴミを全て放置し、反射的に声の方へ駆けた。

 全力だ。

 一秒たりとも遅れは許されない。

 山に慣れてないせいか、時折樹の枝が頬をかすめる。

 傷口から垂れてくる血を拭うことなく、荒れた土を踏みしめてあの場所に向かう。

 数分後、俺はその広場に辿り着いた。

 はげ落ちた木々は途切れ、辺りが見渡せる場所だ。

 遠くに見える木造の建物が、ついこないだ肉を届けた場所でもある。

 旧校舎だ。

 俺が、死ぬ可能性があるとすればここしか無い。

 事実、死ぬ俺がいたのだろう。

 自分が死ぬ未来を見て、逃げた俺がいたのだろう。

 でなければ、聖杯戦争に参加してあの赤い男と会えるはずもない。

 ただ、それだけのことだ。

「芳助、やめておけ。追いかける必要はない」

 その旧校舎のグラウンドに、一人立ち尽くしていた男に声をかけた。

「お? なんで追いかけてきたん? って、俺逃げてないからね? ちょっとワケありで」

「戻ってこなかったのは確かだろう。言い訳するな」

 すまなさそうに顔をしょげて落ち込むも、仕方ないだろうと言う。

「ほら、あのガキ。イモ持ってるだろ……ってああ、校舎の中に逃げやがった!」

 今にも追いかけんと、指を指し憤慨する。

 俺も指差された方向を見て、小さな人影を見た。

「ったく、いつからガキの遊び場になったんだか。ちょっと金髪なんで驚いたけど。って、さっき護そんなこといってたっけ!? あれ、あのガキのこと知ってたん? だったら先に言ってくれよ」

 追いかけて損をした。項垂れた顔で、元きた道を引き返そうとする芳助。

「いや、悪いな。もしかしたらこんなことになるかもと思ってたが、注意する前にお前が消えたから」

「あれを注意って言いますか? むしろ予言だろ、それ」

「予言者だったら、金稼ぎに使うって。会社興すぞ、会社。芳助に使うだけ無駄だ」

「ひっでえ。俺の恋愛運でも占ってくれよ」

「お一人様一万円からな。それと、奴が睨んでるからさっさと帰るぞ。気難しい年なんだ。ほっておいたほうがいい。鳶丸にもこんなことしてたら午後までやらされる」

 げ、そりゃ勘弁して。と金髪の子供には目もくれず、足早に山を降りようとした。

 そんな俺達を出迎える、我らが会長様が息を切らせて登ってきた。

「一体どうしたってんだ。急に走り出して、人の声は聞かねえし、無駄に速いんだよ」

 鳶丸の息が乱れてる。

 俺に遅れて二分強だが、相変わらずスペックが高い。

 特に運動をしているわけでもないし、タバコなんて吸ってるくせになかなかの物だ。

「それで、木乃美、無事か?」

「? 何事も何も、殿下こそどったん?」

 いつも罵倒されるのが当たり前で、心配などされたことがないのか、目をしばたたくする。

 というか、気味が悪そうに鳶丸を見ている。

 すごくあり得ないものを見てる目だ。

 まさか、鳶丸が偽物かもしれないと疑ってるのだろうか。

「おい、てめえな、あんだけの大声あげりゃ心配すんだろうが。上で何かあったんだろう」

 芳助に向けられたのを、俺が割り行った。

「それについては気にしなくていい。無視して問題ない」

「あ? それ、どういう意味だ」

「いま、奴に突っかかると困るのは俺なんだ」

 伝わるかどうかわからないが、鳶丸に見逃してくれと目で訴える。

 だが、それは鳶丸の困惑を強くさせるだけだった。

「意味がわかんねぞ、っておい」

 伝わらないなら伝わらないで、それでいい。

 俺は鳶丸の背中を押して山を降りる。

 次に奴に会うのが、俺の最期だろう。

 

 

 

 掃除が終わる頃には、すでに午後の3時を回っていた。

 別れ際、遊びに誘われたが、用事があると言って断った。

 今の俺に気持よく遊ぶ心の余裕はない。

 今日もまた、日課になっているランニングのために洋館に帰る。

 土で汚れた体が気になって風呂に入ろうと思う。

 走った後にもう一度入る羽目になるが、まあいいだろう。

 ロビーには静けさが広がっている。

 有珠はいるだろうが、青子はまだ帰ってきていないのかもしれない。

 俺は軽いシャワーを浴びて、着替えランニングに出かけた。

 二時間もして、帰宅すれば居間から話し声が聞こえる。

 どうやら俺がいなかった間に帰ってきたらしい。

 一応、顔だけ出すつもりで居間に行く。

 期末試験の終わりから、青子と有珠の生活スタイルが魔術師のそれに変わった。

 本格的に作戦を練っている。

 予め有珠に敵のことを話しているため、その情報を隠しながら青子と作戦を考えるのも大変だろう。

 外出が極端に減って、それぞれの部屋でこそこそやってることが多い。

「ただいま」

 静かにドアを開けて、そっと声を発した。

 二人は向い合ってソファに座っていた。

 青子は無視。目もくれず、有珠との会話を続ける。

 対照的に、有珠は返事こそ無いものの、視線だけで応答した。

「これじゃあ、芋づる式よね。鈴穂の視点が消されて、陶川の支点もやられた」

「……ええ。この2つが消された以上、残りの支点が消されるのもすぐよ」

「甘かったわ。相手の進行がここまで早いなんて、楽観的すぎた」

 青子が顔を歪め、有珠が淡々と答え、青子は認識を改める。

 その会話を聞いて、俺は背筋に嫌な汗がでるのを感じた。

 おかしい。

 まだこの時点では、消された支点は一つだけだったはず。

 2つもやられてはいなかった。

 橙子姉の進行が早い? でも、どうしてだ。

 なにを焦る必要があるのか。

 彼女には有珠と青子を下す方法があるはずだ。

 警戒することは何もない。

 違う。あの二人は警戒する必要はない。

 問題は俺だ。俺のせいだ。

 交渉時の、俺の啖呵の切リ方がダメだった。

 うまく行きすぎたのがいけなかった。

 キシュアゼルレッチの名前を出したことが拍車をかけているに違いない。

 魔法に対して並々ならぬ執着がある人だ。

 彼女との交渉で刺激しすぎた結果がこれか。

 何か、崩れていく予感がする。

 慎重に積み重ねてきた土台が音を立てて崩れていく。

 あの人を本気にさせてはいけない。

 もう少しだけ、さじ加減を見極めるべきだった。

「護、アンタ顔青いわよ?」

 はっと、顔を上げた。

 青子はただ、俺の身を心配そうに見てるだけだ。

 でも、有珠は俺が与えた変化について気づいたのか。

 やや含みのある視線だった。

 二人の視線に耐え切れず、逃げるように居間を出た。

 こういうことはあると、考えなかったわけじゃない。

 知らないからこそ、成功することがある。

 また、知ってしまっていたからこそ状況が悪化することもある。

 知識があるからといって、全て成功に導けるわけじゃあない。

 蒼崎橙子とて人だ。

 感情で気が変わることがある。

 この先、どう状況が変化していくか予測ができない。

 ただ、あの人は有珠を殺しはしない。

 ……はずだ。無力化でとどまってくれないと困る。

 でなきゃ、律架さんに頼んだ意味が無い。

 袖で額に現れた汗を拭う。

 ランニングでかいた汗の上に、冷や汗が重なる。

 体から熱はすでになくなっている。

 まだ、大丈夫だ。

 大丈夫なんだよな、まだ。

 俺が自分の責任で死にのはまだいい。

 でも、俺が原因で誰かに死なれるのは困る。

 死ぬのは怖いけれど、誰かを死なせてしまうことのほうがより恐ろしい。

 死を償う方法なんて知るものか。

 青子を死なせないために、俺は行動してるんだ。

 彼女が死ぬ姿を思い浮かべて身震いがした。

 少し温まろう。

 嫌な汗も、感情もできるだけ早めに流そう。

 水と一緒に、流せばいい。

 今はただ、囚われてないで打開策だけ考えればいい。

 俺が考えなきゃいけないのは橙子姉じゃない。

 ベオウルフの打倒のみだ。

 彼女のことは、二人の対応に任せればいい。

 有珠ならうまくやるだろう。

 俺なんかよりも、よっぽど素晴らしい魔術師でかしこい。

 とぼとぼと廊下を歩き、階段裏にある洗面台で衣服を脱いで、左手の包帯をほどいてカゴに投げ込もうとした時、見てはいけないモノを見てしまった。

 そういえばこんなイベントあったっけか。

「……っは。情欲の一つも湧きやしねえ」

 大きさからどっちのかはひと目で分かる。

 そんなことがわかったところで、嬉しくない。

 浴室に入り嫌な汗も気持ちも、溢れる湯水で拭い去る。

 鏡に映る自分の姿は、追い詰められ風前の灯火だ。

 よく考えなくても、聖杯戦争でアーチャーに会った未来はおかしい。

 今の俺に参加する望みはない。

 だが、未来の俺にはあった。

 以前、旧校舎で倒れた時に視えた男。

 あれは十中八九俺自身だ。

 確信がある。左手の甲に巻いた包帯に、壊れかけ叫び声をあげながら山を下った。

 そいつは視えなかったのだろう。

 勝てる未来が、視えなかった。

 仮にも俺だ。必死でなにか方法がないか知恵を絞ろうとしたはずだ。

 青子を死なせないために、自分にできることを探していたはずだ。

 でも、何もできなかった。

 その俺は、魔術回路も拓けず、魔眼も扱えないながらも未来を視て折れた。

 神崎護に勝機はなく、敗北する未来が確定していた。

 だから、逃げた。

 今の俺からすれば、根性なしと罵倒することもできる。

 何故最期まで足掻かなかったのか。

 一歩踏み出して、負けるとしても僅かな可能性に賭けようとは思わなかったのか。

 一パーセント以下でも、可能性はあったかもしれないのに。

 膨大な原作知識と、外の世界との齟齬による演算型の未来視でさえ勝てる未来がなかった。

 故に逃げた。

 神崎護の中でもより臆病で、仲間との信頼を築けなかった男。

 今の俺は、折れそうになっても耐えられる支えがある。

 鳶丸やクマとした約束。

 でもそいつにはその約束がなかったのだろう。

 今の俺ほど未来視の精度がなく、最後の最期で視えた希望が死だけだった。

 逃げたそいつがどういう経緯で聖杯戦争に参加したのかは分からない。

 でも、願う価値はある。

 普通に使おうとすれば、意図した結果より悪質に叶うモノに成り果ててはいるが。

 第五次では、あの魔術師がいる。歴代最高峰の魔女。

 聖杯の本質を見抜いた女。

 彼女と組めれば、参加するには十分な理由がある。

 もう少しだけ、そいつの未来が視えれば。

 何か得られるものがあるかもしれない。

 未来のそいつを通して、今の俺が手に入れられないものを得られる。

 ただ、それをする為にどれだけの対価を支払えばいいか。

 青子は魔法使いだからそれができた。

 未来の自分の経験を引き出し、蒼崎橙子に対抗しうる実力を備えて戻ってきた。

 俺にはそれができない。

 魔法にはたどり着けず、莫大な魔力量も、特別な才能も持ちはしない。

 見たい未来を指定して焦点を合わせることの難易は計り知れない。

 でも、それができれば届く。

 欠け落ちたピースを埋めるパーツがあれば届く気がする。

 勝てる未来にぐっと近ずく。

「あと一つ。……それさえあればきっと――」

 服を着て、廊下に出れば二人がいた。

 首からバスタオルを下げた俺は青子と目が合う。

 何となく気まずくて、左手で頬をかいた。

 ふとした行動に、息をのんだ。

 見られないために巻きつけていたものを、今は身につけてはいなかった。

「……護、あんたその手」

 すぐさま右手で左手の甲を覆う。

 今の俺の甲には、完全に刻印が浮かび出ている。

 クマに見られたときは痣程度だったが、現在は誤魔化しがきかないレベルだ。

 煌々と赤い刻印が浮かんでいる。

 それは、代々と魔術刻印を引き継いできた青子や有珠には俺のこの刻印がそれに類似するものだと見破られるだろう。そうだとすると感ずかれてしまう。

 まだ知られるわけにはいけない。

 俺と青子の、ただの幼馴染でいれる関係を維持するためには気が付かれてはいけない。

 自然と目線を反らしてしまう。

「…………」

 青子もまた、俺の反応から追及はない。

 沈黙のまま数秒。

 だれも動かない。誰も言葉を発しない。

 こびり付いたヘドロのような空気の中、そんな汚れを洗い流す声が響いた。

「青子、行くわよ」

「――ええ、そうね」

 二人が階段を上って消えるさい、有珠の視線を受けた。

 このままでいいのかと。言われた気がした。

 足から力が抜けて、壁際まで後退する。

 そのまま背中で寄りかかり、ずるずると体を落とす。

「……あと少しだけ、待っててくれ」

 

 その日から、より一層青子との距離が遠ざかった。

 洋館の中ですれ違っても軽い会釈くらいしかない。

 それに反して、ランニングの量が増えた。

 早朝に走り、クールダウンの後にトレーニング。

 体に鞭を打って、少しでも強く、動けるように。

 昼からまた外に出て隣町まで走り続ける。

 今日はいつもとはルートを変えた。

 この洋館から、森林公園までのタイム計測を行う。

 速度を落とさず、むしろペースを上げ続ける。

 長距離用の走り方などではない。

 短距離のペースで速度を維持して、時間を短縮しようと努める。

 呼吸が乱れて、喉から鉄の味がする。

 胃が締め付けられて気持ちも悪くなり、戻しそうにもなる。

 それでも、止まるわけにはいけなかった。

 ここで止まったら、だめだ。

 諦めることになる。

 抗うことをやめるわけにはいかない。

 ただ、本音を言えば"アイツ"に負けたくないという感情が喉に詰まる。

 そんなことを考えて気をちらしていれば、足が回らなくなって躓いた。

 そのまま慣性で体が前に投げ出される。

「っ……、いってえ、くそ」

 顔も、手のひらも、膝もあらゆる箇所を擦りむいた。

 傷がついた場所から血がにじみ出ていた。

 その上、体のあらゆる筋が悲鳴を上げている。

「これじゃあ走れねえ。洋館まで何時間かかるか」

 痛みを我慢して、なんとか立ち上がる。

 傷口が伸縮してひりひりと痛む。

 最初は足を引きずりながら、数十分後には歩いて。

 そして一時間もすれば早歩きだ。

 徐々に走り始めて、三時間もたてば洋館に戻ってこれた。

 こそこそと誰にも会わないように、気を配りながら館内に入った。

「……よし、誰もいないな」

 あたりを見回し、そっと屋根裏部屋に向かう。

 二階まであがり、左右に広がる通路から人が通らないか確認。

 そのまま後ろ向きで三階を上がる。

「これで大丈夫」

 深い溜息を吐いて振り返りながら階段を一段上がれば、何かにぶつかった。

「っ」

 か細い、女の声だ。

 この距離で、そいつの声を聴き間違えるほど落ちぶれちゃいなかった。

「青子」

 つい口から出た。

 そして、肝心の青子は呆然としていた。

「……なに、その傷」

「いや、なんでもねえよ」

「なんでもないわけないでしょうが」

 さっき俺がついた溜息と同じくらい深いものを青子はした。

「手当、してあげるから私の部屋来なさいよ」

「いいって」

 逃げようと階段を上がろうとすれば、手をつかまれた。

「きなさい」

 有無を言わせず、ただ俺は引っ張られた。

「痛いって」

「うるさい。それを治療してあげようとしてるんじゃない、アホ」

 何を言っても言い返されそうで、黙ったまま青子の部屋まで来てしまった。

 ベットに座ってろと言われて、青子は救急箱を持ってくると部屋からいなくなった。

「どうやって誤魔化そうか」

 青子のベットに横たわり、顔を腕で覆う。

 考える時間はあまりない。

 聞かれたら答えるか、先延ばしにするか。

 そんなことを考えてるうちに青子は帰ってきた。

 目が合ってどちらも固まるが、青子はせっせと救急箱をテーブルに乗せて開けた。

「ほら、脱ぎなさい」

 顎でくいっと指示が出た。

 しぶしぶ上着を脱いで、消毒液を吹きかけられる。

 痛みがあったが、それもすぐ落ち着いた。

 青子の手当は上手かった。

 カーゼや包帯巻きまでテキパキとこなし、ものの数分で終わらせた。

 その間に会話はなかった。

 俺は何も言わなかったし、青子も口を開かない。

「聞かないのか」

 だから、つい言ってしまった。

 口から出した後で後悔しても遅い。

「聞かないわよ」

「……いいのか」

「昔のお返し。護、中学の時に聞かなかったでしょ。だから、聞かないわ」

「……そっか、助かる」

 下手に構えて損をした。

「でも、これだけ言っておくわ。無茶はしないこと、いい?」

「……まあ、考えとく。そっちこそ無茶すんなよ」

「それは無理ね。今はそんな状況じゃないし」

「人には無茶するなって言って、自分はちがいますって卑怯じゃないか?」

「この家では私と有珠がルールよ」

「忘れてた。俺は居候だったな」

 微笑をこぼして、会話は止まった。

 背中を見せていた状態から、振り向いて青子と向き合う。

 青子の視線はただ、俺の左手の令呪に注がれていた。

 それを見られているのが、なんだか座りが悪く隠したくなる。

 けど、青子はおもむろに立ち上がり机の引き出しからなにかを取り出した。

 そのまま無言で青子が持つそれを差し出される。

 包装のされた小さな物だった。

「なんだこれ」

「見ればわかるでしょう。プレゼントよ」

「なんでこのタイミングなんだ」

「アンタ、ずっと包帯っばっか巻いてるでしょ。だから丁度いいんじゃないかって見繕ったの」 

「開けていいか?」

 ええ、と頷いた青子。

 俺は包装されたそれを綺麗に剥がし、中からバンドが見えた。

「こうかな」

 包帯で左手の甲を覆い。

 そのバンドを手首ににしっかりと嵌まるように付けた。

 似合うかどうか、青子に見せる。

「ピッタリね」

「そうだな。ありがとう、長く使うよ」

「どういたしまして」

 この部屋に来る前とは雰囲気が変わった。

 俺が発していた硬い空気を、青子は柔らかくしてくれた。

 知らずに笑みがこぼれる。

 返さなきゃいけないものが増えた。

 つまり、負ける訳にはいかない理由が増えたということだ。

 もう、心は硝子ではない。

 立ち向かう覚悟が、少しずつ地面に根を張りつつある。

 

 

 

 12月も残すとこ10日。

 いよいよもってこの時がやってきた。

 青子と有珠のやれることが残っておらず、張り詰めた空気が充満する居間。

 俺は、気分転換にと二人に水族館のチケットをプレゼントした。

 二人は賛成し、準備を終えて屋敷を出て行った。

 そして、俺は一人で待つ。

 あの人を。

 日が暮れる。

 窓からオレンジ色の光が差し込んでくる。

 夜になった。

 すでに外は暗くなり、電気のついていない屋敷は真っ暗だ。

「……なぜ、来ない」

 頭を抱えるも、舌が乾くだけで思考が回らない。

 何が悪くて、何が正しかったのか。

 もはや正常な判断はできない。

 黒い靄が視界に映り込む時、嫌な音が聞こえた。

 その音は一つや二つではない。

 何十と似たような響きが反響してる。

 すぐにソファから立ち上がり、外に出た。

 瞬間、暗闇の中から何かが俺に向かって飛来して来た。

 咄嗟に避けようとするも、完全には躱せない。

「――――っ!!」

 出来るだけ傷を浅く留めようと、体を捻る。

 だが、飛来する何かは、さらに横から来たよくわからないものに吹き飛ばされた。

 俺の身を救ったそれは、俺を一瞥し身の安否を確認してから入口の方へ消えた。

 否、響き渡る何十もの音の方へ向かったのだ。

「……嘘だろ」

 疑問は尽きない。

 今なにが俺を襲い、なにが俺を救ったのか。

 前者は、すぐ側に転がっている。後者は、有珠のブロイだ。

 俺は転がったそれを見て、下唇を噛んだ。

「どうしてこれが、ここを襲ってくる!」

 鉄門に向かって駆ける。

 館内を守るブロイが多数起動しているのが分かる。

 外に出れるものだけが、敵を迎撃している。

 途中、はぐれた敵の一つが俺を標的とした。

 俺は何もできずに、腕を前でクロスして敵の攻撃を受けた。

 当然、人の身から繰り出されるものと違って重かった。

 体は吹き飛ばされ、折れる一歩手前だ。

 手が震える。

 恐怖か、痺れているのか。

 今はわからない。

 分からないことだらけだ。

 なんとか立ち上がろうとして、追撃が顔を穿った。

 視界が揺れて、上下左右が認識できずに何かに衝突した。

 背中が痛む。腕が痛む。

 無事な所はどこか。それを探すほうが大変だなと場違いなことを考えていた。

 焦点の定まらない目で、こちらに這いながら近寄る敵をなんとか見る。

 これは死んだかな。なんて、情けなくも考えてしまった。

 それは駄目だ。許されないことだ。

 ついこないだ、決めただろ。

 死なないで、帰るって決めたじゃないか。

 それを裏切る訳にはいかない。

 あいつらとの約束を反故にしちゃいけない。

 なにより――

「こんなところで意味もなく、お前みたいな雑魚に殺されてたまるかっ……」

 視界はぶれてても良い。

 俺は眼を拓いて、敵を視る。

 視界に写ったのは、両手に武器を持ち、敵を倒した自分だ。

 やり方は分かってる。

 そんなものは十年も前から知っている。

 ただ、心を形にすればいい。

 衛宮士郎は剣だった。

 じゃあ、俺は――

 

 脳裏に浮かぶのは、一人の女の姿だ。

 ずっと側にいたいと願い、守りたい女でもある。

 傷つくのは俺だけでいい。そいつが傷を負わないように俺が代わってやる。

 だから下がってればいい。

 俺は、その女の前に出るだけで起動する。

 その女を護る、盾になる。

 

 

「――、――」

 

 

 

 


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