【習作】アイツが転校してこない世界で   作:死んだ骨

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希望の光

 

  

 ただでさえ冷えきった空気に、より冷気を増すほどの冷ややかな瞳が神崎護を視界に移す。

 彼女の気迫に飲まれまいと、意志を強く保ち視線を交わした。

 なんだかここ最近、気の強い女性に睨まれてばかりいる。

 相手が揃いも揃って美人ばかりなのが唯一の救いか。

「…………」

「どういうつもりかしら」

「青子には内密に、君とはどうしても話しておかないことがある」

 護の言葉に、有珠は眉を顰める。

 神崎護にとって蒼崎青子が有珠よりも信頼たる人物であるのは、屋敷での生活によって見て取れる。

 過ごした月日の濃さも加味すれば、それは他人には害せないほどの繋がりがあるのだろう。

 魔術師としての存在を神崎護に認識されてからは、その繋がりもより強固なものになったと言えるだろう。

 であるのに、どうして目の前の護は有珠に内密で話があるというのか。

 彼女の疑いの色は濃くなる。

「なぜ青子に隠す必要があるのかしら。どちらかと言えば、私に秘密にするべきではなくて」

 有珠にとっては当然の疑問だろう。

 神崎護からすれば有珠よりも、青子が信頼の対象であることは間違いはない。

 有珠と青子、どちらに背中を預けるか。信頼度なら後者、安全を考慮するなら前者。と護は答えるが、有珠には護の思考は読めない。

 意図が読めす、警戒心を強める彼女はより眉を顰める。

「青子と一緒かな。俺に魔術師であることを秘密にしてた理由とさ、同じだと思う」

「…………?」

「気心知れた相手に隠し事ってさ、妙な罪悪感に襲われるんだよ。本当は打ち明けたいのに、訳あって打ち明けられないことがあったりするだろ」

 自傷めいた言葉だ。顔を下げて自分に言い聞かせるような言葉。

「何世代も続いた魔術師のルールのように、一般人には秘匿されるのが常識とされる。それと似ているかな。青子とはさ、出来るだけ魔術に関わりのない幼馴染みとして接していたいんだよ。だからかな。特に、青子にはまだ知られる訳にはいかないし――これは青子と"あの人"の問題だ。そのとこについてどうしても君の耳に入れてておいたほうがいいと思った」

「"あの人"? それは一体、誰のことなのかしら」

 ふと、神崎護は背後に位置する玄関に流し目を送る。

 ここ最近、だいぶ感覚が戻ってきてる。

 むしろ、イメージに体が追いついてきた感じだ。

 感覚が鋭くなり、体の状態も把握ができるようになってきた。

 気配はない。魔術的要素の残留もない。それを確認した上で、言った。

「敵だ。君と――青子の敵だ」

 即座に有珠は護を敵視するような目を向けた。

 危険分子であるかのような認識をされたのだろうか。

 まあ、敵の情報を二人が殆どつかめていないのに。

 居候の一般人がそれを知っているのもおかしなことだ。

 疑うのが正しい。

「……それは、この地を狙う敵、という意味かしら?」

「――ああ。相手の人数も戦力も把握してる」

 護の言葉に数秒ほどの沈黙が訪れた。

 顔を伏せ、右手を顎にやる仕草から状況を整理してるのだろう。

 居候の人間から敵の情報が出てくるとは思うまい。まあ、嘘の可能性も無いとは言い切れないが。

「どこでその情報を得たのか、聞いてもいいかしら。俄に信じがたいけれど」

「昨日直接会って話をした。俺の古くからの知り合いで、君とも面識がある。そして、青子と最も因縁ある相手といえば分かるだろう」

 たっぷり十秒の空白。

 たったそれだけの言葉と時間で有珠は確信したように目を見張った。

「……なるほど、確かに"あの人"ならここの結界に引っかからないわね」

 流石魔女なだけあって、驚きは少ない。

 敵の正体を知ってむしろ納得したふうに見て取れる。

 が、何か引っかかることがあるのか首をひねった。

「どうして、今なのかしら」

「ん?」

「あの人の力量なら、後継者が変わった時には祖父を消し去ることもわけないはずなのに」

「魔法使いとしての後継者が変わった時、中3の時のことか?」

「……ええ、時間を置く理由が分からないわ。……て、ちょっと待って神崎君、いまなんて言った?」

 熟考していたはずのアリスが急に顔を上げて護を睨みつける。

 遊園地の時とは違った凄みに顔を後にそらす。

「後継者が変わった時のことか?」

「その前よ」

「ま……魔法使い?」

 その発言に、アリスの興味の矛先が護を突き刺した気がした。

「神崎君に魔法使いに関しての話はしていないはずだけど。青子もそう容易く口にするとは思えないし――まさか、あの人ね」

 思わぬ展開に内心戸惑い、鼓動が早くなるがアリスがいい方向に勘違いをしている。

 口裏だけ合わせて負債は橙子姉に押し付けよう。 

 昔は散々やられたんだ。

 これくらい問題ないだろう。

 むしろこれからつくたくさんの嘘を全て押し付けよう。

「そうなんだ! 橙子姉気分が良かったらしくてさ、いらない情報をいくつか話してくれてな」

 なんだか呆れたように、小さなため息が彼女からこぼれた。

「いくらなんでも戦力まで教えるのはどうかと思うわ」

「俺に対する信頼感で納得出来ないか」

「……仇で返そうとしてるのに信頼感なんてよく口にできるわね」

 バツが悪そうに視線をそらす。

「ひとまずは敵が橙子さんなのは分かったわ」

「信じるのか? 我ながら突拍子もない事なんだが」

「この地の拠点を奪うのが、あまりに巧すぎるのが理由かしらね。仮にも一流の魔術師が敷いた結界を容易く抜けて、拠点をいくつも潰せるものではないわ。当然私と青子も抵抗しているのに尽くかわされている」

 忌々しそうな言い方だった。橙子に欺かれて気が立っているらしい。

「あの人ならばここの拠点の結界も熟知しているだろうし、力量も申し分ない。認めたくはないけれれど」

 ずいぶんと橙子の評価が高いのが意外だ。

 まあ、未来の封印指定の魔術師だから驚くことでもないが。

 そもそも、俺はなんて人を敵に回してるんだろうと一瞬だけ目眩がした。

 いくら幼少の頃の付き合いとはいえ、魔術師の世界では随一の人形師。

 青子の幼馴染みで未来の魔法使い? あれ、遠野志貴も真っ青なレベルか。

「それより、教えてくれるんでしょう?」

「ん?」

「橙子さんが口を滑らした他のこと」

「ああ、――いや、後日にしよう」

 急に護はアリスから玄関へと目線を変えて言った。

 会話は好調と言えたが、それを作り上げた護自信が断ち切った理由がわからず首を傾ける。

「……どうして?」

「帰ってきたからな。また次の機会に話すよ」

「帰ってきた?」

「うん。それと青子にはさっき話したこと誤魔化しといてくれよ、あと夜まで帰らないから」

「…………ずいぶんと勝手なのね」

「悪いな。今度は、魔術に関係ない話もしようぜ」

 それじゃ、と護は背中を向ける。

 

「――まさか、情報を提供したからって見逃してもらえると思ってるのかしら?」

 重い鉛が足首に伸し掛かる。

「だめか?」

「ダメに決まっているでしょう。神崎くんが内通者でない証拠がどこにあるの?」

「それ、本気で言ってるのか?」

 バカにしたような、呆れてるかのような顔で彼は微笑した。

「俺が青子以外に味方するわけねえだろ」

 真っ直ぐな言葉に有珠は、なんだか負けた気がした。

 いい返す言葉もない。

 反論できる要素も有珠は持ってはいない。

 たとえ魔術師の世界に関わり続けたとしても、神崎護は蒼崎青子の味方で在り続ける姿は簡単に予想できた。

 ある意味で、神崎護が蒼崎青子を信じる思いを、有珠は信じていた。

「険しい道よ、青子に味方するのは。世界を敵にするようなものだもの」

「魔法使いだもんな。でもさ、やっぱり、俺は青子の隣にいたいんだ。たとえどんな道を歩んでもさ」

 今度こそ、神崎護は有珠の前から姿を消した。

 彼のいなくなった空間でポツリ、と言った。

「神崎くんは、魔術師…………なのね」

 彼が一般人という前提が間違っていたのだ。

 魔術師の世界になんの関係もない存在が、有珠の手が及ばないほどの魔術礼装を持てるものか。

 青子の話通りならば血筋は白だ。

 故に外部の人間からの接触が当たりだろう。

 それも、結界を越えてこれるほどの存在だ。

 魔法使いの話について知識として随分と前から知っていたように見て取れる。

 そもそもだ。

 『世界を敵にする』といったのに、その返しが『魔法使いだもんな』と返したということは、それが答えになっているのだと思う。

 ――魔法は人類と世界にとって異物であり、魔法と魔法使いは二つの抑止力によって排斥される。

 とんだ食わせ物。いや、それは違うなと思い出した。

 この屋敷に初めて彼が来た時、話したことを思い出す。

 "――俺はね、あの日、君たちが公園で魔術を使うところを見れて本当に良かったと思っている。だって、その出来事がなかったら、俺は一生記憶を思い出すことなく、青子がどんな道に進むのかも判らず、好きな人に好きと言えないまま、青子と別かれていたかもしれないんだ" 

  

 これだ。記憶を思い出す。たしかに彼はそういっていた。だとすると、すでに誰かにルーンを使われ記憶を消去されていた可能性が高い。

 そこで疑問が募る。ルーンによって消された記憶が戻るか? 誰によって記憶を消されたのか。また、彼の言い方からするに意図的である可能性が高い。現状で考えられる範囲で、神崎護の記憶を消し首に下げている魔術礼装を与えた人物の目的が何かを知る必要がある。が、彼は話す気がないと見える。話すと非常に困る相手なのか、無名の誰かさんか。無名であるとすれば隠す必要がないはず。なら、とびきり有名人の方か。

 封印指定の魔術師か、考えたくはないが、――五人の内の誰か、となる。

 五人の内の中で、もっとも世間に顔を出す存在といえば一人だけ。

 思わず息を呑んだ。そういえば、思い当たる事がある。

 彼の呪いを解呪しようとした時だ。

 有珠が想像していたより、呪いは軽かった。本来ならもっと重体であるはずの呪いが何かしらの効果によって軽減されていた。

 何が原因か調べたところ、怪しい物は首に下げていた物だった。それはもう、異質さの塊とでも言うべきか。

 解呪を試みれば、効果は薄かった。確かに解呪の効果は出ているはずだが、魔術を何かに阻害されているような、いや、受け流されているというべきか。

 ――一体どこに、受け流されているのか?

「………………っ」

 その答えにたどり着いて、手に冷や汗が出ているのに気がついた。

 知らないほうが良かったかもしれないと。世の中には手を出さないほうがいいものもある。

 思いつきで、なんの確証も無い。妄想で片付けたほうが筈なのに、妙にしっくりと来る自分の考え。

 口の中は乾き、それでもツバを飲み込み喉を鳴らした。

 これ以上考えるのはやめよう。

 面倒事はごめんだ。

 次期魔法使いの青子と、第二使いに関与する幼馴染み。

 類は友を呼ぶというのか、異常が異常を呼び寄せているようだ。

 まるで示し合わせたように、この時期にこの館で集結している。

 これはいっそ追い出したほうが面倒くさいことにならないか。

 目先のことを考えれば記憶を消すか、殺してさっさと片を付けるのもいいが。

 長期的に考えると被害が自分に帰ってくるような悪寒がする。

 うっすらと脳裏にそんな可能性が浮かんだ。

 ここは匿っておいたほうが得策か。

 ふと、有珠は橙子に彼が魔術師であることを知られているのだろうかと疑問に思う。

 案外知っていそうな気もするが、そうだとしたら青子が少し不憫に思える。

「…………どうやら、帰ってたのは本当のようね」

 そわそわしながら、姿を表した青子がいた。

 手を擦る様子を見るが、色は赤くはない。

 思ったほど長く外で待機していたわけではなさそうだ。

「尾行でもしていたの? 彼にはバレていたようだけれど」

「え!? やっぱバレてたか。学校から付けてたんだけど、何度かこっち振り返るからもしかして、って思ってたけどそうなのね。しくったなー」

 気づかれない自身でもあったのか、軽く気を落としている。

 だが、そんな事はどうでもいいと、青子の顔は興味津々に変わり、活きの良い笑顔を浮かべた。

「どうなのよ、実のある話はできたわけ? 苦汁でも飲まされたような顔してるけど」

「……まあ、彼の純真さは毒とも言えるのかしら、いや、彼自身が毒?」

「なんて言われたの?」

「――『俺が青子以外に味方するわけねえだろ』ですって、愛されてるわね」

 かぁ、っと顔が赤く染まるも、違和感を感じたのかすぐさま聞き返した。

「本当にそんなこと言ったの? だとしたら、それ、半分嘘ね」

 騙された。電撃のように有珠の体に走ったそれは、護に対する不信感を急に高めた。

 しかし、すぐに青子の言葉で訂正された。

「昔のことだけど、私を守るために姉貴側についた事が二回あったわ。後で言い訳とか散々聞かされて土下座もされた。ちょっと気分良かったわねあれ。なんでも、敵をだますには味方からを地でやったらしくて。あの時の姉貴の顔はミモノで、絶対忘れらんない。それにね、『飼い犬に噛まれるとはこのことか』なんて悔しそうに言ってた。ざまあ見ろって思ったわよ」

 愉快そうに笑い饒舌に語る青子を見ると、日頃溜まっていた鬱憤を晴らせるほどのものだったんだろう。

 そこまで言うなら、ちょっと見てみたいと思った有珠だった。

 ひとしきり笑い終えた青子は、改めてどうだったのよ、と聞いてきた。

「まあ、彼を捕捉できなかった非は私にあるから」

 それに、もしかしたら、厄介なのは敵よりも彼かもしれないから。

 

 

 

 坂道を下りながら、護は考えた。

 純粋に考えて、この坂道をチャリで下ろうなんて魔眼を使わずとも事故死が見える。

 さらに雪道なんて条件が加わったら――想像するだけで足が竦む。

 打開策として浮かんだのが一つ。

 つい先日、休暇をもらったばかりの『まっどべあ』に足を運んだ。

 裏口から入って、彼女がいるか尋ねるもバイトらしく姿はなかった。

 種を返して、彼女が働いているコンビニに足を向けた。

 目的の場所に着き、入店すればレジの前に立つ彼女。

 軽く手を上げると、彼女も僅かに会釈した。

 無造作にガムをひとつ掴み、レジに持っていく。

「クマ、お前今日の上がり何時だ?」

「ん? 九時半だけど何かあった?」

「ちょっと相談事」

 俺は財布を出して、クマは機器でバーコードを読み取らせる。

「……いいよ。上がり五分前くらいにまた来てくれれば――って、どうしたのそれ」

 小銭を出して、会計を済ませ左手でテープの貼られたガムを取ろうとした時に言われた。

「左手、あざできてるじゃない。シップ持ってるから、ちょっと待ってて」

「え、あ、……」

 クマを呼び止めようとするも、空を切った右手を力なく落とした。

「まったく、そういうのは俺じゃなくて鳶丸にやれっての」

 ていうかシップ持ってるってなんだよ。女子力高すぎだろ。

 意識高い系か、時代の先駆者か何かか。あいつは。

 一分後に裏から出てきたクマにシップを手渡されて、夜にまたと言ってコンビニを出た。

 

 

 その後は意味もなく、街をふらついた。

 バイトもない。屋敷にも帰る気は起きない。

 この先どうすれば奴に勝てるのか、そのことで頭がいっぱいだ。

 心なしか、左目がやけに熱い。溶けそうなほど熱をもってる。それに応じてか、頭痛も加わった。

そんな状態でも思考は止めなかった。

 ”アイツ”は、心を折った。

 冷め切った目で奴を睨み、反抗する気を削いだ。奴が青子を殺していれば、”アイツ”は等価交換として奴を殺したのだろう。

 でも、俺にはそんなことはできない。

 力もなければ、気持ちでさえ負けている。

 魔術を使えないし、魔眼を制御したところで”アイツ”と同じような芸当はできない。

 それこそ、死ぬ気で魔力を魔眼に注いだとしても俺の魔力量では到達できない代物だ。

 葛木宗一郎や”アイツ”のように山から降りてくる人外の業は一朝一夕で習得できいるものではない。

 再現はできない。模倣も不可能。

 ――足りないのならば、他所から持ってくればいい。

 足りないのならば、他所からの代理品で補えばいい。

 それができれば苦労はない。

 魔法使いでもなければ、封印指定を受けるほどの魔術を持ちえもしない。

 自分がただの人間なのが恨めしい。

 いっそ、直視の魔眼さえあればとも思ったこともある。

 奴に死という概念があるかも怪しい部分はあるが、自分の持っているものより、事戦いにおいてはよほど向いている。

 寿命は導火線に火の付いたダイナマイトだが、ベオウルフは切り抜けられる。

 いっそ、どうだ。いっそ、叶えばいいのに。

 助けてくれと、助ける手段が欲しいと願う。

 今の俺じゃあ助けられない。抗う手段がない。奴を倒せる未来が見えない。

 だから、今の(オレ)では青子を助けられない。

 それは嫌だ。それだけはダメだ。諦められない。諦めるとか、挫折とかそういう問題じゃない。

 何とかして奴を倒す。倒さなきゃいけない。

 それがオレ()の使命で、絶対に曲げられない。

 ――それでも、失敗した。

 幾度も失敗した。幾度も逃げ出した。その果てに残ったのは、無念と後悔だけだ。

 ベッタリと脳裏にこびりつく後悔に身を焦がし、夢見る度に涙を流す。

 いつからか涙は止まり、人としての感情を削ぎ落とし、機械として唯一の可能性だけにすがりそれを求めた。

 記憶の片隅に残る、ある人物と自分が重なり気持ち悪さがあった。

 今のオレと同じ行動をし、絶望した男がいた。その男は死の寸前に救われたが、その男を救った少年は呪いに侵された(救いを得た)

 ただ、知っている。今のオレにはその男のように救われる方法はなく、少年に呪いを与えることもない。

 救われぬ輪廻に終止符を打つには流れを止めるしか無い。

 活路が開けるまで、オレは繰り返す。誰か一人でもいい。

 オレの中の誰か一人でもそれに手が届けば、きっと叶うはずだ。幾千もの繰り返しの中で、いつかは叶うはずだ。

 少年がそうだった。少年は男に与えられた呪いを胸に、正義の味方になった。

 その果てに守護者になったことを後悔して、ひとつの可能性だけを求めて呼び出されるその時を待っていた。

 オレもその可能性に賭けた。

 それ以外に方法はなく、活路はない。

 無限に広がる分岐点の中で、一つでも到達できればそれがオレの勝ちだ。

 そのための魔眼で魔術礼装を貰い受けた意味がでる。

 だから、その一つに人生(いのち)を賭けた。

 

 

 ――その願いが、確かに届いた。

 何かに答えるように、左手が疼いた。寒気がする。何かが近づいてくる感覚だ。

 オレは、その感覚を誰よりも知っている気がした。この世界で、誰よりも――誰よりも。

 何度もこの感覚を味わった。切り札にもなるモノ。全身全霊で待ちわびていた。

 魂が笑っている。狂喜乱舞と言えばいいか。あまりにも嬉しすぎて口が開く。オレ(・・)の反撃は、ここからだ。

 ――ああ、頭がいてえ。

 脳ミソを掻き出したくなるほど痒く不快だ。左目の中に寄生虫でも這いずり回る気持ち悪さだ。

 ――ああ、眼がいてえ。

 ――ああ、そういうことか。

 見当識が戻った。

 これは暴走だった。荒れ狂うように左目が視ていた。それを抑えるように少しずつ抑制していく。

 細かい調整は今の段階では出来ない。

 現時点で神崎護(オレ)が行えるのは、意識を集中して左目を鎮めるだけ。

 コントロールが戻れば記憶は薄れてゆく。

 暴走で視えたモノは本来なら知り得なかった情報であるし、必要なのは今じゃない。

 

 

 

 

 ――その時が来るのを、オレは待ち続ける。

 

 

 

 

「よお」

 時刻は夜の9時半。18歳を超えていない学生バイトが勤務を終える時間。

 護は再度、クマが働くコンビニに出向き彼女が出てきたところで声をかけた。

「時間も時間だから、帰りながら話して」

 淡白に反応して、クマは護を先導した。

 数秒ほど歩いてから、話を切り出した。

「まあ、あんまり期待はしてない話なんだけどさ。俺が乗ってたバイクあるだろ、アレ個人的に借りれないか?」

「は……?」

 こいつバカか、そんなことできるわけないじゃない。

 口には出されなかったが、クマが咄嗟に思ったことは護も理解できた。

「無理なら無理でいいんだ」

「無理に決まってるじゃない。店のものを個人に貸し出すってことがどういうことかわかってるの? 万が一壊したら弁償。保険とかも面倒なことになるし、手続きするのに家の誰か使いに出さなきゃいけなくなるじゃない。そんなんだったら、自分で買って」

「…………だよな」 

 やや大げさに肩を落とす。クマにバイクを借りる許可が降りなきゃ、自分でバイク買わなくちゃならない。雪も降ることを考えればチェーンだって必要だ。なかったらタイヤが滑って山頂から放り出されて死ぬ。

 金と命。天秤にかけるまでもない。

「それにしても、一体どうしたのよ。青子と距離を縮めたと思ったら、前よりも雰囲気が悪くなってるじゃない。あんたが悩んでるのって、本命はそっちなの?」

 息を呑んだ。指摘されるとは思はなかった。そんなにも、わかりやすいのか。

 それとも、俺の周りにいる奴らが鋭いのか。それだけの関係を俺が作り上げていたのか。

 どこか誇らしく、この世界で生きている実感がより強まる。

 覚悟はひび割れたガラスだが、それが補強された。

 俺が奴を抑えなければ、流れを作らなければ未来が変わる。雪崩のように、それは十年後にも響くだろう。

 逃げるつもりはない――そも、逃げ場はない。

「ああ、道が見えないんだ。どんなに探しても、いくら頭を捻っても今の俺じゃ届かないんだ。未来が見えないんだ」

「……未来? アホらしい。そんなもの見えるわけないじゃない。だから青子にアホマモなんて変なあだ名つけられるんじゃないの」

 興味なさそうに、そんなの考えても無駄じゃないとクマ言った。

「そうか? お前だって鳶丸とどうなるかくらいは気になるだろうさ。気にならないとは言わせない……」

 比べる対象が違うことはわかっている。

 たかが恋愛と生死をかけた事を比べることは間違っている。

 けど、尋ねずにいられない。俺にとっては生死をかけていても、クマにとっては恋愛の事。

 しかし、クマにとってはタダの恋愛などとは言わせないだろう。

 恋愛をただのなんて馬鹿にはできない。

 俺にとっても――馬鹿にできるはずがない。

「……意地悪」

 内心はきっと否定したいはずだ。もしこの問答を鳶丸としていたなら、クマは否定するだろう。だが、相手は俺だ。お互いに情報共有し、信頼を築き上げた。嘘はつかせない。

罪悪感はあるが、それでも問わずにはいられなかった。

「……お前が、クマが、鳶丸に告白をするとするだろう。仮定の話だ、振られるとわかっているのにお前は告白しにいくのか。振られる姿が目に見えるのに、振られて打ちひしがれる自分が簡単に想像できるのに、……お前は、――それでも、お前は…………告白しにいくのか?」

 どんな答えでも受け止めるつもりでいる。

 俺がほしい言葉が何かは理解している。

 それを要求していることが傲慢だとしても、クマの口からそれを聞きたかった。

 彼女は足を止めた。

 俺も止まり、冷たい風に吹かれ揺れる後髪を見つめる。

 華奢な肩がわずかに上下し、小さなため息が聞こえた。

 顔は見えないはずなのに、俺には彼女の顔がどんな風なのか想像できて笑みがこぼれた。

「するわよ。……そりゃね、怖いよ。怖くないなんてアンタの前じゃ言えない。振られるのがわかっていたとしても、この気持は変わらないし、止められるものじゃない」 

 こちらに振り返り、硬い覚悟を持った彼女の顔は、小柄でマスコット地味た表情とは違った。

 素直に、覚悟を決めている姿をかっこいいと思える。

「昔はバカにしてた。恋に溺れて、男のことしか考えられないなんて理解できないって」

 クマは俺の目を見て、迷いなんて無いと告げていた。

「それでもね、告白すると思う。……ま、今はできてないから説得力なんて皆無なんだけどさ」

 自虐的な事だったので、笑ってやった。

「それにさ、もし振られる未来が視えてるのなら。――その未来を変えろって教えてくれるわけでしょ? だったら変えようとするべきよ」

「………………そう、か。……そうだよな」 

 小さく頷いて、答えを貰った事を胸にしまい込み、また大きく頷いた。

 俺の仕草で、クマは満足そうに笑みを浮かべた。

「これで相談はお終い? だったら今度お返し期待してる」

「ありがとな。期待しとけ」

 今の俺はきっと、一番いい面構えで前を向くことができていた。

 生きて、必ずおみやげを渡そう。また、逢いに行こう。皆で笑って、馬鹿騒ぎして、そんな時間を大切にしよう。

 彼女の家はすぐ側だ。

 ここまででいいよ。そういって彼女は手を振って暗闇に消えた。

 消えた後も、家の中に入るまで見届けて屋敷に帰った。

 

 居間には無表情の青子が、帰ってきた俺に対して睨みを効かせて、何かを牽制するように居間から消えた。

 前に遅くなるなって言わなかったか。

 こう言いたいのだろう。無言の圧力ってやつだ。

 ご丁寧にテーブルには薬が置かれている。

「ありゃ、次やったら無言のグーが飛んでくるな」

 薬を口に放り込んで、水で満たされたコップで飲み干す。

 今夜はもう誰も居間には現れないだろう。

 部屋に戻る時に、電気を消すのは忘れなかった。

 階段を登る足がやけに重い。足元がおぼつかず、意識も薄い。

「…………疲れてるのか」

 両手で頬を叩き、屋根裏部屋になんとか辿り着く。

 布団に飛び込んで寝入るのも悪くないが、心地よく眠れる気がしない。

 体に活を入れて、タンスからバスタオルと下着を取る。

 壁に手をつきながら、這うように浴場へと向かう。

 幸いなことに誰とも遭遇せずにドアまで来れた。

 念の為にノックをしても中から反応はない。

 倒れこむようにして中に入り、服を脱いで目が覚めるような熱いシャワーを浴びた。

 通常なら耐えられない熱さにも、いまは何故か心地がいい。

 頭蓋に残る鈍痛と、眼の奥の圧迫感は次第に治まった。

 気を抜いて5秒ほどの長いため息を吐いた。

「……この程度で音を上げられるかっ!」

 原因がなにかは不思議と分かっていた。

 記憶は残っていないが、左眼の痛みで見当がついてる。

「頼むから、勝手に暴走してくれるなよ」

 肝心な時に使えないのが一番困る。

「ぁ……あ、…………っ!」

 抑えられない。

 視るな。

 やめた方がいい。引き返せ。

 息がうまく吸えない。

 視界に映る色が消えていく。

 最後に残った色は、真っ黒に塗りつぶされていた。

 その中で、見たことがある赤い男がいた。

 

 

『頼む。もう残ったサーヴァントはお前だけなんだ。力を貸してくれ

 まだオレの手には2画残ってる。これを使えばセイバーの剣を使ってアレを完全に破壊できるはずだ、頼む』

 積年の思いで、頭を下げた。

 視界の端に、赤い外套が見える。

 コイツに頭を下げるのは屈辱的だ。

 以前は憧れたこともあったが、今はもっとも相反する存在だ。

 心情的に複雑だが、残りの希望はコイツだけだ。

 アレを破壊できる唯一無二の存在。

 姿を消したランサーは期待できない。ゲイボルクではアレを破壊することは不可能だ。

 残りのサーヴァントは全て影に飲まれた。

 蟲も、主人公も、赤い悪魔も。雪の少女でさえ、もういない。

 オレとコイツの敵は、完全に闇に飲まれた哀れな少女と、未だ姿を表さない外道。

 哀れな少女を救う主人公と、赤い悪魔は闇に消えた。

 最後まで少女の味方であった彼女はいない。

 オレたちでは少女は救えない。

 やはり、あの時に殺しておけばよかったのかもしれない。

『――仕方あるまい。このさい、貴様が何故私の真命を知っていたことに関しては見逃そう。……私達がやるのはアレの破壊だ。セイバーの剣の複製は完全では無いが、真には迫れる。そこに令呪のバックアップが加われば投影しきる事は可能だ』

 問題なのは、コイツが投影する余裕があり、真名解除を発動する時間を稼げるかどうか。

 限りなく不可能な気もするが、僅かでも可能性が残ってる道はこれしか無い。

 胸から下げた魔術礼装を使えば、一時的にでもサーヴァントもしくは影と拮抗することが可能かもしれない。

 まあ、数分持てば奇跡。一分でも御の字だろう。

『ランサーの行方がわかればいいんだがな』

『……期待はできない。こんな状況だ、協力関係は築けるだろうが生き残ってる保証がない』

 多分だが、ランサーも影に飲まれている可能性が高い。

 直接目で確認はできてないが、生き残っていると考えるには楽観的すぎる。

 厳しい戦いになる。

 出来るだけ早めに柳洞寺の地下に行こう。

 勝負は今夜だ。

 

 ――唸り声を上げた、ちいさな産声が聞こえた。

 

 

「――――」

 体が冷たい雨に打ち付けられている。

 寒気がする。確か熱いシャワーを浴びていたはずだが。

 流れ続けているシャワーがまるで冬の雨だ。

 感覚が無い。体が木偶の坊みたいだ。

 力が入らない。

 立てない。

 感覚のない腕で、太ももを殴りつけた。

 痛みもない。

 何度も地面の感触を確かめるようにして、手で壁に体重を預けて。

 ようやく立ち上がることができた。

 言う事の聞かない手でノズルをひねり、シャワーを止める。

 浴室を出て、誰かに気づかれる前に部屋にも戻れるように焦って服を着替える。

 ふと、更衣室の鏡を見れば目が青かった。

「…………っ」

 戻れ。

 戻れ。

 念じるように、何度も。

 そんな俺の行動を邪魔でもするかのように、自己主張する赤い光が目に止まった。

 光の出処に目を向ければ――

 

 

 ――ああ、懐かしい。

 おかしいとは思わなかった。

 そこにあるのが当然で、俺の起源だ。

 左手の甲に浮かぶ盾の紋様。

 大事な人を護るための盾。

 それは赤く輝き、俺の未来を照らす。

 

 ――俺にはそれが、希望の光に見えた。

 

 

 

 






 


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