【習作】アイツが転校してこない世界で   作:死んだ骨

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姉と親友と魔女

『いいだろう。貴様の提案乗ってやる。しかし、分かっているな? 賭けに負けたら貴様は――』

 鋭い眼光を真に受けつつも、護は深く頷いた。

『分かってる。好きにすればいい、その為の覚悟は……できてる』

 鼻で笑われた。だが、この程度の挑発に乗るほど甘くはないし彼女がどのような考えをめぐらしているかなど分かるはずもない。

 ただ、最後まで、この賭け事が終わるまで虚勢を張り続けなければいけない。

 でなければ、到底賭けには乗ってはくれないだろうし、次の機会など訪れることなく殺される。

『話は終わりだ。屋敷に帰るといい』

 椅子から立ち上がり、教室のドアに手を当てて振り返らずに言った。

『ありがとう、橙子姉。殺さないでくれて』

 あえてその名を呼んだ。魔術使いとして交渉を持ちかけ、魔術師としてそれに答えてくれた蒼崎橙子。だが、彼女が本当に魔術師としての面で護との交渉に臨んでいたかは定かではない。

 むしろ、彼女は――

『……馬鹿者が。お前に言われてなければ焼き殺していたところだ』

 彼女のその言葉が何よりの答えだった。

 

 

 旧校舎を出る頃にはすっかりと冷え込んだ夜だった。

 出前に出てから相当時間がたっているに違いない。

 店長にはそろそろ、バイトをやめるとはっきりと告げておくほうが迷惑はかからないだろう。

 それより今考えなきゃいけないことは、明日有珠との話し合いに置いて白黒はっきりさせなきゃいけないことだ。

「もう、猶予がないな」

 俺に出来るだろうか。

 遠く離れた旧校舎を見上げて、迷いを断ち切るように振り返った時何かが見えた。

 まだ、今年は雪が降っていない。だから地面は土気色で間違いない。

 しかし視界を掠めた何かは、確かに一面雪に埋もれた地面と、うずくまる何かがいた。

 顔を手で覆い、縮こまる人だった。左手首に白い包帯を巻いていた男だった。

 激しい頭痛がする。視界を映し出す映像がとぎれとぎれだ。

 でも、見続けなければいけない気がした。この先を見させまいと視界を遮断する力に抗い、眼球の裏側に走る痛みに耐える。

 雪の地面に縮こまっていた男は何かにおびえるようにして気持ち悪い動きで立ち上がった。両手で顔を覆い、一歩、一歩後ろに下がるたびに奇声を上げて、そして全速力で山を降りていく。

 顔は見えなかった。だが、あれは壊れた人間の姿だった。

 断線ばかりの視界から弾き飛ばされて、気がついたら倒れていた。顔についた土を払って辺りを見回す。

 雪はなかった。

 

 あの後、三時間も帰ってこなかったことについて店長に言及されたがはぐらかすしか方法はなく、ただ謝ることしか出来なかった。

 加えて、今後不定期な出来事でバイトを抜けることが多くなってしまうので、事が落ち着くまで期間があるのでバイトをやめさせてもらえないかと持ちかけたら、良いよ。と即答だった。

 なぜですかと問いければ、店長は言った。若い頃には色々あるからね。心置きなくやれば良いさと。

 それだけのことが言えるのならば、クマに対しても認めてあげれば良いのではと思う。

 ただ、今回は素直に感謝を述べて今日を持って一時的に護はまっどべあを辞めた。

 屋敷に帰る頃には日付が変わり、鬼の形相をした青子がいた。

「おっそい!!!! 遅すぎる!!! アンタ馬鹿じゃないの!?」

 予想を超える怒声に思わず体が反応した。

「……っ……悪い。用事があってさ事前に伝えておけばよかったな」

 そうじゃない。と青子の顔がさらに険しくなる。

「あんたが飲んでる物はね、冗談や酔狂じゃないのよ!」

「……ああ、悪かった」

 顔を伏せ、本当に悪かったと青子の目を見る。

 視線が交差して十秒。瞬きひとつしなかったおかげか、青子は大きなため息をはいた。

 おずおずと、背中に隠し持っていた小さなカプセルを俺の手に握らせる。

「…………これ、早く飲みなさいよね」

 直接何かを言うわけでもなく、言葉を飲み込み、ぎゅっと俺の手に力を入れてゆっくりとその手を離し背中を向けた。

 なんだか、青子らしくないなと苦笑いして彼女の背中を追うように居間へと向かった。

 居間のドアをくぐれば、一足先にぶすっとした顔でソファに座っている彼女。

 目の前に置いてある紅茶を見ると一口手をつけたくらいにしか量が減っておらず、加えて湯気が立ち込めることもない。

 遠目から見ても、冷めているように見えた。

 コートを脱いで青子の隣のスペースに一時的に置く。

「青子、紅茶入れなおすか?」

「お願い」

「まかされました」

 台所から持ってきたトレイで青子専用のセーブルのカップとティーポットを慎重に運ぶ。

 貧乏性のせいかやはり冷めてるからといってもったいないと思うが、お姫様の為だと自分を押し殺して紅茶を流しに注いで、軽く水ですすぐ。

 平行してお湯を沸かし、すすぎ終えたティーカップについている水滴をふき取りいったん手を止める。

 そのころあいを見計らっていたか、手を止めた護に青子は声をかけた。

「あんた、今日は何があったの?」

「――うーん。店長に頼まれてちょっと町内の端っこのほうに配達行って色々あったんだよ」

「色々って何よ」

「話し相手に付き合えみたいな?」

「断ればよかったじゃない」

 簡単に出来るでしょそんなこと。なんて言うが相手が相手だ。

「断れる相手じゃなかったんだよ。知り合いだし、逃げようとしたら薄情って言われた」

「薄情? そんなこといわれるような知り合いが町内の端っこにいたっけ?」

「つい最近都会に行ってたけど帰ってきた人だよ。一時的な帰省って奴だろ」

「ふーん」

 護が言う人物に思い当たりは青子にはないのだろう。

 それにうそを言っているようにも思えなかったのか青子がそれ以上突っ込んでくっることはなかった。

 会話が途切れたタイミングで沸騰寸前のお湯をポットに移し変え、少量だけセーブルのカップに注ぐ。

 うん、ティファールがほしい。

 ティーカップを温め準備を終えた護は再びトレイにセーブルとポットを載せて、ついでに自分のカップも乗せて青子の下へ。

「おまたせ」 

 トレイをいったん机に置いてから、青子の隣に回る。

 紅茶を入れる一連の動作をテキパキと済ませ、隣に座る青子の目の前にセーブルを置き、自分の分も紅茶を入れてソファに座る。

「そういや、いいのか」

 髪をかき上げて、カップを持つ青子が視線だけ俺を見た。

 髪を耳にかける仕草にドキッとしたが、こういうのを天然でやっているんだからたちが悪い。まあ、髪が長いせいってのも要因の一つなんだろうけど。

「明日が最後の試験日だろ。勉強は済ませたのか?」

「まさか。どっかの誰かさんが気になって手につかなかったわよ」

「心が痛いな、これからは気をつけるよう肝に銘じさせたほうが良いな」

「そうね、誓約書でもかかせようかしら」

「魔術的要素のあるものはご遠慮したいんですがね」

 ギアスロールとか、死後も魂を束縛されるという話を思い出せば背筋が寒くなる。

「ま、要反省ね」

 青子の様子を見るに、かなり心配させてしまったことは反省せざる終えない。

 心配してくれることに対してうれしくもあるが、彼女に迷惑をかけるようなことは減点だろうなと考える。

 ここは一つ、ご機嫌取りでもしようかと一つ提案してみた。

「肩揉みでもしましょうか、ご主人様?」

「はあ? 何よ急に」

 青子は怪訝そうに護を見る。ご機嫌取りの様なものかと理解は出来るが、肩揉みに繋がる事には理由には思い至らない。

「まあまあ、最近色々あって疲れてるだろうしさ。今日のことも迷惑料としてどうだ」

「確かに、疲れはたまってるけど……」

 ならいいじゃん。と、ソファから立ち上がって青子の背後にまわって両手を青子の肩に置いて凝り固まったものをほぐす様に力を入れた。

 はじめのうちは抵抗していたのか、肩に余計な力を入れていたが数分のうちに完全に気を抜いたのか随分とリラックス状態になっている。

「意外と、上手いわね。誑しこまれたみたいで癪だけど」

「んじゃちょっと強めで行くぞ」

 肩の表面上の張りを柔らかくしたので、奥をほぐしていくように鋭く重点的に力を入れる。すると品もない声が上がる。

「きっくぅぅぅう」

 思わず、手を止めた。

「え、やめちゃうの?」

「いやね、こういうのってさ色気出すとこじゃねかなと」

 護の言葉に呆れたようにため息を吐く。

「一体何期待してんだか」

 背後にいる護を、青子は顔をソファにゆだねて仰向けになるように見つめる。

 何ともいえないような顔をした護は何も言わずに青子の肩から手を離し、彼女の顔に手を沿わせてじゃれるように頬を引っ張った。

「なにすんのよー」

 このー、と彼女もまた反抗して護の頬を掴んで弄り倒す。

 それが一分ほど続きなんだか可笑しくて二人とも笑ってしまった。

 ひとしきり笑い終えた後、ふと青子は言った。

「護」

 優しい、音色だった。好きな女が自分の名前を呼び、それがすとんと胸に落ちる。

 こんな風に名前を呼ばれるのは、彼女と一緒にいて初めてかもしれない。

 護の目に映る青子が、三倍増しくらい綺麗になって可愛くなった状態だ。

 不機嫌さのかけらもない彼女の澄んだ目に吸い込まれて、護もまた慈しむような目でみつめる。

 青子の言葉に最大限の気持ちをこめて言葉を返した。

「やっと、笑ったわね」

「――――」

 虚をつかれたように、時を止めた。

「この屋敷に着てから護、笑ってないじゃない? どことなく余裕がなくて、気丈に振舞ってる。そりゃ幼馴染だから、無理してるのはすぐ気づくわよ」

「……そうか」

「それから、心から笑えてないのも分かりやすすぎ」

「けっこう上手く隠してるほうだと思ったんだけどなあ」

「あれで? 本当に?」

 隠す気あったなんて、うそじゃないの? と目が語っていた。

 護は考える。

 青子の前で自分がどう振舞っていたのか。

 極力、ばれないようにしていたはずだと思う。

 彼女が自分のことを俺に知られないように振る舞い、完璧に隠し通していたことを。

 俺もまた、自分の持つ異常性を知られないがために、それに青子には最後まで幼馴染の神崎護でいようと努力していた。

 だが、本当にそうであったかと自分に問いかければ、答えは出た。

 

 ――気づいてほしかったのかもしれない。

 自分が隠していることを、青子が悟ってくれるのを期待していたのかもしれない。

 幼馴染だから。俺の好きな女なら俺のしてほしいことに気がついて、その気持ちにこたえてくれるんじゃないかって期待してた。

 そんなのはただの自己満足を押し付けてる行為に過ぎないのに。

 その自己満足に気がついていたからこそ、それを押し殺すようにし自分の気持ちに正統性を持たせようとしていたのかもしれない。

 結局、俺は子供みたいな奴だってことに気がつくのが嫌だったんだろう。

 喉から手が出るほど、俺は青子が欲しい。

 こんなに近くにいるのに、いつか手元からいなくなる光景が容易く浮かぶ。

 そんなのは死んでもごめんだ。

 鎖にでも縛り付けて、二度と離れるのを拒むのもいい。

 だが、青子は雛だ。

 いつか成長して、大空に翼をはためかせて飛んでいく存在だ。

 その成長の過程を妨げていいはずなんてない。

 離れたくないからといって縛り付けては意味がない。

 それは、彼女の為にならない。なにより。

 俺がだめになる。

 

 笑ってしまった。

 自分のことが可笑しくて、青子の倍近い年齢をしているくせにまったくもって大人になれてない。

 急に笑い出した護を心配そうに見つめる青子に護は、そっとおでこを青子の額に触れるように近づけて言った。

「俺なりに隠そうとしてたんだよ」

「そ」

「だから自分を押し殺して、お前にばれないように必死に――」

 護の言葉を続けさせないように、そっと青子の手のひらが護の頭に触れて。

「――大丈夫、分かってるから」

 そっと護の後頭部に当てられた手が撫でるように動いた。

 その行為に気恥ずかしさよりかは、安心感のほうがずっと強かった。

「ばーか」

「うっせえ、眠いんだったらさっさと寝ろよ」

「恥ずかしがっちゃって」

 否定は出来なかった。

 安心感のほうが勝っていたとしても、やはりこういう行為はこっぱずかしいのに変わりない。

 余裕がありそうな青子の態度に対抗心が燃えてきて、もう少し大胆なことをしてやろうと触れ合っていた額を離そうとすると、青子の手に力が入って押さえつけられた。

「もう少しだけ、このままにして」

 青子の声色は少し震えていた。

 同時に、自分が間違った解釈をしていることに気がついてしまった。

 青子は、決して余裕があるわけじゃなかったことに。こうして弱みを見せてくれるまで気がつきもしなかった。自分のことしか考えず、相手のことを考える余裕がなかった俺には出来ない芸当だ。

 幼馴染は失格かもしれないなと思った。

 結局俺は、青子をわかってあげられてないんだ。

 土台無理な話だったんだ。

 今の俺に、青子を分かってやろうとするなんて。

 ただ、少し冷静になれば見えてくることもある。

 青子が俺のことを分かってる、といえたのは、魔術と向き合うことになった過去の自分と俺を重ねていたのかもしれない。

 青子も俺とそう大きくは変わらないのかもしれない。

 今まで一緒に過ごしてきた中で、弱みなんて見せることはほとんどなかったから。見方を変えればそれだけ切羽詰っているのか。

 はたまた、弱みを見せてくれるほど俺に信頼を寄せているのか。

 そうだったらうれしいなと思う。

「もう少しだけ、な」

 

 旧校舎にて。

 神埼護が、校舎内の結界から出て行ってすぐに少年は戻ってきた。

 少年は心外そうに橙子を見つめて言う。

「あんな賭けに乗って良かったの? まあ、負ける気はしないけど。橙子さんがあんな弱々しい男の肩を持つなんて以外なんだけどな」

 少年の言い分に、心当たりがあるためか僅かにため息が漏れる。

「あいつが持ちかけてきた三つの内容は、正直驚いたね。まだたどり着いていないモノを要求されるとは思わなかったさ。それに、あの言い方からするとどこかに戦いでも挑むつもりらしいがな」

「人形がどうのとか、魔術師としての力を借りたいとか言ってたしね」

 まあ、万が一にも可能性はあるまい。

 蒼崎橙子は哀れむように神埼護のことを考える。

「弟分なりにがんばったんだろうさ。少しくらいは希望を与えてやっても良いだろう」

「僕は心配ないけど、足元すくわれないでよ」

「準備は入念にしている。不足事態でも起こらない限り勝機はこちらにある」

 本当にそうだろうかと、少年は橙子をみて疑問に思う。

 少年からすればあんな男は敵と呼べる存在ではなく、害虫以下に等しい存在だ。

 いてもいなくても勝敗に変化をもたらすような男には見えない。

 だが、橙子はあんな男ですら万が一というのを考えているように見える。

 少年には理解できないことだ。

 どうしてそう警戒するのかな、と。

 人間って奴は用心深すぎる気がする。

 蒼崎橙子が特にその傾向が強いだけか、そうでないのかは少年には判断できないが。

 あの男をいたぶるのが暇つぶしくらいにはなるかなと。

 今日の夕食が何か考えながら少年は男のことを頭の中から消し去り、直感で教室から抜けだした。

 窓際で椅子に座る橙子は、夜空を眺めながらメガネを外してその手で握りしめる。

 眼鏡は砕け、握りつぶした手からは血が滴り落ちるが気にもとめずに窓ガラスに反射する橙子自身を睨みつけた。

「――キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグだって? よりにもよって宝石翁が直々にアレを護に手渡した?」

 ――やはり、殺すべきか。

 そもそも、迷う必要もない選択のはずだ。

 何を躊躇っている。神崎護に力は無い。ベオを一目見て警戒心を抱き、腰を抜かす一歩手前だった。

 その目に魔眼を宿していたとしても使いこなせはしないだろう。使いこなせたとしても、それは当分先の話であってほんの数日で扱えるような代物ではない。

 しかし、あの宝石翁が関与したということはタダですむはずがない。

 あの男に弟子として招かれた者達の末路など魔術師が知る限り壊されるだけだ。

 成功例など聞いたこともない。

 逆に、魔術師として関与されてないと考えるとどうだ。橙子からみても神崎護は魔術回路を拓いていない。その時点で答えは出ていると言ってもいい。

 ではなぜか。あの自動防衛装置(オートリフレクト)は本物だった。軽い挑発として橙子の持つ魔眼で護に干渉しようと試みるがレジストされた。持ち主の魔力を用いていないところを見ると、あまり強力な魔術までには対応出来そうに見えない。

 だからといって軽視していい理由にはならない。あれを創ったのは宝石翁。同じ創る側として、あの自動防衛装置(オートリフレクト)がただの防衛だけを目的としていないくらいは理解できる。  

 宝石翁の事情についてはこの際置いておこう。問題は護だ。奴は言った。

『青子とアリスが負けるまで、手は出しません』

 その言葉を信じる必要もないが、護のことだ。馬鹿正直に青子側が敗北をつきつけられてから動き出すだろう。

 だが、そんなアイツもベオの前では害虫だ。

 勝ち目などあるわけがない。ベオとまともに戦えるとすればそれは、青子がアレを使った時だけだ。

 何を警戒している。

 神崎護は、青子とアリス陣営の切り札でないしお荷物と呼んでもいい。橙子自身が手を下そうと思えばすぐにでも殺せる。

 その上であえて、自分を殺さないでくれと言ってのけた。

 護は橙子に殺されるかもしれないと危惧した上で言った。

『貴女は、青子を下すために準備をしてきたはずだ。何か特別な事が起きない限り、貴女の勝利は揺るぎないでしょう。だから言います。賭けをしましょう』

 分かりやすすぎる挑発に、橙子は乗ったのだ。

 ただ言えることは、橙子の中で警戒する相手が誰なのか。順位が変動したことは間違いない。

 

 

 日が昇り、試験最終日にむけて登校する準備を終えた青子は、まだリビングに降りてこない護に気がつき、起こしに行こうと屋根裏部屋へと足を運べば護は机に伏せて眠っていた。

 その状態になにやってんだかと呆れるも、もたもたしていたら遅刻してしまうので護の肩をゆする。

「ほら、起きなさいよ。でないと遅刻するわよ」

 のそのそっと、重たい目蓋を何とか開けて護は青子を見る。

「……すぐ着替える」

 伸びをして、大きなあくびをする護ではなく、青子は先ほど護が寝ていた机を見ればA4サイズほどの封筒が二つあり、どうやら徹夜のテスト勉強をしていたわけではないと検討をつける。

 まあ、封筒に関して気にはなるものの、プライベートっぽいし時間もあまりないので指摘はしなかった。

「居間で待ってるから、はやくしなさいよね」

「了解」

 二分とたたずに居間に下りてきた青子は紅茶片手にびっくりして、目を見張った。

 まだカップには半分以上残ってる。どうしようかと迷う暇もなくカップを護に取られてそれを飲み干された。

「あー、まあいいか」

 青子は先にマフラーを首に巻き、鞄を持ってティーカップを濯ぎ水気をふき取り終えた護に顎でサインを出す。

 護もすぐコートを羽織り、鞄を持って青子の背後についていく。

 

 その後の登校時間は特に変わったことはなかった。

 寝不足の原因について青子がちょこっとつついてみたり、やんわりはぐらかす護がいたり。

 赤の他人が見たらさぞ微笑ましい光景に見えるだろう。

 なんていったって距離が距離だ。

 校門を潜るころあいには、生徒がちらほらいて当然何人かには見られたりしている。

 そう、二人の数メートル後方には額に青筋を立てる男がいた。

「朝っぱらからムカつくような雰囲気かもし出しやがって。おぼえとけよ護」

 

 

 テスト最終日。無事残り三教科の期末テストを終えた護は、ホームルームが終わったあとすぐにA組に出向いて鳶丸に声をかける。

 鞄を手に持っていた鳶丸は護に気がつくと、途端に目を細めわかりやすく態度を変えた。

「あぁ?」

「え………?」

 まるで声をかけちゃいけない部類の人たちに声をかけてしまったような錯覚を感じた。

 それに、まるで中学生の時初めてあった時、夜空の下で売り言葉に買い言葉で喧嘩した時を思い起こす。

「これはこれは、C組の神崎さんじゃないですか、俺になんか用でもあんスカ」

「え、ああ、あの、ちょっと手渡しものがあって……ですね」

「あいにく、俺これから忙しいんですわ。でも、大トロとかおごるってなら時間作ろうか考えてもいいけどな」

 どうしてこういう態度を取られるのか理解できない護は、まばたきを繰り返して誰かどうしてこうなったの知ってる? と辺りのクラスメイトたちに視線を投げかけるが目のあった人たちは皆、顔を横にぶんぶん降って答える。

 他はどうかと、窓際の女子と目線が合うと彼女は立ち上がって自信ありげに答えた。

「それはだね護君! 今朝君が青子ちゃんと肩を寄せ合わせて登校していたか――」

 らだよ、と言葉を最後まで続ける前に側にいた青子本人に頭を叩かれていた。

 それに妙に納得して、鳶丸の方に顔を戻して手を差し出す。

「その条件飲もうじゃないか」

「よーし、さっそく生徒会室で寿司でも出前してもらおうか」

 そんな悪魔みたいな声で護の手を握り返した鳶丸だった。

 舌打ちの一つでもしたいところだった。

 このくそやろう。

 鳶丸と悪魔の契約を行い、いまに教室を出ようとしたところ青子に肩を掴まれた。

「あんた、今日は早く帰りなさいよ」

「――分かってる。用事を済ませたらすぐに行く」

 青子の意図を察していた護は、硬い意志で答えた。

 

「それで、話ってなんだ」

 生徒会室の椅子に座り足を組みながら、口の中に大トロを運び何食わぬ顔で話しかけてきた鳶丸に、こいつぶん殴ろうかと少しだけ考えてやめておこうと決めて、自分の財布から飛んでいった諭吉の分は満足してやろうと護も出前で届いた二人前大トロ尽くしに手を伸ばす。

 悔しいけど美味い。悔しいけど。

 口に入れた途端に、まるで溶けていくように脂身が舌で転がり旨味成分が広がる。

 せめて半分はもらっていく!

 

「お前に2つ受け取ってほしいものがあってな」

 鞄の中からA4サイズの封筒を2つ取り出し、机の上に置いてすぐさま大トロに手を伸ばす。鳶丸も負けずと大トロに手を伸ばし、机に置かれた封筒を受け取る。

「これをどうしろって?」

「俺がこの学校からいなくなるか、お前の記憶から俺のことが消えるか。どっちかが起こったら裏に書いてある名前の人物に渡してほしい」

「は?」

 護の話を聞きながらも大トロをつかむ手の動きを止めていなかった鳶丸が、護の発言に対しての違和感を感じて確認を取るように護を睨みつける。

「どういう意味だ?」

 なんて言えばいいかな、と困った顔で護は押し黙った。

「そのまんまなんだけどな」

「お前はあれか、人智を超えた力があるとか信じちゃってる奴か」

「そんな人知を超えた力がなきゃオレたちの間に出会いなんて生まれてねんだよ」

「……まてまて、お前が何を言いたいのか俺には分かんねんぞ」

「俺は、お前のことを親友だと思ってる」

「やめろよ気持ち悪い。男に好かれる義理はねえ」

 本気で嫌そうなかおをしてる。俺だって、男はゴメンだ

「俺がもし失敗したら、この学校には来れなくなるだろう」

「分かった。お前は俺に理解させる気がねえのはよくわかった」

「だから、一番信頼できるやつに持っていて欲しいんだ」

「…………」

 鳶丸は口を噤んだ。

 護が言った言葉の意味を必死で咀嚼し、飲み込もうと思考を止めない。

 まずだ、神崎護はあの日から何かに巻き込まれた可能性だ。

 あの日とは、神崎護が震えた手を押さえつけてこの生徒会室にやってきた時のことだ。

 人殺しを見たといった。あの怯え方は冗談や演技ではなかった。

 そして、すぐ後に鳶丸自身が滑らした言葉で蒼崎青子はなにかを確信して生徒会室を出ていった。

 思ったよりも、複雑そうだなと他人ごとのように考える。

 昔の話はよく護に聞かされたことがある。

 昔なじみで、蒼崎の姉である人物とも仲がよく蒼崎と同様に遊ばれたと。

 そのまま中学まではその関係を続けていたが、中学卒業と同時に溝ができたと言った。

 事実つい最近までは、二人を見ていて妙な気持ち悪さを感じていた。

 外面では仲の良い振りを演じあってるが、お互いに壁を作り出し合って一歩相手の領域に踏み込まないような態度。

 気持ち悪いことこの上ない関係だった。実際、気づいていた人間は多いらしい。

 だが、いまはどうだ。今朝の様子はどうだった。

 鳶丸が感じていた気持ち悪さはなかった。

 そういう問題は解決しているように見えた。ならなんだ。

 やはり、あの日に聞かされた事件のことに関するのか。

 護は言った。人智を超えた力があると。それに蒼崎が関わってる可能性はどうだ。それなら納得がいく。

 うまく謎が繋がる。

 では何に対して護は危惧しているのか。

 鳶丸は、封筒の裏に書かれている名前の片方を見て確信した。

 蒼崎青子は人気のない洋館に住んでいる。その家に同郷している、いや、その洋館の持ち主たる少女。

 鳶丸も、家柄上面識のある少女について。

 

 何かに思いついたという顔をした鳶丸を見て、護は告げた。

「お前になら、渡せるだろ。二人に渡せるはずだ」

「――そうだな。俺以上に適任な人物はいないだろうな」 

「悪いな。嫌な役を押し付けて」

「貸一つな」

「相変わらずがめつい」

 それじゃあ、行くわ。と椅子から立ち上がって含みのある視線を一瞬だけ投げかけて口元を崩した。

 肌寒い生徒会室の中で。ドアが開いたまま、冷たい風が吹く。

 鳶丸は残った寿司を口に運ぶ。

「一人だと味気ねえな」

 机の上に残された2つの封筒を見て思う。

「惚れた女を手に入れた代償は命ってか。おっかねえな」

「――何の話?」

 生徒会室のドアの前に、先ほどまで立っていた護と比べればずいぶんと小さい少女が鳶丸を見て口を開いた。

「なんだかやけに達観した護とすれ違ったんだけど何かあったの?」

「いんや、ちょっと物を預かっただけだ。アイツがああなったのは、環境のせいじゃねえか」

「環境のせいって」

 納得がいかないと目を少しだけ寄せる少女。

「それより久万梨は知ってるか、最近の噂」

「ある程度は。っていってもあの二人のことでしょ。護個人から結構話聞いてたし。青子はあんまりそういうこと話さなかったけど」

「なんだ興味あんのか。てっきりそういうの久万梨はくだらないとか思ってると見たんだが」

 何気ない言葉に、久万梨と呼ばれる少女の時間は止まった。

 必死に顔に出すまいと口を固く結び、目に力を込めた様子を見て、鳶丸はその表情のままを受け止めたため勘違いした。

 きっとこの場所に護がいたなら、笑いながら久万梨に含みある視線を向けるだろうと。

 こんな話題振るんじゃなかったと、後悔した女の子がここにいた。

 

 

 神崎護は坂を登る。

 自分の精神面以外にできることはやってきた。

 後に芽吹く可能性のある種を巻き終えて、後は彼女を残すのみ。

 勝算は十二分にある。

 言いくるめる自身だってある。

 案外子供っぽいところが逆に厄介だが。

 首に下げた十字架を握りしめて、坂を登り終えた。

 洋館の鉄門を超えて、辿り着いた入り口。

 深く息を吐いて、その扉を開く。

 そこには、歳相応の少女が柱を背にして昨日と同じように寝ていた。

 昨日を再現するように、紅茶を用意して。

 毛布を彼女にかけて。自分に注いだ紅茶を口に含む。

 飲み干した後、カップを地面において息を整えた。

「起きてるんだろ、話、しようぜ」

 

 




 

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