【習作】アイツが転校してこない世界で   作:死んだ骨

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 一つの大きな山場を超えて、無事に護は屋敷の中にへと潜り込んだ。
 出来る出来なの問題じゃなく、やるかやらないかの意思の成果が先にはあった。
 だが、めざめの時に待っている少女のことなどなにも考えてはいなかった。
 
 


思えば過去だった。

 感覚の戻った彼に訪れたのは、とにかく痛みだけだった。

 先程まで死んだように眠っていた彼は悲鳴を上げ、熱も冷め穏やかだった体温も一気に上昇する。

「――っが、あ!!」

 激痛の元、左腕を力いっぱい握り締める。

 ただの脱臼か骨折で済むと思っていたが、どうやら自体はそんなレベルではないと痛みが証明している。

 落ち着くまでどれくらい掛かっただろうか、実はそれほど時間は過ぎてもいなかったりする。

 呼吸が落ち着き、辺りを見回しながら腰を上げようとして目を見開く。

 彼の左手の椅子に、眠るように彼女が腰掛けていたから。となる事なんて百も承知。彼は先ほど上げた声を聞いてもこの状態を保った彼女に驚いたのだ。もしかしたら本当に寝てるのではないか。

 そのまま見続けようと思っていたら、寝ているかと思われたその瞳はこちらを睨みつけている。

「うっ…………」

「………………」

 拷問、ふとそんな考えが頭をよぎる。

 それに確かに近いなと把握してなお目が合い続ける。どちらも目をそらす気はないらしい。

 勇気を出して言ってみた。

「看病してくれて、ありがとう」

 迷いなく告げる彼の姿に、違うと彼女の目が語っている。口を開かずとも、確かに意思は彼に届いた。

「それでも、見てくれていたことに変わりはないだろう。だから、ありがとう」

 違うか、と首をかしげる彼の様子に彼女は信じられないと目を凝らす。

 彼女と目線の高さを合わせようと、横たわる感触の良いベットから身を起こそうとするが、体中に再び激痛が走る。

 彼は、痛みに耐えながらも必死に体を起こして壁に体重を預ける。

 彼の何気ない動作に驚き、軽く瞬き一つして彼女は口を開いた。

「貴方のその首飾り、誰に貰ったものなの?」

 瞬間、すべてを丸裸にされたような驚愕を顔に出してしまった。

 どうして彼女が首飾りのことを聞いてくるなんて予想は簡単に付く。

 "外れなかったのか、有珠がいくら引き剥がそうとしても、有珠を超えるあのクソ爺は彼女の魔術をレジストするだけのものをこれに付けてるのか。それに、思い返せばガンドの時も、気分は悪くなる程度で、実際そこまで体に負担はかかってなかった"

 無意識に、右手で首に掛けてある銀の装飾を握る。

 彼女の目は、とてもキツく、嘘なんて許される状況じゃなかった。

「昔、道端であった背の高い爺さんに貰ったんだ」

 嘘かどうか、判断するために彼の動作を一つ一つ確認するが、確信には至らない。

 何故なら、嘘というものは真実に織り交ぜるだけで簡単に通ってしまうのだから。

「その人が血縁者なんて可能性は?」

「ないだろうな。あんな爺さんあの日から一度も見たことはないし、出くわしたこともない」

 彼の返答に深く考え始めて、名前は、知らないのと。

「さあ、なんて言ってたか。名前が三つ続いてたから日本人ではないな。ただあの爺はキ――なんとかって言ってたな」

 これぐらいのヒント、与えても害はない。そう判断して告げる。

 流石に、キシュなんとかだけでは名前は分からないのか、彼女は思考の海に沈んだまま元に戻らない。

 "まあ、それだけで、あの人のフルネームなんて出されたら青子にぼっこぼこにされそうだ"

「もし、名前を思い出すことになったら教えてくれると助かるわ」

「え?」

 突然立ち上がり、話は終わりと無理矢理に切られた線は、ドアの外からやって来る音で終止符を告げた。

 無造作に開かれる扉。とてもじゃないが女の子がするような開け方とはかけ離れている。

「有珠っ、約束!」

 無残にも、寝起きの護にとってあまり好んで見たくなるとは思えない登場の仕方。

「思いの外早かったわね」

「二年も一緒にいる経験ってもので、面倒事をあっさり投げ捨てる誰かさんのことが心配で心配で急いだの」

「人聞きの悪いこと言うのね」

 青子の方だけ目からビリビリと視認できないものを飛ばして、それを軽々と受け流す彼女。

「勝手に処理しようだなんて冗談じゃないわ。私でもう処理しちゃったわ、何て聞きたくもない。短気なのは知ってるけど、後始末は私が決めるって話になったでしょう?」

「勝手に今後の方針を決めた人の台詞ではない様な気がするけど」

「自分の失言でも根に持ってるの? 言伝は貰ってたんだから守るのが筋でしょうが」

 青子の言葉を機に、自分がこぼした失言を護と青子にされてしまった事にたいして少なからず悔しさというか見抜かれたことに対して苦汁でも飲まされたように顔が歪む。

「まったく。人の留守中に事を起こそうだなんてやめてよね」

 そんなふたりの姿を見て、あー、当の本人は忘れ去られているんだろうかと思ってしまうほどだ。

 会話の内容は彼のことに関することだが、どうにも、言い回しが多くて解釈が面倒に感じる。

「お生憎様、そのつもりは無かったの。アレについて聞いておきたかったし」

 その返答に青子は目を大きくした。

 同時に、彼も口が思わず開いてしまったほどだ。

「……先に居間に行っているから。彼に事情を説明してあげて」

 そのまま彼に背を向けて部屋を出ていく。

 彼女の手には、短剣が握られていなかった。

 ほんの数秒間の沈黙。

 正直背中に隠してある短剣を向けられていたらどうしようかと、判断に迷っていたが当の本人はそもそも短剣すら持っていなくて、身構えていたこっちがバカらしく思えた。

 "これのせいだよな"

 目線を落として、首にかけている銀色のアクセサリーを見る。

 あのくそ爺に与えられたもののせいで、少しでしかないが流れが変わっている。

「全く、これからどうしようか。なあ、青子」

「きっちり説明してあげるから黙ってて」

 青子は護の調子を確認するために両手を彼の頬に当てる。

「麻痺は取れてるみたいね。呼吸も問題ないし、まあ、腕は直ぐに治るもんでもないけどね」

 苦笑いで護の左腕を見る。軽く触ろうとしてくる彼女の手を本気でやめてくれと払いのける。

「全治二週間以内だと非常に助かるんですが?」

「それは護の自然治癒力しだいってね」

「本気で勘弁してくれよ」

 大切に、体の一部を労わる様に彼は左腕を撫でる。

 その仕草に微笑みながら、手前にある椅子ではなく、ベットの上で壁に寄りかかる彼の隣に腰を下ろす。

「調子は問題ある?」

「それが、左肩の激痛と、驚く程寝すぎた時の怠慢感があるんだけど……」

 もう一度、確認のために肩を上下させるが、完全に上がりきる前に痛みで断念してしまう。

 それ以外は、全くもって異常がないのである。

 護の返答に、青子は目を細めて彼の首に掛けてあるアクセサリーを睨みつける。

 青子がどこを見ているのか、否応にも理解してしまう彼は、何て聞かれるのか緊張が止まらない。蛇に睨まれるっているのはこういうことなんだろうかと考えるのは間違ってるのかと冷や汗が背中に出る。

「――ふーん。左肩のは当然の代償だとして、怠慢感は二日も寝てたことでしょうね。それはいいとして、自力で起き上がるまでの力があるは思わなかった。タフさは前から知ってたけどそれでも異常なくらいね」

「褒めんなって!」

 "きっとそれは首に下げてる魔具のおかげです! なんて言えねえよ……"

 内心で、土下座するほど申し訳なく思っていた彼。

「でもさ、痒いところまで手が届く我が幼馴染は俺が無断欠席にならないように配慮くらいしてあるだろう?」

「感謝しなさいよ。ガンドの呪いの方も解呪しておいたから。本当ならダンプティの詩篇(のろい)も掛かってるはずなのに。一体どんな避け方したんだか、有珠から聞いちゃいるけど」

 どんな避け方と言われても、彼には命懸けのバンジージャンプなんて行為できないのだから出来る範囲で方法を変えただけ。

「呪いは一個で済んだんだからいいじゃん」

「……ホント緊張感ってものがないのね護って。本来なら石膏モドキのはずなのに、一体全体どんなものぶら下げてんだか。気がつかなかった私に責任はないわよね有珠」

 後半は愚痴のように聞こえるのは気のせいではなかろう。

「石膏だなんて、冗談よせよ」

「言っとくけど冗談じゃないから。確かに、何年かほっとけば勝手に治ったかもしれないけど、それじゃあ何年かかったか。結果的に解呪したのは有珠だからお礼くらい言っときなさいよね」

「了解」

 "ほっとけば勝手に治る、それもこれのおかげなのか?"

 呆れたようにため息を付く。

 覚悟がなければ使えない不良品みたいな制御装置でも、防衛機能としてはだいぶ広範囲に役に立つものだと改めて認識した。

 そこだけは素直にあの爺さんに感謝をした。これがなければ人形との接触で立つこともできなかっただろう。本当に、その部分だけは評価できる。

「それにしても、いいベットだな」

 彼のしたに存在するベットに重さをかけて感触を確かめる。

「ここって久遠寺の家なのか?」

 窓ガラスを見つめて、青子が住んでいるとすれば同居している久遠寺邸しかありえない。

「相変わらず、状況判断は早いのね。確かにここは久遠寺の家よ。二年前から私もここで住んでるところでもある。あの後、護をここまで持ってきたんだけど、覚えてないでしょう?」

 持ってきた。

 その発言の意図するところは、要するに彼は"アイツ"のように魔法瓶に吸収されて手に収まるサイズとして運ばれたと説明されたのと同じこと。

「……うっすらとしかな。あの洋館のデカさなら部屋はたくさんありそうだし、ここもただの一室って訳か」

 随分と無駄なと、つい先日まで今いるワンルーム位のアパートに住んでいた彼の身としては気後れする物だった。

「そうね。ここに住んでるのは私と有珠しかいない。居ても正直面倒だからね」

「魔術の手の内を見せることになるからか?」

「弟子なら構わないけどね。私みたいに」

「青子がメイドの真似事なんてできるはずねえもんな」

 純粋に彼女のメイド姿を想像して、絶対にそんな現実はありえないと笑った。

「アンタ、立場分かってないのね。今すぐにでも死にたい? 平穏を欲してないならくれてやるわよ」

「平穏なんて、この館に監禁されたらないだろう?」

 彼女が言おうとすること。

 これからの彼の立場。

 彼女が彼を生かす理由。

 情報を漏らされないために、どうするのか。

 彼女の意図を、何一つ違えず理解している。

「判ってるのなら良いのよ。アンタは此処で私たちの監視下に置かれることになりました。しばらくはここで一緒に暮らしてもらうことになります。もちろん、生殺与奪の権利はこちらにあるという状況下で」

「――記憶を消す手段を見つけるまでってことでいいんだな?」

 返答に、目を鋭くする青子。

 いきなり生殺与奪の権利が向こうにあるという話を聞かされたら、その反応には大概決まっているものだが、彼は知ってると、何もかも見透かしたように言ったのだ。

 いい加減、彼のことを不審に感じてもおかしくはない。

 問われるのはいつのことか。

 今はまだ、その機会は遠いだろう。

「そういうこと」

 彼女がぶっきらぼうに言葉を返すのも無理はない。

「要するに。俺はできるだけ二人の癪に障る行為をせず、常日頃から言動を見つめ直せとおっしゃりたいのでしょう?」

「それ、むかつくからやめなさい。けど、概ね護は正しいわ。気を付けないと常識無しの有珠に殺されちゃうぞ」

 愉快そうに口を歪めて不敵に笑う。

 物分りのいい子は好きよ。 

 顔に書いてあるかのようにわかりやすい笑みだった。

「洒落になんねえよそれ」

「まあ、そうならないように最低限の注意事項について居間で話す。ある程度の自由もできるだけ考慮するつもりよ。護、仕送りだけだと辛いでしょ?」

 一人の男児。

 胸に抱く物のあこがれは似たようなものである。

 好きな女の子が、突然都市部に越すなんて聞いていなかった彼は必死で親を説得してこの町に出てきたものだ。

 どこまでもひとりで先に進む彼女を追いかけるためならば、苦労はあれど、やっぱり地域が離れて心の距離が離れるのは御免だったのだ。

「バイトの制限は?」

「それも居間で話すってば。移動するけど、立ち上がれるわよね?」

「多分」

 感覚の薄い足の裏、それで地面の感触を確かめ力を入れる。

 くらっと倒れそうになる体を押しとどめる。

 気づけば、手を出そうとしている青子が見えた。

「大丈夫、必要ない」

 無理していることは分かっていても、直接言われてしまっては手のだしようがない。

「本当にダメだったら手を貸すわよ」

「ああ」

 仕切りに後ろを気にしながらも、必死でそれを隠そうとしながら青子が廊下に出る。

「貧血だ〜〜」

 朝には弱く、血の巡りが悪い護は壁を使いながら彼女の後ろ姿についてゆく。

 歩くたび、その振動が左腕に伝わるたび顔を顰める。

 痛みを顔で訴える彼の姿を見ている彼女は、どこかその姿を見て嬉しそうに笑う。

「護。ちゃんと付いてきなさいよ」

 種を返し、今の彼では出せない速度で歩を進める。

「おい! 速いよ! って、痛え」

 必死で食らいつこうとして、自然に体を酷使して痛みが走る。

 それを理解してか、彼女は距離を置いてから、彼が傍に来るまで足を止める。

 そして、ある程度縮まったらまた歩き出す。

 その繰り返しが、下手に手を出せない彼女の最大限の優しさだった。

「それにしても、廊下寒っ! それに部屋の数多いな」 

 初めて訪れた館を見て、興味を惹かれないはずがない。

 したではこの館は幽霊屋敷として有名であった。

 理由が魔術師として、身を隠すためのことだなんて、知ってしまえばあっけない噂話だ。

 ふと意識を戻せば、館の中央部まできていて、階段の下で青子が護を覗いている。

 辺りを見渡せば、おそらく"アイツ"が寝泊りするはずであった屋根裏部屋へと通じる三階への階段も見えた。

 階段を降りて、天井からの日差しが照らす床の部分は冷たさを感じていた足に僅かなエネルギをくれる。

「暖炉使えるようにできたら、どれだけいいことか」

 それが長らく無用の産物とかしているのは見て取れる。

 すこしでも、この館に帰ってきた時に寒さを和らげられるように、何れは使えるようにしたいものだ。

「直せるのならぜひ頼みたい事ね。それより、さっさときなさい。居間はこっちよ」

 身を任せて、階段横の扉を開く。

 他にも三つあったが、それは後でいいだろう。

 現れた通路は薄暗く、日が当たらないため二階とロビーよりも寒い。

 見た目は高級ホテルを連想させる。

「そこが居間で、奥が厨房ね。護も好きに使って問題ない。というか、お菓子とか作ってもらいたいくらい」

「好きだからいいけどさ、俺主夫みたいでなんか……」

 ひとり暮らしに加え、アルバイトのおかげで護は人並みの料理スキルは持ち合わせている。

 菓子類は態々買って食べるにはお金の消費が家計簿に大打撃を齎すので、自分で作るようにはしているが、男子の思考回路としては彼女に作ってもらってそれを食べたいものが僅かにもある。

「ふふ。他にもサンルームなんてあるけど後でいっか」

 そうして、彼女のいる前のドアノブを回し中に入る。

 慌ててそれにくっついてゆく。

「お待たせ。承諾したわよ、アイツ」

 慣れたふうに青子が居間に入る最中、記憶に新しい、この居間だけは何度も見たことがある。

 だからか、どこか懐かしく感じられた。

 見慣れた二つの緑色のソファ。それにブラウン管テレビ。真下にはビデオデッキらしきものもある。

「懐かしいな」

 護は昔を思い返すように言う。

 記憶が戻ってすぐ、どのような手段を用いて生き残るかに必死過ぎて、とても文明のことに気が回っていなかった。

 ブラウン管テレビ。

 僅かに掘り起こせる神崎護になる前の記憶では、どこの家も薄型のテジタル放送であったはず。

 少なくとも、ブラウン管が完全に消滅したわけものないが、殆どの世帯が薄型テレビへと買い換えていた覚えがある。

 それに、連絡手段も希薄なものだ。

 黒電話なんて、母の実家でしかお目にかかったことのないものが、この館のロビーでもちらりと見た。

 携帯電話。なんて便利なものだろうかと、失ってから重要さに気がついた。

 元から時代の節目に生きていたのだから、携帯電話の、云わば持ち歩けるパソコンと言い換えても差し支えの無さには気がついていた。

 それは社会情勢を大きく動かしたものだ。

 便利さをつい思い出し、ネット禁断症状でも出てしまわないかは少し心配だった。

 この先、万が一にも生き残れたとして、時代が以前のところまで到達するのに一体何年の月日が掛かるのか。今のうちに、株でも買っておく裏技を使えば未来に困らない。

 等と、この館の主と弟子の会話の合間に護は考えていた。

「――神崎くん?」

「え? ごめん、聞いてなかった」

「もう一度言うけれど、遊園地でのでき事は忘れていないのでしょう?」 

 選択の自由が無いから、それを選ぶことになるのは仕方のないことだと思う。

 元一般人の観点からすれば、ヘタに関わった以上、半端ではいられない。

 半端物はいずれ、完全に染まるか殺されるか、そのような二択しかないと護は思い当たる。

 まだ、その話については決めかねるが、有珠の試しに答える。

「覚えてる。だけど、正直、俺は君のことを別に恐ろしいなんて思ってないんだ」

 彼の告白に、有珠は目を細める。

 それは本当にかと。

「私はいつでもあなたを殺せるのに?」

「ああ。俺は殺される事が怖いんじゃない。死を認めた自分が怖かったんだ。あの時、君が撃ったフォークあるだろう」

 ええ、と頷く。

「あれを避けられなかった俺は、死んだって率直に悟ったんだ。こんな場面で死ぬわけには行かないのに、俺はその時自分が死ぬって覚悟しちゃったんだ。その機会はまだ先なのに」

 自身を嘲笑うかのように、自傷行為に目をつぶる。

「だから、俺は別に此処に住むことに異論はない」

 嘘はないと、しっかりと護は有珠の目を見つめる。

「そう」

 護の告白に、少しの反応を見せたものの、彼女の細い指がテーブルに置いたものは、薄い青色の光沢を持つ硝子瓶だった。

 あれだけで、食費が何日分浮くのか、主夫たる彼はそれがなんであるかは意識の外にあった。

 有珠がそっと瓶の蓋を開ける。

 その仕草に、あれ、これって、と次に何が起きるのか理解してしまった。

 不安を顕にして、護は青子を見る。

 彼女は、大人しく流れに身を任せろと目で語っていた。

 視線の先を青子から有珠へと戻す。

 表情のない顔で、呼びかけられた。

「神崎君」

 一瞬の瞬き。

「な――――に」

 返答の後、曇った世界にいた。

「く、久遠寺?」

 ゆらゆらと揺れる正体、よく見れば髪の毛に見えるし、瞳が二つあることも確認できた。

 気持ち悪い。

 まるで、二次元の世界から三次元を眺めてるみたいに、三半規管の狂いで酔いに襲われる。

 部屋を見渡せるのに、瓶の中は狭くて圧迫感がある。

 乱れた心の平静を保とうと、いるはずの彼女を見つめる。

 確か、彼女には瓶の中の様子は伺えなかったはず。

 幾ら見ても疑われることなどない。

「たく、こんな事されなくたって魔術についての認識は俺の中では変わんねえぞ」

 世の中にはもっと酷いことをする奴がいることを知っている。

 例を挙げれば、志貴や士郎。

 士郎なんて、あのイリヤにルートによっては殺されず四肢を切断された状態で生かされ続けるバットエンドも存在する。

 最も、それは魔術師として異常なイリヤだからこそ出来た芸当かもしれないが。

 志貴も、――。

「どう? これでも怖くないなんて言えるの……?」

 通常の聞こえ方とは違い、護の頭上から響く。

「ああ、こんな風に閉じ込められるのは都合三度目だ。嫌でも適応するよ。それに、下から眺める久遠寺も中々良い、君って美少女だったんだな」 

「私、冗談を言う人は嫌いなの」

「冗談ってわけでもないんだけどねえ。まあ、怖くないよ」

 瓶の中、黒ずんだ地面に座り込んで護は有珠を見据える。

「だって俺は、君にとても感謝しているんだから」

「感謝?」

 身に覚えがないと、どうしたらそのような言葉が出てくるのかと不思議がっている。

「俺はね、あの日、君たちが公園で魔術を使うところを見れて本当に良かったと思っている。だって、その出来事がなかったら、俺は一生記憶を思い出すことなく、青子がどんな道に進むのかも判らず、好きな人に好きと言えないまま、青子と分かれていたかもしれないんだ。俺は、青子の事が好きだ。ひとりの女性として、愛していると言ってもいい。今でこそ、隣の青子には聞こえてなさそうだから言ってるけど、本当に、久遠寺には感謝しているんだ。君がいなかったら、俺は一生青子に思いを伝えられずに生涯を閉じていたかもしれないから。本当に、俺にとっては贅沢な事なんだよ。好きなこと同じ家に住めて不安なんてあるわけないじゃないか」

 だから、本当にありがとう。君がいてくれて、本当に良かったと。

 そう、心からの感謝を告げて、微笑んだ。

「――――っ」

 有珠が今、どんな感情を巡らせているかは判らない。

 嫉妬なんて事はないだろうし、嫌悪感なんてものもない。

 ましてや羨ましいとも感じられない。

 ただ、この状況下で本心を告げられる護の揺れない態度。

 余りにも単純な思考回路。

 朧げだが、有珠にも母親を思う親愛が確かに存在していたはずだ。

 気持ちが、分からないわけでもない。

 有珠は、護に皮肉として返されたことに自然と苛立ちすら起きなかった。

 護の話を理解すれば、確かに有珠は大事な事を護に知らせることになった。

 結果的に、相手の仲を真の意味で助けてしまったことになる。

「そうね。不快だけれど、貴方の救いになってしまったという事には違いないわ」

「ああ」

「本当に、青子を大切にしているのね」

 護に語りながらも視線は隣の青子へと注がれる。

 釣られて、護も青子を見ながら答える。

「――もちろん。初めて会った時から、変わらず残ってる」

「……正直、そう思える神崎君が羨ましく思える」

 有珠の手が、護のいる瓶に伸びてくる。

 名前を口にすることで、呪縛は解かれた。 

「どう、気分は?」

 現実世界から瓶の中の世界。そして再び現実世界の移動で軽い目眩を起こしながらも何とか立ち上がる。

「どうもこうもない。気持ち悪くなった」

 今しがた行われた行為に、意味はないと思っていると青子には見て取れた。

「こんな事をされなくても、魔術についての見解は変わらないし、お前たちが思ってるほど甘くも思っちゃいない」

「それは悪かったわね。アンタならその程度は弁えてるとは思ってたけど、念には念をってこと。実体験の方がわかりやすいじゃない」

 否定はできないと、護は複雑な表情で答えた。

「実体験と言っても、青子のは魔弾とあの馬鹿でかいビームしか見てないいが、久遠寺のはブロイとか今の瓶とかレベルが違うし、比較対象にもならないだろうよ」

「当たり前でしょ! 有珠と比べないでよね。有珠の魔術は私たちの中でもデタラメで、言葉にならないくらい最悪なんだって言ったでしょう」

 青子の物言いに、有珠が目くじらを立てる。

「……失礼ね。人命を脅かす、という点においては青子の方が余程残忍だと思うけど。それよりも、殺し合いの最中に逢引なんて、殺す気はあったの?」

「あ、あったに決まってるでしょ! アイツが何て言ったかしらないけど、逢引なんて真似一切してないから! 護はね、自分の命がかかってる時は平気で嘘つく奴なのよ。私だってそれで騙されたし、どうせ有珠にも嘘ついたんじゃないの!?」

 はっきりしろと、青子の視線が護を捉える。彼女の顔には驚く程真っ赤に染まっていた。

 同時に、有珠の視線も護へと向く。

 それに肩をすくめることで答えた。

「青子。どうやら神崎君は、私には嘘をつかなかったみたいね」

「どう言う意味よ!」

 背後からメラメラと炎の魔の手が湧き上がる幻を見た気がしたが、間違ってはなさそうだと素直に護は受け入れた。

 騒がしくはあれど、護は洋館での監視生活に承諾。

 魔術を職業とする者と同居するということの危険性。

 自分の命がいとも簡単に葬れる状況を身をもって体験させられた上で、初めからそのつもりと護は頷く。

 


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