【習作】アイツが転校してこない世界で   作:死んだ骨

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泥をかぶった男

 

 リハビリには半年かかった。

 関節に影響を与えないよう、初期はベットの上で筋肉をほぐす運動を一週間。

 その期間に義手の成形が終わり、装着し具合を確認。

 微調整の後、補助付きで室内を歩く。

 自力で立って歩けるようになるまで一月かかった。

 

 歩けるようになるまでの一月は、苦しい時間だった。

 転ぶ度に側にいる誰かが肩を貸して体を起こしてくれた。

 その優しさや気遣いがなによりも腹立たしかった。

 以前まで当然のようにできていた動作すらまともに出来ない。

 ベットから起き上がり、座った状態から立ち上がろうとしても上体を右に傾けないと真っ直ぐ立てない。 

 無意識で以前のような動作を行えば簡単に転ぶ。

 元あった右腕と義手では重量が違う。

 幻肢痛に苦しみ物に当たり散らすこともある。

 ほら、今だってそうだ。

 抑えきれない感情に火を着けられた錯覚に陥る。

 白人の男は容赦がなかった。

「立て、休んでいる時間はねえぞ。手なんか貸してもらえると思うな。歩き方を知らない赤ん坊じゃないんだ」

「……くそ。テメエに言われなくたって立ってやるさ」 

 奴なりに発破をかけてるのは重々承知だ。

 それでも怒りが湧かないわけではない。

 支えの杖を握りつぶそうと力を込めても今の俺の握力じゃ到底ムリな話だった。 

 悔しさをバネにし手助け無しで歩けるようになった次は、軽い徒歩を始めた。

 以前よりは大分余裕を取り戻し不必要に感情を表に出すことはなくなった。

ただ、情けないことに徒歩ですら息が切れる。

 なんせ早足の女の子にすら追いつけない。

 寝たきりの状態はどうやら上半身よりも下半身に影響が大きかったらしい。

「癒し担当だと思ってたんどけどな。以外とスパルタなのか」

 ちまちま歩いている俺の視線の先に、腕を組んで頬を膨らませながら不満気にこちらを見ている少女。

「マール遅い!」

「はいはい、ごめん」

「気持ちがこもってなーい!」

「すぐいくからまってろよぉ!」

 腹から声を張り上げると少女は満足そうに笑った。

 元気いっぱいの姿を見るとちょっと妬けてくる。

 

 

 それからさらに一月。

 競歩を始める頃には俺はサッカーを見ていた。

 監督よろしく口うるさく指示を飛ばした。

「そこはプレスだろ! 圧力かけないと抜かれて点入れられるだろうが!」

 言われた本人はケロッとしていて人の声を聞いているのかいないのか判別出来ない。

 ただ、驚いているのは隣で俺と同じようにベンチに座った幼馴染み。

 そいつは呆れたように俺を見る。

「マール……随分と元気になったな」

 青年は俺が腕を失ってリハビリの初期から力を貸してくれている。最初の時の余裕の無さと、今の俺を比べると随分と違うらしい。当の俺も情けなくも青年に一度当たり散らしたが青年は変わらず接してくれた。

 悪意のなさに毒気が抜かれ、気持ちも楽になった。

 青年の言葉は優しかった。

「俺以外には当たるなよ。俺はあんたに感謝してるし恩も返したい。だからマールのどんな言葉も受け止めるし、苦しさも吐けばいい。その代わりきちんと立てるようになってくれ。アンタはただの異国人ではもうないんだから」

 あまり泣くこともなくなった俺にとって涙腺にとてもきた。

 そんなことを思い出すと、青年をみてなんと言えばいいのか分からなくなった。

「マール?」

 ベンチに座り指示を飛ばさなくなった俺を怪訝そうな目で見る。

 その視線になんだか耐えられなくて言った。

「お前には話すよ。これからのこと」

「出て行くんだろ」

 間をおかずに帰ってきた言葉が把握できずに、隣の青年を見た。  

「え?」

「だから、戻るんだろ自分の国へ」

 確信めいた表情で青年は言う。

 だが、一体どうやって悟ったのだろうか。

 俺はまだ白人の男にすら話していないのに。 

 その疑問を問いただすと笑って答えた。

「さあね。目は口ほどに物を言う。アンタが教えてくれた言葉だろう」

 はぐらかすように笑ってベンチから立った。

 その時からだろうか。この地にいる大人たちが全員、揃いもそろって俺に対して優しくなった。

 顔には出さないものの、俺が出て行く事をなんとなく察しているようだった。

 子供たちはまだ違うようだが、それ以外には筒抜けらしい。

 

 

 四ヶ月がすぎる頃には走り回れるまでに回復していた。

 まだ全力で走ることは出来ないが、ペースを抑えれば右腕を失う前の状態にかなり近づいている。

 もうまもなくすれば、ここに居残る理由もなくなる。

 それまでにやり残したことは済ましておきたかった。

 昼ごろに広場に行くと、少年が一人でサッカーボールを使って練習していた。

 地面に一定の間隔を開け、印をつけて切り返しの練習のようだった。

「よう、アベル」

 そばに寄り軽く手を上げて声をかけた。

 呼ばれた少年は鼻にかいた汗を袖で拭ってから俺を見た。

 真剣に練習していたところに水を差されて気分が悪そうだ。

「なんだよ。冷やかしならお呼びじゃないぞ」

「違う。冷やかしじゃなくて、本気の話だ」

 少年の目には疑心暗鬼に満ちていた。

 今まで散々いじってきたつけがここに来たのかもしれない。

 信用していない目を向けられている。

 だが、アベルにだけは本気の眼差しで告げた。

「お前、プロになりたいのか?」

 俺の言葉に僅かに目元を歪ませたが、顔を上げてまっすぐと意思表示をアベルはした。

「ああ」

 覚悟の灯った目を見て、少なくとも一時的な気持ちではないと理解した。

「だったら俺と一対一で抜けるようになれ。そういえば、アベルとは本気でサッカーしたことなかったもんな」

 その昔、ここに来たばかりのころから少し経ってから、俺はサッカーで本気を出して暴れていたことがある。

 自分よりも体格が劣った少年達をこぞって走り回らせ実力の違いを魅せつけた。

 当時の被害者であり、一番の関係を思ったあの青年もその一人でもある。

 だが、その日以来一度たりとも本気でサッカーをしたことはなかった。

 その縛りを解いても、アベルになら構わないだろう。

「やるか?」

 少年はごくりと喉を鳴らした。

 緊張なのか、格上との戦いでの興奮なのか俺には判別できないが、勝負を受ける気があるのは明白だった。

 広場の中央線を堺に対峙する。

 アベルはそっとこちらにボールを転がした。

 俺は足裏で勢いを止めて口を開いた。

「ルールは簡単だ。一点先取――先に点を入れたほうが勝ちだ……。つまり、このルールに則れば先行が圧倒的に有利になる。だから、先行はお前にやるよ」

 そうして俺はアベルにボールを蹴り返した。

 渡されたボールが気に喰わないのか憎たらしい眼でアベルは俺を睨む。

「ハンデのつもりか?」

「先行を渡して俺が抜けないようならさっさとプロを諦めろ。今の年で俺を軽く捻るうまさがなきゃ、どっちにしろ先はない」

「上から眺めてるばかりだと、下から噛み付いてくる相手に尻尾を掴まれるぞ」

「それなら本望だ。もっとも、お前が噛みつけたらの話だがな」

 勢いよくアベルがボールを蹴る。

 ソレを受け取り、返してからが試合の始まりだ。

 

 

 ――結果は僅差だった。

 おそらく、次にもう一度同じことをしたら俺の負けだろう。

 負けるのは悔しいが、同時に嬉しくもある。

 自分の弱さに打ちひしがれているアベルにそっと語りかける。

「アベル……。俺はあと数ヶ月しない内にここを出て行く。それまでに俺に勝てるようになれ。次にやったら俺は負けるだろうから安心して練習を続ければいい。じゃあな」

 戸惑いにあふれた顔を残して俺は足早に姿を消した。

 正直、次はない。

 その前に俺はこの地を離れているだろうから。 

 勝ち逃げは許さないと怒られそうだが、そういった意地悪さも俺らしくていいかもしれない。

 

 次に出向いた場所は少女たちのたまり場であり、勉学を学ぶ教室でもある。

 部屋に入ればこぞって少女たちが顔を上げてはにかんだ。

「またマールが来た! 最近は暇なんだね」

「その言い方、酷くないか?」

「この前ナターシャが、マールにならなにやっても怒られないって言ってたから」

 したり顔で言う少女に微笑した。

 また随分と信頼されてるなと顔を崩す。

「まあ、いいや。今日はリハビリに充てる時間は消費したからとことん付き合うぞ」

「ほんと! じゃあここからここまでお願いしていい?」

 表紙が擦り切れた本のページを指差し、本当に嬉しそうに少女は告げた。

 

 そんなふうに俺はリハビリと平行してここで知り合った人たちに少しでも返せるモノ、知識、時間、労働など自らの手でこなせるものは何でも手伝った。

 不慣れな右手だが、義手になれるという点では良い試みであったとも思う。

 

 

 右手を失ってから丁度半年が経とうとしていた。

 俺が知るかぎりの人に挨拶を終えて、この地を去る準備は整っている。

 先日会った幼馴染の青年に、パスポートは持っているのかと聞かれた。

 そもそも日本出た時からパスポートなんて持っていなかった。暗示を使って国内から逃げるように行き着いた先がここであっただけだ。

 だから、帰りもパスポートはいらない。

 そう言うと青年は笑って別れを告げた。感謝の言葉も混ぜて。

 そういえば、俺にはまだ別れを告げる相手が一人残っていた。

 見知った道を歩き、建物の入り口を見ると嫌でも思い出してしまう。

 半年前にこの場所で代行者に襲われたことを。

 その出来事を一言で言えば悪夢であったが、自分が行動を起こすキッカケになったと思えば良い出来事であったと言えてしまう。

 奴の執務室まで着くと、白人の男はいつもと変わらずに雑務にふけっていた。

「よう」

 俺が声をかけると、白人の男は机から視線を上げた。

「……マールか。行くのか?」

 どこへ、とは聞かれなかった。

「ああ。最後にあんたに会っておこうと思ってな」

「お前はここに来ないで黙って出て行くものだと踏んでたんだがな」

 白人の男は皮肉げに唇を歪ませる。

「そこまで礼儀のない人間じゃない。だから、まあ、最後だけはケジメをつける」

 深呼吸をしてじっくりと白人の男を見つめる。

 彼には大変な世話をかけた。

 言語に始まり、衣食住を与えてくれたのは紛れも無く目の前の人物だ。

 だから、せめて形だけでも自分の気持を表したかった。

 静かに腰を九十度ほど曲げた。

「今まで……ありがとうございました」

 様々な気持ちを込めて口にした。

 すると白人の男は不満そうな顔で笑った。

「日本人てやつはみんなしてありがとうの言葉で済ますのか」

「それが美徳なんだよ。ありがとうには、様々な気持ちが込められてる」

「じゃあ、恩義をもっと感じさせるために余計な物もくれてやる」

 白人の男は手前の引き出しから小さな物を手にとって投げてきた。

 危なげなく掴むと、それが何なのか理解できた。

「パスポート……?」

「側だけだ。中身の記載は日本のものに合わせておいたが、パスポート番号はでたらめだ。まあ、お得意の魔術でなんとかするんだな」

「……その、助かる。……じゃあな」

 背中を向けて俺は部屋を出た。

 白人の男の、元気でなと小さく呟かれた言葉を、決して聞き逃すことはなかった。

 

 

 

 俺は飛行機の中で、窓から見下ろす海を視界によくわからない感情に苛まれていた。

 向かう先は三咲町(・・・)だ。時代が2014年であれば総耶(・・)に向かうつもりだが、この世界がどちらなのかの確認が必要だった。

 どちらの世界であろうが、蒼崎青子が生きていたのなら遠野志貴と出会い、魔眼殺しの眼鏡を手にするだろう。

 死んでいるのなら、遠野志貴は死を写しだす魔眼に苦しみ自分を殺すことになる。

「代行者にミス・ブルーについて聞いておくべきだったか……」

 どちらに転ぶか予め知っていれば、このような感情に揺さぶられることはなかったはずだ。

 だが、遠野志貴の生死を確認するのが不安で仕方がない。

 生きているのならそれでいい。

 しかし、死んでいるとすれば――もう一人の、遠野秋葉の実の兄である遠野四季は一体どうしているのだろうか。

 時系列を頭のなかで整理すると妙な胸騒ぎがする。

 七夜志貴は遠野の家に引き取られ、周りに受け入れられた後に四季の反転衝動に巻き込まれる。

 その際に、志貴は胸に深い傷を負い生死をさまよう。

 志貴を救ったのは遠野秋葉の能力だ。

 だが、生死の境を彷徨ったのが原因で志貴は"直死の魔眼"に目覚める。

 そこに青子がいなければ志貴は死ぬ。

 志貴とは違って、肝心の遠野四季は生き延びたままだ。

 生き延びたまま、遠野家の地下に幽閉される。

 それから、遠野秋葉が当主になるまで琥珀が四季にあらぬ事を吹き込む。

 その結果が遠野槙久の殺害であり、秋葉が当主の座に着いた理由でもある。

 考え直せば、俺の出る幕などない。

 遠野志貴が死んでいるのなら、アルクェイド・ブリュンスタッドは切り刻まれないし、ミスブルーとも遭遇しない。遠野志貴の存在が欠けた状態で、埋葬機関のシエルは存在するだろうしネロ・カオスも同じだろう。

 しかし、遠野秋葉はどうだろうか。琥珀さんもどうであろか。

 狂信的な感情を義理の兄に向ける秋葉と、遠野槙久に汚された琥珀。

 どちらも遠野志貴なしでは救われない。

 故に、俺が彼女らに出来ることなど一つもない。

 遠野四季――ロアの転生体として選ばれるも、それの撃退は本職の人間に任せればいい。

 対使徒用の武器は、代行者の死体から拝借しているが、例え洗礼詠唱を唱えたとしても信仰心のない俺では効果は皆無だろう。

 大人しく俺は黙ってこの地の変化を調べ、遠野志貴の生死を確認次第冬木に移る。

 

 

 気がつけば、窓からは陸が見えはじめていた。

 この陸を更にすぎれば次は日本だ。

 五年と半年ぶりの帰国ではあるものの、胸が踊ることはなかった。

 

 

 数時間後、無事日本に着いた。

 ただし問題はここからだ。

 荷物に関しては細工済みであり、検査に引っかかることはない。

 しかし、俺が日本を出た時行った暗示を含め偽装した内容は、出国審査の出入国カードに記載するパスポート番号、出国予定日、訪問の目的、滞在先、現地での連絡先だ。

 当時の俺は足が地に着かない心境であったため、名前も詐称する余裕がなかった。

 思わず本名で記載してしまった。

 俺が五年前にベオウルフから逃げたことで、会田教会の動きで行方不明扱いか存在の抹消の可能性もある。

 家族に迷惑がかかるのは心苦しいが、仕方がない事だ。

 それに、出入国カード偽装で犯罪者としてリスト入りしている可能性も十二分にある。

 大事にするよりは、素直に別室に連れて行かれてから行動に移せばいい。

 自動化ゲートの導入は日本では21世紀以降の話だ。今はまだ人の手による確認だ。

 欺くのなら一人目はそいつからだ。

 ゲートを通る直前に回路を起動する。

 手荷物には既に認識阻害のルーンを張り巡らせている。

 加えて、俺の体にあるあらゆる金属を全て転換で構造を一時的に組み替える。

 服の下にある物と、ケースの中にある火吹きども全てだ。

 ゲートをくぐる直前に止められた。

「パスポートのご提示をお願いします」

 胸ポケットから予め用意してもらった偽物を見せる。

「えーと、神崎、護さんね。…………ちょっとすいません!」 

 素通り出来るかと期待したが、そう上手くはいかないらしい。

 思い出したかのような止め方は、俺の名前が向こうに知れ渡っている証拠でもある。

 日本を出た時にパスポート無しで飛んだのだから、時間差で偽装に気付かれていたに違いない。

「何か問題でも?」

「いえ、少し気になる点があったもので。パスポート番号が正しいか、確認させてもらってもよろしいでしょうか?」

「……ええ、どうぞ」

 悪気など皆無といえる表情で告げた。

 まあ、すでに彼は術中にいるのだが。

「どこもおかしい所はないですよね?」

 改めて確認するように俺が言うと、虚ろな目で覇気のなくなった声で、失礼しましたとこぼした。

「どうぞ、お通りください」

「いいえ、お手数をお掛けしました」

 密入国も案外こなせるものだ。

 それから、電車を乗り継ぎ目的地に向かう。

 道中、俺の服装が興味を引いて人とすれ違う度に視線が突き刺さる。

 挙句の果てには荷物検査と称した警察の出番。

 煩わしくてたまらなかった。

 魔術回路を起動して一人ひとりお願いを告げる。

 そんなやり取りが三度もあった。

 疲れや不満が溜まっていたが、俺の視線の先に建てられた屋敷を見ると全てが吹き飛ぶ。

「遠野邸か……」

 喉が渇き、体全体に寒気がする。

 

 ――遠野志貴がいないのであれば、それは。

 

「この邸に何か御用でしょうか?」

 沈みかけた意識を一瞬で吹き飛ばして、鈴のような声色を認識した。

 そっと、時間をかけて視線を動かせば声を発した人物を見つけた。

「………………っ」

 声が出なかった。

 喉が振るえて、まともに発声出来なかった。

 見知った赤い髪に、ちょっと時代錯誤な割烹着。

 いや、90年代なら違和感はない。

 彼女の底とは正反対を飾った偽りの笑顔。

「大丈夫ですか……?」

「――ああ。大丈夫です」

「でしたら、なにか御用ですか。先程から邸を見ていらっしゃたでしょう」

 意思疎通の円滑を促す赤髪の割烹着を着た女性は、すでに偽りの仮面を被っていた。

 まだ15にも届かない少女にこんな気持ち悪い笑顔をさせる環境が、無性に悔しかった。

 これが逃れようのない現実で、助けるのであれば手を出される前に動き出すべきだった。

 この世界にはこんなにも不幸が転がっているというのに、なぜ正義の味方は現れない。

 彼女こそ、正義の味方に助けられるべき人であり、泥沼に浸かった心を引き上げる必要がある。

 でも、俺は正義の見方ではない。

 ――俺には、彼女を救うことは出来ない。救いの手は伸ばせない。

 ――この原因を作ったのは俺だ。志貴が生きていれば救われる可能性もあったのに、それを潰したのは紛れも無く俺だ。

 まだ遠野志貴の生死すら問いかけていないのに、俺の体は勝手に動いていた。

 青子が死んだと、俺がなにより確信しているからこその行動でもあった。

 信頼とも言える。

 蒼崎橙子なら、仕損じることはないだろうから。

 

 ――だから、もう一つの解決方法は。

 

「…………っ」

 息の仕方を忘れそうになった。

 頭では志貴の生死を聞くべきだと命令が下る。

 しかし、左腕は脳の意志を無視して服の下に隠したひんやりとするグリップを掴む。

 脳が静止を訴える。ここで事を起こせば次回から接触が困難になる。

 しかし、左腕は震えながら慣れ親しんだ銃器を彼女に向けていた。

 射撃制度には自信があった。

 右腕が義手になってから聞き手を右から左に変えた。

 変えたうえでも射撃精度には自信がある。

 だが、そんな自信も今は地に落ちている。

 片目に映るアイアンサイトは一瞬足りとも標的を捉えなかった。

 俺が躊躇う中、彼女はそっと距離をとった。

 それは残念ながら悪手だ。

 遮蔽物のないこの場所では、その行動は間違いでしか無い。

 彼女は言葉を発しなかった。

 俺は時分の突発的な衝動を抑えながら、呼吸を乱す。

 そうして、睨み合ったまま一分が経とうとしていた。

 相変わらずサイトは彼女を捉えず、小刻みに震える腕に翻弄されている。

 なぜこんなにも俺は躊躇しているのだろうか。

 いままで散々殺してきた。

 死体など見飽きるくらいに、殺してきた。

 相手の希望をへし折るくらいに、魔術の力を借りて殺してきた。

 でも俺が殺してきた九分九厘は、全員が覚悟を持って戦いに身を賭した人たちであった。

 だから油断も情けもかけなかった。

 しかし、彼女はどうだ。

 俺が今銃を向ける相手は、なにも罪がない少女だ。

 彼女の身に宿る能力を見出され、遠野槙久の反転衝動を抑えるために引き取られた少女。

 生まれつき持っていた能力のせいで、彼女はなにも悪いことなどしていないし、覚悟を持って行動しているわけでもないのに。

 なのに、自分の心を押し殺して復讐という鬼に身を費やす形で人生に終止符をうたせるのか。

 それは悲しいことだ。

 

 ――だから、ここで、俺が。

 

「どうして、泣いているのですか?」

 彼女の声で焦点の合わぬ目が、普段の機能を取り戻した。

 彼女は泣いているというが、涙など流してはいない。

 青子以外のことで涙を流したことは、五年前から一度たりともなかった。

 心はどうかは、分からない。

「……君は、なにも悪くないのに……。そんな顔をさせている環境が…………俺には許せない」

「あなたは、私のことを知っているんですか?」

「……知らないわけがない。君が妹を庇ったことも、遠野秋葉も、志貴も、シキも、遠野慎久だって知ってる」

「どうしてあなたが、そんなに悲しそうに泣いているの?」

「俺には君を救えないから。……手を差し伸ばすこともできない」

「救いなんていらない。私があなたにして欲しいことは、邪魔をしないことだけ」

 赤髪の割烹着を着た少女は、道を変える気は微塵もない顔つきだ。

「復讐を終わらせる頃に、もう一度君に会いに来る」

「その時に私を殺してください」

 

 ――ああ、約束する。

 

「最後に一つ聞かせてくれ。遠野志貴は死んだのか……?」

「――亡くなりましたよ」

 聞き方が悪かった。

 その答え方ではどっちが死んだかわからない。

「地下にシキは幽閉されているのか?」

 彼女の目が鋭くなった。

 そうか、答えてくれてありがとう。地下に四季がいて、胸を穿たれた志貴のほうが死んだのか。

「二つ目には答えられません」

「いや、それで充分だ」

 構えていた銃を地面に向けた。

 結局、殺せなかった。

 そして、彼女の復讐を止める気も俺にはなかった。

 俺は、俺の目的のために人を切り捨て、殺し、利用する。

 余計な手間は掛けたくない。

 死徒に挑むと、無事に帰ってこれるとは思わない。

 だから、俺は手はださない。

「また、会いに来る」

「その日まで、お待ちしています」

 

 

 ふらふらと、茫然自失のまま冬木に移動していた。

 俺はなぜあんな約束をしたのか。

 どうして止めなかった。

 答えの出ないことを考え続けていた。

 自分が、どんどん醜く邪悪な感情に支配されていく感覚がある。

 それも、全て自分の目的のために走り続けるからだ。

 間違った望みだとは知っている。

 でも、目の前に望みが叶う宝箱があって、それを正しく運用できる人物がいるのなら、求めてもしかたがないのではないか。

 いまさら、止まる理由もない。

 そして、目の前の少女も、邪魔ならば排除する他にない。

「…………間桐桜か」

 黒から薄い紫に色づいた髪に、この世の全ての絶望を背負った目。

 あんな目は紛争地帯で見慣れるほどありふれていた。

 日本は平和だ。

 スリ、物乞い、ジプシーなんてのが大勢いる外とは大違いだ。

 子供一人で外を出歩ける環境が、いかにこの国が安定しているかの証明でもある。

 だが、平和だからこそ、間桐桜の顔が引き立つ。

 これだけ平和に暮らせる国なのに、幼気な少女が笑うことを忘れてしまった理由を考えると腸が煮えくり返る。

 俺は衛宮士郎を利用する。

 衛宮士郎が間桐桜だけの正義の見方になるかどうかは、その時にならなければ分からない。

 だが、ここで間桐桜を生かしておけば間桐臓硯が牙をむく可能性がある。

 俺では臓硯に勝ち目がない。

 魔術師としての技量から、執念まで劣っている。

 出来ることなら事を構える前に無力化しておきたい。

 

 ――相手は子供だぞ。

 

 脳裏に、禁忌を犯す警報が鳴る。

 赤髪の少女と同じだ。

 彼女と同様に、間桐桜にはなにひとつ悪いことなど無いのに。

 魔術師として生まれてしまったことがなによりの間違いだ。

 

 ――子供を殺させないために活動してきたのは、誰だったか。

 

 ――白人の男に向かって、子供を犠牲にしたことに義憤を覚えたのは誰だったか。

 

 ここにも、正義の味方に手を差し伸ばされるべき子がここにいるのに。

 俺の行動はそれとは正反対のものだった。

 服の下から再度銃を取り出した。

 十年後にメドゥーサが召喚されないで起こるズレよりも、間桐臓硯の存在のほうが凶悪だと思った。

 だから、いまここで――。

 

 ――殺す。

 

 魔術回路を起動して、認識阻害のルーンを展開する。

 微弱ながらも魔術師の端くれだからか、間桐桜は俺の魔術の発動に気がついた。

 そして、俺は間桐桜と視線を交わした。

 銃を突きつけられているのに、恐怖を感じている様子もない。

 蟲蔵に落とされるよりも、怖くないと感じているのか。

 無反応がより俺の心を掻き乱す。

 引け。

 引き金を。

 今すぐ引いてしまえ。

 それで終わる。

 終わらせてやればいい。

 自分で死ぬ覚悟も持てず、誰かを恨むこともできなかった臆病な少女を、いまここで終わらせればいい。

 人差し指を曲げて力を込める。

 標的は捉えている。

 赤髪の少女の時とは違って、ちゃんと頭蓋を狙えている。

 あとはトリガーを引き絞るだけなのに。

「…………どうして…………殺せないっ」

 何度力を込めても、弾が出なかった。

 下唇を噛み締めて、血が滲むほど力を込めているのに。

「子供に、銃を向けるものじゃないよ――」

 そっと、震えだした左腕を抑えた手があった。

 人の接近に気が付かずに、驚いて視線を動かせば、いた。

「――若い魔術師さん」

「……衛宮……切嗣っ」

 かつて聖杯を求めて、願いを立たれた男がそこにいた。

 緊張の糸が切れ、膝から力が抜けて崩れ落ちた。

 俺には、無抵抗の、覚悟もない相手は殺せなかった。

 

 

 崩れ落ちたまま、俺はしばらく動け無かった。

 その間に衛宮切嗣は、間桐桜の視線の高さに合わせて何かを告げていた。

 すると彼女は踵を返してこの場から消えた。

 衛宮切嗣はひとつ溜息を吐いて、こちらを向いた。

「……さて、どうしようか。家にお茶でも飲みに来ないか? まあ、まだ家が建ってないから雷画さんの家にお世話になっちゃうけど」

 力なくうなずいた。

「そうかい。じゃあ、行こう。肩を貸そうか?」

「……いや、自分で立てる」

 舗装された道路の横にあるレンガに体重を預けながら、腰の抜けた体を持ち上げた。

 のっそりと重病人のように壁を這って歩く。

 衛宮切嗣は、俺の速度に合わせながらゆっくり、ゆっくりと歩いた。

 

 死人同然の背中を追いかける内に、立派なお屋敷にたどり着いた。

 誰かしらと言葉をかわして、時折俺の方を見て事情を話しているらしい。

 するするとお屋敷の中に入ると、一つの部屋にあてがわれた。

 衛宮切嗣は腰を落としてお付の誰かにお茶の手配をしていた。

 その頼んだお茶が届き、人を下がらせて一口茶をくちに含んでから口を開いた。

「さあ、聞こうか。まずは自己紹介から。でも、さっき君は僕の名前を口にしていたから必要ないよね」

 泥に呑まれた男の視線が俺を指した。

「君の名前は?」

「……神崎護」

「さっきも言ったけど、神崎くんは魔術師だよね。何の目的でこの地に来たのかな」

「あんたと一緒だよ。望みが叶う玉手箱を求めてきた」

「…………はぁ」

 はっきりと分かるため息がもれた。

「残念だが、それは無理だよ。だってあれは――」

 衛宮切嗣の言葉を遮った。

「――汚染されている、だろ」

「……知ってて求めるのかい?」

「汚染されたアレを正しく扱えるサーヴァントを利用すればいい」

「仮に触媒を持っていたとしても、必ず目的の英霊を呼び出せるとは限らない。複数の英霊に該当する触媒は割と安易に手に入るかもしれないが、呼び出したい英霊だけの触媒は見つけるのに手間も時間も金も多くが必要だ。君がそうだとは思えないし、それを知らないほど、無知には見えない。それに、次の聖杯戦争は60年後だ」

「……目的のサーヴァントが召喚されることを予め知っていれば事情は違うだろう。否定しておくが。次は10年後だ」

 おかしな話だと、男は笑った。

「それじゃまるで、未来を識っているように聞こえるが?」

「………………」

 何も答えなかった。

 どうせ言ったところで誰も信じないし、理解できない。

 俺のことは、このまま墓に入るまで口にできないだろう。

 口を固く閉ざした俺を見て、衛宮切嗣は頭を掻く。

「こりゃ、面倒なのを拾ったかな」

「否定はしない」

 案外、面倒見がいいのかも知れない。

 もう少し踏み込んでみよう。

「そういえば、まだ衛宮士郎はいないのか? 引き取っていないのか、手続きだけは済ましてるのかどうなんだ」

 小さな投げかけではなかった。

 衛宮切嗣にとって、いまの俺の発言は疑うに十分だったのかもしれない。

「……神崎くんは、みたところ日本を長く離れていたようだね。服装からもとても日本にいたとは思えない。それに、訛りが残ってる。僕も海外暮らしが長かったからね。そういった癖には敏感だ」

 目の前の男は一度お茶を含んで、また口を開く。

「そこで重要なのは、ついこないだまで海外にいた君がどうしてあの少年について知っているのか……についてだが」

「面倒な推理はいらない。なんならアイリスフィール、ナタリア・カミンスキー、シャーレイ。お前の過去に話しを遡ってもいい」

 男はした唇を噛み締めて俺を睨みつけた。

「……僕のことを随分と詳しく調べたようだね。率直に聞こうか、目的はなんだい」

「――――起源弾。少年時代にナタリア・カミンスキーに肋骨を摘出してもらった骨で作り上げた「切断」と「結合」で、放たれた銃弾を魔術で防げば、どこかのロードも魔術師としての生を閉じた。ただ一人、起源弾で殺しきれなかった相手が、この地の教会にいる……。ま、そんなことはどうでもいい。俺が言いたいのは、起源弾が一つ欲しいだけだ」

「くれてやると思うか?」

「思わないさ。なにせ相手は魔術師殺しだ」

「なら、どうしてそんな目をする。可能性があると思っている眼差しの強さの理由はなんだ?」

 そこで、俺は茶を口に含む。

 カラカラに乾いた喉を一度潤して、息を吐く。

 唇が震えている。

 言葉が喉の下で詰まっている。

 それでも吐き出せ。出しきれ。

 俺はもう、取り返しの付かない所まで来ているんだから。

「……協力してもいい。イリヤスフィールをアインツベルンの城から連れ出したいんだろう。汚染された聖杯の泥を被ったいまの衛宮切嗣に、あの子を連れ出すことは不可能だ」

 実際に泥を被ったことのない俺には分かってやれないが、聖杯の泥をただの人が被ったことで被るものは並ではない。 

 確かなのは魔術回路の八割は壊死し、ろくに魔術を使えないこと。

 汚染の影響から余命いくばくもないこと。

「自覚しているはずだ! あんたの命は長くない。だせよ、自己強制証明(セルフギアス・スクロール)。そこに衛宮切嗣が思いつく限りの縛りを加えればいい。契約された縛りは死後をも対象を束縛する。それじゃあ不満か?」

 事の真意を確かめるように、男は眉を寄せる。

「どうしてそこまで身を削ろうとする。起源弾一つの見返りには些か多い気がするよ。それに、一番大事なことを聞き忘れていた。神崎くんが聖杯に望む願いはなんだい? それの返答次第で応えるよ」

「俺の願い……?」

 男の言葉で思考を内に帰する。

 俺の願いなど一つだけだ。

 薄っすらとあいつの顔が浮かぶ。

 たかだか五年なのに、徐々に顔を思い出せなくなっている事実に胸が締め付けられる。

 ただ、もう一度会いたい。

 出来ることなら。

 

 

 ――それは。

 

 ただ、助けたいだけだ。

 逃げ出した自分が恥ずかしくて。

 逃げ出したくせに、まだあいつに会いたいと思っている自分が愚かで。

 死んでいるのに、まだ会えると思ってる自分が薄汚く感じる。

 俺が望むのは、過去の改竄。

 人が生きている限り、後悔のない人など絶対にいない。

 断言できる。

 人はなにかしらに後悔し、あの日、あの時、あの場所で別の行動を起こせばよかったと思うことがある。

 それでも人は前を向いて生きていくしかない。

 だって、過去には戻れないんだから。

 

 ――でも、それを覆せる聖杯がある。

 

 ――泥に塗れた聖杯を扱えるサーヴァントもいる。

 

 なら、俺は、それを求める。

 衛宮切嗣が、60億の人のために家族二人を切り捨てたのなら。

 俺は、切り捨てられた二人をとって、60億を切り捨てる。

「俺はただ……あいつを――青子を助けたい。大切な女の子を助けたかった。ただ、それだけだ……それだけが俺の……願いだ」

 青子のことを考えると、いつもこうだ。

 涙がこぼれそうになる。

 自分の情けなさや、行動に不安がつきまとう。

 間違っている。

 当たり前だ。きっと、青子が生きていても間違っていると言うだろう。

 それでも、間違った道だとしても、もう止まれない。

 立ち止まってしまったら、銃口を咥え脳天に向けてトリガーを引き絞りたくなる。

 走り続けるしか、俺の生きる道はない。

 俯きながら言葉を吐いたので、衛宮切嗣の顔を見るために視線を上げると、男は懐かしい物をみているようだった。

「君は、初対面の印象とは裏腹に随分と優しい子なんだね。でも、だからこそはっきり言うよ。自分すら欺けない嘘はつかないほうがいい。いずれ、僕のように崩れる時が来る。それも、僕なんかよりももっとはやく君はダメになってしまうよ」

 男は覚悟を決めて重い腰を持ち上げた。

「まだ信用はできない――――でも、僕は君の行く末を見てみたくなった。魔術師として……契約をしようか」

 差し伸ばされた手は、俺よりも多くの人を殺めてきた臭いが残っている。

 それでも、血に染まった手が綺麗にみえた。

 背中に無数の屍を率いていても、目の前の男――衛宮切嗣は正義の味方たる行動をしてきた。

 見方を変えれば悪逆非道の極悪人とも言える。

 だが、差し伸ばされた手を取ることで、俺の心は少しだけ軽くなるだろう。

 

 ――この手を取れば、間違っていることを素直に受け止められるのだろうか。

 

 いつか、受け止められるのだろうか。

 あいつが死んだことを。

 

 今は、まだ受け入れられていない。

 

 受け入れられるかどうかは、十年後までわからないだろう。

 待ち受ける未来が地獄でも、俺は迷わず切嗣の手を取った。

 

 

 

 

 

 

 

 


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