【習作】アイツが転校してこない世界で   作:死んだ骨

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未来を見据えて

 

 

 銃口を向ける腕がわずかに震えていた。

 それを相手に悟らせないために、俺は右腕を下げる。

 気を静める時間を稼ぐために問いかけた。

「なぜ俺を狙う」

 俺が腕を下げたことで、敵もまた両手に持つ黒鍵の切っ先を地面に向けた。

「神秘の秘匿はルールだ。破るものに例外はない」

 そもそも秘匿など気にしなかった。

 迷った時間だけ人が死ぬ。

 考えるより先に口を動かし詠唱して、迅速に人を殺した。

 使える力なら使うべきだ。

 それで多くが助かるなら、自分の罪を少しは償えると思って。

 そんな言い訳めいたことを考えていても、人一人殺していく度に罪は増していく。

 引き金を引けば一人分、背中に背負うことになる。

 何十、何百と背負い続けても、せめて俺が生きていて欲しいと願った人たちが生き残れるのなら迷いは無い。

 正義の味方になるつもりは毛頭ない。

 目に見える全ての人を救おうなんて、余力があるときだけだ。

 選択を迫られるときには決まって余裕なんてものはないのが常だ。

 ――だから、結局のところ生かしたい人を生かすだけで俺にとっては精一杯なんだ。

「神秘の秘匿は魔術協会の仕事だろう。聖堂教会の代行者が関わる案件ではないはずでは?」

 相手の視線が俺を貫く。

 何度も聞いたような問いかけに、予め答えが用意されているような感じがする。

 間髪入れずに代行者は答えた。

「一つ間違いがあるが、問に答えよう。どこにでも、二足(にそく)草鞋(わらじ)を履くものはいるということだ」

「物好きだな。代行者という立場に身を置きながら魔術協会に属するなんて」

 そもそも、聖堂教会とは"異端狩り"に特化した組織だ。

 "神秘の秘匿"を第一とした魔術協会と仲が悪く、手を取り合うことはない。

 相反する組織に身をおくものはそう多くはない。

 昔の知り合いに、一人だけいた二足の草鞋を履いていた女の事を思い出す。

 忌々しい記憶だ。

 ――そう、友と呼べる関係であった男と殴りあった原因の一端を担う女のことだ。

「一つ訂正しておこう」

 現状とは関連のない思考から敵の声で意識を戻す。

「なにをだ」

「私は代行者ではない」

「――――は?」

 一瞬だけ思考が止まった。

 が、すぐに気を持ち直す。

 敵の言葉を鵜呑みにする馬鹿になったつもりはない。

「その手にもつ黒鍵は飾りか? 代行者の真似事でその剣を持っているとでも」

 銃口を敵の剣に向けて刺す。

 それに応じてか、敵は自らの手で黒鍵を弄ぶ。

 手に馴染む様子から黒鍵を手にしてから日が浅いとはとても思えない。

 あれは体の一部まで研ぎ澄ました第三の腕と言ってもいい。

「人員の移動だ。繰り上がりで選ばれた落伍者にすぎん」

 ――本来なら選ばれなかった存在。

 心のうちで安堵しそうになるも、すぐに否定する。

 先ほど銃弾を捌いた腕は本物だ。

 例え敵が代行者であろうとなかろうと、勝敗は動かない。

 神崎護に勝機はない。

 だがら、いつものように逃げればいい。

「ああ、そうかい。お前が代行者であろうがなかろうが、俺のやることに変わりはない」

 大きく後退しコートを翻して身を覆う。

 代行者は怪訝そうに俺の様子を観察している。

 どうやら先に手は出す気はないらしい。

 侮られているのならむしろ好都合だ。

 服の下で閃光手榴弾を取り出しコートの外側に投げ入れて爆裂させる。

 脚にありったけの魔力を流して走りだした。

 背後に視線を向ければ、俺が駆け出すのと殆ど同時に敵が閃光を抜けて来る。

 腕が動き黒鍵が投擲され俺の右肩に突き刺さる。

「…………っ!!」

 痛みで足がもつれ大きく転んだ。

 右側面の顔と右肩が地面に擦れて血が出てくる。

 肩に突き刺さった黒鍵を引き抜いて左手に挟みこむように逆手で構え、さらに投擲される黒鍵を転がって避けて銃を撃つ。

 右手で引き金を引きながら左手で両脚に早駆けのルーンを刻んだ。

 相変わらずの技量で敵は銃弾を黒鍵で弾きながら近づいてくる。

 俺を体制を立て直し、左手に盾を投影する。

 俺の胴体を辛うじて覆える大きさの鉄の盾を構える。

 敵は俺の左手に出現した盾を見て目を見張った。

「……それは投影魔術か?」

「だったらどうした。魔術の使い方は人それぞれじゃないのか?」

「無駄なやり方だなと思ったまでだ。投影魔術など儀式を再現する程度にしか能のない魔術だ。それを戦いに持ち込もうなど魔力の垂れ流しと変わらない」

「お生憎様。人よりも魔力は多いんでね、こういう使い方もあるっていうのを覚えておけ」

 銃を腰のホルスタ―に戻して、右手にも左手同様に盾を投影する。

 さらに両手に持つ盾を変化させ、盾の四方を刃の形にする。

「盾で戦うのか? そういう輩と相まみえるのは初めてだ」

 純粋な驚きがあったが、それは奴が余裕を持っているからこそ吐ける言葉でもある。

 まともに戦う気なんてスズメの涙よりも少ない。

 頭のなかはどうやって逃げ切るかしか考えてない。

 震える顎を抑えるために奥歯を砕くほどの強さで噛み締める。

 緊張しすぎて胃から戻しそうだ。

 心の底で、ある思いをずっと叫んでいる。

 ――たくない。――にたくない。――死にたくない。

 その前に一度でも、彼女と再開できるのを望んで。

 そんなことが不可能なのは分かりきっているというのに。

「――――っ!!」

 魔眼を拓いて、両手の盾を投げつける。

 時間差で投げつけて一気に走りこむ。

 敵は風にあおられる紙のように二つの盾から身をかわし、剣を構えて駆け出す。

 距離にして二十メートル。

 未来視によれば、敵がこちらに接触するのに一秒半を要する。

 だが、こちらはそれをたった一秒で詰め寄る。

 脚には自信がある。

 そこに早駆けのルーンの効果が合わされば、人智を超えた化け物以外なら速さでは負けない。

 敵の見開いた眼が見えた。

 畳み掛けるなら今だ。

 左手に持て余していた敵の黒鍵を振りかざす。

 相手も黒鍵で受け止めて、俺の左手の黒鍵を弾いた。

 俺は左手に目もくれず、右手で顎を狙う。

 それすら簡単に力をそらされて、代行者の左足が俺の右腰を狙って加速する。

 すかさず反応して、対向するように俺も左足を代行者の右腰を狙って振りぬく。

「くッ――――!!」

「ッア――――!!」

 俺は衝撃で仰け反りかけるも、代行者は俺が与えた蹴りなど痛がる素振りすら無い。

 体重が後にかかり、体を支えようと片脚を一歩下げる。

 その動作の間に代行者の掌底が俺の鳩尾を穿った。

「ッッぁあ!!」

 肺から空気が抜けて、咳き込みながら五メートルほど地面を滑った。

 急く気持ちで立ち上がろうとするがあまりにも苦しくて立つことすら出来ない。

呼吸すらままならない。

 急所に攻撃を喰らうべきではなかった。

 揺れる視界の中でなんとかうつ伏せになる頃に、代行者は目の前に立ち俺の顔を弾いた。

 裏拳だ。

 二回転半廻って地べたに蜘蛛のようにへばりつく。

 このままじゃ殺される。

 相手のペースに乗せたままではダメだ。

 何でもいい。

 生きるためだ。

 持てる全てを使え。

 定まらぬ焦点の中で代行者らしき存在を認識した。

 対象を確認し、小刻みに震える腕を上げる。

「――――アンサスっ!!!!」 

 空中に火のルーンを刻む。

 余力を残しながらも、ありったけの魔力を込めて告げる。

 ルーンの効果により代行者を燃やし尽くす。

 うめき声が漏れる間に、両足にあるナイフを二本とも投擲する。

 通常なら二本とも刺さる実力はあるが、一本が代行者の左太腿に刺さっただけだ。

 続けざま再度盾を投影して全力で投げつけた。

 当たったかそうでないか確認すらせずに、ただただ俺は逃げた。

 旧市街地まで逃げ込んだところで倒れこんだ。

「……ぃって、………はあ、…………」

 貧血の症状が出ているのか、急激に視界が狭まる。

 ゆっくりと血の循環を意識して気を保つ。

 少しづつゆっくりと体を持ち上げ崩れた建物に身を預ける。

 遠くで爆発音が聞こえた。

 おそらく、仕掛けたクレイモアの爆発音だろう。

 俺を探しながら通り過ぎてくれればいいが、そう都合良くはいかないだろう。

 せめて、もう少しだけ距離が迫るまで休息をとろう。

 力を抜いて瞼の重さに逆らわず眼を閉じた。

 

 

 大きな、大きな爆発音で飛び起きた。

 口の中の血を吐き出して口元を拭う。

 体に残る怠さは変わらず、血の巡りも悪かった。

 だが、状況を整理して未だに代行者が俺のことを探し近くにいることだけは確かだ。陽は落ちていて夜のまま。日付は変わってないらしい。

 代行者が標的を逃すとはとても思えない。

 体に魔力を流して異常箇所の確認。

 体を動かすのに問題はなく、魔力も七割近く残っている。

 まだ戦える。戦えるが、正直言って逃げたい。

 真っ向から立ち向かって勝てる相手ではないのだから、生き延びるためには逃げるしか無い。

 命が惜しいから俺は迷わず逃げることを選択した。

 全身には様々なルーンが刻まれている。とくに力を入れたのは硬化と加護のルーンだ。

 俺の起源故に、"盾"――要するに"守"や"護"に関する魔術だけは精通している。

 よって、身を固める魔術は特に手間をかけている。

 脚には早駆けのルーンを刻んだ。

 身体を休めながら、左手に盾を投影する。

 その盾に勝利のルーン、加護のルーンをそれぞれ刻む。

対象・強化(シールド・オン)

 次いで強化を行使して存在を一段階引き上げる。

 だが、これだけでは俺のようなただの投影使いでは現在する時間は減少する。

 投影はもとより理を一時的に覆し、この世に忘れ去られた物質を再現するモノ。

 世界の修正により長くは保てない。

 だからこそ、ルーンを刻み終え強化の後に"停滞のルーン"を刻む。

 "停滞のルーン"の効果は、その名の通り『停滞』。

 悪く言えば、状況が好転しない。

 良く言えば、状況が決して悪くなることはなく、現状維持を保つ。

 そう俺は解釈している。

 よって、ルーンと強化を施した盾を長い間存在させるために、一番最後に停滞のルーンを刻んだ。

 ルーンで出来る効果は出来るだけ施した。

 逃げる前に敵がどこにいるのかを探すため、小粒の石からできるだけ大きなものを手に取る。

 その石に文字を刻み"探索のルーン"を発動する。

 手のひらから文字の刻まれた石が背中に預けていた壁を指した。

 石は動かず、ただ背後の壁を指し続けていた。

 代行者は動いていないのではなく。

 真っすぐこちらに近づいてきているということだ。

「っくそ…………!」

 慌てて立ち上がってフラつき壁に体重を預けて壁を蹴る。

 直後、壁が崩壊し何かが肩に突き刺さる。

 痛みの元凶がどのような武器なのか視界に入れるまでもなく理解していた。

 歯を食いしばり距離をとってから肩に生える黒鍵を抜いて左手に構える。

 魔眼を拓き、壊れた壁の中から悠々と代行者が姿を現した。

 服は焼け焦げ肌がむき出しだ。

 だが、驚いたのは火傷の痕が露出した皮膚のどこにもないこと。

「お前、火傷はどうした」

「……こういうことだ」

 答えを見せびらかすように奴は顔の造形を作り変えた。

 顔がもぞもぞと気味悪げに変形し、さきほどとは全くの別人に成り果てた。

黒魔術(ウィッチクラフト)か!」

 黒魔術には変身術などといった物も含まれる。

 自在に骨格を操り他人を偽ることなど造作も無い。

 焼け焦げた皮膚を通常のモノに戻すことなど容易いのだろう。

「どうりで魔術協会と聖堂教会の二つに属せるわけだ。あの女と同じで余計に腹が立つな」

「私以外にも二足のわらじを履き、黒魔術を使える存在がいると? 存外に交友は広いのか」

「昔の話だ。もう五年も会ってはいない」

 くだらない昔話を断ち切るように俺は吐き捨てた。それを僅かばかり惜しむも代行者は再度問いかけてきた。

「それより、神崎護。貴様はルーンと投影を駆使して戦うのだな」

 応答はせず、ただ俺は代行者を睨む事で応答した。

「貴様の投影した盾、アレでおおよそ貴様の投影品の持続時間は把握した」

「なんだと」

「普通、投影品の持続時間はもって五分程度。しかし、貴様の投げつけた盾があっただろう。アレを持ちながら貴様の姿を探していると十分以上現世に存在出来ていることに気が付いた。つまるところ、貴様の起源は"盾"に関する何かだと踏んだ。そうだと仮定すれば、先ほど貴様を穿った一撃でこちらの手が麻痺しかけた理由にも納得がいく。自身に対する強化、または加護のルーンも刻んでいるのだろうが、それの効果が他人よりも良いのだろう」

 俺は必死に顔に動揺を出すまいと堪えた。

 代行者の推察に間違いはない。

 停滞のルーンによって、今俺が左腕に持つ盾は例外だが、それで状況が覆るわけじゃない。

 黒魔術を扱うものは欲求を押さえつける理性の塊にしか扱えない。

 逃げる前に、俺の火のルーンでさえ小さな呻き声しか漏らさなかった。

 火で炙られれば常人では叫ばずにはいられない。

 炙られた経験がない俺が言うには説得力に欠けるかもしれないが。

 それを押さえつける理性は並外れたモノだ。

 標的の分析すら怠らない。

 ああ、本当に、強い。

 俺は逃げることしか考えていない。

 どうすればいい。生き残るために、俺に残された手段はなんだ。

 俺が使えるルーン魔術で止めはさせない。

 俺の魔術は総じて、守るか逃げるか強度を上げるかばかり。

 殺傷能力のある魔術など殆ど無いといってもいい。

「そら、種はまだ出し切っていないだろう。死にたくなければ本気で殺しに来い」

 代行者の挑発に乗せらそうだ。

 重火器以外に俺は敵を殺す術をほとんど知らない。

 剣の心得も我流、正当な教えを受けたといえば制圧術とナイフの扱い方ぐらいだ。

 各上相手に通じない制圧術に意味はないし、肝心のナイフもすでに使ってしまった。

 残された方法は、俺がまだ行使していない魔術。

 代行者に一度も明かしていないままのアレしかない。

 投影でもルーンでもない。

 投影を突き詰めていく上でより深く理解できるようになった魔術を。

 俺は衛宮士郎のように構造把握能力が長けてはいなかった。

 むしろ悪かった。初めのころは盾の投影さえ無駄や矛盾が多くすぐに壊れてしまうことが多々あった。

 それを改善出来たのは図面をひくことだった。

 まるで新築の家の設計を頼まれた建築士と言えるような仕事だ。

 いや、建築士と鳶職を同時に行うというべきか。

 概要はさておき、切り札として最後まで隠しておこう。

「種を見せるころには死ぬぞ、代行者」

「こちらこそ黒魔術を明かした時点で逃す気は毛頭ない」

 深く息を吐いた。

 虚勢にハッタリ、傲慢な話し方で誤魔化せる相手ではない。

 勝ちを拾いに行くとすればやはり逆転の目を狙うしかない。

「――行くぞ」

 代行者が宣誓した。

 俺は声を合図に摩眼に全意識を集中させる。

 奴の踏み込みは鋭い。

 姿が描き消えたと思えば既に接近されて手を伸ばせば触れる距離まで詰められていた。

 重さを感じさせない黒鍵が俺の肌に触れてから盾で弾く。

 浅く切れた肌など意識の外で、追撃の脚蹴りを力が乗り切る前に距離を詰めて勢いを殺す。

 間髪入れずに右手で拳を突き出す。

 代行者も負けずと攻撃の嵐が止まない。

 俺の攻撃はまともに当たらず、代行者の拳と剣ばかりを俺が受けている。

 急所を何とか守り負傷する箇所をずらすので手いっぱいだ。

 こちらは未来視を常に展開しているのに代行者の攻撃になんとか食らいつくだけ。

 俺が一歩的にダメージを蓄積し、反撃はまともに届かない。

「――――はぁ、……」

 息が切れてくる。

 どれだけ代行者の攻撃を受け続けているだろうか。

 反撃の手も引っ込んできて今では防戦一方だ。

 急所に貰わないだけに専念し左手の盾で斬撃を受け止る。

 何時この攻防が止むのかわからない。

 確かなのは、鬼人のごとく続く連撃は止むことはなく、俺の集中が切れるまで止まらない狂人なのだ。

 一撃わき腹になにかがかすった。

 肉が開き血が出てくる。

 次は顔だった。

 頬骨が歪むほどの衝撃で脳が揺れる。

 視界が定まらず、正面の敵を捕らえられない。

 攻撃が来る。だから盾で防ぐ。

 なんとか防げた。未来視で視える自分がどこで攻撃を受けたかを視てから防ぐ。

 それも数秒のことだ。

 未来視で視てから反応しても遅い。

 もう代行者の動きに追いつけない。

 奴が早くなっているんじゃない。自分が遅くなっている。

 碌に機能しなくなった身体と脳。

 自分が殴られ切り刻まれ痛みにすら反応が鈍くなっている。

 いつしか左手の盾が弾き飛ばされていた。

 おぼろげな意識の中で腰のホルスターに手をかけ銃を構える。

 トリガーに指をかける前に銃器を切断された。

 おろおろと、戸惑いながらよくわからずに空を見上げていた。

 ああ、こいつはまずいと。ぼやけた頭で理解した。

 つまるところ、代行者の前で仰向けに転がった。

 構えた銃は弾き飛ばされ、左手の盾も既に手元にない。

 残った武装から、まだ腋に二丁のリボルバーがある。

 弾丸は装填済みだ。

「これで最期だ……残す言葉はあるか」

 今まで、その言葉を宣告してきたのは俺だった。

 悔いのないように、自分の生きてきた証を吐いて死ぬ。

 その問いかけが自分に返ってくるとは、随分と皮肉的だと思って鼻で笑ったやった。

「心臓は渡さねえ。……って言い残すのもいいが、やっぱりてめえに残す言葉なんてあるわけねえだろ」

 煽るように、屈しない心を見せつけるように笑う。

 利き手でリボルバーを引き抜き一発だけ放った。

 代行者の腕がぶれて、俺の右腕が少しだけ軽くなった。

 リボルバーが半分になって、暴発音が響き真上から黒鍵が迫る。

「その心臓、貰い受ける」

 胴体からやや左にずれた箇所に剣が突き刺さる。

 肉を裂かれる度に激痛が脳を支配する。

 痛みで涙が止まらない。

 息をしようとすると苦しさが増す。

 でも、息をしなければ死ぬ。

 体が酸素を求めて呼吸をする。

 呼吸をすれば痛みが増す。

 視界が薄れて、徐々に意識が落ちていく。

 流れ出ていく液体も止まらず、それが冷たいのか暖かいのかも判別がつかなくなっていく。

 意識が薄れてゆく中、辛うじて見た景色は夜空と照らしつける月だった。

「―――――子」

 最期に名前を呼んだ。

 大事な女の名前を。

 

 

  

 薄っすらと瞼を開けば、真っ白な空間にいた。

その空間には何もない。

 薄れゆく意識の中に焼き付いた夜空と月の存在も当然のように無かった。

 だから何の疑いもなくこれが夢や幻想の類なのだと理解できた。

 ――俺は敗れた。

 代行者の前に、その心臓を貫かれて絶命した。

 俺なりに頑張ったほうだと思う。

 未来視、投影、ルーンを駆使してなんとか戦ってはみたもののやっぱり負けた。

 これでよかったのかもしれない。

 結局、俺の時間は逃げ出したあの日から一歩も進んじゃいない。

 進もうと努力しても、向かい風が強すぎて諦めてしまったのかもしれない。

 今だってそうだ。

 この風に逆らうことはできない。

 吹き付ける風が俺を拒絶するように猛威を振るってる。

 立っているのさえやっとのことだ。

 いっそ何もかめて諦めてこの風に吹き飛ばされるのもいいかもしれない。

 でも、俺が立ち続ける理由は何なのか自問自答する。

 蒼崎青子だ。

 それ以外に理由はない。

 俺が生き続ける理由も、蒼崎青子のために他ならない。

 青子は今も、この風の中で歩き続けている。

「青子ッ!!」

 彼女の名前を呼んでも、この風の中、あの長い髪を靡かせて歩みを止めなることはない。

 追いかけようと必死に走ろうも吹き上げる暴風に体を持っていかせないようにするのに手一杯だ。

 もう、追いかける事さえ億劫になっている。

 諦めればいい。

 体から力を抜いて吹き飛ばされしまえばいい。

 楽になって良いのではないかと。

 自分が犯してきた罪を、死ぬことで償ったと受け止めればいいのではないかと考えてしまう。

 瞼さえ強風で開かない。

 両手で顔を覆ったとき、ふと、赤い光に照らされた。

 ほんの小さな灯火。

 この空間には明かりなど無いのに、赤い光が閉じた瞼の外側から感じ取れた。

「………………これは……」

 瞼を開けて、自分の左腕の甲を見た。

 その紅い三画の刻印は自己主張するように煌々と輝いていた。

 自分の存在を主張し、希望を与えれくれるたった三つの命令権。

 俺は何を諦めようとして、何を楽になろうとしていたのか。

 多分、俺が思いついたことは間違っている。

 やり直すことはできないし、してはいけない事だ。

 でも、まだ生き足掻いて良いのだろうか。

 こんな俺が生き残って、思いついたことを実践できたとして何が残るのか。

 いつの間にか風は止んでいた。

 青子はずっと遠くにいた。

 それでも、青子が背中と顔をこちらに向けて何かを言っていたのは確かだ。

 ――その言葉は。

 "――――まだ走れる?"

 見守りながら、信じるように。

 俺の到達を、ただ待っていた。

 急速に向かい風が吹いた。

 真っ白な世界を吹き飛ばす勢いで体ごと塵になった。

 答えを口にする隙間もなく、ただ世界から弾き飛ばされた。

 

 

 

 風は途絶え、意識を取り戻した。

 世界は夜空に覆われ、弱々しい月光が俺を照らす。

 月の女神の加護を受け状況を受け止める。

 分かっていた通り、俺の心臓は止まっている。

 止まっているというより、破壊されていると言うのが正しいか。

 首を少し上げれば胸にぽっかりと空いた痕があった。

 狙い通り、追い詰められれば追い詰められるほど敵に狙われる箇所に致命傷を受けた。

 破壊された心臓。機能を停止した臓器。

 神崎護という人間の心臓に外傷を受けた時。

 ――こんな時のために、俺は全身に文字を刻んだ。

 文字というより正しく言えば、ルーンを刻んだ。起死回生の一手を。

 術式の中心は心臓。

 発動条件は、心臓に対する外傷を治癒する。

 俺のような未熟なルーン使いでは蘇生のルーンを通常の条件では発動できない。

 致死量の攻撃を受けたとき、蘇生するという条件を俺では満たせなかった。

 だから、俺でも発動できるよう条件を狭め限定的に発動できるように変えた。

 条件は――心臓その一つに致死量の外傷を負った場合に発動。

 

 視界に映るのは、胸から真上に放たれる青い光と莫大の魔力。俺の全魔力量の約5割を消費して俺と代行者を中心とするように四方に"四枝の浅瀬"(アトゴウラ)が展開される。

 "四枝の浅瀬"(アトゴウラ)の効果は、名誉の一騎打ち。

 言うならば、背水の陣だ。

 俺は別に赤枝の騎士の遺志を引き継いでいるわけではない。

 だが、蘇生のルーンが発動したということはどちらにしろ後はない。

 であるのなら、最大限勝つために蘇生のルーンの直後に展開するようにした。

 ルーンの効果は術者の解釈によって異なる。

 勝つ可能性を上げるため、展開された"四枝の浅瀬"(アトゴウラ)は術者を助力する効果が付与されている。

 立ち上がった俺を見て代行者は驚愕で口を開けていた。

「――――化け物かッ!」

 だが、仮にも代行者。驚き半分でも手から黒鍵を握りしめて再度俺を殺そうと踏み込んできた。

 俺は摩眼を拓き、向かってくる剣の軌道を読み切った。

 代行者の黒鍵を、手首側から外側に弾く。

 外側にそれた代行者の腕を、弾かれた方の腕でわきに挟み込むように腕を絡めて、代行者の脇の下から顎めがけて突き上げた。

 代行者はそれも予測済みで、そっと顎を引いた。

 だが、それでは俺の追撃は躱せない。

 突き上げた俺の腕を振り下ろして視界を奪った。

「うおおおおおおおおおおお!」

 相手に反撃も逃走も許さぬよう、左手に盾を投影する。

 造形などどうでもいい。

 ただ、鉄の塊を代行者の顔面に押し付けるように殴りつけた。

 それでも代行者は態勢を崩さず、機会を逃さぬ執念が瞳越しに見えた。

 俺は振りかぶった左腕が行く重心のずれを利用して右旋回しながらしゃがみ込み右脚で代行者の足元を刈り取る。

 あまりにも簡単に脚を刈り取った事に違和感を感じたとき、未来視を通して誘いだと見越した。

 未来視でもし俺が追撃していればその俺の腕を利用して形成が逆転する。

 突き出しかけた腕を一度引いてタイミングをずらす。

 代行者は空中で体をねじり地面に着地し、バネのように身を丸め鋭い脚が槍と化して迫る。

「――――…………っ!!」

 前面に盾を構えて吹き飛んだ。

 距離を離されたら終わる。

 反動を上に向けて空中で回転し、代行者と同じタイミングで地面を踏みしめて駆け出した。

 交差する瞬間、ふと気が付いた。

 代行者は目をつぶっていた。

 右眉から血を流し、左眉は大きくはれ上がったためまともに俺のことを視界に入れてない。

 だと言うのに、奴はしっかりと俺を狙っている。

 ほんの一瞬だけ、代行者の気迫に呑まれた。

「――――っ!!!!」

 右手に代行者が振りかぶる黒鍵と同じ物を投影して鍔迫り合いを行うも、所詮はまがい物。

 たった一度の交差で俺の創りだした黒鍵は砕け散った。

 勢いが減少して俺の胴体を切り裂くことはなかったが、顔面を左から穿たれた。

 視界が右にずれ代行者を見失うも、左手にある盾で流れに逆らわずに敵の顔を横殴りにする。

 勢いを更に利用して右回転し、踵で回し蹴りを繰り出す。

 代行者は受け止めてがっしりと俺の脚を掴んだ。

 直感でまずいと思った。

 未来視だと脚を折られる。

 支えがなく空中に浮かされたら何も出来なくなったからだ。

 咄嗟に左手の盾を変形させて長さを伸ばし地面に突きつける。

 盾を支えに代行者が俺の脚を捻るのに合わせて回転し、掴まれていない脚で鼻をへし折った手応えがあった。

 勝てる。

 あと少し。ほんの数手で決まる。

 代行者の顔めがけてもう一度盾を振りかぶる。

 それを避けようと一歩引くのではなく、勝負を決めるために踏み込んできた代行者は苦痛に顔をゆがませていた。

 俺が限界であるのと同じで、代行者もまた限界なんだ。

 それも左脚。奴が踏み込んで苦しんだ原因は脚だ。

 俺が投擲したナイフが今になって効力を発揮した。

 弱点を突くに越したことはない。

「脚に重さを」

 詠唱し脚に重圧をかけ、代行者の左足のつま先を重さを増した脚で踏みつぶす。

「……ッ!!」 

 もう地に足を着けて闘えまい。

「これで……終わりだ!!」

 脳裏に投影から置き換えの一連のイメージを思い浮かべる。

投影・開始(シールド・オン)

 投影した左手の盾をさらに投影で材質を作りなおす。

「――投影・重装(シールド・フラクタル)置換(フラッシュエア)……!」

 崩れ落ちそうな代行者に向けて全霊を込めて魔術を叩き込む。

 そうすれば終わっていたのに。

「…………脚などくれてやる!」

 あろうことか代行者は既に機能しない左足に黒鍵を突き立てた。

 痛みに顔を歪ませながらも、俺の魔術の効果が出始め変形を始めた盾を弾いた。

 そうして俺は両腕を開いて無防備な体を曝け出していた。

 ああ、一手足りなかった。

 相手は才能がないながらも伸し上がった代行者。

 その背景には血が滲むような努力が隠されている。

 意地の悪さも俺より遥かに上だ。

 あと一撃加えれば代行者の意識を奪えた。

 だが、最後の最後で、代行者は長年の勘に頼ってその見えない眼で、機能を終えた左足を剣で突き刺し、俺の右腕を黒鍵で切り裂いた。

「――――…………っぁぁぁぁぁあああああああああああああああああ!!!!」

 右腕の根元から切断されて激痛で意識が飛びそうだ。

 でも、最期まで、死ぬその時まで諦めない。

 そう決めた。この先また、覚悟が揺らいだとしても、何度でも思い出そう。

 歩みは止めない。走り続ける。

 蒼崎青子がしようとしていた事を俺が成し遂げる。

 俺の時間は引き伸ばされている。

 一秒が十秒以上に感じている。

 まだ千切れた腕は空中に漂っている。

 地面には落下していない。

 俺は無駄に長引いた世界の中で、右腕を捨てることを選んだ。

 綺麗なままで維持していれば後に繋がったかもしれない腕を、諦めることを選んだ。

 腕がつながるよりも、生き残ることを考えた。

 残った左腕で右腕をつかむ。

 俺の魔眼の能力は、未来視。

 それも、思考力を加速させて演算するもの。

 だからこそ、できるはず。

 試したことはない。

 この機を逃せば試す機会すら永遠に訪れなくなる。

 思考分割、高速思考、高速詠唱。

 代行者が左腕で振り切り、俺の腕を切断してから、追撃が迫るのにキッカリ一秒。

 唇を震わせて詠唱した。

 左腕に浮か令呪一画分の魔力を用いて。

「聖杯からもたらされた令呪を魔力に。切り離された(かいな)を血肉と化せ。血肉を鉄に、鉄を(つるぎ)に。構造を入れ替えるは置換(フラッシュエア)(つるぎ)に重さを、心に(覚悟)を、四方に散るルーンは"四枝の浅瀬"(アトゴウラ)。敗北は許されず、勝利は目前。振り下ろす左腕に牙を!!」

 投影品では強度が足りない。

 ルーンを刻む手間も惜しい。

 だから、右腕を材料に、腕に流れた血肉を利用して構造を入れ替え鉄の剣に。

 片手を失った俺では首を落とせない。

 故に加重を。

 一ミリ単位で代行者の黒鍵が迫る。

 その剣が俺の体に触れる瞬間、代行者の首は支えを失い動作を終えた。

 左腕で大剣を振り切り、その重さで体をもっていかれて倒れこんだ。

「……っぁ、はぁ、…………はぁ。そうだ、止血、しないと」

 薄っすらと首をはねた代行者を見て、次に自分の右腕を見た。

 肩から先はなく、ドロドロと血が流れでいる。

 そっと傷口に左腕で触れて治癒しようとして思い出した。

「もう、魔力、残ってねえや……」

 意識が持たない。

 まだ、死にたくない。

 まだ、死ぬわけにはいかない。

 左手に浮かんだ令呪のことが頭を過る。

 可能性があった。

 青子にまた会える可能性が、俺の左手に在る。

 そのまえに、しっかりと向き合わなければ。

 今の世界で、蒼崎青子と蒼崎橙子の決着の行方を。

 あの日から五年がたった今でも、俺は知らないままだ。

「…………青子……」

 意識が完全に闇に落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 神崎護が閃光手榴弾を投げ入れ、部屋の中で瞼を焼く光量と爆音に麻痺していた白人の男は十数分でなんとか気を持ち直した。耳はしばらく使い物にならないが。

 追いかけることはしなかった。

 退役軍人である自分は衰え、魔術師である神崎と魔術協会でに属する魔術師との戦闘に介入できるとは思えない。

 結末を見守ることくらいしか今の自分に出来ることはない。

 どちらが死のうがこの施設に影響はない。

 ただ、出来ることなら奴が生き残ってくれたほうが子供たちのためにはなる。

 一時間ほど経っただろうか。

 旧市街のほうから煙が上がっていた。

「そろそろか……」

 二人の実力を詳しくは把握していないが、長引くとしても一時間前後で終わるだろうと推測している。

 神崎が逃げることに主眼を置いているため、ヒットアンドアウェイで長引いて一時間だ。

 逃げきれないとわかってしまったらアレも覚悟を決めて捨て身で殺しに行くだろう。

 諸々の準備を終えて旧市街地に向かう。

 

 

 結果は無様といっていい。

 神崎護を見ると体のあちこちは汚れきって醜い。

 もとより戦いなど醜いものだ。

 綺麗なままで追われる戦いは無い。

 残念なことに右腕は無く、放置すれば死んでしまいそうだ。

 浅いが胸が上下しているのが幸いだ。

 神崎は生き残った。

 オレが自殺志願者と呼んだこいつは、最後まで足掻きぬいて勝利を手にした。

 倒れ伏した二人を見て思う。

 ここでどのような戦闘が繰り広げられたのかは知らないが、人知を超えた何かでこの場ができたのだろう。

 魔術なんておとぎ話みたいな空想が現実にあるものなんて誰が信じるか。

「マール、謝るつもりはねえぞ。オレはいつだって選択を迫られてきた。その選択に後悔はない。オレはいつだって、オレが正しいと信じた道を選んだ。お前は、どうするんだ。カンザキ」

 いつからか白人の男もマールと呼んでいたが、出会ったばかりのころは苗字で呼んでいた。

 出会った当初の記憶がチラつく。

 何かにおびえ、自分を罰することしか考えていなかった過去を思い出す。

 過去を悔いて、断罪を求める姿は父親を思い出して物悲しくなる。

 オレがもう少しうまく導ければ憂いはなかったんだが。

 立ちはだかっていた壁はいまだ立ちはだかっているように思える。。

「おい、マールを止血し終えたら運べ。オレは相手のほうの体を運ぶ」

「分かりました。でも、マールの片腕は戻らないのでしょうか」

 白人の傍にもう一人、青年がいた。

 つい先日マールと子供たちとともにホイッスルをもって走っていた彼のことだ。

「マールの右腕が見つからない。おそらくここではない場所で千切られたかもな。だとしたら血の跡があってもかしくはねえんだが、見当たらねえし、なおさらマールの右肩から血が止まっていなかったのが不自然だ」 

「やっぱり魔術かなんかですか」

「……だろうな。そういえば、お前なんで意識があるんだ。住民は全員暗示で眠らされるように仕組まれた手はずだが」

 白人の男が疑問を告げた。

 すると青年は答えた。

「昔、マールに少しだけ魔術の手ほどきを受けたんですよ。まあ、魔術回路が数本あった程度ですが。そのおかげで普通の人より抗魔力があるらしく、ただ見習いだと余計に危険とかでお守りをもらってたんですよ。多分、それのおかげです」

「なるほどねえ。てか、お前さんはオレにいつもどおりの接し方でいいのか。分かってると思うが、マールを売ったのはオレだぞ」

「……マールが死んでいたら、接し方は変わっていたと思いますよ。でも、生きてるから。それで充分です。貴方がこの地域にもたらした貢献は計り知れない。貴方がいなければこの場所にあんなにも人は集まりませんよ。もちろん、マール無くしてね」

 白人は鼻で笑った。

「――こっ恥ずかしいから、そういうのは二度と言うなよ」

 なんとも言えぬ達成感が白人にはあった。

 自分のやってきたことのおかげで、少なくとも救えたものがあった。

 犠牲はあれど、感謝を示す人も少なからずいる。

 これからもそれが続けられるようと、口を結んだ。

 会話をしながら白人は護の手当を終えた。

「マールを運べ。オレは敵の魔術師を運ぶ」

 白人は代行者を。青年は神崎護を。

 それぞれ就寝所まで運んだ。

 近辺の人間は全てが昏睡状態で医者も同様であった。

 二人はできるだけの処置を施してから、青年主導で医者をたたき起こすことになる。

 結果的に、神崎護が目覚めるまで一月ほどかかった。

 

 

 

 

 

 

 暗闇の中でいろんな人の声を聞いていた。

 俺が今までお世話になった人たちの声。

 それは日本で関わり合いがあった人たちではなく、すべて日本を出てから知り合った人たちの声だった。

 白人の巨人は決まって深夜、こっそりと親との亀裂を俺に当てはめて一人語っては消える。

 俺に向かって「ビビっているのか、マール」と口にした少年は、姿とはかけ離れた青年のようなたくましい声で早く目覚めて、子供たちにサッカーを教えてやれと語りかけてくる。

 子供たちは、何と言っていいのかわからず、ただ狼狽えてしまい俺の名前を呼ぶことしかできなかった。

 その中でも声が聞こえた。「――絶対、サッカー選手になるんだ」という子供の声が。

 確か、プロになりたいと言っていた子供がいた。そう、アベルだ。ぶっきらぼうで感情表現が拙い子だが人一倍強い思いを持っている。

 俺も負けられない。

 早くこの暗闇から抜け出さないと。

 そういって、どれくらいの月日がたったのか。

 暗闇の中に出口はなく、彷徨い続けている。

 精神的にあらんできた。

 また、弱い自分が甘い声をささやく。

 諦めてしまえと。

 でも、真っ白な世界にいたとき、蒼崎青子が残した言葉を思い出す。

 ――諦めない。もう逃げ出さない。

 向き合うと決めた。

 そんな時、ほんの小さな光が在った。

 豆粒みたいな小さな光の点だ。

 それに手を伸ばした。

 近づけるように走った。

 

 そうして小さな光をつかんだところで――

 

「…………ぁぁ、   ぁ」

 眩い光に思わず目が開けられなかった。

 自分が出したうめき声も、喉がカラカラなせいか、皺れたお爺さんのような声だった。

 数分かけて、徐々に目を開いて光に慣らす。

 どうやら随分と長い間寝てしまっていたのかもしれない。

 体を起こそうにもピクリともしない。

 首だけ動かそうにも、まだ時間がかかりそうだ。

 起き上がろうとする動作だけで息が切れて疲れた。

 また、目覚めてから挑戦すればいい。

 少し休もう。

 目を閉じて、また意識を落とした。

 暗闇の中で誰かの体温を感じた。

 そっと目を開けると、誰かの手が俺の左手を握っていた。

「…………ナターシャ」

 視線をずらせば、癖のない長髪が俺の横たわるベットに頭をのせて寝ていた。

 おそらく、様子を見に来たところでつい寝たのだろうが。

 相変わらず体は動かないし、左手だとすこし持ち上げるだけで精いっぱいだ。

 左手を盗み見れば赤い変な紋章が書かれていた。

 ナターシャが書いたのだろうか。彼女はちょっと間違った方向に進んだのかと思いかけた。

 とりあえず、動かせる範囲で左手に力を入れると、動きに反応してかビクッとナターシャは飛び起きた。

「こんなとこで寝てると風邪ひくぞ、ナターシャ」

 相変わらず乾いた声で、爺さんみたいだ。

 覇気の無さと言葉の意味からすると、本当にお爺さん見たいかもしれない。

「マール!! 先生!! マールが起きたよ!」

 俺を見るや否や声を張り上げて、先生を呼んだ。

「ちょっと先生呼んでくるから待ってて!」

「ゆっくりでいいし、走るなよ」

 俺の言葉など耳に入らないのか、思いっきり全力ダッシュだった。

「困ったな、痒い右手をかいてくれないか頼もうとしたのに」

 俺の右腕は全く動かなかった。

 左手は辛うじて動かせても、右手は感触すらない。

 だか、無性に痒くて仕方がない。

 ナターシャや医者が戻ってきたら掻いてもらおう。

 数分程度で戻るだろうと思われたが、誰も来る気配がない。

 おかしいなと思ったが、身体が動かせない以上身動きは取れない。結局、待つしかない。

 15分が経過した時、ナターシャとこの地の医者、そして白人の男がやってきた。だが、どうにも空気が重たい。

 ナターシャも随分と居心地が悪そうにして座りが良くない。

 これは彼女だけ家に帰したほうが良さそうだ。

「ナターシャ、なんだか空気悪いし先にお家に帰ったほうがいいぞ」

「でも…………」

 何かに怯えたように口を結び白人の男を見た。

 すると白人の男はナターシャに耳打ちしそっと背中を押してこの病室から退出させた。

「ナターシャも帰ったことだし、俺を売った見返りとして右腕を掻いてくれないか。痒くてしかたがないんだ」

「っ……」

 白人の男は何故だか舌打ちした。

 舌打ちしたいのはこっちだってのに。

 少しくらいこき使ったっていいだろう。

 心の中で悪態をついたところを医者に視線を戻した。

「マール、落ち着いて聞いてほしいことがあるんだ」

「なんだよ、改まって。前に俺が死にかけた時からの仲だろうに」

 くたびれた白衣を着た医者は、いつになく読み取れない顔でメガネを外した。

「お前、右腕の感覚はあるか?」

「全くないね。ビクともしないが、痒くてしかたがない」

「俺が言いてえことが分からねえか? お前が何人かの負傷兵を連れてきたことだってあるだろうよ。そんときに決まって俺が患者に告げていた言葉を覚えていないのか?」

 嘘や冗談では無い、本気の眼だ。

 少しだけ鼓動が早くなった。

 外れていたネジがかっちりと嵌る音がした。

 そういえば、なんで右腕を見るのを無意識で拒否していたのだろうか。

「お前の右腕は、残念だが、もう無いんだ」

 心臓が破裂するくらい轟いている。

 視界が急に暗転しそうになる。

「…………ぅあ、あああ、ああああああああ!!」

「鎮静剤だ!」

 白人の男が冷静さを失った俺を抑えに来る。

 脳裏には代行者との戦いがフラッシュバックする。

 左手の甲にある刻印の意味も、ちゃんと思い出した。

 一画分が欠けているのも承知の上だ。

「やめろ! ……鎮静剤は、いらない。右腕が無いこともちゃんと覚えてる。……だから、無駄に薬を使うな」

息を切らしながらも、白人の手を退けて医者に向けて、自分は正常であると理性のある眼で睨む。

「本当か……?」

「だからそう言ってんだろ……。鎮静剤は、必要な時に取っておけ」

「身構えて損したぜ」

 ほっと肩を下ろし安堵の表情が医者から見て取れた。

 そんな時に白人の男が医者の言葉を遮った。

「今日はもういいだろ。腕が無いことを理解しても、体力が戻るのには時間がかかる」

 医者は最もだと頷いた。

 瞬く間に医者は消え、白人は何か言いたそうに入り口で止まった。

 口に出そうとしても、言葉にできないのが背中から伝わってきた。

 だから、声をかけた。

「俺を売ったんだ。リハビリには付き合えよ、それで精算してやる」

 白人は鼻を鳴らした。

「あまり時間を取らずにお願いしたいね」

 そう言葉を残して姿を消した。

 なんだあいつ。

 それなりに負い目もあるのだろう。

 俺は白人の懐刀と言ってもいい存在だからだろうか。それとも、父親と影を重ねているからなのか

 まあ、話す気がないので考えたってしかたない。

 そんなことを考えていると視線を感じて入口を見ると、ひょこっと顔を出したナターシャがいた。

「帰らなかったのか」

「えと、まあ、気になって」

 気まずそうに病室に入ってきた。

 右腕のことに関して気に病んでいるのだろうから、俺が心配ないように振る舞えばいい。

「大丈夫だよ。腕が無いことはちゃんと受け止めてるから」

「本当に?」

 頷くと、彼女は安心したように笑みをこぼした。

 その笑顔を崩すのは耐え難いが、何も言わずに去る気はない。

 だが、今すぐ打ち明けるのもなんだか難しい。

「ああ。しばらくは勉強の方に専念できるかな。サッカーが出来るようになるまで時間かかりそうだし。一年くらいは先生にでもなろうかね」

 歓喜の声を上げて興奮し詰め寄ってきた。

「本当!? 絶対だよ! 嘘ついたらハリ千本飲ますって言ってたもんね!」

「あれは言葉のあやであって、本当に飲ませる訳じゃあないんだ」

「今すぐみんなに報告してくるね!」

「俺の言葉は無視なのかそうなんですか」

「またねー」

 聞く耳を持たないを体現した少女はさわやかな笑顔を振りまいて病室を後にした。

 強引に自分の意思を押し付けるのも少女なら可愛いものだ。

 あれが歳を食っても変わらなければ面倒な女と思われてしまうのかと少し不憫だ。

「日本に戻ったら、もう帰ってこないかもしれないからな。その分だけ子供たちの力になれればいいか」

 左手に浮かぶ二画の令呪に視線を落とし、聖杯に願う思いに馳せる。

 第四次聖杯戦争は五次の十年前に開催された。

 俺が学生であった時の西暦は1989年。

 五年が経ち1994になった。五次の開催がおそらく2004年にあたる。

 現在いるこの国の遠くで、既に幕は降ろされている。

 衛宮切嗣、言峰綺礼、遠坂時臣、間桐雁夜、ウェイバー・ベルベット、ケイネス・エルメロイ・アーチボルト、雨生龍之介の七名をマスターとして聖杯戦争は迎える。

 俺のこの五年でマスターが変わるような行動はない。

 よって第四次聖杯戦争の流れは変わらないはずだ。

 時期的にも俺が衛宮士郎を利用できる機会は十二分にある。

 衛宮切嗣が亡くなるのが四次の終戦から5年後。もしそれまでに衛宮邸に乗り込み上手い具合に溶け込めば、必ず衛宮士郎は俺に魔術について教えを乞うだろう。

 魔術を教える報酬として俺がどんな交換条件を出しても奴は引き受けるし、デメリットも少ない。

 ネックは衛宮切嗣だ。奴は俺の企みの全貌は把握できなくとも危険性は感じるはずだ。

 それさえ掻い潜れば希望はある。

 悪人と非難されようとも、貫き通せばそれは意味がある。

 快楽殺人者ではないのだから幾分ましだろうか。

 罪悪感はある。だが、俺が聖杯を勝ち取り健全に利用するなら確実に衛宮士郎を聖杯戦争の期間だけ利用するべきだ。状況を整えてギルガメッシュに宛がえば八基目のサーヴァントは潰せる。

 イリヤスフィールをダシにすれば切嗣も釣れるかもしれない。

 制約はかけられども利害を一致させれば自己強制証明(セルフギアス・スクロール)の元で見返りも期待できる。

 切り札のない俺にとって魔術師殺しの弾丸は喉から手が出るほどの魅力を秘めている。

 一弾でも手に入りさえすれば後は魔術の鍛錬と評して衛宮士郎に投影させることも出来る。

 起源弾の構成材質、創造理念を読み取ることで弾丸の能力を把握されるがそこで再度誓約を設ければいい。

 お互いが起源弾を相手に撃てない。殺意のある攻撃を行わない。

 もっとも、いくら聖杯を勝ち取る道筋を考えても聖杯が使えなければ意味がない。俺が聖杯戦争に参加する点で一番重要なのは聖杯を使うためにあるサーヴァントと手を組まなければいけないことだ。

 第五次聖杯戦争にキャスターとして呼ばれる彼女なくして泥にまみれた聖杯を正しく扱うことはできない。

 狙うとすれば、葛木宗一郎と契約される前に割り込むしかない。

「俺が次にすることは遠野志貴の生死を確認することだ。一度、聖杯戦争の話は置いておこう」

 考える時間は十分ある。

 俺のリハビリが終わるまでじっくりと考え抜けばいい。

 確実に聖杯を取れる理想図を描けるように。

 窓から見える青空が、曇り空に変化していく。

 どこか、自分の変化と重なって見えていた。

 

 

 

 

 

 

 




この作品に手を付けてから二年と半年が経ちました。
物語はまだまだ続いてゆきますが、これからも長い目でお付き合いいただければなと思います。








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