【習作】アイツが転校してこない世界で   作:死んだ骨

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吐露

「青子、屋敷が襲われてる」

 神崎護が屋敷で襲われた裏で、水族館に行っていた青子は地下鉄で思考を揺さぶられる言葉を有珠に宣告された。

「――え?」

 肝心の青子は、内容が一瞬では理解できていないようだった。

 神崎護が襲われるとは思っていなかった。

 また、敵が屋敷に直接殴りこみに行くとは考えてなかった。

 その二つのせいで、青子の思考は止まっていた。

「屋敷が?」

 地下鉄の壁には人形が捕食された後が残っている。

 有珠の手によって食料として扱われ、食い散らかしたブロイの痕跡。

 つい先程、なにが食われたのか。

 片腕だけ、線路に残されたそれを拾う。

 すると有珠が言うには、これが作られたのはごく最近のもの。

 ここまで精巧な人形を何体も用意できる存在は一人しかいない。

 青子は自分たちの敵が誰で、結界をすり抜けてきた理由をすんなりと受け止めていた。

「……姉貴、そうか。そりゃそうよね」

 眉間にしわを寄せ、手に力が入る。

「あいつは無事だと思う?」

「屋敷の中にこもっていれば。でも、外出から帰ってきたときに鉢合わせしていたらかなり危険。最近の彼は屋敷の中にいることが少ないから」

「有珠。できるだけ急ぎましょう」

 

 

 出来る限りの早さで、二人は屋敷まで帰ってきた。

 壊された鉄門を抜けて、荒れた森を抜ける。

 そこいらには、忌々しい人形が転がっている。

 破壊された残骸には目もくれず、青子は駆けた。

 屋敷に近づくほど、人形の数が増えていく。

 あのバカは無事なのか。柄にもなく焦っていた。

 入り口が見え始めたところでドアに寄り掛かるボロボロの男を捉えた。

 ただ、異様な姿だった。

 その男の前には、沢山の人形が散っている。

 数十は下らない。

 森の中に散乱していた人形とは別の倒され方をしているのが、注視すれば理解できる。

 特に、男の周りの人形は全てどこかしらの部位が切断されている。

 突かれた痕もあるので、長物のような武器で応戦したのではないかと推測できる。

 だが、肝心の武器がどこにも見当たらない。

 何とも言えない感情が青子の中で浮かぶ。

 森を抜けてからの人形の傷と、辺りに散乱している人形の手足。

 おまけに顔や首、胸など人体の急所を狙った意図が透ける。

 それをやったのがだれか。

 ――まるで、ボロボロの男が人形を倒したかのような光景だった。

 そんな男を守護するように数体のブロイが待機している。

 つまり、命に別状はないということだ。

 青子は男に近づいて、そっと顔を伺う。

「意識は、無いか」

 満身創痍。そんな顔だ。

 土の付着した頬をこする。

 色々と納得のいかない状況だけれど、話を聞いても帰ってこない奴を相手にはできない。

「有珠。とりあえずコイツ、私が運ぶわよ」

「お願い。後で私も出来る限りのことはするから」

 彼女の言葉を聞いて、青子は目を見張る。

 いったいどうやって丸め込んだんだか。

 首を傾げながらも、意識のない男の腕を肩に担ぎ持ち上げる。

 外見の割に、詰まったモノが多いのか結構重たい。

 部活をやめてから、いっそうトレーニングを増やしていたのは陰ながら知っていた。

 ちょくちょく屋敷を開けて外出時間が長く、アルバイトも一時的にやめているとクマに聞いている。

 少し前からコソコソやってることに目を瞑っていたが、まさかなんて考えが浮かぶ。

 もしかして始めっからコイツは知ってたんじゃないかとさえ思う。

 加えて左手の包帯の下にあるモノについて。

 自身の体にある刻印と類似していることは何となく察した。

「何を隠してんだか……」

 言葉が喉まで上がってくるも、あえて言わなかった。

 答えを口にしてしまうのに躊躇いがあったからだ。

 青子は護を屋根裏部屋まで運び自分の時間を惜しんで看病に当たっていた。

 護の体は熱く、汗がひどい。

 額に手を当てれば、高熱が出ている。

 青子は浴室に行って桶を持ち冷水を注ぎいれて屋根裏部屋に戻る。

 適当に見繕ったタオルを冷水に浸して絞る。

 それを護を額に乗せる。

「あんた。いったい何と戦ってるのよ……」

 神崎護の顔は、高熱と戦っているというよりも複数の何かに立ち向かっているのではないかと思う。

 時折、手に力が入るのか掌を何度も開いては閉じてを繰り返す。

 少なくとも、青子はこんな風に苦しむ護の顔を見たのは初めてだ。

 なぜならそれは、神崎護にとっても初めてのことであったから。

 

 

 

 

 剣を振るう。

 体から手足に力を逃がさずに伝え、敵を斬り付ける。

 一秒先の自分の闘い方を模倣して、同じように剣を振るう。

 否、一秒前の自分より早く、より強く、鋭く、目の前の自分を追い越すつもりで剣を振るう。

 視界に映る自分よりも高みを目指して。

 一度の動作に対して多くの経験を積む。

 相手が接近してくる。

 その時、より良い方法を連想し回避するかを瞬時に選ぶ。

 だが、稀にずれることがある。

 一秒先の自分は左に避けたが、俺は右に避けた。

 左に避ければ胸を突かれていた。

 なので、未来を映す時はもっと集中してずれのない世界を視なければならない。

 一瞬の判断で命を落とす可能性がある。

 間違いは許されない。

 俺は、剣を振るう。

 できるだけ多くの敵と戦い、経験を積む。

 戦える機会はここしかない。

 このチャンスを逃したら次はベオウルフだ。

 魔術においても、使えるだけ使っておきたい。

 両手に架空の剣を呼び出して斬り付ける。

 でも、それは一度で消失する。

 初めて造った剣はなんとも不出来なモノだ。

 本物を見たこともない俺が複製するには至難の業だった。

 重心なんてバラバラで、手に伝わってくる重みは違和感の塊ばかり。

 材質も思いついた金属を即席で混ぜ合わせたような偽物。

 形はもう、正確性の欠片も感じられないものだった。

 そりゃあ今までの人生を通して、思いつく刃物といえば包丁くらいだ。

 西洋剣や日本刀など、まともな武器を見た経験がない。

 故に、創造で補いながら修正を重ねる他にない。

 俺は衛宮士郎とは違う。

 体が剣でできているわけではない。

 固有結界が発動できるわけでもない。

 瞬時に創造理念を把握して、基本骨子、構成材質、制作技術、憑依経験、蓄積年月の再現まで理解することは不可能だ。

 俺ができるのは、基本骨子、構成材質、制作技術までを読み取るので精一杯だ。

 解析にかかる時間も信じられないほどの時間がかかる。

 蓄積年月の再現をするには、一生で一つがせいぜいだろう。

 故に、俺の投影は普通の、何一つ異常のない、並の魔術と化している。

 存在が保てず消失した状態で、武器もなく敵の追撃が迫る。

 以前見たことがある、伸縮する腕だ。

展開(シールド)!!』

 俺は詠唱を短縮させて、咄嗟に防御できるものを手に構えた。

 材質なんてどうでもいい。

 ただ脳裏の設計図に、迫る攻撃を受け止められるだけの硬度を持つものを出現させればいい。

 これが俺の適正。

 剣ではなく盾。

『名は体を表すというが、そのままってのも癪だな』

 攻撃を弾いて、後退する。

 敵との距離を保ちつつ、盾を持ち替えて投げつける。

 それなりの質量をもった盾を、強化によって身体機能を高めた俺の腕で速度を上げる。

 鉄の塊が人間の手から放たれるものとは異なる。

 れっきとした武器になる。

 盾は人形の胴部に直撃し、吹き飛び地面を転がる。

 態勢を立て直す前に人形に向かって駆け出し、両手に剣を出現させる。

 人形が起き上がる前に、手足を力任せに切断。

 最後に首と、ひしゃげた胴部を貫く。

 似たようなことを、都合十回は繰り返した。

『そう魔力も多くないか。分かっていたことだが、精々並の魔術師の二倍程度。傍から見れば多いが、俺のやりたい戦法を取るには全く足りないな……』

 魔術回路を造ったことで、自分の回路がどうなっているのか再確認できた。

 体に通ったモノと、魂に刻まれたもう一つ。

 加えて胸から下げたアクセサリーに蓄積された莫大な魔力。

 俺の十年分が詰まっている。

 その莫大な魔力が無限に並んでいるのが感じられる。

 薄々勘付いていた。

 あのクソじじいから与えられたこれが、どんなものなのか。

 理解できた。自分の魔術回路と擬似的に繋がっていて、引きはがせなかった理由も納得がいった。

 もっとこの魔術礼装について考えることがあるはずなのに、靄がかかったように頭が回らない。

『っはあ、……っ』

 動悸が激しい。視界に星がチラつく。

 息も切れて、手足が鉛のようだ。

 いままで散々、部活や自主トレーニングで走り続けていたが、戦闘での疲労が予想以上にきている。

 体力をつけるためにしていたランニングといっても、考えることはペース配分と気力を維持すること。

 けど、戦闘はそれだけじゃない。

 相手の行動と思考を読み取りながら、こちらも必死で動いて走る。

 頭と体を同時に働かせ続けて肉体的にも精神的にも疲労せざるおえない。

 汗も冬だというのに流れ続けてる。

 気を抜いたら瞬間、正気を失って倒れてしまいそうだ。

 そこをなんとか歯を食いしばって意識をつなぎとめている状態にある。

 これ以上の追撃は本格的な死につながる。

 もう敵が来ないことを祈りながら膝を地面につけ、顔を上げて周囲を見やる。

 音に関しても、自分が闘っているときは気に留めている余裕はなかったが、今改めて意識を外に向ければブロイと人形の戦闘音はほとんど感じられない。

 人形の進行が止まったのかどうか。

 目視では確認できないが、少なくともこの戦いは終わりそうだ。

 疲れた体を地面に預けることを考えるも、壁がほしいなと思った。

 ずるずると体を引きずって屋敷の入り口まで這う。

 距離は意外となかった。 

 歩けば数十歩程度。這いながらの移動に時間はかかったが、大したほどではない。 

 周りには敵はいない。

 背中をそっと入口の壁に預けて、もう一度周囲を確認して、目を閉じる。

 視界が真っ黒になる前に、何かがちらりと俺のほうに向かってくるも、それを見るのが二度目なのを思い出して

 そっと深い眠りに誘われた。

 

 

「あれ……いない!?」

 夜通し、神崎護の看病に当たり続け、ついには自分も寝てしまい慌てて目を覚ませば布団に横たわっていた男が消えていた。

 昨日の今日で、いやな汗がジワリと背中に現れる。

 慌てて階段を下りて護がいそうなところを探す。

 居間に風呂場、トイレなど、まさか屋敷の罠に引っかかっているなんてことはないだろうか。

「あのバカ、どこにいんのよ」

 屋敷中を探し回って、結局どこを見てを見つからない。

 焦燥感で胸がざわつく。けれど、見つからないのなら今は一旦落ち着こうと居間で一休憩しようと部屋に入れば先客がいた。

「あら、おはよう。有珠」

「おはよう、青子」

 サンルームにてティータイムを楽しんでいる有珠とは違って、慌ただしく今朝からドタバタしていた青子にとっては恨めしくもある。

「あなた、今朝から屋敷中を荒らしまわっていたけど何か探し物でも?」

「そうなのよ。どっかのバカが目が覚めた時にいなくて、どこにいるのか探し回ってるんだけど見つからないの」

 どこか見当はつかない? と青子が聞けば、有珠はそっと庭のほうに視線をずらした。

 つられて視線をずらせば探し物が見つかった。

 青子は目をしぼませ、眉間には皺が寄る。

「あいつ、なにしてんの?」

「……さあ。私がここに来た時からずっとあの体制のままよ。二時間は動いてないんじゃないかしら」

「ただでさえ体が弱ってるはずなんだから、風邪ひくじゃない」

「放っておいたほうがいいと思うわ」

「どうしてよ?」

「時間がないからじゃないかしら。あと数日で……始まってしまうから」

「――――それは、……」

 青子は言葉に詰まった。

 数日で始まってしまうモノ。

 この街を狙う相手が判明して、結界の封印も残すところあと一つ。

 いつもエンジンがかかるタイミングは一緒な存在との闘いが迫っている。

 まるでその戦いに護が参加するかのような言い方だ。

「……あいつは、無関係じゃない」

「本当にまだそう思っているの?」

 鋭い視線だった。

 有珠のその眼に飲まれそうになる。

 青子だって可能性を考えなかったわけじゃない。

 昨日の出来事だって違和感でいっぱいだ。

 前から一般人らしくない発言を何度も聞いた。

 もしかしたら、あいつは私なんかよりも深く、魔術にかかわっているんじゃないかと。

 脳裏にかすめても見ないフリをしてきた。

 だが、もう自分をだますことはできないと諦めた。

「――有珠は、知っていたの?」

「ええ。橙子さんのことも、彼が魔術師であることも」

「でも、あいつは今の今まで魔力なんて感じさせてなかった。いくらなんでも隠蔽が上手すぎじゃないの?」

「隠していたわけではないのよ。私も最近になって気が付いたのだけれど、彼の魔術礼装が彼の回路を封じていたのだと思っているわ」

「だとしたら。あいつ十年以上も前から魔術について知っていたわけ?」

「それも少し違うわね。彼、記憶を封じられていたとも言っていたわ。青子が人形を倒したとき、それを見てしまった彼が偶発的に記憶を取り戻したとも」

「だったら護の記憶を消していたのは誰になるのよ?」

「私も知らない。もしかしたら、と思い当たる人物はいるけど、知らないほうが身の為ね。勘違いの可能性もあるし」

「余計気になるんですけど」

 身近にいた幼馴染が実は自分なんかよりも長い間魔術師であった。

 しかも、記憶が消されていて、つい最近になって思い出すなんて。

 都合がよすぎる。

 むしろ、この時期に思い出させるように決められていたのではないか。

 有珠の言葉を信じると、護はなにも悪くはないが何年も欺かれていたと考えられなくもない。

 もっとも、いちいち隠し事をするなとはいえるはずもなく、その気持ちは傲慢であり自身が抱く感情ではない。

「……私が倒せば、なにも問題はなくなるのよね」

「やれるの?」

「有珠の手なんか借りずに倒してやるわよ」

 決意に満ちた青子を見て、有珠は口を緩ませる。

「見物でもしてればいいと?」

「当然よ」

 神崎護が蒼崎青子を守りたかったように、蒼崎青子もまた、神崎護を守ろうと決意した。

 お互いに隠し合いながらも、気持ちだけは通じている。

 隠していることさえ、互いに気がついている。

 その隠し事が誰のためなのか、二人の気持ちは同じだ。

 微々たる勝利には、神崎護が橋を掛ける。

 魔法という名の目的地へ。

 その橋を渡っていくのは青子だ。

 代償を払いながらも、その力を欲する。

 そうすれば、きっと――

 

 

 時は来た。

 足元から上る寒さから、雪が降るのではないかと感じさせる。

 洋館が襲われてから、2日がたった。

 青子と有珠は、戦いに備えて部屋にこもっていた。

 だが、今日はまるで昨日までのことがなかったように居間での話が盛んだ。

 俺はただ、静観して二人を見つめてるだけ。

 この後、二人が傷つくことがわかっている。

 けれど、手は出せない。

 そういう約束だ。

 俺が出る幕は、あくまでベオウルフ戦。

 今夜ではない。

 唐突に、青子が俺に言った。

「夜出かけるから留守番、頼んでいい?」

 顔を上げて青子を見る。

 その顔は他人が見ればいつもの蒼崎青子だ。

 でも、俺からすれば違う。

 見かけ上、そう振る舞っているだけだ。

 青子の顔の意味を理解できていても、俺が言うべき言葉は一つだけだ。

 彼女を安心させて、蒼崎橙子のもとに送り出すことだ。

「ああ、任せろ」

「よかった」

 なにが良かったのか。

 語るまでもない。

 時間はあっという間に過ぎて、夜になった。

 そのころには二人は既に準備を終えて、着替えも完了していた。

 俺は二人を見送ろうと、玄関で待つ。

 二人は散歩に出かけるかのように、何気ない日と変わらずにやってくる。

 俺の顔は、普通でいられているだろうか。

 ベオウルフがいる限り、二人の敗北は動かない。

 敗北することを知っているうえで、送り出す俺はなんなのか。

 当たって砕けろとは言わないが、一度の戦闘で命までは持っていかれないはずだ。

 せめて、いつも通りの顔でいってらっしゃいと言った。

「ええ、いってくるわ」

 そう言って青子は去って行った。

 有珠は言葉もなく、青子の後を続いて行く。

 そして、ひとりになった。

 居間に戻って、ソファに腰を掛ける。

 窓から差し込む月光に、目を奪われ、吸い込まれるように月を見る。

 ぱらぱらと降る雪が、月の美しさを際立たせる。

 その美しさが血で汚される想像をしてしまう。

 あと数時間で、彼女たちは二人とも血塗れになる。

 二人は魔術刻印のおかげで、易々とは死なない。

 死なないとは分かっていても――

「ベオウルフ……」

 俺ができることは、待つことだけだ。

 戦いに備えて、英気を養う。

 それもまた立派な責務だ。

 

 

 電話がかかってきた。

 すぐに反応して、受話器を取る。

「もしもし」

 か細い息だと予想していたが、違った。

 覇気のある風格が受話器越しでも感じられる。

「護か」

「橙子姉か」

 呼び方は変わらずとも、意味合いは確かに変化していた。

「今どこにいる。森林公園か?」

「それも把握済みか。なら話は早い。覚悟があるのなら二人を拾っていくんだな」

 蒼崎橙子の声色には嘲笑が込められていた。

 きっと見透かされているんだと思う。

 俺はほんとは腰抜けで、覚悟すらまともにできない臆病者だと知っている。

 でも、橙子だからこそ分かっていることもある。

「青子がそこにいるんだろ。だったら、行くにきまってるだろ」

 その返答に、期待通りだと笑われた気がした。

 誘いや煽りのたぐいだ。

 これ以上関わればお前は死ぬぞ。

 と、忠告している。分かりやすい言葉では言わない。

 彼女のやさしさでもあり、厳しさでもある。

 それでも、ここで足踏みして逃げることはやめた。

「時間はないぞ。二人とも、常人ならとうに死んでいる傷だからな」

「……約束は、忘れてないよな」

「本気か? 有珠の魔術は封じた。残る青子も、あれではダメだな」

 蒼崎橙子は切り捨てた。青子たちが勝つ可能性を。

 例えあったとしても、わずかな可能性を潰したからこんなことが言える。

「自分が勝つと自信があるんだな。それは俺も同じだ。青子なら勝てるし、俺が勝たせる」

 彼女から返答はなかった。

 俺は静かに受話器を戻して、全身に魔力を巡らせる。

 雪の降る中で、すこし心持たない服だが外に出た。

 今日の日のために、森林公園までの道をランニングコースとして行き来した。

 "アイツ"よりもはやく、たどり着くだろう。

 回路を起動させる言葉を発する。

 後は青子と有珠の元へ向かうだけだ。

 

 

 森林公園に着いたとき、俺は息を切らしていた。

 背中に張り付く服が気持ち悪い。

 雪を踏みしめて歩くと、倒れ伏す青子がいた。

 傍に駆け寄り血だらけの体を目視して視界が真っ赤に染まる。 

 顎が震える。手が震える。

 こうはなると知っていた。

 知ったうえで送り出した。

 怒りをぶつける機会はある。

 今はまだ、喉にとどめておく。

 下手に動かせば危険と判断し、有珠を探す。

 公衆電話の手前で、彼女は横たわっていた。

 連絡を試みようとしたが、途中で力尽きてしまった様子だ。

 こちらも色はわからないが、腹部が黒く染みている。

 ひとまず有珠を楽な姿勢にする。

 有珠の頬に触れ声をかけようも、こちらに答える気力は残ってはいない。

 俺は回路を起動し、仮の使い魔を製造する。

 役目は伝達。青子の救出を願いたいと合田教会へ。

 場所は森林公園。

 青子を置いていく心苦しさはある。

 けれど、俺は治療に関する魔術はかじった程度。

 本場の人間には到底かなわない。

 それでも、俺に残せるものは残しておきたかった。

 意識を集中させる。

 他人に干渉する魔術だ。

 手は抜けない。

 俺がするのは流れ出る血を止め、自己再生を促すことだ。

 まず人体構成を解析、把握。

 異常な部分の検知、確認。

 傷つけられた大動脈を修復。

 しかし、俺の魔力量では曖昧に治癒はできない。

 限られた魔力量で生死にかかわる部分を治すのは至難の業だ。

 傷つけられたのは首の動脈。

 その一本の修復に失敗したら死ぬ。

 けれど、このまま助けを待っても青子は持たない。

 覚悟を決めて、目で視認できないような穴に糸を通すように血管を繋ぐ。

 俺の魔術を弾こうと、反動が迫る。

 それをねじ伏せて一つの修復に成功。

「くそッ! 一つでこの疲労か……」

 出来るとしても二度目までだ。

 たった一つで全魔力量の四割を持っていかれ、俺の回路に負荷が返ってきた。

「次は脇腹か……」

 こちらも首と同様に酷い。

 内蔵が引きちぎられ位置がズレている。

 臓器の機能を維持するために外側だけでも血の流出を止めて覆う。

 これ以上は力になれない。

 心苦しいが有珠のことも放ってはおけない。

 今の俺には、雪を背中にして寝るのは厳しいだろう青子に出来ること。

 俺は上着を脱いで、青子の背中に敷いてやる。

 すぐに消えてしまうだろうが、何もないよりはましだと思い、残る魔力で白い布を出来るだけ生成し応急処置を施す。

 巻きつけた布が、痛ましく目立つ赤に染まる。

 下唇を噛み締めて、青子の額に張り付く髪を梳いて横に流す。

 息も絶え絶えな青子を脇目に、俺は有珠を背負い屋敷に戻る。

 湧き上がる激情で、自分の手が砕けそうだった。

 

 

 

 

 誰かが血塗れだった。

 大事な人が、目の前で事切れようとしてる。

 必死で命を繋ぎとめようとするも、力がなく方法も知らない自分は何も出来ずに失った。

 無くしてはならないものを掌から落とした。

 掴み続けなければならなかった物を、守らなければならなかった約束をこの日、彼は失った。

 見ていて気分のいい物ではない。

 心の柱を無くし、徐々に壊れていく末路を見させられる。

 彼の歩く道に光はなく、あるのは闇だけだ。

 一度は正義の真似事をして活動した日もあるが、それで失ったものが返ってくるわけじゃない。

 時に感謝されることはあれど、自分が見たかった人の笑顔は帰ってこない。

 日をまたぐたびに心は腐り、人として落ちてはいけない領域にまで達する。

 そうして――。

 

 目を覚ませば自分の屋敷にいた。

 重い瞼を開き起き上がろうとするも、体中が痛む。

 ああ、切り裂かれたのかと納得して思い出す。

 蒼崎橙子の使い魔の、あの人狼に。

「起きたか?」

 頭上から声がした。ここ最近、口数が少なかった男だ。

 謎が多い人でもある。

「どうして私はここに?」

「森林公園から連れてきた。青子は、合田教会に任せた」

「青子の傷では長くは持たないはずよ」

 当然の疑問だ。

 自分よりも意地汚く肉を引きちぎられていた。

 魔術刻印の、持ち主を生かそうとする特性でも再生は厳しい。

 神崎護ならば、有珠よりも青子を優先する。

 だから、有珠をおいて自分の足で青子を協会に連れていくべきだ。

 なのにどうして。

「専門家には到底及ばない時間稼ぎだが、治癒魔術をかけて、一番外傷が酷い首筋の動脈は修復した。その後、使い魔で合田教会に連絡した」

「あなた、治癒魔術も使えるの?」

「一通りの魔術は使える。もっとも、使えるだけだ。さっきも言ったが専門家には及ばない」

 男は話を切るように立ち上がって、蒸しタオルを差し出してきた。

「身支度を整えてくれ。君が動けるようになったら教会に行く」

 頷いて、有珠は居間から姿を消した。

 神崎護はソファに腰掛けて、掌の感覚を確かめる。自分の手に支障がないかの確認だ。

 空いた手で首にかけた礼装を握る。

 そして、神崎護は最期の休息を取る。

 

 

 有珠が居間に降りてきた時、すでに神崎護の姿はなかった。

 廊下に出ると外から丁度帰ってきたのか、肩に雪が乗っていた護がいた。

 彼の側には鳥のように飛び回る使い魔がいる。

「先ほど連絡があった。青子が回収されて教会にいる。準備はいいか?」

「ええ、大丈夫」

「だったらこれを被れ」

 護は手に持つ丸い物体を投げる。

 慌てて受け取り、これがなにかを理解する。

「ヘルメット?」

「外は雪だ。スリップして落ちるかもしれない。念のためだ」

「滑る予定でもあるの?」

 有珠は疑惑の眼差しを護に向ける。

 その視線をひらりと交わして言った。

「さあ? 踏ん張る努力はするが、後は運次第だ」

 

 

 十数分程度で合田教会に着いた。

 道中人に遭遇することなく、滑ることもなかった。

 教会には明かりが灯り深夜のくらさでも判別ができた。

 入り口には背の高い人物がたっている。

「久遠寺さん。それに護君」

「詠梨神父。青子は――」

「唯架が診ています。私が駆けつけた時には手遅れでした。蒼崎の家に伝令を願いたいのですが」

「……青子はそれを望まないわ。それに、今夜の相手は、真っ先に青子の祖父を封じたようですから」

 会話に護は参加しない。

 いわば確認事項に口を挟む理由もない。

「そういえば、あの使い魔は君が?」

 落ち着いたようで、刺のある視線が護に向く。

「そうです。青子も有珠も意識不明で救助を及ぶにはそれしか方法がなかったもので」

「いえ、別にその判断に間違いはない。……ですが、魔術師だったとは――私もまだまだ未熟ということでしたか。唯架が怒りますよ、護君の事を気に入ってるでしょうから。とは言っても、魔術師としての神崎護の滞在についての届け出がされていませんが」

 そこに有珠が割っていった。

「彼は青子の使い魔。契約には至っていないけれど」

「そのような申告はありませんでしたが、外部の魔術師との交戦だ。その撃退を優先したせいで届け出が遅れた、ということにでもしましょうか」

 神父の返答に、有珠と護は少しだけ頭を下げた。

「では通ります。彼の動向に許可を」

「どうぞ。私は調停に向かいます。管理者が替わるのなら、資料を用意しなければいけませんので」

 留守中は律架に任せているので用があれば彼女に、と言葉を残して闇に消える。

 護は慣れた動作で礼拝堂の扉を押す。

 礼拝堂の中は、護にとって嗅ぎ慣れた匂いがした。

「あっちゃん、こっちよ」

 声が響く。

 周世律架の声だ。

「早かったわね。迎えに行こうと思ったのに」

「足があったから。後ろの彼に」

 有珠の視線を追って背後を律架は見て、餌を見つけたように頬を上げる。

「……あら。最近バイク買ったって聞いたし、そうなのかな? マーちゃん?」

「その呼び方、やめてくださいって言ってるじゃないですか。バイクの話まで広まってるし」

「気に入ってるのに~」

「俺は嫌ってるっての」

 有珠を置いて、ポンポンと会話が弾む二人に目を丸くする。

「……知り合い?」

 有珠の問いに、律架は笑みで答える。

「もう、随分と長い付き合いかしらね。アコちゃんと同じくらいかな」

「思い出すと腹が立つからやめてくれませんかね。変装という名の魔術が原因で荒れかけた身になれってんだ」

「でもそのおかげで、誰だっけ? 学校の副会長さんと仲良くなったんでしょう? 良いじゃない。男同士の友情物は好みなの」

「鳶丸って意外と強かったからな! 危うく負けかけたんだぞ! それに殴り合いは青春とは呼ばせねえからな」

「そうぷんぷんしないでよ」

 律架から放たれる言葉の数々に、護は一々腹が立って仕方がない。

 話を逸らさねければ、いつまでも続きそうなのを止めるため護は流れを切った。

「それより、青子はどうなった」

「奥のドアよ」

 有珠は急ぎ足で奥の部屋に向かう。

 有珠なりに青子が心配なのだろう。

 彼女が礼拝堂から姿を消して、護は律架に語りかける。

「頼んだものは?」

「できてるわよ」

 期待していなかったのか、護は目を見開いた。

「橙子姉に監視の使い魔を付けられてたのによく完成させられましたね」

「監視をつけられたのはマーちゃんに頼まれた後だから」

 どうして知りもしないことを知っているのかしらね。

 と、笑いながら奇妙な眼差しが護を刺す。

 予測通りの反応に護もまた笑みで返す。

「秘密が多いほうが、魅力的でしょう。二重スパイなんてやっている貴方のように」

 有珠の後を追うように礼拝堂の奥の部屋に。

 神崎護の後ろ姿を眺めて。

「それって、私が魅力的ってこと? なんてね」

 一人残された礼拝堂で微笑する。

「ユイちゃんが言ってた意味がやっと分かったわ。――マーちゃん……変わっちゃったのね。そりゃユイちゃんが一番に気づいちゃうか」

 神崎護を間違えることはない。

 周瀬唯架の人を"脅威"として認識する能力で間違えたのは初めてだそうだ。

 ――あまりに突然に、彼は変わりました。

 そう言うユイちゃんを思い出すと、お姉さん寂しいな。と素直に成長が喜べないでいた。

 

 

 意を決して、俺はその部屋に入った。

 ドアノブをひねり僅かな隙間から、つい数時間前に嗅いだ臭いに鼻をしかめる。

「――――――」

 声にならない叫びが耳に届く。

 麻酔は効いてない。

 気力を振り絞って両の手でベッドのシーツを掴んでいる。

 助けられるのなら、自分の手で助けたかった。

 今すぐにでも青子の手を握りしめたかった。

 けれど、それは駄目だ。

 青子は一人で戦っている。

 同じように唯架さんも、青子を生かそうと腕を動かす。

 俺の戦いはこの場で見守ることだ。

 何分も。何時間も。

 青子のうめき声が脳裏を掠め、自然と握りこぶしが出来る。

 有珠の様子を見る余裕なんてものはなかった。

 青子の手術が終わったのは、自分の手が鬱血しているのに気がついた時だ。

 有珠に手を添えられて俺の握り拳を解き、終わったのよと言ってくれた。

「粗方の治療は終えました」

 唯架さんが閉じた瞼で、こちらを向く。

「彼女ならば時間が経過すれば目を覚ますでしょう」

 それはそれとして。唯架さんは区切り、その開かない眼で俺を睨む。

「貴方が魔術師であったことは一先ず置いておきましょう。ですが、この戦いに関与すべきではありません。私の言いたいことが理解できますか」

「命を落とす危険性がるから手を引けと、そう言いたいのですか?」

「その通りです。貴方は赤の他人、命を賭して介入すべきではない」

「その話には同意できません。俺は、青子を助けるためにここにいるんだ」

 俺の言葉に彼女は呆れたようにため息をこぼす。

 言い聞かせるように、手の付けられない子供になだめるような顔で見てくる。

「思い上がりも甚だしい。貴方はただの人です。使い魔を使い危険を知らせ、不慣れながら治癒魔術を使い延命を施していましたが戦いの知識はあるのですか。あったとして、彼女に傷を負わせた相手に一矢報いることは出来るのですか。いえ、一矢報いるという形で命を落とすのが関の山です。素直にここに立てこもるのが、貴方の命を落とさない方法なのです」

 正面からの口撃に、俺は何も言い返せなかった。

 自分が特別だと思っているのは認める。

 だって、この世界で俺みたいな人間は唯一の存在だろう。

 一度人生を終わらせた身で、二度目がある存在がいるだろうか。

 魔術師の世界に関しても宝石爺に会える人間がそういるとは思えない。

 自分が魔術を教えてもらい、不完全ながらも扱い方を知った。

 その自分に驕りがないとは言い切れない。

 どこか、青子を救えるのは俺だけだと思っている。

 それが思い上がりだということも、実は気がついていた。

 気がつかないふりをしても自分を騙し続けることはできなかった。

 逃げようとも思ったこともある。

 けれど、逃げるよりも青子を捨てることが怖い。

 青子を捨てて逃げた事実を背負うのが怖い。

 俺は世界で最も臆病で、怖いのが嫌いだ。

 責任感に押しつぶされたり、責務を全うできなかった時の世間の目が大嫌いだ。

 でも、その気持は俺が神崎護である前のことを思い出してからの気持ちにすぎない。

 その気持よりも前に、神崎護にはあった思いがある。

「――それでも、俺は青子を助けたい。放っておけば遠くに行っちゃう奴なんですよ。だから追いかけないと、青子の手を離したら二度と掴めなくなる」

 なんだかよくわからないけれど、頬に何かが滑り落ちていく。

 声もなんだか出しづらい。

「俺は特別なんですよ。でなかったら、俺はここにいるはずがないんだ」

 二人には意味がわからないかもしれない。

 有珠に至っては、俺に対して信じられないものをみたような顔をして呆然と見てる。

「俺はあくまで代わりで、舞台装置を動かす存在でしか無い。演劇を壊さないために必死で動いて、調整して小細工で誤魔化して自分の役目を演じてきた! でも、その気持よりももっと前に、俺には確かにあった気持ちがある」

 ――俺が、俺があいつといたいから。

 自分勝手な望みだ。

 相手が拒否したらそれまでのちっぽけな願い。

 でも、俺には何よりそれが大切なことだった。

「俺が力になりたいんだ」 

 もはや、ちゃんとした言葉なのか自分でもわからなかった。

 視界は悪いし、顔が濡れて不快だ。

「だから、俺の選んだ道を止めないでください」

 地面に響く音。

 静寂の中で、額が痛いなと場違いな気持ちがあった。

 空気は凍ったように動きがなく、誰かの喉を鳴らす音だけが聞こえた。

 小さな、本当に小さなため息が聞こえた。

「頭をお上げなさい。そこまでの覚悟があるのなら、もう言うことはありません」

「…………ぃます」

 かすれてはっきり言えなかった。

 きっと唯架さんは分かってる。

 俺が死ぬ未来を、魔眼がなくとも視えている。

 ――ああ、そうだ。

 このまま無謀にもベオウルフに挑めば、神崎護は死ぬ。

 至極当然の摂理だ。

 だからこそ、校舎裏で倒れた時に視た男。

 俺が辿るかもしれなかった未来。

 そいつはなんの術も持たず、ベオウルフ戦直前で視た未来視にて勝てないと悟り、逃げることを選んだ。

 その男がどんな人生を歩んだのかは知らない。

 ――けれど、俺には確信がある。

 俺は手段があるのなら、それを手に入れようとしないはずがない男だ。

 みっともなく逃げて、喚き散らしながら恥を晒し情けない面と向き合うことを避けても。

 神崎護ならば、もう一度立ち上がって何かを成そうとするはずだ。

 自分と向き合い不甲斐ない心を震わせて。

 ――青子救える、ベオウルフを倒せる奇跡を。必ず探しだす男だ。

「二人に頼みたいことがあります」

 有珠と唯架さんに向けて。

「俺に一度だけ、教会で魔術を使うことを許していただけませんか」

 ツバを飲み込み、覚悟を決めて唯架さんに問いかける。

「そして、その魔術の反動に俺は耐えられない。だから貴女に治癒魔術を施して欲しい」

 もう一度頭を下げて。

「俺の最期の願いを聞いてはもらえませんか」

 周瀬唯架の瞼は開いてはいないが、それを閉じて彼女もまた俺が選んだように、決断を下した。

 

 

 青子が寝かされている部屋に、俺は一人でいる。

 先ほど有珠も俺に続いて頭を下げてくれた。

 彼女の行動に唯架さんは耐え切れなかったらしい。

 態度に滲み出る怒りを堪えて、許可をくれた。

 正直、どうして有珠が俺に続いて頭を下げたのかはわからない。

 なにかを賭けた意志を感じた。

 有珠の気持ちも無碍にしないためにも必ず成功させる。

「青子、俺ちょっと行ってくるよ」

 愛おしく青子の髪を梳いて横に流す。

 気持ちは固まった。

 いつでもいける。

 首から下げた魔術礼装を握りしめて息を吸う。

「魔術回路、接続」

 魂に刻まれたものと、肉体に宿る回路に魔力を満たす。

「擬似回路接続、確認」

 胸から下げた魔術礼装に接続する。

 それから感じる莫大な魔力。

 これがあればどんな魔術も行使出来る気がする。

 けれど、少しだけ恐怖がある。

 ――呑まれないか。

 もう一度、青子の顔を見た。

 引くわけにはいかない。

 勝機を今、勝ち取りに行くんだ。

「心を縛り付けるのは常に後悔。身に余る奇跡を求めて旅立つは汝か。己が決めた道に迷いはなく、ただ突き進むは誰のためか。その存在を救うが義務。否、己が選択にほかならない!」

 部屋に魔力が充満する。

 大規模な魔術だ。

 俺も使うのは人生で初めてで、二度と行使できない魔法かもしれない。

 失うものは多いだろう。

 けれど、それでも必要な物が未来にはある。

「この身はただ彼女の盾であり、矛でもある!」

 両の目を拓く。

 魔眼が映しだすは未来。否、魔術礼装による補助により干渉できない世界に接続。

 道がずれた未来は視れない。

 今の俺と地続きの未来しか未来視は映さない。

 その法則をねじ曲げられるのが、十年前第二魔法の体現者に託された代物。

 キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグに与えられた奇跡の礼装。

 瞬間、世界から弾き飛ばされる。

 荒れくれた暴風に煽られて、吹き飛ばされる。

 意識が保てない。

 体を支えられない。

 意識がどんどん向こう側に引きずられる。

 広大な世界で塵みたいな存在の俺は逆らうすべもなく、何処までも吹き飛ばされる。

 吹き付ける風は鋼のように重く、硬い物質として肉体が押しつぶされる。

 それに逆らおうと、深く、重く、獣のような咆哮が響き続ける。

 世界を渡り一人の男が、泥を掴む。

 一人の男の、長い生涯を、俺は視た。

 

 

 

 

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 

 

 

 夜になった。

 礼拝堂の隅っこで何時間が過ぎたのか。

 腕時計に視線を落とせば、もう二人は旧校舎に向かった頃だろうか。

 薄暗い蝋燭の光が俺の心を透かしているようで気分が悪い。

 暖炉のない場所では、足先から心まで冷えきりそうだ。

 森林公園で、俺はなにもできなかった。

 蒼崎橙子にした挑発のせいか、知識で知っていたよりも二人の外傷はひどかった。

 青子は真っ赤に染まっていて、赤くないところを探すほうが困難だった。

 有珠は衰弱していて、外傷自体は確認できなくとも屋敷に戻さないと回復が見込めない。

 もしその時点で回路が使えているのなら、限られた自分の力で些細な治癒魔術くらいできたのかもしれない。

 でも、いまの俺は何もできない役立たずだ。

 勝機を望める可能性を上げるために二人を抱えて合田教会に駆け込んだ。

 唯架さんはすぐに状況をさっして治療にあたった。

 そうして俺は礼拝堂で迷ってる。

 このまま旧校舎に向かっても、俺には――。

「行かないのですか?」

 声の方に反応して、顔を上げる。

 そこには気配もなくこの教会の神父が佇んでいた。

「護君は、行かないのですか? 二人がすでに敵地に向かったことは存じてるのでしょう。なのに君は行動を起こさないのですか?」

 そんな目で見るな。

 楔を打ち付けられるように苦しかった。

 詠梨神父がどんな人なのかは上辺だけなら神崎護も知っている。

 そして、神崎護になる前の知識として彼が危険な存在だという認識もある。

 隣失礼しますね、といって彼は俺の隣に1つ分の空間を開けて座る。

「青子が心配ではないのですか」

「…………そりゃ心配ですよ。聞かれるまでもない」

 顔を下げて、自分に語りかけるように言葉を返す。

 迷いに満ちた臆病者の声で。

「では、なにを迷っているのです」

「それが分からないから、こうしてここで……」

「――嘘ですね。君は気が付かないふりをしているだけだ」

 項垂れた頭を上げて、睨みつけてしまった。

 それじゃあ図星みたいですぐに顔を振って力んだ目付きを直す。

「かもしれないですね」

 心が逃げ腰になってるのだけは自ずと理解した。

「君の存在の有無が勝敗を決めるわけではないでしょうが、このまま迷って決断を下すことから逃げますか」

 そうだ。

 俺の存在ではベオウルフと蒼崎橙子に勝たせることが出来ない。

 だからといって、このままここで何もせずに敗北を待ち続けるのも苦痛で仕方がない。

「逃げるのもいいでしょう。命だけは助かりますからね。でも、君の心はどうでしょうか」

 うるさい。

 奥歯に力が入る。

 これ以上続けさせてるわけにはいかない。

「後悔はないのですか。いつか、必ずいまの選択について思い直す日が来るでしょう。あの時逃げずに、たとえ自分の力が助けにならなくても青子を助けに行けば――」

「うるさい!!」

 このまま聴き続けたら、見たくないものまで見えてくる。

「分かってる!! 俺は後悔する。しないはずがない! でも、俺には何も出来ないんだ……。いくら体に魔術回路があると分かっていても使えなければ意味が無い! 使えるからといってベオウルフに、あの人狼に通用するとはとても思えない! アンタとは違う! 斬れると思ったから斬ったなんて理由で魔法使いを斬れるほどずれてないんだよ! 敵の情報を持っていてもそれを役立てる方法が無ければ価値もない…………俺は」

 虚しく礼拝堂に俺の声が響く。

 叫んで神父の胸ぐらをつかむも、すぐに力なく腕を下げる。

 情けなくて笑えそうだ。

 感情的になって、神父相手にぶつけるなんて。

 

「――君は、余計な物まで背負いすぎです」

 余計なものなんてなにもない。

 俺が背負っているのは全部、俺自身から生まれたものだけだ。

「もっとシンプルに考えてはどうですか。助けに行きたいのなら、助けに行けばいい。好きな女性のために命を張る行為を私はそれもまたひとつの選択だと思いますが」

「…………負けるのが見えているのに?」

「青子たちと落ちるほうが、君にとっても良いのでは?」

 それも良いかもしれない。

 心に黒い感情が湧いてくる。

 自制心が揺れる寸前で、青子の顔を思い出して自分を制する。

 最期まで、死ぬ直前までは諦められない。

 頭を振って脳裏にある黒い思考を振り払う。

 ――青子はいつだって諦めることを、逃げることをしなかった。

 だから俺もその時が訪れるまで諦めることだけはしない。

 声を発しようとして礼拝堂の奥から響いた声に意識を取られた。

「エイリ神父!!」

 怒気にあふれた佇まいで、彼を睨みつけるシスターがひとり礼拝堂の奥からやってきた。

「先の発言は聞き捨てなりません」

 表情はいつもと変わらずも、内面に秘めた感情がヒシヒシとあふれ出ている。

「なんの事ですか」

 詠梨神父は口元を歪ませて悪事がバレてしまいましたかと悪怯れもない。

 彼の反応がまた、シスターの感情に火をつける。

「彼を死なせるつもりですか」

「そういうふうに聞こえてしまいましたか」

 詠梨神父の返答に唯架さんの癇に障るのか額に力が入っている。

「それ以外にどう解釈しろと」

「護君は結局、逃げても自分に殺される運命だ。自殺をさせるよりも後悔のない果て方を示すべきではないでしょうか」

「今を生き延びれば答えは変わるかもしれないというのに」

 違いますよ。そう言って神父は頭をふる。

「彼は変われない。健気なことに青子を胸に抱き続ける。その先にもとから生を謳歌する未来は無いのです。唯架、あなたもなかなかに酷い。ここで突き放せば、それこそ彼に死ねと言っているようなものだ」

 俺を挟んで、二人の会話が続く。

 耳を澄まして冷静に努める。

 どちらも聞き方次第で俺が庇われているのは理解できる。

 詠梨神父は、俺の行く末を考えた上で結局は青子共々果てるべきだと考えた。

 例え俺が逃げたとしても、その先に俺が正常でいられるかどうか。

 経験で俺の行く末を判断した。

 唯架さんは、この場は逃げて生き方を変えたほうが良い。

 青子のために死ぬことはないと言っている。

 彼女の考えには俺の考えが含まれていない。

 死なせるよりも、俺自身を生かす方に念が置かれている。

 どちらも間違いではない。

 道徳的に唯架さんの考えはいいのかもしれないが、俺の気持ちは神父よりだ。

 だって、そのために俺の存在があるんだ。

「やっぱり、青子の後を追います」

「貴方までなにを言い出すのですか。エイリ神父の言葉に惑わされてはいけません。貴方が行ったところで彼女たちの足枷になるだけです。彼女たちが命を落とすのは彼女たちの業によるもの。思うがままに争えばいいでしょう。貴方のような何の咎もないものが、凶事に立ち会う必要はありません」

 彼女の言葉の中に聞き逃せないワードが含まれているのを確かに把握していた。

「……咎がない? 違いますよ。俺の存在そのものが咎だ」

 本来なら、ここには俺じゃなく"アイツ"がいてアイツがベオウルフを撃退して、物語を動かす主人公が確かにいたはずだ。

 でも、この世界にいるのは俺で主人公がするはずだった働きを俺がしなきゃいけない。

 逃げたらそれこそ十年後に影響する。

 たった一人の魔法使いがいなくなっただけで、俺の知っている世界とは随分と変化してしまう。

 だから、義務を果たさなければいけない。

 唯架さんに背を向けてこの場を去ろうとする。

「待ちなさい」

 俺を逃さぬよう、彼女の呪縛に一瞬だけ支配されるもすぐに効果が打ち消されるように体が軽くなる。

 彼女の驚愕した顔が張り付いてる。

 未練を振り払って背中を向ける。

 道を別ち重い扉を押し開けた。

 

 

 雪の中一心不乱に走り続けた。

 どうやってベオウルフを撃退するかは決まってない。

 結局なにも方法は浮かばずに今夜を迎えてしまった。

 それでも間に合わせなければ。

 せめて一矢報いるだけでも、青子が魔法を使える切っ掛けにでもなればいい。

 俺が撃退できなければ、青子はベオウルフと橙子姉の二人と戦うことになる。

 けれど魔法使いならば勝機は見込める。

 ただ、恐怖はある。

 死ぬのは怖い。

 覚悟は固まってすらいない。

 視界はさっきからぶれ過ぎだ。

 何重にも重なって走りながら流れていく景色が変化する。

 頭痛も酷く吐き気すらする。

 旧校舎に通じる雑木林で気づかぬ内に、身に宿る眼であり得る未来を視た。

 ベオウルフに挑み轢殺される光景だ。

「…………っ」

 走る速度を落として、額にうっすらと浮き出た汗を袖で拭う。

 可能性として十分にある。

 俺が殺される光景にしてはリアルすぎて、血を流す感覚が生々しかった。

 頭を抑えて呼吸を整える。

 整えても視界に映る光景は変わらない。

 無残にも殺された俺はもう一度、殺される。

 今度は横に撫でられて体が二つに分裂する光景だ。

 思わず千切れた部分を触りその部位がちゃんとあるか感触を確かめる。

「……なんなんだよ」

 ついには走るのをやめて徒歩になった。

 妙に心臓の音が耳に残る。

 一歩足を進めるたび、神崎護の死を見せられる。

 俺の前には何人もの俺が旧校舎に向かう足跡があって、その全てが尽くベオウルフに敗北している。

 そしてもっとも見たくもない悪夢が俺を食い殺した。

 

 

「青子!!」

 旧校舎の広場にたどり着いて挑発に失敗した。

 どうして"アイツ"がとった戦い方を真似したかに深い意味は無い。

 ただ、それ以外に方法を知らなかっただけだ。

 苦しげに顔を歪ませても青子は立ち上がって俺の前に立った。

 俺が来る前にベオウルフと交戦して外傷があるにもかからわずだ。

 お前が死んだらすべて終わりだ。

「下がってろ!! 俺がやる!」

「アンタこそ何も出来ないくせに前に出るな!」

 もみくちゃになりながらも、既にボロボロの青子では俺の力に対抗できない。

前に出てベオウルフと相対するのに成功するも、青子を抑える腕と体を支える脚が震えているのが彼女には筒抜けだ。

 歯をガチガチと音を鳴らし、自分を見失わないように青子を抑える手により力を込める。

「仲良しごっこを見るのも楽しいけど、痛めつけられて許しを乞う方が好きかな!」

 憎たらしい貌で、こちらに駆け出す捕食者の尖爪が俺に迫る。

 瞬きのたびに、一ミリずつ近づいてくる。

 すでに俺の胴体を切り裂こうと肩付近に触れている。

 時間の感覚は死寸前の走馬灯のように遅い。

 一秒以下の時間で徐々に俺の肉を削っていく。

 一秒経てば、腕を持っていかれる筈だったのに。

「青子!」

 嫌な音が耳に残る。

 顔にかかった液体から助からない事をなんとなく受け入れてしまった。

 目の前に俺を庇ってベオウルフの爪に引きちぎられた姿が焼きつく。

「お、お……い」

 息の仕方を忘れてしまった。 

 まともに呼吸なんて出来やしない。

 雪の色を反転させた地面に膝をついて青子の頬に触れる。

 視線だけが俺を見た。

 いまにも眠りそうな顔で、どこか満足そうに笑った。

「死ぬな…………俺を置いていかないでくれ! お前はいつだって一人で勝手に…………一緒にいてくれればそれで良かったのに」

 瞼が少しずつ閉じていく。

「青子……おい……青子っ」

 必死に名前を呼んでも、もう聞こえてすらいない。

 体を揺すってみても、もう青子はなんの反応の示さなかった。

 ――ああ、死んだ。

 死んじゃいけない奴が死んでしまった。

 こんなの間違ってる。

 俺が死なずに青子が死ぬのは間違ってる。

 間違ってはいても、どうすればいいかわからない。

 どうやって生き返らせる。

 そんなことは出来ない。

 不可能だ。

 俺の力じゃ死者を蘇らせるなんて奇跡を起こせるわけがない。

 

 

 でも、とりあえず、くっつけないと。

 

 

 俺は迷いなく、切り離された胴体と下半身を引き寄せて散らばった内臓をかき集める。

「よせ、護」

 声がした。

 いつの間にか、遠くにいたはずなのに今は手が触れる距離まで近くにいる。

 憎い人だ。

 昔はあんなにも仲が良かったのに、どうしてこんな関係になったのか。

 全部、魔術が悪い。

 心が憎しみで埋め尽くされても、手を動かすのは止めなかった。

 それだけが俺の抵抗だった。

「死者を愚弄するな」

 俺が必死で生かそうと動かす手を、彼女は掴み制した。

 憎い人の言葉は狂ってる。

「まだ死んでない」

 顔を上げて憎い人を見れば、彼女は俺の事を狂人のように認識していた。

 彼女の目が語っている。

 俺がしている行為は狂った人間のものだと。

 俺はそうは思わない。

 狂ってるのは魔術師だ。

 こんな事になったのも、姉妹が憎しみ合うのも、俺がここにいるのも。

 なにもかもすべて。

 ただひとつ、彼女の瞳を通して見える男の顔は驚くほど張り付いていた。

 どうしてこんな状況でそんな顔ができる。

 感情を振りきって凍りついたように固まった顔で。

 確かに奴は狂っていたのかもしれない。

「ベオ、殺してやれ」

「……ちぇ、つまんないの。人間ってやつは脆すぎる」

 言葉が理解できない。

 二人が何を話していたのかも、俺には既に理解できない。

 最期の光景としてベオウルフの振り上げた腕が俺に向かってくることだけだ。

 

 

 

 旧校舎が目前に迫る場所で木に寄りかかり、冷たい白い地面に膝をついて。

 盛大に吐いた。

 胃の中に残ったものすべて。

 胃液すら喉元を逆流して出てくる。

 悔しくて、苦しくて、狂いたくても、この涙は止まらない。

 俺はまだ狂ってない。

 狂うわけにはいけない。

 まだ、やらなきゃいけないことが残ってる。

 青子を、青子を、青子を、助けに行くことが俺の、俺の、義務なはずなのに。

 目からこぼれ落ちるものが止まらない。

 腰が抜けて立つことすらできない。

 とっくに俺の心は折れていた。

「はは、はははは」

 足が言うことを聞かず、仕方なく這いながら元来た道を引き返す。

 どうせ何も出来ない。

 心から笑えてくる。

 可笑しくて可笑しくてしょうがないのに、未だに目からこぼれ落ちる。

 体内の水分をありったけ吐き出したくせに、目から吐き出す水分は留まることを知らない。

「そうだ。助けようと頑張ったけど、やっぱり無理だったんだ。だって俺は高校生だぜ? 逃げたって良いはずだ」

 教会を出る前に聞いた言葉も、既に忘れていた。

 語ることもない。

 神崎護は、蒼崎青子に背を向けた。

 

 

 

 

 




 

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