今年ものんびり更新させていただきます。
さてさて、来訪者編を楽しみにしつつ今期のアニメを楽しみますか!
2020/10/26:文章を修正しました。
保健室に入ると、そこには安宿が千秋を取り押さえていた。安宿の拘束から逃れようと千秋はもがいているが、全然解ける気配がない。
「へぇー、やりますね安宿先生」
「いや、そんなこと言ってる場合じゃないと思うけど……」
そんな光景を見て感嘆の声を上げる禅十郎に五十里が苦笑を浮かべる。
「だって相手を綺麗に抑えつけてるんですよ。見本用の写真が撮りたいくらいです」
「絶賛するのは分かるけど、この話はこれっきりでね」
「へーい」
実は花音よりも五十里の方が禅十郎の扱いが長けていたりする。
「あの、先生……戦闘力は皆無じゃなかったんですか?」
「やあねぇ、これは看護よ。戦闘じゃないわよ?」
花音のつぶやきに安宿はにっこりと笑顔を浮かべながら返した。
「く、くくく……」
彼女の返しに禅十郎は笑いを必死にこらえようとするが少々声が漏れていた。
安宿は禅十郎の反応に花音達が薄ら寒さを感じるほどの笑みを浮かべるが、当の本人は全く気にしていない様子である。
花音はこのままでは話が進まないと思い、安宿に千秋と話が出来るように頼んだ。
安宿の拘束から解かれた千秋は逃げることを諦めたのか、ベッドの上で大人しくなっていた。
「一昨日は大丈夫だった?」
花音の切り出しに千秋ははっと目を開いた。
一昨日の件は風紀委員としても禅十郎は把握している為、「成程、彼女がその時の女子生徒か」と言いたげな頷き方をする。
それから花音は千秋から今回のことについて事情を聴くことにした。
下級生が危険なことに足を踏み込んでいるのを今の彼女は無視できない。本来の彼女であれば、ここまですることはなかっただろうが、風紀委員長としての立場が彼女をそこまで動かしたと言えるだろう。
まずパスワードブレーカーを使ってデータを盗もうとした理由を聞いてみると、データを盗むという先入観が誤りだった。千秋はデータを盗むのではなく、論文コンペの直前に実験装置のプログラムを改竄して使えなくすることが目的だったのである。
それには花音の腸が煮えくり返ることだった。
今回の論文コンペには五十里も関わっており、彼の晴れ舞台である論文コンペを失敗させようとしたのだから、花音が怒りを抱くのも不思議はなかった。
「当校のプレゼンを失敗させたかったの?」
「違います! 失敗すれば良いなんてそんなことは考えてもいませんでした!」
しかし、論文コンペを失敗させることまで千秋は望んでいなかった。データを盗むことでも、論文コンペを失敗させようとしているわけでもない彼女の行動に五十里と花音だけでなく、禅十郎でさえも疑問を抱いた。
「本番直前にプログラムがダメになったら、少しくらい慌てるに違いないって思ったんです。あたしはただ、アイツの困った顔が見たかったんです!」
「嫌がらせであんなことを……? 退学になっていたかもしれないのに」
「構いません! アイツに一泡吹かせられるなら……」
嗚咽を漏らし始める千秋に、花音は五十里に目を向ける。
花音にはこれ以上どうすることも出来ず途方に暮れており、そんな彼女の様子を見た五十里が頷いてベッド脇の椅子に腰かけた。
「平河千秋君、君は平河小春先輩の妹さんだね?」
五十里の問いかけに千秋はピクリと肩を震わせた。
九校戦の技術スタッフであった五十里は千秋の姉である小春と当然面識があった。
「お姉さんがああなっちゃったのは、司波君の所為だって思ってる?」
小春が退学寸前まで追い込まれた原因である事件の現場にいた五十里は千秋が誰を糾弾しているのかすぐに分かった。
「……だってそうじゃないですか。アイツには小早川先輩の事故を防げたのに、そうしなかった。アイツは小早川先輩を見殺しにして、その所為で姉さんは責任を感じて……」
呪詛の様に言う千秋の様子に五十里は苦悶の顔を浮かべた。
「もしあの事故について司波君に責任があるというなら、あの仕掛けに気付けなかった僕を含めた技術スタッフ全員が同罪だよ」
あの事件について五十里は技術スタッフの一人として後悔していた。もっと能力があればどうにかできたかもしれないと何度も思った。確かに達也は優秀だが、あの事件は彼だけの所為ではないのだ。
「笑わせないでください」
しかし、千秋はそんな五十里の思いをあざ笑う。
彼女の態度にカッとなった花音を五十里が手で制した。
「姉さんにも分からなかったんですよ。五十里先輩が気付くはずないじゃないですか。アイツだからあの仕掛けに気付くことが出来たんです! 『あの人』だってそう言ってたわ! それなのに……アイツは妹には関係ないからって手を出さなかったんじゃないですか!!」
五十里と花音は揃って困惑した。
千秋の言葉と態度があまりにもちぐはぐであり、まるで達也のことを称賛しているようにも聞こえるのだ。
「あんなに何でもできるくせに、自分からは何もしない。本当は魔法だって自由に使えるくせに、わざと手を抜いて手当たり次第に他人のプライドを踏みにじってほくそ笑んでるに違いないのよ、あの男は!!」
手が震えるほど強く握りしめ、彼女は憎悪にまみれた糾弾に五十里と花音は揃って言葉を失った。
これ以上、自分達が何を言っても状況を悪化させるだけだと思っていると……。
「……言いたいことはそれだけか?」
ちょうど安宿がヒートアップする千秋を止めようとする直前、ずっと黙っていた禅十郎の口が開いた。
「ふざけたことを言うのも大概にしたらどうだ。被害妄想も甚だしい」
低く重い口調で話す禅十郎に安宿は待ったをかけようとするが、彼は彼女の制止を無視した。
五十里と花音も禅十郎が九校戦で達也に怒った時よりも更に酷く怒りを露わにしていると直ぐに把握した。二人で彼を止めようとしたが、怒りに満ちた形相を目を前にして彼の気迫に圧倒され、金縛りにあったかのように動けなくなった。
「平河千秋、貴様は達也の何を知ってる? 知り合いでもないというのに随分と勝手な人物像を押し付けるじゃないか」
壁に寄りかかっていた禅十郎が千秋のもとにゆっくりと足音を立てて一歩ずつ歩み寄る。
「達也が何でも出来る? 他人のプライドを踏みにじっている? ……ふざけるな。偏見にまみれた目でしか見てない奴が勝手なこと言うな」
禅十郎の言葉に千秋は腹が立って睨みつけようとしたが、彼の怒りの形相と彼から放たれる気迫によって千秋は小さく悲鳴を漏らした。
「さっきの言い分も気に入らん。達也は自分の与えられた職務を全うしただけにすぎん。なのに『誰よりも能力がある人物は自発的にその力を誰かの為に行使しなければならない』と貴様はそう言いたいのか?」
更に一歩踏み出すと、千秋は少しずつ顔を青ざめていく。
「何か言ったらどうだ?」
「だって……あの人が……」
千秋は達也に対して憎悪と恨みを込めて糾弾していたのが嘘であるかのように声を震わせていた。
「また『あの人』か……。誰かは知らんが、九校戦の関係者ではない者の言葉を鵜呑みにしたとは言わんだろうな?」
そう問いかけるが、千秋は禅十郎と視線を合わせることも出来なくなり、先程までの五十里達に見せた態度は見る影もなくなるほど肩を小さくさせていった。
彼女は彼に対して完全に恐怖を抱いていた。
そんな千秋の態度を見て、禅十郎は『あの人』のことは聞けないと分かり、苛立ちを込めた溜息をついた。
「それで、手を組んだ奴から貰ったパスワードブレーカーを使って何か成し遂げたか?」
その一言に千秋は目を見開き、悔しそうに奥歯を噛み締める。結果は知っての通りだというのに敢えて口にする禅十郎に再び怒りが込み上げてきた。
「妨害工作はあいつも予測してる。非合法で売買されている程度のパスワードブレーカーでどうにかできる程、達也のセキュリティは軟ではない」
だが、彼女には禅十郎に憤慨しても言い返す勇気がなかった。自分の怒りなど可愛く見えるほど彼の憤怒が恐ろしかった。それ故にただ肩を震わせて悔しそうな顔をするだけしか出来なかった。
「そもそも真正面からぶつかろうともしない貴様にあいつが興味を持つことはないだろうな。精々蚊を払う程度だ」
「そんなこと……!」
「分かってやったと言うなら、本当にそいつは『無駄な努力』だ。ことと次第によるかもしれんが、相手を恨むなとは言わん。だが、部外者の力ではなく己の力で、無関係の誰かを巻き込まない方法で行動すべきだった」
それ以上千秋は何も言い返せなかった。
ずっと黙ったままであり、言いたいことは言い切った為、踵を返して部屋を出ようとすると、禅十郎はふとその足を止めた。
「ま、そもそも……」
「篝君、それ以上はストップよ」
禅十郎の話を聞いている中で我に返った安宿が彼が何を口にしようとしているのかを悟った。彼が口にしようとしているのは彼女の行動そのものを完全否定するものだ。今の精神状態でその言葉を聞かせてはいけないと判断した。
禅十郎も彼女の考えを察して言わなかったが、それでも渋々了承しただけであった。
「念のためにこれだけは言っておくが……二度目はないぞ」
最後にドスの入った声でそう言って禅十郎はこの部屋から去っていった。
その後、安宿が千秋の身柄を大学付属病院で預けることを残っていた花音と五十里に伝えた。
今後のことが決まると二人は保健室を出た。
ドアが閉まる寸前、二人の目には意気消沈している千秋の姿が映り、お互い何を言ったらいいのか分からなかった。
しかし、ここにずっといる訳にはいかず、廊下の角を曲がった禅十郎の背中が見えた為に、二人は急いで彼の後を追った。
「篝君、ちょっと待ちなさい!」
駆け足で禅十郎の後を追い、あと数メートルの所で花音が彼を呼び止めた。
彼女の呼びかけを無視せず禅十郎は足を止めて、ちらりと彼女の方へと顔を向ける。
「……言いたいことは分かってます。流石に俺もやり過ぎた、と頭では理解しています」
先程まで怒りに満ちていたとは思えないほどに、冷静な彼の態度に花音は呆けた。あまりにもその態度の豹変っぷりに先程いたのは別人だったのではないかと錯覚してしまうほどだった。
「君があそこまで怒るのは分かるよ。僕も見ず知らずの誰かに友人を一方的に悪く言われれば怒りたくなるよ」
「だからって、あそこまで追い込む必要はなかったでしょ!」
千秋を追い詰めるほど糾弾する必要はないという花音の言い分は間違っていないと禅十郎も思っていた。だが、それでも彼女の怒りも憎しみもただの八つ当たりにすぎず、そもそもその感情を向ける相手自体を間違えていることが気に食わなかった。
「なら達也を恨んでいい理由になると? そもそもあの事故を起こしたのは不正を働いた委員会の職員であってアイツじゃない。彼女の恨みも怒りも正当なモノとは到底言えません」
「分かってるわ。でも彼女をあそこまで否定する必要は無かったでしょ」
正直、千秋の方が可哀そうに思えるほど彼は容赦がなかった。
「自分が悪事を働いていると分かった上で彼女は行動していました。目的の為なら犯罪者と手を組み、非合法ツールを使う事すら躊躇わなかった。下手をすれば先輩達に被害が出てもおかしくなかったと分かった上で実行しようとした。そこまで来ているなら根幹にある達也を許さないという憎悪や復讐心そのものが間違っていると理解させなければ彼女は止まりません」
彼の考えに花音は唖然とした。
(摩利さんが気を付けろって言ってたのはこう言う事なのね)
花音は風紀委員長に就任する際、前任の摩利から禅十郎の扱いについていくつか注意事項を聞かされていた内容を思い出した。そのうちの一つが犯罪に加担する者は誰であれ容赦しないという彼のスタンスである。
詳しい話は聞いてはいないが、同級生が犯罪者の被害を受けた時、過剰とも言える報復をしたらしい。
それを思い出した花音は焦っていた。彼も口にしていたが、壬生から聞いた話でも彼女は自分の目的があって犯罪者と手を組んだと言っていた。すなわちそれは自分の意志で犯罪に加担することを望んだと言う事なのだ。そんな彼女を彼が許すはずがなく、徹底的に叩き潰そうとするだろう。
だが、まだ彼女は高校生であり、あそこまでしなくとも踏み外した道を元に戻せると花音は考えている。もし彼が本気で動くというなら、それを抑えなければならないのだ。
「あなたの考えは分かったわ。でもね、あそこまで彼女が立ち直れなくなるとは思わなかったの?」
「犯罪者に加担しなければ俺もあそこまで言いませんでした。もし俺の言葉で挫けたとして立ち直れるかどうかは本人の問題です」
「そんなの無責任すぎるわ」
「それこそ彼女自身が選択した行動の結果でしょう。俺は善悪問わずに救おうとする小説に出てくるような聖職者でも聖人君子でもありません。どんな背景があっても犯罪に加担するような人間に優しく出来るほど俺は寛容にはなれません」
禅十郎が力強く拳を握りしめているのを目にした五十里は彼の言動が経験によるものだと察した。優しさに付け込んだり、一度許されたことで付け上がる者を彼は何人も見てきたのだろう。だからここまで冷酷になってしまうのだ。
「ま、後は学校側に任せますけどね」
先程までの高圧的な態度が一変し、これ以上追及しないと口にする禅十郎に違和感を抱き、花音は眉間に皺を寄せた。
「あなた、犯罪に加担する人には容赦しないんじゃないの?」
摩利からそう聞いていたのに千秋への仕打ちは思っていた以上に軽かった。てっきり社会的地位を剥奪しかねないほどのことまでやるのではないかと予想していた為、花音は拍子抜けした。これでは摩利の言っていることと違うのではないかと花音は疑問を抱いてしまう。
花音の反応に禅十郎は気だるげに頭を掻いた。
「あー……、渡辺先輩に何を吹き込まれたか知りませんが、未成年であれば犯罪に加担しても一度目くらいは目を瞑ります。もちろん例外はありますけど……」
「中学時代に色々やらかしたって聞いたわよ」
「それが例外です。自分が悪事を働いてるって自覚がある上で、親の権力で自分は裁かれることはないって高を括っている奴だったから徹底的に叩き潰しただけです」
摩利が知っているのはその例外の方だということなのだと、花音は何となく把握した。
「さっきも言ったでしょう、二度目は無いって。ま、俺の忠告を無視したなら次は本気で行きます。そうならないよう学校と親御さんに期待しますよ」
この話はこれで終わりと言いたげに禅十郎は先へと進み、実験装置のある場所へと向かっていった。
日が沈み、駅までの帰り道。
エリカとレオの代わりに花音と五十里が加わって、禅十郎は達也達と帰っていた。
「まぁ、平河の動機はそんなところだ」
「成程、そう言う事か」
道すがら先程起こった騒動に関してざっくりと禅十郎が説明すると、達也は納得したように頷いた。
「何ですか、それって! 単なる逆恨みじゃないですか!」
「っというより八つ当たり?」
淡白な反応をする達也に代わって、ほのかは憤慨し、雫は理解できないと言いたげに首をひねっていた。
「八つ当たりせずにはいられなかったんだろうね……」
「きっとお姉さんのことが大好きなんでしょうね……。気持ちだけなら少しだけ理解できます」
一方で幹比古と美月は同情混じりの言葉を口にする。
丁度一科生と二科生に分かれるように意見が異なることに達也と禅十郎は興味深く思ったが、それを口にするほど性格は悪くなかった。
「仕方ねぇさ、感情の爆発ってのは理屈じゃねぇからな。俺も心当たりあるし」
「禅は昔八つ当たりで門下生を何人もぶっ飛ばしてたもんね。連日怪我人続出で達也さんと会わなかったら被害はもっと酷くなってたよ」
嘗ての悪事とも言える出来事を口にする雫に禅十郎は軽快に笑った。
「それで、達也、平河の件はどうする? 狙いはお前だ。俺も一応釘を刺しておいたが、すんなりと割り切らねぇぞ、アレは」
「放っておいても良いだろう」
達也の判断に花音は怪訝な顔を浮かべた。
「狙われてるのは君なんだけど?」
「いっそ平河先輩から説得させるのは……」
五十里の提案に禅十郎は首を横に振った。
「止めといた方が良いですよ。今でも相当マズいですし、余計な精神的負担になりかねませんから」
「禅の言う通りですね。姉妹とはいえ関係も責任もありませんから」
千秋の動機は姉も関係があるのだが、達也は彼女は関係ないと言い切った。
「へー、優しいとこもあるのね」
何気なく口にした花音の言葉に深雪はムッとして、それを見ていた禅十郎はクククと声を潜めて笑っていた。その直後、禅十郎の背中が少し寒くなったのだが、これは季節の所為だと思いたい。
「余計面倒になりそうな気がするからですよ。それに最近周りをチョロチョロしているのは他にいますから」
「なかなか尻尾掴めねぇからなぁ。七草先輩クラスの知覚系に優れてる人じゃないと無理だわ」
二人の会話を聞いてハッと顔を強張らせて、花音と五十里と幹比古が目を走らせる。かすかなサイオンの波紋を五十里と幹比古は感じ取り、五十里の顔色を見て、花音は心配になってきた。
「やっぱり護衛をつけようか?」
「心配ありません。最悪の場合はこいつを肉壁にしますから」
「あ?」
親指で禅十郎を指して冗談交じりの笑顔を浮かべる達也に、当の本人は顔全体を歪めて凄ませる。
「うん、禅ならトラック三台ぶつかっても死なないから」
「おいこら……」
達也の冗談に雫が便乗する。
「それに九校戦でもビルの倒壊から生き残ったしな」
「高層マンションの最上階から落ちても死なないし」
「岩山を拳一つで叩き割ることも出来るからな」
「雪が降って、氷張ってるのに寒中水泳しても風邪をひかないもんね」
禅十郎の人外っぷりを惜しむことなく口にする二人に禅十郎は目元をひくつかせる。
「ねぇ、やっぱ篝君って人外の類?」
花音の問いに達也と雫は揃って頷いた。
「「ええ(はい)、そんな感じです」」
「おいこらっ! 誰が人外だ! そもそも人間の限界を超えるのが篝流なんだよ!!」
「「だから人外なんだろ(でしょ)」」
「何でだよ!」
納得いかんとキレる禅十郎を見て、笑わない人はここにはいなかった。
如何でしたか?
こんな感じで新年一発目の更新となります。
ようやく六巻の半分ってところですね。
では今回はこれにて。