本日は命よりも大切な娘のヴィヴィオが朝から試合の為に調整すると張り切っていた。友達になりたい子との試合というのになんだか黒歴史を発掘されるようなむず痒さを感じたりはしたものの、そういう展開が大好きななのはからすれば応援できるものだった。ヴィヴィオと自分との親子の絆みたいな物を感じられて、嬉しかったというのもある。
昨日の夜は豚カツを揚げて、今朝の朝食は試合当日の朝食を色々と調べて炭水化物を中心に、脂質やたんぱく質、食物繊維は少な目の食事を朝早くに起きて作った。また、試合前後に適したスペシャルドリンクを対戦相手の子の分も作って持たせておいたりなど、母という立場からできうる限りの支援をしたつもりだ。
流石に仕事があったので応援しに行く事は出来なかったが、何かある度に母が顔を出すのも自立という観点から良くないだろうし、元部下たちがいてもしもの事は無いだろうと信頼していた。当然、勝って帰っても負けて帰っても最大限のフォローをして、自分の過去の経験からアドバイスをするつもりでもいる。端的に言うと諦めずに全力全開! という内容である。
要するになのはは娘に新しい友人ができることを最大限に応援していたのだ。その様子を見てなのはの親子愛を疑う者はいないだろう。
しかして、仕事を終えたなのはは娘を家に送り届けてくれるというノーヴェの分も含めていつもより豪華な晩ごはんと食後のスペシャルデザートを作っていた。頑張ってきただろう娘を全力全開で労う為に。
夕飯を作っている途中でふと玄関が騒がしくなった。ヴィヴィオとノーヴェが帰ってきたのだろう。
パタパタとスリッパの音をたてて玄関まで出迎えると、非常に上機嫌な様子の娘と疲れきったようなノーヴェがいた。
ノーヴェの様子に何かあったのかな、と不思議に思いつつも丁寧に出迎える。
「お帰りー、ヴィヴィオ。ノーヴェもご苦労様、今日はありがとね。試合、どうだった?」
「ただいまー、ママ! 試合はヴィヴィオが勝ったよ!」
「お疲れさまです、なのはさん。ヴィヴィオ、適当なこと言うな。試合は引き分けって事で話しはまとまっただろ……」
「ヴィヴィオはあれを引き分けとは認めないのです。ヴィヴィオの反則勝ちですね」
「勘弁してくれ……」
なんだか良くわからないけど、ノーヴェが疲れきっている事だけは分かった。
とりあえず詳しい事はご飯の時に聞くことにする。
「そ、そうなんだー。何れにせよお疲れさま、ヴィヴィオ、ノーヴェ。お風呂湧いてるから入ってきたら?」
「うん! 一緒に入ろ、ノーヴェ!」
「ああ、そうだな……お風呂お借りします、なのはさん」
ルンルンと風呂場に向かうヴィヴィオ。
先に行ったヴィヴィオを見送ったノーヴェが、疲れきった顔でなのはの方を見た。
「あの、なのはさん。最近ヴィヴィオって誰かに格闘技を教わったりしてました?」
「え? うーん、そんな事は無かったと思うけど……」
「そうですか……なのはさん、今日はヴィヴィオは早く寝ると思うので、その後に少しお時間いいですか? お話ししたいことがありまして……」
「え、うん、いいけど……それなら泊まっていきなよ。ノーヴェ、疲れてるみたいだし」
「ありがとうございます、お言葉に甘えます」
丁寧に頭を下げてから、ノーヴェもとぼとぼとヴィヴィオの後を追った。
なにやらブツブツと呟いていたようだけれど、”ティアナ……じゃん負け……アインハルトとられた”としか聞き取れず、よく分からなかったなのはは気にしないことに決めた。
ちょうど二人がお風呂から上がった頃、夕飯が完成した。
お風呂に入って幾らか疲れが取れたのか、ノーヴェも先ほどよりは元気そうだ。同時に死地に向かう戦士のような覚悟を決めた目をしている気がしたけれど、なのははきっと気のせいだ思うことにした。
三人でなのは渾身の手料理に舌鼓を打ちつつ、楽しそうに語るヴィヴィオの話を聞く。
「へぇ……つまり、ヴィヴィオより歳上の子と引き分けたんだ! すごいね、ヴィヴィオ。よく頑張ったね。お疲れさま!」
「うん、まぁママまで引き分けって言うならそれでいいけど……ありがと、ママ」
正直、ヴィヴィオは引き分けという結果に納得していたが、素直に認めるのが癪だっただけなのだ。なのはに言われたならば否定はしない。
「それで、そのアインハルトちゃんとは友達になれた?」
「うーん、あれは友達なのでしょうか……」
「んー? そっか。良かったね、ヴィヴィオ」
ヴィヴィオは濁すような事を言っているけれど、なのはは先ほどまでの会話と娘の表情から何となく事情を察した。ずいぶんと愉快な事になっていそうな気がしたが、悪いものでは無いだろうという確信はある。出会った当時のわたしとヴィータちゃんみたいな感じかな、と勝手に納得しておく。
三人での楽しい夕飯も終わり、なのはのスペシャルデザートも綺麗に平らげると、じきにヴィヴィオが眠そうになっていたので歯を磨かせて部屋に行かせた。随分と早い時間だが、やはり疲れたのだろう。
子供が寝たら、大人の時間。コーヒーを淹れて、ソファテーブルに置く。豆をミルで挽いて淹れたコーヒーはとてもいい香りで、リラックスできた。照明を少し落として、落ち着いて話をできる空間にする。
なのははこの様に舞台を整えるのを好む傾向にあった。
お互いに対面のソファに腰かけて、コーヒーを一口。ノーヴェが少し幸せそうな顔をしたのを見て、なのはも嬉しくなる。なのはは人をもてなすのが好きなのだ。
「このコーヒーすごく美味しいですね」
「ふふん、そうでしょ。伊達に喫茶店の娘じゃないからね……それで、話ってどうしたの? きっとヴィヴィオの事だよね」
どことなく言い難そうなノーヴェに助け船を出す形で話を振った。
するとノーヴェは居住まいを正して、少し真剣な表情をする。
「はい……率直に言いますと、ヴィヴィオが私たちの知らない誰かと定期的に会っている可能性があります」
その内容の重さに途端になのはも真剣な表情になった。ならざるを得なかった。
「……詳しく教えてくれる?」
そこでノーヴェはデバイスのジェットエッジを取りだし、アインハルトとヴィヴィオの試合の映像をレイジングハートに送らせた。
自分やティアナの私見が混じった考えを言うよりも、まずは前提として事実を確認した方が良いと考えたのだ。
「……」
映像を見終えたなのはは、再び巻き戻して最初から再生する。それを三度ほど繰り返すと黙り込んでしまった。ノーヴェは静かにコーヒーを飲んで、なのはが考えを纏めるのを待つ。
「……なるほど。まずノーヴェがどう思ったのか聞かせてもらえる? 私は近接格闘は専門じゃないから」
「はい。まず前提として、一週間前はヴィヴィオはこの動きはできませんでした。それは私が断言します。すると、ヴィヴィオは一週間でこの動きを身に付けた事になる。型が綺麗に洗練されているのと、鋭いカウンターはまだ納得できます。かなり厳しいですが、一人で身につける事ができない訳ではありません。正直たった一週間では私がコーチしてもここまでに仕上げる自信はありませんが」
「わかった。続けて?」
「はい。しかし、回避だけは別です。ヴィヴィオの動きはアインハルトの様なハードヒッターに慣らした動きです。特に、自分より少し格上の相手の」
「うん、それで?」
「今日のヴィヴィオはアインハルトの動きをほぼ見切っていました。アインハルトの攻撃のスピード、何処に打ち込んでくるのか、どれくらいの威力なのかを全て。確かにヴィヴィオは目が良いし、カウンターヒッターに向いていると思いますが、それにも限度があります。これは初見でてきる動きではなく、何十何百と似たような動きを見て、自分の身で受けて、練習を積んで、始めてできる動きです」
「……そうだね」
「そこで問題になるのは、ヴィヴィオが誰に習ったのか。ここからは殆どティアナの考えなのですが、その相手ーー仮にXと呼称しますーーはかなり器用で高い格闘技の腕を持つ歳上の誰か。恐らくは男性の騎士ではないかと」
「ティアナが……」
なのははティアナの名前を聞いて、ほぼそれが真実であるだろうと確信した。ティアナはかなり頭がキレる。特に今回はプロファイリングの要素が強い。それこそティアナの専門分野であり、その能力でなのははティアナに遠く及ばないだろう事を自覚している。
「格闘技の腕に関しては、ヴィヴィオの上達から分かります。ヴィヴィオは対ハードヒッターにかなり習熟していましたが、そこまでに仕上げるには常にヴィヴィオよりも少し格上のハードヒッターを演じ続けなければなりません。凄まじいスピードで成長するヴィヴィオに合わせて、です」
「つまり、Xにはそれができる技量があった」
「はい。そして、恐らくXはハードヒッターではありません。ハードヒッターは基本的にそこまで器用な者は少ないです。訓練で重点を置く場所が違いますから。よってXは格闘技者としてテクニカルなタイプですが、同時にハードヒッターを演じられる程度の力強さがある可能性が高い」
「だから、恐らく男性だと」
「はい」
確かに魔法を用いれば力を増幅できるし、女性にも才能があって男顔負けの力を発揮する人もいる。しかし魔法での増幅も結局は元々の力との掛け算であり、やはり元の力が大きい男性の方が力が強くなる傾向にある。そしてヴィヴィオは幼いながらに身体強化した際の力はなかなかに大きい。ヴィヴィオの弱点は攻撃の出力がイマイチな事だが、それは比較する対象の基準が高すぎるだけだ。そんなヴィヴィオに腕前や力を調整して教えるとなると、そこいらの女性では例えテクニカルなタイプでも容易ではない。ただ格上のハードヒッターを演じるというだけでなく、かなりの速度で成長するヴィヴィオに合わせて腕前を調整できるからには、それだけヴィヴィオと力が離れていたと考えられるだからだ。しかし女性にも容易では無いだけで不可能ではないので、”恐らく”と頭に付けているのだろう。少なくともノーヴェは自分には出来ないと感じたが。
「他にも色々と男性と考えた根拠があったようですが、私には理解できませんでした」
「それは仕方ないよ。きっと私が聞いても分からないから」
そこまで言って、なのははコーヒーをゆっくりと一口飲む。ノーヴェから聞いた話を頭の中で纏めているのだろう。
「それで、騎士っていうのは?」
「
「うん、それで騎士ね。私も同じ意見かな。ノーヴェの話には納得できたし。でも……これはちょっとマズイかな」
「そうですよね……」
ヴィヴィオの立場は非常に不安定で危険だ。当然だろう。非合法に作られたクローンというだけでも難しい立場なのに、ヴィヴィオの場合は大規模事件の当事者になった過去があり、その上宗教まで絡んでいるのだ。そんなヴィヴィオに近づく見知らぬ人物、しかもそれが歳上の男の可能性が高いとあっては、親としても友人としても落ち着かない。ヴィヴィオはまだ幼いながらに理知的で分別がつくが、まだ子供だ。当然二人にとっては庇護すべき対象である。
「それに、例えその人がヴィヴィオに何かする気がなくても、騎士っていうのはマズイかもしれないかな」
「そうなんですか?」
ノーヴェにはこの理由は分からなかった。
「うん。聖王教会も一枚岩って訳じゃないから……」
「……なるほど、派閥とかがあるわけですね」
聖王教会も一枚岩ではない。
今はグラシア家を初めとしたヴィヴィオに好意的な派閥が後見して守ってくれているが、その派閥が全員カリムのように無条件で支援してくれている訳ではない。むしろヴィヴィオを守ることで利益があるからこそ守ってくれている者の方が多い。
もし人物Xが聖王教会の人間で、しかしカリムの所属する派閥の人間でなかったら、Xにそのつもりが有ろうと無かろうとカリムの所属する派閥に対する裏切りと受け取られる可能性がある。今はJS事件の直後よりかはヴィヴィオを取り巻く状況は落ち着いてきてはいるが、ヴィヴィオの立場が難しい事に変わりはないのだ。少しでも不安要素は無いに越したことはない。ただでさえ若いなのはの親としての能力が疑われる事はあってはならないのだ。これからもヴィヴィオの
こういった旨の内容をなのはは語った。ヴィヴィオと親しいノーヴェにも知っておいてもらった方が良いと考えて。
「ひとまず後でフェイトちゃんにも連絡取って相談してみるよ。教えてくれてありがとう、ノーヴェ」
「いえ、杞憂だったら良いのですが……」
なのはは願う。せめて人物Xがヴィヴィオを取り巻くしがらみの外の人物であってほしいと。実際その可能性は十分にある。しかしなのはは母として、常に最善を尽くし最悪に備えなければならないのだ。なのはにしても大人の事情で大切な娘の人間関係まで束縛なんてしたくはない。けれどこれは必要な事なのだと萎えそうになる自分を奮い立たせていた。
「…………ぇ?」
扉の向こう側、暗い廊下に細かく震える小さな影があった。
……To Be Continued