見えない、捉えられない、感じられない。
主砲の爆発にすら何も引っ掛かりはせず、ただ出鱈目に機銃をばら撒いたとしても命中率は零そのもの。
縦横無尽に駆け巡っているであろう俊足ぶりは過去に戦った江風よりも速く、相手があの少女よりも遥かに上手であることが嫌という程に伝わっていた。
金剛が、加賀が、陽炎が、筑摩が、白露が、そして電の全員で対処をしているものの、まったくもって人員が足りない。いや、足りていないどころの騒ぎではない。
相手は吹雪という個人だけではないのだ。
彼女が一番攻めているとはいえ、それ以外にも多数の砲弾が金剛達を貫こうと責め立てている。
海中を見れば多数の魚雷が接近しているのも見えるだろう。加賀が艦載機を飛ばしたとして、その八割以上はまともに役割を果たすことなく潮という一個人に落とされている。
足を止めれば死ぬ。
足を止めなくともジリ貧になって死ぬ。
どちらに転んでも事態は悪い方向にしか進まない。制空権の確保をすべき空母が、その役割をまったく果たせない時点で状況は明らかな不利に傾いていた。
それでも負ける訳にはいかないと、金剛は三式弾を装填して放つ。
空母用に用意していた物であるが、高速移動をしている者にとっては厄介なものだろう。回避するのは当然であるし、その回避コースを複数予測して先手で撃ち来む事も出来る。
大量に放ち、かつその幾つかにワザとらしい回避コースをセット。そしてそこを撃たずに本当の意味で用意していたコース部分に主砲を撃ち込む。
それで敵を倒せるだなんて思わないが、それでも幾らか思考にノイズを走らせたい。
冷静な思考をしている内は駄目でも、焦らせれば無駄が生じるもの。道理でもって戦う金剛に――しかし道理に反した動きをする艦娘には無駄であった。
「温い。そんな程度では傷を負わせられないぞ」
「――ッ!?」
金剛の脇の下。
死角とも言えるその部分に胴体を下げたまま移動した吹雪は、直後身体を跳ね上がらせて脇腹を横に蹴る。
小柄な身体に不釣り合いな威力をそのまま受けた金剛は、呼吸すら出来ずに海面を数度叩き付けられながら飛んでいく。
吹雪に蹴られた箇所を中心に骨は折れ、叩き付けられた衝撃でその骨が肺に刺さった。
激痛が彼女を襲うものの、それで相手が許してくれる訳ではない。
彼女の顔が丁度空を向いた時、蹴った筈の吹雪が出現。主砲を顔面に向けて構える彼女の姿に不味いと意識が働き、半ば直感に任せて動く主砲全てを吹雪に発射させた。
その悉くは彼女に弾かれるも、体勢が崩れたのだろう。舌打ちを一つするだけで海面を蹴って再度姿を消した。
「ぐッ……ぅぐ……!」
激痛によって意識を失う事は無かった。
それを有り難いと感じつつも、それでも彼女の動きは明らかに悪くなっている。折れた部分は妖精達が即座に直し始めているものの、そもそもからして時間が必要になる以上まともな戦闘など出来る筈も無い。
大怪我も大怪我だ。艦娘であろうとも骨が折れたという事は、本来であれば即座の撤退要因である。
応急修理処置をしたとして、それは痛みを少なくするだけ。戦い続けるのであればそれはまったく意味の無いものとなるだろう。
つまるところ、この時点で金剛の脱落は道理に沿う以上避けられない。
ここから奇跡的に応急処置が間に合ったとしても、再度主砲を撃てば即座に自壊が始まる。
「おーおー、やるねぇ。容赦無しとは流石我等が初期艦。お陰で適当に魚雷撃ってるだけで済むよ」
「というよりは、此方が下手に動くと邪魔になるだけでしょう。同じであるからこそ私達は視認出来ていますから、今は一先ず敷波さんを守りつつ撃つのが良いかと」
「そんなことより斬って良いか?」
「い、今は抑えてください……木曾さん」
現状動いているのは吹雪のみ。
後は敷波を潮よりの中心とした輪形陣の形となり、迫って来るだろう攻撃の殆どを対処する事にしている。
尤も、あまりにも吹雪が元に戻り過ぎているが故に金剛達は誰も追いついていない。
一応は榛名の砲撃や北上や木曾の魚雷を回避しているので此方にも意識を向けているのであろうが、その意識の割合は八割以上吹雪だけに向いている。
今の状態であれば、北上達が活動を本格的にしただけで沈むだろう。
此度の戦いは轟沈も視野に入れている。此方が沈む可能性も、彼方が沈む可能性も両方あった。
それらを理解しながら北上達が動かないのは、吹雪の邪魔になるのが第一の理由だ。
吹雪クラスの高速移動は誰もが出来る訳ではない。現時点で他に出来るのは霞や陽炎くらいのものであろう。
そうであるからこそ、艤装に何か異常が出る可能性も否めない。現状出てきてはいないものの、本気を出す機会など限られている。
これは本気の戦いではあるが、同時にテストも兼ねているのだ。吹雪に何かしらの異常が発見されれば、それについて対策を考えねばならなくなる。
そしてそれを向こうに知られる訳にはいかない。故に余計な真似をしない選択をしたのだ。
しかし、本当の理由は別である。つらつらと適当に述べただけのものとは正反対の理由は、裏側にあるからこそ重要性が他とは違う。
北上の眼が、木曾の眼が、榛名の眼が、潮の眼が、相手の一挙一動を逃さず見ている。
その真剣さは敷波が何時も見てきたソレとは違い、どうしてか背筋を伸ばしてしまう。
邪魔をしてはならない。蚊帳の外に置かれた敷波には現状がまったく理解出来ていなかったが、それだけは感じ取ることが出来た。
「…このッ、当たれ!」
砲撃が遅く感じる。
相手の動作よりも本来であれば早く動く筈の弾は到達前に完全に回避され、返す刀が如く放たれた弾は陽炎達に掠り傷であれど確実に命中させていた。
完全な命中に至っていないのは、陽炎達が直感に任せきりにしているからだ。
理性的な思考は最早あまり有効ではない。碌に視認出来ず、予測もまったく当てにならず、であればもう任せるべきは本能的な部分による察知のみ。
数多くの戦場を巡り、積み重ねた練度があるからこその選択だ。これが低練度であれば何も出来ずにただただ弾を吐き出すだけになっていただろう。
しかし、そんな直感任せにしたとしても明確な命中を与えた試しは存在しない。
陽炎が思わず悪態をつくが、主砲そのものの速度は変わらないのだ。同時に艤装自体もいきなり性能が向上する訳ではないのだから、今ある材料だけで吹雪を退けなければならない。
そして……それが終われば次は北上達だ。
化け物の後に化け物との闘いが待っている。それが如何に絶望的なのかは解るし、解るからこそその事実から折れないように懸命に弾を撃ち込み続けた。
酸素魚雷は中々発見がし難いとは言われているが、それでも完全に全て隠す事は出来ない。
素人ならばかなりの確率で当たるも、陽炎も陽炎の艤装に乗っている妖精達もベテランだ。現場の状況から来るであろうタイミングを見極め、動き回りながらも条件が揃い次第優先度を変更する。
一分一秒が己の運命を決める戦いにおいて、優先度は常に変更されるものだ。
だが、この戦いはその優先順位を一瞬でも間違えると容易に詰みとなってしまう。一秒一コンマの世界とも言えるこの戦場は、もしかすれば彼女達が戦った姫級よりも強いかもしれなかった。
「右……左……、白露足元ッ!」
「つゥ――回避ィ!」
「加賀さん!まだ発艦は不可能ですか!?」
「もう少しですッ、全機は無理でも少数に絞り込めば――――今!」
手から離れた矢が燃え、艦載機の形となる。
潮の高角砲に届かない場所からの発艦によって大空へと飛び立った艦載機群は、そのまま目標を敷波達に向けた。艦載機の速度では吹雪によって撃墜されてしまう以上、そうするより他にない。
吹雪は吹雪で五人の相手を一斉に行っている。人型である限り、それでは必ず意識の届かない空白が生まれるのは必然。艦載機が発艦出来れば例え失敗に終わろうとも少しの時間吹雪だけに集中する事が出来る。
艦載機の役目は殲滅ではないのだ。限界まで時間を稼ぐことである。
接近を許し過ぎれば潮に落とされると計算して、加賀は高角砲の届かない場所で爆弾を投下させた。
降り注ぐ量は全てと言える程。これ一回しか攻撃出来ないと理解しているからこその全霊の一撃だ。
遠過ぎるが故に回避は容易。加賀もこの攻撃自体にはそこまで深い意味を込めていないのだから、そこで焦るような真似もしない。
だが、投下された爆弾を見上げる潮達は何もしなかった。
ただ眺めるだけ。唯一敷波だけは顔色を青くしていたが、それ以外は特に問題にしていなかった。
それが恐ろしい。何でもないと思われるのが悔しい。
此方は全力で戦っているというのに、あちらはまだまだ余力を秘めているのだ。強さを示す為に吹雪は全力で相対しているというのに、それ以外にはやる気というものが全くと無い。
まともなのは敷波だけ。つまり彼女だけは通常の個体なのだろう。
巻き込まれただけなのか、それとも一緒に行動しているだけなのか。どちらにせよ、答えは変わらない。
恨むならば恨んでくれ。怒りを抱くのならば自分だけにそれを集中させるが良い。
沈んで沈ませて、そうして艦娘達は生死を回転させ続けるのだ。深海棲艦であろうともそれは変わらない。
ならばこそ――――
「――――です」
加賀の想いを完結させた直後、空中で落下を行う爆弾は全て到達前に爆発した。
同時に艦載機の未帰還も増大し、何も無い筈の空中で爆発の花が咲く。高角砲の届く範囲に艦載機の姿は無く、またもや異次元の技能により破壊されたと加賀は判断した。
時間を稼ぐ次元ではない。更に射程が伸びているというのならばその差を修正しなければならないが、どれだけ修正したとしても高角砲が届くような気配をひしひしと感じてしまう。
物理的原理でモノを言うべきではないというのは頭では解っている。
そしてその様に動こうともしている。なのにこうして上手く動けないのは、それだけ加賀の中に残っている一般的な常識が濃いからだ。
否、どれだけ常識外れを頭に思い描いたところで意味などない。
それを実践させるだけの能力が無ければ無様を晒すだけになり、現在の彼女では何も成し得ないのだ。
「なら、もっと狙いを絞るまで」
「無駄だな。それでは何も出来まい」
呟く加賀の言葉に、腕を組んで静止の状態をしている木曾は一人放った。
それは独り言も同然だが、加賀の姿から察する事が出来たのだろう。北上は木曾の言葉に同意するように首を縦に振り、潮の頭を撫でた。
「俺達は全員、化け物状態の加賀と戦った事がある。あれに比べたらそこら辺の正規空母の一撃なんぞ何ともない」
正規空母は確かに強い。
強いが、その頂点を奪い合う一航戦を見てきた者達にとっては彼女達以外の正規空母が軒並み霞んでしまう。
アレに追いつけるのは五航戦くらいなもの。もしくは鳳翔や龍驤といった古参組くらいなものだが、実際に勝てるかどうかと聞かれると難しい話だ。
一撃必殺を狙うのが赤城であり、蹂躙するのが加賀である。
対象を的確に破壊するのが赤城の領分であり、対象ごと周囲の土地を更地にするのが加賀の領分。この認識は誰であっても変わらず、故にこそ本気の彼女達は艦隊の中でもトップ十に入るだろう。
それと実際に戦ったのは数少なく、木曾を含めたとしても十人程度。潮もまた、その人数の中に入っている。
潮が戦った理由はただの演習だが、それでもあの恐ろしさは身に染みているのだ。そしてあの加賀の中にある考え方も理解出来るし共感も出来るから、目前に居る彼女を認められない。
「仕方ないと、思いましたね?」
そんな道理を潮は認めない。例え縁のまったく無い相手であろうとも、それが艦娘である限り最優先にすべきは仲間の救助である。決して目的の為に潰して良いものではない。
それでは深海棲艦と一緒だ。どれだけ潰しても代えが効くと考える、海軍と一緒だ。
周りなどどうでもいいと考える中で、加賀と潮の結論は酷く希少だった。だが彼ならば、手放しで喜ぶだろう結論だ。
助ける。誰一人として失う訳にはいかない。
それを認めることは、即ち己の敗北であるのだから。どれだけ狂おうともそれだけは譲れない。
潮の真価は他者が危機に瀕してこそ発揮される。今回の対象は敷波であり、彼女が死ぬと認識したからこそ潮は無意識下にある縛りを開放した。
その結果として今の出来事が起きたのだ。
条理を無視し、己が欲望を現実に表出させる。それこそが、彼女達の本質だ。
彼女達は所詮は空想の存在。本当の現実には軍艦だけしか居らず、肉の身体などある筈も無かった。
構成する成分も何時消えるか解らぬ不安定なもの。実際に彼女達を認識してくれる者もおらず、どこまでいっても彼女達の存在は妄想という欲望によって完成した幽霊に過ぎない。
ならばこそ、彼女達は生まれた。
それは偶然に過ぎず、誰がそうしたという訳でもない。何か原因があるとするなら、それはゲームの世界を妄想する者達全てが無意識に紡ぎ出した、一つの夢の形。
それは解る者であれば解るであろう技術。
一般的にそれも妄想であるが、それがあるからこそ彼女達は今此処に居る。宗教が、嗜好が、願望が、憤激が、歓喜が、ありとあらゆる要素がその夢の中で渦巻いていた。
カオスの具現とも表現出来るその塊こそ、彼女達の力の源泉。
どうしようもない程に集約した――――彼女達との接触という祈りそのもの。
叶わないからこそ人は求めるのだ。そして求めるからこそ、そこに描かれた世界は理想に満ちていた。
あらゆる難敵を打倒し、凄惨な過去など無かったのだと笑い合い、提督として日々生活する。
それはなんと素敵で、絶対に到達出来ない未来なのだろうか。
そこに行きたい。そこで暮らしたい。どうか艦娘達と一度でも構わないから、話してみたい。
それが出来るのならば、もしも成功出来る技術が存在するのであれば――――最早この世界など不要だ。
「くッ……Fire!」
金剛の主砲が放たれる。
同時に艤装が揺れ、身体も崩れた。一度でも大ダメージを負ったのであれば、そこからの復帰は絶望のみ。
無理をして放たれた弾は容易く避けられる。それどころかあまりにも露骨に狙いをつけている吹雪の動作に合わせることさえ出来ていない。
加速も不可。機銃は乗せていないので対処不可。対応策は物理的攻撃だが、それでは爆破に呑まれる。
必死な動きで応急修理妖精達は動くが、女神の存在しない艦内では彼女をすぐさま動かせるだけの時間が足らなかった。尤も、もしも今此処で女神が居たとしても結局同じだろう。
間に合わない。何もかもがまったく足らない。
戦闘をすれば負けると解っていた。全体の八割が轟沈すると理解していて、それでもあの人の為にと彼女は愛だけで突き進んだ。
同僚達も大なり小なり同じ理由である。だからこそ結束も固く、コンビネーションも悪くない。
それに一度江風から逃げ切ったこともあった。確かな情報があるからこそ臨んだというのも理由としては強いだろう。
しかし、本当の意味での強者の前ではそういった諸々が全て意味を成さない。
コンビネーション?……組まれる前に乱せば良いではないか。
八割が轟沈すると解っていた?……それで何の覚悟をしたのだ。
江風から逃げ切った?……見逃してくれたの間違いだろうが。
愛で世界は救えない。真に必要なのは厳然たる武力で、金剛にはその部分が欠けている。
「どうした……まさかそれで終わりではあるまい」
たった数分だ。時間にしておよそ十分にすら届いていない。
にも関わらず、戦況は実に解り易くなっていた。金剛は轟沈寸前にまで追い込まれ、加賀の艦載機は軒並み潮に落とされる。白露や陽炎は正確に艤装だけを集中的に壊され、筑摩や電に至っては榛名達の砲撃や魚雷によって強制的に足を止められていた。
ここからの逆転など不可能の域だ。いや、最早その域を更に超えた絶望一色となっている。
正しく音に聞こえた化け物個体。存在そのものが反則の形を成し、立ち塞がる障害全てを粉砕する者。
絶望を覚える、羨望を覚える、深く深くそうなりたいと切に思う。
それだけの力があれば容易く日本を救えただろう。今の日本が嫌ならばいくらでも改革を起こせただろう。
「貴殿に、一つ質問デース……」
「何だ」
「どうして、そんなに強いんデスカ?正直勝てるvisionが浮かびマセン」
口から零れたのは素直な疑問。
それが時間稼ぎの意味ではなく、純粋なモノである事を吹雪は金剛の眼を見て理解した。
彼女の眼に宿るのは仄暗い輝き。強さを教えてもらえるのであれば何でも差し出すと言わんばかりの光だ。
それを素晴らしいものであるとは吹雪は思えず、甘える大人を両断するかの如く一瞬で腹を蹴った。
海面を五度叩き付けられ、彼女は横倒れになって止まる。
起き上がる気配は見せず、されど顔面だけは吹雪の方向を向いていた。それがあまりに欲望に忠実過ぎて――――つい過去の金剛と被さる。
「諦めたのか、たった数分で」
返答は無い。しかし沈黙こそが答えだった。