執務室・艦娘寮・食堂・工廠・間宮・出撃ドッグ。
落下してきた鎮守府は見事無事に地表に到達し、静けさを保ったまま俺達を迎い入れた。
初めて入った際に感じた懐かしさは、恐らく江風が持っていたものだ。俺が実際に入るのは初めてであるのだから、そもそもそういった感情を覚える筈が無い。
故に胸に浮かぶ反対の感情は、好奇心。
この建物の中はどうなっているのか、どんな暮らしを彼女達はしていたのか、自分の今までしてきた行動の数々がどのようにこの鎮守府に反映されていたのか。
それらを知れるのは今は俺だけ。それが何故か嬉しく、されど最初に足を踏み入れた段階でそんな思いは簡単に吹き飛ばされた。
何故か。答えは単純であるが、細かく言うのであれば汚れ過ぎている。
中庭に咲き誇っていた花々は悉くが散り、鎮守府の壁自体も罅が走り何時壊れてもおかしくない。それだけに留まらず、艦娘達の許可を得た上で確認した寮の内部も大分破壊の跡が目立っていた。
例に挙げるとするなら、一番解り易いのは駆逐艦達の部屋だろう。
特に白露型の子達の部屋は毛布が裂かれ、夕立の持ち物と思われるぬいぐるみのパーツが四方八方に飛び、壁には自身の血で書いたのか真っ赤な提督の字が乱舞している。
気を遣って持って来てくれていたのだろう食事群も放置されて腐っており、彼女達の精神状況が如何に狂っていたのかを物語っていた。
逆に一番平和だったのは戦艦達の部屋だ。
金剛型などその最たるものだろう。茶器は割れている物もあるとはいえ確り棚に入っているし、家具に破損があるようには見受けられない。部屋に埃が溜まってしまっている点を除けば、本当にその程度だ。
続いて食堂に関してだが、此方は寮とは違い清潔そのもの。
恐らくは間宮さんと伊良湖が尽力してくれた結果なのだろう。冷蔵庫に入っていた食材は少ないが、調理器具に関しては全て綺麗に保たれていた。白の机は光を反射する程で、椅子を修理した跡もある。
出れない鎮守府で長く皆が食堂を使ってくれるようにと努力していた二人を想像して、胸に感謝が渦巻いた。
最初から二人には足を向けて寝られないとは思っていたが、これはもう土下座してでも感謝すべき案件だ。
鎮守府の食事事情を支える女は強い。それを再認識し、次に見た工廠で今度は口を開けた。
汚いとか散らかっているだとか、そんな次元ではない。
足の踏み場もあるし危険物は確り保管しているのだが、それ以外の工具やら何かのパーツやらが床に広がってしまっている。
その惨状を見て、今度は妖精達を見た。
工廠を担うのは妖精達である。明石や夕張といった面子も居るが、大多数は彼女達だ。
そんな彼女達だからこそ見たのだが、艤装内部に居る妖精や工廠に元から居た妖精を含めて全員が目を逸らした。
それだけで当時の状態が想像出来るというもの。
使い物にならなくなった彼女達では出撃は出来ないし、そうなると日々のメンテナンス程度しかする事がない。
そもそも海に出れないのだから仕事自体が非常に少なく、俺の存在を見つける装置を完成させるまでは彼女達の為に装備品を解体するくらいしか仕事がなかったのだろう。
だからこそ色々と疎かになっていき、発狂による破壊活動も合わさって荒れた。
これもまた致し方ないことだ。幸いにして怪我人は皆無であり、工廠自体に致命的なダメージも無い。
これから再稼働させる旨を伝えれば、妖精達は目を輝かせて工廠の修復へと走り出した。
「……これで一先ずは見て回ったって感じかな」
唯一ダメージらしいダメージの無い執務室に座って、江風だけの空間の中で息を吐く。
椅子は成人男性サイズになっている為か非常に大きく、その為に足が床に届かない。机には万年筆と判子があるだけで、紙の一枚も存在していない状況だ。
その変わり両側の棚には目一杯にファイルが並び、一部を引き抜いて読んで解ったのはこのファイル群が全て俺の出撃や遠征の記録であったというだけ。
それ以外の然したる情報は無く、つまるところこれで確認作業は終了である。
残っている資源は各五万近く。全員をフル回復した上で第二第三第四艦隊を早急に構築し直して遠征に出している。残った面子は全員掃除や修理といった鎮守府の再稼働を目指し、妖精達のスピードがどれだけかによって本格的な再稼働の日付は決まってくるだろう。
それまでは暫く休息である。
激戦も一応終わった直後だ。このまま仕事をさせ続けるというのも可哀想だし、何よりも俺と彼女達の現実を確り共有しておかなければならない。
既にゲームでの光景とは違うのは認識済みだ。しかし、どれほど俺の認識と彼女達の認識に差が出ているのかまでは未だ解っていない。
そういう意味では時間が取れた現状は好ましいものである。江風では嘘を吐かれる可能性がある以上、可能な限りにおいて正直に話してくれる相手が出てきてくれたのも運が良い。
「取り敢えず制圧任務を受けてる吹雪を一旦抜いて、代わりに叢雲を入れてくれ。そして吹雪はこっちに来るように伝えてくれないか、江風」
『良いぜ良いぜ。ンじゃ、さくっと行ってくるよ』
扉を貫通して外に向かう彼女を見て、これで一人になったかと内心で呟いた。
そして静かに横にあるソレを見る。一見して最初から畳まれて置いてあったように見えるが、実際のところ俺が横を向くまでは確かに存在はしていなかった物だ。
つまり喋っている間に誰かが置いたという訳だが、まぁそんな芸当が出来る艦娘なんて限られている。
江風も黙認している辺り同じ思いなのだろう。これをそのまま放置しているのだから、相手は此方の思考をよく読んでいるものだ。
必ず興味を持つ。そういった部分を強調しているのだろう。
椅子から立ち上がり、その服を持ってみる。服のサイズはやはり男性用になっていた為に大きく、正直な所コレを着たとしても動き辛いだけだ。
妖精達に頼んで服のサイズを変更してもらうようお願いするしかなく、しかし彼女達がこのまま用意したという事はそのまま着てほしいのだ。
「勲章は全部棚だからそっちはいいとして……ああこりゃもうズボンは諦めた方が良いな」
元よりサイズは合わない。
ならばこそ出来る足掻きとしてズボンはそのままにし、上着を袖を通さずにマントのように羽織った。
白い海軍の軍服はあまりにも俺には似合わない。されどそれこそが俺達側の中で一番に広がっている正装であるのだから、何時かは慣れなければなるまい。
帽子も若干サイズが大きい為に少し目元が隠れる。位置を調整すると多少はマシになるが、マシになるだけだ。
はっきり言って何も付けない方が楽である。
最後に白の手袋を付けるが、何故かコレだけはサイズが丁度良い。大きければ確かに仕事に差し障りが出るが、どうしてこれだけ大きさを合わせたのだろうか、激しく謎だ。
「これ、このままずっとなのかな」
そうだとすると、下手に人前に出たくない。
何だか中二病患者特有の恰好のようで恥ずかしいのだ。いや、軍服は恰好が良いとは思うのだが、こんな着方をする人間を現実で見たことなどない。例え見たとしても、それは本人からしてみればただアニメの恰好を真似ただけの所謂コスプレであって本気ではないのだ。
故に、これをこのままというのは恥ずかしいのである。彼女達がこの恰好をずっとと言われれば俺はその要求を飲まなければならないが。
そんな心配を多分含めた心配をしている傍から、小さな足音が扉の外で聞こえた。
江風が呼んだ吹雪がやって来たのだろう。このまま立っていても致し方ないし、素直に着席して彼女達の入室を促す。
入って来たのはやはり吹雪で、彼女は俺の姿に僅かに目を見開きつつも静かに敬礼の形を取った。
それだけで何を言いたいのかは解るもの。対して江風は輝くような眼差しで俺を見ていた。
「敬礼は構わないぞ。此処は軍隊じゃないからな」
「は……」
静かに腕を降ろす彼女を前に、暫し場は沈黙する。
言いたい事は山程にあった。大丈夫だったかとか、その口調どうしたとか、兎に角彼女がこうなってしまった原因を聞きたくて仕様がなかった。
断片だけでしか知らなくとも、それでもある程度は想像出来るのだ。それが悪い情報であればある程に、浮かぶモノは最悪に近付いていく。
彼女もまた、そういった最悪の中で変わらざるをえなかった。その結果としてここまで口調が硬くなったのだとしたら、それは悲しい事だ。
俺の鎮守府での一番始めの艦娘。当時は特に何を思う事無く彼女を選んだが、こうして実際の彼女を見てみると非常に線が細くて、艦娘全般に言えるだろうがとても戦いに行く者とは考えられない。
そんな女達が狂い、暴走していた。――――胸を抑えてしまったのは、罪悪感故か。
「久し振り、と軽くは言えないな。……すまなかった、居なくて」
「いえ、悪いのは我々です。提督が居なくなる時期もあるにはあった。それに、実際に司令官が陥っていた状況が状況です。こうまで破壊してしまった以上解体されたとしても何も文句は言いません」
「それをしないのは、解っているだろう?」
「……はい、それは。
女は怒ると恐ろしいと言われている。
それは手段が解り辛く、判明した頃には既に手遅れになっている事が多いのもそうだが、何よりも怖いのはその感情の全てが顔に浮かび上がってくるからだ。
吹雪の顔が怒りに染まっている。握り締めた手には如何程の力が籠っているのか、骨の軋むような音まで聞こえた。身体は震え、無理矢理爆発を抑え込んでいる風にも見える。
その姿は彼女にはあまりに似合わない。朗らかに笑っている方が絵になる彼女だから、どうしても猛っている姿が俺には悲しくなってくる。
悪いのは全て俺だ。例えあの時に会えない状況になっていたとしても、江風という連絡手段は残っていた。
それをチョイスしなかったのは間違いなく俺の意思であり、故に彼女達は俺に対しても怒りを抱くべきなのだ。
「吹雪、そう自分を責めるな。全てが元通りになったとは言えないが、それでも確り元に戻り始めている。大丈夫だ、安心しろ。今度はずっと一緒だ」
そんな自分の心境を吐露した所で意味は無い。
自虐の言葉を垂れ流したとしても、吹雪は自分が悪いと言うだけだ。ならば、それとはもっと違うモノを用意するのが上に立つ者としての態度なのではないだろうか。
自分は一回とて誰かの上に立った事など無かった。だから単純にただのイメージ任せだ。
ドラマと実際の体験談と、そんな両方を混ぜ合わせただけの薄っぺらい上司像を作って模倣しているだけに過ぎない。実際の海軍の上層部がどういった奴かなんて解らないのだ。
だからこそ、込めた言葉に嘘は微塵も含まれてはいない。
皆を癒せるのならば、どんなことでもしていこう。今度は画面による壁という邪魔など無く、隣同士で。
「――ッ」
俺の言葉に彼女は何を想ったのだろうか。
怒りの形相を微笑みに変え、震える身体を正して胸を張る。そんな姿を見せる彼女は、俺には勿体無い程に優れた駆逐艦だ。本当に、本当にそう思えるから、これ以上の言葉は不足と判断した。
あまりに自分らしくない。それでもきっと、これは大事な言葉だ。
如何にらしくなくとも、彼女達の前では確りしようと再度思う。時には崩せと言われるかもしれないが。
話を終え、次の話にへと至る。全てが終わるまではまだまだ時間が必要であり、それらが終わるまでの間に俺達の顔が曇ることなど一度として有りはしなかった。
※reverse※
「ありがとな、吹雪」
「いえ、この程度で良ければいくらでも構いません。では私はこれで」
敬礼の後、ノブを回して部屋を出る。
一人で静かに廊下を進む様に迷いは無く、これから何処に向かうのかも予め彼に言われているのだろう。
江風から伝えられた内容は、ゲームと現実との各々の状況の擦り合わせだ。
ゲームの世界で見てきた光景と現実で見てきた光景は違う。その為に当初彼は困惑したのである。
一体全体どうして彼女達はここまで自分を慕っているのかと疑問に思うのもある意味当然であり、であるからこそ吹雪は実に詳細に彼が画面に映らなくなった後の状況を説明した。
そして漸く互いの状況把握が済み、本格的な業務に至る為の準備の話にへと場は変化。
現在の最優先は彼が保有していた全艦娘の発見と保護。次点ではこの鎮守府の防衛である。
敵勢力の撃滅は現時点では無しとされ、接近する者のみを狙うようにとなっていた。それは吹雪にとって有難くもあり、同時に悔しいことでもある。
現時点ではあるが、吹雪も含めた復活組は未だ全力を取り戻せてはいない。
肉体と魂の同調は進んでいるものの、やはり現実の肉体というものはデータの身体通りとはいかないのだ。
想像していた通りの動きは行えず、もしも無理に行えば関節を傷める。頭の片隅には常に配慮が必要となっている以上無駄を嫌う面子からすればこの上無く現在の肉体には不満が募っていた。
「出せて……二。いや三か。まだまだだな」
上書きする前の身体があまりにも貧弱過ぎたのが今回の原因だ。
これがもしも吹雪自身の練度と同じであれば肉体は思う通りに稼働してくれていただろう。
それだけに安易に肉体を選んだ自分を吹雪は呪う。やはり急ぎ過ぎたのは失策であったと。
急がば回れ。つまりはそういうことだ。
彼女の肉体が全盛期の力を発揮するようになるには度重なる戦闘と、そして更なる同調が必要になる。
それは仲間全員が言えることで、故にこそ現在の彼女達は全力とは程遠い。練度として考えるのならば、精々が五十程度といったものだ。
無論それでも彼女達の存在は他とは違う。この世界の深海棲艦や艦娘達よりも遥かに頑強で、そして最優先で高品質な装備を支給される。
悪質な物など即座に解体されるか改修の素材にされるので結果的に良質しか残らないのであるが、それを装備して戦場に行けるというのは彼女達からすれば素晴らしいことだ。
それだけに、ミスが起きれば当然本人が叱責される。
基本的に装備によるミスは起きない。提督自身が最前線に挑む際には入念なチェックを行うのだから、その上で中破か大破になるようであれば自分が悪い。
もしもこの世界でも同じ様な失態を犯す者が出た場合、その艦娘の冷遇は以前とは比べものにならないだろう。
先輩も後輩も関係無く、全てが平等に降り注ぐのだ。
「あら、吹雪じゃない」
前から聞こえた声に、吹雪は意識をそちらに向ける。
自然に歩いている少女は以前からこの世界に来ていた霞だ。艤装を外して報告書を持っている辺り一旦任務報告の為に帰還したのだろう。
勝気な瞳は彼が居なかった頃とはまるで別人だ。いや、彼が居た頃に戻ったというのが正しいのだろう。
光を失って餓死寸前の身体で倒れていた彼女を思い出す。その際に只管に彼に謝罪していたところも見て、吹雪は彼女もまた弱いのだなと少し認識を変えていた。
狂気に墜ちる寸前の姿がそれだけに、今の彼女の変化は好ましく思う反面原因が原因だけに面白くない。
好いた男が既に他所に取られているとはいえ、余計に障害物など増えてほしくないのだ。
「先程司令との話は終わった。そちらは何か支障は出たか?」
「無いに決まってるでしょ。誰に言ってるのよ誰に。来たばっかの奴と同じ目線で話を進めないでちょうだい」
霞は以前からこの世界に来ている側だ。
肉体も
そんな霞からすれば、今の彼女達の状態は非常に不味い。
早々呆気なく沈むとは言わないものの、万が一が起こる程度には拙いのだ。艤装内部の妖精達は問題無いにしても、艦娘達の動きがぎこちない所為で明らかにリズムが狂っている。
鎮守府内部で走り回っていた島風はよくバランスを崩して転がっていた。速度を重視しているからこそそういったミスは連発し、今の島風はテンションが比較的低い。
天津風が慰めているので直ぐに異常行動を起こさないだろうが、それでもこのままでは不味いのだ。
よって早急に問題を解決しなければならない。
「吹雪、練度幾つの身体を奪った?」
「恐らくだが、三十だ。改になって少し程度の身体だから、今感じている違和感は大きいぞ」
「ふん、もっと確り選びなさいよね。私の方は八十五よ」
「それはまた……随分運の良い死体が出来たな。処分された奴か」
「多分。目覚めた時は北側の鎮守府が近くにあったし、この世界特有の改装処分後の死体でしょうね」
改装処分。
その単語に吹雪は眉を寄せる。そしてその反応に、霞の顔にも冷たさが入った。
ある一定以上の練度に到達し姿を変えた艦娘達は例外無く処分される。その背景には人間がトップである事を維持しようとする海軍派閥の姿があり、強くなり過ぎればやがて人間に反逆してくるだろうと思い込んだ連中によって現在の海軍上層部は締められていた。
思考能力の向上。使用可能兵器の拡大。そして単純な肉体性能の大幅強化。
元より人間を捻り潰せる力がある艦娘がこれ以上の武力を手にする。それを嫌ったからこそ、適当な理由をさも正当であるかのように掲げて彼女達を処分するのだ。
「艦娘達の間で流行するウイルス、か。突然姿が変わる辺り確かに病の一つとでも認識されそうだな。まぁ、知っている側からすれば滑稽な話だが」
「改装という工程が存在しないというのは確かに問題よ。本来なら選択肢がある筈なのにそれが無い。私的に集めた情報だと妖精も関与していないようだし、減る筈の資源も一切減っていなかった。言葉だけ並べれば、確かに艦娘側の方に何かしらの異常が起きていると見るのが妥当ね」
「だから殺す――まったく、問題を見ないのか今の海軍は」
潰して潰して潰し続けて、それで原因が発見出来る筈がない。
それが本当に病の一種なのかも、単純な強化であるのかも向こうにはあまり解っていないのだろう。
ただ恐ろしい。ただ怖い。大戦当時では表に噴出するのを恐れた感情が、そこで生きて沈んだ彼女達によって噴出を見せ始めている。
原因を究明し、その果てに殺すしかないというのであれば致し方ないが、それすら恐怖という感情の所為で潰されてしまうのだ。この分ではベテラン程早く居なくなってしまう。
自壊という言葉が一番適当だろう。進展が無い戦い程絶望的なものはない。
ただでさえ人類側は追い詰められているのだ。この際そんな問題など些細だとして投入すれば良いものを、今の日本国民は非常に臆病になっている。
平和が続いた影響が、それを齎しているのだ。自分に災禍など降り注いでほしくないと。
惰性に過ごしたい。楽をしたい。余計な要素など排除して、自分だけが生き残ればそれで良い。
元より艦娘は人間に非ず。ならば犬猫同じく殺処分で済ませてしまえ、その方が我々にとって都合が良いのだから。
「この件について、深くは調査していないわ。あくまで触り程度。機材も人員も居なかったから、今はそれで納得しておいて」
「解っている。あの時の霞にそんな事は言えないし、準備も何もしていないのであればそもそも調査など誰も提案しなかった。もしもそんな事をしていたら、司令官の叱責が飛んできていたさ」
「……そうね。そういう意味では、あの馬鹿で良かったとは思ってるわよ」
「相変わらずだな、その口調。曙も満潮も変わっていないし、あんなに精神的に折れてた状況でよくもまぁ言える」
吹雪の苦笑が廊下に広がる。
実際、目の前の霞も含めて件の三人は最も精神的にダメージを負っていた。
あの時自殺をしろとでも誰かが言えば、迷わず彼女達は砲身を頭に突き付けていただろう。そんな状態から回復した今でも、三人は容赦無く罵倒の言葉を放つ。
しかしそれが本来の意味ではないのは彼女達を知る側からすれば周知の事実で、三人もそれを知りつつ普段通りに話していた。きっとあの男は、普段通りを望むであろうから。
愛しているとは絶対に言わない。素晴らしいとも絶対言わない。放つのは常に厳しい言葉ばかりで、しかしてそれが彼女達の愛情なのだ。
狂気の領域に足を踏み入れたとしても、その一点だけは何も変わらない。
霞も吹雪の言葉に小さく笑う。まったくもってその通り、自分は何も変わっていない。
「さて、長話も過ぎたわ。これから中間報告をして次の出撃よ。それとも私と変わる?」
「いや、違う任務を任されたから私は参加しない。これから部屋の清掃だよ」
「あら残念。私の力を見せつける絶好のチャンスだったのに」
「言ってろ」
擦れ違い様に、二人は片手を上げて軽くタッチする。
相手は恋敵。そして二番目を目指すライバル。されど同じ提督の指揮下にある艦娘であり、共に切磋琢磨する隣人なのだ。
一時的に崩壊していたとはいえ、彼女達は仲間なのである。
そこには信頼も信用もあり、後ろを任せるに足る存在とも認め合っていた。
結束は固く、容易には崩せない。様々な戦場を走破したからこそある絆が、彼女達の力なのである。
――――特一型駆逐艦一番艦・吹雪改二。補足・練度九十九・初期艦。
――――朝潮型駆逐艦九番艦・霞改二。補足・練度九十九・元観測部隊。
今年はこれで最後になるかもしれません。来年もどうぞよろしくお願い致します。