集積地棲姫の身体が海に墜ちた。
驚愕の表情を抱えたまま沈んでいった彼女は、殆どの理由を知らぬまま終わったのだ。
解っていたのは俺と、比叡と、榛名の三名のみ。他は突然に起きた事態に頭を混乱させ、己の思考が纏まることに意識を集中している。
こうなった原因は極めて単純だ。単純過ぎて、態々難しく言う必要もないだろう。
音も無く移動してきた少女が、対象の胸に腕を突き刺してそのまま心臓を握り潰した。
それだけの話であり、にも関わらず皆が混乱したのはその速さだ。紛れもなく十全の力を発揮した彼女のスピードは正真正銘最速で、未だ姿を現していないにせよ現段階の島風を超えているだろう。
そんな彼女は血塗れた腕を海水で適当に洗い流し、俺へと視線を動かしていた。
目には明らかな怒りと、安堵。彼女もまた俺に悪ではない感情を向けているのは明白であり、それを知れただけでも個人的には嬉しかった。
朝潮型駆逐艦霞。
口が悪い事で有名な彼女の登場は、事こうなってしまった現状では予想して当然だったのかもしれない。
吶喊してきた彼女の身体には傷の一つも無く、汗も流れておらず、さながら散歩帰りのような自然さを感じた。
この戦場という世界において彼女の姿は実に違和の残るものだが、そんな事は知らぬとばかりに立つ様に俺にはないある種の自信が存在していた。
まぁ、それもそうかもしれない。
俺の自信なんて所詮は他人の身体に依存してのものだ。当然その身体で危機に陥れば自信のじの字も出て来なくなり、やがては悪態の一つでも吐いたかもしれない。
例えそれが嫁の身体であったとしても、マイナス感情はそんな特別を無視して表に噴出するのだ。
それが霞には無い。己が鍛え上げたからこそ、その身体の長所と短所を熟知し十全に動かす事が出来る。
それに彼女には改装によって二種類の特性が発揮されるのだ。そういった特別な要素を持つからこそ、彼女は素のスペックと合わせて実に多様な作戦に投入されることだろう。
それが自信に繋がる。自分が誰かに必要とされ、自身を指揮する者が十全に己を活用し、そして確かな勝利を手に出来れば、成程強者の気風を持つのも当たり前というものだ。
「一年よ、クズ。一年も彷徨ったわ」
「そうか。もうそんなに時間が経過したのか」
彼女の言葉に、時間とは何と速く進むのかと一人思う。
自身がこの世界に来て、響達と行動を共にするようになり、気付けばそれだけの時間が経過していた。
その間も彼女達は苦しんできたことだろう。会いたい相手に会えないというのは確かに苦しいことであるのだから、その事実は重く俺に圧し掛かった。
こうなった直の原因は江風だ。彼女が最初から解放していれば、もっと早く出会えただろう。
だがしかし、そんな江風にも迂闊に呼び出せない理由が存在していた。
例えそこに独占の意志があろうとも、彼女が今まで塞いでいなければこの世界はもっと混沌に満ちていたと思う。
故に、俺が江風を責める訳にはいかない。
責めるべきはこの場合霞達だ。だがそれも、彼女の怒りを思えばまったく考えられなかった。
問題事は全て俺が抱え込もう。それで彼女達を納得させることが出来るのであれば、いくらでも話をする腹積りである。
霞を正面に捉え、俺は次に放つべき言葉を考えた。
「霞、お前が此処に来ているということは、もう本当に他の子達も来ているんだよな?」
「多分ね。確証は無いけど、これだけ大規模な戦場に私達の気配よ。寧ろ来ない方がおかしいでしょ。……その証拠にさっき陽炎に会ったわ」
「何、じゃあ彼女ももうじき来るのか」
「ええ。それにさっき鳳翔が戦闘している場所も見たし、これでこっちに来ていたメンバーは殆ど揃ったって訳。後は加古の馬鹿と鎮守府側のメンバーが場所ごとこっちに移動すれば完了よ」
霞の話によって、やはり鳳翔も件の存在だったというのが確約された。
であれば、彼女にも後で会話をするのは確定だ。そしてその事実によって、これでこの世界に散らばっていたメンバーは殆ど全員集まったと言えるだろう。
加古だけは相変わらず所在不明であるが、彼女も彼女で引き寄せられると俺は信じている。
尤も、寝ている可能性を否定出来ないのが悲しいところであるが。
これで所在不明なのが霞のようなしっかり者であればもっと信じられたのであるが、加古である。寝ていない事を願って、集積地棲姫の死体へと今度は顔を動かした。
心臓を破壊された彼女の身体は綺麗そのものだ。
胸の風穴と驚愕の表情を無視すれば眠っているようでもあり、それだけ彼女がこの方法を使っていたのを窺い知れる。鮮やかな手口となる前は、一体どれだけ無残な死体が積み上がっていたことだろう。
想像すべきではないと思考を切り捨て、目下最大の懸念事項へと頭を回す。
俺の存在は今居る面子全員にこれで知られただろう。
流石に元男であるとまでは考えは至っていないだろうが、それでも今響達の頭の中では俺が海軍に居たとでも思われているかもしれない。
もしくは、艦娘の指揮官という括りで物事を考えている可能性もある。
兎に角これで北方勢力にはもう足を向けられなくなるのだろう。俺の思惑ではないにせよ、結果的には彼女達を騙してしまったのだから、寧ろこれで受け入れる姿勢なら正気を疑う程である。
金属音が響く。
それをしたのは響であるという事実に、少なくない驚愕を覚えた。
冷静沈着を正しく地で行く彼女の顔は僅かに歪み、瞳には憎悪の炎。彼女でなければまったくの想像通りの姿に、対空砲を向けられていると解っていながら口元は緩んだ。
それが気に食わなかったのか、彼女の表情が更に歪む。
最後の引き金を押さないのは、それをしてしまえば自分も含めた全員が死んでしまうだろうと理性が働いているからだ。
現に彼女の背後で刀を握り締めている木曾の姿がある。遠くでは吹雪が彼女と同じ対空砲を向けているし、比叡と榛名の主砲もまた全て響を一点集中だ。
明らかなオーバーキルである。そんな攻撃を彼女が受けたら一欠けらも残さず散るだろう。
だからこそ、俺は敢えて彼女の対空砲に向かって歩いた。
俺が近くに居れば巻き込まれるのを恐れた吹雪達が攻撃出来ない。木曾と同じく近くに居る霞にも手出しするなと目で語り、何時撃つかも解らない彼女の眼前へと身を出した。
「申し訳ない、と言ってももう聞かないか。悪いのが俺であることくらい解っているよ」
「……どうして黙っていたんだい。話してくれれば、少なくとも考える余裕はあった」
「そうだね、そうだとも。俺が単に信じてもらえないだろうと決めてかかっていただけだ。証拠だって無いも同然だったし、口調を変えただけでは君だって信じ切れないだろう?」
「それでも……ううん、今はその点について語るべきではないね」
「……理性的で助かる。流石は組織の頂点だ」
「やめてくれ、本当の頂点に言われても嫌味にしか聞こえない」
俺達の会話は、ほんの少しの間だけで険の取れたものとなった。
柔らかさは皆無だが、それくらいが今は丁度良い。未だ彼女の目からは憎悪の火は消えていないが、それは今後の関係で改善していきたいと思っている。
「また正式に謝罪はする。殴ってくれても構わない。だが、是非とも援助はさせてくれ。君達には多大な恩がある」
俺一人だけだったのなら、こんなにも早く彼女達には会えなかっただろう。
そもそもの話、江風にすら出会えなかった可能性もあった。俺が死んで、そのまま全てが終わっていたかもしれなかったのだ。
だからこそ木曾が居てくれて良かった。響が居て良かった。
北方勢力という存在が居た事実に、素直な感謝をしたい。そして今まで彼女が俺を受け入れてくれた恩を返す為に、このまま関係が終了することなどあってはならないのだ。
頭を下げる事に躊躇いは無かった。
それで誠意が伝わらないのであれば、海上で土下座もする覚悟だった。
俺は決して艦娘に不誠実ではいたくなくて、故にこそこの想いは嘘ではない。――そうだとも。
「俺は、俺は全ての艦娘を愛している。嫌われたくないし、壊れる様を見たい訳でもない。共に歩み、共に死に、そうした人のような営みを君達と築きたい。これは正真正銘、嘘偽りのない本気だ」
死なせぬ、無くさせぬ、何よりも忘れさせぬ。
皆の過去ごと抱き締めて、前を向くのが提督だろう。それは必須項目であり、一度彼女達に傾倒したのであれば最低限受け入れねばならぬことである。
最早たかがゲームなどという言葉は使えない。現実になったこの場において、俺が最優先にせねばならないのは彼女達なのだ。
日本の人間に何も思わなくもないが、人の悪意というものはこの世界に来る前に散々体験した。
悪意を受け流すような生活に疲れていた身としては、今の彼女達の方が余程綺麗だ。
だからこそ、日本には悪いが彼女達は頂いていく。大事にしないお前達が悪いのだと、俺は彼等を嘲笑おう。
「直ぐに返答は出来ない。この件は島に持ち帰った上で、皆と議論を交わすよ。どのような結果になったとしても文句は言わないでほしい」
「勿論だとも。それに悪い結果に終わろうとも俺は君達を傷付けるつもりはない。その点だけは此方の艦娘達にも徹底させる」
一先ず、話し合うだけの余地は生まれた。
それだけでも有り難いことなのだろう。まだ響が信じたいと思ってくれたからこそ、現状は保留に留まった。
さてそうなれば、残るは戦闘後の後処理だけだ。先ずは此度の戦果をどの陣営がいただくのかを話し合うべきなのだろうか。
「金剛。今回の大規模作戦は此方の勝利に終わった。故に首も宣伝も此方がもらう。文句は言わんな?」
「……致し方無し、デス。文句を言ってもDestructionされるダケネ。素直に帰りマス」
「有り難い。そっちで気絶している足柄達は此方が連れて行こう。吹雪、金剛達と同行して足柄達を海軍へ」
「はい」
これで北方及び西方、そして俺達の評価は変化するだろう。
姫級の首を取ったとなれば精強さについては特に問題にはならないだろうし、今は無理でも何時かは北方勢力だけでの姫攻略も行えるようになるだろう。
響達に足りないのは圧倒的なまでに火力だ。具体的に言えば雷巡や戦艦といった一撃必殺を狙える艦が存在していない事が問題なのである。
それも今回の一件である程度解消されるであろうし、そうでなくとも此方から戦力を貸すくらいは可能だ。
俺の命令であればオリジンは言う事を聞く。それにオリジン達にしても守るだけの評価をしている以上、響達が完全に独立するまでは守備の命を受けてくれる筈だ。
もしかすれば海軍から此方に亡命してくる艦娘も出て来るかもしれない。
そうなればそうなればで受け入れるだけだ。勿論、スパイの可能性も踏まえて身辺調査はせねばならないが。
「榛名、来るのはお前達だけか?」
「いえ、鎮守府ごと此方に来ます。到着時刻は明日の〇七〇〇の予定で、場所は此処になりますね」
「となると、真っ向から北方鎮守府との睨み合いだな。いっそ脅してみるか、俺達に手を出せばどうなるのかってな」
「oh……今からアチラの提督に同情シマス」
まぁ、存在する全てのオリジンに睨まれるのだ。
俺ならさっさと逃げ出すね。無理なら自害してでもこの世から逃げ出すが。
胸の前で十字を切る金剛をよそに、さてこの後はどうするかと考える。一先ず俺は完全に待機だ。
此処に拠点が出来てしまう以上響達とは完全に別行動になる。その響達も第二第三の部隊に今回のあらましを説明し、その上で一度本拠地に戻らねばならないだろう。
護衛をする必要が無いのは、彼女達の練度を思えば解ることだ。何より、胸中複雑な彼女達に誰かを護衛として向かわせるのも悪い気がする。
今は仲間内で会議をすべきだ。金剛側も響側も、どちらの随伴艦だって何かを言いたいだろうしな。
となれば、先ずはお互い元の陣地に戻るべきだろう。
その後に鎮守府が出現してから、響達の方とは通信環境の構築くらいはしておきたい。
後は資源や装備関連の事も榛名達から聞いて、全員の状態確認もせねばならない。やる事が一気に膨らんだが、一日使えば出来る。
海軍側から余計な事をしてこなければという注釈がつくがな。
「金剛、お前の提督に伝えてくれ。これから俺達は団結して行動を開始する。そちらが艦娘への対応を変更しない限り、此方も容赦はしない」
「Yes,その言葉、確かに受けマシタ。最優先で伝えまショウ」
これにて、この大規模作戦は終了を迎えた。
金剛達は元来た道へと足を向け、響達も北方に向かって進んでいく。西方側はどうなるのか解らないが、鳳翔がリーダーである以上一度は会議の為に戻るだろう。
俺は此処に残り、皆と一緒に島に立つ。――――振り返った先では、無数の艦の陰が見え始めていた。